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笠間六体仏を求めて・・・

 今日は花冷えというよりは真冬に戻ったような寒い日となりました。
満開となった桜が散ってしまうか、それとも持ちこたえて週末頃まで楽しめるかといったところでしょうか。

今年は桜見物も程々にあまり出かけませんでしたが、4月8日のお釈迦様の誕生日はいろいろ行事がありますね。
近くでは国分寺で甘茶祭り(花祭り)が開かれ、縁日も出て賑やかで、丁度桜も満開でした。

しかし、この日しか見ることの出来ない文化財の仏像が全国に結構あります。
その中でも茨城にもすばらしい仏像があることを知り、昼過ぎから急いで笠間へ行ってきました。

お目当ては、弥勒教会(みろくきょうかい:石寺)、楞厳寺(りょうごんじ:片庭)、岩谷寺(いわやじ:来栖)の3箇所です。
3箇所ともに笠間氏初代の笠間時朝が像立したとされる笠間六体仏の現存する3体の仏像(国の重要文化財)が安置されています。

この仏像は秘仏で、3箇所ともに4月8日の日と、笠間市の秋の文化財公開日(隔年の10月末頃)に行われています。
この公開日は以前は毎年行われていたのですが、去年から隔年(2年に1度)となり、去年は実施されず、今年(2019年)は実施予定となっています。

最近はブログを書くペースが極端に遅くなってきてしまいました。
このため、記事のUPも少し間隔が開いてしまいますが、幾つかに分けて、ひとつひとつのんびりとUPしていきたいと思います。

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楞厳寺から岩谷寺へ向かう途中の岡の上を走る道路から左右に連なる山並みが見えました。(西北側)
これは楞厳寺(りょうごんじ)の山名である「仏頂山」に連なる山並みです。

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車は、こんな高台を走りました。

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東南側も山並みが連なっています。

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のどかですね。

今回は3箇所ともにはじめて訪れる場所であり、少し分かりにくい山の方や田んぼ道のような中にあるために、カーナビに頼ることになりました。
カーナビで行くと、まわりの地形や位置関係があまりよくわからなくなります。
こうしてブログを書くに当たってやはり全体を掌握しておかないといけないように思います。
3箇所を地図に書き記しておきます。

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こうしてみると3箇所は時朝の城「笠間城」を取り巻くようにあるんですね。

次回から3箇所を順に紹介します。(のんびりと)

 
          関連記事 その一 : 笠間六体仏を求めて・・・(今回)
          関連記事 その二 : 弥陀教会
          関連記事 その三 : 楞厳寺
          関連記事 その四 : 岩谷寺

茨城の仏像 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/04/10 11:14

笠間六体仏を求めて・・・(その二)弥陀教会

 4月8日のお釈迦様の誕生日に笠間のお寺で笠間時朝が造立したといわれる六体の仏像(六体仏)が公開されると知って出かけました。
記事のUPがなかなかできていなくて遅くなってしまいましたが、今回最初の一つをUPします。
 
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先日NHKの水戸放送局の番組でもこの仏像(3体)を取り上げていました。先を越されてしまいました。

私は今までこの笠間氏初代の笠間時朝の名前は知っていましたが、あまり理解してこなかったように思います。
この茨城の地方でこのように仏像などに熱心で、文化的な雰囲気を持った人物はあまりいないかも知れません。

仏像についてはここ1~2年少し調べ始めたりしていますが、この笠間時朝を有名にしているのは、京都三十三間堂の千躰(実際は1001体)の千手観音像(国宝)のうちの2躰の仏像が、この笠間時朝の寄進によることがわかっており、この寄進者の名前が分かっているのはこの2体だけといわれていることでしょう。

千躰の仏像の製作者は京の都の彫刻師集団である運慶・快慶などの慶派の仏師や院派、円派などの仏師が協力して制作した仏像ということが重要なこととされています。

流派が違えばあまりこのように一緒に作業することはないのですが、一致協力して短期間に千躰の千手観音像を制作したのはきっと画期的だったのだと思います。

最初に作られた平安時代の像は、現在124体しか残されておらず、残りが鎌倉時代に再興されたものですが、これが運慶・快慶などの作になるのです。

鎌倉時代に笠間の佐白山には正福寺という大きな寺があり、100坊もの僧侶軍団が住んでいました。

そして、この少し北の七会村には300坊もの僧侶がいる徳蔵寺という寺との間で勢力争いが続いており、この両者の争いに和って入ったのがこの笠間時朝だということを以前調べて知っている程度でした。

