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石岡のおまつり(20)-はじまります。

 今年のお祭りは9月17日から19日までの3日間行なわれます。
雨で中止はありません。雨の時はビニールシートをかけて行ないます。

先日の日曜日は各町内で、祭りの準備が行なわれていました。
山車、幌獅子などを引きだし、飾り付け、テントの設営、紅白幕の設置などを行なっていました。
夜は太鼓のたたき初めです。

近所の若松町は地元スーパーの駐車場にて準備をしていましたので、少し見学してきました。

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山車は台車部分から上が回転するのですが、これを回すのは相当の力が必要です。
掛け声を合わせて一度に少しずつ回します。
上に乗る人形は真中に隠れています。ハンドルを回して持ち上げます。

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これが幌獅子の荷台です。
真中付近に大きなタイヤが2個と後ろ側に小さい車輪が2個ついています。
普通の荷車のようにタイヤ4輪では小回りができないからだと思います。
これなら狭いところでも自由に角度を変えることができます。
それにしても、前回お届けしたようにこの荷台には子供たちがたくさん乗るのでしょうね。

この中から外のお祭りの様子を見たらどんな想い出ができるのでしょうか。
そして、少し大きくなったら、祭りを盛り上げる側にまわる。
受け継がれる祭りの伝統には子供が欠かせないのです。

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これが、獅子頭。幌獅子の前で踊りますが、いかにも重たそうですね。
一人でこれをかぶって振り回すのです。
すぐに息が上がってしまいますので、若者が交代で行なっています。

このお祭りも、今週の土曜日から3日間です。
9月ですから昔からよく雨に降られていましたので今年は天気だといいですね。

お祭り当日は、夜くらいしかレポートできそうにありません。
他の方が写真を撮られて投稿されると思いますので、そちらを探して見てください。
20回にもわたって紹介させていただきました。ありがとうございました。

これからは、埋もれた歴史紹介や各史跡紹介、日常ネタなどに戻ります。
  

石岡のおまつり | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/09/14 07:13

今日から3日間お祭りが始まります。

 石岡のおまつりは今日3日間(9月17日~19日)行なわれます。
街中は色とりどりの幕が張られ、屋台の準備も始まりました。

13時までは市街地も車は入れますが、13~21時は通行止めになります。
図書館前のイベント広場に車はかなり置けますが、こちらへもできるだけ裏側から回ってください。

市の案内に載っていると思いますのでそちらを参考にして下さい。

私は残念ですが、今日は仕事です。

石岡のおまつり | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/09/17 07:10

2011年石岡のお祭り(1)

 今年もお祭りが始まりました。雨も降らずによかった。
夜だけしか見に行けませんでしたが、少しだけ写真をUPします。

今も太鼓の音が響いています。
外は比較的涼しく風が気持ち良く吹いていました。
また、コウロギと鈴虫の声が太鼓の音に混じって聞こえてきます。
昼間は暑かったのですが、もうやはり秋ですね。

子供たちが嬉しそうなのが印象的でした。

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石岡のおまつり | コメント(5) | トラックバック(0) | 2011/09/17 20:38

2011年石岡のお祭り(2)

今日がお祭りの大祭。日曜だが早めに仕事を終わらせて帰って来て、少しだけ見てきた。
それにしてもいい天気だが暑い。お祭りも3日間は今としては長い。短縮も考えられるが・・・。

今日は総社宮で行事がいろいろと行われたはずだが、少し遅くなってしまった。

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行事(巫女舞、染谷十二座神楽など)が終わったあとらしく、参道は静かだ。太鼓の音も比較的遠くに聞こえる。
地震の時はここの石灯篭の半分くらいが上が外れて落ちた。急いで修復したようだがひとまず安心。

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神社境内に行ったら、巫女さんは昔の参道口からいそいそと帰るところだった。
でも、巫女さんの姿は何処となくいいですよね。

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随身門は今は中の像はいない。修理中。子供が顔をのぞかせました。
親は先に行ってしまって、子供は一人で何かに夢中になっていたのです。
「お母さん、ほらこんなのあったよ!」「あっ、お母さん、待って!」

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今年のお祭りの年番町は「土橋(つちばし)町」です。ここが、祭りの間の「御仮屋(おかりや)」です。
皆さん参拝のために行列です。

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若松町の「おっしゃい隊」です。左には大きな山車の台車の上の部分を掛け声に合わせて若者がグルグルと回しています。その上ではお囃子の踊りと太鼓、笛などがにぎやかです。
でも、ギャル曽根ちゃんがたくさん??
おじさんはパワー不足と暑さで、少々お疲れです。そういえば、今仕事から帰ったばかりだった。
この中に入っていくのは無理で~す。

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癒しを求めて・・・。萌え?と思ったら。

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可愛いですね。髪の毛お母さんが編んでくれたのでしょうか。
お祭りの衣装は専門店があります。家族でおそろいの衣装でみんなきまっています。

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日本の女性もずいぶんスタイル変わりましたね。お祭りになると何処からかたくさんやってきます。

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私はこのような素朴なのが好きです。坊主頭の子もすくなくなりましたもの。

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このような時からみんなお祭りに参加しているのですね。

今、市内は大分にぎやかになってきました。夜7時から駅前で山車が集まって競演(パレード)があります。今は各町の山車が徐々に中心地に向かっている所でしょう。
 

石岡のおまつり | コメント(18) | トラックバック(0) | 2011/09/18 18:18

2011年石岡のお祭り(3)

