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里山もすっかり色づいて

 今日土曜日は12月会報の印刷日。
午後から八郷地区や旧新治村、つくば市北条などを回りました。

午後からは日も差して比較的穏やかになり、思ったよりは寒くありませんでした。

里山はどこも色とりどりのまだら模様の紅葉が見事です。

途中で何枚か写真を撮りましたので紹介します。

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ここは朝日トンネルの土浦川の入り口付近です。
こんな山の下をトンネルが走っています。
写真左側にトンネルがあり、向こう側の出口が石岡市八郷地区です。

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今の時期はこの辺りの山一帯が紅葉しています。

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この山のふもとに「小町の里」があります。
最近はこの小町山などのハイキングが人気となり、ふもとの駐車場は車でいっぱいでした。

この手前の黄色い穂は刈り取った稲の後に生えてきた「ひこばえ(稲孫、穭)」が黄色く色づいたのでしょうか。
秋に田起こしすればこのような景色にはならないように思います。

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小町の里の奥の山もきれいな模様ができています。

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北条の近くに行ってみると、手前の小山と筑波山の対比がいとおかし(おもしろい)です。


里山の風情 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/12/03 18:14

西蓮寺の黄葉

 月曜日に銚子へ行く途中、行方市にある古刹「西蓮寺」の銀杏の黄葉を見に立ち寄りました。
毎年12月に入って1週間位したときにこの大銀杏の黄葉を見に行くのですが、今年は一足早く行って見ました。
今年は少し早いかもしれないと気になったのです。

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駐車場には4~5台車が止まっています。
時間はまだ朝の9:30前で、天気もあまり良くなくどんより曇っています。
この山門は石岡にある国指定の文化財の善光寺楼門とほぼ同じ頃の創建ですが、こちらは最初は2階建ての楼門で、後に1階建てに改築したもの。屋根も銅版葺き
いっぽう善光寺は2階形式の楼門の予定が1階建てでやめたもの。屋根は藁葺きのまま。
でも良く似た形だ。どちらも仁王像がおかれている。

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門をくぐって境内へ。

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本堂や常行堂などは一段高くなっており、大きな銀杏の木も一段高い境内にある。
いつものように花手水舎も彩を添えている。

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2本の銀杏の大木がありますが、1本はほぼ黄葉していて少し落葉が下に落ちて絨毯のようになっていました。
しかし、あと1週間もするとこの黄色い絨毯はふわふわになるくらい厚く積もる。
手前に幼稚園もあるので、その頃は幼稚園児たちの声が響き渡るかもしれない。

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私を含め、年配のカメラマンが5~6人ほど。
先を急ぐ私は適当に構図を決めて写真に納めたらすぐに退散です。

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駐車場に戻ると自分の車の側に新たな車が3台ほど来ていました。
休みの日などは結構人出があるかもしれません。

また少したって次の機会に立ち寄ってみましょう。

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/11/30 14:45

「近世小川の水運」展へ

 昨日は晴れて結構暖かくなったのですが、今日は雨で気温も上がりません。
いい夫婦の日も勤労感謝の日も特に何もありません。外の雨の音を静かに聞くばかり。
冊子本が足りなくなったのを少し印刷してのんびりしています。

テレビでは明日の金曜日がブラックフライデーだと、消費をあおっていますが先立つものもありませんので必要最小限でしばらく我慢。
ガソリン代は少し下がってきたようです。久しぶりに150円を切りました。

昨日の午後に少し時間も出来、暖かく気持が良いので、先日FBFに教えていただいた小美玉市旧小川地区の資料館で開かれている「近世小川の水運」という展示を見に行って来ました。

場所は小川の素鵞神社の裏手側にある図書館の2階の資料室です。

素鵞神社は何度か訪れたこともあり場所はわかりましたが、裏手には公民館の建物があり、その裏に図書館の建物があります。

この展示については何も近くに案内は出ていませんでした。
公民館の駐車場に車を止め、裏へ。
もう少し大々的に看板などを出していると思ったのですが、図書館入口もあまり目立った案内はありません。
恐る恐る入り、スリッパに履き替えて図書館中央から2階へ。

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階段を上った所に案内がありました。

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資料室は結構広く、あかりもたっぷりで、左手にいろいろな地域の神社の紹介、その奥がビデオルームのようになっており、民族や農機具関係の資料展示にお獅子や祭り関連の展示など、普通のときにやっているものがあります。
今回の特別展は入って真中から右半分に、小川河岸附近の模型と、水運で栄えた当時の各種古文書や説明などが丁寧に展示されていました。

内部の写真撮影が禁止となっていましたが、手前の置かれたパンフレット(A4x30ページ 白黒写真付き)は内容も充実しており収穫でした。
今まで調べたりしていましたが、新たな発見も結構ありました。
やはり高瀬舟で米俵1000俵ほど運べたようです。
一般的な高瀬舟よりもかなり大きく、日本最大級のようです。

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水戸藩のルートもかなり文献にあわせて検証しています。

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この資料を手に入れるだけでも価値はあります。
でも誰もいませんね。結局私のいる間には誰も来ませんでした。

図書館の方とは下で入るときと帰る時に少し会釈したり話しただけでした。

また、石岡の街もそうですが、小川の町もあまり元気は無いですね。
何かしなければいけませんね。

また、小美玉市の「史跡文化財ガイドマップ」とい資料も頂いて来ました。
前に行方市のものもいただきましたが、石岡市にもあるのでしょうか??