笠間時朝は宇都宮氏の養子(元は塩谷氏)に入った人物で、宇都宮氏が藤原氏の出身ですから藤原時朝と名乗っていました。
笠間に入って、この佐白山に山城を築き、笠間城の主となり、18代続く笠間氏の初代となった人物です。

でもこの人物は歌を詠み、仏像を像立し、鎌倉御家人としてもかなりの出世を遂げています。
鎌倉幕府の公式行事の20回以上に名前が書かれています。

鹿島神宮にも参拝しており、その時に詠んだ句が息栖神社に句碑があります。

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(神栖市にある息栖神社境内におかれた句碑脇の説明看板)

またこの時朝は身長が178cmほどあったと言われ、当時としてはかなり大柄な体格だっと思われます。
この時朝が1247年に自分の体格にあわせたような仏像を6体像立させて、笠間の寺に1体ずつ奉納したとされています。

ただし、6体のうち現在残されているのは3体(弥勒教会、楞厳寺、岩谷寺)のみで、残りの3体は「阿弥陀院の地蔵菩薩、花蔵院の毘沙門天、蓮台寺の不動明王」だといわれていますが、現存していません。

ではその1体目は、まず、弥勒教会(みろくきょうかい)の弥勒堂(みろくどう)に安置されている「弥勒仏立像」です。

笠間市石寺という場所にあり、ここには元は石寺といわれるお寺があったようです。記録では、ここには馬頭院石城寺という寺があり、この寺の本尊として祀られた仏像です。
この弥勒教会というのは、キリスト教の教会ではなく、この仏像を保存するために地元の人々が結成した宗教法人(真言宗)名です。

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山間を車で走り、石寺のバス停より西に入って、少し開けた民家や田んぼが・畑が広がる道に入っていきます。
そして、このお堂のある所に石の門柱が立っており、そこを車1台がやっと通れるほどの道(参道)を数十メートル進んだ所に白山神社という古びた神社へ出ます。手前や脇に車は数台は置けます。

そこから少し上のほうにこのコンクリ-トで出来たお堂(仏像収納庫)があります。

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4月8日のこの日はこのお堂の管理をしてくださっている村の方達数名がお堂の前に集まっておられました。
私が訪れたのは午後少したったころで、他に参拝客はおりませんでした。
堂内にはこの大きな弥勒仏がどっしりと安置されていました。

そして「撮影禁止」の立て看板、張り紙が置かれていました。

そしてお釈迦様の誕生日ですから入口横には小さな釈迦誕生仏がおかれ、甘茶をかける様におかれていました。

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一人でしばらく拝んでいると、地元のおばあさんたちが3人ほどやってきました。
そして毎年来ていると話されていました。
足元が少し危ないお年よりもおられましたが、こうして歩いてお参りを続ければ、きっと元気で長生きできることでしょう。

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お堂のすぐ下にある白山神社です。
これも神仏分離の名残なのでしょうか。

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下の写真は神社をお堂のある上から眺めたものです。

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仏像は江戸時代には運慶作とされて登録していたようです。
江戸中期の1750年に社寺役所に提出された「境内差出帳」には 名称が「弥勒菩薩」となっていて、作者も運慶となっていました。しかし今では年代から運慶の作ではなく、像も弥勒「菩薩」ではなく、弥勒「如来」像とされています。
文化財の登録も「弥勒仏」となっています。
この像も笠間時朝が鎌倉で、同じ慶派の仏師に依頼して制作されたものかもしれません。

