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トイレの神様

 「トイレの神様」なんてタイトルだとやはり、植村花菜の長い歌を想像しますよね。
でも今日はトイレに飾る神様(仏様)といわれている「烏枢沙摩(うすさま)明王」のお話です。

先日銚子に行ったときに、久しぶりに飯沼観音にお参りしてきました。

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ここも銚子の中心部で、江戸時代には上野国高崎藩の飯沼陣屋があった。
この飯沼観音も坂東三十三観音の第27番札所で、その前の26番は土浦市の小町の里に近い「清滝寺」です。

銚子の観音様といえばこの飯沼観音で本尊の十一面観音像は秘仏です。
普通は前立の観音像をお参りします。
さて、それはさておき トイレのお話です。

この飯沼観音の境内にトイレがあるのですが、古いためあまりきれいなものとはいえませんでした。

1945年にこの銚子も空襲を受けました。
そして、の寺も多くの建物(多宝塔、観音堂、鐘楼、太子堂など)が焼けてしまいました。

戦後復興整備が進み、平成21年(2009年)に五重塔が建てられました。

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そしてその後いくつかの建物が建てられたのですが、その中に「烏枢沙摩(うすさま)明王堂」という建物があります。

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まあ、これがトイレなのです。内部はよく掃除が行き届いていてとてもきれいです。

そして、ここに入った真正面に「烏枢沙摩(うすさま)明王」のお札がおかれています。(有料)
あまりきれいだし、御札の所にお金入れが置かれているので、有料トイレと思われそうですが、有料とはかかれていません。

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トイレはウォシュレットです。 
まあきれいで申し訳ないように思いますので、お気持ちを料金箱に入れてもよいのでしょう。
海外の公園のトイレなどは有料トイレも多いので、日本もこれからは清掃する人のことを考えて有料化も進んでいくように思います。

さてこの「烏枢沙摩(うすさま)明王」というのは密教の伝来に関係しているように思いますが、不浄なものを焼き尽くす神様といわれています。

この像が有名なところは、加賀百二十万石といわれた、福井県前田家の菩提寺でもある高岡市にある「瑞龍寺(ずいりゅうじ)」です。
加賀藩前田家2代目当主の前田利長(前田利家の嫡男)が何も無かった高岡の町を整備し、工業の発展に努め、前田家菩提寺である金沢の法円寺を高岡の地にももって来て、高岡での前田家の菩提寺にしていたのを、利長が死去したため、3代目の利常が、利長の菩提を弔うために寺を整備して、「瑞龍寺」と名称を変えたものです。

ここに有名な烏枢沙摩(鳥芻沙摩)明王像があるのです。
制作されたのは鎌倉時代といわれている像で、元は寺のトイレに置かれていたといいます。

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お寺まわりなどをしているとトイレにこの「烏枢沙摩明王」が書かれた説明などもたまに見かけます。
ただ今回トイレの神様としてこの明王を載せた、調べてみると、この明王は「穢積金剛」と同じだとの記述を見たからです。

穢積金剛(えしゃくこんごう)については、水戸にある「祇園寺」に「穢積金剛堂」があり、昔このお堂を見に出かけたことがあります。

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また、このお堂とそっくりなお堂が、茨城町の「慈雲寺」にあります。
このお堂の名前は「穢跡(えしゃく)金剛堂」です。慈雲寺は6号国道の涸沼川のところに架かる橋の手前「奥谷」の信号を西に入ったところにあります。

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こちらは「穢跡(えしゃく)」となっていますが、同じ金剛のようです。

いずれも汚れを取り除く神様(仏様)です。

「穢=え」という漢字も日本ではあまり使われません。

江戸時代の身分制度「士農工商」の下の位や部落問題などに使われた「エタ・非人」などという言葉の「エタ」は「穢多」と書き、汚れが多いという意味になります。









神話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/05/23 07:22

少彦名とコロボックル

 日本神話に登場する少彦名(すくなひこな)という神様がいる。
前から不思議思っているのだが、いったい何者だろうかと・・・・

大国主がこの日本の国造りをしていたとき、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って海から(波の間から)やってきた。

この船がガガイモの実が半分われて綿毛が飛んで残ったさやの船だといわれている。
こんな船に乗っているのだから当然小人だ。

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そして言葉が通じないので異国からやってきた人物で小人と言えばどこから来たのか・・・などと考えてもわからない。

