狢(むじな)の話 - 清涼寺
今日は天気は良いがまだ寒い。
午後から電気屋を数か所まわって電子書籍リーダを探した。
しかし、あるのはシャープのガラパゴスだけで、先月発売されたソニーのリーダーを置いているところはなかった。まだ早いのか?
ネットで調べてみるとあまり店には置かずにネット販売しかやっていないのか?
6型で24,800円、5型で19,800円位だ。昔の書籍は青空文庫で提供しているものは無料でダウンロードできる。バックライトがないので、専用のブックカバーにライを付けて別売りしていた。
メモリも別に増やせるが、パソコンに入れておけば使うものだけを持ち運ぶには十分だと思う。
ダウンロード用のソフトはインターネットと接続したPCでダウンロードするようだ。
管理者権限でPCを接続せよというので、知らない人は少しまごつくかもしれない。
楽しみなものが出てきたと思う。
自分で手持ちの書籍をPDFにして読めるのも楽しみなことが出てきた。
さて、今日は人をだますという動物「むじな」の話を少し数回にわたってしてみたい。
狢(むじな)を辞書で調べると主に「アナグマ」のことを言うとなっています。
また「狸(タヌキ)」「ハクビシン」などを区別なく呼んだ総称だともいわれます。
日本各地に「狢」の名前のついた地名が残されており、石岡にも先日紹介したテレビ撮影などで有名な長楽寺のある「狢内」という地名がありました。しかし、今ではこの名前は少し範囲を広げて「龍明」に変わっています。
地名を調べてみると面白いことに、狢のつく地名が東日本から北日本それに北海道などしかなく、関西以西にはほとんどないそうです。
どうらや「狢」とは東日本で古来から狸やアナグマ、キツネなどを指す言葉として使われてきたようです。
そこに中国から「狸(タヌキ)」という言葉が伝わり西日本では全て狸と呼ばれてきたが、。東日本では両方が同じように使われてきたようです。
しかし、今では「狢(むじな)」は人を化かす動物と言う昔話の世界でのみ使われているといえますね。
さて、今日はこの狢が人をだました話しを一つ紹介します。
それは「清涼寺の狢」として伝わっています。
---------------------------------------
清涼寺には、昔、境内の大竹藪の中にある池の側の穴に、一匹の古狢が棲んでいました。
そして夜になると近くの大杉に登って、お月様に化けたり、人に砂をかけたりのいたずらをしていました。
また、寺の南の長屋に「鴉(からす)の長さん」と呼ばれる鴉の鳴きまねが上手な男が住んでいました。
ある晩に、この長さんの雨戸をトントンと叩く音がするので、長さんが雨戸を開けてみても誰もいません。
そんなことが幾晩も続きました。
あまりにしつこいし、どうもいたずら好きな寺に棲む古狢だと思い無視して黙っていることにしました。
それからしばらくすると、長さんの返事がないので、面白くなくなったのかやってこなくなったとみえ音がしなくなった。
それから何日かたったある日に、近所の若者や子供たちが狢退治をしようと寺の近くに集まった。
そして、子供たちは狢を穴からいぶしだしてやろうと、穴にとうがらしに火をつけ煙を穴の中に流し込んで、狢が出てくるのを待ち構えていた。
すると寺の本堂の方から大きな声で「こらー、お前たち。本堂が煙で一杯じゃ。涙とくさみがでてかなわん」こわい顔をした方丈さん(住職)が現れた。
子供たちは驚いて皆そこから逃げ出したが、それ以来狢は姿を現さなくなったという。
どうもその時の方丈さんこそ、狢が最後に化けた姿であったのではないかと言い伝えられているそうです。
-------------------------------------------
何処にでもありそうな話ですね。
でも、何故鴉(カラス)の鳴き真似がうまい長さんが出てくるのでしょうか。不思議ですね。
ところで、この清涼寺は中町通りの金刀比羅神社の隣りにあります。
元々は1330年頃に尼寺ヶ原の地にあったのを1480年頃に現在の地に移したもので、府中城落城(1590年)時に焼失しました。

しかしその後にこの地を支配した「佐竹氏」により再建され、佐竹氏の菩提寺となりました。
しかし、10年位後には佐竹氏は家康によって秋田に移封となり、この清涼寺も、ともに秋田の湯沢に移されましたが、ここも残ったもののようです。
石岡には珍しく「佐竹家」の紋「月丸扇」が寺についています。
これを日の丸扇という人も多くいますが、当時日の丸は天皇家を指すので、月丸と称していたようです。

午後から電気屋を数か所まわって電子書籍リーダを探した。
しかし、あるのはシャープのガラパゴスだけで、先月発売されたソニーのリーダーを置いているところはなかった。まだ早いのか?
