鵜の岬(1)

 茨城県日立市の北部に鵜の岬はあります。
海鵜(ウミウ)が日本列島の冬に北から南へ、春には南から北へ渡るためにこの地の断崖の岬に立ち寄るためにこの名前がつきました。

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ここには、日本一予約が取れないほど人気の国民宿舎があります。
この左側の高い建物が国民宿舎で、右側は日帰り温泉施設「鵜来来(ウララ)の湯 十王」です。

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国民宿舎はまるで立派なリゾートホテルのようです。
客室は皆東の海の方を向いています。

客室から日の出が見えるのが人気の一つです。

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鵜の岬は太平洋に突き出した岬でもあり、岩場に寄せる波も豪快なものがあります。

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この先に突き出した岩場にウミウの捕獲場所があります。

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捕獲場所が公開されていました。 この詳細は明日に続きます。

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伊師浜海岸(海水浴場) この鵜の岬周辺は「伊師浜国民休暇村」と呼ばれています。


日立・十王 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/01/29 18:52

鵜の岬(2)

 鵜の岬は国民宿舎が有名なのですが、日本で唯一の公認された海鵜(ウミウ)の捕獲場があります。

日本全国の鵜飼の鵜はほとんどがこの鵜の岬で捕まえられたものです。
鵜は渡り鳥ですから、この場所に多くの海鵜が来る4月~6月と10月~12月の年2回が鵜の捕獲が許されている期間です。

この捕獲時期以外の時期に捕獲場所の一般見学が許されています。

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捕獲場は この海に突き出した岩場の先端に作られています。

この写真の浜は国民宿舎のすぐ前にある浜で、常陸国風土記では那賀郡のところに

「郡家の南へ三十里のところに、藻嶋の駅がある。東南の浜に玉のやうな碁石がある。常陸の国では最も美しい石である。むかし倭建の天皇が船で島の磯廻をされたとき、「種々の海藻が多いところだ」といはれたので、藻嶋の名が付いた」

と書かれている場所に近いのだろうと言われています。

常陸国の中で最も美しい碁石がとれた場所だったといいますが、今もとれるのかはわかりません。

この風土記で「倭建の天皇」というのは天皇と書かれていますが、ヤマトタケルのことを表しているとされています。

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海鵜がこの岩場に止まっています。
これはオトリではありません。
今は捕獲時期ではありませんので、捕まることはありません。

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波が打ち寄せ、砕け散るこのような岩場に鵜は休憩のためにとまるのです。
渡りの時期は、群れをなしてV字飛行でやってくるそうです。
多い時は100羽くらいが群れになってくるそうです。

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海鵜の捕獲場所へはこのトンネルを通って行きます。
この係りの人が捕獲の名人です。7~8年くらいやっているそうです。
海鵜は昭和22年に一般保護鳥に指定され、捕獲制限があります。

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断崖の先の捕獲場所には約80m程の細長いトンネルを通って行きます。
意外に広いトンネルで、かがまなくても二人で並んでも充分歩けます。

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ここが捕獲場所です。
捕獲はおとりの鵜を5羽ほど、小屋の外に配置し、仲間と思ってやってきた鳥を捕獲します。

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捕獲の方法は、小屋のわらの下から先端がU字型の「かぎ棒」をそっと出して、岩場にとまった鵜の足を引っ掛け、小屋の中に引き込んで捕まえます。
昔は粘着力のある「とりもち」などが使われたそうですが、羽根にくっついたりして羽を傷める恐れがあるために使われなくなったそうです。

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小屋の中央に顔を外に出せる四角い穴があります。ここからも確認できるのでしょう。
私もこの穴から外を覗いてみました。

