鹿子の木(カゴノキ)

 昨日から急に寒くなった。
暑いときは寝不足を嘆いていたが、寒くなると体が疲れた感じになる。
なかなか丁度良い具合にはいかないものだ。
水不足は解消されたが、果物の産地としてはまだ心配だ。
さて、今日は「矢口家のカゴノキ」を紹介しよう。
場所は石岡市山崎風ヶ沢1383であるが、地元の人以外は現在あまり通らない場所だ。
ここは、昔は瓦会、部原地区と真家、岩間方面とを結ぶ街道であったという。
この場所で矢口家は茶屋を営んでおり、旅人の労をねぎらったという。
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このカゴノキは樹齢約250年も経つもので、道路に斜めに張り出したようになっている。奇妙だが、昔は周りに、他の木があって邪魔をしていたためのようだ。
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カゴノキは「鹿子の木」と書く。鹿の子(バンビ)の体の模様に似ているためについた名前だ。
木が大きくなるときに表皮が割れて模様になるという。
主に温暖な気候のところに生える樹木で、茨城では珍しいそうだ。
樹木もそうだが、馬滝(真家)から鳴滝(瓦会)へ山伝いの道を通っていた時に見つけた。
昔の街道であったと聞くと何か懐かしくなってきたので紹介してみた。
先日柴間の丘の上にあるギター文化館から、この方面を眺めた。
のどかな風景が広がり、その先に鐘転山(かねころばしやま)からの山並みが続いていた。


八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/24 20:44

太田三楽という武将を知っていますか?

 今日は日曜日、午前中に応援している風の会の機関誌の印刷、製本の手伝いをしました。
もっとこれだけの内容の濃い会報を毎月出しているのはすごいことだと思うのですが、この地方で受け入れられることが乏しいのはもったいないことです。
さて、今日のタイトルに書いた太田三楽斎資正(すけまさ)という武将を聞いたことがありますか?
この石岡の地に墓もあるのだが地元ではほとんど話題に上ることがない。
それなのに全国には多くの熱狂的なファンがいる。まあ埋もれた人物であろうか。
太田道灌の曾孫で岩槻(岩付)城の城主である戦国武将として名前が知れているが、石岡の片野城の城主として間もなく入道となり、三楽斎を名乗る。
また手這坂の戦いで小田氏治を破った人物であり、はじめて軍用犬を使ったことで知られる。
軍用犬は岩槻城に近い松山城の二か所に犬を飼いならし、片方の城が攻められたときにいち早く犬を放ってもう一方の城の味方に知らせたという。
しかし、自分の城を子供に奪われ、佐竹氏に乞われて府中城と小田城との要の位置の前線で活躍している。
府中城が佐竹氏に攻められた際には、応援の要請には応えず、手出しをしなかったようである。
これは府中の大掾氏とも姻戚関係を結んでもいたことも関係したであろう。
また、落城した後の城をこの太田三楽にあずける話もあったようである。
しかし、この三楽を語る時に岩槻がでてきても石岡や片野、柿岡などがほとんど語られないのは何故なのだろうか。
最後まで上杉謙信への忠臣を貫き、謙信の死後直江兼続も高く評価していた知将して知られ、晩年には豊臣秀吉からは天下一の名将が、一国をとれないのは不思議だと言わせたともいう。
孤独な生涯を送ったともいわれ、また最後まで岩槻を奪還する野心を捨てなかったといわれています。
しかし一度石岡の片野の地を訪れ、城跡とお墓を探してみてください。
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ひっそりと山の中に眠る墓は春には桜の花が舞い、ウグイスが鳴くのどかな場所にあります。
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戦国時代を戦い抜いた一人の武将も44歳の働き盛りからこの地で戦に明け暮れ、秀吉の天下統一の8年後に69歳でなくなるまでこの片野の地にいたのは確かなのです。最後は静かな境地になっていたのではないかと思わされたのです。
地元の方に聞いてもほとんど知られていないようです。しかし、全国的にもファンが多くいるのですから近いうちに見直される時が来るように感じています。
地元には「片野排禍ばやし」(三楽が地元の禍を取り除くために始めたとされる)を一度見てみませんか。
「片野排禍ばやし」は7月の第3または第4日曜日と10月の第3日曜に地元の八坂神社のお祭りとして行われています。

