残されていた赤レンガ塀(銚子市高田町)

 戦前の赤レンガの塀や建物、構造物などは今となっては懐かしい歴史遺産と知っても良いと思う。
このブログでもいくつか紹介しているが、今回は先日車で通りを走っていて見かけた赤レンガ塀を紹介します。

場所は利根川沿いの国道356号(利根水郷ライン)の利根かもめ大橋の少し銚子市街よりの旧道沿いです。

銚子に行くときは神栖市波崎から銚子大橋を渡ることが最近は多いのですが、今回は利根川と常陸利根川のところにある水門にかかる常陸川大橋、利根川大橋を渡って国道356号線を東に向かいました。

またもう一つ東にある利根かもめ大橋もありますが、こちらは有料なのでほとんど通りません。
またいつもはこの利根かもめ大橋のところで川沿いの堤防沿いの道があってこちらを通ることが多いので旧道はほとんど通りません。

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車で通り過ぎてから引き返して写真を撮影しました。
当然このような建物は醤油などの醸造工場があったのではないかと調べてみました。

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現在こちらの建物はあまり使われていないようですが、隣の敷地と繋がっているようです。

地図で見ると隣の敷地は「富士正食品」の本社工場となっているようです。

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そこでこの富士正食品を調べてみます。
明治44年に個人(宮崎氏)で醤油味噌醸造として創業し、昭和17年に宮崎醤油(株)として会社設立。
その後昭和39年に「ピーナツミソ」の開発に成功して、社名も「富士正(ふじしょう)食品(株)」に変えて現在もこの自然派食品としてピーナツミソや佃煮、ゼリー製品を中心に多古町にも工場(成田工場)を建てて大きく発展しているようです。

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レンガ塀の脇には「昭和丗三年八月」(昭和33年8月)となっていました。
しかしこのレンガ造りは関東大震災前だと思いますので大正時代のものではないかと思います。

赤レンガ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/28 11:13

銚子ジオパーク展示場

 日本には日本ジオパークに認定された箇所が43か所あり、そのうちユネスコ世界ジオパークに認定されているところが8カ所あります。
ジオパークとは直訳すれば「地球地質遺産の公園」ということでしょうか。
筑波山地域が昨年日本ジオパークに登録され、その先輩でもある銚子のジオパークを少し調べていました。

銚子駅前通りにある「まちの駅銚子セレクト市場」内にこのジオパークを紹介するブースがあり、時々覗いたりしているのですがあまり中は見学者の姿も少ないようです。

ブースの半分が「銚子ジオパークビジターセンター 」という一般的な銚子のジオパークのパンフレットなどによる広報室、もう半分が千葉科学大学が運営?している「エクステンションセンター」という主に学生向けの説明場所となっています。

もう一つが2012年秋に青少年文化会館内を改装してオープンさせたジオパーク展示室です。
こちらでは毎週土曜日に講習会などが開かれているようです。

今回はこの展示室の見学をしてきました。

場所は飯沼観音の通りを南に進んだ前宿町の運動場・野球場などがある場所の一角です。

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これが青少年文化会館で、市民会館、児童文化センター、青年の家などの総合滴施設として建てられた。

ジオパークの展示室はこの正面の入り口を入ってすぐの場所にあります。

この建物の奥にはプラネタリウムまであるが、団体向け以外は、この星座の投影は土日しかやっていないようだ。
なかなか立派であるが、あまり活用されていないように見えた。
何かイベント(運動競技、コンサートなど)がある時以外は利用者はそれほど多きないのかもしれない。
もっともこの場所も地域の総合施設を集約したような役割を持たせたもので、外部から来た人間に積極的に開放している施設ではないようだ。


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青少年文化会館の中に入ると、左手に事務室とその奥にジオパーク推進室のような部屋があり、正面にこのジオパーク展示室があった。


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展示の内容は銚子の地層・地質の説明展示と、各地層で採取した岩石の展示、またその地層で見つかった化石類がたくさん展示してあった。
建物内部は少し薄暗かったが、このエリアは結構明るい照明であった。
ただ説明者は常時いるわけではなく、「質問があれば事務所に声をかけてください」というスタンスであった。
オープンスペースなので通路側などは人が結構通っているが、この展示場を見学している人は私だけだった。


