香取神宮(1)

今日は夕方からきれいな満月がオレンジに輝いていました。
オレンジ色の出始めの月は本当に大きいですね。
この頃になると、夜も早く暗くなるので特に綺麗です。

 さて、下総国一宮の香取神宮を数回にわたって紹介します。

香取神宮は鹿島神宮とともに今の霞ヶ浦への侵入口の両側を守る要の神社です。
この二つの神社に祀られている武甕槌(タケミカヅチ)、経津主(フツヌス)は、日本最強の武人神と言われています。
このため、全国の剣道などの武術競技の人達のお参りも断たないところです。

昔、霞ヶ浦が湖ではなく内海であった頃は、この2つの神社(神宮)がとても重要な意味を持っていたのだと思います。
あまり有名になると私のブログ目的からズレてくるので、どのように紹介して良いかわかりません。

この神社を訪れたのは7月中旬過ぎです。あれから3ヶ月以上が過ぎてしまいました。
せっかく撮った写真も色あせてきますので、内容はともかく写真だけでも見ていただきたいと思います。

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香取神宮駐車場のところから神社鳥居の前までお店が続きます。
平日だったので車も少なく、お店からの呼び込みも少なめでした。

「お帰りにどうぞお寄りくださ~い。(ニコニコ)」といった具合です。
でも僕は帰り道はすぐ人の通らないような方向に降りてしまったので店の前は通りませんでした。

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鳥居はいくつあるか知りません。大きな立派な鳥居です。
確かもっと前の道路入口の通りにもあったと思うし、利根川そばにもあったような記憶があります。
これは鹿島神宮も同じですね。

この鳥居の入口左手に木の立派な看板が立てられています。
 「定
   車・馬を乗入る事
   魚・鳥を捕える事
   竹・木を伐る事
  右境内において禁ずる」

この先は昔からこの掟が守られてきた神宮の森です。
  
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両脇の木々の茂る中を玉砂利のひかれた広い参道が本殿まで続きます。

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この参道の途中左手に鳥居が見えてきました。「護国神社」および「要石」への道がここから別れます。
要石が見たくてきたところもありますので、ここから左の昇り道へ。

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この道の少し入ったところに「要石道」の石柱がありました。
となりの看板は「千葉県指定天然記念物 香取神宮の森」(昭和49年3月指定)説明です。

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道はそのまま護国神社に入ります。護国神社の一の鳥居です。

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本道の参道とは違いこちらは山道です。 7月も時期はもう遅いのにまだ紫陽花が咲いていました。

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山道を少し登ると開けた広場に出ます。広場の入口に二の鳥居があり、その奥に護国神社がありました。
昭和21年9月に建てられたものだそうです。終戦の1年後くらいです。
この護国神社の脇を入ったところに要石があります。

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こちらが要石。石柱の柵で囲まれた要石は鹿島神宮のものと似ています。

現地の説明には
「香取、鹿島の大神、往古この地方尚ただよえる国であり 地震が多く地中に住みつく大鯰魚(おおなまず)を抑える為地中深く石棒をさし込みその頭尾をさし通した。香取は凸形、鹿島は凹形である。
  伊能穎則(ひでのり)
  『あづま路は香取鹿島の二柱うごきなき世をなほまもるらし』 」
とあります。

伊能穎則は伊能忠敬と同じ佐原の伊能家の出の江戸後期~明治始の歌人・国文学者ですが、香取神宮の宮司を勤めています。

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これが要石です。鹿島よりはっきり上に出ていると思いませんか?
なにこれ?状態ほどではないですね。

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要石の場所から今来た方向を振り返ります。
護国神社が左手先にあります。

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要石の場所からそのまま進めば、林の中を通って香取神宮本殿に行けます。
途中に石灯篭の上の部分がたくさん置かれていました。
皆地震で落ちてしまったものでしょう。
石岡の総社宮でもたくさん落ちました。お墓と同じで、頭が重いものは崩れやすいです。

さて、香取・鹿島の要石は地震を押さえつけている大石と言われていますが、東日本大震災にはさすがの神も叶わなかったのでしょうか。鹿島神宮では大鳥居がばったり倒れてしまいました。