ネットで調べてみるとあまり店には置かずにネット販売しかやっていないのか?
6型で24,800円、5型で19,800円位だ。昔の書籍は青空文庫で提供しているものは無料でダウンロードできる。バックライトがないので、専用のブックカバーにライを付けて別売りしていた。
メモリも別に増やせるが、パソコンに入れておけば使うものだけを持ち運ぶには十分だと思う。
ダウンロード用のソフトはインターネットと接続したPCでダウンロードするようだ。
管理者権限でPCを接続せよというので、知らない人は少しまごつくかもしれない。
楽しみなものが出てきたと思う。
自分で手持ちの書籍をPDFにして読めるのも楽しみなことが出てきた。
さて、今日は人をだますという動物「むじな」の話を少し数回にわたってしてみたい。
狢(むじな)を辞書で調べると主に「アナグマ」のことを言うとなっています。
また「狸(タヌキ)」「ハクビシン」などを区別なく呼んだ総称だともいわれます。
日本各地に「狢」の名前のついた地名が残されており、石岡にも先日紹介したテレビ撮影などで有名な長楽寺のある「狢内」という地名がありました。しかし、今ではこの名前は少し範囲を広げて「龍明」に変わっています。
地名を調べてみると面白いことに、狢のつく地名が東日本から北日本それに北海道などしかなく、関西以西にはほとんどないそうです。
どうらや「狢」とは東日本で古来から狸やアナグマ、キツネなどを指す言葉として使われてきたようです。
そこに中国から「狸(タヌキ)」という言葉が伝わり西日本では全て狸と呼ばれてきたが、。東日本では両方が同じように使われてきたようです。
しかし、今では「狢(むじな)」は人を化かす動物と言う昔話の世界でのみ使われているといえますね。
さて、今日はこの狢が人をだました話しを一つ紹介します。
それは「清涼寺の狢」として伝わっています。
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清涼寺には、昔、境内の大竹藪の中にある池の側の穴に、一匹の古狢が棲んでいました。
そして夜になると近くの大杉に登って、お月様に化けたり、人に砂をかけたりのいたずらをしていました。
また、寺の南の長屋に「鴉(からす)の長さん」と呼ばれる鴉の鳴きまねが上手な男が住んでいました。
ある晩に、この長さんの雨戸をトントンと叩く音がするので、長さんが雨戸を開けてみても誰もいません。
そんなことが幾晩も続きました。
あまりにしつこいし、どうもいたずら好きな寺に棲む古狢だと思い無視して黙っていることにしました。
それからしばらくすると、長さんの返事がないので、面白くなくなったのかやってこなくなったとみえ音がしなくなった。
それから何日かたったある日に、近所の若者や子供たちが狢退治をしようと寺の近くに集まった。
そして、子供たちは狢を穴からいぶしだしてやろうと、穴にとうがらしに火をつけ煙を穴の中に流し込んで、狢が出てくるのを待ち構えていた。
すると寺の本堂の方から大きな声で「こらー、お前たち。本堂が煙で一杯じゃ。涙とくさみがでてかなわん」こわい顔をした方丈さん(住職)が現れた。
子供たちは驚いて皆そこから逃げ出したが、それ以来狢は姿を現さなくなったという。
どうもその時の方丈さんこそ、狢が最後に化けた姿であったのではないかと言い伝えられているそうです。
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何処にでもありそうな話ですね。
でも、何故鴉(カラス)の鳴き真似がうまい長さんが出てくるのでしょうか。不思議ですね。
ところで、この清涼寺は中町通りの金刀比羅神社の隣りにあります。
元々は1330年頃に尼寺ヶ原の地にあったのを1480年頃に現在の地に移したもので、府中城落城(1590年)時に焼失しました。

しかしその後にこの地を支配した「佐竹氏」により再建され、佐竹氏の菩提寺となりました。