 石岡のおまつりも今日が最終日。何とか雨も降らずよかった。
しごとの休みとズレてしまいほとんど見に行けなかった。
ニュースによれば、今年は暴力団の取り締まりを強化したそうだ。

茨城県議員選挙で死亡事故があったのは、私の家に近いところだ。
逮捕者も暴力団関係者で、昨年もお祭りにも関係していたと新聞には載っていた。

さて、お祭りの神事は終わったが、夜までまだ音は聞こえるが、例年よりは静かなようでもある。
夜8時半に花火の音で、終わりの支度をし、9時にもう一度花火が上がって一斉に静かになる。

物足りないと思う人もいるだろうが、これでいいのではないか。

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昨日の写真だが、数点のせます。

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外人さんも今までより多かったように思います。
やはり外人にとっては、とても珍しいと思います。

下の写真は今朝(9/19)の恋瀬橋で恋瀬川と筑波山です。

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6号国道に架かる橋ですが、個々の眺めはいいですね。筑波山がもっとも容よく見える場所でもあります。

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水鳥がたくさんいますね。
この環境はずっと残してもらいたいですね。
 

石岡のおまつり | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/09/19 19:26

石岡のおまつり

 今週の土曜日から3日間「石岡のおまつり」がはじまります。

関東三大祭りなどとも言われますが、佐原の大祭、川越祭りなどと同じくたくさんの勇壮な山車が街中を練り歩き、そのあいだを大きな獅子頭を若者が操作しながら幌をかぶった荷車が子供達を乗せ、笛太鼓を奏でながら街を行き交います。

歴史的なところなども見所はたくさんあります。

前にまとめた記事をPDFにしていますので、興味のお有りになる方は見てくださいね。
クリックするとPDF(82ページ=5.7MB、Acrobat Reader8.0以降)が開きます。→(こちら
まほら別冊表紙

お祭り中は市内は午後1時から通行止めになります。午前中は問題なく通れます。
お車でお越しの方はイベント広場(図書館の前)におけます。
遅くなると満車になりますので少し遠い府中中などが駐車場になります。
イベント広場は震災ででたガレキを細かくして駐車場の下に敷いてきれいにし、綺麗なトイレも新設されました。
通行止めでも外側を回れば出入りできます。早めに来てご利用ください。

日曜日はごぜん10:30から常陸総社宮にていろいろな行事があります。見られる方が少ないのですができれば見て欲しいと思います。
(詳細は上のPDF冊子に載せています。興味があれば読んでください)

さて、私事ですが、少しのことで、しょげたり、元気になったりするものですね。


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石岡のおまつり | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/13 19:19

今日からおまつり

 今、朝の8時半を過ぎたところです。

朝早くは山鳩が鳴いていましたが、今は盛んに太鼓の音が響いています。
朝の8時半を過ぎたばかりですので、まだ祭りはスタートしていません。

昨夜も11時ころに外に出かけて帰ってきましたが、各地区のお会所の中はまだたくさん人が集まっていました。
これも地区によって、空き店舗だったり、テントを張って作ったところだったり違いがありますが、お祭りの関係者や長老の方たちが楽しみなのでしょう。

私のようにあとからやってきた家族で、小さな子供がもう家にいないと、あまりこのようなところに顔を出すこともなくなりました。

本当の意味では地元に溶け込んでいないのかもしれません。

駅近くの通りでは夜中に一部屋台の道具などが運び込まれていたりしますが、これも自粛なのかほとんどが今朝からの準備のようです。

屋台の場所などもどのように決められているかはわかりませんが、割合に整然と毎年行われています。

3日間天気もよく、無事にまつりが盛大に行われることを願っています。

まつり紹介まとめPDFは → (こちら

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石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/15 08:54

石岡のおまつり(2)

 祭り1日目です。本日2回目の投稿です。

午後1時過ぎに出かけてみました。
祭りは午後2時からですが、各町内の山車や幌獅子などは続々と集合し始めていました。

そんな中のスナップを少し紹介します。

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みんな子供も衣装を揃えてお出かけします。
衣装は市内に祭り専門お店(普段は洋服屋さんだったりします)が扱います。

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若松町の山車です。
「若宮八幡宮」があるため、八幡太郎の人形を載せています。
またマークは「笹竜胆(ささりんどう)」で源氏の家紋です。

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狐の面がたくさんありますね。狐の舞は「新馬鹿」という曲が使われます。

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女性陣が綱を引きます。
この女性陣は、このあとに「おしゃい隊」になります。

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こちらは「城青會」という団体の幌獅子です。
このように地区ではなく、団体で参加されるのもあるようです。
城青會はよくわかりません。

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幌をかぶった中で獅子を舞うのは大変だと思います。
かなり大きな獅子もあり、女性では無理なようです。

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幌獅子の荷台の中はどこも子供たちの天国です。

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石岡のおまつり | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/15 18:18

おまつり2日目

 今日も朝から太鼓の音が響いています。
昨日は午後祭りが始まった頃に一時激しい雨が降ったが、すぐにやんだ。

今日も蒸し暑く、また一雨来るかもしれない。

少し用事があって市内を車で通ったが、10:30頃はすでに多くの見物客やカメラマンが通りを歩いていた。

この時間には一部の屋台は営業を始めていて、各町内では山車の上で太鼓などの練習などもしている。

見物客は半分ほどしか開いていない屋台のあいだを歩き回っているのだが、通りに山車や幌獅子が練り歩くのは午後1時過ぎからだ。

駐車場もイベント広場(図書館前)は昨日は午後1時ころはまだだいぶ余裕があった。

今日のNHKのニュースにこの石岡のおまつりが紹介されていた。

「「常陸国総社宮大祭」は江戸時代より続く300年以上の伝統を持つお祭りで・・・・・」??

