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筑波古道-府中街道(東山地区)

 筑波山登山の古道はいくつかあった。
現在北条から神社へ真っ直ぐに登る「つくば道」が「日本の道百選」に選ばれ脚光を浴びているが、これはまた後に紹介するとして、今回はもっとも古くからあったという「府中街道」を紹介したい。
 常陸の国府石岡(旧府中)の町から筑波山に登るもっとも近い道で、万葉の頃から通っていた道であった。
これは、石岡(府中)から柿岡宿→小幡宿→十三塚→風返し峠→東山→筑波神社のルートであった。
現在パープルラインができ、この道の筑波山側は道を辿ることも難しく、今では東山地区に僅かな面影を残すばかりである。
下の地図で東大地震研究所前からパープルラインへ行く道は現在なさそうだ。またパープルラインを横切って風返し峠までの道は途中に白滝神社があり一部は辿ることもできそうだが私にはその根気はなかった。

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神社の正面から東側の日枝神社へまわりその横の石段を東に下りるとそこが東山地区である。
昔この地区はこの府中街道があった時までは筑波神社参拝者でにぎわったという。
府中街道は天狗党が筑波で挙兵した時に藤田小四郎などが府中(石岡)からこの道を通ってきたというので、明治の初めまでは結構人が通っていたのであろう。

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上の写真が神社から見た府中街道入口である。左に行けば筑波山(女体山)山頂に行ける(白雲橋コース)。

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入口部の道しるべ

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この「女体山」の石標が入口部に残してあった。

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東山地区は道は狭いが石畳のきれいな道が続く。

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昔の面影を残す家並みも多い。

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梅の木などもあり、一度散策されるのも良いと思う。しかし、道が狭く車でくると置くところに苦労しそうである。
また、この先は段々と山道に入る。また東大の地震研究所の観測所が近くにあるが、何の標識もなく現在観測が行なわれているのかもよくわからない。
途中に興味のあるスポットもあったので、また明日に続きを書きます。
 

筑波古道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/08 19:27

筑波古道 - 府中街道(2)

 今日は朝からまた寒くなりました。雪はそれ程でもないのですが、それでも筑波山は登山には向かない日です。
今、会社へ実習に来ている外人さん数人が、今度の休みに筑波山に下から歩いて登りたいといっていましたが、止めたほうがよさそうですね。

さて、昨日は筑波府中街道の東山地区の街並みをお伝えしましたが、この道を歩いてみると今まで筑波神社に来た時とは違った景色が見えてきました。
今日はこのことを中心に少し紹介します。

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東山集落の先を行くと東大地震研究所筑波観測所のところに出る。この観測所は看板も消えて読めない。
石段が山の方に続いているが、鎖で通行止めとなっている。
この入口の横に石碑が置かれている。

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ここ東山出身の方がこの府中街道の記憶を残す目的で建立したようで、その経緯などが書かれている。

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街道の途中に「筑波六井」である「香の井」があった。今は井戸を残すために屋根が付けられ、扉が付けられていた。

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扉をあけると中に井戸があり、きれいな水がたたえられていた。
しかし、その説明板には、水を飲料とするには煮沸することを勧めていた。

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石碑の先を少し行くと「稲荷大明神神社(稲荷宮)」がありました。入口にはたくさんの鳥居が並んでいます。きっと、願いがかなったことを感謝して鳥居を寄進したのでしょう。 

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稲荷神社は大きな石の上に鎮座し、手前には狐の石像が両脇にあります。

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また、鳥居の入口にもかわいらしい狐と二十三夜尊が置かれていました。

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鳥居は古くなると根元が腐ってくるのでこれを切って短くしたり、また新しくしたり、多くの鳥居の柱の残骸が置かれていました。

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この神社の先の府中街道は山道に入り、山の中腹まで続いています。
ここで引きかえしました。
 

