石岡のおまつりが始まります。
今日もまだ暑かったが、大分秋の気配が感じられるようになった。石岡のお祭りが9月18日~20日に行われるが、昨日の日曜日の晩に「たたき初め」がおこなわれた。市内の各地域で山車を引きだして伝統の「石岡囃子(ばやし)」などを披露していた。祭り好きにはたまらないようで例年張り切って参加をする人が多い。祭りの間は職場も休みにしたり、勝手に休んだり大変だ。学校の先生なども毎年参加する人がおり、その時はその先生は休みとなる。年に1度くらい熱中してもその他の時にしっかりやってくれれば何の問題もないと思っている。頑張れ! さて、この石岡のお祭りは「関東三大まつり」と地元では紹介してきた。そのおかげで、ネットで検索してみるとちゃんと認証されているようである。一昔前までは、地元だけが言っている程度の反応であったが、これも先にいった方が勝ちである。しかし、この三大まつりという三番目は多くは沢山存在するので、あまり意味はないと解釈すべきだ。それを最近「根拠がないから言うのを止める」なんてことを言うようになったとか・・・。あきれてものが言えない。
この「石岡のおまつり」は、「常陸国総社まつり」というそうだが、これは明治35年に年番制度ができた時に1年がかりで作られたものという。当時の人たちの相当の努力があってのものだろう。まったく敬意を表したい。しかし、この祭りの元となったのは、中町の矢口家本陣隣りにあった「天王社」の祇園祭であり、江戸時代中期の毎年6月1に始まり、14日に各町から風流物を出して練り歩いたという。富田のさらさが一番目でこれが現代のまつりにも踏襲されたと思われます。5番目が木之地のみろくであり、現在復活をはかっているようです。しかしこの祭りが盛んであったのは、江戸中期であり、記録も完全ではない。根拠をここに求めるよりも明治の先達が町を元気にする祭りとして創設してくれたということでいいではないか。今こそ町の活性化の起爆剤にもっともっと活用したいものである。ちなみに石岡の昔のパンフレットなどでは、関東三大祭りの残りは千葉県佐原の「佐原ばやし(大祭)」と東京府中の「暗闇祭り」ということであるが、府中の暗闇祭りは秩父の夜祭りなどと共に三大奇祭として数えられ、一般には「川越まつり」を入れているところが多いようである。これもいい加減といえばいい加減なもので、地元がそう思えば何も反対などするものではないのです。皆さん自信を持って三大祭りと言いましょう。そのためには規模ももっと大きくしなければ・・・。
この「石岡のおまつり」は、「常陸国総社まつり」というそうだが、これは明治35年に年番制度ができた時に1年がかりで作られたものという。当時の人たちの相当の努力があってのものだろう。まったく敬意を表したい。しかし、この祭りの元となったのは、中町の矢口家本陣隣りにあった「天王社」の祇園祭であり、江戸時代中期の毎年6月1に始まり、14日に各町から風流物を出して練り歩いたという。富田のさらさが一番目でこれが現代のまつりにも踏襲されたと思われます。5番目が木之地のみろくであり、現在復活をはかっているようです。しかしこの祭りが盛んであったのは、江戸中期であり、記録も完全ではない。根拠をここに求めるよりも明治の先達が町を元気にする祭りとして創設してくれたということでいいではないか。今こそ町の活性化の起爆剤にもっともっと活用したいものである。ちなみに石岡の昔のパンフレットなどでは、関東三大祭りの残りは千葉県佐原の「佐原ばやし(大祭)」と東京府中の「暗闇祭り」ということであるが、府中の暗闇祭りは秩父の夜祭りなどと共に三大奇祭として数えられ、一般には「川越まつり」を入れているところが多いようである。これもいい加減といえばいい加減なもので、地元がそう思えば何も反対などするものではないのです。皆さん自信を持って三大祭りと言いましょう。そのためには規模ももっと大きくしなければ・・・。
石岡のおまつり(1)-まつり前
これから関東三大祭りなどと言われる「石岡のおまつり」を地元にいる立場から紹介します。
私も石岡に長いわけでありませんので、わかる範囲で一つ一つ紹介できればと思っています。
祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といい、毎年9月の敬老の日が月曜となったので、2003年より土~月の3連休に行なわれます。今年は9月17日~19日です。
(追記:祭りの開催日は当初重陽の節句の9月9日を中日とする3日間(9月8、9、10日)でしたが、これを昭和42年(1967年)に敬老の日9月15日を中日とする3日間に変更となり、更に2003年に今のハピーマンデーの月曜日が最終日となるように変更されました。)
開催の3日間で約40万人程が見学に来ると言われています。
しかし、この総社宮の正式な例大祭は9月15日に行なわれています。
こちらの行事は神社としての正式な行事となって、石岡のお祭りとは分けて考えられているようです。
このお祭りは一般に、「佐原の大祭(佐原ばやし)」「川越祭り」と似たお祭りです。
基本的には祇園祭がベースだと思います。
この三大祭りに東京「府中の暗闇祭り」や「秩父の夜祭り」などいろいろに名前はあがりますが、これも声が大きいところと祭りに熱心なところがだんだんと一般に定着していくのだと思います。
石岡も大いにPRして、皆に認められるようになるといいと思います。
歴史的なことはまた後で紹介する機会もあると思いますが、現在の形になったのは明治35年と比較的新しいものです。
もちろん、それまでに継承されてきたお祭りなどもありますので、起点が何処になるかは解釈も分かれます。
それよりも、なにしろこの町は昔は祭りになると全てお休み、3日間街中が祭り一色になるということです。今でも全部とは言いませんが、熱心な方は仕事などやってられないのです。
私は隣り町にしばらくいましたが、子どもの中学の担任の先生が石岡の人で祭りは山車の上で笛を吹いたり太鼓をたたくので休暇をもらっていました。
こちらに越してきて、やっと祭りの仕組みが少しわかった気がしましたので、これから順に紹介しますね。
まずは、祭り前の街の様子です。
お店のショーウィンドウにおまつりグッズが並べられ、祭りの雰囲気が盛り上がります。
もう盛んに各地で太鼓の音が響いています。

中町商店街にて。(以前笑魚堂さんのお祭りストラップで紹介したものと同じですね。)
山車の上で演じられる新馬鹿(しんばか)というきつね踊りのキツネさんでしょう。
三村地区に伝わるものではないかと思われます。

駅前御幸通りの花屋さんで。獅子舞いの人形です。

同じく隣りにあった子供の獅子舞いでしょうか。かわいらしかったので・・・。

同じく御幸通りの老舗の佃煮やさん「飯田屋」さんの店先です。

こちらは香丸町から入った裏通りだったか? 木工屋さん?

中町の昭和初期の有形文化財「看板建築」のお店やさんの店先です。

同じく中町の老舗のお菓子屋さんの店先です。
写真は2年ほど前の8月末に撮ったものです。みなショーウィンドウのガラス越しに撮っているので反射していい写真はありませんが、雰囲気はわかると思います。
では次をお楽しみに。
私も石岡に長いわけでありませんので、わかる範囲で一つ一つ紹介できればと思っています。
祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といい、毎年9月の敬老の日が月曜となったので、2003年より土~月の3連休に行なわれます。今年は9月17日~19日です。
(追記:祭りの開催日は当初重陽の節句の9月9日を中日とする3日間(9月8、9、10日)でしたが、これを昭和42年(1967年)に敬老の日9月15日を中日とする3日間に変更となり、更に2003年に今のハピーマンデーの月曜日が最終日となるように変更されました。)
開催の3日間で約40万人程が見学に来ると言われています。
しかし、この総社宮の正式な例大祭は9月15日に行なわれています。
こちらの行事は神社としての正式な行事となって、石岡のお祭りとは分けて考えられているようです。
このお祭りは一般に、「佐原の大祭(佐原ばやし)」「川越祭り」と似たお祭りです。
基本的には祇園祭がベースだと思います。
この三大祭りに東京「府中の暗闇祭り」や「秩父の夜祭り」などいろいろに名前はあがりますが、これも声が大きいところと祭りに熱心なところがだんだんと一般に定着していくのだと思います。
石岡も大いにPRして、皆に認められるようになるといいと思います。
歴史的なことはまた後で紹介する機会もあると思いますが、現在の形になったのは明治35年と比較的新しいものです。
もちろん、それまでに継承されてきたお祭りなどもありますので、起点が何処になるかは解釈も分かれます。
それよりも、なにしろこの町は昔は祭りになると全てお休み、3日間街中が祭り一色になるということです。今でも全部とは言いませんが、熱心な方は仕事などやってられないのです。
私は隣り町にしばらくいましたが、子どもの中学の担任の先生が石岡の人で祭りは山車の上で笛を吹いたり太鼓をたたくので休暇をもらっていました。
こちらに越してきて、やっと祭りの仕組みが少しわかった気がしましたので、これから順に紹介しますね。
まずは、祭り前の街の様子です。
お店のショーウィンドウにおまつりグッズが並べられ、祭りの雰囲気が盛り上がります。
もう盛んに各地で太鼓の音が響いています。

