紫陽花も静かに

 昨日の大阪での地震はニュースで見るだけですが、被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。
小学校のプールの壁が倒れたなどこちらは人災ですね。

学校の耐震化にはかなり気を使っていてもこの構造などはまさにずさんでした。
日本全国で見直しが必要なところがありそうです。

こちらでは揺れなかったのですが、東日本の時を思い出しました。

日曜日に風土記の丘(公園)に立ち寄り紫陽花を見てきました。

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こちらの紫陽花はきれいなブルーです。
酸性土壌なのでしょうね。

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この時期はスカシユリも咲くのですが、今回は入り口付近で紫陽花を眺めるだけです。
日曜日でもあまり人出はありません。静かですね。

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まあブログの記事がないときに前は時々こちらに写真を撮りに来ていましたが、最近はブログも飛び飛びなのでこちらに来るのも桜の時以来です。

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入口の高台に藤棚があります。
5月の連休頃に藤色と白の2種類の藤の花が咲きます。
今は種が垂れ下がり・・・・

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藤棚から静かな公園の風情を眺めるのは比較的すきです。
会津から移築した藁ぶき屋根の民家、竜神山の姿に・・・ また筑波山も眺められます。

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風土記の丘近辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/19 06:16

息栖神社の社殿

 鹿島・香取の両神宮と共に東国三社として知られる「息栖神社(いきすじんじゃ)」。
久しぶりに立ち寄りました。

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他の二つの神社と比べると、その規模は比べ物にならないほどこじんまりしたものです。

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ここが江戸時代に東国三社をめぐる信仰の対象となったことも忘れられそうです。
江戸時代には関東以北の人々は伊勢神宮参拝後に「下三宮参り」としてこの三社を巡る慣習もあったようです。

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どんな順番に回っていたのでしょうか?
良くわかりませんが、「鹿島発ち」などといって、鹿島神宮から廻るという考え方もあったようです。

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今回拝殿前に茅の輪が置かれていました。

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さて、今回問題にしたいのはこのコンクリート製の社殿です。
何とも味気ないのです。

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(拝殿裏に本殿がありますが、こちらもコンクリート製です)

この社殿は、昭和35年に火災で焼失し、3年後の昭和38年に鉄筋コンクリート造りで再建したものです。

それまでの社殿がどんなものであったのか? 調べると江戸時代の享保7年(1722年)に作られたもので華麗なものであったと書かれています。

ではその姿は? ネットで写真を探したけれど出てきませんので、戦前絵葉書を探してみました。
ありましたよ。潮来観光用の一種のようです。

息栖神社3

これが社殿(拝殿)です。

息栖神社4

こちらの門は今のものと同じですが、奥に見える社殿(拝殿)は違いますね。
神門は1847年製です。こちらは火事にあわなかったのです。

絵葉書では「楼門(ろうもん)」と書かれているようですが何故でしょうか?
基本的に楼門は2階建ての門ですね。それにお寺の門に多いと思います。

もっとも石岡にある善光寺の楼門は2階建てにするために材料を用意したけど1階だけ造ってやめたものだし、行方の西蓮寺は最初は2階建てだったけれど、途中で1階建てに改築したものです。それでも楼門と言っています。


いろいろありますね。

息栖神社2

息栖神社の前の川にはこのような帆掛け船が・・・

「息栖神社は、天界の神舟が舞い降りる津」(津は港のこと)というイメージはわきません。

そういえば吉田松陰が水戸から銚子に行くときに、鹿島から潮来へ出て潮来から船に乗り、息栖に立ち寄って食事をとり、銚子手前の松岸へ着いたのは夜遅かった。当時松岸は遊郭があってにぎわっていた。
夜遅かったのも、帆の風待ちのためだと思うので帆かけ船だったと思う。

小林一茶が七番日記の文化14年(1817年)の5月に鹿島から潮来へ出て1泊し、潮来から船で卯上刻(朝5時~6時)に出発しています。 一茶は55歳でした。
潮来(板久)の俵屋(宿)の宿賃が150文、潮来から銚子への船賃が264文です。
銚子についたのは未下刻ですから午後2時~3時ころですね。 この船賃264文は現在では8000円くらいのようです。
結構時間がかかっていますので、松陰と同じように、この息栖あたりで降りてのんびりと食事でもしたのではないでしょうか?

