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季節は急ぎ足で巡る

 今日はまだ5月の半ばだというのに、朝から風雨が強く、もう梅雨入りの様でもあります。
五月は比較的天気が良いので、梅雨の中休みの晴れを指した「五月(さつき)晴れ」も今年ばかりは新旧の暦が同じようになってしまいそうです。
コロナも今年の天候もこれからどうなってしまうのでしょうか。

先週出かけた時に潮来の長勝寺に立ち寄りました。
本堂前に植えられている大きな菩提樹の花がもしかしたら咲いているかもしれないなどと思ってのことです。

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境内参道脇の紅葉の葉はもうかなり色濃くなって、勢いも増して生き生きとしていました。

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大きな本堂の藁葺き屋根も台風の影響でかなり傷んでいたのを修理したようです。
これも寺にとってはかなりの負担で、修理費用の基金募集の立て札が置かれていました。

写真手前に写っている木は菩提樹の木ですが、花はまだほんの小さな赤ちゃんという感じでした。
また来月にでも様子を見に立ち寄りたいと思います。

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(茶筅塚)

潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/05/17 09:53

遊女の墓(潮来)

 昨日、また銚子へ行く途中で、潮来市の中心部にある真宗の寺「西円寺」に行って来ました。
ここには「遊女の墓」があるのです。

前に2度ほど訪れているのですが、墓のありかがわからず断念したことがあったのです。

最近、江戸時代に松浦静山(まつらせいざん)が書いた甲子夜話(かっしやわ)を紹介していただいているサイトで遊女の話しを読み、ここもまた訪れたいと思っていたからです。
(サイト:甲子夜話のお稽古 ⇒ こちら

今度は見つけることが出来ました。
矢印案内板があるのですが、これだと、墓所の端部側にありそうですが、もっと内側の真ん中附近でした。

立派な供養碑が建てられていました。

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供養塔には「衆生済度遊女之墓」と彫られていました。

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左右に幾つかの墓石があり、その多くが江戸時代からの遊女たちのものでしょうか。

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そして、もう一つの石柱には細かな文字がいっぱい。

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衆生済度遊女の墓建立の誌
且つて一世を風靡した野口雨情の哀愁の詩「船頭小唄」も其の背景が遊郭の町潮来であったからこそ一層世の人々の情をさそったのではなかろうか。古書の一文をかりれば、菖蒲咲く潮来の里は奥州より中山道に通ずる要津にあたり銚子より鉾田より凡そ内海に入る者皆此処を過ぎりければ水駅として夙に世に顕る。されば、古くより艶色をひさぎて旅情を慰むるものなどありしならん。徳川氏府を江戸に開き此の地水戸領となりし後は其の盛り旧にも倍し交通益々頻繁にして諸大名の蔵屋敷建ち、朝夕に出船入船落込客も多かりければ藩治殊に意を用ひ水戸藤柄の娼家を移し、江戸の制に倣ひて浜一丁目に公娼を許し地方の繁栄を謀る傍ら罪人の検挙等に資せらる、とあり、延宝七年(1679年)潮来の一画に正式なる遊廓が誕生したのである。明治維新後の明治五年娼妓解放令が出され改革が行われたかに見えたが実際は空文化し公娼制度は賃座敷業に変形し却って繁栄をみた。不夜城の妓楼に絢爛と連ねる源氏名の数々、だが彼女たちは好んで入籍したのではない、年貢の上納に事欠く農家の娘、両親を失った孤児、高利の返金に迫られて親のために観念した孝行娘、義理ある人のために身を沈めた年若い妻女、・・・・・・

石柱の四面にわたってびっしりと・・・・
調べると、島田三郎さんという方が、昭和五十四年五月二十日に建立したものと判明しました。

元々潮来には江戸時代から遊郭がありました。
明治5年の法改正で、遊郭は禁止されたのですが、それ以降も昭和の初期頃まで形を変えて残り続けたといわれています。
ほぼ姿を消したのは、戦後の昭和32年の売春防止法が成立した時からだそうです。