しかし、10年位後には佐竹氏は家康によって秋田に移封となり、この清涼寺も、ともに秋田の湯沢に移されましたが、ここも残ったもののようです。
石岡には珍しく「佐竹家」の紋「月丸扇」が寺についています。
これを日の丸扇という人も多くいますが、当時日の丸は天皇家を指すので、月丸と称していたようです。

狢(むじな)の話 - 小川街道の狐
昼間は日が照っていれば温かいが、日が落ちるとやはり寒い。日陰に残った雪は凍りついて少しも小さくならない。気温はやはり低いのだ。
さて、狢(むじな)が人を化かす話と似た話で、キツネが化かす話も各地に多い。
ここ石岡にも「美人に化けた新地の狐」という話が伝わっている。
ここで紹介したくなったのは、今でこそ小川街道(355号線)は通りの両側に飲食店などが立ち並ぶ賑やかな通りとなっているが、そのむかしの趣を伝える昔話として面白いと思ったからである。
------------------------------------------
むかし、小川街道は「原道」といって道の両側は松林でおおわれ、人通りも少ない寂しいところであった。
県道沿いの兵崎地区の谷津(石岡中学校の少し先の反対側)に新池という池があった。
ここに古い狐が棲んでいて、よく通行人を化かすと言われていた。
明治初年のある夜、志筑(しずく)に住んでいたある男が、小川への用事をすませての帰りにこの池の付近にさしかかった。
すると、行く手に美しい一人の婦人があらわれ、「旦那さま、どちらへお越しですか」とやさしく声をかけてきたので、思わず「はい、志筑へ帰るところです」とこたえてしまった。
するとその婦人は「私も志筑へまいるところです。どうか一緒にお連れ下さい」と頼み込んできた。
少し疑わしい気もしたが、こんな美しい婦人と一緒なら楽しい道中になると考えた男は、承知して仲良く二人で府中の町々を通り、宮下を過ぎたあたりまでやってきた。
するとその婦人は「ごめんなさい」と言って、燈の見える一軒の家の中に入っていった。
男は不審に思い垣根の外に立って中の様子をうかがっていた。
しばらくすると、家人と挨拶する婦人の姿が障子に映り、続けてお土産の万頭(まんじゅう)の包みを開く姿が映った。そこには狐のしっぽが。
男はこれは狐の化身と思い、「そりゃ、いけねえ!それは馬糞だよ」と叫んで、家の中に飛び込んだ。
ところがそこは家ではなく池であったのだ。
男はおぼれて死んでしまったのだろう。
このようにこの新池は、幾人も尊い人命を奪ったので、「死池」とも呼ばれるようになったとのことである
--------------------------------------------
このように小川街道も、明治初めの頃までは、石岡の地がら少し離れただけであったが、寂しい通りだったようです。
しかし、この道は玉造・行方から鹿島や鉾田方面の海岸と結ぶ昔からの街道なのです。
鹿島から大洗の海岸で採れた塩を都「府中」へ運んだ「潮(塩)の道」でもあり、親鸞聖人も何回も通った道でもあります。
歴史の詰まった道ですが、鹿島鉄道が廃止されるとその昔のことも振り返らなくなってしまうとしたらとても寂しいことでもあり、その地には文化が育たないともいえるでしょう。
さて、狢(むじな)が人を化かす話と似た話で、キツネが化かす話も各地に多い。
ここ石岡にも「美人に化けた新地の狐」という話が伝わっている。
ここで紹介したくなったのは、今でこそ小川街道(355号線)は通りの両側に飲食店などが立ち並ぶ賑やかな通りとなっているが、そのむかしの趣を伝える昔話として面白いと思ったからである。
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むかし、小川街道は「原道」といって道の両側は松林でおおわれ、人通りも少ない寂しいところであった。
県道沿いの兵崎地区の谷津(石岡中学校の少し先の反対側)に新池という池があった。