一茶七番日記


こうしてネットで探してみるといろいろなものがわかるものですね。

潮来や息栖、それに銚子あたりのことを調べているとこの一茶の7番日記も時々出てくるのですが、私にとってはその前に立ち寄っているところも気になりますね。

・5月22日(晴)竜ヶ崎から女化原を通って土浦へ 稲市村近江屋弥五右衛門宅で1泊
・5月23日(晴)高浜で本間松江に会い、小川の今出屋惣八宅に1泊
・5月24日(晴)小川の本間家(医師)のところに1泊
・5月25日(晴)小川から4里離れた(北浦近くにある)化蘇沼稲荷神社に馬で送ってもらう。帆津倉(行方市三和、北浦)に1泊
・5月26日(晴)川(北浦)を越え、札村の普門寺へ。そこから鹿島詣でをして 大船津から舟で潮来側へ。
 この札村は昔の常陸国鹿島郡にその名前がある。北浦沿いの東側。阿玉の少し南側だ。旧大洋村のようだ。

あっ! そうかこれは常陸国風土記に出てくる白鳥の説話の舞台の一つ白鳥山普門寺(鉾田市札)のことだ。

ここは無人の荒れ果てている寺でまだ行ったことがない。今度行ってみよう。

調べていると面白いことが次々出てきてきりがない。
今日も別にやっておかなければならないことがたくさんあるので、これ以上調べるのは後にしよう。

一茶日記に出てくる地名や人名もわからないものがたくさんある。
調べてみたいが・・・まあきりがないかな。

さて、東国三社(鹿島、香取、息栖)が二等辺直角三角形に並んでいることはよく知られていますが、これも西暦806年にこのような位置関係になるように、息栖神社を今の位置に移したために成立したものです。
平安時代の初期にこんなことが行われていたのですから、当時の測量の技術もかなりあったもののようです。


神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/08 07:18

潮来長勝寺の阿弥陀如来三尊

 アヤマ祭りの期間中に長勝寺を訪れると、本堂の扉が開かれています。

そして、中央にご本尊の阿弥陀如来坐像が安置されています。

阿弥陀如来坐像及両脇侍像(県指定文化財):

鎌倉時代前期~中期に製作されたヒノキ材を使った定朝様(じょうちょうよう)の寄木造りです。

眼は玉眼(水晶)がはめ込まれています。

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像高は阿弥陀如来89.4cm、観音菩薩(向かって右)107.5cm、勢至菩薩(向かって左)106.3cmです。

この阿弥陀如来三尊像はそれほど大きいものではありませんので、鎌倉あたりで製作されたものかもしれません。

仏師名はわかりませんが「運慶」という伝承もあるようです。
ただ顔の表情などはよく見えないので、その力強さは感じられませんでした。

身体の肉付きはよくどっしりとしていて、鎌倉時代の特徴をあらわしています。

鎌倉と言えば鎌倉の大仏様、これも阿弥陀如来像です。 同じ定印を結んでいます。

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中央須弥壇の手前、向かって左側には十大弟子のひとり「迦葉(かしょう)」の大(摩訶)迦葉立像が安置されています。
こちらも県指定文化財です。

これは頭部が14世紀の南北朝時代で、体部は江戸時代の1698年に製作されたものです。

水戸光圀がこの像を修復し、十大弟子の迦葉にあてたことが判明しています。

向かって右側には潮来市指定文化財の「毘沙門天立像」が安置されています。

これら本堂に安置されている仏像もこのあやめ祭りの期間はこうして扉が開いていますので拝顔することができるようです。
普段は閉まっているためにほとんど中が見えません。そのため、この時季にうかがうことも楽しみの一つです。


