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水雲問答(1) はじめに

 江戸時代の後期に平戸藩主であった松浦清(まつらきよし)公が隠居後松浦静山(まつらせいざん)と号し、20年間休むことなく書き連ねた随筆(ブログ)がある。
「甲子夜話(かっしやわ)」と題されるその記事の数は実に7000ほどにもなるという。
それを話の語り手の題材としてひも解き、フェースブックに投稿してくれているfbfの労力に啓発され、それを本FC2ブログの裏メニューとして、記事を転載させていただいている。

 「甲子夜話のお稽古」 ⇒ こちら

その中で、「水雲問答」という記事がなかなか面白い。今の政治にも見落とされている点が多く書かれている。
(まだブログやFBには投稿されていません。今は自分の参考までにまとめて見ました)

  雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
  水:墨水漁翁・林 述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖

 まだ若き上州安中の藩主である板倉綽山(雲)は、若いながら学識も豊かで、勉強熱心な学者風の藩主であった。
その板倉綽山(雲)が師と仰いで意見を求めたのが、林述斎(水)で、江戸幕府の大学頭に抜擢され、その後の江戸末期に活躍する多くの賢人を育てる礎を築いた儒学者である。
年齢は師・林述斎(水)の方が17歳ほど上だ。また、この問答やりとり書簡に興味を持ったのが、松浦静山公で、年は林述斎よりさらに8歳ほど上である。

安中藩主の雲:板倉綽山はなかなか学問に熱心で優秀な若い藩主であったようですが、残念な事に35歳くらいで早死にしています。そのため、この問答も最終的には未完となってしまいました。

一方の水:林述斎はこの甲子夜話にはたびたび「林いわく」などとして登場する幕府の大学頭です。静山公とはかなり頻繁に親しくしていたようです。

これから、この水雲問答を筆者の拙い訳を加えて紹介していきます。
内容的には同じようなことが所々に出てきますので、全部を終えてから整理できれば手を加えたいと思います。


水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/08 15:00

水雲問答(2) 経国の術と権略

水雲問答の2回目です。

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

今回からは甲子夜話の本の抜粋を友達からお送りいただいたので、その記述の順に書いていこうと思います。

甲子夜話 巻39 <1>

 安中侯板倉伊与守は年少傑出の資なりき。勤学も頗(すこぶ)る刻苦せしが、不幸にして疾を得て早世しぬ。頃(このごろ)その遺せる一冊を獲て懐旧に堪(たへ)ず、且一時の問答と雖ども実学の工夫を助くべし。因て予が『叢薈冊子』の中に攙入(ざんにゅう)す。白雲山人は侯の匿名なり。墨水漁翁は林子の匿名。

安中藩主の雲:板倉綽山はなかなか学問に熱心で優秀な若い藩主であったようです。しかし35歳くらいで早死にしています。
一方の水:林述斎はこの甲子夜話にはたびたび「林いわく」などとして登場する幕府の大学頭です。

水雲問答2

水雲問答(2) 経国の術と権略

雲:
 経国の術は、権略も時として無くばかなはざることに存候。余り純粋に過ぎ候ては、人心服さぬこともこれ有る様に存ぜられ候。去りとても権略ばかりにても正を失ひ申すべく候間、権略を以て正に帰する工夫、今日の上にては肝要かと存候。

(訳)
国をおさめるには、権略(その場に応じた策略)も時としては必要でしょう。
余り純粋に過ぎると、人心が服さないこともあるように思われます。
とは言っても、権略ばかりでは正を失ってしまい、本来の意図することを見失ってしまいます。
そのため権略をもって正に帰する工夫が、今日の上(幕府)には大切だと思います。


水:
 権は人事の欠くべからざることにして、経と対言仕(つかまつり)候。
秤の分銅をあちらこちらと、丁ど軽重に叶ひ候処にすゑ候より字義をとり候ことにて、固(もと)より正しきことに候。
仰せ聞けられ候所は、謀士の権変にして、道の権には非ず候。程子の権を説き候こと、『近思録』にも抄出これ有り、とくと御玩味候様存(ぞんじ)候。

(訳)
権(力)は人事において欠くことのできないもので、経(営)とは対の言葉です。
漢字の権という字は天秤(はかり)の分銅のことで、これをあちらこちらと動かして丁度良い所にあわせるということ(字義)から生れた言葉ですから、もとより正しいことです。
しかし、貴方のおっしゃっている権略は、謀士(策士)の権変であって、道の権ではありません。
程子(ていし:中国の儒学者、程伊川)が権を説いた書(程伊川が朱長文に答えた書)があり、『近思録』にも抄出(抜き書き)がされておりますので、とくと御玩味(熟読)されたらよろしいかと思われます。

 
<ポイント>
 ここに、権の持つ意味をよく理解して、人はいかにあるべきかをよく心得て権略をなすことがきわめて大切だと説いています。
権は天秤の分銅であり、政治も圧力団体の陳情などに惑わされず、自分の分銅が常にぴたっと止まる心の位置を守っていれば間違える事はないというのです。

裁判所や弁護士バッチにも使われている天秤の図はよく目にするものですが、この「権」の持つ本来の意味(天秤の分銅)を理解したいものです。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 08:15

水雲問答(3) 治国の術と人心

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答3

水雲問答(3) 治国の術と人心

雲:
 治国の術は人心を服し候こと急務と存候。人心服さねば良法美意も行はれ申さず。
施し寛に非ざれば人心服し申さぬなり。人心服し候肝要の御論伺ひたく候。
英明の主、とかく人心服さぬ者と。いかがのことに候や伺ひたく候。

(訳)
治国の術は人心を服させることが急務と思います。
人心が服さなければいくら良い法を作って、美しい気持で政治をやっても、それがきちんと行われません。
そのため人民に施すことやまた寛大に対処しなければ人心は服しません。
どうすれば人心が服するようになるのか、肝要のお考えをお伺いいたしたい。
また、世に優れた英明の主に、とかく人心が服さぬ者が多いといわれておりますが、これはどうしてなのかお伺いいたしたく思います。