あれあれである。誰がこのようなことをNHKに伝えたのだろうか?

まあ「歴史がある」とか「伝統がある」というと、学歴がある、会社の社長さん、組合の理事さんだ、はたして地元の名士 などということと同じなのかもしれない。

本物を見抜く力を持たずに、表面的なものだけで価値を判断してしまうのはどうにもいただけない。

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「木之地町」の会所です。写真にも載っていますが、石岡のおまつりの年番の順番表が貼られていました。
この木之地町はだいぶ前だが、たしか年番制度を脱退したはずですが、4番目に載っています。

3.土橋(つちはし)町・・・昨年年番
4.木之地町
5.金丸町・・・今年年番

ですから、この年番表は古いものですね。(あとから確認してきました。明治35年となっていました)

また、昨年まで、この場所には「木之地のみろく」という人形を飾ってあったはずです。
会所の中の方に聞いてみました。

「今年は飾るのをやめました」だそうです。

まあ、私のように興味を持って覗いていく方が少ないためでしょうか。残念です。

(前に書いた木之地のみろく」の記事 → こちら を参考にしてください)

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石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/16 11:43

石岡のおまつり(3)

 お祭り2日目の2回目の投稿です。

午後1時過ぎにひと回りしてきました。

非常に蒸し暑く、少し動くだけで汗が出てきます。

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今日の神輿は「明神神輿」。1時に総社宮で神様を載せて年番である金丸町の御仮屋へ向かいます。
この神輿は本神輿よりも一回り小さな神輿です。
2日目はこの神輿が市内を練り歩き、夕方に総社宮に戻ります。

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道路が濡れていますが、先ほど一雨激しく降りました。
この時にこの山車などは上からビニールがかけられます。
そして雨が上がるとまたビニールは上にまくりあげられます。

ビニールがかかっても一応は前の方は開いていて、おかめ・ひょっとこ・狐、笛太鼓などは演じられています。
昔から、石岡のお祭りには雨がつきものでした。
秋雨のシーズンですので、3日間晴れなんて珍しいのです。
今年はこの程度ならラッキーですね。

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子供たちは将来を担う貴重な人材です。
山車を引いて、そのうちにほろ獅子に乗り、太鼓をたたいて、少し大きくなったらししを演じます。
山車の上で太鼓や鉦を叩いたりするのは、だいぶ出世しないとダメでしょうね?

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今年は年番が金丸町です。金丸町といえばここ鈴の宮神社です。
御仮屋は神社の横の空き地に設けられていました。

昔、新地八軒といい、紀州屋などがあったところでしょう。
藤田小四郎など天狗党に集まった若者たち63名が、この鈴の宮で決意を表明して、筑波山に登っていきました。
そして筑波山で挙兵したのです。

今日は御仮屋にやってきて見物していたら突然大粒の雨が降ってきました。
慌ててこの鈴の宮神社で雨宿りさせてもらいました。

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石岡のおまつり | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/16 17:49

石岡のおまつり(4)

 今日は敬老の日。石岡のおまつりの最終日(3日目)です。

朝から天気もよく、日陰では風があって少しはしのげるのですが、3日間出ずっぱりの人たちは大変です。
時間は午後1時すぎ。
昼飯を食べ終わって、幌獅子はこれから金丸町の御仮屋に向かいます。

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さて、山車の方は中町通り、駅前御幸通り(八間通り)などで演じられ、金丸通りの方には狭いので入りません。

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石岡囃子も狐・おかめ・ひょっとこなど・・・。

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山車はそのままでは道を曲がれません。
曲がり角で山車の台車の上を回します。
これがなかなか大変なのです。皆で力を合わせて少しずつ回します。

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午後1時半ころから今年の年番町である「金丸町」(旧名)の御仮屋で還幸祭が執り行われました。

御仮屋(鈴の宮神社の横)付近では神輿の担ぎ手から神官、祭りの役員、供奉行列の関係者や、それに続く幌馬車が集結し、見物客もたくさん集まりました。

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これから御仮屋の中から本神輿を手前に引き出し、飾り付け、お祓いを終えて、花火の合図(2時)に行列が出発となります。

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役員と年番引き継ぎの挨拶をします。

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供奉行列の太鼓は年番(今年は金丸町)の男の子が担当するようです。
一生懸命に練習したのでしょうね。叩き方が決まっています。

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奥の御仮屋の前では、本神輿の飾りつけをしています。
手前は四神旗、唐櫃、巫女などの行列が出発を待っています。

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たくさんある幌獅子の中で2つだけ特別な幌獅子があります。
供奉行列の行く前を先に露払いして行きます。
「土橋町」と「仲之内」です。

獅子も立派です。これは 市の指定文化財となっている土橋町 仲之内の幌獅子の獅子です。
今は出発前ですので台の上に休んでいます。
出発すると獅子舞が始まります。
(通りすがりさん、ご指摘ありがとうございました。)
(県指定の土橋町の幌獅子は下の写真です)
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今年の年番町の金丸町の山車の上に載せる人形は「弁財天」です。
雨乞いの神様として五穀豊穣の神様ですね。
上野の不忍池の脇にも弁財天が祀られていますよね。
でも財を成す神様として商売繁盛の神様でもあるのだそうです。