この遊女たちの墓は、遊郭の主人が亡くなった遊女を寺に弔って建てたものといわれています。



潮来地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/05/15 11:17

久しぶりにレストランへ

 母の日の日曜日、家内はどこか寂しげ。
5月の連休中に千葉の息子夫婦が孫を連れてくるという話しを、今はまだ来ないでと断り・・・・・

もう少ししたらワクチンも普及してこの騒ぎも収まるかと・・・・・・・

でも、自治体のワクチン接種計画は国の話などからはかなりかけ離れている。

65歳以上の接種が、今の計画では、8月~9月以降となる。このままでは何時になるのか・・・・・。

まあ、気長に待つしかない。焦ればそれだけストレスが溜まる。

妻も母の日に、息子や娘から花束でも贈られてくるかと待っていた様だ。

夕方になってもこないから寂しかったのかも・・・。孫の動画がスマホには来たようだが・・・・。

そこで、久しぶりにまだ暗くなる前に、食事に誘った。

場所は6号国道沿いの地元レストラン「さくら」だ。

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ドアを開けるとすぐに検温。

席には透明なアクリル板が置かれ、対面にはこのアクリル板越しだ。

夕暮れの6号国道側の席には、どこかヨーロッパ、北欧を思わせる人形などのミニチュアが飾られている。

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段々暗くなる屋外とは対照的に、屋内のライトが窓や、アクリル板にも映り・・・・・・

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トマトソースの煮込みハンバーグセット。

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美味しく頂きました。

テイクアウトをたのむ人もいましたが、お店も徐々に混んできて、7時半頃には席も殆んど埋まってしまいました。
私たちはその頃店を後に・・・。


食事処 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/05/12 11:01

いつまで咲くシクラメン

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 事務所代わりに使っている借り部屋にシクラメンの植木鉢がある。

この部屋に置かれたのは2年半前の冬。

この場所で3年間見事に花を咲かせている。

殺風景は場所にやはり色鮮やかな花はいいですね。

窓際において、水はあまりやり過ぎないように少しずつやっている。

5月に入っても花の勢いは衰えないようだが、それでもそろそろ赤い花の色がすこしずつ元気がなくなってきた。

今月いっぱいは元気でいてほしいものだ。ちょっとした目の清涼剤なので・・・・

最初に冬を越した時は、花が枯れてもそのままにしておいたら、葉がまだ残って青々していたので時々水をあげていた。
すると葉は段々大きくなってよく冬を迎えた。
そのときはさすがに花の咲くのが遅れ、1月頃から咲き始めて5月頃路まで咲いていた。
また花の数は少し少なかったと思う。

翌年の夏場は水はあまり与えず、延びた青い葉は根元から切った。
すると、11月頃から花をつけ始めた。
そして、今はこのようにまだ咲いている。

根元は球根のような固まりがある。

シクラメンも可憐な花だが、半年も花を次々咲かせるとは、凄い奴だ。
しかも、鉢植えのままでもそのまま翌年花を咲かせる。
本当は鉢を大きなものなどに植え替えた方がいいらしいが・・・・

たった一人こうしてブログなどを書いていても窓際から優しく眺めてくれている。

さあ、コロナなどに負けずにもうひと頑張りしなくては!

(ひとりごと)

「関東の源氏と平氏」どのように調べを進めようか・・・・・源護、平将門、源義光・・・・・・

これを理解しないと自分の今いる地の歴史的背景がよくわからない。
歴史書では系列は全て男性、しかも長男などの直系重視。
女性の地位は? これを考えると平氏も源氏も入り乱れている。
年内には少しずつ調べてまとめておこう。


近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/05/10 11:48

麦の穂は勢いよく天を目指す

 石岡市山崎南交差点の近くには、大きな麦畑がある。
最近は麦を見かけることは少なくなったので、この田植えの時期に大きく成長した麦の勢いがなんとも頼もしい。

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この麦も今月末には麦秋を向かえ、その後刈り取りされるのだろう。

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遠く八郷盆地の先に筑波山系の加波山などの山並みが見える。
ここからの眺めは、確かに広大で、多くのよそから来た人からは「北海道みたいだ」などとよく言われている。

今年は生育も早く、今月中にはすっかり秋色になって「麦秋(ばくしゅう)」となりそうだ。
今は、天に向かって多くの穂が真っ直ぐに勢いよく伸びている。

ふるさと風の会の機関紙を印刷して、その配布にここにやってきたが、いつもこの真っ直ぐな穂に心を奪われてしまう。

「ほら、しっかり頑張れよ!」

などといわれているような気になる。

里山の風情 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/05/09 11:36
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