水:
 施に過ぐることは濫賞(らんしょう)の幣あり。寛に過ぐるときは又縦弛(しょうし)の幣これ有り候。是れ等を以て人心を得候は、最も末なる者に候。我が徳義おのづから人を蒸化候処之れ有り候へば、人心は服し候者と存候。英明の主に人の服し申さぬは、権略にかたより候より、人祖(そ)の為(す)る所を詐欺かと思ひ候ゆゑに候。蕩然(とうぜん)たる徳意・内にみちて外に顕はるる時、あるもの誰か服せずして有るべきや。施もすさまじきには非ず。人君の吝(りん)なるは至っての失徳に候。寛も捨つべからず。苛酷納瑣(のうさ)の君は下堪へ難きものに候。

(訳)
人民に施(ほどこ)しが過ぎますと、賞をみだりに乱発する弊害となり、また寛容に過ぎますと、規律が弛(ゆる)むという弊害があります。
そのため、施しや寛容などをもって人心を得ようとするのは、最も末なる者です。
自分に備わった徳義がおのずから人を蒸化(心服)させるところがあれば、自然に人心は服するものです。
英明の主に人が服さないのは、頭が良いのでどうも手段・手法などの権略に片寄ってしまいがちです。そのため、人々はそのする所が人々を騙す詐欺ではないかと疑いをいだき、信用しません。
自分に備わった大きなスケールを伴った徳が満ちて、それが外にも現れた人物には、誰もが服するものです。
施しも度が過ぎるのはダメですが、ある程度は必要で、人君(君主)がケチであると徳を失います。
また寛容も必要ですが、あまり小さなことまで立ち入ってしまいます下々の者は堪えられないものです。


(コメント)
 当時の体制化での人心を服させる方法であり、今の政治とは少し比べられないところがありますが、施しや寛容もケチだと思われない程度には必要だけれど、あまり重箱の隅をつつくような小さなことまではしてはだめだという。
また、あまり頭の切れる上司などは、警戒されて部下から真に慕われているものが少ないようです。
ここでのポイントは、徳がその人の外に自然と現れるときに、人は従うということでしょうか。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 17:53

水雲問答(4) 武の備え

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答4

水雲問答(4) 武の備え

<雲>季世に至りて武の備(そなへ)怠らざる仕法は何(い)かが仕(つかまつ)るべきや。甚(はなはだ)むづかしきやに存(そんじ)候。

(訳)
 戦乱の世から時代が経ち、末の世になりますと、武の備えを怠らないようにする方法はどうあるべきでしょうか。
この方法はかなり難しいと思います。

<水>太平に武を備(そなふ)るは何(いか)にも難(むづかしき)ことに候。愚意には真理を暫くおき、まず形より入り候(そうろう)方が近道と存(ぞんじ)候。まず武具の用意をあつくして、何(い)つにても間に合ひ候ように仕(つかまつる)。
そのわけは火事羽織を物好にて製し候時は、火事を待(まち)て出たき心に成候が人情に候。武具備れば、ひと働き致したく思ふも自然の情と存候。
さて武伎も今様通りにては参らず候。弓鉄は生物猟を専(もっぱら)とし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間の稽古場にて息のきれそ候類(たぐい)、何の用にも立ち申さぬ候。
広芝原などにて革刀の長仕合、入身(いりみ)など息合(いきあい)を丈夫に致し候こと専要と存じ候。是等(これら)より漸々(ようよう)と実理に導き候外(ほか)は、治世武備の実用ととのひ申すまじくと存候。

(訳)
 太平の世に武を備えるのは、いかにも難しきことと思います。これに対する私の真理の回答はしばらくおき、まず形より入る方が近道と考えます。
まず武具の用意を十分にして、何時でも間に合うようにすることです。 そのわけは火事羽織を物好きで製作しますと、火事が起こったときに活躍するのを待つような心になるのが人情でしょう。 このように武具が備わると、ひと働きしたくなるのも自然の情と思われます。(形が整えば、気持も一働きしたいと思うようになるものです。)
ただ、武伎(武術)については、今までのままで良いとは言えないでしょう。
弓鉄は生き物の猟(狩)をするのに専用とし、馬は遠馬(とおのり)や打毬(だきゅう、ポロ:馬術競技)などをするのに使うのが良く、また刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場では息がきれそうな類(たぐ)いであり、何の用にも立ちません。
広い芝原などで、革刀の長試合をして、入り身(相手の攻撃を外す身の処し方)など息合(気合)の鍛錬をすることをすることが大切です。
このことなどから、漸々(ようよう)と実理に導くこと以外は、今の様な治世において武備の実用を整える必要はないと思います。

(コメント)
入り身は現在「合気道」などでよく使われる言葉です。稽古場で息を切らせて稽古するだけでは、あまり訓練にならないと考えているようです。外に出て、実戦で試合相手との呼吸などを計ることが必要だといっています。



水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 18:53

水雲問答(5) 人を知りて委任

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答5

水雲問答(5) 人を知りて委任

雲:
 徳義の幣は述情に陥り、英明の幣は叢脞(そうざ)に成申候。人君は人を知りて委任して、名実を綜覈(そうかく)して、督責して励すより外、治世の治術は之れ有るまじくと存候。

(訳)
 徳義(人として守るべき道徳上の義務、ここでは過ぎた施し)の弊害は、これに片寄ると情に溺れてだらしがなくなってしまうことであり、これにたいし英明(頭のよい)の弊害はいろいろ事細かくうるさくなってしまうことです。上に立つ人君は、よく人を知って、その人に委任し、名実(名と実体)を照らし合わせて、よく督責(厳しく吟味)して励ますより外に治世の術はないと思います。

水:
 名実綜覈(そうかく)、人を知て委任するの論、誠に余蘊(ようん)なく覚え珍重に存候。

(訳)
 名実をよく照らし合わせ、人を知って、その人に委任するという論は、誠に不足が無く結構な意見であります。


(コメント)
上に立った人は、一人で何でもできると思わずに、部下やその他の人材の名実をよく吟味して、理解し、その上で、その人に委任することは大切ですね。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/15 10:30

水雲問答(6) 人材(一才一能)