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/11/23 13:58

東庄町散策(9) 大友地区の小さな薬師堂

 千葉県香取郡東庄町(とうのしょうまち)をぶらぶらと散策した記事を書いています。
東大社(とうだいしゃ)を紹介する前に「大友城址」を紹介しましたが、大友城址から東大社に向かう途中に見つけた気になったお堂を紹介します。
大友地区は東北から西南に斜めに細長い地形をしています。
その中心部から南西側に広がる台地の上に「大友城」があり、その中心部の名前が「政所台(まんどころだい)」「遠台(とおのだい)」などの字名が残されています。
ただ人家のある中心部は北東側にあり、ここに「大友区民館」と書かれた地区の集会所がありました。

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その直ぐ前に朱色い屋根のお堂があり、気になって立ち寄ってみました。

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周りには地区のお墓が置かれていて、地図で見ると「卍」のお寺のマークが書かれていますが、名称等は見つかりません。

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道路側に小さな石碑がありお花が手向けられていました。
「奉納大乗妙典日本・・・・・・  飯田○○・・」と書かれています。
これは、ここの地元の飯田さんといわれる方が、仏教の経典を持って日本全国を六部となって廻り終えた記念に奉納された物のようです(日本回国記念)。 日付は江戸後期の寛政7年(1795年)のようです。

石岡の染谷地区にも変ったこの回国記念の石碑が残されていますが、石岡の石碑には地図も書かれており、年代も元禄7年(1694)ですから、こちらの物より100年も古いです。
しかし、このように信心深く全国を回るにはかなりの路銀も必要だったと思いますので、多分地元の名士的な方だったのでしょう。

 参考:石岡市染谷の回国記念碑 ⇒ こちら

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正面に廻ると、両脇に2本の石柱が立っています。
右に「聖観世音」、左に「薬師如来」と彫られているようです。

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お堂の変額は上に奉納、右に大友、左に飯田とありますが、お堂の名称は読めません。

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お堂の内部に2つの厨子が置かれていました。
恐らくこの中に聖観音像と薬師如来像がまつられているのかも判りません。

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お堂の周りはお墓ですが、その中にいろいろな石像が置かれていました。
左は下の方に三猿が折られていますので庚申塔、右は二十三夜塔でしょうか。

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何かこのように地区の道端などにあったものを、ここに集めたものと思いますが、何時までも大切に守って欲しいと思います。




小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/11/21 10:50

東庄町散策(8) 東大社(その4) 海の神と式年大神幸祭

 千葉県東庄(とうのしょう)町の古社「東大社(とうだいしゃ)」の紹介をしています。
名前が大社であり、いかにも何かありそうなのですが・・・・
紹介するのが後ろにずれてしまいましたが、神社の由緒・沿革などを簡単にWiki.などから拾い出してみましょう。

1) 「景行天皇が東国巡幸の折に、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりであるという。」

・・・景行天皇はヤマトタケルの父であり、ヤマトタケルが亡くなった後に、ヤマトタケルの東国遠征で訪れた足跡をたどって東国を巡幸したとされ、総国、常陸国などの各地にその景行天皇が訪れたとする話が残されている。実際に存在したかどうかも確認はされていないが、いたとすれば訪れたのは4世紀の半ば頃となる。

ここで気になるのが今でもこの大社の主祭神となっている<玉依姫尊>だ。
この近くの阿玉台貝塚近くに「豊玉姫神社」があるが、玉依姫(たまよりひめ)は豊玉姫(とよたまひめ)の妹である。
共に海神の国(竜宮)の姫(真の姿は大ワニ)とされている。
豊玉姫と山幸彦との間に生まれた子供(鸕鶿草葺不合尊:うがやふきあえず の みこと)を玉依姫尊は育て、後に結婚して産れたのが神武天皇(初代天皇)だ。

この夫の鸕鶿草葺不合尊をこの神社の配祀として祀っている。

常陸国側のいろいろな神社も廻っているがこの海神関係の神はあまり祭られていないと思う。
それが、こちらに来ると結構あちこちの神社に祭られていて驚く。
銚子などとの神社間で20年に1度の式年神幸祭が行われているが、これはこの海神姫たちをお祭りしていることと関係しているようだ。