金丸町の会所に飾られていた昔の弁財天人形は「古川長延」作となっています。
説明によれば江戸時代に日本橋本町外三町が所有していたものを江戸型山車とともに、大正11年に金丸町で購入したものだそうです。

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さて、初日と最終日の神事の時しか見られない「富田のささら」があります。
還幸祭の行列の先頭を走ります。
出発前には台の前に飾られて、みんな記念撮影です。
でも後ろからは隠れているのでこの場所にいないとこの記念写真は撮れません。

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約300年以上前から続いているとも言われるこの「ささら」ですが、茨城県のささらは東北の「鹿踊り」などとも同じような発展を遂げてきたのだと思いますが、違いはこの鹿(獅子)の中には人は入っていません。
「棒ささら」といって、後ろからこの下に入って中の棒を持ってくるりと回したりします。
その動きがとても面白いのです。

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獅子は全部で3匹で、「老獅子」「若獅子」「女獅子」です。真ん中が女獅子で角がありません。
黒漆が塗られ、目や歯は金箔。のど部は軍鶏(しゃも)の羽で覆われています。

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さあ、いよいよ出発の2時です。ささらは上の台の上に乗せられます。棒がついているのがわかりますね。

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3匹がこの台車の上で太鼓の音に合わせてくるりと回ったりします。

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このささらが行列の先頭です。
真っ先に行く先を露払いして走り抜けます。
「ヤタガラス」のマークが描かれています。
神話に詳しい方はお分かりですね。神武東征で大和に入るときに道案内をしたカラスです。
サッカー協会のシンボルマークでもありますね。

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では最後にお約束の「おっしゃい隊」を。 この写真のみサムネルです。

写真が多くなってしまいましたね。
祭りはこれで終わりです。
明日からは普通の記事に戻りたいと思います。

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石岡のおまつり | コメント(14) | トラックバック(0) | 2012/09/17 18:40

石岡のおまつり(5)

 9月15日から3日間、地元石岡で行われたおまつり。
3日間毎日ホットなところを載せようとバタバタと写真や記事を書いた。

そして、そこで終わるはずだった・・・・。
でもネタも切れそうなので、もう少し載せておきます。

このおまつり、毎年見物客が40万人というけどどこかで調べているのかわからない。
いつまでたっても人数は同じなのだ。

また関東三大祭りとネットを検索すると必ずヒットする。
ある程度認知されたといっても良いのかもしれない。

三大祭りが「どことどこ?」なんて野暮な質問は無用に願いたい。
元気があって、強く主張したところにその権利が与えられるのだから。

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石岡の街は祭りになると、普段人が立ち寄るのをほとんど見かけないお店が行列を作るくらい繁盛するところがある。

祭り関連の用具を扱うお店です。
ここは普段は学校の制服などを主に扱っているお店ですが、祭りの前には各種祭りの着物、洋服、はっぴなどいろいろなグッツが売られているようです。
お祭り当日はそれほど人はいません。
もう皆さん用意ができてしまっていますから。

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お祭りは年番制度があって、その年に当たったところはみなさんお負担も大きいし、更にこのように子供の着るものだってばかになりません。
だって、子供達だって、祭りになればみんなとても格好がいいのが好きなのです。

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さて、このお祭りは「常陸国総社宮」のお祭りということになっています。
しかし、山車がたくさん出ますのでいわゆる八坂神社などの祇園祭の様式です。

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祭り中日の2日目は、この総社宮で、石岡染谷地区の佐志能神社に300年ほど前から伝わる伝統神楽「染谷十二座神楽」が演じられます。

正式なものは佐志能神社で4月に夜行われるものです。
街中の通りでは祭りが華やかに行われていますので、こちらに来る人は少なめです。

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神話に基づいた十二の神楽を演じますが、見ものは小学生が演じる巫女舞でしょうか。

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さて、この総社の神様は初日に神輿に乗って、年番である金丸町の御仮屋に行っています。
しかし、この祭りのあいだにここに来て祈祷してもらう人が結構います。
この拝殿奥には、白い獅子頭が左右に置かれています。

本殿はこの奥にあるのですが、神様はまだここにおられるようです。
不思議に思ったのですが、お祭り時は神様はいくつにも分身することができるようです。

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お祭りの方の写真も少しUPします。
子供はいつも生き生きしていていいですね。

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御仮屋のところが少し坂なので、幌獅子をおすのも一苦労です。

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獅子頭は大きいですね。20kgくらいはありそうです。

でもお祭りの写真はたくさんの方が載せてくれているのでそちらも見てくださいね。
(kurokenさん、troyさん、竹千代さんみなさんありがとう)

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それから、最後に明治35年に設定された年番制度の順番表を記録として残しておくために入れておきます。
木之地の会所に貼ってあったものです。いまは木之地は年番から脱会しています。

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石岡のおまつり | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/21 18:38

中町のまつり山車人形修理

 昨日の日曜日、中町の駐車場広場に1台の祭りの山車が置かれていた。
中町の「日本武尊(ヤマトタケル)」の人形が修理に出されていたものが綺麗になって戻ってきたセレモニーが行われたのだ。
偶然通りかかって写真に撮った。

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この人形も毎年手入れや修理をしていたようですが、本格的に着物などを新しくしたようです。
今年の9月のお祭りにはこの修理されて綺麗になった人形が出るのでしょう。