仏像 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/04 06:12

潮来長勝寺の沙羅双樹の花

 潮来の前川あやめ園を後に、源頼朝ゆかりの古刹「長勝寺」に立ち寄りました。
ここは桜の時期の訪れていますのでそれ以来です。

この寺に「沙羅双樹」と名札に書かれた大木が本堂手前に聳えています。
そこにこの時期に花が咲くのです。

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どうですか? これが沙羅双樹の花だそうです。

「え?」 違うよ という声が聞こえてきそうですね。

そうですよね。平家物語に書かれている
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす。・・・・・」

この名調子は昔結構覚えましたよ。

お釈迦様が入滅したときにシャラの木が四隅に2本ずつ双樹(沙羅双樹)となって全部で8本植えられたいたのが、その死を悲しんで沙羅双樹(しゃらそうじゅ)が一夜にして枯れて、一面に白い花が咲き鶴が降りて来たような風景となったといわれているのですが、これがどんな花なのかが私には良くわかっていないのです。

兵庫県にある鶴林寺などの名前の由来がこの伝説によるといわれています。

平家物語の表現は「盛者必衰」をあらわすものですので、平家が栄華を極めていたが、これが滅びるのはいつの時代も決まっていることだということを表現する花は? ということで今では「夏椿」を沙羅双樹と言っている記事がたくさんあります。

確かに春椿の白い花は1日で散り、翌日には次の花が咲きます。
夏椿の木の下には落ちた白い椿の花でいっぱいになります。

これがこの「「盛者必衰」のイメージに近いこともあるでしょうが、インドの沙羅双樹とはだいぶ違うのだとか言われています。
日本では温室でないとそだたないし、めったに花を見られないとか・・・・

では潮来のこの「沙羅双樹」の木は??

どなたかわかる人がいたら教えてください。


日本で唯一沙羅双樹が見られるところとして紹介されているが、草津水生植物園だそうですが、ここの花は

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何かこれとも少し違っているように見えます。

潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/06/03 18:23

潮来のアヤメ

 先日銚子に行く途中で潮来のアヤメ園に立ち寄りました。
5月末よりあやめ祭りが始まっていますので、平日とはいえ結構人が来ていました。

この時季にやはりのこのアヤメ(実はほとんどが花ショウブ)を見ておかねばなりませんね。

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まだ始まったばかりですが、すでに花はほぼ満開でした。
いつもならこの時期はまだ早い感じだったとも思ったのですが、今が見ごろです。

あやめ娘も赤い傘をさして園内をぐるぐる回っていました。

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前川あやめ園の園内にはアヤメ、カキツバタ、花ショウブの違いを説明する看板があちこちに置かれています。
でも何回も見たり聞いたりしても覚えられません。

まあ覚える気がないといった方が正直な気持ち。
私にとってはどちらでもいいのです。

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前川あやめ園から前川の上流へ前川12橋めぐりの舟が出ています。

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潮来の十二橋めぐりは加藤洲の方を廻る船をいいますが、こちらの川をさかのぼる船も人気です。
まあほかに楽しみも少ないからでもありますが・・・・
一度乗れば次は乗ら無いかもしれませんね。

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歴史的に見ればこの前川は霞ケ浦の北浦からこちらの常陸利根川をつなぐ川で、江戸時代にはこの川沿いに東北の藩などの河岸倉庫が結構あったようです。

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仙台あたりからも、江戸時代中期までは船が外洋を銚子沖を通るのは事故も多く敬遠されたのです。

このため、水戸で涸沼へ舟で入り、荷を陸に揚げ、陸路を北浦まで運んでまた北浦からこの前川沿いに並んでいた河岸の倉庫まで運び、少し大型の舟に乗せ換えて風待ちをして利根川経由で江戸まで運びました。

そんな歴史の説明は地元の観光案内にはあまり書かれていません。
潮来花嫁さんばかりではなく、そんな河岸跡を探してみても楽しいと思います。

潮来地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/06/01 22:20
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