山倉観福寺(1)

 山倉大神の別当にあたる観福寺は関東八十八霊場の第45番札所という。
神社とはほんの少ししか離れていない。

P3130071s.jpg

参道途中にある石塔には波乗りうさぎの文様が描かれている。

P3130064s.jpg

石塔の裏を見ると明治28年と彫られているようだ。

P3130063S2.jpg

観福寺は香取市に2カ所ある。
1か所は佐原の観福寺で伊能家の墓のある寺で、「日本厄除三大師」と書かれている。
(前に紹介した記事は ⇒ こちら

もう一つの観福寺も山倉さまとして江戸時代には大六天の総社として特筆される寺である。

Wikipediaによると
「言宗豊山派の寺院で「山倉山観音地院観福寺」、811年(弘仁2年)円頓によって創建され、814年(弘仁5年)弘法大師空海がこの寺に入り修法した」と書かれている。

なかなか奥が深そうだ。

この寺と山倉大神は一体であり、鮭祭りも一体だ。
祭りの神輿もこの寺の前の通りで行われる。

今日もあまり書く時間がなく、明日もまた出かけるので記事の続きは明後日?書きます。


小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/22 21:41

山倉大神(4)

 山倉大神(大六天宮)の裏側の入り口にたくさんの祠がまとまっておかれていました。

P3130058s.jpg

説明では「道祖神」だと書かれています。

P3130056s.jpg

そこに置かれた説明板には道祖神の起源等について書物から引用して書かれていました。
さてこれはどうなのでしょうか?

松尾芭蕉も奥の細道では
「・・・去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず・・・」

と「道祖神の招きにあひて」と書いています。

P3130057s.jpg

道端に置かれた道祖神はいろいろな姿があると思います。
多くは仲の良い双体像であったり、庚申塔であったりこのような石の祠もあります。

ここに置かれたのは周りから集めたのでなければ何か結界の意味がありそうに思います。


P3130052s.jpg

鳥居のある入口には現在営業していない旅館「若松屋」さんの建物が残されていました。

P3130055s.jpg

2つある鳥居の間にあります。

P3130051s.jpg

何時ごろまでやっていたのかはわかりません。


P3130053s.jpg

今は少し離れた観福寺の前に「吉野家」という旅館は営業しているようです。

P3130104s.jpg

小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/20 22:29

山倉大神(3)

 この山倉大神では12月7日に「山倉の鮭祭り」という行事が行われているという。(千葉県指定文化財)
なかなか面白い。

 ♪♪ 陸の松島 黄金の秋が すぎてもうすぐ サケ祭り
     今年しゃ夫婦で 山倉さまに 明日の倖せ 祈りたい
                (山田音頭)

   (注) 山田:合併して香取市になる前はこの地は山田町でした。

現地の説明看板より:
 この例祭は、「鮭祭り」とも呼ばれ、毎年旧暦霜月初卯の創建の日であったが、明治の末に今の12月7日に改められた。
この日は、神社庁から献幣使の参向があり、例祭式・出御祭・神輿渡御・山車巡行等が厳かに執り行われる。
鮭祭りは、秋風と共に産卵のため栗山川等を遡行し、「竜宮からの使者」として奉納された鮭を、白川流の包丁捌きで奉製して12月7日当日参詣者に頒布し、秘伝の黒焼き鮭は社務所に常備され、共に病気や災いをサケる護符又は風邪薬として名高く、房総の魅力500選にも挙げられている。

今は栗山川はさほど大きな川ではないが、数m海面を上昇してみるとかなり広い穏やかな川であったのが見て取れる。
この川の流域でたくさんの古代木舟が見つかっており、縄文人たちもたくさん暮らしていたことが想像できる。

多古町に展示していた舟(前に書いた記事)は ⇒ こちら

また旧栗源町(くりもとまち)には高句麗などからの渡来人がたくさん住んでいたという話もある。

P3130047s.jpg
(栗山川 山倉様の 上り鮭)

秋に産卵のために川をさかのぼってくる鮭がどのように昔は扱われていたのかかなり興味がある。

常陸風土記では日立の助川の地名についての記述がある。

「ここから東北へ三十里のところに助川の駅がある。以前は遇鹿(あひか)といったのは、むかし倭建の天皇が、ここに出かけられたとき、皇后様と行き逢ふことができたので、その名がついた。国宰(くにのみこともち)久米大夫のころに、鮭を採ったので、助川といふやうになった。(俗に鮭の祖を「すけ」といふ)」

さて、この「鮭の祖」=「すけ」というのだが、この言葉はアイヌ語に通じるという。

鮭の祖というのは鮭の中でも特に大きな産卵の親鮭を指しているようだ。

東北地方に伝わる「鮭のオオスケ(大助)」の民話とどうしても重なって聞こえてくる。(民話は記事の最後に参考にのせます)