結構怖いですね。高所恐怖症の方は無理かもしれません。

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上の写真は捕まえた鵜を入れる「かご」と「かぎ棒」です。

鵜は年間で40羽程度を捕獲しています。
捕獲する数は、全国各地からの注文を受けた数だけを捕獲するそうです。

全国の鵜飼をしている場所は12箇所あるそうです。有名なところは長良川ですね。

その他、岐阜県小瀬鵜飼、山梨県笛吹川石和鵜飼、京都府嵐山鵜飼、広島県三次の鵜飼、山口県岩国の錦帯橋の鵜飼、福島県筑後川鵜飼、大分県日田の鵜飼、愛知県大洲うかい、愛知県木曽川うかい、京都府宇治川鵜飼、和歌山県有田川鵜飼です。

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日立・十王 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/01/30 18:32

川尻浜(日立市)

 鵜の岬の紹介をしてきましたが。そのすぐ南側に川尻の街はあります。
この近くを昔の陸前浜街道が通り、そのまた大昔には奈良時代に作られた官道が走っていたという。

常陸国風土記の多珂郡(郡衙:高萩)に出てくる「藻嶋の駅家(めしまのうまや)」はこの近くにあったようだ。
2年ほど前だったかニュースでこの古代官道の一部が発掘されたと言っていた。

延喜式の駅は水郡線沿いの方を通っていたのではないかといわれ、この海岸沿いの道がどの程度の役割を果たしていたのかはわからない。

平成の大合併で日立市は北に隣接していた十王町を吸収合併した。
合併する前はこの浜あたりが日立市の北端であった。
そしてここにヤマトタケルがやってきたという。

しかし黒坂命(くろさかのみこと)も蝦夷を追い立て、石岡の方からこの近くの山側まできている。

(サムネルです)
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砂浜の向こうには雄大な太平洋が広がります。

(サムネルです)
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南側は波消しブロックが続きます。

(サムネルです)
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(サムネルです)
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(サムネルです)
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この先に突き出した岩場の上は松林と灯台があり、茨城百景に指定された小貝浜の碑があります。(小貝浜緑地)
こちらはまた後で紹介します。

そして、この岬の向こう側に鵜の岬はあります。

川尻浜の北川部分の崖が続き、一部入江になっているあたりを「小貝浜」といいます。

小さな貝が採れたなどとよく説明にありますが、ここは十王川が流れ込んでいる豊浦の地名もあり「蚕飼浜」に違いありません。
取手の近くを流れる小貝川も蚕飼川であったものと考えています。

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地図でもわかりますが、この近くに常陸三大養蚕神社の一つである「蚕養神社」があります。
実は私がここに来たのはこの神社が目的です。こちらは後で紹介します。



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日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/01/31 20:57

小貝浜

 常盤高速を日立北インターで下り、6号国道に出て北上すると、直ぐに日立市の日高、川尻と続き直ぐ右手に「蚕養神社」、左手に「館山神社」の看板が見えます。

この蚕養神社(こがいじんじゃ)は、会津若松の蚕養國神社(こがいくにじんじゃ)ほど有名ではありませんが、古くからある神社で常陸国の三蚕神社の一つです。
詳しくはもう少し調べてから紹介します。

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6号国道に面したところに神社の拝殿のような建物が有りますが、これは社務所で、その脇に上の海に面した高台に登る石段があります。

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石段を上ると、向こう側に太平洋が見え、左手が蚕養神社に行き、そのままさらに登っていくと そこが小貝浜緑地です。

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海沿いの散策路を少し登ったり降りたりしていくと、「茨城百景 小貝浜」の碑が立っています。

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松や雑草などで海の景観を木々の間から垣間見て進みます。
この緑地の眺めは素晴らしく道も整備されていますが、道を外れて海の方に行くと危なそうです。
比較的地盤がもろいようです。
危ないところはロームを張ってありますし、進入禁止の立札のある場所もあります。

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案内板に書いてあるように松の枝ぶりと波の打ち寄せる様は絵になる風情があります。