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この人形は市指定文化財であるので市の広報を調べてみると

「明治時代の中頃、江戸の人形師・三代目原舟月(文政9年(1826)~明治32年(1899))により作成されたものです。
 人形のほかには竜・瑞雲を金糸で刺繍した衣装、錦の御旗が保存されています。また、人形の首の芯木には「三代目原舟月作」という銘があります。
 三代目原舟月は幕末・明治期の代表的な人形師であり、現存する作品は名品揃いと言われています。」

と書かれています。

明治の中頃の制作となっており、人形の手の爪などは象牙のようです。
着物(西陣織?)の修理(新調?)を含め京都の業者に修理を依頼したようです。

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さて、石岡のおまつりが今の山車が中心の祭りになったのは明治35年の市内の各町による持ち回りの年番制度が始まった時からだと思われます。

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一昨日の土曜日に東京まで高速バスを使いました。土曜日は浅草を経由して行きますので、スカイツリーの近くを通り、吾妻橋を渡り都営浅草駅に停車します。すると浅草の街がいつもと違って活気もあり観光客も多いのです。

お祭りです。「三社祭」の提灯や祭りのハッピをきた人もたくさんいました。

浅草神社のこの三社祭ですが、昔は「石岡のおまつり」のような山車がたくさん出る祭りだったそうです。
しかし、明治36年ころから東京にはたくさんの都電(昔は東京市)が走り始めました。

そのため、この大きな山車は都電の走る道路での運行ができなくなってしまったのです。
そのため、東京の昔から行われてきた大きな祭りはほとんどが山車をやめて、神輿に切り替えたといいます。



 これらの江戸、東京で祭りに使われたものも一部は「石岡」「川越」「佐原」などでも購入したとも聞いておりますので、この人形もその一部かもしれません。


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石岡のおまつり | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/05/20 18:45

祭りも近く?

 夏も終わりに近づきました。
土曜日に出かけていましたが、あちこちで夏祭りが行われたようです。

処暑をすぎ暑さもようやくおさまってきました。

またあさの日の出が遅くなってきましたね。

今朝も朝5時ころから近所をウォーキングしてきましたが、曇っていたせいもありまだ暗い感じですね。

石岡のお祭りも大分近づいてきましたのでどこか華やいできたような・・・そわそわしてきたようでもあります。

今年は富田町が年番のようで「北向観音堂」の隣(神輿が置かれている小屋)を整理し始めました。

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総社宮でもこんな看板が作られていました。

確かに今までのものと大分トーンが抑えられているようです。

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ここに書かれているように総社の例大祭は江戸時代に奉納相撲が行われていたことくらいでしょう。

中町の今のまちかど情報センター近くにあった(牛頭)天王社(後に八坂神社となりその後無くなってしまいました)と木の地町の愛宕神社の祭礼が似た時期6月頃?あり、色々な出し物があったようです。

石岡は明治維新頃は天狗党騒乱で大変だったようです。
祭りどころではなかったのでしょう。
祭りも絶えて、寂しくなり明治半ば過ぎて何とか町の元気な象徴として今の祭りを作り上げたのです。

当時の人の意気込みはすごいですね。最初の頃は今みたいににぎやかなものではなかったのですが次第に大きくし、感と三大祭りと自負するまでになったのですから先人の知恵と心意気に拍手を送りましょう。

佐原の祭りなども見ましたが、同じ江戸の山車の構造であるのに違いも目立ちました。
石岡の山車は台が回転します。佐原は長いテコ棒を使って方向転換します。

石岡は電柱が地中化され自由に動かせたくさん並べば迫力があります。

駅前の八間道路も昭和4年の大火の後に天皇陛下が来られる時に合わせて整備しました。
もう一昔もふた昔も前です。

石岡の幌獅子は他には無いもので面白いものです。

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総社のご神木の楠の木です。
拝殿のすぐ前にありますが、拝殿が焼けた時にこの木も一部焼けてしまいました。
でも元気に今でもその雄姿を見せてくれます。

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まあ、県下第一の大クスとありますが、樹齢600年程は、千葉県香取市にある国の天然記念物「府馬の大クス」の樹齢が1300年~1500年と言われているのでその半分くらいです。(記事はこちら

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石岡市の下水マンホールもカラーの祭りバージョンがあちこちにあります。

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石岡のおまつり | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/08/25 21:10

江戸型山車(金丸町)

 先日の石岡の陣屋門の移設竣工式に古い金丸町の山車が公開されていました。

私としては陣屋門よりはこちらを見たいと思っていたのです。

石岡のおまつりの原型を残すとともに江戸型山車の姿を見ることができる数少ない機会でした。

山車01

この山車は江戸の「天下祭」(神田明神の神田祭と日枝神社の山王祭と根津神社の例祭)に使用されていた「江戸型山車」で大正11年(1922)に金丸町の有志で購入したものです。

何故この年に購入したのが大切かと言うと、東京ではこの翌年(大正12年)に関東大震災が起こり、東京に残されていたこの江戸型山車のほとんどが灰になってしまったのです。

このため、当時の江戸型山車の姿を伝える数少ない遺産です。

山車02

すり減った小さめの木車が印象的で、その上の台車も素朴なものです。
台車の台が2段になっており、それを金輪で動かないように固定していますが、この部分で上の台が回転できるようになっています。
回すのはここに置かれている木の丸棒を差し込んで何人もで回すようです。

