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公民館講座最終回

 全4回の公民館講座が本日終了しました。
初めての講師は結構疲れました。
タイトルは「常陸国の源平合戦」です。

本日は、私のライフワークともなっている現地調査結果の説明でした。
佐竹氏の南方三十三館仕置で実際何があったのか。
残されていた物証を見ていくと何が見えてくるか・・・

こんな内容です。

始めて講師をさせていただきましたが、教えたり説明をするという事はかなり難しいということを痛感しました。

きっと慣れてくればまた違ってくるのでしょうが・・・・

最期までほとんど欠席もなく、皆さんも熱心に聞いていただき感謝です。
このような歴史の専門家でもない私が、知ったかぶりして喋る内容も、うまく伝わったのか?
それとも笑っておられたのか?

ただ、最後の現地の話しは、写真や説明だけでなくもし興味を持たれたら是非現地を訪れていただいて、新たな発見を得ていただきたいと思います。

でも、歴史の研究者や、大学の学者様たちとはまた違った観点から地元の歴史を調べ、素人なりの観点から見える景色もこれからの地元の発展には欠かせないものと思っています。

私はエンジニアであり、プログラムのアルゴリズムなどを考えるのも仕事としてきましたので、物事の見方がどうも論理的に成り立たないと気持ちが悪い性格です。

意外に地元の歴史を調べるには、こんな性格にも合っているように思います。

年内の本の製作も進めており、今日はその施策本を持っていきましたが、欲しいといわれる方がおられてまだ途中の物なのですがお譲りしてしまいました。

それは、「常陸国風土記を巡る -遺称地を訪ねて-」という本です。
まだ完成ではなかったのですが、A5サイズ版で300ページ以上になり、読みにくいので少し大きなA4サイズの地図を10枚以上つけています。

何とか年内に形にしようと試行錯誤中なのです。

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講習会が終わり、石岡市内に戻る途中に茨城廃寺方面を少し散策して戻ってきました。

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貝地の舌状台地の先端にある、小目井跡(府中六井の一つ)です。 傾きかけた夕日が差し込んでいました。

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もう陽は向こう側の山端に沈みかけです。光り輝いて・・・

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そして筑波山もこの辺りから見ると遮るものがなく良い姿です。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/30 21:28

公民館での3回目の講座を行いました。

 昨日11月16日(木曜日)は、先週に続き3回目の歴史講座を行いました。
1週間前に2回目を行っており、その間の3日間はまちかど情報センターで風の会の文庫展もあり、少し疲れました。
昨日は天気も良く、暑いくらいで、今日は逆に雨で1日中寒い。
気温の変化もありますね。
だんだん体力も衰えてきます。

公民館での講座内容は今回「常陸の源氏=佐竹氏」の歴史を振り返ったのですが、水戸以南の大掾氏を中心とした平氏たちと違って、一つにまとまっていたように感じます。
また山の鉱物(金山)などの活用で軍資金を蓄えなどもかなりあったのでしょうか。

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今回も30席がほぼ満杯で、皆さん熱心に聞いていただきました。

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何とか少し話も盛り上げたいと思って、筑波ジオパークの地図やFLOOD MAPSの話しなどで地形的なお話もさせていただきました。
この公民館のある場所は霞ケ浦に近いので、霞ケ浦水門のお話なども次回に少し加えてみたいと思います。

次回は佐竹氏の南方33館仕置き事件での真相に少し迫ってみたいと思います。
残されている資料を基に現地に行って感じたことなどがうまく伝えられたらいいのですが、どうかわかりません。
次回(4回目:最終回)は2週間後です。
まあ一方的にしゃべるのはダメですね。少し聞いておられる方とどのように対話するかも必要ですね。
勉強になります。

また頑張ろう!

来週木曜日(11/23)は祝日で、大増の大覚寺では虫干しで寺宝の無料公開がされるようです。




近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/17 13:30

公民館での2回目の講座開催

 「常陸国における源平合戦」と題して4回連続での講習会をしていますが、今週木曜日に2回目の講座を城南地区公民館で行いました。
1回目に比べると少し落ち着いて周りを見ることもできたかと思いますが、まだまだですね。
大変多くの方(約30名)が熱心に聞いていただきありがとうございました。

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平日の昼間ですので、やはり年配の方が中心ですね。男女比率は半々くらいでしょうか?
しかし、八郷地区や石岡市内からの方もおり、この地区公民館の周辺地区ばかりではないことに驚いています。

この三村地区には前から少し興味があり、昔は結構歩いたりしたのですが、最近はご無沙汰ばかりでした。
今回も地元の昔話も話の中に加えたのですが、三村城の主、常春公(府中の大掾氏の弟)がここで小田氏の攻撃により最期を遂げた時のお話をしました。
この常春公の五輪塔を探して何度か足を延ばして見つけた時の喜びは今も忘れられないのですが、今回地元の方より、この椿の木の下にあった五輪塔が、「今は常春寺に移されましたよ」とお教えいただきました。
常春寺へは先月訪れたのですが、五輪塔が移されていたことは気が付きませんでした。
こんな会話も楽しいものですね。

地元の地名「羽成子(はなし)」が岩間の「葉梨山神社」とどのように関係するかそのうちに見えてくるかもしれません。

この場所から舟で小川に向かいには絶好の地です。(これはわかる方にしかわからない??)

