常陸高野

昨日は「関東の清水寺」こと峰寺山西光院について紹介しました。
もう少し似たようなネーミングをしているところはないかと考えてみたのがこの「常陸高野」こと行方市の西蓮寺というところです。

 この寺は天台宗であり、高野山といえば金剛峯寺であり、真言宗ということになります。
宗派が異なるのに「高野」と呼ばれるのにはそれなりの意味があるといいます。
お寺に書かれた説明文では市の無形民俗文化財に指定されている「常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)」の行事に書かれていました。

sairenji02.jpg

ここには、「この法要が宗派に関係なく近隣、遠隔地からも新仏の供養に参拝者が訪れる」とあります。
しかし、このような「常陸高野」というネーミングも人を惹きつけますね。
この寺の歴史は古く、境内の大イチョウは1000年以上の樹齢の大木が数本あり一度訪れてみることをお勧めします。

sairenji01.jpg

花もきれいで、隣りの山では山百合祭りが毎年行われています。

さて、このように「○○高野」というと「女人高野」といわれる奈良の室生寺が有名ですが、この山里にたたずむ室生寺の美しさは他を寄せ付けないものがあります。
特にシャクナゲの咲く5月頃は多くの人が押し掛けます。清楚な五重塔とマッチして訪れた人の心を打つものがあります。この女人高野とは高野山が女人禁制であったのに対し、女性も受け入れていたことから名前がついたとされますが、もともと室生寺は奈良興福寺からわかれたといわれます。
興福寺は法相宗の本山で、昨年東京に来た「阿修羅像」が有名ですね。
徳一法師が関東から会津まで沢山のお寺を建立しましたが、現在は法相宗のままで続いているところは少ないです。
石岡にも沢山の寺があったのです。こんなものも掘り下げていくのも面白そうです。
 

玉造 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/15 20:21

梶無川と白鳥

 行方(なめがた)市の山百合まつりを見学ついでに通った国道355線が行方市「浜地区」で横切る川を「梶無川」という。
この名前のいわれはこれまた「ヤマトタケルがこの少し上流の現原の丘から、この川を小舟に乗って上るとき船の棹梶が折れてしまったため、梶無川というようになった」というのだが、恐らくこの話も違っているのだろう。
何処を見てもまともに書いてあるのだが・・・・

行方(なめがた)などという名前のいわれも解釈がたくさんある。行と書いて「なめ」と読むのは並ぶから来ているという説明もあった。石岡にも「行里川(なめりがわ)」という地名がある。
かなり昔からある地名であり、風土記などの書かれるよりだいぶ前からあるのだと思う。
やはりアイヌ語か? 常陸風土記の説明はあまり信用でききそうにない。

kajinasi01.jpg

さて、興味があったので川を覗いてみた。
驚いたことに7月だというのに白鳥の親子3羽が悠々と泳いでいたのだ。

kajinasi02.jpg

どうも、白鳥(こぶ白鳥)が霞ケ浦に住みついているらしいのだ。土浦の方にもたくさんいるとの記事も見つけた。

kajinasi03.jpg

3月頃にはいなくなるものと思っていたのだが。
人を恐れる様子もありませんね。

kajinasi04.jpg

さて、石岡から鉾田まで走っていた鹿島鉄道が廃止となってしまったが、もともと「鹿島参宮鉄道」という名前で大正末期に始まったものだが、当初この「浜」から鉾田方面と鹿島方面にわかれて線を引く計画もあったという。しかし、船便との関係で、鹿島へ行くのは「浜」地区から船に乗り換える計画に変更し、この梶無川近くに船着き場も計画されたという。

この鹿島鉄道が廃止となったのは残念でならない。電気がなくジーゼル機関車キハ系車両が使われ、マニアにはたまらないらしい。今は売却されて一部展示されているという。

船がなく、鉄道がなく、バスしか頼るものがない。病院などの施設もこの沿線に結構できたのだが、年配者や学生にとって電車という足がないのは困ったことである。

ところでこの梶無川の少し上流の現原(アラハラ)地区は新撰組の芹沢鴨の出身地でもある。
この地区にあるこの川に架かる橋の名前を「手奪橋(てうばいばし)」といい、河童の手を切った芹沢家の先祖が、河童に手を返したため、恩返しに魚を毎日届けたという話が残されています。