堂内は撮影禁止となっていたので、仏像の写真はほかよりお借りしています。

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説明は笠間市の文化財紹介のパンフレットから

国指定重要文化財「木造弥勒仏立像」
製作:法治元年(1247)
像高:175.2㎝
光背高:194㎝
台座高:44㎝
指定:大正9年8月16日

 本像は、ヒノキ材の寄木造であり、漆箔が施され、玉眼嵌入です。
螺髪(らほつ)は各粒を大きめにつくり、その各々には旋毛(せんもう)を彫出しています。
肉髻(にっけい)は低くて地髪の鉢が張り、その髪際はゆるい波形となっています。
衲衣(のうえ)の衣紋は複雑であり、この時代に流行した中国宋朝の様式と鎌倉彫刻の様式が確立された 13世紀中ごろの一典型をあらわす作品であると考えられます。
光背は二重円光で頭光心(ずこうしん)八葉、台座は蓮肉(れんにく)一材で蓮弁は打付け、敷茄子(しきなす)は二枚矧(にまいはぎ)であり、光背、台座ともに造立当時のものであると考えられます。
 像内墨書銘により、造立の願主として笠間時朝の名前がみられます。
また、右足枘(ほぞ)内側には「□時朝同身(之)弥勒」とみられることから、時朝と同じ背丈であることがわかります。

では次に笠間市方庭にある楞厳寺(りょうごんじ)へ向かいます。

茨城の仏像 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/04/14 11:27

笠間六体仏を求めて・・・(その三)楞厳寺

 笠間の六体仏の2寺目は、笠間市方庭地区にある臨済宗の禅寺「楞厳寺」です。 
          関連記事 その一 : 笠間六体仏を求めて・・・
          関連記事 その二 : 弥陀教会
          関連記事 その三 : 楞厳寺(今回)
          関連記事 その四 : 岩谷寺

楞厳寺は「りょうごんじ」と読みます。各地に同じな前の寺が結構多いので名前の由来を調べてみました。

楞厳(りょうごん)とはサンスクリット語の「シューランガマ」の読みを漢字に当てはめた「首楞厳」からきており、大乗仏教の初期の経典の中の「仏説首楞厳三昧経」から取られた名前だそうです。

首楞厳の意味は「勇者の前進」「英雄的な行進」ということになり、仏教ではあらゆる汚染・煩悩を打ち砕く勇猛な仏陀のことを示すとされるようです。
勇者の行進などといえばポピュラーソングの「聖者の行進=When The Saints Go Marching In」などと言葉のニュアンスは似ていますね。

「首楞厳三昧」は、菩薩がこの三昧にはいると、三毒の煩悩が消滅するほどの功徳をもった三昧となることを意味するといわれます。

菩薩はまだ修行の身であり、仏の悟りを追及して修行している身をいいます。悟りを開けば菩薩は「如来」になります。

前回紹介した「弥陀教会」の弥勒仏(みろくぶつ)は昔は「弥勒菩薩」として表記されていたのですが、仏像を調べていて、これは「弥勒如来」として造られたものであることが判明したのだそうです。

さて、今回の楞厳寺(りょうごんじ)は平安時代頃に宋の僧・千岩が開いたとされる律宗の寺だったようで、鎌倉時代になって廃れてしまい、これを笠間時朝が再興してそれから笠間氏の氏寺となったようです。
18代にわたる笠間氏累代の墓が残されています。

律宗から現在の臨済宗に変ったのは、室町時代です。

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寺の入口近くに来ると周りが畑や田んぼで、寺へ入る入口にポツンとこの山門が建っています。
この茅葺の門は室町時代中期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

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禅宗様式の四脚門です。

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山門から進むと寺の入口に駐車場があります。
寺へはそこから急な石段を上りますが、足元にはかわいらしい石像も置かれています。

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入口石段を少し息を切らせて登ると、入口門があり、その先に寺の大きな禅寺様式の方丈?が正面に迫ってきます。

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境内は少し苔むしたところと、明るい境内には桜の木や白い花の咲く木(こぶし?)もあります。

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正面の大きなお堂に向かって左手の奥に小さな古びたお堂があります。
恐らくここが観音堂でしょうか。現在こちらには仏像は置かれていないのでしょう。

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観音像への矢印案内があり、その矢印の先に国の重要運家財に指定されている観音像を保管するコンクリートの保管庫が置かれています。

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4月8日のこの日は、この保管庫(宝物館)の扉が開けられ、手前に釈迦の誕生仏がおかれていました。
甘茶をかけて、この観音像を拝みました。

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手が40本の「千手観音菩薩立像」です。 像の銘より1252年の鎌倉時代に制作されたことが判明しています。
像高:193.9cm
ヒノキ材の寄木造 漆箔・玉眼です。