鎌倉期の霞ケ浦の地形を思い浮かべると、小川の園部川河口付近は大きな入り江になっています。

Flood Maps 地図の紹介もしましたので、興味のおありになる方は使い始めているかもしれませんね。

次来週木曜日、また何か新たな知識が増えるといいですね。





近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/11 09:55

権現山古墳(東海村)

 日立市をさらに南へ戻って、東海村へやってきました。
ここには十三参りで有名な村松虚空蔵があります。

しかし、風土記が書かれたころはまだこの虚空蔵尊はなく、後に筑波山から見て鬼門(北東=丑虎)方向に建てられたものだと理解していますので、今回は風土記の頃を考えて、風土記の遺称地として名前が挙がっている「権現山古墳」を探していってきました。
このあたりにはほかにも古墳が残されていますが、これらは「那賀国造一族の墓」ではないかと考えられています。

常陸国風土記では、那賀国のところではなく、行方郡の成立の説明箇所の出てきます。

「孝徳天皇の時代(645~654年)の653年に、茨城の国造である小乙下壬生連麿と、那珂の国造の大建壬生直夫子たちが、請い願って、行方郡を設置した」となっています。

この大建壬生直夫子(だいけんみぶのあたいおのこ)は建借間命(たけかしまのみこと)の子孫と思われます。
小乙下(せいいつげ)、大建(だいけん)というのは664年制定の冠位26階中の24位と25位だという。
ただ、行方郡を作った時は653年で、この冠位の制定は664年であり、年代としては合わないが、すでに653年前には同じ名前の冠位が存在していたものと思われます。

この権現山古墳は東海村村松943あたりで、古墳の上に「素鵞神社」が祀られています。
県道284号線沿いにあり、すぐ隣に「日本原子力研究開発機構の権現山寮」が建っています。

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この神社があるところが権現山古墳(前方後円墳)で、右側が日本原研の権現山寮。

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素鵞神社と掲げられていますが、昔から素鵞神社なのか明治以降に変わったのかは不明。

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この神社と裏手の山全体が古墳のようです。

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築造は五世紀中葉だという。

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古墳の説明版の隣に「ヤマザクラ」の古木の案内が書かれています。

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素鵞神社鳥居から上に上ると、小さな社がポツンとありました。
どうやらこれが素鵞神社の社のようです。

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またこの左手側にヤマザクラの古木があり、根を保護するために周りにロープが張られていました。



常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/09 11:18

密筑の里と泉が森(久慈郡)

 多珂郡から日立市南部は「久慈郡」となる。
現在、日立市の泉神社と呼ばれる比較的有名なパワースポットがある。

ここが常陸国風土記の久慈郡に書かれている「密筑(みつき)の里」と呼ばれる場所だとされている。

風土記には

「称ふ所の高市、此より東北二里(約1km)に密筑(みつき)の里あり。村の中に浄き泉あり、俗(くにひと)、大井(おほゐ)と謂ふ。夏は冷にして、冬は温し。湧き流れて川と成る。・・・・・・・」

と書かれており、この泉の場所に村人たちが集って、酒や肴を持ち寄って楽しんだという。

現在、日立市水木町に延喜式式内社の「泉神社」が建っており、この湧き水の池を含めた神社境内など一帯を「泉が森」という名称で昭和44年に県指定の史跡として登録されている。

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ナビを頼りに神社に到着。 この少し先に神社の駐車場が置かれていた。
鳥居の左手には聖徳太子堂と書かれた石柱が建っていた。

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入り口の鳥居から泉神社拝殿まで並木道沿いに青い旗がたくさん並べられていて雰囲気のよい神社である。

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泉が森の説明

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ここで行われている「水木のささら」祭りの説明。
石岡のお祭りのささらとはまた少し違うようで興味深い。

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泉神社の拝殿。西日が差して少しまぶしい。

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拝殿には龍の彫り物や徳川の葵のご紋がついていた。

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拝殿の浦は本殿でその奥は森であるが、そちらへは行けない。

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この拝殿と本殿の中間くらいの左手に「目洗の泉」と書かれた泉がありました。

さて、風土記に書かれた密筑の里の大井という井戸は、この泉神社拝殿に向かって、手前の右手側の下にありました。

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神社からは少し下がった場所にあります。

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泉の中央に赤い社が置かれています。これは弁天様だといいます。
まあ泉にはやはり弁天さんですよね。

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この社の左手の泉は下から絶えず湧き水が噴出しているようで、もくもく、ぽこぽこと音は聞こえませんが、かなり勢い良く噴き出していました。

やはりここは何かご利益がありそうですね。




常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/08 15:59
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