玉造 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/20 09:08

現原の丘(あらはらのおか)

 行方へいくと日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説の場所が多く存在しているのにあらためて驚かされました。
そこで、常陸国風土記に書かれている「行方郡」の説明に出てくる現原(あらはら)の丘といわれるところに行ってみました。

現原小学校をめざして、芹沢地区で梶無川を渡るとすぐ右に入る案内板がある。少し下ってからゴルフ場の間を抜けるように道が続いており、少し登って開けた田圃が出てくる。

arahara01.jpg

この説明にあるように常陸国風土記には、ここでヤマトタケルは輿を停めて、付近を歩きまわり、周りを見渡し、海も山も陸もその並び方が絶妙で「行細(なめくはし)」と名付けたとなっています。
しかし、風土記ではその前に玉清井の井戸の話を先に書いています。

arahara02.jpg

この碑が建っている場所は目の前が田圃ですが、背中側はゴルフ場でしょうか見渡すことができません。
本当にここからこの国が見渡せたのでしょうか。

arahara03.jpg

ここに立ってそっと風の声を聞いてみました。誰もいませんのでとても静かです。
台風が過ぎ、風が少し強く、曇っておりましたのでよくわかりませんでした。
天気の良い日にでもまた訪れることにしましょう。


 

玉造 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/07/23 06:42

三昧塚(さんまいづか)古墳

 行方市の山百合まつりに行った時に、街道沿いなのでまた立ち寄ってみました。
やはり、ここを外すわけにはいかないでしょう。

石岡には東日本で2番目に大きな舟塚山古墳があり、こちらの三昧塚古墳にはあまり関心が向かないようですが、同じ5世紀末頃の古墳で、水戸の愛宕山古墳などとも並び貴重な古墳だと言われています。

この古墳の発見は、昭和30年に築堤用の土砂採取のためにこの小山の土を削っていて、発見されたのだそうだ。
そのため、内部の装飾品や石棺、人骨などきれいな形で出土し、県の歴史館に展示されているといいます。

舟塚山の装飾品などはどこに消えてしまったのか・・・・。

sanmaizuka02.jpg

sanmaizuka04.jpg

sanmaizuka01.jpg

霞ケ浦がすぐそこに見えます。筑波山は霞んでいました。



YAHOOの地図にはあまりこのような史跡などが載っていませんね。
 
 

玉造 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/07/24 06:12

手奪橋(てうばいはし)

 現原の丘へいった時に近くだと思って梶無川に架かる橋を探してみた。
今回の地震で川の周りの道もかなり液状化の被害にあっていた。こんなところまでという気がした。

さて、この「手奪橋」は玉造の役場から梶無川にそって走る県道116号?線が2度目に梶無川を渡る橋がこの橋であった。
地元でもないのであまり走ったことは無いが、この先は倉数地区で陣屋という信号がある。
興味がわきますね。
倉数といえば塩の神社「潮宮(いたみや)神社」がありますね。とても不思議な空間です。

kappa01.jpg

橋の欄干の四隅にはそれぞれ河童の像が置かれています。

kappa02.jpg

この河童と橋の名前のいわれは下の写真の通りです。

kappa03.jpg

芹沢家の先祖ということで、この町の説明には「新選組を創った男のまち」となっていました。

kappa04.jpg

昔の説明板なのでしょう。馬のしっぽを引っ張る河童の絵がいいですね。

私はあまのじゃくですので、可愛い茶目っ気のある河童の腕を切ってしまったのは可哀そうに思いますが・・・。
河童は牛久沼が有名ですが、石岡ではあまり話は聞きません。

kappa05.jpg

それにしても変わった名前の橋ですね。
この話がないとしたら、この橋の名前はどんなことからついているのでしょうか?
昔話としてはとても興味がわきます。芹沢鴨の里として、別な観点から物を見てみたいと思いますね。


 

玉造 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/26 18:10

西蓮寺(行方)

 行方(なめかた)市にある西蓮寺(さいれんじ)に紅葉を見に行った。
ここは樹齢1000年くらいの大銀杏の木が2本あり、もう黄色くなっている頃かと思ったが、まったくまだ青々していた。
今年は紅葉は遅いようだし、山もそれ程きれいではないようだ。