山車03

この各町の提灯などは新しいものかもしれません。

山車04

上の布部分は雨が降っても良いようにビニールが掛けられています。
それにしてもしたの彫刻は何とも素朴で質素なものですね。

昔はこんな程度だったのですね。

いまは絢爛豪華になりすぎですね。
何か競争して新しい大きな山車に変わっています。

お祭りの歴史がどうこう言いますが、この大正期にこのようなものが原型だったのです。
当時は山車などほとんどなかったと思います。

私は前から石岡のお祭りは江戸型山車が江戸から周辺の都市に移り発展してきた物の一つで、関東三大「江戸古式山車祭り」だと言ってきました。
それが裏付けられた思いがしました。

山車05

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2年前のまつり年番であった金丸町の会所に飾られていた昔の弁財天人形。
「古川長延」作となっています。
説明によれば江戸時代に日本橋本町外三町が所有していたものを江戸型山車とともに、大正11年に金丸町で購入したものだそうです。

獅子頭も置かれていますね。今のように大きさを競うものではないことがわかります。

祭りを愛する人たちも自分たちの祭りのルーツをしっかりと見つめて地に足をつけて自信を持って進んでください。

この関東三大江戸古式山車祭りは佐原、川越、石岡です。
川越は石岡の祭りに近く、明治の初めにはほとんど廃れましたが、石岡よりは少し早く復活し江戸型の祭りを発展させました。山車は上の舞台が回転する石岡のものと同じです。

一方佐原は江戸の商店がかなり水郷で栄えた佐原に店を構えました。
このため江戸と同じような祭りが伝えられ、今でも江戸時代の山車もありますが、残されているのは本体ではなく、山車に飾る木札などを残して新しいものに取り付けています。

山車の上だけが回転するのではなく、山車ごと全体を木の棒を差し込んで回転させます。

このほかに上に載せている人形や踊り、囃子など検証しておくことはたくさんありますね。

明日から出かけるので予約投稿となります。

石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/11 19:54

石岡の旧町名とまつり

石岡市内の丸三そば店さんの店内に「石岡のおまつり」の年番表が飾られていた。

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「石岡のおまつり」の歴史は比較的浅く明治35年に考え出されたものである。

そしてその時に市内の旧町(守木・大小路・土橋・木之地・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・中町・若松・泉・香丸)の十六の町で1年ごとに順に年番を持ち回りで開催することにしたのです。

しかし途中で木之地が脱退して15の地区で持ち回りしています。

ここに掲げられた看板と現在町で表示している旧町名の表記が異なっている個所がたくさんあります。

守木 → 森荷
木之地 → 城之内
守横 → 茂里横
青木 → 大木
中 → 仲
若松 → 長法寺


となり、昔の表記にこだわっていたのが読み取れます。

特に長法寺は昔の若松町にあった大きな寺で町名は江戸時代(宝永年間(1704-1711))に長法寺町から縁起の良い名前にするということで若松町に変更になっています。

また明治3年に起きた500軒程が焼失した火災でこの長法寺は灰になりその後再建されずに消えて行きました。

しかし長法寺町と言う名前が消えたわけでもないようで、時々その名前が出てきます。

特にお祭りを考え出した人達は何処かこのような古い名前を使いたかったように思います。
作った時にあった名前を使わずにあえて更に古い名前を引っ張り出したような感じです。
まあそんなところにこだわっているから昔から考え方が変わらないのかもしれませんね。

まあ少し気になったので記事に残しておきましょう。



石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/04 20:56

この街のおまつり好きはどこから

 石岡のおまつりもあと1週間後となり、今年は祭りがもう始まりました。

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イベント広場でも

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香丸通りの冷水さんのところでも

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石岡駅前、2Fの広場でも・・・・

皆さん元気です。
疲れないのかな・・・

本番は1週間後です。

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昨日は中学では体育祭で頑張り、今日は幌獅子の荷台で太鼓をたたいていた子も多くいたのでしょう。



石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/11 23:59

おっしゃい隊のはじまりについて

 石岡のおまつりも無事終了した。
雨にはたたられたが、祭りの熱気は雨も吹き飛ばすようなものだったようだ。

昨年は息子たちが来ていて見に行ったが、残念ながら今年は見学にはいかなかった。

ブログやFBなどで石岡の祭りの女性陣の「おっしゃい隊」の紹介が目についたので少し調べてみたいと思った。

昔、私のブログで「おっしゃい隊」を記事にしたときにいろいろお教えいただいたのを思い出したのである。

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2011年のおっしゃい隊の記事 ⇒ こちら

その時、この「おっしゃい」の起源は、那珂湊の那珂湊 八朔祭の「おっしゃい囃子」ではないかとという意見が寄せられました。



いろいろの歌詞アレンジがありますが、歌詞は以下です。
好きならおっしゃいなとかなんとかは日本一とか
歌ってることは同じようなことです、芸者さんが山車に乗って歌う歌です。
-----------------------------------------
 おっしゃい おっしゃい おっしゃいな~
 十日も二十日もおっしゃいな~
 朝から晩までおっしゃいな~
 祭だ祭だおっしゃいな~
 三年三月(みつき)もおっしゃいな~

 嫌なら嫌だとおっしゃいな~
 八朔祭りでおっしゃいな~
 ○○(町名)の姉さんはいい女
 ○○(町名)の兄さんはいい男

 祭りが好きだとおっしゃいな~

さて、しかしこの芸者歌と石岡の祭りでうたわれている掛け声は似てはいるようですがテンポもかなり違っていて断然若者風になっていますし、受けるパワーも違います。

では石岡のまつりで、いつごろからこの「おっしゃい」が始まったのか?