筑波古道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/09 19:12

筑波古道 - つくば道 -

筑波神社への参拝の古道として江戸時代はこの道がメインであったという。
つくばエキスプレスの開通で筑波山も急に注目が集まるようになり、今では土日を問わずかなりの観光客が集まっている。
その中でこの徳川家光によって筑波山参詣の道として解放された「つくば道」がある。

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北条の辻に大きな追分石が置かれていた。「ここよりつくば道」である。

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道は「北条」から「神部」を通り「白井」を抜けて神社に真っ直ぐに向かっている。

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「右(東)つちうら、きよたき、加し満(鹿島)」。「にし(西)おふそね(大曽根)いちのや(一ノ矢)江戸」裏を見ると、この追分は正徳五年(1715)五月十七日に建てられ寛政十年(1798)に再建されたものとなっています。

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途中にある 真言宗「普門寺」。この寺は鎌倉時代末に建てられ、つくばで大勢力を持った小田氏の祈願寺として栄えたという。山門の佇まいも筑波山の景色にマッチして美しい。

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そのまま進むと、住宅街の向こうに大きな筑波山と中腹の筑波山神社の大きな赤い鳥居が良く見える。

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白井地区に「一の鳥居」が立つ。ここから先はは神社の神域になる。
この鳥居は宝暦九年(1759年)に造立され、昔は、嵯峨大覚寺門跡寛深法親王御筆「天地開闇 筑波神社」の額がかかっていたという。

ここからは急坂で車はすれ違うことのできないような道である。迷惑でもあるので、私はここで右に曲がって、筑波温泉ホテルのところへ出た。
筑波の神社周辺の江戸屋などでも十年ほど前に温泉を千メートル以上掘って掘りあて、数件で共同で使っているが、この筑波温泉ホテルはそのずっと前に同じように千メートル以上掘って当時は唯一の温泉ホテルであった。昔、神社横の江戸屋(もっとも古い老舗)さんにも温泉が掘られる前に泊まったが、この筑波温泉ホテルにも泊まったことがある。やはり本物の温泉はいいですね。
最近は日帰り温泉ばかり。温泉はタオル付きで1000円だったかな? しばらく行っていないが・・・。
  

筑波古道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/10 19:24

筑波古道 - 府中街道(3)

 本日2度目の投稿になります。府中の愛宕神社も興味はありますが、また後で調べましょう。

 筑波山(寺・神社)への古道のもっとも古い道は、府中(石岡)から小幡を通り、十三塚から登る府中街道で、2月頃紹介しましたが、この小幡と石岡(府中)を繋ぐ道は、今では当然柿岡を通っている道が思い浮かびます。
しかし、奈良時代にはこの道ではなく、閑居山の方から登っていたとの記述があるようです。
では何処を通っていたのでしょうか。

石岡から恋瀬川に沿って少し上流にいくと「五輪堂橋」という橋があります。

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この橋は、大雨が降ると良く通行止めになるような比較的低い、短い橋です。

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この橋を渡ったところが五輪堂という地名で、石岡市街地側から行くと一旦かすみがうら市に入り、この橋を渡るとまた石岡市に入る変則的な地形になっています。


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この橋の手前に恋瀬川のサイクリングロードが走っていますが、その麓に馬頭尊が建っていました。



五輪堂という地名なので、何か昔のお堂があるように思ってまわりを探してみたのですが、近くに前に蕎麦屋で紹介した、昭和4年に天皇陛下が軍事演習した「御野立所」があるだけで、この名前のお堂は見つかりませんでした。

しかし、何かあるはずなのだが・・・。調べるとここに縄文時代の遺跡があるとの記事を見つけましたが、詳細は不明。
万葉の頃は常陸国府からこのあたりで恋瀬川(当時は表川とか志筑川とか?)を渡っていたと思われます。

そして、間居山から半田~月岡~小幡~十三塚~風返峠~白滝~東山~筑波山(女体山)の道を通っていたのではないかと想像しています。

今では、その頃の昔の道をたどるのは少し困難そうですが想像しながら楽しみましょうか?

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筑波古道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/06/16 22:06
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