ここに古い狐が棲んでいて、よく通行人を化かすと言われていた。
明治初年のある夜、志筑(しずく)に住んでいたある男が、小川への用事をすませての帰りにこの池の付近にさしかかった。
すると、行く手に美しい一人の婦人があらわれ、「旦那さま、どちらへお越しですか」とやさしく声をかけてきたので、思わず「はい、志筑へ帰るところです」とこたえてしまった。
するとその婦人は「私も志筑へまいるところです。どうか一緒にお連れ下さい」と頼み込んできた。
少し疑わしい気もしたが、こんな美しい婦人と一緒なら楽しい道中になると考えた男は、承知して仲良く二人で府中の町々を通り、宮下を過ぎたあたりまでやってきた。
するとその婦人は「ごめんなさい」と言って、燈の見える一軒の家の中に入っていった。
男は不審に思い垣根の外に立って中の様子をうかがっていた。
しばらくすると、家人と挨拶する婦人の姿が障子に映り、続けてお土産の万頭(まんじゅう)の包みを開く姿が映った。そこには狐のしっぽが。
男はこれは狐の化身と思い、「そりゃ、いけねえ!それは馬糞だよ」と叫んで、家の中に飛び込んだ。
ところがそこは家ではなく池であったのだ。
男はおぼれて死んでしまったのだろう。
このようにこの新池は、幾人も尊い人命を奪ったので、「死池」とも呼ばれるようになったとのことである
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このように小川街道も、明治初めの頃までは、石岡の地がら少し離れただけであったが、寂しい通りだったようです。
しかし、この道は玉造・行方から鹿島や鉾田方面の海岸と結ぶ昔からの街道なのです。
鹿島から大洗の海岸で採れた塩を都「府中」へ運んだ「潮(塩)の道」でもあり、親鸞聖人も何回も通った道でもあります。
歴史の詰まった道ですが、鹿島鉄道が廃止されるとその昔のことも振り返らなくなってしまうとしたらとても寂しいことでもあり、その地には文化が育たないともいえるでしょう。
狢(むじな)の話 - ゴボゴボ池
狢の話の3回目です。ここ石岡に残る狢の人を化かす話をもうひとつ伝えておきたいと思います。
それは今の風土記の丘公園の古代ハス(大賀ハス)が生い茂る「金山池」に伝わる話です。
--------------------------------------------
むかし、龍神山の中腹に狢の穴があり、ここに棲んでいた古狢はときおり人が道を通ると、東の空に月が上りかけているのに、月に化けて、その反対側の空に月を出してしまい、通行人に石を投げられては、あわてて木からとびおり、いそいで藪に逃げ込んだりしていたといいます。そのため「間抜けな古狢」といわれていました。
ある日の夕暮れどき、龍神山の麓にある金山池の辺りを通った男が、ふと池の方をみると、池の上にさし出た松のところに丸い、うす赤味をしたお月さまが出ていました。
男はこれはまた間抜け狢だなと思い、松の木の幹をゆり動かしたところ、狢は松幹にしがみついているようです。
そこで男は、さらに幹をゆすりながら大声で「馬鹿狢!池におっこちろ」と叫びました。
その大声におどろいたのか、古狢は松の幹から手足を外してしまい、そのままドボンと水におちてしまいました。
そして、ゴボゴボもがきながらとうとう溺死してしまったといいます。
それ以来、池の水はいつも、ゴボゴボと鳴っているといいます。
このため、この池のことをゴボゴボ池と呼ぶようになったのだということです。
-----------------------------------------------
どうです。他愛もない話ですよね。
ここでも狢が人に化けるのではなく「月」に化けていますね。

この狢が棲んでいたという龍神山は年々削られて小さくなっていっています。
昔は市の所有でしたが採石業者に売ってしまったようです。
幾らで売ったのかはあまり表示されていません。そして手に入れたものはなんだったのでしょうか?
