酒米の取り組み(1)
ここ石岡は昔から関東の灘といわれるほど酒造りが盛んであった場所である。
醤油産業は現在ほとんど行われていないが、酒造りはまだ古くから受け継がれている。
地元の酒造所としては「府中誉」「石岡酒造」「白菊酒造」がありそれぞれ美味しいお酒を作っている。
もっともっと知っていただきたい石岡の名品です。
それらの発生をたどっていくとかなり古くから受け継がれてきたことがわかり、それぞれ特徴をもった活動を続けていることがわかります。
最近になって各社が取り組んでいる酒米作りに焦点を当てて少し調べた内容を紹介していきたいと思います。
まずは「府中誉(国府5-9-32)」さんです。

酒造所は石岡の街中にあり、安政元年(1854)創業といわれています。
昭和4年の大火の際も近くまで火の手がきましたがどうにか焼けずに残りました。
現在、主屋・長屋門・文庫蔵・穀蔵・仕込蔵・釜場・舂屋(つきや)の計7棟が市の登録文化財に指定されています。

製造工程の見学には予約が必要ですが、外から見たり、試飲してみることはできますので一度訪れて見てください。

さて、ここのお酒は大吟醸「渡舟」(わたりぶね)が有名です。
これは幻の酒米「渡船」を使って吟醸酒としており、日本ではここ1か所だけといわれています。
高級酒の原料となるお酒に適した酒米としては「山田錦」という品種が全国で使われています。
この渡船はこの山田錦の親に相当し、昭和の初め頃までは茨城県でも栽培されていました。
しかし、栽培が難しく、手間もかかるため次第に栽培されなくなってしまったのです。
あまり発表されることもないので一般には知られていませんが、「山田錦」は兵庫県(酒どころ)が全て取り仕切っているようです。
他県での栽培がほとんどできない状態なのです。
ですから、どこの酒造所もこの山田錦は兵庫県から買っているのでしょう。
従ってお酒の値段が上がってしまいます。
でもやはり、府中誉さんでは、地元でとれた安心できるお米を使ってお酒を作りたいと思いました。
そこで、幻の酒米といわれた渡船を探したのです。
探したところ筑波の研究機関「国立農業生物資源研究所」に種もみが冷凍保存されていることをきき、ほんの14グラムを分けてもらい、協力していただける農家の人を探し、1989年(平成元年)春に1坪くらいの田圃に蒔いたそうです。
そして2年目には12kgの収穫があり、平成3年に八郷の広い田圃で栽培を始めることになりました。
そして、ここから名酒「渡舟」が生まれました。
現在このお米作りに、一般の人が参加しています。
詳しくは所蔵元のブログ(蔵元便り)に書かれています。
春には田植え、10月には収穫祭を行い、稲刈りや美味しいお酒と料理を楽しんでいるようです。
益々、多くの市民の参加によって「渡舟」の名が広がって、草の根交流のような輪が広がってほしいですね。
先日蔵の方にお邪魔した時は、アメリカの方には輸出して評判も良いと伺いました。
お米を半分近くまで削った小さな粒をお酒造りに使うのですから、まだあまり有名になっても困るのかもしれません。石岡には名酒ありとして、こられた人をこれからも大切にしていけばよいのでしょう。
醤油産業は現在ほとんど行われていないが、酒造りはまだ古くから受け継がれている。
地元の酒造所としては「府中誉」「石岡酒造」「白菊酒造」がありそれぞれ美味しいお酒を作っている。
もっともっと知っていただきたい石岡の名品です。
それらの発生をたどっていくとかなり古くから受け継がれてきたことがわかり、それぞれ特徴をもった活動を続けていることがわかります。
最近になって各社が取り組んでいる酒米作りに焦点を当てて少し調べた内容を紹介していきたいと思います。
まずは「府中誉(国府5-9-32)」さんです。

酒造所は石岡の街中にあり、安政元年(1854)創業といわれています。
昭和4年の大火の際も近くまで火の手がきましたがどうにか焼けずに残りました。
現在、主屋・長屋門・文庫蔵・穀蔵・仕込蔵・釜場・舂屋(つきや)の計7棟が市の登録文化財に指定されています。