大国主と国造りを一緒に手伝って、一区切りついたところで稲穂によじ登ってその穂の弾力ではじけ飛んで「常世の国」へ行った。

温泉や、薬の知識があるのでヤマトの人々より文明の進んだ異国人かとも思うが。いかんせんよくわからない。

常世の国というのも一般には元いた世界に戻ったと解釈されているが、常陸国の那珂川あたりにやってきたのではないかと、私は考えたりしている。

少彦名は那珂川の入り口両端にある大洗磯前(いそさき)神社と酒列磯前(さかつらいそさき)神社に祀られているし、少し上流の粟地方にある「阿波山上神社」にはここに少彦名が空から降りてきたとの話が伝わってもいる。

まあ少彦名は小人なので一寸法師のモデルなどとも言われる。

さて、今日はこの少彦名と、北海道のアイヌに残るコロボックルの話が少しダブってきたので考えてみた。

アイヌのコロボックルの話は少しメルヘン調に話が脚色されて、本当の小人でどこかかわいらしいイメージができてしまっているが、実際の話はそんなに小さな小人ではない。

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(絵は講談社「コロボックル物語」特設ページより借用)

竪穴の住居にすんで、ふきの葉の屋根の下に住んでいたりする。
そしてあまり姿を見せないが、話では手の甲に刺青をしているというのもある。

この素早い動きをして、竪穴住居にすんでいるのは昔この霞ケ浦周辺に住んでいたという「佐伯」「土蜘蛛」などと言われた原住民(縄文人)によく似ている。

また刺青をしているというのは、武内宿禰(たけしうちのすくね)が東国を見て回り、都に戻って、日高見国を征服するように景行天皇に進言しますが、その時に、ここに住んでいる原住民は身体に刺青をしていると話している。

元々住んでいた縄文人がコロボックルであったのなら、アイヌは縄文人の子孫ではないのか?
いろいろ疑問が残りますね。

こんなことを考えていたら、すでにいろいろな案が出ているみたいです。

コロボックルを書いた「佐藤さとる」さんの「だれも知らない小さな国」の中で、この少彦名とコロボックルが同じ種族ではないかとの話も書かれているらしい。

「う~ん・・・」

私は昨日あたりから、ちょっと思い浮かんだだけなのだけれど・・・・




まあ「小人」という共通点があるので無理やり結び付けようとしたのがそもそも無理があるかもしれないですね。




神話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/05/26 16:54

気吹戸主

 「気吹戸主(いぶきとぬし)」という神様を御存知ですか?

私は、東国三社の一つと言われている茨城県神栖市にある「息栖(いきす)神社」で、松尾芭蕉が詠んだ句で知りました。
あまり祀られている神社は少ないようです。

   この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し  (芭蕉 : 鹿島紀行)

実は3日ほど前に「トイレの神様」である「烏枢沙摩(うすさま)明王」の紹介をしました。
そこでこの神様を思い出したのです。
少し考えたことでも残しておきたいと思います。

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(日本三霊水「忍潮井」)

「気吹戸主」というのは、この気吹=いぶき という言葉からも大体想像がつきますが、穢い(きたない)ものに息を吹きかけてきれいにしてしまうような力があるのだそうです。

神話の話では、イザナギの尊(伊邪那岐命、伊弉諾神)の尊が、黄泉の国(よみのくに)(死の国)から逃げ帰ってきたときに、筑紫日向の橋の小門(おど)で、身体を洗い、穢れ(よごれ)を洗い流しますが、この流れの中から生まれたのがこの神様だといいます。

そして住んでいるのは「根の国・底の国」です。
この国がどこにあるのかいろいろな説がありますが、私は海底にあるような気がします。

何故なら、大昔、汚いものを川に流して清めていたようです。
今、神社でのお浄めと言ってお祓いをしてもらうことがありますが、このお祓い「祓え給い、清め給え」の神様は全部で4柱あって、この「気吹戸主」もその中の1柱です。

このお浄めの行事が祭などの神事で、神輿を川や海に入って清めるなどという行事につながっています。

まあ、川に流せば海に流れていきますね。
そして何事もなかったようにきれいになる???

原発の汚染水だって、大昔の考えならとっくに海に流していそうなものです。
でもこんなことは許されませんね。

気吹戸主がいくらきれいにしようと息を吹きかけても、こんなに汚染してしまってはどうしようもないでしょう。
原発事故はこの神様をも超えてしまっていると思うと、確かに恐ろしいですね。

さて、息栖神社の祭神はこの気吹戸主ではなく、現在「岐神(くなどのかみ)」(久那戸神ともかく)を祀っています。

「岐(くなど)」というのは道案内の猿田彦などと同じような神様です。
道の分かれ道に立つ道祖神でもあります。

大和朝廷が東国に進出してきたときに、鹿島の大神(鹿島神宮)と舵を取るとされる「香取神宮」との間をさらに進むために、中間の中州の中にこの息栖神社を置いたものと理解していますが、『日本三代実録』(平安時代に書かれた歴史書)では「於岐都説神」と書かれていて、「於岐都説=おきす(せ)=沖洲」がその語源だといわれます。