市内のイベント広場の神栄製糸工場跡地を手に入れたのかもしれません。
でも失ったものはとてもとても大きいのです。
市では石岡は茨城の県名発祥の地と言っています。
それならなお更、この龍神山を手放すのは自殺行為ですね。
それは今の風土記の丘公園の古代ハス(大賀ハス)が生い茂る「金山池」に伝わる話です。
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むかし、龍神山の中腹に狢の穴があり、ここに棲んでいた古狢はときおり人が道を通ると、東の空に月が上りかけているのに、月に化けて、その反対側の空に月を出してしまい、通行人に石を投げられては、あわてて木からとびおり、いそいで藪に逃げ込んだりしていたといいます。そのため「間抜けな古狢」といわれていました。
ある日の夕暮れどき、龍神山の麓にある金山池の辺りを通った男が、ふと池の方をみると、池の上にさし出た松のところに丸い、うす赤味をしたお月さまが出ていました。
男はこれはまた間抜け狢だなと思い、松の木の幹をゆり動かしたところ、狢は松幹にしがみついているようです。
そこで男は、さらに幹をゆすりながら大声で「馬鹿狢!池におっこちろ」と叫びました。
その大声におどろいたのか、古狢は松の幹から手足を外してしまい、そのままドボンと水におちてしまいました。
そして、ゴボゴボもがきながらとうとう溺死してしまったといいます。
それ以来、池の水はいつも、ゴボゴボと鳴っているといいます。
このため、この池のことをゴボゴボ池と呼ぶようになったのだということです。
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どうです。他愛もない話ですよね。
ここでも狢が人に化けるのではなく「月」に化けていますね。

この狢が棲んでいたという龍神山は年々削られて小さくなっていっています。
昔は市の所有でしたが採石業者に売ってしまったようです。
幾らで売ったのかはあまり表示されていません。そして手に入れたものはなんだったのでしょうか?
市内のイベント広場の神栄製糸工場跡地を手に入れたのかもしれません。
でも失ったものはとてもとても大きいのです。
市では石岡は茨城の県名発祥の地と言っています。
それならなお更、この龍神山を手放すのは自殺行為ですね。
狢(むじな)の話 - 小泉八雲
今日はこちらは朝雨がぱらついたが、水戸の方は雪だったようだ。
こちらは雨のおかげで、前回の雪や路面の凍っているところが大分融けたようだ。
狢の話としては小泉八雲(ラフカディオハーン)の「怪談」に出てくる「のっぺらぼう」の顔の話が有名ですね。
このタイトルがムジナです。なぜこのタイトルになったのでしょう。
小泉八雲は日本に帰化し、耳なし法一などの話がもっともよく知られていますので、てっきりこの話も出雲の方の話かと思っていました。
しかし、出雲の国造の家系を持つ女性と結婚して、出雲に住んでいた期間は比較的短いようです。
日本に暮らした多くは東京にいたようです。
このムジナの話も江戸末期から明治初期の東京の赤坂にある紀之国坂での話です。
今の皇居のお濠とホテルニューオータニの近くです。
もう死後100年は過ぎているのでそのまま載せても問題はないでしょうが、一部のみを紹介します。
----------------------------------------
ある商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠(ほり)の縁(ふち)に踞(かが)んで、ひどく泣いている女を見た。身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、お女中』と声をかけた。『お女中、そんなにお泣きなさるな!……何がお困りなのか、私に仰しゃい。その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』しかし女は泣き続けていた。『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! ・・・・』
徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。
商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『お女中!――お女中!――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。』……するとそのお女中なるものは向きかえった。そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた――見ると目も鼻も口もない――きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。
一目散に紀国坂をかけ登った。ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。
それは道側(みちばた)に屋台を下していた蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ――ああ』……
『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『盗賊(どろぼう)にか?』
『盗賊(どろぼう)ではない――盗賊(どろぼう)ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁(ふち)で――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
--------------------------------------------
この話は江戸に伝わっている話をきっと聞いて想像をふくらまして書いたものなのでしょう。
小泉八雲は今から30年ほど前と書いているので、江戸の後期の話ですね。
皇居は江戸城があった場所ですが、結構寂しい坂も多かったのでしょう。