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答6

水雲問答(6) 人材(一才一能)

<雲>人材の賢なるものは委任して宜しくそうらえども、その他の才ある者、あるいは進め,あるいは退けて、駕御(がぎょ:馬を乗りこなす)鼓舞するの術ありて人を用いざれば、中興(復興)することは能わざることと存候。時によりて張湯(ちょうとう:長安の役人)、桑弘羊(そうこうよう:武帝に貢献した人物)も用いずして叶わぬことも有るべからずに存候。

(訳)
人材も賢なるもの(見識と度量を兼備した者)には委任してもよろしいが、その他の才能だけある者に対しては、時としては任用し、ある場合には使わないというように、それら人をうまく制御するように用いなければ、衰えた国運を再興(いわゆる中興)することは出来ないでしょう。 それでも、時と場合によっては張湯(ちょうとう:長安の役人)、桑弘羊(そうこうよう:武帝に貢献した人物)のような曲者でも、用いなければならないことがあるのでしょうか。

<水>一才一能もとより棄(すつ)べからず。駕御その道をする時は、張桑(張湯も桑弘羊も)用ゆべき勿論に候。然れども我は駕馭仕(かぎょし)おほせたりと存候て、いつか欺誑(ぎきょう)を受け候こと昔より少なからず候間、小人の才ある者を用候は、我手覚なくては、妄(みだ)りには許しがたく候。

(訳)
 一才一能(一つでも優れた能力のある)の人材も、時によっては必要ですから見棄てることはできません。
馬を乗りこなすように人を制御できる時は、張湯や桑弘羊のような者でも使わなければならないことはもちろんありましょう。
しかし、自分は思うように人を使うことが出来ると思っていても、いつの間にか欺誑(ぎきょう:まんまとハメられていた)ということは、昔からよくあることですから、小人のような能力の者を用いるには、よほど腕に覚えないと、好き勝手に行うことは危険となりましょう。

(コメント)
 論語には「君子は和して動ぜず、小人は動じて和せず」という言葉があります。
ここで言っている「君子=徳の高い人」「小人=だめな一般人」くらいの意味かと思います。
また、「和して動ぜず=人と調和して仲良くできるが、何にでも賛成することはない」
「動じて和せず=何にでも賛同してしまうが、調和できない」との意味でしょうか。

ここでは国を統治する上に立つ者は、
小人をどう乗りこなして(操縦して)使っていくかが難しいが、必要だ
といっているのだと思います。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/15 11:01

水雲問答(7) 唐中興の宰相(さいしょう)

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答7

水雲問答(7) 唐中興の宰相(さいしょう)

雲 
 歴代の宰相のうち、唐の李鄴(りぎょう)侯の事業、誠実にして知略あり。進退の正を得たる所(ところ)甚(はなはだ)欣慕(ごんぼ)仕(つかまつり)候。
 季世の宰相は鄴侯(ぎょうこう)の如くになくば禍を得申し候て、しかも国家の軍を敗(やぶり)申し候ことと存じ候。『鄴侯家伝』と申す書は今は有り候や伺(うかがい)候。

(訳)
 中国の歴代の宰相のうち、唐の李鄴(りぎょう)侯のやられた業績は、誠に誠実で知略があります。進退のタイミングを得たところは、まことに嬉しく慕うところです。季世(これからの世)の宰相(さいしょう)は、鄴侯(ぎょうこう)のようでなければ禍が生じ、しかも国家の軍を敗退させていたでしょう。『鄴侯家伝』という書は今ありますでしょうか。

水 
 鄴公の論は同意に候。この人は一つとして誹(そし)るべきなし。ただ陸宣公と時を同じくして、ついに宣公を用いざること疑いの一つにそうろう。古人の論もこれに有りやに覚えそうろう。されば今も昔も同じことにて、そのときの模様、のちの評と遥かに違いたることも多かるべし。やむを得ざる次第もこれに有るや。『家伝』は亡き書と聞こえ申しそうろう

(訳)
 鄴公(李鄴侯)の論は同意です。この人は一つも非難するべき点がありません。ただ、陸宣公(りくせんこう・・・陸贄:りくし)と時代は同じであるが、唐はついにこの宣公を用いることが無かったのは問題の一つであろう。ただ、昔の人のことであるから、そのときの情勢などを後に評するのは違うことも多いと思う。やむを得なかったこともあったのであろう。
「家伝」については蔵書には無いと聞いている。

(解説)
 この唐時代の書物は、日本にはあまり伝わっていないようで、なかなか理解するのが難しい。
概略を調べると、中国は7世紀始め、隋の国家が乱れると、李淵(李氏)が挙兵して隋をほろぼし、煬帝を太上皇に祭り上げたが、煬帝が殺されたため、李淵は自ら即位して618年に唐が建国された。その後国内の反対勢力などを李淵の次子の李世民が滅ぼして勢力を握り、626年にクーデターを起こして長男で皇太子の李建成を殺害して実権を握った。李世民が唐の第2代の皇帝・太宗(たいそう)となり実質的な唐の繁栄が始まった。この李世民は広い人材登用で官制の制度をつくり卓越した人物といわれている。
しかし、唐は一度690年に王朝が廃され、その後705年に復活したが、この頃(中唐時代)はかなり力を落としていた。
その時代に出てきたのが、やはり李氏の李鄴(りぎょう):李泌(りひつ)(722‐789年)である。
李泌は陰に隠れた人物であまり表立って紹介されることは少ないようだが、ここではかなり李泌を買っているようだ。
李泌は生涯を通じて4度朝廷からはずされ、野に隠れていたところを4度朝廷に呼び戻されて、その都度重要なポストについている。人物評としては軍事、政略の両面に優れた才能を持ち、とくに身分などにはこだわらず、私利私欲がなかったといわれている。
そのような時に、節度使、安禄山らが起した「安史の乱(755~763)」により唐の玄宗皇帝は一時長安から逃れ、滅亡寸前に追いやられた。玄宗に代わって即位した粛宗が10年も官職から遠ざかっていた李泌を探しだして賓客として迎え入れた。
当時唐の粛宗も吐蕃(とばん:チベット)族との対立もあり、ウイグル族とも仲も悪かったが、李泌は最後の2年間、宰相となり、このウイグルとの和平にごぎつけ、このウイグル族の助けにより唐の滅亡を防ぐことが出来たといわれている。
鄴侯家伝(ぎょうこうかでん)は、唐の役人李繁(リー・シェン、京兆府(現西安)人。 唐の政治家)が無差別殺人の罪で、投獄され、獄中で死ぬ間際(829年)に書いた書物といわれている。(恐らく唐の李氏の家伝を纏めた書であろう。)