中町商店街にて。(以前笑魚堂さんのお祭りストラップで紹介したものと同じですね。)
山車の上で演じられる新馬鹿(しんばか)というきつね踊りのキツネさんでしょう。
三村地区に伝わるものではないかと思われます。

駅前御幸通りの花屋さんで。獅子舞いの人形です。

同じく隣りにあった子供の獅子舞いでしょうか。かわいらしかったので・・・。

同じく御幸通りの老舗の佃煮やさん「飯田屋」さんの店先です。

こちらは香丸町から入った裏通りだったか? 木工屋さん?

中町の昭和初期の有形文化財「看板建築」のお店やさんの店先です。

同じく中町の老舗のお菓子屋さんの店先です。
写真は2年ほど前の8月末に撮ったものです。みなショーウィンドウのガラス越しに撮っているので反射していい写真はありませんが、雰囲気はわかると思います。
では次をお楽しみに。
石岡のおまつり(2)-まつり風景
石岡のおまつり、午前中はこの通りも車が通れますが、午後1時から9時までは通行止めです。
それぞれの町内の伝統の山車が通りを練り歩きます。

山車では笛太鼓に鉦の音が響きます。

それぞれの山車の上には大きな人形(ここ香丸町は聖徳太子です)が飾られます。
そして舞台ではこれも伝統の石岡囃子が演じられます。
石岡ばやしの詳細はまた後から機会があれば説明しましょう。

伝統の山車は全部で13台です。
人形は「八幡太郎」「弁財天」「仁徳天皇」「桃太郎」「聖徳太子」「楠木正成「大国主尊」「神武天皇」「日本武尊」「武甕槌命」「鐘馗」「菅原道真「静御前」です。
こうして名前を見ると全く統一が採れていませんね。

中町の昭和初期の登録文化財「看板建築」や石蔵とのマッチも見逃せません。
しかし今年は各所にひび割れや屋根瓦などの損傷が見られ、現在も修理中のものなども目立ちます。

その他に25騎近い幌獅子が通ると広い道も人がびっしりになってしまいます。
両側には屋台のお店が彩りを添えています。

どうですか、お祭りの規模のイメージはつかめましたでしょうか?

では、このあと、順を追って、祭りの神事から出し物などを見ていきましょう。
次回をお楽しみに。(毎日朝更新予定です)
それぞれの町内の伝統の山車が通りを練り歩きます。

山車では笛太鼓に鉦の音が響きます。

それぞれの山車の上には大きな人形(ここ香丸町は聖徳太子です)が飾られます。
そして舞台ではこれも伝統の石岡囃子が演じられます。
石岡ばやしの詳細はまた後から機会があれば説明しましょう。

伝統の山車は全部で13台です。
人形は「八幡太郎」「弁財天」「仁徳天皇」「桃太郎」「聖徳太子」「楠木正成「大国主尊」「神武天皇」「日本武尊」「武甕槌命」「鐘馗」「菅原道真「静御前」です。
こうして名前を見ると全く統一が採れていませんね。

中町の昭和初期の登録文化財「看板建築」や石蔵とのマッチも見逃せません。
しかし今年は各所にひび割れや屋根瓦などの損傷が見られ、現在も修理中のものなども目立ちます。

その他に25騎近い幌獅子が通ると広い道も人がびっしりになってしまいます。
両側には屋台のお店が彩りを添えています。

どうですか、お祭りの規模のイメージはつかめましたでしょうか?

では、このあと、順を追って、祭りの神事から出し物などを見ていきましょう。
次回をお楽しみに。(毎日朝更新予定です)
石岡のおまつり(3)-おっしゃい隊
どこの祭りにも最近はギャル系のお姉さん演じる調子を合わせた息のあった掛け声と踊りが増えてきたようです。
ここ石岡も伝統の行事とともに一種独特の踊りがありますので紹介しましょう。
こちらでは「おっしゃい隊」というそうです。どうも「わっしょい」のことのようです。
でも「すきならすきとおっしゃいよ」とか?

何時もは何処にいるんだろうと思うほど、お祭りには人が増えてきます。

もう、オジサンはこのパワーについていけませ~ん。

ねえねえ お姉さんたち、何時もはどんな格好してるの?

この娘たちは、3日間朝から晩まで元気です。
オジサンもパワーがほしい!

夜になると更にパワーアップしてる!!
ここ石岡も伝統の行事とともに一種独特の踊りがありますので紹介しましょう。
こちらでは「おっしゃい隊」というそうです。どうも「わっしょい」のことのようです。
でも「すきならすきとおっしゃいよ」とか?

何時もは何処にいるんだろうと思うほど、お祭りには人が増えてきます。

もう、オジサンはこのパワーについていけませ~ん。

ねえねえ お姉さんたち、何時もはどんな格好してるの?

この娘たちは、3日間朝から晩まで元気です。
オジサンもパワーがほしい!

夜になると更にパワーアップしてる!!
石岡のおまつり(4)-富田のささら
朝一番の更新としていましたが、記事が多いので、本日2本目の記事を載せます。
石岡のお祭りの神輿の先頭に立って露払いをする茨城県無形民俗文化財に指定されている「富田のささら」を紹介します。
富田町に伝わる伝統の獅子なのですが、非常に変わった独特なものです。
「七度半の迎えをうけて出る」というもので、なかなか姿を現しません。
表したと思ったら、素早く神輿の通る道を一気に駆け抜けます。

屋台は紺地にサッカーのシンボルマークでおなじみのヤタガラスを染め抜いており、ヤタガラスも神武東征の時に大和に入る道案内をしたという神話に基づいています。

獅子は全部で三匹です。老獅子・若獅子・女獅子といいます。女獅子には角がありません。
屋台の上では独特な動きをします。
太鼓に合わせて、黒の獅子がクルリと1回転します。(中に芯棒が入っていて、これを人が回します)

獅子頭は2本の角を持ち、黒漆が塗られており、目や歯は金箔で、のど部には軍鶏の羽で覆われています。
歴史的にも古く、江戸時代にはこのささらは登場していますが、はっきりしたことはわかっていません。
もともとこの富田町は江戸の宝永年間まで「馬之地町」といわれ、国中から府中に馬が集まってきていた時にその中心となった場所か、そのまとめ役などが住んでいたところと思われます。
「ささら」のこの三匹獅子は関東から東北にかけて多く見られ、それぞれ独特の文化があるようです。
石岡地区ではここ富田地区と三村地区に同じようなものがあり、三村地区のささらは享保年間にはじまり、富田はそれより古いと思われ、少なくても300年以上前に始まったものと考えられています。
また、茨城県のささらは主に「棒ささら」とよばれるもので、獅子に棒を刺して、その棒を回して、獅子をくるりと回転させます。この動きは独特で、他の地方の「ささら舞」とは違った文化を持っています。
秋田の角館周辺に「ささら舞」が民俗芸能として数か所で残っていますが、こちらは常陸国を統一した佐竹氏が秋田に移った時に伝えられたものと言われています。
従って、本当のささらの期限は室町時代くらいと考えられます。
このような民俗芸能のルーツを探るのなど面白そうです。
なお、ささらの名前の由来は手にもった竹の棒をささら(編木)といい、稲穂が擦れあう擬音を表す楽器になっているとのこと。
五穀豊穣や魔よけの意味をもつものとされます。
次は石岡独特の幌獅子を紹介します。
石岡のお祭りの神輿の先頭に立って露払いをする茨城県無形民俗文化財に指定されている「富田のささら」を紹介します。
富田町に伝わる伝統の獅子なのですが、非常に変わった独特なものです。
「七度半の迎えをうけて出る」というもので、なかなか姿を現しません。
表したと思ったら、素早く神輿の通る道を一気に駆け抜けます。