江戸の安政の大地震が起きたのは神無月でしたので、出雲に神様が言ってしまっていたと言い訳ができたのですが、今回ばかりは・・・・

さて、こちらの要石も水戸光圀が掘らせてみたが掘り出せなかったとの記述がありました。
鹿島ばかりでなく香取も同じ話があるんですね。
この二つがつながっているなどという話もありますが、今の技術ならどれくらいの大きさか測定したら分かりそうですね。
でもそっとしておいてくださいね。

記事は明日に続きます。

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香取神宮 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/10/29 18:38

香取神宮(2)

 昨日は要石を書きましたが、今日は神宮の門を中心に紹介します。

やはり格式が高いので内容的にもたくさんあるのですが、どうもしっくりきません。
紹介の説明もどこまでが真実なのかがわからない。

ちょうど訪れた時は拝殿の修理工事中で、きっといろいろな建造物もこのような建て直しや修理が繰り返されてきたのだろう。
また驚く程説明が少ない。 説明があるとすると神話か、光圀、または皇室との関係ばかり・・・。

でも昔は神宮と呼ばれたのは伊勢、鹿島とこの香取の三神社のみ。

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最初の鳥居をくぐって広い参道をまっすぐ進むと、この「総門」が石段の上に見えてくる。
要石の道からは、この左手からこの場所に出る。

残念ながら、私は要石の方から来てしまったので、この真直ぐの参道脇にある「神池」を見落としてしまった。

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 神宮の拝殿前には「楼門」があるため、更に外側を囲って「総門」を作ったのだろう。
唐門(からもん)様式の立派な門である。
柱の数が18本もあるので 18脚唐門とでも言うのだろう。

それにしてもこの門については書かれた説明資料が見当たらない。
まあよく探していないからかもしれないが。
まあどちらにしてもそんなに古くはなさそうだ。

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総門の前には左右に阿吽の狛犬がいます。
比較的新しいようです。

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総門を入った正面に見えるのは「手水舎」です。
楼門はわざとなのか少し右にズレた位置にあります。

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この総門をくぐる前に、右手に藁葺きの門がありました。

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「神徳館表門」で香取市の文化財に指定されています。江戸時代末期の建築だそうです。

神徳館では剣道の稽古場などもあるそうで、合宿や精神修養などでたくさんの人が訪れるようです。

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総門を入ると正面にあるのが「手水舎(ちょうずしゃ)」

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手水舎の右手に赤い楼門がそびえています。 
また門につながる塀の壁も赤で、周りの緑が癒しになり、赤(朱色)が特に映えます。

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これが2階建てのいわゆる楼門で、8脚(3間)です。
元禄13年(1700)に徳川5代将軍綱吉によって造営されたものだそうです。
門下の右側は大和朝廷初期の大臣「竹内宿弥」、左側は「藤原鎌足」の像を配しています。

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門に続く塀も朱色で綺麗です。荘厳な雰囲気がします。

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門の右手の塀の前に「黄門桜」という桜の木があります。
説明板によれば「貞享元年(1684)に水戸光圀が参拝の折に、植樹、奉納されたもの」とのこと。

明日にもう少し続きます。

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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/30 19:08

香取神宮(3)

 楼門の右側は大和朝廷初期の大臣「竹内宿弥」、左側は「藤原鎌足」の像だと書いたのだが、さてどちらが右でどちらが左なのだろう。

雛祭りなどでは左大臣右大臣の並びはお内裏様の左右だと聞いたことがある。
すると楼門の正面から向かって右が左大臣、左側が右大臣?