(サムネルです)
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この下の海辺の洞窟もあり、下の浜にも降りられるようですが、歩くのがくたびれそうなので、途中から6号国道の方に下りました。
上の写真は不動岬?
島のようになっているのは侵食して島になってしまったのかもしれません。
島の上に松が植わっています。夫婦松と呼ばれているものでしょうか。

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途中の断崖の上に立つ「波切不動尊」です。

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潮風により風化の速度が速いと思われますが、何回も新しくして続いてきたようです。
右がたぶん1代前の石像? 奥にさらにもう形のわからなくなった2つの石像もあります。

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日立・十王 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/02/01 19:34

大甕神社(1)-倭文神宮

 鹿島神宮とその関係する神社などを15回に亘って紹介してきました。
そして、その結果訪ねて見たい場所が出てきてしまいました。
それが今日紹介する「大甕(おおみか)神社」です。

 鹿島神宮の祭神「武甕槌(タケミカヅチ)命」と香取神宮の祭神「経津主(フツヌシ)神」は大和朝廷がこの日本国、特に東国を平定した時に最も活躍した武神でしょう。

そのため、現利根川・霞ヶ浦の入口の両側に絶対的な権力で祀られています。

しかし、この両神が従わせることができなかった部族がこの北に住んでいました。
星神香々背男(ホシノカカセオ)=天津甕星(あまつみかぼし)です。

神話では悪い神となっていますが、元々この地方の北一帯を治めていた星を頂く民族でした。
いまでも北の地の多くの「星宮神社」にこの神が祀られているようです。

鹿島神宮でも書きました(高房神社)が、楼門をはいって本殿・拝殿などは北を向いているのですが、この高房神社は楼門の方(西向き)を向いて建っています。

この神社が鹿島神宮の摂社の一つとなっており、常陸国二の宮「静神社」の祭神である「倭文神(しずりのかみ)」(建葉槌神(たけはづちのかみ))が祀られているのです。

建葉槌神(たけはづちのかみ)は武甕槌(タケミカヅチ)と経津主(フツヌシ)の最強の武神でも倒せなかった香々背男を倒すために使わされました。

そして、ついに日立市の手前の多賀山地でこの香々背男を倒したとされています。

倒したというよりは怨念も含めて岩山に封じ込め、岩山の上に神社を建てました。
それがこの大甕神社だということがおぼろげながら見えて来たのです。

そうとなったらやはり見て見ないと先に進めません。
鹿島神宮散策が済んですぐに行ってみました。

もう1カ月くらい前です。すっかり紹介するのが遅くなってしまいました。
午後まだ日が高いうちに到着したのですが、天候不順で雲行きが怪しくなって帰る頃には暗くなってしまいました。

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六号国道(陸前浜街道)を勝田の方から北上すると、久慈川周辺は広い低地が広がっています。
川を渡ってしばらく行くと前に山並みが見えてきます。

大和朝廷の軍はこの川まで制圧してたのでしょうか。そしてその先に広がる山に住む香香背男という部族に手を焼いていたのかもしれません。

現在の大甕神社(おおみかじんじゃ)は6号国道で寸断されています。

神社の入り口には「大甕倭文神宮」と彫られています。
倭文(しず)とは織物です。常陸二の宮「静神社」も倭文

最初に建てられたのはもっと山の上の方だったと言います。
それを、現在の位置に移したのは1689年といいますから水戸光圀の時代で、隠居する前の年です。

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大甕神社は光圀によって移転したのですが、その後の国道建設で2つに分断されてしまいました。

現在は6号国道側に入口が出来ていますが、元々の入口は少し海寄りの旧道から入る方が、昔の雰囲気を感じることができます。

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裏山が迫っているため、拝殿前の境内はそれほど広くはありません。
しかし、この拝殿は物凄いエネルギーを感じるようです。

1695年に社殿が造営され、1933年に拝殿が造られたと書かれていましたが、この拝殿がそれなのでしょうか。
でもかなりすごい造りで、彫刻も見応えがあります。

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こちらは拝殿なのですが、本殿は?
この裏山の岩山を少し登った岩盤の上に建てられています。(明日紹介します。結構登るの大変なんです。)

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提灯の紋は「左三つ巴」。これは鹿島神宮の神紋と同じ。八幡神社も同じ。
平安時代にははやったようだが・・・・。ルーツは?