前に「常陸高野」と呼ばれることや「山百合まつり」を紹介しているので、今日は写真のみをUPしておきます。

sairenji01_20111113145444.jpg

入口に立派な仁王門が建っている。
百合や桜の頃は人がたくさんやってくるようだが、今日はほとんど1人独占状態。
この門手前は桜の木がたくさんあり、咲いた時は大変きれいなのだそうだ。今度は4月にまた来よう。
入口で合掌して中へ。

sairennji02.jpg

仁王門の先には紫陽花が植えられている。
山百合まつり(7月)の頃は地元の人がこの辺りでテントを張って植木などを売っている。

sairennji03.jpg

sairennji04.jpg

中にはかなりの古木があり、幹に空いた穴から向こう側の1000年大銀杏の木を覗いてみた。

sairennji06.jpg

でもこの大銀杏は見事だ。黄葉と思ったのだが、ご覧の通りまだ青々としていた。

sairennji07.jpg

人が少ない時は落ち着いてながめられます。いいですよ。



玉造 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/11/14 06:15

ほほえみの丘(行方市)

 霞ケ浦も昔は海水浴ができたそうだ。
これは淡水の湖でなかった時のことで、文字通り海水浴だ。
調べて見ると、今から50年くらい前まで海水浴場もあったらしい。

「いしおか昭和の肖像」という写真集には石岡駅に掲げられた大きな海水浴場への案内看板が載っている。

「桃浦は7月12日より、 瀧濱へ・・・」というもので、鹿島鉄道に乗って海水浴に行くもので、瀧濱は鹿島灘にある海水浴場だが、霞ケ浦も海水浴場がたくさんあったらしい。
有名なのがこの看板にある「桃浦」で、その他その並びの天王崎も白い砂浜に松が点在し、良い風情であったという。

しかし銚子の水門で海水は入らず、淡水化した湖は水質が悪くなり、泳ぐこともできなくなりました。
いまでは泳げたことも忘れられそうです。琵琶湖も何箇所か砂浜があり泳げるらしいですね。
淡水化しても水質の浄化に取り組めば近い将来泳げるようになると思います。

先日、この霞ケ浦湖畔沿いの道を走っていたら、砂浜が広がっている場所があった。

今日紹介する「ほほえみの丘」だ。昔の景色を復活させようと作られたものらしい。

昔の霞ケ浦の風情を取り戻すために数年前から砂浜を復活させる動きがあるそうです。
しかし、波の荒い場所などは砂を入れても砂浜はすぐに流され、葦が生えて廃れたりしてなかなか昔のような景観に戻すのは大変なのだそうです。
税金の無駄使いなどとの声もきこえますが、砂浜が定着して、水がきれいになって泳げる日が来ることを願っています。

hohoemi01.jpg

場所は行方市の沖洲。小美玉市から行方市に入ってすぐのところ

hohoemi02.jpg

この場所は湾になっていて、砂の流出防止に堤防を作ったようです。

hohoemi03.jpg

この日は天気が悪くあまり良い風情ではありませんでしたが、きっと夕日がきれいに沈む場所と思います。
今度は夕日を撮りに行きたいですね。

hohoemi04.jpg

砂浜がきれいに出来ています。桃浦の海水浴場があったのはこのすぐ近くです。東側に1kmも離れていないと思います。

石岡からも比較的近いのでサイクリングなどで湖岸を走るのもよさそうですよ。
一度行ってみてください。


玉造 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/16 06:05

西蓮寺の大イチョウ(行方市)

 今日は行方市の西蓮寺にあるイチョウ(樹齢1000年の大銀杏)が見ごろと思って出かけてきました。
3週間ほど前に行った時はまだ黄葉もしていなかったので、天気も良いし出かけてみました。
駐車場に着いたらたくさんの車。
前に来た時は1~2台あったくらいでひっそりとしていたのですが、大違いです。

銀杏の前にはすでにカメラを構えた人が20人位陣取っています。
これでは木に近づいてカメラを構えたら迷惑でしょうからしょうがなく遠くから皆さんと同じようなアングルで数枚撮って引き揚げました。
私にはこのようにみんなが構えた景色を撮るのはあまり好きではないですね。
いつも人のいなところばかり撮っているので面喰ってしまいました。