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さて写真を撮ったのがどちらだったか?わからなくなった。
全く同じような像がガラス張りの中に収められており、ヒゲと髪の色が白色(老人)と黒色(壮年)の違いしかなかった。
こちらは老人だから藤原鎌足か? 左大臣の方がえらいので向かって右側だったかも・・・。

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楼門の左大臣右大臣の裏側(内側)には木製の狛犬が置かれていた。(吽形)

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(吽形)正面

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(阿形)

実は香取神宮には宝物殿の中に貴重な木製の狛犬が置かれているそうです。宝物殿の方は重要文化財で切手の図案にまでなっているそうですので、見たい方はそちらの方を見ないといけないようです。

室町時代の古瀬戸狛犬というそうです。300円で見れたらしいが気がつかなかった。

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香取神宮 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/10/31 19:23

香取神宮(4)

 今日も下総国一宮、香取神宮の紹介4回目です。

昔の東海道がまだ横須賀から千葉県富津岬へ東京湾を舟で渡っていた時、都に近いほうが上手、遠い方が下手ですので、上総国国府は市原にあり、下総国府は市川にありました。

上総国一宮は市原の東側の九十九里の南側に位置する一宮町にある玉前神社であり、下総国は常陸国一宮鹿島神宮と並んで大変重要なここ香取神宮です。

カズサ(上総)はだいたい読み方は一定だけれど、下総はシモフサ? シモウサ?
どうやら正解はシモウサらしいね。まあ総=布佐=房(麻の事)などはみんな「フサ」って読むのに。
成田線にある下総松崎駅は「しもうさまんざき」と読みます。
最初にこの電車に乗った時には駅名に驚いたものだ。

香取神宮は、全国の香取神社の総本山であり、最強の武神の一人である「経津主(フツヌシ)神」を祀っています。
しかし、鹿島神宮の建御雷(タケミカヅチ)神に比べると、この経津主神は、少し下に従えられているように見えます。
これはどうも、国譲り神話には同じように登場しますが、経津主神が物部氏の祭神であったのではないかということと関係しているようです。

現地にはいろいろな説明はあまり置かれていません。
またホームページも詳しく書かれていないように思います。

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立派な楼門を入ると正面に拝殿とその裏に本殿があるのですが、拝殿は修理中のため工事用のシートがかぶせられて全容を見ることができませんでした。

この修理は5月頃から行われ、拝殿は夏いっぱいでその後本殿の修理が行われるといいます。
今は拝殿は終わって、本殿の修理中かもしれません。

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それでも拝殿内には入れます。正面に(神器の)鏡がおかれています。
しかし、国宝「海獣葡萄鏡」は宝物殿の中でしょうか?

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修理中ではありますが、修理の終わった柱や各種飾り付は一部が見て取れます。

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こちらは拝殿に向かった右手にある「祈祷殿」です。

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祈祷殿の奥の方に社務所があります。

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祈祷殿を正面から見たところです。

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拝殿の左手です。
朱色の建屋は「神饌(しんせん)所」(御供物を格納する場所?)で、その前に3本の杉の大木があります。
「三本杉」と呼ばれているようです。

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砂山。 このような砂山はあちこちの由緒ある神社に築かれることがあるようですが、一般的な解釈では「立砂」と呼ばれて、神様が降臨した場所をさすと言われています。
ここには説明がありませんが、同じような意味でしょうか。

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「練習艦かとりの錨(いかり)」
昭和45年から平成10年までの28年間、海上自衛隊練習艦「かとり」に使われた錨を名前にゆかり深いこの神社に奉納されたもの。横に∮3120と鋳込まれた文字があった。

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こちらは本殿。本殿はこの時はまだ修理工事はされていなかったが、この後行う予定になっていると聞いている。

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「元禄13年(1700)造営 重要文化財」 立派な造りである。

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香取神宮 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/11/01 18:45

香取神宮(5)

 1000回目の記事を間に入れましたが、香取神宮の記事も5回目となりました。とりあえず最後です。

楼門をくぐり、この門につながった壁のしたには拝殿などを眺められる長椅子も置かれています。

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拝殿は修理中で布が被されています。向こうに見えるのは神札授与所でその奥が宝物館です。

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この神札授与所前の境内には御神木の大杉があります。

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楼門の左手奥には「木母杉」があります。

楼門外側の反対側に水戸光圀が寄進し手植えした桜が植えられていましたが、こちらの杉は神木の杉よりも古く、貞享元年に光圀が参拝した時に、その大きさに感銘し、他の杉に比べて最も老木の杉であったため、この宮地ですべての杉の母であるとして「木母杉」と命名されたといいます。