2) 康和4年(1102年)に堀河天皇より「総社玉子大明神」の称号を受ける
3) 寿永3年(1184年)源頼朝が御厨一処を寄進
4) 応永2年(1395年)に東左馬助胤家が社殿を造営
5) 享徳3年(1454年)には後花園天皇から勅額が贈られる
6) 明治6年(1873年)郷社に列し、大正8年(1919年)には県社に列した

名前の呼び方の変遷ですが、
○ 東宮あるいは八尾社と最初の頃には呼ばれていた
○ 1102年に堀河天皇より「総社玉子大明神」の称号を受け、玉子大明神 ⇒ 王子大明神 ⇒ 「オオジン様」と呼ばれてきた
○ 現在は東大社 東大神のどちらも使われている。


下海(菟)上国造(しもつうなかみのくにみやつこ)の総社、東荘(橘荘)の総氏神
鎌倉幕府建設に頼朝について活躍した千葉常胤の六男・東六郎大夫胤頼(たねより)が、ここ下総国東庄を領して「東氏」を名乗り、この東大社を氏神として発展してきた。
東胤頼(とう たねより):1155年~1228年、千葉常胤の六男

父の常胤(つねたね)と子の胤頼との逸話に次のようなものがある。

「文治2年(1186年)の正月、頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際に、宮の庭上に着座した供奉人の中で胤頼が父である常胤のほぼ真正面の位置に座したことが、子が父に対して公の場で正対して座すると言う同格の振舞を行ったとして御家人の間で問題視された。これに対して頼朝は、胤頼の位は従五位下であり、父常胤の位の正六位上より上であり、また上西門院に仕えることでは同じだ。「官位は朝廷より賜った物であるので、これに従う事」として、御家人の座次は父子の秩序よりも官位の秩序を優先させる方針を説明したという。この(東)胤頼が父(千葉)常胤より高位を贈られた理由として、和歌などの文芸に通じていたともされ、後に東氏は歌道において古今伝授を行いうる地位を確立するが、その源流がここに見て取れる。」

とある。このように和歌などの文芸に優れていた東(とう)胤頼(たねより)の流れが、この東荘地域に根付いていったのではないだろうか?


≪20年ごとに行われる式年大神幸祭:銚子大神幸≫

 東大社、雷神社(旭市見広)、豊玉姫神社(香取市貝塚)の三社で行い、各神社の神輿を中心として氏子が旗や威儀物を掲げてお供する。
始まりは、康和4年(1120)海上郡高見浦(現在の銚子市高神あたり)の海上が大荒れとなって治まらず、海上郡の総社であった当社に朝廷より宣旨があり、高見浦で祭典を執り行った。結果、波は静まり、海上は大漁、陸上は大豊作となったという。そのため、毎年4月8日を例祭と定め、三神社神輿が高見浦へ神幸するようになった。
第10回目より20年に一度行われることに変更され、平成22年(2010)には第54回の大神幸が行われた。

東大社の鳥居をくぐって右側に神輿殿があります。

神輿殿にはこの大神幸祭などで使われる神輿が納められています。また外からもガラス越しに内部が見えるのですが、ガラスに外部の景色が映りこみあまり良く見えません。
どうにかガラスに接写して写真を撮ってみました。

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この左側の金色に光る神輿が現在使われているこの神社の祭りの神輿です。
この金ぴかな神輿(総欅つくり、重さ約1トン)は文政13年(1830年)に制作され、修理をしながら現在まで使われているものだそうです。
また、この神輿を保管する神輿殿は、前々会の第52回・式年神幸祭(平成2年)のときに建てられたそうです。

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このみこしの屋根に小さな鳳凰が乗っている神輿があります。
これは「鳳輦(ほうれん)」という輿こしだそうです。土台に二本の轅ながえを通して、人が肩でかつぐものです。
基本的には天皇専用の乗り物でここの鳳輦は昭和45年の式年大神幸祭時に造られ、その後は1度も使われていないといいます。
関東地方にこの鳳輦のある神社は少なく、全国でも使われているのは天神社と日枝神社2箇所の3箇所だけだそうです。

天皇が鳳輦に乗って行くのが「行幸」の名前の起こりで、平安時代以降に牛に曳かれて進むようになり、階級によっても種類が違っていたようです。

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式年大神幸祭の案内板がありましたので載せておきます。

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東大社、雷神社(旭市見広)、豊玉姫神社(香取市貝塚)の三社を廻るだけでなく、各地でいろいろなパフォーマンスがあるようです。
外川(とかわ)で御浜下りが行われ、銚子の海上八幡宮、渡海神社などでも盛大に行事が行われているようです。

以前の記事
 豊玉姫神社 ⇒ こちら(2013/7/8)
 渡海神社 ⇒ こちら(2013/7/31)
 海上八幡宮 ⇒ こちら1(2015/3/20)
           こちら2(庚申塔:2021/2/4)






小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/11/20 13:45
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