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太い木が屋根を貫いて・・・。木を避けて屋根を造った。

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儀式殿です。こちらは近代的な立派な建物です。

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こちらが6号国道沿いの神社入り口です。

看板は「大甕神社」「大甕倭文神社」となっています。

旧道側の入口は「倭文神社」ではなく「倭文神宮」でした。


日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/02 19:30

大甕神社(2)-香々背男の眠る岩山

 鹿島神宮境内にある「高房神社」からこの大甕(おおみか)神社にやってきた。

祭神は「武葉槌命」で、鹿島神宮・香取神宮の武神にも退治できなかった(星神)香香背男をやっつけた男である。
どういうわけか倭文(しず)の里(=静神社のあたり)にはこの武葉槌命が来ていて、倭文織などの織物技術を伝えていた。

ここ大甕の山砦に住む香香背男はかなり強大な力を持っていて、この制圧に大和朝廷は手こずっていた。

この武葉槌命はかなり頭の良い武神と言われ、この香香背男を制圧したとされる。
しかし、ここに来ると制圧したというより懐柔して、仲間に加えたのではないだろうかという気がしてくる。

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拝殿の脇に「宿魂石」と書かれた岩が置かれている。
宿魂石と言うのはこの彫られた石ではなく、この上の大岩全体を言うようだ。

そしてこの大岩の上に大甕神社の本殿が置かれている。

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この宿魂石と書かれた所から山道のような道がある。しかしこの上の本殿にはここから登るのは少し危ない。
昔は鎖などが取り付けられていたようだが、今は横の方から登りやすい道がつけられている。

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その道は儀式殿側から続いているのだが、その入口に一つの神社が置かれている。
比較的新しい建物で、最近建てなおされたものかもしれない。

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この神社には「甕星香香背男大神」と書かれている。
これは「香香背男」を祀る神社であろう。

と言うことはこの大甕神社は「星神(甕星)香香背男」と「武葉槌」の両方を祀る神社だ。

悪神「香香背男」をこの岩山に封じ込めたというのは後から作った話だと思う。

恐らく首領をやっつけたかもしれないが、そこに住んでいた部族を懐柔させ味方に引き入れるには、この「香香背男」を大切な神としてたたえてここに祀ったのだ。

敵も味方もそれぞれを大岩信仰の対象として祀りあげたものだと思う。

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甕星香香背男を祭る神社。この脇から本殿に登れる。

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急な岩山を登ると本殿が置かれていた。

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こんな岩山の上に建てられている。

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さて、6号国道によって分断された神社の反対側には「祖霊殿」という建物があります。

しかし、神社の向かい側のその祖霊殿に行く入口に一つの神社が建っています。
「久慈稲荷神社」と言うようです。

この稲荷神社は明治末期頃までは「明久稲荷」と言われていたそうで、もう少し南側の久慈に近い場所にあったという。祭神は五穀豊穣の神である宇迦之御魂神。稲荷神社の祭神である。

この大甕神社とあまり関係がないような気がするが、場所を移す必要から境内社としてうつされたのかもしれない。

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祖霊殿へはこの薄暗い参道を進みます。

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薄暗いと言ってもそれほど怖いものではありません。先祖の眠るお墓の入口でしょうね。

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すぐに開けてその先に立派な建物があります。

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祖霊殿です。さてどんな魂が眠っている場所なのでしょうか。
詳しい説明がありません。
少し時間をかけて調べてみなければならないでしょう。

この神社に属していた神宮寺が明治初期の廃仏毀釈でなくなりこのような形になったものでしょうか?