しかし、当時は四丈五尺ほどの太い杉であったが、現在は枯れてしまい、寄生した他の樹叢が大きく枝を広げ上に伸びています。

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本殿はやはり装飾も綺麗で威厳があります。

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本殿の東側には校倉造りの「宝庫」がありますが、震災の影響でしょうか、縄で傾くのを支えているようです。
奥に見えるのが「宝物館」です。ここに250円切手に使われている木の狛犬が保管されているのだと思います。

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興味深い境内社がいくつかあります。これは「匝瑳神社(そうさじんじゃ)」です。
千葉県に平成の合併で匝瑳市が誕生しています。
ここから旧・匝瑳郡匝瑳村大字生尾の老尾神社(匝瑳神社・祭神:阿佐比古命)に分祀されたと伝承されます
「匝瑳(そうさ)」という名前はとても興味深い名前で、ここ総(ふさ)の国にもたらされた布(麻)(布佐)でも狭布佐(さふさ)=美しい布の意味があるようです。
残された記述では、5世紀末から6世紀始めに、畿内の豪族であった物部小事(もののべのおごと)が、坂東を征服し、勲功によって下総国の一部を与えられ匝瑳郡(そうさごおり)し、その子孫が物部匝瑳(もののべそうさ)氏を名乗ったことが始まりとも言われているそうです。

ここ香取神社にこの「匝瑳神社」があることは注目しても良いと思う。
また匝瑳市にある匝瑳神社(老尾神社)はこの香取神社の匝瑳神社から分祀されたようです。
老尾(おいお)神社の祭神である阿佐比古命は香取神宮の祭神「経津主命」の御子神とされているようです。ということはやはり総(ふさ)の国は物部氏の領地だったのでしょう。

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もう一つ気になる境内社「鹿島新宮」です。祭神は鹿島神宮の祭神「武甕槌命(たけみかづち)」と 天隱山命(あめのかぐやま)です。どのような神様なのでしょうか?

「匝瑳神社」と「鹿島新宮」の中間に子安信仰の祭神である「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)を祀る「櫻大刀自神社」があります。

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内側の境内の外側には六所神社などもありますが、帰りに神社の森の外側にある道に出ました。
そこにあったのが「姥山神社」です。祭神は一言主命です。

調べてみてもわからないことがたくさんありますが、これくらいで一旦終りとします。
最後に参道を離れ、神宮の山を巻く道を歩いて見ました。
ここも高台になって神社を祀るのにふさわしい場所だったのでしょうね。

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香取神宮 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/11/03 18:01

香取神宮-新装

 香取神宮を前に訪れた時は、来年4月の式年大祭(12年に1度)に合わせて拝殿・本殿の改装をしていた。
布が被せられていて良く拝むことが出来なかったが、それが10月になって完成したと聞いて立寄りました。

今回の写真はすべてサムネイルです。クリックすると大きくなります。

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こちらが正面の拝殿です。
前に来た時は屋根からすっぽりと布がかぶっていました。

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こちらは本殿です。こちらもきれいになりました。

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楼門の裏手に飾られている木の狛犬です。

宝物館は今回も入ってみていません。
今度行った時に宝物館の狛犬を見て見たいですね。

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少し遅いのですがまだ七五三の祈祷も受け付けていました。

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丁度紅葉も見ごろでした。

(12月3日撮影)

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香取神宮 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/04 19:50

香取神宮-奥宮

 香取神宮に奥宮があることは知っていたが前に来た時には立ち寄らずに来てしまった。
今回この奥宮の位置が気になり神宮拝殿に行く前に直接立ち寄ってみることにした。

ここは神宮の正面大鳥居から参道を登るのではなく、その手前の脇道を左手に入って行く道を選んだ。

参道を進んで要石などを見物してから行くこともできるし、楼門手前から左に回れば行くことができるが、何か少し違った雰囲気を感じたので直接奥宮を目指した。

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入口手前の売店などが立ち並ぶその先に左側へ山の方に入って行く細い道がある。

