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行方市玉造を散歩

雨上がりの朝に銚子に向かう途中で行方(なめがた)を散策して見た。

まずは旧玉造駅の跡地を見た。
ここは昨年2月に鹿島鉄道の跡地として一度紹介した(こちら)。

玉造01

前に空き地であった旧駅の跡地の半分ほどが宅地として造成が始まっていた。

駅がなくなってバスの停留所しかなく、駅前通りもすっかり寂しくなっている。

ここに新しく住宅を造成して人が増えるのかは良くわからない。
産業がどの程度あるのか? どこも地方の課題は多い。

ここから国道354号線に向かおうと車を走らせていると、赤いお堂が見えた。

玉造02

通りから階段を登ると正面にあるのは地区の公民館(柄貝)らしい。
入口に玉造小学校生徒の標語「すききらい なくしてつくろう よい体」・・・何でこんな標語に目がとまったのか。

後で書くが、このすぐ裏の高台に去年までこの玉造小学校があった。

玉造03

赤いお堂は「聖観音堂」とあるが、どのようないきさつがあるお堂かわからなかった。

玉造04

少し小学校の統廃合が多いように感じたので調べて見た。
なにしろ玉造の中心であった玉造小学校がなくなるとは思っていなかったから・・・。
これはなくなったのではなく新しく場所を変え、他の小学校も統合して新築したのだそうだ。

 旧玉造町(現行方市)には6つの小学校があった。

玉造小、羽生小、玉造西小、現原小、玉川小、手賀小である。
それが昨年4月に統合され、新しい玉造小学校ができた。

小・中学校の統廃合が日本全国で進められている。
昨日玉造の町を散策していて旧玉造小学校の案内版を見かけて、ここにもう学校が無いことを知った。
新しい学校は少し離れた場所で元運動公園陸上競技場(海洋センターの隣り)があった場所のようだ。
国道354号線を走っていたら案内板が出ていた。全校生徒639人。

1学年・・・4クラス(108人)
2学年・・・3クラス
3学年・・・3クラス
4学年・・・3クラス
5学年・・・3クラス
6学年・・・2クラス

今までの学区からは皆かなり離れているので新しい立派な送迎バスが18台用意され、校舎はピカピカでソーラパネルの屋根やトイレなど今までの学校にイメージを一新するものとなっている。

学校の統廃合が問題となっているが、これも一つの形。
もちろん遠い人は通えないのでスクールバスが出るが、家の事情で早く帰れない人もいる。
学校の敷地内に児童クラブが設置されていて放課後に利用することもできると・・・。

どれがよいかはわからないが、これからも子供の人口が減るのだそうだ。

私が子供のころとは全く逆だ。

団塊の世代で生まれたため、私は小学5年生で近くにできた新設の小学校に入った。
当時6年生はいない分校であった。
そのため5・6年生と最高学年をやり、記念すべきその小学校に第1回卒業生となった。
その後また近くにもう一つ小学校ができたという。

中学の時などは学級数が一気に3割くらい増えた。
先生もてんやわんやだったのだろう。
子供の時には考えたこともなかったが・・・・・

玉造 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/01/24 20:37
コメント
地元です
こんにちは。
玉造というタイトルだったので、見させていただいたら
この観音堂は、隣の地区で私の家から、直線で50m位の所です。小学校も玉造小学校でよく遊んでいました。

S35年生まれですが、当時1学年3クラス100人前後だったと思います。ちょうど6校が統合して同じくらいの人数ですね。
今はほんと一部の地区で行っていましすが、以前は観音講が月1回くらいこの公民館開催していたと思います
他に、月一なのか年数回なのか覚えてませんが縁日といわれ幟などが揚がりお参りした記憶があります。
大吾パパ さん
コメントありがとうございます。

> この観音堂は、隣の地区で私の家から、直線で50m位の所です。小学校も玉造小学校でよく遊んでいました。

そんなに近くなのですか。玉造にはあまり縁がなく行く機会も少ないく知らないところが多いので少し散策して見ようと思ったわけです。

> 今はほんと一部の地区で行っていましすが、以前は観音講が月1回くらいこの公民館開催していたと思います
> 他に、月一なのか年数回なのか覚えてませんが縁日といわれ幟などが揚がりお参りした記憶があります。

調べても紹介されているものは見つかりませんでした。
お教えいただき感謝です。

学校の生徒が少なくなるのはある程度やむを得ないですね。
全学年合わせても100人に満たないところなども多くありましたので。
でも結構遠くなると地域のコミュニケーションが薄くなってしまうかもしれませんね。
一クラス30人なんて私の頃は考えられなかったです。40人以上いました。

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