屋台は紺地にサッカーのシンボルマークでおなじみのヤタガラスを染め抜いており、ヤタガラスも神武東征の時に大和に入る道案内をしたという神話に基づいています。

獅子は全部で三匹です。老獅子・若獅子・女獅子といいます。女獅子には角がありません。
屋台の上では独特な動きをします。
太鼓に合わせて、黒の獅子がクルリと1回転します。(中に芯棒が入っていて、これを人が回します)

獅子頭は2本の角を持ち、黒漆が塗られており、目や歯は金箔で、のど部には軍鶏の羽で覆われています。
歴史的にも古く、江戸時代にはこのささらは登場していますが、はっきりしたことはわかっていません。
もともとこの富田町は江戸の宝永年間まで「馬之地町」といわれ、国中から府中に馬が集まってきていた時にその中心となった場所か、そのまとめ役などが住んでいたところと思われます。
「ささら」のこの三匹獅子は関東から東北にかけて多く見られ、それぞれ独特の文化があるようです。
石岡地区ではここ富田地区と三村地区に同じようなものがあり、三村地区のささらは享保年間にはじまり、富田はそれより古いと思われ、少なくても300年以上前に始まったものと考えられています。
また、茨城県のささらは主に「棒ささら」とよばれるもので、獅子に棒を刺して、その棒を回して、獅子をくるりと回転させます。この動きは独特で、他の地方の「ささら舞」とは違った文化を持っています。
秋田の角館周辺に「ささら舞」が民俗芸能として数か所で残っていますが、こちらは常陸国を統一した佐竹氏が秋田に移った時に伝えられたものと言われています。
従って、本当のささらの期限は室町時代くらいと考えられます。
このような民俗芸能のルーツを探るのなど面白そうです。
なお、ささらの名前の由来は手にもった竹の棒をささら(編木)といい、稲穂が擦れあう擬音を表す楽器になっているとのこと。
五穀豊穣や魔よけの意味をもつものとされます。
次は石岡独特の幌獅子を紹介します。
石岡のおまつり(5)-幌獅子
さて、幌獅子(ほろじし)というのはあまり一般名的ではないですね。
これは石岡の祭り独特の物なんです。
佐原大祭や川越氷川神社の祭りなどではやはり上に大きな人形をのせた山車がでますが、この幌獅子はありません。
少し狭いところでも通れますので、いいのかもしれませんが、他ではない祭りの風情が見られます。
午後3時に駅前通りで、この幌獅子が一斉に集まってのパレードが行なわれます。

これが幌獅子です。
先頭は獅子舞いの獅子頭で、石岡のトレードマークのようになっていますね。
その後ろはいわゆる幌馬車の荷台部分です。
覆われる布は大概は2色のストライプ柄で、それぞれの町内で違っています。この色で区別できるようです。

この獅子頭は約20kgくらいの重さがあり、これが一斉に町の中を太鼓や笛・鉦に合わせて激しく左右にくねらせながら踊るのです。
なかなか壮観ですよ。
ただ、若者が一人で中で踊るので、とても長くはもちません。数人が交代交代で必死です。
でもこれがやる方も楽しいようです。

お~い、誰か変わってくれ~。と言っているかな?

どうだ、おれの方が格好いいだろう。
どの子の頭をかじろうかな?

主にこの幌獅子も駅前通りや、中町・香丸通りがメインですが、最初に回るところが大体決まっているようです。
中町の通りから府中酒造さんの前を通り、北向観音のところから金丸寿通りを進みます。
写真の後方に見える屋根が「富田の北向観音」です。

府中酒造さんの石蔵(国の有形文化財)のわきを行きます。石岡の祭りの良さはこの風情かもしれません。
これは石岡の祭り独特の物なんです。
佐原大祭や川越氷川神社の祭りなどではやはり上に大きな人形をのせた山車がでますが、この幌獅子はありません。
少し狭いところでも通れますので、いいのかもしれませんが、他ではない祭りの風情が見られます。
午後3時に駅前通りで、この幌獅子が一斉に集まってのパレードが行なわれます。

これが幌獅子です。
先頭は獅子舞いの獅子頭で、石岡のトレードマークのようになっていますね。
その後ろはいわゆる幌馬車の荷台部分です。
覆われる布は大概は2色のストライプ柄で、それぞれの町内で違っています。この色で区別できるようです。

この獅子頭は約20kgくらいの重さがあり、これが一斉に町の中を太鼓や笛・鉦に合わせて激しく左右にくねらせながら踊るのです。
なかなか壮観ですよ。
ただ、若者が一人で中で踊るので、とても長くはもちません。数人が交代交代で必死です。
でもこれがやる方も楽しいようです。

お~い、誰か変わってくれ~。と言っているかな?

どうだ、おれの方が格好いいだろう。
どの子の頭をかじろうかな?

主にこの幌獅子も駅前通りや、中町・香丸通りがメインですが、最初に回るところが大体決まっているようです。
中町の通りから府中酒造さんの前を通り、北向観音のところから金丸寿通りを進みます。
写真の後方に見える屋根が「富田の北向観音」です。

府中酒造さんの石蔵(国の有形文化財)のわきを行きます。石岡の祭りの良さはこの風情かもしれません。
石岡のおまつり(6)-石岡ばやし
やはり石岡のおまつりを彩るのは山車の舞台で演じられる「石岡囃子(ばやし)」だろう。
昭和55年に、山車囃子と土橋の獅子囃子および土橋の獅子舞いが文化財の県指定無形民俗文化財の指定を受けました。
もともと石岡ばやしというものはなく、ここの「三村地区」および「染谷地区」に昔から伝わる囃子をこのお祭りにとりいれたものです。
そのため、各15名程で結成されている囃子連が24連くらい存在し、染谷流と三村流の流れが別々に踏襲されています。
またこれとは別に太田三楽斎の城のあった片野地区には排禍囃子がつたわっており、柿岡地区にも祇園祭で演じられる囃子があります。


きつねの舞い(曲は新馬鹿(しんばか))

おかめ踊り(曲は四丁目(しちょうめ) )




ひょっとこ踊り(曲は仁羽(にんば) ) 一番多い。
このほかに、撒喜利(さんぎり)という曲があり、山車の出発の時のみに演奏されるといいます。
では続きをお楽しみに。
昭和55年に、山車囃子と土橋の獅子囃子および土橋の獅子舞いが文化財の県指定無形民俗文化財の指定を受けました。
もともと石岡ばやしというものはなく、ここの「三村地区」および「染谷地区」に昔から伝わる囃子をこのお祭りにとりいれたものです。
そのため、各15名程で結成されている囃子連が24連くらい存在し、染谷流と三村流の流れが別々に踏襲されています。
またこれとは別に太田三楽斎の城のあった片野地区には排禍囃子がつたわっており、柿岡地区にも祇園祭で演じられる囃子があります。


きつねの舞い(曲は新馬鹿(しんばか))

おかめ踊り(曲は四丁目(しちょうめ) )




ひょっとこ踊り(曲は仁羽(にんば) ) 一番多い。
このほかに、撒喜利(さんぎり)という曲があり、山車の出発の時のみに演奏されるといいます。
では続きをお楽しみに。
石岡のおまつり(7)-本神輿
石岡のおまつり1日目は「神幸祭(じんこうさい)」といい、常陸国総社宮から神様(御霊)がその年の年番になった町に設けられた御仮屋に本神輿(みこし)に乗ってやってきます。
行事は午後2時に花火の音を合図に祭りが一斉に始まります。


まつりの開始の合図(花火)の音を待つ各町内の幌獅子。
総社宮の参道から境内にかけて、たくさんの幌獅子と見物客でいっぱいです。

出発の合図を聞いた幌獅子が神社の鳥居をくぐって街に繰り出します。
合図は花火で知らせますが、神輿と供奉(くぶ)行列が動き出すのが合図になります。
しかし、その前に神様が神輿に乗り移らねばなりません(神事)。
これは先ほどの写真の先にある茅葺の随身門の奥の境内で行なわれています。
人がいっぱいで、この神事を見落としましたが、翌日の午後の明神神輿でも行なわれていましたので、後ほど2日目の行事の中で紹介します。