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道を進むと小さな道祖神が祀られていた。

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一応舗装されているが、結構急な登りだ。

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左手に竹藪が現われた。この上が奥宮らしい。

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奥宮の入口に到着しました。
今登ってきたのは写真には映っていませんが、上の写真の左側を巻くように下って行く道です。

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この奥宮は木々の間にひっそりと置かれていました。
辺りは静かです。
なにか古来の霊が宿っているようです。

ここには経津主の荒魂を祀っていると思われます。

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神宮にお参りに来る方や観光客もほんの一部の方がこちらにも足を運んでいました。
ここですれ違った3人ほどの方から私が登ってきた方向の道が「何処に出ますか?」と聞かれました。
境内の案内地図などにはこの道はあまり詳しく載っていないようです。

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一般に奥宮などは参道・門・拝殿・本殿とあり、その奥や山の上の方に置かれている場合が多いと思います。
しかしこの奥宮の置かれた場所は神社から見ると横の方になります。

これは昔の香取神宮は北からの参道があったのではないかと思います。
少し辺りを散策してみることにしました。

(続きます)



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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/05 19:34

香取神宮-雨乞塚

 香取神宮の奥宮入口の道の辻に「雨乞塚」と書かれた看板が立っていた。
ここは十字路の交差点に当たる場所だ。

紅葉も丁度良い雰囲気を醸し出していた

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ここから真南に伸びた道の先の正面に奥宮がある。

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雨乞塚:ここは聖武天皇天平4年(732)、この地が大旱魃の時祭壇を設け雨乞ひをした処である。(看板に書かれている内容)

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奥宮の入口左側に「天真正伝神道流(しょうしんしょうでんしんとうりゅう)始祖飯篠長威斎(いいざさちょううさい)墓」がある。

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日本最古の剣道の流儀を始めた人物だそうだ。周りを囲まれていただ、墓石は質素なものだ。

鹿島で、鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いたのが有名な塚原ト伝だ。

鹿島神宮と香取神宮は共に剣道を学ぶ人たちにとっての聖地にもなっている。

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この雨乞塚の北側には「祖霊社」という場所がある。

建屋は比較的質素なものであった。

調べて見るとこの場所にはかつて「香取山金剛宝寺」という真言宗の寺があったという。
この寺はこの香取神宮の神宮寺として十一面観音像を本尊として置かれていた。

しかし、明治初期の廃仏毀釈で全て取り壊され一部の仏像などが近くの寺に移されて残るのみとなったようだ。

今では祖霊社として神社で行われる葬儀などに使われているのかもしれない。


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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/06 19:02

香取神宮-津宮の浜鳥居

 香取神宮の奥宮から真北に進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っています。

場所は佐原市津宮(つのみや)で津宮鳥居とか浜鳥居とか呼ばれているようです。

先日佐原の方と話した時に「津」は湊のことだとおっしゃっておりました。

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(クリックで拡大します)

むかし、この辺りもみな香取の海とか香取の流れ海とか呼ばれていました。
鹿島神宮と香取神宮はこの内海を挟んで並んでいました。

今は霞ヶ浦も小さくなり、この湊のある場所も利根川沿いになりましたが、ここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせます。

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利根川はこの辺りは流れも穏やかで静かです。
昔も絶好の船着き場だったのでしょう。

対岸は水郷地帯でその向こうに潮来があります。

来年4月に行われる式年大祭(昔は20年おき、今は12年おき)では、鹿島神宮の鳥居の所から3000人ほどで奥宮を通り、昔の参道沿いにこの津宮まで約2km程を歩いてこの場所にやってきます。
そしてこの場所から色鮮やかな船(御座船)で川を上り、佐原沖で鹿島神宮からの御座船と合い、佐原で上陸して1泊し翌日佐原の市街を通って戻ってくると言います。

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(クリックで拡大します)

利根川沿いに堤防がありますので川岸の鳥居は少し低く見えます。
でもこれは平成14年の建造で高さは三丈一尺(9.4m)だそうです。

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ここに「香取宮」と彫られた常夜燈(1769年奉納)がありました。
船運が盛んであった明治初期まで船の目印になったようです。