八郷地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2010/10/03 17:06

柿岡曲馬団

 先日キグレサーカスの倒産が新聞に載った。
日本三大サーカスの一つが終わりを告げたのだ。
昔、テレビなどなかった時代にはサーカスの興業が地方でも数多く行われ活況を呈した。
私も小さい時に木下サーカスを見に行った記憶があり、いくつか見た記憶があるのでキグレサーカスも見たかもしれない。
またボリショイサーカスなどが来た時にも見にいった記憶もある。
 さて、皆さんは柿岡曲馬団というサーカス団を御存知でしょうか。
私は名前も聞いたことはなかったのですが、八郷町史に載っていたのを思い出したのです。
そこで、今日仕事帰りに図書館によって確認してきました。
柿岡の名前と八郷町史ですから、この地元で作られたサーカス団なのかと思いましたが、違っていました。
柿岡春二郎(本名:荒川治二郎?)が率いた曲芸団で、明治後期から昭和初期までの間で非常に大きなサーカス団だったようです。
春二郎は青森県八戸に明治4年に生まれます。
一家は祖父が会津戦争で戦死し、青森にやって来たといいます。
若い時に横浜に出て小さなサーカス小屋の番頭となりいくつかの小屋を渡り歩きます。
そして明治39年に柿岡一座(柿岡興業部)を興し、明治42年に大阪で喝さいを浴びて東京両国や浅草で興行を行って人気の一座になったといわれます。
 大正時代には大変な人気で、団員は150名以上。当時はサーカス(曲馬団)がいくつもあり、その中でも一番の人気で二番目が木下大曲馬(後の木下大サーカス)だというのですから、人気の程がわかります。
ネットで検索して、面白いものを見つけました。
古書の中にこの柿岡曲馬団の絵葉書(カード)が売り出されており、3枚で12,000円の値が付いていましたのでびっくりですね。
内容は「2頭の馬の背に3人の少女が乗って曲芸」「男性がバランス棒のようなもので片手倒立し、もう一方の手で2枚の皿回し」「団員数十人の集合写真」でした。面白いですね。
 さて、そのほかどのような出し物があったのでしょうか。
「大曲馬曲乗」「猛獣曲芸(熊)」「自転車曲乗」などの名前が載っています。
大正12年の関東大震災の時には、いち早く罹災者を慰安するためにチャリティ(2日間無料)で公演を行なっています。
その時の興業には「柿岡曲馬」「木下曲馬」「宮田洋行」「矢野曲馬団」「有田洋行会」「柴田曲馬団」「麻田洋行」などの名前がつづられています。そのトップに柿岡曲馬の名前があります。
 さて、八郷の柿岡市の名前が出てきませんでしたが、はっきりしたことが分からないのですが。柿岡春二郎は大正三年に分家して柿岡に戸籍が移ります。
屋敷も持つのですが住んでいたところは宇都宮のようです。
ただ、吉生から養女をもらっており、戦後になってこの柿岡に移ってきたようです。
またそのころは、一座はほぼ活動は終わっていたようです。
昭和29年に柿岡で死去。84歳でした。墓は柿岡の善慶寺にあり、亀の背に乗った墓石ですぐわかるようです。
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善慶寺は柿岡小学校(柿岡城跡)の麓にあります。写真は桜並木と善慶寺です。
 参考までにロシア(モスクワ)に行ったときに見たボリショウサーカスの写真も紹介しましょう。
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上の写真はショーのラストに近い演技です。さすが本場ですね。観客はほぼ満員でした。
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ボリショイサーカスの入場券を手に入れていなかったため、午前中に会場で購入しようとしたら、入口におばあさんが「良い席があるよ」と呼び込み。いわるるダフ屋ですが、正規の券は買えないので、少し高めのようでしたが、午後の券を購入できました。
友達がモスクワ大学に留学していたので会話ができ助かりました。
また、これとは別に、現地の人にボリショイバレーの公演の券を前もってお願いして取ってもらいましたが、こちらはさすがに当日に券を購入するのは無理なようです。なかなか取ることができないといっていました。
とてもすてきなバレーを見学でき良い思い出ができました。
(こちらバレー公演は撮影禁止のようです。セキュリティチェックもうるさく、持ち物などは全て預けなければなりませんでした。)

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/22 18:09

座禅体験

 昨日はクッキリ見えていた筑波山は今朝は少し霞んでいました。
気温が少し高いのでしょうか? 明日はもう少し高い予想です。
今日は石岡で座禅体験ができることを紹介しておきましょう。
場所は根小屋にある「泰寧寺(たいねいじ)」です。
根小屋は常陸風土記の丘の先から畜産センターを通ってフラワーパークの方に向かった道の曲がり角にあります。「山形大弐(だいに)の墓」の看板が目を引きます。
ここで、人数がまとまれば座禅体験と写経の体験ができます。
今は「やさと里山クラブ」や朝日里山学校で5人以上から申し込めるそうです。
一度試してみられるのは如何でしょうか?

