百観音

 百観音とは、西国三十三箇所 坂東三十三箇所 秩父三十四箇所 の100か所の観音様を指すとされます。
四国88か所の巡礼と同じく、この100か所を巡礼して廻るとご利益があり願いがかなうという習わしが行われてきました。記録によると400~500年位前から行われてきたといいます。

西国とは岐阜から関西地区の寺であり、坂東は関東地方である。これらそれぞれ33か所の寺と秩父地方34か所の寺を巡るのである。
そして最後の秩父34番水潜寺を廻ったら、長野の善光寺へ参るのだといいます。

この観音参りは現世の罪を流し、極楽往生を願うものとされてきました。
前にも書きましたが、長野の善光寺は来世の極楽往生を願い、上田の北向観音では現世のご利益を願うのだといいます。
このため、善光寺をお参りしたら、上田の北向観音をお参りしないと片詣りとなるといわれます。

しかし、来世の極楽往生を願う人は多くいたのですが、またその多くはこんなに遠くまで100か所もお参りすることは体力的にも、経済的にもかなわない人がたくさん出てきたのです。

そのため、全国各地で百観音信仰が生まれてきます。
これは、100か所の寺で観音様の鋳型をもらい、それを持ちかえって地元の寺に納め、その100観音像を拝むと100か所を回ったことと同じご利益を得ることができるというものです。

観音様の鋳型が作られたのは今から300年近く前から各地の鋳物師が競技として作ってきたといいます。

さて、この百観音の鋳型が石岡市大増の正法寺にあります。
前に十八羅漢の寺として紹介しました。

 さて、今日は少し変わった百観音を見つけましたので紹介します。
これは常陸大宮市の「百観音自然公園」です。
山の中に百体の観音様が点在しているといいます。
場所は石岡方面からいくと御前山の「道の駅かつら」を過ぎて、那珂川を渡って北上したところです。

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この階段を上った先の洞窟に数十体の観音像が置かれています。

 今日は29日、もうお役所は休みが始まっているが、今日まで仕事で、ようやく夜帰ったところ。
ブログもネタを書きためていたものをUPしている。
やはり、暮れは余裕がない。
しかし、何か来年もまだ私を必要としている人が何人かいることもわかった。
もう少し頑張らないと全部はこなしていけなくなりそうだ。
 
女房にはこれから行方まで行ってくれと頼まれるし、今年の大掃除もしなければならないし・・・。
何か毎日余裕がないのは困りものだ。  
 

城里町 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/29 19:03

那珂川

 台風が過ぎて急に涼しくなりましたが、如何ですか?
のんびり絵を描いてみるのもいいですね。

那珂川は常陸の中部を流れる大きな川だ。
この川の流域も大昔からの文明が発達していた。
その昔(1300年以上前)には粟川とも呼ばれていたという(常陸風土記より)。

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道の駅「かつら」近くの「那珂川大橋」付近の河原にて(2011年9月16日 撮影)
 

城里町 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/09/24 07:38

萬歳藤(城里)

 通りがかりに見つけた「萬歳藤」。
水戸光圀が名付けた藤も今は規模も小さくなったとのこと。

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 <現地案内板>

 元禄11年(1698年)頃は大きな藤で、一部は大木にからまり、また一部は数十坪の地面をおおい年々見事な花を咲かせていた。
 水戸藩主義公(光圀)がこの藤花を激賞し萬歳藤と命名して花宴を催したという。
天保4年(1833年)10月に列公(斉昭)も訪れ、次の詞を残している。

 西山の君の愛し給う藤の枯れ 元木より芽の出ずるを見て

 「咲く藤の花なき頃に来て見れば めぐみのもとにあるぞ楽しき」


 