頭上に十一面の化仏を戴き、両手、宝鉢手(ほうはつしゅ)などあわせて、手の数は四十臂です。

光背は失われていますが、こちらの像も慶派の仏師による像と考えられます。

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観音像の左右に「毘沙門天」と「不動明王」とみられる像がおかれていました。
詳細は分かりません。

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ここも撮影は禁止です。像の写真は公開されているサイトからお借りしました。

次回は岩谷寺を紹介します。

茨城の仏像 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2019/04/16 11:36

笠間六体仏を求めて・・・(その四)岩谷寺

 笠間の六体仏の3寺目は、笠間市来栖地区にある真言宗の寺「岩谷寺(いわやじ)」です。  
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ここには2体の国の重要文化財に指定されている仏像が安置されています。
その1体が笠間時朝が寄進した薬師如来立像です。

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笠間市来栖のこの岩谷寺(いわやじ)も少し奥まった地区にあり、車で向かうにも少し狭い道路を走ります。
まわりは田園地帯の奥の山間と言った場所です。
寺の入り口はこのようなのどかな景色が広がります。

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真言宗智山派 岩谷寺 山門

この寺に残る最古の建造物のようで、江戸時代の1769年に建てられたものです。
寺の本堂などの建物(江戸時代の最盛期には14の堂宇があった)は1828年と1883年の火災で焼失してしまいました。

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山門の右側に置かれている石標には「平城天皇勅願所」と彫られています。

寺の境内には寺の由緒が書かれた大きな岩が置かれています。

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「岩谷寺」
 平安時代の初め、平城天皇の勅願寺として秀悦(しゅうえつ)阿闍梨が 佐白山のふもとに開山したと伝えられている。
その後笠間城築城の時、正福寺とともに廃されたが、鎌倉時代の初期、忠圓阿闍梨によって今の地に再興された。
江戸時代には寺領三十石を賜わり、堂塔が立ち並んでいたが、その後再度の火災にあいもとの建物は山門だけとなった。
本尊薬師如来像は、平安末か鎌倉初期の作といわれ、薬師如来立像は建長五年(1253年)初代笠間城主笠間時朝が寄進したもので 坐像と共にすぐれた彫刻である (笠間市)


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門を入ると正面奥に寺の本堂がありますが、左手の少し離れたところに「薬師堂」があります。

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ここにも薬師堂の入り口に釈迦誕生仏が置かれていました。
薬師堂の堂内に置かれていた本尊などの仏像は、この裏手にあるコンクリート製の保管庫に安置されています。

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古木の根元などには古びた石造が置かれていましたが、壊れたものも多くありました。
廃仏稀釈の影響もありそうです。

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保管庫は普段は扉が閉じていますが、このお釈迦様の誕生日4月8日と笠間市の文化財公開日(隔年秋の2日間)に扉が開かれて、内部にも入ることができます。
仏像の裏側にも廻れます。

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ここには2体の国の重要文化財の薬師如来像が安置されています。
1体は鎌倉時代の造られた立像で、笠間時朝が寄進したものです。

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もう一体は坐像で、寺の本草とされる仏像で、製作年代はもう少し古く、平安時代末期頃と言われています。

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2体の薬師如来像のまわりには眷属である十二神将像(像高:60.8~71.0cm)が如来像を守護するように配置されています。
この像の表情もなかなか面白いです。

このお寺も「撮影をご遠慮ください」との張り紙がありました。
ただ文化財公開時などのパンフレットなどには写真も載せられており、完全な秘仏扱いとはなっていないようです。
NHKのテレビなどでも公開されていました。

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薬師如来立像【重文】(鎌倉時代1253年制作 ヒノキ材の寄木造 漆箔・玉眼、白毫水晶嵌入)〈像高185cm〉

本像の頭には螺髪が彫られ、額には白毫をつけ、衲衣(のうえ)の上に袈裟を懸けています。
左手の掌には薬壺(やっこ)が載せられており、薬師如来像です。


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薬師如来坐像【重文】(平安末期 ヒノキの割矧(わりは)ぎ造)〈像高84.3cm〉

こちらは笠間時朝の六体仏ではありませんが、国の重要文化財に指定されています。

螺髪は通常埋め込まれた物が多いようですが、この像は直接彫り出して造られています。
表情がやさしく全体的にかわいらしい感じを受ける像です。

茨城の仏像 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/04/17 07:02
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