記事が載っているものを探すと、今泉義文遺稿集「石岡の今昔」の中に少し紹介されていますので参考に書き出してみます。

まつりのはやし言葉

  ♪ おっしゃい おっしゃい おっしゃいな
  ♪ 底なしバケツが十三文(又は、ブッチャレバケツが十三銭)

総社宮祭礼の山車のはやし言葉の一種にこんなのがあった。「ブッチャレ」とはこわれたの方言であるが、このはやしはいつごろからであろうか。(石郷資 第24号)

編者が小学生の昭和20年代後半の頃は確か

 ♪ ブッチャレバケツが十三銭 安いと思ったら底ぬけだ

とやった。参加する子供や若衆もほとんど男子。
 時は流れて、「石岡まつり」も当世風に変わった。ここ数年(本の発行は昭和58年8月)、若衆、ことに婦女子の進出には目を見張るものがある。そしてまつりのはやし言葉も当世流となり時勢を反映したものとなっている。

 ♪ おっしゃい(押しなさい) おっしゃい おっしゃいな
 ♪ ○○兄さんいい男(○○姉さんいい女)
 ♪ 好きなら好きとおっしゃいな(云いなさい)(好きよ 好きよ 大好きよ(愛してる))
 ♪ おっしゃい おっしゃい おっしゃいな

 ♪ おっしゃい おっしゃい おっしゃいな
 ♪ ○○町のお通りだい
 ♪ そこのけ そこのけ ○○町
 ♪ お祭り好きなら○○町
 ♪ 祭りの主役は○○町

等など、町内によって多少変化がある。

そもそも今のはやし言葉の始まりは若松町らしい。若松町青年会、前会長の中村満夫氏によれば、今から8年程前(昭和50年頃)中学生であった大塚とし子さんのグループの創作になるらしいとのこと。
・・・・・・・・・・・・・
(昭和57年10月 編者収録)

何かの参考になればと思いここに記録しました。





石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/21 15:35

石岡のおまつりの年番制度について

 石岡のおまつりは毎年年番となる町を順に持ち回りで行っている。
今年は宮下町、来年は青木町となる。

この年番制度の始まりについて最近変な記載が増えてきて気になっている。

1) 石岡市の観光課のHP、および観光協会のHPには

 「現在の年番制度は1887年(明治20年)に確立しました。」

となっている。

2) また常陸国総社宮のHPでも

「年番とは全36の氏子区域のうち15町内が一年交代で仮殿を造営して神様をお迎えする当番のこと。現在の制度は明治20年に始まり、森木町/大小路/土橋町/金丸町/守横町/富田町/仲之内町/宮下町/青木町/幸町/国分町/中町/若松町/泉町/香丸町が15年に一度「年番町」となり、神社に奉仕します。」

と書かれています。

3) 一方、石岡市史や(市制30周年記念)石岡の歴史では、明治35年に年番制度が作られたと書かれています。

どちらが本当なのでしょうか?

4) 石岡市観光協会の発行の「石岡のおまつり」というパンフレットでは、(手元にあるもののみしかチェックしていない)

平成20年版:現在の年番制度は明治35年から始まり、現在に至っています。
平成27年版:年番制度の起源は天王祭における府中4組の年番に端を発し、明治35年に現在の年番順序の原型が決定しました。
平成28年版:27年版と同じ。

となっています。

さて、これをどのように解釈すればよいのでしょうか?

順にもう少し掘り下げてみましょう。

まず、パンフレットにでてくる「天王祭」をすこし知っていることをのべたいと思います。

○ 府中中町の天王社

 天王社は明治初めまで全国にたくさんありました。祀るのはインドの神「牛頭天王」です。総本山は三重の津島の天王社(現:津島神社)。
この社では祇園祭を行っていました。津島の祇園といえば、天狗の話でも出てくるように江戸時代は豪勢な祭りで庶民の憧れの祭りでもありました。大小色とりどりの舟もでていました。
石岡(府中)の天王社は中町の氏神で、創建は不詳だが、霞ケ浦の高崎の海岸にご神体が打ち上げられ、これを府中本陣の谷口氏邸の敷地の一部に社殿を建立したといわれています。
(神社通り(市民会館から中町通りに向かう道)から中町に出た正面あたり)

この天王社は神社ではなく寺であったので、明治維新後の廃仏毀釈の命令により、ほとんどの天王社が同じ祇園祭をしていた「八坂神社」に名称を変え、祭神も「スサノウノミコト」などに変わっていきます。

このため、この祇園祭は踏襲されていくのですが、石岡では幕末の天狗党の乱や明治3年に起こった長法寺の大火のため大きな被害がでて、この祇園祭も途絶えてしまったようです。(復活したかどうかはよくわかりませんが、年番制度をこの天王社の祭礼として明治20年に4つの町で持ち回りで始めたのかもしれない。)

この天王社(八坂神社)は昭和8年4月15日午前10時に常陸総社に合祀された。

総社のFBでは昭和9年に合祀されたとあるが、どちらが正しいかは知らない。
ただ、総社では、この天王社の祭礼を毎年7月初めに行い、痛んでいた神輿を平成12年に修復し、新たに平成13年から渡御を復活している。

ということは石岡の祭りはこの天王社の祭りを踏襲したというとおかしなことになるのか?
あまり感心しないが、まあ二つに分かれることもあるので考え方はいろいろあるかもしれない。