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/16 09:26

水雲問答(8) 周易

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答8

水雲問答(8) 周易

<雲>
 『周易』は熱読し仕り候所、大(おおい)に処世の妙これに有りやに存候。
『易』を知らざれば季世には処し難しと存候。

(訳)
 『周易』(紀元前の中国周王朝時代の書物に書かれた占い術から時代を経て、儒教の経典にもなった易経)を熟読しておりましたが、この書は実に処世術に必要なことがたくさんあると思います。
この『易』(儒教的な解釈)を知らなければ、季世(これからの世)は処しがたいと思います。


<水>
 『易』は季世の書とは申し難し。盛世季運いずれの時とても、天人の道『易』にはづれ候ことはこれ無しに候。先づ「程伝」にて天と人との同一道理をとくと考え給ふべし。

以上のご質問、あらかた答え申し上げ候。大分とおん尋ね方、力相見へ、はなはだ珍重仕(つかまつり)候。読書空言の為ならずして、実践の方に深く習い候の徴(しるし)相見へ申し候。折角ご勉励の程、お祝いいたし候。
謹言。 二十日夜雨、燈火にて書す。<以上、戊辰(ぼしん:1808年)の秋、予が都下にいる時の問答>

(訳)
 「易」についてはこれからの世の処世の書とまでは言えないでしょう。
盛世季運(国が盛んな時代や未来の運)いずれの時といえども、天人の道『易』から外れることは無いでしょう。
まず易の解釈としては、 宋代に程頤 (ていい)が書いた「(易)程伝」《易経の注釈書》を読んで、天と人との同一道理をよくお考え下さい。

以上のご質問、あらかた答えいたしました。貴殿の問いは、勉学の力がついてきているのが見え、大層結構なことと思われます。読書が空言(空論)のためでなく、実践の方向に深く向かっている徴(しるし)が見えてきました。苦労されて勉学に励まれておられることを、お祝いいたしましょう。

 謹言(謹んで申し上げる)。 二十日夜雨、燈火にて書す。
<以上、戊辰(ぼしん:1808年)の秋、予が都下にいる時の問答>


水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/16 17:45

水雲問答(9) 治国の術は多端

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答9

水雲問答(9) 治国の術は多端

<雲>
 凡そ治国の術は多端、其緊要は人を知るの一件に帰し申し候ことと存候。人を知るの難(かたき)は堯舜(ぎょうしゅん)の難(かたし)とする所にして、常人の及ばざることながら、治国秉政(へいせい)の上にてはこの工夫専一と存候。
尤(もっとも)朱文公(朱熹:朱子学の祖)、人に陰陽ありの論は感服仕り候。なにぞ慥(たしか)なるご工夫候はば伺いたく候。いづれ活物は常理を以(もって)はもって推されまじくと存候。

(訳)
 国を治める術は複雑で多方面にわたっており、その非常に重要な要件は人を知るという一点に帰すると思われます。人を知ることの難しさは堯舜(ぎょうとしゅん:中国古代で徳をもって天下を治めた聖天子堯(陶唐氏)と舜(有虞氏))の二人の帝王でも難しいことで、常人ではとても及ばないことであるが、国を治め統治する上ではこれを工夫していくことが第一でありましょう。
もっとも、朱文公(中国・宋代の儒学者朱熹〔朱子〕(しゅき1130−1200)の尊称)の「人に陰陽あり」の論には感服いたしました。何か確かな(人を知る)工夫がないかお伺いいたしたく存じます。しかし人も活物(いきもの)ですから常理(変わることのない道理)を以て推進はできないと思われます。

<水>
 此ことは実事中の最大事、最難事に候。惟聖難諸と申(もうす)より、世々の賢者皆手をとり候こと別に才法あるべきとも申しきせず候。
陰陽先手近く候はば、是迄効験多く候へども、大姦に至り候ては、陰を内とし陽を外にして人を欺(あざむき)候こと往々にこれ有り、陰陽も一図に拘(かかわ)り候て手を突き申し候。
都(すべ)て古人の訓言は、大筋をばよく申したる者に候へども、細密枝葉、変の極に至り候ては、説破も及びび難(がたき)の義多く候。つまりの所見る人の高下により申すべきや。山水を見るも、其(その)人品の高下に従ひ候こと、羅鶴林風流三昧の論に候へども、人も其通り多(おおか)るべく候。 この方の下の者は随分見通し申すべく候。上段になり候と、見損じ申候。見る人の見当尺に善し悪しの論も立ち申すべき、迚(とて)も我が分量の外の事業は出来申さぬもの、人知り迚(とて)も同一様事たるべく候。
然(しかれ)ども謙譲しては大事は出来申さぬもの故、我より上段の人迚(とて)も、平等に監破の心得はなくて叶わなきことかと存候。
是は大難問にて何とも別(ほか)に申すべきようも之れ無く候。