城里町 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/09/25 06:33

鹿島神社(城里町)-悪路王面

 さて今日はとても変わった神社を紹介します。
知っている人は知っているが(あたり前か?)ほとんど知られていないとも思う。
城里町高久にある「鹿島神社」である。

この神社がある方面の人にはとても有名な神社なのだが、その存在を知っていてもYAHOOの地図にも載っていないためか訪れる人はほとんどいない。

何が有名かというと一つは悪路王の面があること(鹿島神宮とここだけ)と中国式の立派な彫刻を施した本殿があることです。

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入口の鳥居をくぐると少し広くなった境内を通ってまっすぐこの拝殿に進みます。

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拝殿の正面上に気味の悪い首の絵が掲げられています。
この首が悪路王の物だといわれているのです。

悪路王(あくろおう)って知っていますか?
坂上田村麻呂が征夷大将軍として、西暦802年に陸奥達谷窟で長年苦しめられていた蝦夷を退治しましたが、その時の蝦夷の首領であったアテルイ(阿弖流為)のことだといわれている人物と同一とみられています。

その後の日本史では英雄として扱われた坂上田村麻呂は、最後には500人の部下を連れて投降してきたこの蝦夷の首領アテルイとモレという二人の人物を捕まえて京の都に送りました。

歴史書では田村麻呂は捉えた彼ら殺さずに、まだ反対勢力のいる蝦夷の丸めこむのに、この二人役に立つと二人の命乞いをしたと伝わっています。
しかし、都の貴族たちは、散々苦しめられてきたこのアテルイたちへの恐れのため二人の処刑が決まり、河内国で処刑されたとなっています。
そして京の清水寺にはこのアテルイとモレ(母礼)の碑が建てられています。

しかしここに残されている悪路王の話は違います。
達谷窟で成敗した悪路王の首を都に持ち帰る途中、都まで時間もかかり持ち帰れないと、この鹿島神社に奉納したものだと伝わっています。
また実際に首のミイラが残っていたといわれています。
しかし、保存も難しいとなり、面を彫刻でおこし、その面を保存しているのです。

悪路王の面は現在鹿島神宮とこの城里町の鹿島神社の2か所にありますが、それぞれの顔が全く違っています。(こちらの記事参照
(追加:ここの鹿島神社の悪路王の面彫刻はこちらを参照ください)

さて、本当のところはどうなのでしょうか?
平将門のように恐ろしい形相の首が都から故郷へ帰ろうと空を飛び、この地に落ちたのでしょうか?

長い間坂上田村麻呂は英雄として、アテルイは蛮族の悪者として歴史書から抹殺されていたので真実はほとんどわかっていないのです。

福島県の郡山の近く三春の東側に町村合併で誕生した「田村市」はこの坂上田村麻呂の伝説が多く残されており、この名前にちなんで命名されたそうです。

平安時代に蝦夷征伐に通った道がここを通るルートだったのです。
矢祭町や棚倉を通り田村を通って陸奥へ攻め入ったのでしょう。今ではあまり考えられないルートですね。

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さて、もう一つこの神社で絵を見張るものは、この神社本殿の彫刻です。
中国式の色彩も見事な彫刻は目をみはります。

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現地の説明によれば、この本殿は廃寺となった吉祥院のもので、中国の故事が巧みに表現されたものだそうです。作者は不明で、昭和50年に日光の名工によって、塗り替えられたものだそうです。

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それにしても見事な彫刻です。
神社の本殿にこのような色彩豊かな彫刻が施されるのは珍しいのではないでしょうか?