神輿の担ぎ手は白装束に烏帽子をつけ平安時代を思わせますね。
皆、担ぐ前に並んで、巫女さんよりお神酒でお清めします。


ここ総社宮の神輿には皇室と同じ「菊のご紋」(正式な16弁)が付けられています。
明治30年の製作です。

かなり重そうです。しかし重量は?
神様をお乗せしているので内緒のようです。

もう汗びっしょりですね。この神輿は街中を2時間かけて練り歩き、年番の町(今年は総社にもっとも近い土橋町)の御仮屋に到着します。
行事は午後2時に花火の音を合図に祭りが一斉に始まります。


まつりの開始の合図(花火)の音を待つ各町内の幌獅子。
総社宮の参道から境内にかけて、たくさんの幌獅子と見物客でいっぱいです。

出発の合図を聞いた幌獅子が神社の鳥居をくぐって街に繰り出します。
合図は花火で知らせますが、神輿と供奉(くぶ)行列が動き出すのが合図になります。
しかし、その前に神様が神輿に乗り移らねばなりません(神事)。
これは先ほどの写真の先にある茅葺の随身門の奥の境内で行なわれています。
人がいっぱいで、この神事を見落としましたが、翌日の午後の明神神輿でも行なわれていましたので、後ほど2日目の行事の中で紹介します。

神輿の担ぎ手は白装束に烏帽子をつけ平安時代を思わせますね。
皆、担ぐ前に並んで、巫女さんよりお神酒でお清めします。


ここ総社宮の神輿には皇室と同じ「菊のご紋」(正式な16弁)が付けられています。
明治30年の製作です。

かなり重そうです。しかし重量は?
神様をお乗せしているので内緒のようです。

もう汗びっしょりですね。この神輿は街中を2時間かけて練り歩き、年番の町(今年は総社にもっとも近い土橋町)の御仮屋に到着します。
石岡のおまつり(8)-供奉行列
総社宮境内より神輿が町へ繰り出します。これは神輿を囲むように供奉(ぐぶ)行列という隊列を組んで進みます。
多くの見物客は街中に入ると幌獅子や山車に囲まれるためあまり行列がどのように組まれているかはわからないくらいです。
実際は
「富田のささら」-「露祓獅子」-「祭太鼓」-「真榊」-「猿田彦」-「社銘旗」-「比礼鉾」「祭礼委員会」-「四神旗」-「氏子会長」-「錦旗」-「唐櫃(からびつ)」-「神輿」-「巫女」-「宮司」-「神官-「前駆」-「氏子」「年番役員」-幌獅子(年番順)となっているそうです。
しかし、富田のささらはいち早く駆けて行ってしまいます。(詳細は前回行いました)

猿田彦と社銘旗。猿田彦はどこでも天狗ですね。神話に出てくる案内役です。

四神旗や祭礼委員会、氏子会長などの列


氏子や役員代表の人達

巫女、宮司、神官の列

唐櫃(からびつ)です。神輿のすぐ前を行きます。

総社宮の太鼓の台座にも神輿と同じく菊のご紋がついています。
また次をお楽しみに。
多くの見物客は街中に入ると幌獅子や山車に囲まれるためあまり行列がどのように組まれているかはわからないくらいです。
実際は
「富田のささら」-「露祓獅子」-「祭太鼓」-「真榊」-「猿田彦」-「社銘旗」-「比礼鉾」「祭礼委員会」-「四神旗」-「氏子会長」-「錦旗」-「唐櫃(からびつ)」-「神輿」-「巫女」-「宮司」-「神官-「前駆」-「氏子」「年番役員」-幌獅子(年番順)となっているそうです。
しかし、富田のささらはいち早く駆けて行ってしまいます。(詳細は前回行いました)

猿田彦と社銘旗。猿田彦はどこでも天狗ですね。神話に出てくる案内役です。

四神旗や祭礼委員会、氏子会長などの列


氏子や役員代表の人達

巫女、宮司、神官の列

唐櫃(からびつ)です。神輿のすぐ前を行きます。

総社宮の太鼓の台座にも神輿と同じく菊のご紋がついています。
また次をお楽しみに。
石岡のおまつり(9)-奉納相撲
石岡のお祭りの2日目(大祭)に常陸総社宮の境内で朝十時半より奉納相撲が行なわれます。
これは「茨城県高校相撲選手権大会」です。
まつりは基本として3日間ともに午後からはじまるとされていますので、午前中は見物客も少なめです。

場所は境内の随身門脇の土俵です。
普段は使われることがほとんどありません。
この随身門は最近修理改修が行なわれたので、この写真よりきれいになっていますが、右大臣・左大臣の像は来年春まで保存修理のため持ち出されており今はありません。

高等学校の相撲部の選手が集まります。

茨城県は昔から相撲取りも多く、今でも相撲が盛んなようです。
皆驚くほどいい体をしています。
この相撲が終わると、午後から「明神神輿宮出し」の行事が行なわれ、
・巫女舞い(浦安の舞)
・染谷十二座神楽
が総社の舞台で披露されます。
めったに見られないものですので、時間が許せばこちらも是非ご覧になってから街に繰り出されたら良いと思います。
次回は「明神神輿宮出し」についてです。お楽しみに。
これは「茨城県高校相撲選手権大会」です。
まつりは基本として3日間ともに午後からはじまるとされていますので、午前中は見物客も少なめです。

場所は境内の随身門脇の土俵です。
普段は使われることがほとんどありません。
この随身門は最近修理改修が行なわれたので、この写真よりきれいになっていますが、右大臣・左大臣の像は来年春まで保存修理のため持ち出されており今はありません。

高等学校の相撲部の選手が集まります。

茨城県は昔から相撲取りも多く、今でも相撲が盛んなようです。
皆驚くほどいい体をしています。
この相撲が終わると、午後から「明神神輿宮出し」の行事が行なわれ、
・巫女舞い(浦安の舞)
・染谷十二座神楽
が総社の舞台で披露されます。
めったに見られないものですので、時間が許せばこちらも是非ご覧になってから街に繰り出されたら良いと思います。
次回は「明神神輿宮出し」についてです。お楽しみに。
石岡のおまつり(10)-明神神輿宮出し
まつり2日目の午後二時頃から総社の境内で「明神神輿宮出し」が行なわれます。
一般の見物客の方はほとんどが知らない方が多いと思います。
この頃街中ではおまつり2日目がスタートされ、屋台も開店しますので多くの見物客はそちらに行っています。
また、午後3時には駅前通りにて幌獅子パレードが行なわれますので、それを待っている方が多いですね。
さてこの「明神神輿」って何でしょう?
初日に本神輿が、総社宮の神様をのせて御仮屋に行ってしまっています。
2日目は本神輿も神様も年番の町の御仮屋にあります。
しかし、神様はここ総社宮にも残っています。
神様は自分の身を分身させて本神楽に乗り移っています。
明神神輿は本神輿を修理するために一時使えない時があったので、その代役として造られた一回り小さい神輿です。
いつもは本神輿と明神神輿の2つは総社の境内に保管されています。
従って、本神輿を宮出ししたので、もう一つの明神神輿も宮出しするのです。

昼から、明神神輿を境内に出します。

神輿に飾り付けを行ないます。お祭りの町内会の代表などで行なうようです。

開始時刻が近付くと、1台の幌獅子(頭に獅子頭で後ろに車のついた荷台に2色の縞模様の幌をかぶせたもの)がやってきました。
この幌の模様は「仲之内町の幌獅子」ですね。

もう一匹の幌獅子がやってきて、総社の拝殿で祈願を済ませました。
この拝殿は狭いので、大きな獅子が拝殿で舞うのは結構大変です。
こちらの獅子は県の民俗文化財にも指定されている「土橋町の幌獅子」のようです。
「土橋町」も「仲之内町」の幌獅子どちらも神輿の露払の役目を担っている獅子です。

いよいよ神輿に神様が移られる儀式が行なわれます。
白い幕で覆われて、神様は総社本殿から神主に伴われてやってきました。
見ていると、神主が中に入り、神様をおうつしするのですが、これは何処の神社でもたまに行なわれるように、「ウーウー」という唸り声が発せられます。(本神輿でも1日目に行なわれていると思います)
(まだ見たことのない方は、人も少ないので、2日目は良く見られます)