この天王社の祭り(祇園祭)については、明和年間(1760年代)の6月14日に祭礼がおこなわれていたときの記録があり、
一番:富田のささら、二番中町の屋台おどり、三番:香丸の子供おどり、四番:守木の子供おどり、五番:木之地のみろく、六番:泉町のふし、七番:幸町の田打おどり、八番:青木町のほうさい、九番:若松町のかたかた、十番:中之内のほろ、十一番:金丸の人ささら などが府中の街を練り歩いたという。

また「石岡の今昔」の本の中には、青木町の「ちゑんちゑくちゑん」(銭積善)というものが元禄時代からあったが明治3年の大火で姿を消してしまったと記載がある。

○ 明治35年の年番制度

 常陸国総社が郷社から県社に昇格した明治33年に9月9日の例大祭に合わせて、全町一致で行われる祭りを行うことを決めた。
準備を進め、年番を決めたのは明治35年8月29日に町役場で行われた区長会だった。
そして籤で順番を決めることになった。
参加を表明した町は全部で17町あった。
しかし、籤は16本であったため、貝地が漏れた。(本当は最後に年番がまわってくるという口約があったともいうが、16年後には忘れられて次に廻ってしまったともいう)(石岡の今昔)

木之地は昭和27年に小町という理由で辞退されたが、木之地には愛宕神社があったことも影響しているかもしれない。

現在は15町で順に持回る年番制度が続いているが、今の祭りを見ているともう少し範囲を広げて旧15町での持ち回りでは負担も耐えられなくなってくるのは目に見えている。そろそろ再考しても良いと思う。

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神様は分霊の術を使い神輿に乗り移りますが、総社にも必ず残っています。
お祭りの期間だけ分霊が年番町のお仮殿にいます。

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このおまつりの良いところは全町一致団結して祭りを盛り上げることです。
石岡も八郷地区と合併し10年が過ぎました。

お祭りももう少しお互いの協力で盛り上げることも必要かもしれない。

お祭りは楽しければよい。
神社の祭りということでもよいが、市民全員が楽しめるものとならんことを望む。

長文失礼しました。

石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/22 23:14

石岡のおまつりは祇園祭りか?

 今年も9月15日から今日17日まで石岡のおまつりが行われている。

最近この祭りの紹介が少し変わってきた。
祭の始まりは江戸時代後期で総社宮の祭りとして奉納相撲が始まりで、次第に今の形の祭りが加わったと・・・・。

でもこの祭りは何なのかを考えてみたい。

街中で繰り広げられる巨大な山車にはそれぞれ大きな人形が飾られ、山車の舞台でお囃子に合わせてキツネ(新馬)やおかめ・ひょっとこなどの踊りが主体である。

これは江戸三大祭りと言われる神田祭、山王祭(日枝神社)、深川八幡の深川祭、それに浅草の三社祭などと同一の祇園祭と言ってよいのではないだろうか。

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中町通りにはたくさんの屋台と人波が。

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山車の上にはそれぞれ東京の人形師などから購入した大きな武者人形などが置かれています。
高い電線などをくぐるときはハンドルを回して人形を下に降ろします。

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幌獅子の先頭には大きな獅子頭があり、獅子舞をおどりながら進行します。
この獅子頭は大きなものは皆30kgほどもあり、若い人でも5m位踊ると交代です。
重いほど何か価値があるものと勘違いし、踊りを忘れたカナリアのようです。

仏像も平安時代後期に定朝が生み出した寄木造りで中繰りして重量を軽くする技法が生まれました。
これが鎌倉時代に運慶・快慶などのより花開いたのです。

寄木の獅子頭をどこかで始めませんか? そして昔の正月風景の獅子舞を復活させてほしいものです。

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太鼓と鉦のリズムはあまり印象に残らないですね・あまり単調すぎるのでしょう。
芸術性がなければ生き残れないかもしれません。

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駅前の御幸通りにも山車が集結してきました。
これだけの山車の数がある祭りは珍しいと言えます。
佐原の祭りは夏と秋に分かれていますし、今ではこうして勢揃いできる場所もありません。

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江戸の祭りは幕府の命令で簡素化が行われ、また明治の都電などの整備により山車の運行ができなくなり、ほとんどが山車祭から神輿を担ぐ祭りに変わっていきました。

その江戸の山車造りや人形師たちは江戸からこれらの物が無くなったために、周辺の徳川幕府に近い年にこれらの山車や人形を払い下げたり、新たに製作していたものを地方から買い付けに来てこれが地方の祭りに取り入れられました。

佐原、川越、石岡がそのよい例でしょう。

祇園祭りは八坂神社や山王社(牛頭天王)で行われてきたお祭りです。
牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神です。
日本の神はスサノウノミコトと同一視されています。

石岡にも中町に牛頭天王社があり祭礼がおこなわれてきました。
明治の廃仏毀釈で八坂神社になり、その後総社宮に合祀されました。

ですから総社宮の祭礼とは本来別物です。
猿田彦などの神楽の要素や供奉行列などを要素を加えて総社宮の祭りとして明治の後半に始まったものですので、世界遺産に登録する運動をするならば、これらの文化的な意味合いもしっかりと検証していきたいものです。

まあ祇園祭は多くの都市で庶民の村祭りとして発達してきたものです。

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この子供たちも年に1回きれいな祭り衣装に化粧をして参加するのが楽しみなのでしょう。
これが祭り継続のDNAとなっていくのでしょうね。


石岡のおまつり | コメント(4) | トラックバック(0) | 2018/09/17 17:31
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