でも私がこの息栖神社の元宮である「蚕霊神社」を訪れて分かったことは、この元宮が常陸国の三大養蚕神社とも言われることです。
江戸時代の滝沢馬琴もいろいろ調べていたようですが、わからなかったのかもしれません。

この三社の残りは筑波にある「蚕影神社」と日立市にある「蚕養神社」ですが、この常陸の神社は息栖神社「於岐都説」から分霊されたものだといわれています。

何故この神社が蚕の神社になっていったのかはよくわかりません。
でも面白そうですよね。
金色姫伝説などともどこで結びつくのでしょうか?

兵庫県養父郡の上垣守国(うえがきもりくに)が享和2年(1802)に著した養蚕全般に亘る教書である「養蚕秘録3巻」をあらわしています。 これがヨーロッパなどでも翻訳されて絹の製法が世界に広まったようです。

この金色姫伝説はこちらの書物にも出てくるようですが、これは福島県なのか?茨城県なのか?・・・・


神話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/05/27 15:36

一寸法師

 さて、神話がらみで「少彦名」(スクナヒコナ)とコロボックルの話が結びつかないかを考えていた。

でも小人といえば「一寸法師」がいると・・・・

スクナヒコナは大地の神「大国主」が大男のイメージなのに対し、スク(少)=小さい ヒコ(彦)=男をそのまま名前ににしたものだが、穀物の神(五穀豊穣)などとも言われます。

スクナヒコナのイメージが室町時代頃になって、一寸法師の話に生まれて変わったということも考えられるので、この一寸法師についても少しだけ調べてみました。

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昔子供に読んであげた童話の一寸法師の話は、

「私は、都にいって、立派な人になりたいと思います。・・・・・・・・・・・・」

とおばあさんに言って、針をもらい、それを身に着けて刀にし、お椀の舟に乗って、箸を櫂(かいにして漕ぎながら川を下って都に行きますね。

この「都にいって、立派な人になりたいと思います。」のセリフは、当時幼かった私の娘が絵本を読んで、よく口にしていました。
(まあこの娘も 今では立派な2児の母親です)

さて、この一寸法師の話は「御伽草子(おとぎぞうし)」に出てくる話で、昔からあまり変わっていないのかと思っていいました。
しかし、御伽草子の原文を調べてみると、結構違いがあります。

原文は下の方にのせておきますが、大きな違いは

おじいさんおばあさんに子供がいないため、住吉神社にお参りして子供を授かるところまでは同じですが、

いつまでも大きくならない一寸法師におじいさん・おばあさんは

「これは化け物だ。なんでこんな化け物を住吉さんからたまわってしまったのだろうか?
ああ、不憫で情けない。いっそこの子をどこぞにやってしまおうか?」

などと考えているのです。

そしてそれを察した一寸法師は、家にいることができず、自ら都に行くことをおばあさんに告げて、針、お椀・お箸 をもらって、住み慣れた難波(住吉の港)から京へ舟でいくのです。

さてさて、最も大きな違いがあるのが、京に上った一寸法師が、三条の宰相殿のところでお世話になっているときに、この家の十三になる娘に恋をしてしまいます。
そこで、悪巧みともいえる一計を案じるのです。

眠っている姫の口元に、自分が大事にしているお米(神様に供える)の数つぶをそっと塗っておきました。
そして、私の大事なお米を姫が食べたと宰相に訴え出るのです。  ⇒ 「 一寸法師って結構ずるがしこいですよね! 」

これで家を追い出されることになった姫に一寸法師はついて二人旅が始まります。

舟に乗ってやってきたのが見知らぬ島。ここで鬼が出てきて一寸法師を口に入れると、目から出てくるのです。
今読まれている話では、おなかの中を針でつつくのですが、こちらは口から入ると目から出てくるのを繰り返します。

そしてこれにまいった鬼が打ち出の小づちを置いて逃げます。

一寸法師はこの打ち出の小づちに3つのお願いをします。

1) 大きくな~れ。・・・一寸法師は立派な若者になります。

2) (おなかがすいていたので)飯よ出でよ。・・・ 美味しそうな料理がでてきます。

3) 黄金・銀 をたくさん出します。 ・・・金持ちになります。

  ⇒ ちょっと欲が深そうにも思いますね。 
花咲爺さんや、こぶとり爺さん、また舌切り雀などはみな正直者で欲がない爺さんばあさんが主人公ですね。

時代で結構話は変わりそうですね。

室町時代頃には、正義や、親孝行、親への道徳心などはあまりなかったのでしょうか?

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神話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/05/29 07:53
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