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さて、昔このブログにも書いたことがありますが、ネットで調べて見ても悪路王といわれた名前は道が相当な悪路だったとか、悪太郎の悪のようにとても強いという意味でつけられたのだろうと書かれています。

しかし、アクト、アクタ、アクツなどのアイヌ語で川沿いの低地などに使われている言葉がもとではないかと思っています。この近くにも圷(あくつ)という地名があります。
 



城里町 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/09/26 06:25

徳蔵寺(徳蔵大師)-弘法大師の寺

 さて、笠間城の歴史に書いたのですが、笠間城が築かれる前の佐白山には正福寺という寺があり百坊といわれる僧兵がいました。
そして七会村の徳蔵寺(とくぞうじ)の三百坊といわれる僧兵と勢力争いを繰り返していたといいます。
その徳蔵寺が今回紹介する寺です。

 この徳蔵寺は弘法大師ゆかりの寺で、四国八十八霊場と強い関係がある。
このため、阿波山上神社のある「阿波山」とこの寺のある「徳蔵(とくら)」を結ぶ「阿波山-徳蔵線」とあるのでそこに何かあるかもしれないと、前に行こうとして道に迷いましたが、笠間から39号線を使うとすんなり行けました。
そして、その帰りに阿波山を目指したら、この阿波山線は途中から山の中を抜ける結構狭い道を通ります。
阿波山には見覚えのある道に出て辿りつきましたが、この道は、きっと昔ここに住み着いた人々が歩いた道なのでしょうね。
(私は基本的にカーナビは使いません)

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徳蔵寺の入口には「徳蔵大師(とくらだいし)」の石柱と「僧兵と八岐大蛇伝説の里のハイキングコース」の案内板がありました。
杉並木の参道が真っすぐにのびています。

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この参道の正面に「弘法大師霊場」と書かれた「大師堂」があり、内部には弘法大師像が安置されています。
またこの弘法大師像は県の文化財に指定されているそうです。

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狛犬と大師堂。とても姿の良いお堂です。

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この徳蔵寺は元々平安時代に弘法大師により八岐大蛇伝説の山「八瓶山」の麓に建てられたと伝えら、兵火にあい、大泳二年(1522年)に空法上人が現在の地に再建したとされています。
もともと大きな寺で300人もの僧が修行しており、笠間との縄張り争いが時々起きていたのです。

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大師堂脇に立つ六地蔵。

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大師堂の反対側のわきには「御砂踏場」と書かれた場所があり、足型の下に四国八十八個所霊場の砂を集めて埋めてあるそうです。
この砂の上に立って「南無大師遍照金剛」と唱えると八十八か所をお参りしたことになると書かれています。
もちろん私も上にのって声に出してみました。
四国も数か所回りましたが、とても八十八か所はいけないので・・・・。
しかし、お遍路さんの苦労がこんなに簡単に得られてしまうとも思われません。

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大師堂から少し下がって東側に徳蔵寺がありますが、こちらは最近「開運花の寺」として人気が出ているようです。

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こちらにも少し新しい六地蔵様があります。

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花の寺巡りはこのようなスタンプ台が置かれていて、8か所全部回ってスタンプを押したら何かプレゼントがあるようですよ。
この寺の花は「芍薬=シャクヤク」ですね。

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山深い感じで雰囲気の良いお寺でした。お近くに行かれたらお立ち寄りください。

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8か所のうち半分ほど回りましたのでまた紹介しましょう。
このような試みも行ったことのないお寺が身近に感じられてよいと思いました。
結構雰囲気の良いお寺さんばかりです。



これからは毎朝1回の更新とします。
 
  

城里町 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/09/27 06:35

壁面観世音像(城里)

 朝晩はめっきり涼しくなりましたね。

 今日は、城里町の指定文化財である「壁面観世音像=通称目つぶれ観音」を紹介します。

徳一法師が壁に一晩で彫ったと伝わっているものです。
一晩で観音像を彫ると願をかけ、一心に彫ったが、いざ開眼という時に一番鶏が鳴いてしまい、とうとう未完で終わったと伝わっています。

そのため、この地方では鶏を飼わないといいます。

茨城県は養鶏農家は非常に多く、この北の方も養鶏農家が多いところですが、この一帯は飼っていないのでしょう。

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壁面観音像のあるところは、大山寺の通りを西にそのまま進み、道路の突き当りのような場所ですが、少し入ると比較的開けた場所に出ます。
ここにお堂が建っており、観音像はお堂のすぐ裏にあります。