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前のブログで「片野城城主である太田三楽資正」について書いたことがありました。
この片野地区と根小屋は隣りあっており、柿岡城と共に思い出してほしい場所です。
また、泰寧寺の脇から上の方に登って行ったところに「楓」という蕎麦屋さんがあります。
新しいお店できれいで美味しいというので一度行きました。
十割そばがとても美味しかったです。
一度お試しください。
道はくねくねして、畑の中に建っているような店ですが旗が立っていますのですぐわかります。

 
 

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/25 21:15

富士山

 さて、今日は富士山についてであるが、日本一のあの富士山ではない。
石岡の八郷地区にある標高152mと日本一の山などと比べるまでもない小さな山である。
私は、あちらこちらを探索して歩くため、結構地図を良く見る機会が多いが、この富士山(ふじやま)はどの地図にも載っていて気になっていた。
しかし、特に特徴もなく何で富士山と名付けたのどろうか程度に地図をながめていたのである。

 昨日ブログに観光案内の看板を紹介したが、実は筑波山を眺められる絶景ポイントは無いかを探していたのである。そこで眼にとまったのがこの富士山なのです。
場所は片野地区とフラワーパークの間にあるこんもりとした小山がそうです。
このあたり一帯は平野となっており、その平野の真中に小山があるといった格好です。
そして有名な地磁気研究所や東大の研究施設などがこの山の北側にひっそりと隠れるようにあります。
頂上もはっきりしないが2つあるようで、フラワーパークよりの頂上には「浅間神社」という神社があり、下から30分くらいで登れるという。

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この山の位置は絶景のビューポイントになる位置なのですが、登山道はあまり整備されてなく、また山頂の見晴らしは木々が多くまったく期待できません。

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でも、この山の頂上の木々を少し切って、休憩ベンチでも置いたら左手に筑波山、右手に加波山そして北側には吾国山連山、後ろは片野城のあった山や「すりばち山」「鬼越峠」「龍神山」などがすべて見てとれる位置にあります。
片野地区の観光(片野排禍囃子、泰寧寺の座禅、戦国武将太田三楽資正の墓など)も組み合わせればもっと歴史にもふれることができるのですが・・・。

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上の写真は2つの写真を合成したものです。見事な位置に山がありますね。

 さて、この富士山ですが、調べてみるとこの山は昔「鼓ヵ峰(つつかみね)」と呼ばれ、古くから愛された場所であったという。地面を踏むと響く鼓のような場所があるといいます。
この山の麓を流れる川は川又川といい恋瀬川に流れていきます。
川又の地名についても昔は鎌田といいヤマトタケルの時にこの地を愛した・・・・
などと言い伝えが残されているようです。
今、忘れ去られている物語を紐解いてみても面白そうですね。
 

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/13 19:04

関東の清水寺

 私が石岡に越してくる前ですが、真壁から石岡に来るまで上曽峠を超えてきたことがあります。
その途中に「関東の清水寺」の看板があり、寄ってみることにしたのです。
正式には峰寺山西光院という寺で山の中腹に建てられたとても眺めの良い場所にあります。
清水寺の名前は寺の本堂が京都の清水寺と同じような懸造りで建てられていることからだ。
これは県の文化財(建造物)に指定されており、廻廊からの眺めがすばらしい。

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この寺の名前の西光院(さいこういん)は平安時代の初期に徳一法師がこの地で西から光が差すのを見て、西方極楽浄土を祈願して、ここに寺を建てたことに由来するようです。

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ここの景色は茨城百景にも選ばれ、昔から風光明媚で知られるようですが、昔はここまでの山道が寂しく、車がすれ違うのが厳しいようでもあり、天気の悪い日や、夕方は嫌われるようです。
しかし、八郷の一帯が手に取るように見ることができるのでこれからは人も訪れるようになると思います。

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「関東の清水寺」をアピールしていってほしいですね。フルーツラインなどの標識はかなり整備されているようです。
道路を一方通行などにして通行の心配がないようにしてほしいですね。
この地の地名は吉生(よしう)村といわれ、いろいろな名前のいわれもあるようだ。
また、昔から牛馬などの信仰の寺として、正月の市が開かれ、近隣からこの山を牛馬などで登ってきたといいます。
しかし、農機具に牛・馬が使われなくなりそれに伴って大分静寂になったといいます。

 この寺の入口に東筑波ユートピアという動物園があります。
私は入ったことがないのですが、良く商売として続けていけると感心はしています。
寺の入口の山桜、竹林などは趣があります。