最後に神主の祝詞が読まれます。

この明神神輿はこの後、幌獅子とともに、町を練り歩き夕方戻ってくるようです。
戻ったところは確認していません。またはじめと同じような儀式が行なわれるのでしょう。

この明神神輿は翌日見たらちゃんと元に格納されていました。
では次回は、この後に神社の舞台で行なわれる「巫女舞い」を紹介します。お楽しみ。
一般の見物客の方はほとんどが知らない方が多いと思います。
この頃街中ではおまつり2日目がスタートされ、屋台も開店しますので多くの見物客はそちらに行っています。
また、午後3時には駅前通りにて幌獅子パレードが行なわれますので、それを待っている方が多いですね。
さてこの「明神神輿」って何でしょう?
初日に本神輿が、総社宮の神様をのせて御仮屋に行ってしまっています。
2日目は本神輿も神様も年番の町の御仮屋にあります。
しかし、神様はここ総社宮にも残っています。
神様は自分の身を分身させて本神楽に乗り移っています。
明神神輿は本神輿を修理するために一時使えない時があったので、その代役として造られた一回り小さい神輿です。
いつもは本神輿と明神神輿の2つは総社の境内に保管されています。
従って、本神輿を宮出ししたので、もう一つの明神神輿も宮出しするのです。

昼から、明神神輿を境内に出します。

神輿に飾り付けを行ないます。お祭りの町内会の代表などで行なうようです。

開始時刻が近付くと、1台の幌獅子(頭に獅子頭で後ろに車のついた荷台に2色の縞模様の幌をかぶせたもの)がやってきました。
この幌の模様は「仲之内町の幌獅子」ですね。

もう一匹の幌獅子がやってきて、総社の拝殿で祈願を済ませました。
この拝殿は狭いので、大きな獅子が拝殿で舞うのは結構大変です。
こちらの獅子は県の民俗文化財にも指定されている「土橋町の幌獅子」のようです。
「土橋町」も「仲之内町」の幌獅子どちらも神輿の露払の役目を担っている獅子です。

いよいよ神輿に神様が移られる儀式が行なわれます。
白い幕で覆われて、神様は総社本殿から神主に伴われてやってきました。
見ていると、神主が中に入り、神様をおうつしするのですが、これは何処の神社でもたまに行なわれるように、「ウーウー」という唸り声が発せられます。(本神輿でも1日目に行なわれていると思います)
(まだ見たことのない方は、人も少ないので、2日目は良く見られます)

最後に神主の祝詞が読まれます。

この明神神輿はこの後、幌獅子とともに、町を練り歩き夕方戻ってくるようです。
戻ったところは確認していません。またはじめと同じような儀式が行なわれるのでしょう。

この明神神輿は翌日見たらちゃんと元に格納されていました。
では次回は、この後に神社の舞台で行なわれる「巫女舞い」を紹介します。お楽しみ。
石岡のおまつり(11)-巫女舞
おまつり2日目の総社宮で行なわれる行事を紹介しているが、今日は巫女舞である。
一般に「浦安の舞」という舞いが披露される。

2人の若い巫女さんが「浦安の舞」を披露します。
なかなか優雅な舞です。
最初は扇の舞いから入ります。

この浦安の舞いは昭和15年に「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせて全国の神楽舞を合わせて作曲作舞されたものだといいます。
全国的に共通する舞いだそうです。

少し緊張気味かな?
これは「鈴舞い」です。
浦安とは心の平穏を表すとされています。

この時は「浦安の他にもう一つの巫女舞が披露されました。題名は忘れてしまいましたのでわかりません。


なかなか厳かで心がやすまる気がします。
次回は同じ舞台でおこなわれる染谷佐志能神社に伝わる「染谷十二座神楽」を紹介します。
一般に「浦安の舞」という舞いが披露される。

2人の若い巫女さんが「浦安の舞」を披露します。
なかなか優雅な舞です。
最初は扇の舞いから入ります。

この浦安の舞いは昭和15年に「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせて全国の神楽舞を合わせて作曲作舞されたものだといいます。
全国的に共通する舞いだそうです。

少し緊張気味かな?
これは「鈴舞い」です。
浦安とは心の平穏を表すとされています。

この時は「浦安の他にもう一つの巫女舞が披露されました。題名は忘れてしまいましたのでわかりません。


なかなか厳かで心がやすまる気がします。
次回は同じ舞台でおこなわれる染谷佐志能神社に伝わる「染谷十二座神楽」を紹介します。
石岡のおまつり(12)-染谷十二座神楽(1)
まつりの中日に総社宮で披露される「染谷十二座神楽」を紹介します。
この神楽はとても古く(400年前頃)から染谷地区に伝わる神楽で、毎年4月19日に佐志能神社で行なわれる行事です。市指定有形民族文化財となっています。
①猿田彦の舞、②長刀(なぎなた)つかい、③矢大臣、④剣の舞、⑤豆まき、⑥キツネの田うない、⑦種まき、⑧巫女舞、⑨鬼の餅まき、⑩みきの舞、⑪えびすの舞、⑫天の岩戸の12座である(1~4は四方固めと祓いの舞で1人 舞いである)。
さて、この中のいくつかがお祭りの大祭に総社宮で披露されるのですが、この中に「巫女舞」と「天の岩戸」の2つに地元の小学生が出てきます。
選ばれた子供は毎年地元の公民館で練習して大変だそうです。
今日はここに焦点を当てて紹介しますね。
とてもかわいらしく伝統を是非守っていってほしいものだと思います。

皆が見守る舞台に二人の巫女(小学生)が現れました。緊張した面持ちが見てとれます。
親御さんたちも舞台のそでで心配そうです。

十二座神楽の演目の「巫女舞」は2人の巫女が両手に鈴を持って、笛に合わせて舞います。

どうですか、背中に緊張感が・・・。これはもうこちらが親か祖父さんの気持ちになっていますね。

舞い終わって舞台を去るところです。

舞台のそでに引き揚げてからホッとした笑顔が何ともいえず、とてもかわいらしいですね。

最後に舞台に出て行って皆さんに挨拶です(顔見せだけ)。
ではその他の十二座神楽を次に紹介します。お楽しみに。
この神楽はとても古く(400年前頃)から染谷地区に伝わる神楽で、毎年4月19日に佐志能神社で行なわれる行事です。市指定有形民族文化財となっています。
①猿田彦の舞、②長刀(なぎなた)つかい、③矢大臣、④剣の舞、⑤豆まき、⑥キツネの田うない、⑦種まき、⑧巫女舞、⑨鬼の餅まき、⑩みきの舞、⑪えびすの舞、⑫天の岩戸の12座である(1~4は四方固めと祓いの舞で1人 舞いである)。
さて、この中のいくつかがお祭りの大祭に総社宮で披露されるのですが、この中に「巫女舞」と「天の岩戸」の2つに地元の小学生が出てきます。
選ばれた子供は毎年地元の公民館で練習して大変だそうです。
今日はここに焦点を当てて紹介しますね。
とてもかわいらしく伝統を是非守っていってほしいものだと思います。

皆が見守る舞台に二人の巫女(小学生)が現れました。緊張した面持ちが見てとれます。
親御さんたちも舞台のそでで心配そうです。

十二座神楽の演目の「巫女舞」は2人の巫女が両手に鈴を持って、笛に合わせて舞います。

どうですか、背中に緊張感が・・・。これはもうこちらが親か祖父さんの気持ちになっていますね。

舞い終わって舞台を去るところです。

舞台のそでに引き揚げてからホッとした笑顔が何ともいえず、とてもかわいらしいですね。

最後に舞台に出て行って皆さんに挨拶です(顔見せだけ)。
ではその他の十二座神楽を次に紹介します。お楽しみに。
石岡のおまつり(13)-染谷十二座神楽(2)
染谷十二座神楽の続きです。
①猿田彦の舞、②長刀(なぎなた)つかい、③矢大臣、④剣の舞、⑤豆まき、⑥キツネの田うない、⑦種まき、⑧巫女舞、⑨鬼の餅まき、⑩みきの舞、⑪えびすの舞、⑫天の岩戸
の十二座ですが、この日は全部が披露されるとは言えないようです。
前に披露されたものをアップしておきます。

「天の岩戸」です。ここではこの前に紹介された小学生の巫女も登場します。


「剣の舞」です。

「キツネの田うない」

「鬼の餅まき」です。餅がまかれます。

「猿田彦の舞」です。

「矢大臣」です。

「えびすの舞」? これは4人舞いですが、今回は「矢大臣」と同時に演じられたのか?