何とも面白いものだ。

P3130040s.jpg

神楽の白川流(家)というのは良くわからないが上の説明を読んでください。

P3130041s.jpg

神楽殿

P3130042s.jpg

P3130045s.jpg

額殿

P3130046s.jpg

参考:鮭の大助(オオスケ) Wikipediaより

その昔、信濃川近くにある大長者がいた。ある年の霜月(11月)15日。いつも川で漁をするはずの漁師たちが揃って仕事を休んでいることを不思議に思ったが、その日は鮭の大介・小介がのぼってくる日と気づいた。

日が経つにつれ、長者はたかが魚ごときになぜ漁を休まむのかと腹が立ってきた。そこで翌年のその日が近づいた頃、漁師たちに漁を行って大介・小介を捕えるよう告げた。漁師たちはみな川の王の祟りを恐れたが、長者が権力にものをいわせて脅すので、渋々承知した。

そして霜月15日。長者は大介・小介が捕まるところを見てやろうと上機嫌で川に出た。漁師たちが網を放ったが、なぜか大介・小介どころか、小魚すら網にかかることはない。長者は漁師たちにハッパをかけるが、魚は1匹も捕まらない。

やがて漁師たちは、長者より川の王の祟りを恐れて皆、引き上げてしまった。川辺には長者1人が残され、既に時は真夜中になってしまった。

気がつくと、目の前に銀髪を輝かせた1人の老婆がいて、長者に言った。

「今日はご苦労であった」

それを見た長者は次第に気が遠くなっていった。何かを言い返そうとしたが、既に言葉にならない。老婆が川へと歩いていくと、川辺に激しい水音がした。そして声が響いた。

「鮭の大介・小介、今のぼる」

大介・小介を先頭にして、月光の照らす中を鮭の群れが川をさかのぼって行った。

長者はすでに息絶えていた。


小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/19 23:46

山倉大神(2)

 山倉大神(千葉県香取市山倉)は大六天の総本社。

なかなか面白いところでした。

なぜこの場所にこのような神社ができたのでしょうか?

常陸国から利根川を渡り千葉県にやってきて、今まで思っていたこととはかなり違ったことが見えてきているように思います。

やはりここにながれている「栗山川」がかなりの重要な川になりそうな気がする。

栗山川は九十九里浜の横芝光町「屋形」から多古町を経由してこの山倉方面にも支流がありそうだ。

この川沿いは古代の丸木船が一番多く見つかっている。

「栗」は栗の木もあったのかもしれないが、どうも「句麗」に通じているらしい。
屋形の名前も屋形船の語源ともなったが、千葉氏の祖といわれる「平良文」の「館」があったかもしれない。

P3130023s.jpg

なかなかうっそうとした静かなたたずまいの場所です。

P3130024s.jpg

P3130030s.jpg

本殿(手前)と拝殿。
かなり立派なものです。

P3130029s.jpg

邪鬼を踏みつけた青面金剛庚申塔?

P3130031s.jpg

消防組からの奉納寄付金。
何時ごろの物か?
火消から消防組に名前が変わったのは明治5年(1872年)、全国に消防組織ができたのは明治27年だという。


小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/18 22:43

山倉大神(1)

 大六天神宮の総本山であったという千葉県香取市の山倉大神に行ってきました。
茨城県にいるとこの大六天を祀っているところはそれほど多くはありません。

この神社(山倉大神)の創建は西暦811年とかなり古く、大六天王社の総本山と言われて人々の信仰を集めていたという。
の山倉大神もこの山倉地区の観福寺の別当として一体で祀られていたようだ。

それが明治の神仏分離で、こちらは神社となり大六天王は寺である館福寺に移し、こちらは神社として名前を「山倉大神」に改めて祭神も「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を祀ることにしたらしい。(明治3年)

P3130032s.jpg

しかしこの神社の本殿には「大六天神宮」と大きく掲げられている。
本殿は安永7年(1778年)に建立されたもので彫刻もかなり凝ったものだ。

P3130033s.jpg

P3130036s.jpg

P3130034s.jpg

P3130035s.jpg

P3130037s.jpg

P3130049s.jpg

この狛犬の表情もいい。

P3130050s.jpg

P3130038s.jpg

それにしてもこのような場所にこのような神社があることを今まで知らなかった。

小美玉市と行方市の境に近い「高木神社」を偶然見かけてこの神社のことを知った。

大六天といえば魔王とも呼ばれ、生まれ変わりと自称していた織田信長を思い出すが、最強の神のようだが、この近くでは「久保神社」を思い出す。(前に書いた記事は ⇒ こちら1こちら2

この久保神社に行った時に気が付くべきだったのだが、ずいぶん時間が立ってしまった。

また潮来にもあった。(記事は ⇒ こちら1こちら2


小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/17 23:34
 | HOME | Next »