さて、大甕(おおみか)と言う言葉は何処から来たのでしょうか。

一般的な説明は「甕(みか)」というのは「かめ、瓶」などの意味で、祭時などで使う甕と関係しているのだろうと言われています。

弥生時代の甕棺は、成人埋葬用に作った大甕のことだと言うことですので、ここが祭時としての埋葬場所だったということが考えられます。

一体誰の埋葬場所だったのでしょう。
「武葉槌命」と「香香背男」がともに埋葬された場所なのかもしれません。

2つの民族が融合した象徴なのかもしれません。

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日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/03 19:25

日立中央IC

 もう2週間も前になるが常磐高速で初めて日立中央インターチェンジに下りた。

日立市の山間を高速はたくさんのトンネルが貫いている。

日立南太田ICを過ぎると次の日立中央ICまで長いトンネルの連続で、この中央インターもトンネルを抜けてすぐの場所にありここを過ぎてもまたすぐにトンネルに入る。

日立市に来ることはたまにあるが、高速は使わないか又は使っても手前の日立南太田ICで下りる。

日立中央01

ここのICは少し変わっていて、出口部分にパーキングがあり更に出口から一般道(県道36号線)までの間を日立有料道路が繋いでおり常磐高速の料金に別料金で100円かかるのである。

山間に高速道路を通すので費用がかかることもわかるが少し複雑な思いがしないこともない。
パーキングにはコンビニが1つあるだけ。

日立中央03

パーキング脇に高台になって見晴らし台のような場所があった。

日立中央02

しかし、眺めが良いわけでもなく今通ってきた高速道路が見下ろせるだけであった。

この常磐自動車道も仙台までの道路延長建設中であるが、福島第一原発のすぐ近くを通るためこの道路の建設は当面無理だと思っていた。

しかし、今まで開通していた広野IC-常磐富岡IC間は除染が完了したとして今年の2月に再開された。

そしてその北側も津波の影響などもあり遅れていたが浪江ICから仙台までの区間の開通が今年12月に開通する予定であり、最後の放射線量の多い富岡-浪江間も来年5月頃を目指して建設が進んでいる。

これが開通すれば仙台まで高速がつながる。

まだまだ原発の心配は残されており、道路が開通しても通過するだけでもどれだけの影響があるかはわからないが、それでも陸の孤島に化してしまったこの地域に少しは明るい光がさすように思われます。

いわき市などの仮設住宅にはまだたくさんの方がおられます。
あと2年ほどで復興住宅などに移られるのでしょうが、みなさん辛抱強いですね。

家内もまだ毎週土曜日に仮設住宅に行っていますが、皆さん健康に留意してこの冬も乗り切って頂きたいと思います。



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日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/20 20:27