(訳)
 このことは実際に行う事の中で最大事であり、かつ最難事であります。惟聖(いせい)難諸(なんしょ)と申すより、世の中の賢者が皆手をとりあうこと以外に良い方法があるとは思われません。
 陰陽(朱子学)では先手近くであれば効験(効果)が多くありますが、大姦(おおいに悪賢い)ことになれば、陰を内とし陽を外にして人を欺くことは往々にあることです。陰陽もそればかりに係わっていると躓いてしまうでしょう。
 すべて昔の人の訓言(教え)は、大筋を言った物でありますが、細密や枝葉のような、変の極に至る議論は説破(せっぱ:説き伏せる)するのも及びにくい義(条理)が多いです。
 つまりのところ見る人の高下(上下)によって申すものです。山水を見るにしてもも、その人の品格の高下(上下)により違ってきます。また羅鶴林(沙羅双樹の林:釈迦の入滅の時に沙羅の林が一斉に鶴が飛んできてように白くなったといいい伝え)の風流三昧(ざんまい)の論でありますが、人もその通り多いでしょう。
この下の者は随分見通せるといいます。しかし上段になりなすと、見損じたというようなことをよく申します。これは見る人の見る尺度にある善し悪しの論が異なる事で起ります。とても我が分量の外(ほか)の事業は出来ないものです。「人を知る」ということも同様であろうと思います。
そうはいっても謙譲し(遠慮し譲って)いては大事はできないことですから、我より上段の人であっても、平等に監破の心得がなくて叶わないことと思います。
これは大難問にて何とも別(ほか)に言いようもありません。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/17 14:17

水雲問答(10) 国家の禍は私欲より起る

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答10

水雲問答(10) 国家の禍は私欲より起る

雲:
 凡そ国家の政をするに公儀と申すことを立て申したし。これは国家の禍はとかく人君の私欲より起り、或は大臣の私意より起り、群下の朋党より起り申候。其基は社稷(しゃしょく)を忘れ私に曳かれ申候故に候。故に小子の工夫にてこれを救ふ術は、公儀を立て申すべくと存候。公儀とは、人君は社稷の為に発せざる言行は臣下聴用せず。又臣下も社稷の為を忘れて希旨の言は必ず貶斥(へんせき)すべし。此の若く(かくのごとく)して君臣相和し、朝廷に一箇の公儀あるのみにて、国政安静に参り申すべきやに存候。君は社稷に臣下と共につかへ、臣下は君に仕へて社稷に背かざるを以て忠とせば、国家治まらざることは無しと存候。

(訳)
およそ国家の政(まつりごと)をするには公儀(公権力)というものを立てなければなりません。国家の禍は、とかく人君の私欲から起こり、または大臣の私意から起こり、また下の者たちが仲間と党を組むことから起こります。根本は社稷(しゃしょく:国家)を忘れ、私にひかれてしまうことで間違うのです。
そこでこれを救うためには公儀をたてなければならないと思います。
公儀 (公権力)も人君が社稷(国家)の為でなく私意私欲で発した言行には臣下の者は聴いてくれません。
また、臣下の者が社稷を忘れて私意私欲をはかることも必ず取り除かなければなりません。
このように君臣(君主と臣下)がお互いに和して、朝廷にただ一つの公儀があるだけとなれば国政は安静になることでしょう。
君主は社稷(国家)に臣下と共に仕え、臣下は君に仕えて社稷(国家)に背かないことを忠とすれば、国家が治まらないということは無いと存じます。

水: 
 公儀の論一々ご尤(もっとも)に候。然れども、その公とする所亦(また)大小軽重の弁之れ有り。人品の高下にて公にも高下之れ有り、近世とても公なきには之れ無く、其公皆小にして、大処に至り候と私に成り申候。つまりの所、人才蕞爾(さいじ:非常に小さいさま)の至りにては何もかも参らぬこと。大才の者列立して公儀を朝廷に張り候はば、千年と雖も一太平の化を透徹申すべくと存候。どうぞ公私の分をつけ候て考え候程の人をほしく候。それさへ之れ無く候へば、中々に公儀の論など行はるべきとも存ぜられず。そのくせに心中は皆公儀と心得居り申候人ばかりに候。

(訳)公儀の論は一々ごもっともです。しかし、公というものには大小とか軽重とかの問題があります。人の品格に高下があると同じく公にも高下があります。近世でも公のないものはなく、ただこの公が皆小さくなったり、大きな問題になると、この公が私になってしまいます。つまり、人才が蕞爾(さいじ:非常に小さいさま)に至っては何もかもうまくいきません。大いいなる才の持ち主がずらりと並んで公儀を朝廷に張れば、これから千年といえども太平の時代をも透徹(貫き通す)ことできると思います。
どうぞ公私の区別をはっきりつけることを考え、また区別をつけられる人がほしいものです。
この公私の区別さえもできなければ、中々、公儀の論などは行うことはべきではないと思われます。しかしこういった連中に限って、自分のすることは皆、公儀であるとばかり考えているのです。

(コメント)
この最後の辺りは、今の政治家にも当てはまりそうですね。
公私の区別もつけられず、自分さえ良ければ、次の選挙に勝てれば・・・などと全体の国民に対する(公に奉仕する)道徳感・使命感がなければ政治も衰退していくことでしょう。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/17 16:04

水雲問答(11) 才は徳に及ばず

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答11

水雲問答(11) 才は徳に及ばず

雲:
 世の中を達観仕候に、一種の公平、温厚庭底の人、才もなく術もなく、しかも高位に居して人心服し、天下安寧に化すること有るやに存候。公平の徳、大なるが故にいたす所に之れ有るや。公平の二字は宰相の人なくて叶はざることに候。公平、温厚の二条はずれて、高位に居て終を全くする者なきやに存候。是を以て見れば才は徳に及ばぬことと存候。

(訳)
 世の中をよく観察しますと、一種の公平、温厚な人は、才(才覚)も術(行う力も)ないのに高位にいて、人民が服し、天下が平和になることがあるように思います。公平の徳が大きいからうまくいくのでしょうか。公平の二字は宰相(大臣)の人には無くてはならないことの要件です。公平と温厚の二条からはずれて高位にいても、終りまで全うする者はいないと存じます。これをもってみれば、才は徳に及ばないことと思います。(才より徳が大切)

水:
 在上不覚は聖語にも見へ、上位の人の心得尤に候。既に実の寛厚と申す徳には之れ無く、才智不足にして寛厚に類し候人さへ全く候。まして才智全く備(そなわりて)候て寛厚の徳あらば、祖全き、論を待たずして明に候。今の人、才は寛厚の量なく苛刻に落ち、寛厚に見へ候は皆愚昧(ぐまい)に候。此所を備へ候人出(いで)候はば当る者之れ有るまじくと存候。