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八郷地区 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2010/12/14 19:22

小町伝説

今年も残り少なくなり時の経つのが年々早くなるような気がするのは年をとった証拠なのかもしれない。
しかし、毎日ブログを書いていると時間の無さが辛いと感じることも多い。
昼間は時間いっぱいまだ仕事もしており、町おこしなどといっても独りよがりだということもわかっている。
そのうちに、このようなブログなどあってもなくても雨後の竹の子のように情報があふれるようになってくれればこの役目を終えることができるのだが・・・。
この調子では数年まだダメかもしれないが、何か少しづつ変わってきそうな気もしている。
石岡という昔の国府が埋もれていくのだけは避けたいものである。

今晩も上を見上げれば真ん丸の月が照らしている。気温もあまり寒くはない。
明日は月食だというが・・・。

さて、今日は「小町伝説」について少し知っていることを書いてみたい。
もう知っている人にとってはつまらない内容だが、情報もまだ少ないので書く価値はありそうだ。

フラワーセンター方面からフルーツラインを土浦方面に進み、辻のイチゴ団地の交差点を右に曲がります。
少し行くと「薬師古道入口」の看板がありますが、そのまま直進すると田圃の左手に「北向観音堂」があります。
ここは地元の方(ふるさとの史跡まもり隊)によって整備され、きれいになりました。
ここに小町伝説が伝わっているのです。

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花を植えて「小町花街道」と名付けてPR。私は山里の雰囲気がとても好きです。

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この「北向観音堂」は手前にきれいな川が流れ、古びた石段がとても景色にマッチしています。
以前NHKの「武蔵」の撮影にも使われ、お通がこの階段を駆け登ったとか・・・。

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ここのお堂の先の山を越えた向こう側が、かすみがうら市の「小町の里」があり、ここの小野家に昔、小野小町が滞在し、病になって、当時病にご利益があるという、この北向観音堂にお参りし病が治ったと伝えられています。
しかし、別な病で亡くなってしまい、小町の里の小野家に小町の墓があるのです。
また、この小町が山を越えてきた道がこの北向観音堂の裏山に残っており、少し登ったところに「小町の腰掛石」があります。

小野小町は全国数え切らないくらい伝説が残され、その墓も数え切れないくらいありそうです。
しかし、その伝説をさぐってみるのもよし、またこの山里ののどかな景色を楽しむのもよしですね。

また、この北向観音についての歴史にも目を向けてほしいですね。
この堂は、聖武天皇(奈良時代)の時代に行基菩薩によって創建されたと伝えられています。
またこの辺りの地名も小野越、仏生寺などといわれており、こんなことも紐解いても面白そうです。
ただ、この場所には駐車場がないのは残念です。
山向こうの小町の里は大型駐車場や、そば打ち施設、水車、小町のビデオ放映(市原悦子のナレーション)などがありますので、もう少し考えてもよさそうです。

もっとも、今の雰囲気を壊さないようにしてほしいですね。この山里の雰囲気はとても貴重ですよ。

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 北向観音といえば、石岡の町中にもありますね。「富田北向観音」です。
大掾氏の墓所のある「平福寺」の隣りで、市民に愛されている観音様です。子供の健康を祈願するところとして知られているようです。
観音様が北を向くと、お参りする人が南向きになります。
南はインド(天竺)の方向をさしており、現世御利益を願うものとされますので、今の生活を良くすることなどを願ってみては如何ですか?
 

八郷地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2010/12/20 19:45

姨捨山

今日は昨日に比べれば朝は少し寒かったが、昼間は思ったよりも暖かくなった。
花粉を気にしながら山道を散策したりすることもあり、これからは少し出かけるのが躊躇われる。

1週間ほど前に、筑波山の隣りの足尾山について書いてきたのだけれど、調べだすと最初に思っていたよりも気になることが多い。

一つづつ紐解いていきたいのだが毎日書くブログでは時間が限られて表面を少しなでることくらいしかできない。それでもわかったことだけでも書いて行こうと思う。読まれる方には物足りないこともあろうが、気楽にお付き合いください。

 さて、この山を小初瀬山・小泊瀬山などと呼んできた。
石岡の恋瀬川も昔、小初瀬川・小泊瀬川などと呼んでいた時期があるという。もちろん鯉川、表側、信筑川などとも呼ばれ昔から親しまれてきた川だ。

小初瀬山はふりがなをふるとオハッセまたはオバッセとなる。
問題はこのオバッセが「姥捨て」となったのではないかと気になるのである。
長野県千曲市の近くに「姨捨山(おばすてやま、うばすてやま)」という山がある。