日立の大煙突

 常磐高速日立中央ICを下りて県道36号線を日立市街地と反対の山側にしばらく行くと「JX日鉱金属日立工場」がある。


工場の前に駐車場があり、ここに「日立製作所創業小屋跡」の石碑が置かれている。

日立01


1905年(日露戦争の翌年)に山口県出身の財閥久原房之助がこの山に眠る銅に目をつけて、それまで小さな鉱山であった「赤沢銅山」を買い取った。

ここに日本の産業を発展させるための基となる産業が生まれたのである。

1906年に東京電燈(現東京電力)に勤めていた技術者である小平浪平(おだいらなみへい)が国産初のモータ創りの夢を持ってやってくる。当時の肩書は工作課長である。

そしてここの鉱山(久原鉱業所日立鉱山)には掘削機以外にも数多くの機械が使われており、大きなものはほとんどが外国産でした。

当初この駐車場があった場所に鉱山の機械を修理するための木造小屋が建てられました。

そこで小平たちが初の国産モータの開発を行っていたのです。

5馬力の国産初のモーター(電動機)が完成したのは1910年のことです。

何故ここで?? という思いがしますが、当時日立鉱山は送風・用水・輸送・電灯・精錬など多くの機械が電化され、日本の工業を発展させるための機械がそろっていたのです。

そして1920年に日立製作所として独立します。
ですから日立は数年前に創業100年を迎えたという訳です。

そのため、ここは日立製作所の原点となった場所です。

日立02

ここ現在JX日鉱金属の工場の裏山に日立の町のシンボルともなっている大煙突が山の上に立っています。

これは、当時の鉱山からでる煙が近隣の農産物(特にタバコ)に甚大な被害が及びこれを賠償することで何とか補ってきたが、なかなか解決できずにいた。

まず考えたのが1911年に神峰山に巨大な煙道となるトンネル(神峰煙道:1630mの長さ)を掘り、そこに排煙用の送風機をつけて煙を神峰山の上まで送ろうと考えた。
しかし、現実は煙害となる亜硫酸ガスはあまり減らず失敗であった。

そして、1913年にはまず政府の指導で現在手前にある高さの低いダルマ煙突を立てた。しかしこの効果があれば3本の煙突を建てる予定であったが、効果は薄く、この1本のみで建設は中止され、久原は煙突を高くすればこの煙は上空の気流にのり、下には下りてこないと考え、周囲の反対を押し切って大煙突の建設に踏み切った。

上流の気流などを考えて計算された高さ155.7m(511フィート)に決定された。これは当時の世界最高の煙突がアメリカの505フィートであったのでこれを上回る世界最高の高さを目指したのである。

そして大煙突が完成したのは1915年(大正4年)でした。
これは見事に煙害は激減し、煙害の本格処理技術(亜硫酸ガスから硫酸を製造する技術)が完成する1951年(昭和26年)頃までその役目を果たしました。

役目を終わってからもこの大煙突は日立市のシンボルとして親しまれていましたが、1993年2月に突然崩壊してしまい現在残ったのは使える部分を修理して当時の1/3くらいの54mとなりました。


日立03

手前の煙突はダルマ煙突で役に立たなかったので馬鹿煙突と呼ばれているものです。
そしてその上にそびえる煙突が大煙突が崩壊して残った54mの煙突です。

この約3倍の高さであったというのですから想像するだけでも高いですね。

この煙突の建設当時の写真や図面などはこの県道を少し山の方に登った「日鉱記念館」に展示されています。
数々の機械などと共に当時の姿を偲ぶ貴重な写真や品々が無料で公開されています。

こちらにも行きましたので内部の写真などを明日載せます。

日立04



日立・十王 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/10/21 20:25

日鉱記念館(1)

 日鉱記念館は大煙突などの工場から少し上流に行ったトンネル入り口付近にある。

赤沢鉱山時代から久原房之助がこの鉱山を買い取り、久原鉱業所、日立鉱山時代。
またそこから鉱山王とも呼ばれ、数々の関連企業ができて行った歴史がここには保存されていました。