(訳)
 上に立つと、寛でない方が賢く見えますので、上位があまり寛容にせずにビシビシとやりたくなることももっともです。
また本当の寛厚ではなく、才智が不足しているために寛厚に見える人さえおりましょう。まして才智が全て備わって、さらに寛厚の徳があればそれは、全く論を待つまでもなく明白でしょう。
今の人は、才があっても寛厚の量がなく苛刻になりり、寛厚に見えるのは皆、愚昧(ぐまい:愚か)です。此の点をわきまえておる人が現れればこれに勝る者はいないでしょう。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/18 05:45

水雲問答(12) 去私の方法

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答12

水雲問答(12) 去私(私を去る)の方法

雲:
 凡そ国家の敗は私より起り申候。一体の志(こころざし)社稷にあれば、私ありと云ふとも亡びず。漢武これなり。一体の志私にあり、飾るに社稷を以てすれば敗る。唐明皇これなり。私意を去り方いかが心得申すべきや、伺ひたく之れ有り候。

(訳)
 およそ国家が敗れるのは「私」(私心)から起ります。皆の心が社稷(国家)にあれば、「私」がありましても滅びることはありません。
これは漢の武帝(前漢の第7代皇帝)が良い例です。これに対し、皆の心が私にあり、社稷(国家)がお飾りになれば敗れます。
これは唐明皇(唐の玄宗は唐を繁栄させていたが、楊貴妃に夢中となってやがて国が滅びた)が良い例です。

水:
 私を去るの術、学に勤むる外(ほか)之れ無し。

(訳)
 私を去る方法は、学ぶことに勤(いそ)しむしか方法はありません。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/18 05:52

水雲問答(13) 一心定まれば

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答13

水雲問答(13) 一心定まれば

雲:
 人の言(いひ)がたきをことを云(いひ)、人の行ひがたきを致し候は、英雄と存候。一心自(みずから)定天にも勝申候。まして順を以て動申候こと、出来ぬこと有間じくと存候。

(訳)
 人が言いにくいことをはっきり言って、人が行えないようなことをなし遂げる人が英雄というものでしょう。(精神を統一して)一心が定まれば、天にも勝つことでしょう。ましてその(天の)時に従って、動けば、何事も出来ないことは無いと思われます。


水:
 ご尤に候。可無く間然す候。

(訳)
 ごもっともに存じます。これについて何も言う事はありません。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/18 17:12

水雲問答(14) 小人の使い方

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答14

水雲問答(14) 小人の使い方

雲:
 小人を御すること、余りその罪を責るときは害必(かならず)生ず。罪に復すれば、小過ありとも罪の発するを待(まち)て可也。『易』に革面、又は不悪而厳とあり。名言と存候。

(訳)
 小人(しょうじん:力量のない人、地位の低い人)を御するのに、あまり罪を責めると、かならず害が起こります。罪に服させるには、小さな過ちがあっても、その罪が外に明らかになるのを待つことが良いでしょう。『(経)易』に 革面(革の掛(け)に小人革面)とあり、また「不悪而厳(にくまずして厳)」とあります。これは名言と思います。

水:
 獣窮なほ戦ふ、況(いわん)や人をやと申たる通りの勢に候もの、仰せの如くご尤に存候。

(訳)
 追い込まれた獣は、なお戦う(窮鼠猫を噛む)のですから、人とて同じです。この言葉にいわれている通りの勢いです。おっしゃっていることごもっともです。

(コメント)
小人革面:順を以て君に従う・・・小人は途中からいけないと思うと利賢くその自分が掲げていた面(看板)を塗り替え、おとなしく従う。
不悪而厳:君子以て小人を遠ざけ、悪(にく)まずして厳・・・小人を悪(にく)むことはしてはならない。悪(にく)むことがない厳であれ。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/18 17:17

水雲問答(15) 大姦宿慝(だいかんしゅくとく)

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答15

水雲問答(15) 大姦宿慝(だいかんしゅくとく)

雲:
 大姦(だいかん)宿慝(しゅくとく)、其志姦邪にして身を正道忠直に真似(まね)、人心を得候者有之。責(せむ)れば禍却って生ず。いかが処置仕り可や、伺い度候。

(訳)
 大姦宿慝(たいへん悪賢しこいことが隠れていて、悪のかたまりとなっていること)、その志(こころざし)がよこしまな心であるが、身は正道忠直のような真似をして人心を得ている者がおります。しかしこれを責めれば禍がかえって生じてしまいます。どのようにしたらよろしいかお伺いいたします。

水:
 君の明無き時は、人臣の力及ぶ所にあらず。

(訳)
 君子が明で無きときには、部下の人臣の力の及ぶ所ではありません。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/19 04:16

水雲問答(16) 大功を成す大臣

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答16

水雲問答(16) 大功を成す大臣

雲:
 大臣の大功を成就仕候人、率(おおむ)ね忠厚にして大事を断じ申候人やに候。漢の霍光(かくこう)、宋の韓琦(かんき)の類(たぐい)に候。何れ忠厚の二字、人臣の忘るべからざる者と存候。浮薄(ふはく)の輩は大事は成しがたく存候。只怨(うらみ)と申す一字、全く脱去仕らず候ては、人臣害を免れ中傷を脱し申候こと覚束(おぼつか)なく存候。怨の一字より、大臣忠あるも終を保ち申さず候やと存候。

(訳)
 大臣の大功を成し遂げた人は、おおむね忠厚(忠にしてしかも人情が厚いこと)で大事を断行した人でしょう。漢の霍光(かくこう:前漢・武帝の名宰相)、宋の韓琦(かんき:宋時代のやはり名宰相)などの例に見ても、何れも「忠厚」の二字を人臣として忘れずにいた者と思われます。浮薄(うわっぺらで薄っぺらな)輩(やから)は大事を成し遂げることは難しいです。ただ、「怨(うらみ)」という一字、これは全て解脱しなくては、人臣はなかなか害をまぬかれ、中傷から脱することは難しいことです。この怨(うらみ)の一字のために重責を全うできない、最後まで出来なかったという者もいると思います。