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正面にお堂があるので、お堂の中からでも拝むようにできているのでしょうか。
観光で見せるようにはなっていないようです。わきからのぞきこむしかないですね。

目つぶれ観音といわれているので目が開いていないようですが、はっきりと確認ができません。
この写真が精一杯ですね。

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壁面にへばりつくようにお堂が建てられています。

徳一法師は月山寺などを建てた時にこちらにも来たのではないかといわれているようです。

 

しばらく毎朝に更新する予定です。 

城里町 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/09/28 06:39

立野神社(常陸大宮)

 阿波山上神社と石船神社という二つの式内社(延喜式)を調べたのでもう少し足を延ばして常陸大宮市(旧緒川村)にある立野神社(たてのじんじゃ)というところへ行った。

案内板に従って車を走らせると「小瀬小下」というバス停の前に鎮座していた。
しかしそこにあったのは小瀬小学校ではなく、「緒川小学校」となっていた。
町村合併で小学校も統廃合がなされ、昨年、小瀬小と八里小が統合されて「緒川小」になったそうだ。

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通りのバス停のところに鳥居があり、真っ直ぐに参道が伸びている。

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創建は大同年間(806~810年)に立野山に祀られたものを当地に移されたものだという。
また、物部氏の族立野の連が御鎮斎したと伝えられているそうだ。

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本殿。わきの境内には境内社が置かれている。

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佐竹七福神の「大黒天」が置かれている。

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苔むした境内社が入口に鎮座し、かなりのウエイトを占めているようだ。

祭神は級長津彦命(ツナツヒコ) 級長戸邊命(シナトベ)で、男女一対の風の神様だという。


 
 

城里町 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/09/29 06:15

大山寺(城里町)

 さて、今日から10月です。
徳蔵寺で紹介した「開運花の寺」八か所めぐりも楽しそうなので、徳蔵寺からそのまま阿波山への道をたどり高根山大山寺に行きました。

道路標識には「阿波山-徳蔵線」と表示されているのでちゃんとした道が続いていると思ったのですが、途中から山道に入りすれ違いのできないような道が一部ありました。
これでは前に道を間違えてあきらめたのも今更ながらわかりました。
徳蔵(とくら)側からは比較的わかりやすく案内がありますが、逆からは分かれ道に案内がないので迷ってしまいました。
やはりカーナビ必要かな? 
一応は持っているのだけれど、取り外せるタイプでほとんど置きっぱなしなのです。

前に一度、2年ほど前の冬にこの寺(大山寺)を訪れたことがありますが、花の時期でなく寂しい感じだったので、今度はどんな感じになっているか楽しみにしていました。

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正面の山門とは別に花の寺らしく書院風の入口がありました。

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これは前に行った冬の時の写真ですが、この寺ではクジャクを飼っていて、時々庭を散歩しているのに出くわします。今回行った時もオリから出て逃げ回っていたようです。

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この花の庭にある東屋(あずまや)から寺の方を眺めたものです。
このお寺もいいですよね。

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山門は2つあって、手前には左右に仁王像のいる立派な山門があり、その奥に昔の山門があるのですが、
これが今回の山門です。地震後左右に補強をしたようです。

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こちらは、2年ほど前に撮ったものです。補強がありません。
この山門は平安末期の構造様式の物で、昭和40年に茅葺の物を瓦屋根にしたといいます。
また以前は15m程手前にあったといいますので、新しい山門を作る時に移動したものと思われます。

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佐竹七福神の福禄寿さんの像と厄除けの赤い旗がたくさん。ここは子供の「疳の虫(かんのむし)」除けにご利益があるそうです。

ここの花の寺は「山ぼうし」「さんしゅう」「しゃが」だといいます。
あまり聞かない花の名前ですが珍しいのでしょうか。
ここの花のスタンプはこの山ぼうしでした。5~6月頃花を咲かせ、秋には紅葉するようです。



 
 