もちろん本体はその後日本鉱業所となりジャパンエナジー、JX日鉱日石などとなり関連する企業は多く存在します。

ここの工作部門が独立したのが日立製作所であり、日産自動車なども基はこの久原鉱業所、久原財閥といってもよいでしょう。

日鉱01

こんな立派な建物がほぼ休みなく(月曜日は休み)無料で開かれているとは知らなかったのです。
この記念館がここ日立鉱山の跡地に建てられたのは1986年だそうです。

日立鉱山は今では採掘は行われていません。1965年(昭和40年)で鉱山としては閉山されました。

日鉱02

受付で内部の写真撮っても良いか確認したところ、「いいですよ」とあっさり許可をいただきました。
来る機会もあまりないのでたくさん写真を撮ってしまいました。

あまり説明はしませんので記念館の本館内部の写真を紹介します。

日鉱03

日立鉱山は主に銅の採掘が主だったようです。これは入口に置かれていたこの地域で掘りだされた鉱石です。

日鉱04

1階の展示室は創業当時の写真や記録の数々が展示されています。

日鉱05

この千年杉は鉱山の工場を建築する場所にあった杉で、何とか残そうとしたが切らざるを得ないこととなり、この杉の木を使って神戸の自宅に観音堂を作ったのです。

現在はこの観音堂はこの記念館敷地内に移設されて展示されています。

日鉱06
日鉱07
日鉱08

仕切られた内部の展示室には世界の鉱山の鉱石および、国内の色々場場所の鉱石が展示されています。
これだけ集められているところも少ないのではないかと思います。

日鉱09

ダイヤモンド試錐機(掘削機)。その他当時の映写機などもありました。

日鉱10

日鉱11
日鉱12
日鉱13

階段を上った上の階には日立の大煙突の歴史や写真、図面などが飾られていました。

日鉱14

日鉱15

展示室2階室内からの外の眺め

日鉱16

日鉱17

日鉱18

屋外には「鉱山資料館」「旧久原本部(県指定史跡)」などのほか色々な展示物があります。
長くなりましたので明日にまた続きを載せます。

私が見たかったのはこちらの「鉱山資料館」です。
これは昔の鉱山で使われた木造のコンプレッサー室(太平洋戦争中の1944年に建てられたもの)がそのまま保存されているのです。

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日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/22 19:49

日鉱記念館(2)

 昨日の日鉱記念館の本館以外の展示施設などをざっと紹介します。

日鉱20

旧久原本部(茨城県指定文化財) 明治38年(1905)に久原房之助が日立鉱山の本部として建てた小家屋。

この山奥でこの家に久原も寝起きして開発にあたったそうです。

日鉱22

塵外堂:精錬所予定地にあった千年杉を使って神戸の屋敷の中に観音堂を建設した。
その後東京白金に転居したため、その用材でこの塵外堂を建てた。
昭和60年にこちらに移設された。

日鉱23

日鉱19

明治末期から約50年間この電気機関車(日立製作所製)が輸送に使われました。

日鉱24

自走式長孔さく孔機(タムロック(フィンランド)製):火薬を装填する孔(直径76mm)をあけるための機械

北海道定山渓の豊羽鉱山において1993年~2006年まで使われた。

日鉱25

第1竪坑鉱石巻揚機:250馬力 ノードバーク社(アメリカ)製。昭和4年(1929)輸入
電動機(モータ)はゼネラルエレクトリック社(アメリカ)製

日鉱26

同上

日鉱27

鉱山資料館:当時のコンプレッサー室をそのまま残している。

昭和19年6月に太平洋戦争中の物資が極端に不足していた時に新設された。
戦時中にはここの金属資源はどうしても確保・増産することが急務であったという。

コンプレッサーはさく岩機の動力源(圧縮空気)として不可欠であった。
やはり削岩機は当時も動力に圧縮エアーが使われていたのですね。

日鉱28

1918年(大正7年)に作られた450馬力往復動式空気圧縮機
圧縮機:久原鉱山(株)佃島製作所製 電動機:日立製作所製
(当時の価格で、圧縮機:2万9178円、電動機:1万2162円) 
今から見るとモーターが高かったのですね。

この佃島製作所は久原鉱業が東京佃島に造った機械会社?
この後日立製作所に吸収合併?

日鉱30

480kW x 600rpm x 8.5kg/cm2 x 105m3/min 圧縮機(往復動式):日立製作所製 電動機:日立製作所製
今から見ると容量の割にかなり大きい。

日鉱31

さく岩機:日立鉱山で独自に開発したものも含め159台ものさく岩機が展示されています。壮観です。

日鉱33

日鉱36

建屋の梁はすごいですね。
機械のメンテナンスや重い物を持ち上げたりするにもこのような強度梁が必要だったのでしょうが、木造とは信じられないようです。

日鉱35

日立・十王 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/10/23 21:24
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