製造工程の見学には予約が必要ですが、外から見たり、試飲してみることはできますので一度訪れて見てください。

さて、ここのお酒は大吟醸「渡舟」(わたりぶね)が有名です。
これは幻の酒米「渡船」を使って吟醸酒としており、日本ではここ1か所だけといわれています。
高級酒の原料となるお酒に適した酒米としては「山田錦」という品種が全国で使われています。
この渡船はこの山田錦の親に相当し、昭和の初め頃までは茨城県でも栽培されていました。
しかし、栽培が難しく、手間もかかるため次第に栽培されなくなってしまったのです。
あまり発表されることもないので一般には知られていませんが、「山田錦」は兵庫県(酒どころ)が全て取り仕切っているようです。
他県での栽培がほとんどできない状態なのです。
ですから、どこの酒造所もこの山田錦は兵庫県から買っているのでしょう。
従ってお酒の値段が上がってしまいます。
でもやはり、府中誉さんでは、地元でとれた安心できるお米を使ってお酒を作りたいと思いました。
そこで、幻の酒米といわれた渡船を探したのです。
探したところ筑波の研究機関「国立農業生物資源研究所」に種もみが冷凍保存されていることをきき、ほんの14グラムを分けてもらい、協力していただける農家の人を探し、1989年(平成元年)春に1坪くらいの田圃に蒔いたそうです。
そして2年目には12kgの収穫があり、平成3年に八郷の広い田圃で栽培を始めることになりました。
そして、ここから名酒「渡舟」が生まれました。
現在このお米作りに、一般の人が参加しています。
詳しくは所蔵元のブログ(蔵元便り)に書かれています。
春には田植え、10月には収穫祭を行い、稲刈りや美味しいお酒と料理を楽しんでいるようです。
益々、多くの市民の参加によって「渡舟」の名が広がって、草の根交流のような輪が広がってほしいですね。
先日蔵の方にお邪魔した時は、アメリカの方には輸出して評判も良いと伺いました。
お米を半分近くまで削った小さな粒をお酒造りに使うのですから、まだあまり有名になっても困るのかもしれません。石岡には名酒ありとして、こられた人をこれからも大切にしていけばよいのでしょう。
酒米の取り組み(2)
今朝は寒さも緩んだためか、筑波山はぼんやりかすんでやっと見える程度であった。
今日は昨日に続いて、石岡の酒造会社における酒米作りの取り組みについてお伝えします。
昨日は幻の酒米「渡船」をみごと復活し、一般の人の参加を得て酒米作りをしている府中誉さんの話をしました。
今日は、高浜で古くから地元に愛されるお酒を作っている「白菊酒造」さんの取り組みです。
先日NHKのラジオを聞いていましたら、先日名古屋で開催されていました「生物多様性」(COP10)の会議に合わせ、その取り組みの例として紹介されたのです。
それは霞ケ浦のアサザを守り自然環境を守ろうと活動する「アサザプロジェクト(NPO法人アサザ基金)の取り組みの一環でした。
活動の発端は「霞ケ浦の荒れた地を田圃に変え、そこに無農薬のコメを栽培し、それをお酒にしたい」ということでした。
それに協力したのがNECの環境事業部と白菊酒造さんでした。


白菊酒造さんの創業は約200年前といいます。お酒「白菊」は生酒など茨城県内では比較的良く売られています。
美味しいお酒です。私も昔はよく居酒屋さんで飲みました。
この酒米作りはNECの従業員及びその家族を中心に田んぼの整備から田植え、収穫まで無農薬で行っているといいます。始まったのは2006年頃です。
お酒造りもまだ始まって年月は浅いですが、出来たお酒が「田んぼ物語 愛酊で笑呼(ITでエコ)」というそうです。
活動はNECの社員教育の一環に組み込まれ、今後は酒造りのために精米して残った白糠を使ったクッキーなども製造し始めています。
このような活動も石岡で行われていることを皆さんにも是非知っていていただきたいと思っています。
今日は昨日に続いて、石岡の酒造会社における酒米作りの取り組みについてお伝えします。
昨日は幻の酒米「渡船」をみごと復活し、一般の人の参加を得て酒米作りをしている府中誉さんの話をしました。
今日は、高浜で古くから地元に愛されるお酒を作っている「白菊酒造」さんの取り組みです。
先日NHKのラジオを聞いていましたら、先日名古屋で開催されていました「生物多様性」(COP10)の会議に合わせ、その取り組みの例として紹介されたのです。
それは霞ケ浦のアサザを守り自然環境を守ろうと活動する「アサザプロジェクト(NPO法人アサザ基金)の取り組みの一環でした。
活動の発端は「霞ケ浦の荒れた地を田圃に変え、そこに無農薬のコメを栽培し、それをお酒にしたい」ということでした。
それに協力したのがNECの環境事業部と白菊酒造さんでした。