城里町 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/10/01 06:21

江畔寺(こうはんじ)

 開運花の寺八寺の4番目である小瀬「江畔寺(こうはんじ)」を紹介しましょう。

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寺の境内には真中に樹齢約450歳くらいの大イチョウがあります。
この木は市の天然記念物となっていて、秋には黄色の葉がきれいだそうです。

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開運花の寺八寺の4番目で、花としては「つつじ」「さつき」「アヤメ」が登録されていますが、この時期ではこの白い萩の花がきれいでした。
また4月は木蓮もいいそうですよ。

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この本堂は禅寺の説法の間にも使われていて、かなり大きな作りで見ごたえがあります。

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現地の説明には「大方丈」と呼ばれ、江戸中期の建造物だそうです。

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寺への入口の左手前に山門が造られています。平成16年に造られたものだといいますが、山門自体はもう少し古そうですので、どこからか移設したのでしょうか。

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この山門をくぐった左手に裏山に登る階段があります。

上には「勝軍地蔵堂」が置かれていました。
説明書によると
「応永元年(1394年)に初祖(小瀬)義春を勝軍地蔵菩薩の化身仏と尊崇して西側山上に祭祀した江畔寺奥之院である」
となっています。
昔はこの山(愛宕山)の上に大きな鐘楼があったといいます。

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境内に再建された鐘楼。

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石段の途中から寺を見下ろすと、すぐ下の「仏殿」もいい形をしています。
これは、慶安元年の建立とされ釈迦如来が安置され、禅宗様式の佛殿として市の有形文化財だそうです。

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「弁財天」:室町時代に祭祀され、その後、時代の流れの中で風化していたものを平成十六年に再建したものという。
赤い橋が印象的だが、この橋の下には鯉が泳いでいた。




城里町 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/10/03 18:30

龍谷院

 「開運花の寺」8ヶ寺のうち「徳蔵寺」「大山寺」「江畔寺」と回りましたが、途中にもう一か所素通りしたところがありました。
寺の名前は「龍谷院」です。

地図をみて街道沿いに案内標識があったが、途中道が狭くなったりして不安を覚えながらも勘をたよりに無事到着しました。

とても良い寺で、花の寺としても穴場的なお勧め処ですね。YAHOOの地図には載っていません。

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山門が寺への石段の途中にあり、石段の両側には紫陽花の木がありました。
是非紫陽花の咲く時期に訪れて見てください。
とてもいいと思います。

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石段の途中にある山門です。更に奥に石段が続きます。このアングルはとても好きですね。
「瑞雲山」となっています。寺は曹洞宗(禅寺)で、長禄三年(西暦1459年)に大山城の佐竹義成か創建したとされます。
これは同じ花の寺高根山「大山寺」も佐竹義成の祈願所として寺を再興したので繋がりがありますね。

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石段を登るとこの寺の高さがわかります。やはりこの石段と山門はいいですね。

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境内です。ここは千手観音がまつられているそうです。写真は観音堂からお寺の方を見たところです。

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当然花の寺巡りのスタンプももらってきました。
花は紫陽花です。9月なのにこんな白紫陽花が咲いていました。(9月中旬撮影)

この龍谷院も一時は末寺が三十六ヶ寺にも及んだといいます。
そしていまでも7か所が続いているそうです。
驚いたことに石岡根小屋の「泰寧寺」がその一つだそうです。
この泰寧寺は「山県大弐の墓」があることで知られ、座禅や写経の体験が受けられます。



住所は城里町下阿野沢1509 です。

それから、近くに「白山神社」とあるので行ってみようとしましたが、山の上で車では無理なようです。
手前の「白山荘」という宿にいって引き返しました。

「開運花の寺」巡りは半分しか行けませんでしたが、残り笠間市稲田の「金剛寺」、那珂市の「文殊院」「一乗院」「弘願寺」はまたの機会にします。
   

城里町 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/10/04 18:30
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