長刀(なぎなた)つかい
さて、次は忘れられた伝統人形「木之地のみろく」を紹介します。
①猿田彦の舞、②長刀(なぎなた)つかい、③矢大臣、④剣の舞、⑤豆まき、⑥キツネの田うない、⑦種まき、⑧巫女舞、⑨鬼の餅まき、⑩みきの舞、⑪えびすの舞、⑫天の岩戸
の十二座ですが、この日は全部が披露されるとは言えないようです。
前に披露されたものをアップしておきます。

「天の岩戸」です。ここではこの前に紹介された小学生の巫女も登場します。


「剣の舞」です。

「キツネの田うない」

「鬼の餅まき」です。餅がまかれます。

「猿田彦の舞」です。

「矢大臣」です。

「えびすの舞」? これは4人舞いですが、今回は「矢大臣」と同時に演じられたのか?

長刀(なぎなた)つかい
さて、次は忘れられた伝統人形「木之地のみろく」を紹介します。
石岡のおまつり(14)-木之地のみろく
明治35年の年番制度ができた時、当時の地元の役員たちが1年かけて、この石岡のおまつりを作り上げました。
そして十六の町がこの制度に加わりました。
しかし、所帯が小さいということでこの「木之地」町が昭和27年に辞退し(昭和12年の年番が最後)、現在15の旧町内が年番を順にまわっています。
木之地町は脱退しましたが、ここの愛宕神社に伝わる「木之地のみろく」は大変興味深いものです。
昔、現在の中町に「天王社」という神社があり、ここで毎年6月14日に行なわれていた「祇園祭」が西暦1700年代半ば頃から行なわれていたといいます。これが今の祭りの原型となっています。
そして、この「木之地のみろく」も5番目に登場します。1番は「富田のささら」です。
この人形は、現在おまつりの時に、通りに面した町内の会所にて披露されています。
興味のある方は見てください。
木之地のみろくについて:
「みろく」とは、弥勒菩薩である。
元禄15年(1702)に作られたといわれる木之地のみろくが、どのような姿をしたものかは明らかではない。江戸時代の祭事を記録した文書には祭礼の出し物として出されていたという。
祭礼参加の記録では、嘉永4年(1851)が最後と思われていたが、地元の人が復活を願い、それから83年後の昭和9年に竹原の弥勒を参考にして総社宮の祭礼(年番守木町)に出し物として復活させた。
それは、愛宕神社に古い一、ニ体の人形があり、破損を修理して数体の人形を作り、また数体を竹原よりお借りして、祭りに出したという。
しかし木之地町は所帯が小さく昭和12年を最後に祭りの年番より脱退しました。
何とか「木之地のみろく」を復活させようと平成16年に祭礼に合わせて木之地町の会所にみろく人形を飾っています。

飾られているみろくの人形です。
「爺」(前口上)「若侍」(受口上)「姫」(舞)で口上と笛や太鼓で踊りがついていたようです。
大野のみろく・・・青(鹿島様)、赤(香取様)、黄(春日様)
元町のみろく・・・赤(鹿島様)、白(住吉様)、青(春日様)
竹原のみろく・・・青・黄・赤・白・黒の男人形に、白の女人形
とのこと。
この「木之地のみろく」人形は竹原のものを参考に復活されたものと思われます。
(本内容は会所にて配られた説明パンフおよび「石岡の歴史」(石岡市史編さん委員会編)より得ています)
歴史的には県内に6か所しか残されていない「みろく」人形も興味がありますが、あまり詳細が不明なところがあり、このようなところももう少し検証して記録として残してほしいものです。
(この石岡のおまつりのルーツがわかりそうに思います)
そして十六の町がこの制度に加わりました。
しかし、所帯が小さいということでこの「木之地」町が昭和27年に辞退し(昭和12年の年番が最後)、現在15の旧町内が年番を順にまわっています。
木之地町は脱退しましたが、ここの愛宕神社に伝わる「木之地のみろく」は大変興味深いものです。
昔、現在の中町に「天王社」という神社があり、ここで毎年6月14日に行なわれていた「祇園祭」が西暦1700年代半ば頃から行なわれていたといいます。これが今の祭りの原型となっています。
そして、この「木之地のみろく」も5番目に登場します。1番は「富田のささら」です。
この人形は、現在おまつりの時に、通りに面した町内の会所にて披露されています。
興味のある方は見てください。
木之地のみろくについて:
「みろく」とは、弥勒菩薩である。
元禄15年(1702)に作られたといわれる木之地のみろくが、どのような姿をしたものかは明らかではない。江戸時代の祭事を記録した文書には祭礼の出し物として出されていたという。
祭礼参加の記録では、嘉永4年(1851)が最後と思われていたが、地元の人が復活を願い、それから83年後の昭和9年に竹原の弥勒を参考にして総社宮の祭礼(年番守木町)に出し物として復活させた。
それは、愛宕神社に古い一、ニ体の人形があり、破損を修理して数体の人形を作り、また数体を竹原よりお借りして、祭りに出したという。
しかし木之地町は所帯が小さく昭和12年を最後に祭りの年番より脱退しました。
何とか「木之地のみろく」を復活させようと平成16年に祭礼に合わせて木之地町の会所にみろく人形を飾っています。

飾られているみろくの人形です。
「爺」(前口上)「若侍」(受口上)「姫」(舞)で口上と笛や太鼓で踊りがついていたようです。
大野のみろく・・・青(鹿島様)、赤(香取様)、黄(春日様)
元町のみろく・・・赤(鹿島様)、白(住吉様)、青(春日様)
竹原のみろく・・・青・黄・赤・白・黒の男人形に、白の女人形
とのこと。
この「木之地のみろく」人形は竹原のものを参考に復活されたものと思われます。
(本内容は会所にて配られた説明パンフおよび「石岡の歴史」(石岡市史編さん委員会編)より得ています)
歴史的には県内に6か所しか残されていない「みろく」人形も興味がありますが、あまり詳細が不明なところがあり、このようなところももう少し検証して記録として残してほしいものです。
(この石岡のおまつりのルーツがわかりそうに思います)
石岡のおまつり(15)-年番制度
石岡のおまつりは、現在の形となったのは明治35年に始まった年番制度に合わせてです。
総社宮の奉仕を1年ごとに旧町内の持ち回りで行なうものです。
お祭りから次の祭りまでの間、その町内が担当します。

さて、この祭りは比較的に新しいと思われますが、中町に昔あった「天王社」の祇園まつりがもとになっていると思われます。
明和年間の1760年代から毎年6月14日に行なわれていたというおまつりで、現在と同じような旧町内で行列の順番が決まっていたようです。
一番(富田のささら)、二番(中町の屋台おどり)、三番(香丸の子供おどり)、四番(守木の子供おどり)、五番(木之地のみろく)、六番(泉町ふし)、七番(幸町田打おどり)、八番(青木ほうさい)、九番(若松町かたかた)、十番(中之内ほろ)、十一番(金丸の人ささら)が町なかを練り歩いたそうです。
この天王社は現在の中町の矢口本陣の隣りにあり、府中陣屋(現在の市民会館、石岡小学校)から中町に出る正面にあったのです。
現在の祭りが始まった時の年番町は守木・大小路・土橋・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・中町・若松・泉・香丸・木之地の十六町でありましたが、人数の少ない町もあり、祭りをささえる人も少なくなり苦労しているようです。
そのため、木之地町は昭和27年に辞退して現在十五の町で交代で続けられています。
今年の年番は「土橋町(つちばしちょう)」です。
土橋町は中町通りから石岡市民会館に向かう通りの入り口の右側です。
石岡のおまつりでは、土橋の幌獅子は、県の無形民俗文化財に指定され、仲之内町の幌獅子は市の民俗文化財にしてされており、神輿の露払役を行ないます。