白菊酒造さんの創業は約200年前といいます。お酒「白菊」は生酒など茨城県内では比較的良く売られています。
美味しいお酒です。私も昔はよく居酒屋さんで飲みました。
この酒米作りはNECの従業員及びその家族を中心に田んぼの整備から田植え、収穫まで無農薬で行っているといいます。始まったのは2006年頃です。
お酒造りもまだ始まって年月は浅いですが、出来たお酒が「田んぼ物語 愛酊で笑呼(ITでエコ)」というそうです。
活動はNECの社員教育の一環に組み込まれ、今後は酒造りのために精米して残った白糠を使ったクッキーなども製造し始めています。
このような活動も石岡で行われていることを皆さんにも是非知っていていただきたいと思っています。
酒米の取り組み(3)
今朝起きたら、濃霧で7~8m先が見えない。
気温が高いためだと思うが、予報では急に寒くなるとか・・・。
昼間は暖かだったが、夜になって、風が強くなって寒さも増してきたようである。
今夜の月は三日月で、細い眉のような月だ。
さて、今日も酒米の取り組みの続きであるが、今日は石岡酒造さんについて少し書いてみます。
東大橋に工場はあります。生板池に近い場所です。
生板などと少し生臭い名前ですが、これは八幡太郎が奥州征伐(2度目)に来た時にここ府中には約5万の兵が集まっていました。
この炊事場としてここが使われ、昔は「まな板」は「生板」が変わったといわれています。
このまな板を洗った池から名前がついたのです。
さて、石岡酒造さんは地元府中で200年~300年前から酒造りを行なってきた蔵元4社が合併して昭和47年に創業されました。
ここの昔からの銘柄「白鹿」は、灘の「白鹿」から、名前の差し止め訴訟が昔あり、創業の歴史を争う裁判がありました。結果は訴えは認められず、逆に石岡の白鹿に軍配が上がった形になりました。
昭和29年から15年も裁判で争われたのです。
灘は「黒松白鹿」と縦書き、石岡は「白鹿」と横書きで決着したのです。
この事件はあらためて石岡の酒造の歴史の古さを知らしめることとなりました。
さて、石岡酒造さんの白鹿は今も主銘柄ですが、大衆向けです。
新たな銘柄「吟醸酒筑波」などを美味しいお酒として品評会などでも高い評価を得ています。
今回の主題である、酒米については、今まで山田錦などは兵庫県から、また他のお米も主として茨城県や岡山県産などのお米を購入し、全て自家精米にて酒造りをしています。
また数年前から「酒造り体験」として地元の人達と共に酒造りを行ない、3年前には米作りから自分たちの酒を作る手伝いもしてきました。
こうした取り組みにより、やはり商品の酒にに使う米も自分たちの手で行おうと今年から栽培に着手しました。
まずは八郷地区に23aの田圃でコシヒカリの栽培を始め、この秋収穫が終わりました。
お酒になるのは来年春頃でしょうか?
そして将来的には酒造りに使うお米を全て自家でまかなおうとしているそうです。
石岡は米作りにもとても適したところです。
3社3様の取り組みですが、これからが楽しみですね。
蔵見学なども出来るようですが、事前に予約が必要です。
気温が高いためだと思うが、予報では急に寒くなるとか・・・。
昼間は暖かだったが、夜になって、風が強くなって寒さも増してきたようである。
今夜の月は三日月で、細い眉のような月だ。
さて、今日も酒米の取り組みの続きであるが、今日は石岡酒造さんについて少し書いてみます。
東大橋に工場はあります。生板池に近い場所です。
生板などと少し生臭い名前ですが、これは八幡太郎が奥州征伐(2度目)に来た時にここ府中には約5万の兵が集まっていました。
この炊事場としてここが使われ、昔は「まな板」は「生板」が変わったといわれています。
このまな板を洗った池から名前がついたのです。
さて、石岡酒造さんは地元府中で200年~300年前から酒造りを行なってきた蔵元4社が合併して昭和47年に創業されました。
ここの昔からの銘柄「白鹿」は、灘の「白鹿」から、名前の差し止め訴訟が昔あり、創業の歴史を争う裁判がありました。結果は訴えは認められず、逆に石岡の白鹿に軍配が上がった形になりました。
昭和29年から15年も裁判で争われたのです。
灘は「黒松白鹿」と縦書き、石岡は「白鹿」と横書きで決着したのです。
この事件はあらためて石岡の酒造の歴史の古さを知らしめることとなりました。
さて、石岡酒造さんの白鹿は今も主銘柄ですが、大衆向けです。
新たな銘柄「吟醸酒筑波」などを美味しいお酒として品評会などでも高い評価を得ています。
今回の主題である、酒米については、今まで山田錦などは兵庫県から、また他のお米も主として茨城県や岡山県産などのお米を購入し、全て自家精米にて酒造りをしています。
また数年前から「酒造り体験」として地元の人達と共に酒造りを行ない、3年前には米作りから自分たちの酒を作る手伝いもしてきました。
こうした取り組みにより、やはり商品の酒にに使う米も自分たちの手で行おうと今年から栽培に着手しました。
まずは八郷地区に23aの田圃でコシヒカリの栽培を始め、この秋収穫が終わりました。
お酒になるのは来年春頃でしょうか?
そして将来的には酒造りに使うお米を全て自家でまかなおうとしているそうです。
石岡は米作りにもとても適したところです。
3社3様の取り組みですが、これからが楽しみですね。
蔵見学なども出来るようですが、事前に予約が必要です。
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