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ここを訪れたかったのはこの大きなコハクが展示していると聞いてきたのですが、見てみると私には「こんなものなのか?」という程度であった。
やはりもっと理解を深めなければこの価値がわからないのかもしれない。

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まあ細かな説明は省きます。
銚子に東側の犬吠埼周辺はかなりいろいろな地層が表面に出てきています。

もっとも古いとされているのが「地球の丸く見える丘展望館」のある愛宕山周辺で、ジュラ紀(約2億年~1.5億年)のものと言われています。

また海岸沿いの「犬岩」や「千騎ケ岩」もジュラ期と推定されています。


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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/25 12:51

三味線で鴫を立たせる潮来かな

 潮来の浄土真宗の西円寺は遊女を弔った墓があることで知られますが、昔の歓楽街としての面影も少し残されています。
西円寺は長勝寺にも近いのですが訪れる人は少ないようです。

ここに面白い石碑が置かれています。

大きな石碑の上側に夏目漱石が書いた一茶の句が彫られています。

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「 三味線で鴫(しぎ)を立たせる潮来かな 漱石 」 (小林一茶の句)

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この句を絵に描いたのが小川芋銭で、それを石に彫った。

絵と書はこちらのサイトに載っています。 ⇒ こちら (芋銭研究)

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小林一茶も鹿島から潮来に来て船で銚子に行っている。
小川芋銭も銚子・海鹿島にある石岡・高浜の笹目氏の別荘に逗留していて、潮来とも縁は深そうだ。

では漱石は?

調べてみると、漱石は「潮来天地青」という書を書いており、その自分の書の額が小石川の内田百閒の家に飾られていたと書いている。
やはり潮来にも来ているようである。







潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/21 17:45

香澄の里-天王崎

 行方市の旧麻生地区に天王崎という霞ケ浦に少し突き出した岬がある。

今は白帆の湯という温泉施設もあり、昔から市民に慕われた場所であった。
また昔は海水浴もできた。
麻生の街もそれなりに発達し、行方市の中心ではあるが、交通アクセスという点では、車でないとなかなか不便である。

この天王崎は今までにも何度も訪れており、夕日の美しさでは絶景ポイントだと思っている。

常陸風土記に書かれている香澄の里がどのあたりかと考えてみたが、やはりこの周辺なのであろうか。


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常陸国風土記の行方郡の章に次のように書かれている。
「郡家より南へ二十里のところに、香澄(かすみ)の里がある。
古い伝へに、大足日子の天皇(景行天皇)が、下総の国の印波(い なみ)の鳥見(とりみ)の丘に登られたとき、ゆっくり歩きながら国を望み、東を振り向いて「海にただよふ青い波と、陸にたなびく赤い霞の中から湧き上がるやうにこの国は見えることだ」と侍臣におっしゃった。
この時から、人は、「霞の郷」と呼ぶやうになった。
里の東の山にある社には、榎、槻、椿、椎、竹、箭、やますげが多く繁る。
里より西の海にある洲は、新治の洲といふ。洲の上に立って北を遥かに望めば、新治の国の小筑波(を つくは)の山が見えることから、名付けられた。
 香澄の里より南十里のところに、板来(いたく)の村がある。
近くの海辺の渡し場に駅家が置かれ、板来の駅家といふ。
その西は榎の林になってゐる。
飛鳥の浄御原の天皇(天武天皇)の御世に、麻績(をみ)の王(おほぎみ)が、都を追はれて住んだ場所である。
海には塩を焼く藻、海松、うば貝、辛螺、蛤などが多く住む。」
(口訳・常陸国風土記より)

常陸国風土記が編纂されたのは8世紀前半であるが、この景行天皇(ヤマトタケルの父)がこちらに来たのが何時ごろのこととかははっきりしないが、古墳の時期などからしても4世紀頃と考えるのが一般的だと思う。
でもこの頃は霞ケ浦も印旛沼も一体の大きな内海であったといわれている。

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まず風土記に書かれていることからこの香澄の里を想像してみたい。

行方郡の郡家は白雉4年(653年)に、茨城郡の8里と那珂郡の7里を割き、700戸を合わせて別けて行方とし、郡家は風土記には男高(小高)まで7里と書かれているので、現在の玉造街の夜刀神などのある場所に近いと考えられますがいまだはっきりしていません。
しかし男高まで7里、香澄の里まで20里ですから小高から13里、またそこから板来(潮来)まで10里ですから自然に場所は特定されてきます。