またこの中で「紀国坂」を何故このようにいうのかは知らないとも書いています。
興味があったことがうかがわれます。
でもこれで「ムジナ=のっぺらぼう」のように思われてしまったのですが、この辺りでそのような話は聞いたことがありません。
さて、狢とは何を指すのでしょう。狸やアライグマだけでなく、もっと似たようなもので人を化かすといわれるようなものをまとめて言うように思います。
ネットを調べていたら面白いものがありました。「たぬき・むじな事件」というものがあったようです。
大正13年(1924年)に「たぬき」の狩猟が禁止されます。しかし、施行された日の前に「むじな」捕獲し、施行後にこれを銃で撃ったのは狩猟法違反だというものです。判決は「たぬき=むじな」は動物学的に同一だが、多くの地域で「たぬきとむじなは別物」と考えられてきた。また、穴に閉じ込めて捕獲したのが刑法の施行前であったので無罪。・・・・
「たぬき=むじな」は動物学的に同一とは、なんとも分らない判決ですが・・・興味があればリンクを貼った「wikipedia」の説明を見てください。
こちらは雨のおかげで、前回の雪や路面の凍っているところが大分融けたようだ。
狢の話としては小泉八雲(ラフカディオハーン)の「怪談」に出てくる「のっぺらぼう」の顔の話が有名ですね。
このタイトルがムジナです。なぜこのタイトルになったのでしょう。
小泉八雲は日本に帰化し、耳なし法一などの話がもっともよく知られていますので、てっきりこの話も出雲の方の話かと思っていました。
しかし、出雲の国造の家系を持つ女性と結婚して、出雲に住んでいた期間は比較的短いようです。
日本に暮らした多くは東京にいたようです。
このムジナの話も江戸末期から明治初期の東京の赤坂にある紀之国坂での話です。
今の皇居のお濠とホテルニューオータニの近くです。
もう死後100年は過ぎているのでそのまま載せても問題はないでしょうが、一部のみを紹介します。
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ある商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠(ほり)の縁(ふち)に踞(かが)んで、ひどく泣いている女を見た。身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、お女中』と声をかけた。『お女中、そんなにお泣きなさるな!……何がお困りなのか、私に仰しゃい。その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』しかし女は泣き続けていた。『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! ・・・・』
徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。
商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『お女中!――お女中!――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。』……するとそのお女中なるものは向きかえった。そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた――見ると目も鼻も口もない――きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。
一目散に紀国坂をかけ登った。ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。
それは道側(みちばた)に屋台を下していた蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ――ああ』……
『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『盗賊(どろぼう)にか?』
『盗賊(どろぼう)ではない――盗賊(どろぼう)ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁(ふち)で――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
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この話は江戸に伝わっている話をきっと聞いて想像をふくらまして書いたものなのでしょう。
小泉八雲は今から30年ほど前と書いているので、江戸の後期の話ですね。
皇居は江戸城があった場所ですが、結構寂しい坂も多かったのでしょう。
またこの中で「紀国坂」を何故このようにいうのかは知らないとも書いています。
興味があったことがうかがわれます。
でもこれで「ムジナ=のっぺらぼう」のように思われてしまったのですが、この辺りでそのような話は聞いたことがありません。
さて、狢とは何を指すのでしょう。狸やアライグマだけでなく、もっと似たようなもので人を化かすといわれるようなものをまとめて言うように思います。
ネットを調べていたら面白いものがありました。「たぬき・むじな事件」というものがあったようです。
大正13年(1924年)に「たぬき」の狩猟が禁止されます。しかし、施行された日の前に「むじな」捕獲し、施行後にこれを銃で撃ったのは狩猟法違反だというものです。判決は「たぬき=むじな」は動物学的に同一だが、多くの地域で「たぬきとむじなは別物」と考えられてきた。また、穴に閉じ込めて捕獲したのが刑法の施行前であったので無罪。・・・・
「たぬき=むじな」は動物学的に同一とは、なんとも分らない判決ですが・・・興味があればリンクを貼った「wikipedia」の説明を見てください。
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