しかし、この常夜灯は東日本大震災の地震で倒壊してしまったようです。
それがこのように修理復活したのでしょう。
もっとも灯籠は頭が重いので地震には弱いようです。あちこちの神社で台座と分断されていました。
香取神宮も1年ほど前までは、木々の間の空き地にたくさん置かれていたように思います。

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(クリックで拡大します)

今は小さな船着き場ですが、水鳥がたくさん集まっていました。
カメラを構えて近づくといっせいに飛び立ちます。

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(クリックで拡大します)


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川岸側から鳥居を見上げました。
南を向いているわけですが、鳥居から太陽がまぶしく輝いていました。
時間は午前11時頃です。

この津宮の事を調べていたら気になる記事が見つかりました。

「津宮地区には、自然堤防に立地する津宮遺跡群と津宮古墳群があります。自然堤防は、利根川東遷以前の氾濫によってできた微高地で、香取駅周辺の東西に延びる幅300mほどの範囲です。標高は最大で約5mになります。

 津宮遺跡群の発掘調査では、縄文時代から中近世までの遺構や遺物が見つかっており、遺跡群の範囲が、自然堤防の標高約2mのところまで広がっていることもわかりました。」

何処が気になるかというと縄文時代からの遺跡が見つかっていますが、標高が3~5mくらいのところに広がっているようです。

縄文時代も海面はそんなに高くはなかったようです。
縄文海進というのも時期がかなり昔であるので数千年前ではせいぜい1~2m程高いくらいだったのかもしれません。

これは広畑貝塚などでも感じたことです。



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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/07 18:33

香取神宮旧参道

 香取神宮も昔は香取の海(現霞ヶ浦)を舟でお参りに行った。

その時の湊が香取市津宮だといわれ、ここに大きな鳥居がある。(先日紹介しました:こちら

この鳥居を見た日訪れたのはこの場所だけだったのですが、香取神宮の祭礼が神宮の奥宮からこの津宮に行列で行って舟に乗るとしり、この昔の参道だった場所を見てみたいと天気が悪い日でしたが少し散策してみました。

津宮からほぼ真南へ真直ぐ神宮の奥宮に向かう道があります。
その沿道にある興味深い神社を見て行きました。


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沖宮神社

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忍男(おしお)神社。

香取神宮の摂社の一つで「東宮」と呼ばれる。

祭神は、伊邪那岐神・級長津彦命・倉稲魂命・長津戸辺命

忍男神は古事記ではイザナギとイザナミが国産みをなした後に最初に産んだ男の神だと言う。

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忍男神社入口の石碑「香取大神道」と刻まれています。

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忍男神社の社殿。比較的こじんまりした神社ですが、どこかに威厳を感じます。

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膽男(まもりお)神社

やはり香取神宮の摂社の一つで忍男神社の少し西側にあるので「西宮」といわれる。

祭神 大己貴命・綿津見命

社殿は忍男神社とほとんど同じような造りです。「膽」は体の一部に使われる「胆」の字と意味は同じです。

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忍男神社から少し進んで、成田線を越えたところに小さな朱色の橋がある。

通称「草履抜橋」(じょんぬきばし、くつぬきはし)というそうで、舟でついた勅使の役人たちは津宮の鳥居をくぐりここまで来て、履物を取り替え、身支度を整えたことからこの名前がついたと言います。

来年4月に12年に1度の祭礼が行われます。この時にはきっとここを通るのでしょう。

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橋を渡って少し行くと右側に山の上に向かった石段があり、入口に鳥居があります。

この山の上には「桝原稲荷神社」があります。

天気が悪かったし、上の道もあまり良くなさそうなので上には登りませんでした。

この山は「神道山」と言われ、「神道山古墳群」が存在します。

そして、香取神宮に近いので物部氏の古墳があるのではないかとも言われたようです。真偽のほどはわかりません。

津宮から香取神宮までは約2kmの道のりですから歩いても30分位です。でも雨が降ってきましたのでここで引き返しました。

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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/25 19:09
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