(コメント:大臣が職務に忠実であっても、反対派の怨みを買ってしまい、最後までやり通すことが出来ないということがよくある。そのため、この怨みを脱しなければ職務が遂行できないということかと思います。)

水:
 忠厚は特に人臣のみならず、君と雖(いえ)ども此二字なきときは事業なしがたし。人倫闊(か)くべからざるのことなり。浮薄は大事を成しがたし確論なり。怨は唐土に多くあり。此方に少し。又軽き者には多くあり。重き者には少し。大名の上にては此嫌(きらい)ますます少し。

(訳)
 この忠厚ということは特に人臣だけの問題ではなく、君子といえどもこの忠厚の二字がなければ事業を成し遂げることは難しいでしょう。上も下も無く人間の関係において欠くことのできないものでしょう。浮薄(薄っぺら)であれば大事を成し遂げられないというのは確かな論でしょう。「怨み」という事案は中国(唐など)では多く、わが国には少ない。また重責に有るものには少なく、大名となれば益々少ないでしょう。

(コメント)
 何か大事を成し遂げようとすれば、必ず反対派の恨みを買う。しかしこれを恐れて大事が成し遂げられないようでは困る。怨みはあるものであるが、しっかりとした考え方を持っていれば何れ理解は得られる。この時の心構えとして自分が良ければよいというような「浮薄」ではなく、「忠厚」ということを考えよということでしょうか。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/19 04:23

水雲問答(17) 識は才学より上

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答17

水雲問答(17) 識は才学より上

雲:
 凡(およそ)人は才学勝れ申候も、一箇の識なくしては天下のことは了得申さず候ことやに存候。識の進方(すすめかた)、学問より外(ほか)之(これ)あるまじく、いづれ見通し申す識なくして大事は出来申すまじく候。鑑裁明断も識中より流出仕鐘楼ことと存候。

(訳)
 人は才智や学問に優れているといっても、ただ一つ「識」(正しい価値判断、見識)がなければ天下の事を行うことは出来ないと存じます。識(知識・見識)を得ることのすすめ方はやはり学問をする以外にはなく、知識を得てもそれを見通す識(見識)がなければ大事を行うことが出来ません。この見識があってこそ「鑑裁明断(かんさいめいだん)」(仕立て人が布を裁つように明らかに断定する)することも生きた学問(経験や実際の基づいた学問)による知識であることだと思います。

(コメント)
 頭にいくら知識を学問をして入れても、それが生きた知識として身に付くような学問をして、実際の場面で判断することが出来る見識を身につけなければダメだということでしょうか

水:
 識は才学より上たること高論の如し。識、天分に得るあり、学に得るあり、一様ならず天分識ありて学を兼る人、大事を預(あらかじ)め断ずべく、百千年のことをも議すべし。天分たらず、ようやく学によりて識を得る人、当否二偏なる所あり。

(訳)
 (見)識(生きた知識)は才学より上である事はその通りであります。識というものは天分(生まれつき備わった才能)によって得られるもの、また学問をする事によっても得られるものです。これは一様ではなく、生まれつき識があってさらにその上に学問をした人にはこれから百千年のことを議論してもいいでしょう。しかし、天分が足りずに、ただ学問をして識を得た人は判断に偏るところがあります。

(コメント)
 識を得るには学問をして得ることもできるが、天分がある者に敵わないといっています。天分が備わって、さらに学問をした人が最高ですが、これがなかなかいないということでもあります。天分は生まれつきですから、そういわれてもこればかりは困りますね。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/19 07:45

水雲問答(18) 大臣の任

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答18

水雲問答(18) 大臣の任

雲:
 若し人大臣の任に当りて、禍すでに萌(きざ)して防べからざることあらば、辞任仕り可や。又は禍の生(しょうずる)を待て斃(たおれ)申すこと可や、如何(いかん)。

(訳)
 もし大臣の任にあって、禍(わざわい)の兆候が見えており、これを防ぐことができない場合は、辞任すべきでしょうか。又は禍が明らかになってから討ち死にすることは可でしょうか。

水:
 是は至て大事。何とも申し難し。其時機に臨み候て、其決不決も亦、其人の品格だけに之れ有るべきか

(訳)
 これは至って大切なことです。ただ何とも申しようがありません。その時々に応じて決める(辞める)のもまた決めない(辞めない)ことも両方可でしょう。それを決めるのは、その人の品格だけがこれに応じることが可となりましょう。

(上の問答を受けて後日)
雲:
 先日申候禍萌し候節、大臣の任に居り申候論、其人の格だけに有るべしの高論感服仕候。小子の了見にて、我が手にて取りおさめ出来申候節は見切候て、取治め、出来兼ね候はば、其職に斃れ申すべく存候。初より我が手に乗らぬことと存候はば、機を見て而してたつも然るべきやと存じ申候。

(訳)
 先日申し上げました禍の兆候が出ており、これを防ぐことができない時に、大臣の任にいるべきかどうかの論ですが、その人の品格によるという高論には感服いたしました。私の了見では、自分の手で取り収めることができると思われるときは見切ってやってみる。そして見込みが違って取りまとめることができなければその職とともに斃れて犠牲になると思います。また初めから自分の力ではできないと思えば、しばらく時機を計ってここぞというときに立つというのも有りかと存じます。

水:
 此解甚だ精細喜ぶべし。然れども尚此上を又一層ふかく論ぜば、我が手に収まるべきと見、その時手にのらずば、我よりまさる者を薦めて救ふべし。我も人も迚(とて)も力足らずと見ば、高去遠引も然るべきか。

(訳)
 この解はよく詳細に考えられており、うれしいことです。しかしながら、なお一層深く論じますれば、自分の手でできると考えてやってみたが、その後、自分の手に負えないとわかった場合には、自分より優れた者を推薦してやらせたらよいでしょう。自分もその推薦する人も力不足だと思ったら、その時は身を引いて遠く(圏外)に去ってしまうのも仕方がないでしょう。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/19 09:49