姥ヶ峰、爺ヶ峰伝説が、筑波山の東側、石岡市の旧八郷町小幡の十三塚に残されており、八郷町誌などでも紹介されている。その内容は
「昔、この場所を通った婆さんと爺さんが追い剥ぎにあい、必死に逃げたが殺されてしまった。そこで村人が石仏を作り、春と秋の彼岸に供養法要を営んだ。そしてこの石仏を抱くと子宝に恵まれるという言い伝えが残っている。このため抱き石とも呼ばれる」
というものだ。
 場所はケーブルカーの乗り場「つつじヶ丘」の下「風返峠」から尾根のパープルラインを少し東に行った場所でそこに媼ヶ峰(ばあがみね)駐車場とその奥の高台に赤い鳥居があり子授け地蔵が祀ってある。
そこの「抱き石」を抱くと子供が授かるといわれています。


姥ヶ峰は古来から筑波山の名所のひとつとして「筑波山恋明書」に”姥かみね”と記載されているといいます。昔から信仰の領域であったと思われます。
この名前からやはり「姥捨ての山」とも呼ばれていたのかもしれません。
調べればきっと何か出てきそうに思います。この話と山の名前との関係はたぶん名前が先で話は後からできたのではないかと思っています。
 
 

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/26 18:33

佐久良東雄の生家

 先日、雨が上がった後すぐに常陸風土記の丘を訪れた。
そして、入口にある曲屋という江戸時代にできたといわれる古民家の藁葺屋根に日が当って一気に蒸気が立ち昇っていました。
これを見ていたら八郷地区の柿岡手前にある佐久良東雄の生家をまた訪ねてみたくなりました。
何故? 特に理由はありません。なんとなくです。

佐久良東雄(さくらあずまお)という人をご存知ですか?
私は石岡に来るまで知りませんでした。
もっとも、桜田門外の変や安政の大獄などの言葉は知っていても具体的な内容はあまり興味もなかったと思います。
詳しく知りたい方は調べてみてください。

墓は若い時に住職をしていた(先日紹介した)土浦市真鍋にある善応寺にあります。
名前の佐久良は桜です。
東雄というのも如何にも「日本男子ここにあり」といった名前の付け方ですね。
本名は飯島吉兵衛というそうです。

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この生家の門は立派な藁葺の屋根がついた門です。
今は門の隣りに説明看板と桜田門外の変の映画の旗が置かれていました。

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旧八郷地区には、このような藁葺(茅葺)古民家がたくさん残っています。
一度訪ね歩くのもいいかもしれません。今でもほとんどは生活で使われている民家です。

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まわりはのんびりとした雰囲気が漂います。よくある田舎の風景です。
家の隣に見学者用の駐車場があります(石岡では珍しいです)。

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八郷地区 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/08/08 18:32

有明の松

 この松にまつわる話は、南北朝時代末期1387年といいますから、今から700年以上も前に起きた出来事です。
1380年南朝方の小山義政が難台山中に城郭を造り、足利軍と合戦して破れ、さらに、1387年、小田五郎藤綱と義政の子・若犬丸が、再度、難台山に陣を構え、北朝足利方の上杉朝宗と合戦し、8か月に及ぶ籠城、攻防の末、食糧供給の道を遮断され、食料が尽き落城してしまいました。
藤綱は城を焼いて自害し、若犬丸は逃亡、小田五郎は郎党百名あまりとともに討ち死にしたと伝えられています。

この時に、難台城の婦女子が夜を徹して難台山を逆に登り裏山を下って、この松の下に集まり、夜を明かしました。その時に見た夜明けの空が大変すばらしかったので将来を明るく見ようと「有明の松」と名付けられたと伝えられています。

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この松は今はご覧通り、天に登る松の木は影も形もありません。裏に難台山が聳えています。

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昨年6月に撮影した時の「有明の松」
この松も前の松から採取した種子を発芽させた2世であるが、それがまた無くなってしまったのです。

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この地方はタバコの産地です。たくさんのタバコが栽培されています。
しかし、ご時世でタバコは縮小気味。最近はブルーベリー農園が結構あります。

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これはすぐ近くに建っていた「坂東・西国・秩父 百番札所(観音)」の奉納記念碑です。
この松もこのように信仰の対象になっていた時もあったのでしょう。
当時、山中では道もないようなところを下ってきたのでしょう。
どんな思いをしてこの松に希望を見出したのかを想像してみてください。
写真の右側が東で日が上る方向です。
北には落城寸前の山城がありました。

matsu.jpg 在りし日の有明の松


 

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/10 06:36
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