小高から潮来の中間より少し潮来よりとなると麻生というよりももう少し南東の永山あたり(牛堀の少し西)でしょうか。
現在この近くの山側に「かすみの郷公園」があります。

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しかし現在のイメージからするとこの霞ケ浦に突き出した「天王崎」あたりが北に筑波山を望む香澄の里という感覚に近いと思います。
この霞ケ浦も砂浜を復元しようと防砂ブロックを置いて、砂を敷き、涙ぐましい努力をしています。
霞ケ浦で海水浴ができたころはこの湖岸に水の中に滑り込む滑り台まであったようです。
上の写真で湖に飛び出すように白い土嚢のようなものを積んでいますが、これが防砂提です。
でも風の強い日はこのあたりもかなり波が高くなります。

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この岬のそばに「八坂神社」が建っています。
この神社も元々は牛頭天王を祀る「天王社」(寺院)でした。
天王崎の名前もおそらくこの天王社からつけられたものなのだと思います。

こちらの神社については前に書いた記事を参照ください。
「水郷麻生(茨城百景)」:記事は⇒ こちら

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さて、最初に引用した常陸風土記には「景行天皇が、下総の国の印波(い なみ)の鳥見(とりみ)の丘に登られた」とあり、ここから香澄の里を眺めたとあります。
この鳥見(とりみ)の丘がどこかについてもいくつかの候補が上がっています。
一般的には北総線印旛日本医大駅の北側1kmほどにある「鳥見(とみ)神社」の丘であろう言われていますが、印西市小林の「鳥見(とみ)神社」も風土記の記述からすると可能性は高いようにも思えますし、少し東寄りの安食駅近くの栄町あたりも候補地です。

この頃はやはり香取の海(または「○○の流れ海」と呼ばれるおおきな内海で現在の霞ケ浦も利根川も印旛沼も皆つながっていましたので想像するのも大変そうです。
その手助けとなるのが海面を上昇させた地図で「FloodMaps」が良いと思います。

麻生 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/05/20 10:17

銚子電鉄観音駅

 千葉県銚子駅から外川駅までの短い区間のローカル線(銚子鉄道)も一時経営不振で廃止寸前までいった。
これを救ったのが「ぬれ煎餅」の販売だったと昔新聞記事に書かれていたが・・・・

今回銚子に出かけて銚子駅の2つ先の「観音駅」の横を車で通った。

あまり駅舎がかわいいので車を停めて写真を撮ってきた。

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この駅舎も含めて、客を呼び込もうといろいろな施策が行われている。
駅名もネイミング(ネーミングライツ)を募集して広告収入につなげている。
これらの駅名はかなりユニークである。

例えば、
1)仲ノ町駅:パールショップともえ 仲ノ町駅
2)本銚子駅:ヒゲタ400年 玄蕃の里 本銚子駅
3)笠上黒生駅:髪毛黒生 笠上黒生駅
4)西海鹿島駅:三ツ星お米マイスター根本商店 西海鹿島駅
5)海鹿島駅:とっぱずれ 海鹿島駅
6)君ヶ浜駅:ロズウェル 君ヶ浜駅
7)犬吠駅:OTS犬吠埼温泉 犬吠駅
8)外川駅:ありがとう 外川駅

駅名の直接スポンサー名を入れていないものもそれぞれ応援のスポンサーがある。
日本のとっぱずれである銚子が話題になることも少ないのでこんな取り組みも紹介しておいてよいだろう。

観音駅は飯沼観音があることで知られるが、この駅名は変わっていない。(仲ノ町駅と本銚子駅の間にある駅)

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駅舎もかなりユニークでお伽の国の建物のようだ。

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この駅には40年前から駅舎入口で「たい焼き」を作って売られていた。
しかし施設が老朽化したということでたい焼き店は今年3月末で閉店となった。
(犬吠駅で今度は始めるらしい)

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銚子電鉄は全長で6.4kmしかないが駅は10カ所ある。
全部乗っても時間は20分ほどしかかからない。
見るところはたくさんあるし、温泉もあり、魚料理もうまいがなかなか見ていると人集めは大変そうだ。
私のように毎月数回訪れているがまだ知らないことは多い。

銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/14 13:20
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