石岡の市内にはこのように昔の町名を表記した石の表示柱を設置しています。
こんなのを探して歩くのも面白いかもしれません。

石岡駅を降りて右側に観光案内所と交番がありますが、その少し先の広場に旧町名の説明板があります。
ここに載せたものは全部の旧町名は入っていませんが、市街地にある町名はわかります。
また、年番制度に参加していなくてもお祭りには参加している所もたくさんありますので、参加の町の数は三十以上あります。
東光台・星の宮・鹿の子・貝地・茨城・水久保・北ノ谷・兵崎・ばらき台・六軒・山王台・六軒東・元真地・小川道・東町・若松東・山し山・大和・大砂・正上内・南台などで、東光台は山車で他は幌獅子で参加しているようです。
皆、町の名前を書いてありますので、見てくださいね。
総社宮の奉仕を1年ごとに旧町内の持ち回りで行なうものです。
お祭りから次の祭りまでの間、その町内が担当します。

さて、この祭りは比較的に新しいと思われますが、中町に昔あった「天王社」の祇園まつりがもとになっていると思われます。
明和年間の1760年代から毎年6月14日に行なわれていたというおまつりで、現在と同じような旧町内で行列の順番が決まっていたようです。
一番(富田のささら)、二番(中町の屋台おどり)、三番(香丸の子供おどり)、四番(守木の子供おどり)、五番(木之地のみろく)、六番(泉町ふし)、七番(幸町田打おどり)、八番(青木ほうさい)、九番(若松町かたかた)、十番(中之内ほろ)、十一番(金丸の人ささら)が町なかを練り歩いたそうです。
この天王社は現在の中町の矢口本陣の隣りにあり、府中陣屋(現在の市民会館、石岡小学校)から中町に出る正面にあったのです。
現在の祭りが始まった時の年番町は守木・大小路・土橋・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・中町・若松・泉・香丸・木之地の十六町でありましたが、人数の少ない町もあり、祭りをささえる人も少なくなり苦労しているようです。
そのため、木之地町は昭和27年に辞退して現在十五の町で交代で続けられています。
今年の年番は「土橋町(つちばしちょう)」です。
土橋町は中町通りから石岡市民会館に向かう通りの入り口の右側です。
石岡のおまつりでは、土橋の幌獅子は、県の無形民俗文化財に指定され、仲之内町の幌獅子は市の民俗文化財にしてされており、神輿の露払役を行ないます。


石岡の市内にはこのように昔の町名を表記した石の表示柱を設置しています。
こんなのを探して歩くのも面白いかもしれません。

石岡駅を降りて右側に観光案内所と交番がありますが、その少し先の広場に旧町名の説明板があります。
ここに載せたものは全部の旧町名は入っていませんが、市街地にある町名はわかります。
また、年番制度に参加していなくてもお祭りには参加している所もたくさんありますので、参加の町の数は三十以上あります。
東光台・星の宮・鹿の子・貝地・茨城・水久保・北ノ谷・兵崎・ばらき台・六軒・山王台・六軒東・元真地・小川道・東町・若松東・山し山・大和・大砂・正上内・南台などで、東光台は山車で他は幌獅子で参加しているようです。
皆、町の名前を書いてありますので、見てくださいね。
石岡のおまつり(16)-夜
まつりは毎日夜9時までです。
夜7時に駅前通り(八間通り:御幸通り)に山車(13台)が集合しパレードが始まります。
もちろんその前も各通りでは華やかに踊りが踊られています。

夜の「おかめ踊り」も不思議な魅力がありますよ。



山車は3階建てのようになっており、一番上には2mくらいの高さの人形が立てられています。
現在石岡の駅前通りと中町・香丸通りは電線が地中化されて、お祭りに大分支障がなくなりましたが。
一昔前は電線をくぐるのが大変でした。今も人形のわきには必ず1人乗っていて、何かあるとハンドルを回して人形を下に下げます。
また二階の舞台は台座の1階から回転できるようになっています。
回転している舞台の上でも踊りが続けられていますので、これも見ものですね。

夜は山車には提灯と灯りがつきます。人形も浮かび上がるようになっています。

大きな山車が勢ぞろいするとかなり壮観です。


でも祭りはこれですね。 食べたい! どうしてでしょうね。祭りでなければその気にはならないに。
夜7時に駅前通り(八間通り:御幸通り)に山車(13台)が集合しパレードが始まります。
もちろんその前も各通りでは華やかに踊りが踊られています。

夜の「おかめ踊り」も不思議な魅力がありますよ。



山車は3階建てのようになっており、一番上には2mくらいの高さの人形が立てられています。
現在石岡の駅前通りと中町・香丸通りは電線が地中化されて、お祭りに大分支障がなくなりましたが。
一昔前は電線をくぐるのが大変でした。今も人形のわきには必ず1人乗っていて、何かあるとハンドルを回して人形を下に下げます。
また二階の舞台は台座の1階から回転できるようになっています。
回転している舞台の上でも踊りが続けられていますので、これも見ものですね。

夜は山車には提灯と灯りがつきます。人形も浮かび上がるようになっています。

大きな山車が勢ぞろいするとかなり壮観です。


でも祭りはこれですね。 食べたい! どうしてでしょうね。祭りでなければその気にはならないに。
石岡のおまつり(17)-還幸祭(1)
お祭りの3日目(最終日)は還幸祭(かんこうさい)といいます。
初日に常陸国総社宮よりその年の年番(今年は土橋町)の御仮屋へやってきた御霊がまた神輿に乗って総社へ還る祭りです。
写真を撮ったのは3年前? 年番は香丸町でした。

午後2時に近付くと、人々がその年番に設置された仮の神社(鳥居も設置します)にお参りにし、祭典の始まるのを待ちます。

宮司、神主さんたちのお祓いが済むと、三匹の獅子(富田のささら)がやってきます。
狭いですから、ささらも車から降りて歩いて祭壇に向かいます。
「ささら」は人がかぶっているのではなく、棒にさして手で持っています。
これが棒ささらで茨城県独特のようです。
棒ささらの特徴は、棒を太鼓の音に合わせてくるりと1回転できることで、独特の動きに見えます。

本神輿を通りにだして、飾り付けをとりつけ、確認をします。

いよいよ年番町から総社に向かって供奉(くぶ)行列が出発です。御仮屋を出るのを「出御」といいます。
総社に戻ることを「還御」といいます。
行列の並ぶ順番は初日と同じです。
この行列を見ていると、この石岡は平家の都を懐かしんでいるように見えて仕方がありません。
これも伝統ですから、神事はいつまでも大切にしていきたいですね。

さあ神輿ですが、基本的には行列で並ぶ順番が決まっているのですが、担いでいると守ってなんかいられないようです。
ワッショイワッショイ練り歩けば、順番なんか守れないですよね。
これから2時間街中を練り歩いて、総社に着くのは4時頃です。

供奉行列が行ってしまいましたが、ご覧のような人波で、赤い傘が見えるだけです。
次は還御の様子をお伝えします。
初日に常陸国総社宮よりその年の年番(今年は土橋町)の御仮屋へやってきた御霊がまた神輿に乗って総社へ還る祭りです。
写真を撮ったのは3年前? 年番は香丸町でした。

午後2時に近付くと、人々がその年番に設置された仮の神社(鳥居も設置します)にお参りにし、祭典の始まるのを待ちます。

宮司、神主さんたちのお祓いが済むと、三匹の獅子(富田のささら)がやってきます。
狭いですから、ささらも車から降りて歩いて祭壇に向かいます。
「ささら」は人がかぶっているのではなく、棒にさして手で持っています。
これが棒ささらで茨城県独特のようです。
棒ささらの特徴は、棒を太鼓の音に合わせてくるりと1回転できることで、独特の動きに見えます。

本神輿を通りにだして、飾り付けをとりつけ、確認をします。

いよいよ年番町から総社に向かって供奉(くぶ)行列が出発です。御仮屋を出るのを「出御」といいます。
総社に戻ることを「還御」といいます。
行列の並ぶ順番は初日と同じです。
この行列を見ていると、この石岡は平家の都を懐かしんでいるように見えて仕方がありません。
これも伝統ですから、神事はいつまでも大切にしていきたいですね。

さあ神輿ですが、基本的には行列で並ぶ順番が決まっているのですが、担いでいると守ってなんかいられないようです。
ワッショイワッショイ練り歩けば、順番なんか守れないですよね。
これから2時間街中を練り歩いて、総社に着くのは4時頃です。

供奉行列が行ってしまいましたが、ご覧のような人波で、赤い傘が見えるだけです。
次は還御の様子をお伝えします。
石岡のおまつり(18)-還幸祭(2)