今回は少し写真ブログ調にサムネル表示ですので、クリックすればさらに大きな写真が見られます。
(あまりかわらないかな?)

sairenji01.jpg

sairenji02.jpg

sairenji03.jpg

sairenji04.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

玉造 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/12/04 19:18

大場家住宅(行方市)

 無量寿寺から先日紹介した西蓮寺へ抜けようと車を走らせたら、メイン道から外れてしまい、適当にそのまま走っていくと、「大場家住宅」という立派な屋敷があり、目の前に駐車場も整備されたところに出ました。

oobake01.jpg

立派な茅葺の長者門があるが、これは普段は開けない「開かずの門」で、水戸の殿様がお泊りになる時や正月などだけしか開けないのだそうだ。

oobake05.jpg

説明は上記にある通りで、ここで詠まれたという水戸藩九代藩主「斉昭」公の歌が書かれています。

oobake02.jpg

今は車もほとんど通らない道路ですが、こちらが昔の街道だったのですね。
知らない場所で、道に迷うとこのような偶然の発見もあります。
さて、こちらにある門が通用門「薬医門」でしょう。普段はこちらから出入りしていたのですね。

oobake03.jpg

震災後家屋の修理などもあり、内部の一般公開を中止していたようですが、10月から日曜日だけ公開しているそうです。私が行ったのは土曜日でしたので閉まっていました。

oobake04.jpg

それにしても立派なお屋敷ですね。水戸街道の稲吉宿には「木村家住宅」がやはり残っていて、見学もできるようですが、こちらのお屋敷の方が立派ですね。



にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

玉造 | コメント(10) | トラックバック(0) | 2011/12/08 07:48

玉造素鷲神社(行方市)

 旧出島の柏崎にある素鷲神社と旧玉里の素鷲神社を見比べて紹介してきましたが、もう2箇所素鷲(そが)神社があるので、こちらも紹介しようと思い立って出かけてきました。

残りの2箇所は旧小川町(小美玉市)と旧玉造町(行方市)の素鷲神社です。
小川の神社は比較的有名で知られていますので、まずは玉造の方から紹介します。

玉造素鷲01

旧玉造町は行方(なめがた)市になりましたが、この玉造の地名は出雲の玉造ときっと同じなんだろうと思っています。
この近くにはヤマトタケルの伝説も多いし、三種の神器である「勾玉」も採れたのではないかと思います。

この素鷲(すが)神社は浜という地区の355号線よりも湖面側にあります。
昔はこの鳥居あたりまで水が来ていたのかもしれません。

玉造素鷲02

この神社の前の通り(旧道)の反対側には海産物加工の工場があります。
一の鳥居からこちらが二の鳥居です。
神社はこの階段を上った山の上にありますが、現在の県道355号線はこの神社の裏側の高いところを走っています。

玉造素鷲03

なかなか古そうないわれの有りそうな神社ですが、説明の書かれたものはありません。

玉造素鷲04

階段を上り、拝殿の裏に回って本殿から眺めた様子です。

この神社のある位置は山の頂ではなく、頂の少し下に開けた場所に建てられているようです。
土塁で囲まれたような感じです。

玉造素鷲06

そして、この本殿の広場より隣の小山に登ってみると、大きな古い木の麓に祠がおかれ、小さな奥の院のようなものでしょうか。
こういうところに信仰がつながってきているのでしょう。

この山からはきっと霞ヶ浦がすぐ下に見おろせたのでしょう。

玉造素鷲05

ところで、素鷲神社は基本的にはスサノオ命をお祭りしていると思います。
八坂神社や天王社などと似ていますが、歴史がふるそうに思います。

スサノオは大国主の先祖で、出雲の国を治めた訳ですから、この辺にも出雲信仰がつながっているのでしょうか。
出雲にも玉造という温泉地で有名な場所があります。
やはり勾玉がとれた場所で、多くの古墳があるようです。なにかつながりがありそうな気がしています。

明日は旧小川町にある素鷲神社を紹介します。



にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

玉造 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/05/30 19:33
 | HOME | Next »