水雲問答(19) 君子自得

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答19

水雲問答(19) 君子自得

雲:
 『中庸』に君子自得と申す語、感服仕候。いづれ人は其場所々々場所に依り申候て、了見を附け申すべきことに候。『易』の変易たるも爰(ここ)に候。時務を知り候俊傑ども之れ有、進めば時を救ひ、退けば身を保つと申度ものに候。勿論死を憂ふるは部門の恥とすることに候へども、無益に死(しに)申すも又拙(つたな)きに存候。とかく進退は潔くいたし度候。邵康節(しょうこうせつ)の、天下の事に死するは甚だ易くして、天下の事を為すは甚(はなはだ)かたし、名言と存候。

(訳)
 「中庸」に君子自得(人は案外自分の境遇に応じた事しか行わないが、君子はどんな境遇でも自得している)という言葉があります。これには感服いたしました。いずれ人は置かれた環境や身分によって考えを決めるのがよろしい。これが「易」の変易ということです。その時機や時代を知っている俊傑(優れた人物)はこれに当たります。進むべき時は進んでその時の救世主となり、退くべき時は退いて身の安全を図るものです。もちろん死を恐れるのは部門の恥とする所ですが、無駄死にするのは拙いものです。ともかく進退は潔くしたいものです。邵康節(しょうこうせつ:宋の初めのころの学者で、学を修めており、大変な博識でしたが、時代が安定していたため、悠々自適な生涯を送った。もし乱世に生まれていれば天下を争っていたといわれる人物)が「天下のことに死ぬのは容易であるが、天下のことを行うのは大変難しい」と申しているのは、これは名言と思います。

(コメント)
 君子自得:君子は其の位に素して行ない、その外を願わず。富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行い、患難に素しては患難に行う。君子入るとして自得せざるなし(中庸)
 (君子は自分の境遇に応じてなすべきこと行い、それ以外の出過ぎたことはしない。富貴な身分の者はその身分にふさわしい事を行い、貧賤な身分のものはその身分に応じた事を行い、外の未開の地に在れば、そこにふさわしい事を行い、苦境の時は、その境遇でやれることをする。君子はどんな境遇に置かれようが自分を見失うことは無い「自得」しているものだ。)

水:
 自得もとよりなり。事業も手に入らばそのまま行ふべし。強ひて求むべからず。生涯の事業の顕(あらは)るるなき、是は命なり。君子ここに於て学を修め、書を作りて後に垂る。孔子の末路、朱子の晩年、皆同一事なり。死は云ふまでもなし。進退さへほんのことは出来申さぬ者なり。まして死をや。

(訳)
 自得ということはまことに難しいことです。事業も自然に手に入ればそのままやるべきです。無理に何かを求めてはいけません。努力しても成功せず、生涯の事業(名を成す功績など)が顕(あらわ)れないこともありますが、これは運命です。君子たるものはこのような場合には学問をして、後世のために書物を作って残します。孔子の晩年、朱子の晩年、皆そうです。死ということは云うまでもなく免れることは出来ません。自分の進むべき時、退ぞくべき時のタイミングすら難しいものですものですから、まして悔いのない死に方をするのも難しい事です。

(コメント)
 この考え方でしょうね。静山公がこの「甲子夜話」を書いて残した理由がこれでわかったように思います。
そうでなければ、20年間も書き続けることは並大抵の心構えではできないことですね。
ここでいう「自得」という言葉の理解をもう少し深めたいものです。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/20 06:51

水雲問答(20) 偏心より事を成す

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答20

水雲問答(20) 偏心より事を成す

雲:
 とかく大事を成就申候ことは、一心定まらず死を惜(おしみ)候所より生じ申し候。その訳は、戦国の人、無学不術にして然も大事を創建候こと、他の技能あるに非ず、唯死を愛するを恥とする一箇の偏心より、結局大事を遂げ申候やに候。
当世の人も、武夫(もののふ)たる者、死を愛せぬ偏心を腹中に貯へ申候へば、多少の怯心(けふしん)を省き、一心定まり申すべく存候。その上を学術にて修飾仕候はば、実(まことの)の人才にも成り申すべく候と考へ候。

(訳)
 大事を成就することは、一心が定まらず(わけもわからず)死を惜しむところから生じるものと云います。その訳は、戦国時代の人は、学問をせず、特に極めた技を持たずとも大事を成し遂げているのは、特別な技能もなく、だだ自分は何かをするためにいつ死んでもよいという一途な偏心(一途に思い込んだ心)から大事を成し遂げたのだと思います。
今の時代の人も、武士たるものは死を惜しまぬ偏心を腹の中にちゃんと持っておれば、多少の恐怖心も消え、心が定まります。そのうえで学術によって飾り付ければ、実際の役立つ人材になることでしょう。

水:
偏心より事を成す、面白き高論なり。これは古人の未だ言はざる所なり。ほんのことには有らざれど、棄てがたき所あり。殊のほかおもしろし。【然れども未だ学ばずといえども之を学びたりと謂はんの類にて、語に病あり。これをよくつずりとらば、至って着実の説話ならん。】
これは書生の論のようなれども、気質剛柔、清濁、いずれにしてもつまりの所、学を欠きてはならぬなり。況(いわん)や聖賢の学を為すはいかばかりのことならん。今師儒の法にて人才成り難し。

(訳)
 偏心より事を成すというのは、大変興味深いご意見です。このことは、昔の人も今まで言った人はおりません。少し癖のある表現ですが棄てがたい表現です。大変面白いと思います。【しかしながら、「未だ学ばずといえども之を学びたり」(まだ学んでいないと言いながら真髄を会得すればこれは学んだことになる)ということの類(たぐい)でして、言葉に語弊がありましょう。これを表現に手を加えれば、現実にあった説話(教訓)になりましょう。】
これは書生の論のようですが、人の気質は、剛と柔・清と濁などとさまざまですが、学ばなければだめです。まして、その上に聖賢の学を学べば大層立派になるでしょう。ただ、今日の儒者、学者などのお抱えの師の教育では人材を育てるのは難しいと思います。

(コメント)
 最後に、人材を育てる真の人材が少ないことを述斎先生(水)はなげいています。また、死をいとわずに(偏心にて)事を成した戦国時代の人のことは、その時代であって、学問はいつの時代にも必要だと言っているようです。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/20 07:59
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