まずやってくるのは露祓獅子です。この時は仲之内町の幌獅子でした。
市指定の有形民族文化財に指定されています。
(幌獅子では土橋町のものが県の無形・有形民俗文化財に指定されています)

供奉行列が神社前通りに戻ってきました。
少し足取りが重たいようです。約2時間ほど街中を行進してきています。
行列の前の方を行く「祭り太鼓」これは年番の子供が叩いていました。(写真は年番:香丸町)

供奉行列は順番通りにやってきました。
「真榊」「猿田彦(天狗)「社銘旗」「比礼鉾」「祭礼委員会」・・・

これが「四神旗」です。何が描かれているか知りたい方は調べてみてください。
後ろの旗は「錦旗」です。

この後、唐櫃をかついで2人が行き、神輿が通りすぎます。
神輿の後をついて「巫女」「宮司」「神官」などがいきます。
巫女の持っているのは鈴ですが、手を前に伸ばしたままです。これは大変です。
街中を歩いている時も確かこの格好でした。相当体力的に訓練がいるかもしれません。
つまらない事に感心してしまいました。

氏子代表や祭りの役員などが紋付き袴で後を歩きます。
ここは市民会館前です。人がいっぱいです。

最後は各町の幌獅子が続きます。さすがに綱を引く手も足も疲れ気味ですね。
でも祭りはこれで終わりません。
還幸祭の行事が終わっても、まだまだ夜まで街中ではお祭り騒ぎが続きます。

幌獅子の車の中は子供たちでいっぱいです。
大人や中学生くらいのお兄さん・お姉さんは車を押したり、綱をひっぱたりしなければなりません。
獅子も舞うのも若者の役目のようでもあります。

女の子たちはお祭りにはきれいに化粧してもらって嬉しいのでしょうね。この日が楽しみなのがわかります。

男の子は太鼓のかかりですね。これも順番なのか。それとも決められているのか想像にお任せしましょう。
石岡のおまつり(19)-常陸国総社宮大祭
次回で「石岡のおまつり」特集は終わりの予定です。
ここまで、祭りを詳しくできるだけ順に説明してきたつもりです。
でもなんだかまだ分からないですよね。
左のカテゴリーの「石岡のおまつり」をクリックしていただければ、最初から順に見れますのでよかったら見てください。

山車の台車には見事な彫刻が施されています。近付いてみてくださいね。
どうしても上で踊ったりしている囃子などに気をとられて見落としてしまいます。
石岡の山車も県の無形民俗文化財に指定されているのは「大小路町」「金丸町」「守横町」「国分町」「中町」「若松町」「香丸町」です。その他に「土橋町の幌獅子」「富田町のささら」が指定されています。
そんなことも知ってみるとまた迫力なども違って見えるかもしれません。
石岡のおまつりは3日間行われます。それぞれに意味を持っています。
正式な祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といいます。
では、まつりの3日間の行事をもう一度紹介しましょう。
これが大体頭に入っていると、何処に行けばよいかがわかります。
1日目:神幸祭(じんこうさい)
・総社から神様が神輿にのって年番(今年は土橋町)の御仮殿へ行きます。(午後2時総社を出発)
・総社を神輿と供奉行列が御仮殿まで旧市街をくまなく通るように行列を組んで向かいます(約2時間)
・それとともに総社境内に集合していた幌獅子がたくさん町へ繰り出します。
・総社までは狭くて入れないので山車は中町などの通りで控えていて、この合図と同時に動き出します。
・山車や幌獅子は各地域を練り歩き、夜には駅前の八間通り(御幸通り)に集結します。
2日目:大祭(たいさい)・・・祭りの本日
・山車や幌獅子などは1日目と同じに町を練り歩きます。
・幌獅子は午後3時に駅前の八間通りでパレードがあります。
・山車は午後7時に駅前の八間通りでパレードが行なわれます。
(総社では)
・午前10日半から「茨城県高等学校相撲選手権大会」が神社で行なわれます。
・午後1時から巫女舞(浦安の舞)、染谷十二座神楽が舞台で披露されます。
・もう一つの神輿(明神神輿)も本神輿と同じように神様が乗り移って、町を練り歩き戻ってきます。
(これは、神輿修理した時に作った神輿で、年に1度宮出しの行事として行なうものです)
3日目:還幸祭(かんこうさい)
・1日目と逆で、午後2時に御仮殿を出発して総社に神様が帰ります。午後4時頃総社に戻ります。
・山車などは神輿が総社宮に戻っても夜までおまつりを続けます。
この流れをつかんでおかないと、3日間同じように騒いでいるとしか見えません。
でも、それでいいのですね。祭りを楽しむ人にとっては、それだけで十分ですね。
壮大な山車や獅子、伝統のお囃子と踊りにギャル踊り。それに大勢の人ごみに屋台で色々買って楽しむ。
それが祭りの楽しみですね。
是非祭りを見に来てくださいね。
祭りのときしか見られないものがたくさんあります。

お祭り関連グッズとして7月に紹介した笑魚堂さんの「ストラップ」もよろしく。
(その1)(その2)>)(その3)(左をクリックするとその記事が見られます) 今年は震災復興を願って制作したストラップもあるそうですよ。
ここまで、祭りを詳しくできるだけ順に説明してきたつもりです。
でもなんだかまだ分からないですよね。
左のカテゴリーの「石岡のおまつり」をクリックしていただければ、最初から順に見れますのでよかったら見てください。

山車の台車には見事な彫刻が施されています。近付いてみてくださいね。
どうしても上で踊ったりしている囃子などに気をとられて見落としてしまいます。
石岡の山車も県の無形民俗文化財に指定されているのは「大小路町」「金丸町」「守横町」「国分町」「中町」「若松町」「香丸町」です。その他に「土橋町の幌獅子」「富田町のささら」が指定されています。
そんなことも知ってみるとまた迫力なども違って見えるかもしれません。
石岡のおまつりは3日間行われます。それぞれに意味を持っています。
正式な祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といいます。
では、まつりの3日間の行事をもう一度紹介しましょう。
これが大体頭に入っていると、何処に行けばよいかがわかります。
1日目:神幸祭(じんこうさい)
・総社から神様が神輿にのって年番(今年は土橋町)の御仮殿へ行きます。(午後2時総社を出発)
・総社を神輿と供奉行列が御仮殿まで旧市街をくまなく通るように行列を組んで向かいます(約2時間)
・それとともに総社境内に集合していた幌獅子がたくさん町へ繰り出します。
・総社までは狭くて入れないので山車は中町などの通りで控えていて、この合図と同時に動き出します。
・山車や幌獅子は各地域を練り歩き、夜には駅前の八間通り(御幸通り)に集結します。
2日目:大祭(たいさい)・・・祭りの本日
・山車や幌獅子などは1日目と同じに町を練り歩きます。
・幌獅子は午後3時に駅前の八間通りでパレードがあります。
・山車は午後7時に駅前の八間通りでパレードが行なわれます。
(総社では)
・午前10日半から「茨城県高等学校相撲選手権大会」が神社で行なわれます。
・午後1時から巫女舞(浦安の舞)、染谷十二座神楽が舞台で披露されます。
・もう一つの神輿(明神神輿)も本神輿と同じように神様が乗り移って、町を練り歩き戻ってきます。
(これは、神輿修理した時に作った神輿で、年に1度宮出しの行事として行なうものです)
3日目:還幸祭(かんこうさい)
・1日目と逆で、午後2時に御仮殿を出発して総社に神様が帰ります。午後4時頃総社に戻ります。
・山車などは神輿が総社宮に戻っても夜までおまつりを続けます。
この流れをつかんでおかないと、3日間同じように騒いでいるとしか見えません。
でも、それでいいのですね。祭りを楽しむ人にとっては、それだけで十分ですね。
壮大な山車や獅子、伝統のお囃子と踊りにギャル踊り。それに大勢の人ごみに屋台で色々買って楽しむ。
それが祭りの楽しみですね。
是非祭りを見に来てくださいね。
祭りのときしか見られないものがたくさんあります。

お祭り関連グッズとして7月に紹介した笑魚堂さんの「ストラップ」もよろしく。
(その1)(その2)>)(その3)(左をクリックするとその記事が見られます) 今年は震災復興を願って制作したストラップもあるそうですよ。