石岡の景観(恋瀬橋)

 今日は幾分風があり、朝方は筑波山が比較的きれいに見えた。毎日のように山の方も何気なく眺めるようになっているが、夏場にはあまりはっきり見える日が少ない。以前石岡市で「残したい景観のアンケート」というのを依頼された。結果は市報か何かに載ったのを見たように思うが、その後の動きが見えない。少し景観について時々書いてみたいと思う。個人的な私感が伴うので、それ程のこともないが、とても気になっている。
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この写真は6号国道の恋瀬川に架かる「恋瀬橋」からの眺めである。
この場所以外にも、常磐線の橋からの眺めや高浜の方からの眺めは同じように美しい。万葉の頃から歌に読まれ、風光明媚な場所であったことが想像される。山と川の組み合わせはとても素晴らしいものである。これは「恋瀬川」の名前の由来などの歴史を紐解いていくと尚一層素晴らしい景色に見えてくる。是非この景観をもう少し整備し(あまり人工的ではなく)余計なものは出来るだけ排除するように願いたい。
この写真を撮っているとき、私は2つのことを考えていた。一つは「太古の昔の人が電線や大きな橋などなく、もっと空気が澄んでいた時にどのように見えたのだろうか?」ということ、もちろん龍神山は元の雄姿でみることができたであろうから・・・。もう一つは「この景色はどこかで見た景色に少し似ているな。そう、尾瀬ヶ原と燧岳や至仏岳の雄姿の組み合わせだ。」ということだ。尾瀬は昔から何度も訪れているが、こんなに身近にも似た景色があったということであった。もちろん周りの環境などはまったく違っているので比べようもないが、昔はもっともっときれいだったに違いない。現在6号バイパスなる名前の道路が反対側で工事中で、青い橋が一部架けられているが、どの程度この景観が損なわれることになるのか・・・。
とても心配である。

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/07 20:24

石岡の景観(高浜の海)

 台風のおかげで久しぶりの雨となった。一部激しく降ったりしているが、恵みの雨でもある。野菜などは助かっているだろう。さて、昨日に続いて石岡の景観について書いてみたい。今回は「高浜の海」である。江戸時代に利根川の東遷工事で銚子へ流れが変更されるまでは、今の霞ケ浦は海水で大きな内海であった。香取の海と呼ばれていた。高浜も「国府の浜」が「こうのはま」となり「たかはま」に名前が変わったと考えられている。昨日の恋瀬橋からの筑波山の眺めを紹介したが、ここ高浜から見た筑波山はまた違った美しさがある。
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この写真は、今の6号国道のバイパス工事前の写真であり、この景色は大分変ってしまうかもしれない。
常陸風土記の書かれた頃(奈良時代初期)にはもっと水は豊かであったと思われ、交通も歩く以外は牛車や舟であるので今の鉄道や車の社会で想像するのは難しくなってきている。しかし、奈良時代を想像できる景観を残していかなければならないと思うのは私だけではないだろう。
高浜神社の看板に書かれた常陸風土記の口語訳を紹介しよう。
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<高浜の海>
そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉の色づき散りしく秋になると、あるいは駕(のりもの)を命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸という岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯(うぐいす)の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海人(あま)の娘は、浜辺を逐(お)い走って群れつどい、商人と農夫は、小舟に棹(さお)さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れになると。友を呼び僕(しもべ)を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめやる。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の憂(う)さを風に払い、岡を照らしていた日影がしだいに動いて行くにつれ、涼を求める者は、喜びの心を動かすのである。
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☆ 高浜に 来寄する浪の 沖つ浪 寄すとも寄らじ 子らにし寄らば

(高浜に寄せ来る波が、どんなに沖から寄せ来ても(他の女が寄って来ても)、私の心が動かないのは、あの娘に心を寄せてるからだ。)

☆ 高浜の 下風(したかぜ)さやぐ 妹を恋ひ 妻と言はばや しこと召しつも

(高浜の浜辺の下を騒がしく吹く風ではないが、恋するあの娘を妻と呼びたい気持ちがこみあげてくる。こんな私だのに。)

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/08 20:35

今日は冷え込んで筑波山がくっきり

今日はこの秋一番の冷え込みとのことでした。
しかし、朝は冷えていたが昼間は久しぶりの青空が広がり、とても気持ちの良い天気でした。
毎日のように恋瀬川から筑波山を眺めているが、今朝はくっきりと見ることができました。
やはり、恋瀬川から見る筑波山が一番美しい。
 さて、昨日、諭吉通りの話を書いたが、この街道には「長豊街道」とある。
この辺りの地名かと思ったが、調べてみると茨城県旧長竿村(現河内町)と千葉県豊住村(現成田市)を結ぶ通りから名前がついたようだ。
茨城と千葉の境を流れる利根川に架かる長豊橋の名前が先についたと思われる。
この橋も地域住民の長年の運動が実ったといわれる。結構長い橋であり交通量も結構多い。
成田空港ができたためだろうか?
しかし、通りの沿線沿いはあまり開けていない。開発も難しいものだと考えさせられる。
羽田の国際線発着が始まり、成田の近辺ももっと開けることを期待していただろうに・このありさまです・・・。
東京の一極集中は本当にこのままでよいのだろうか?
地方は益々過疎、高齢化が進みます。
明日は、また雨で気温も上がらないとの予報。週末も天気は期待できないという。
なにか冷たい雨は気分も滅入りそうでいやになる。
金曜日には銚子にまたでかける。美味しいものでも食べることを考えよう。

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/27 19:49

寒さは緩んだが、今朝も筑波山はきれいだった。

 最近あまり晴れの日が少ないので朝の筑波山もはっきり見える日が少なかったが、今日はきれいに見えた。
カメラを持っていなかったし、朝は急いでもいるので目に焼き付けておいた。
恋瀬川が昔の歌の名所である男女川(みなのがわ)であろうと鈴木健氏はいっている。
ここからの筑波山が一番きれいだし、石岡に国府があったことを考えればそれは本当に違いないと思う。
しかし、もう少しこの川もきれいにしてもらえないだろうか。
昔を偲ぶには「背い高泡立ち草」がいっぱいでは興ざめしてしまう。
少し整備して、そこに生息する動物や魚を観察し、皆に知らせてほしいものだ。
「地域おこし」はそこを訪れた人をリピータとして大事にすることが本当の底流になければならない。
どうすればリピータが増えるか、これは海外の事例も含めたくさんの方法が紹介されている。
図書館の建設は地元の利用者は喜ぶが、これは文化の向上にはなってもリピータの確保・増加の観点からは町おこしの対象にはならない。
それよりも受験生などが気軽に利用できる勉強スペース(ボックス)などを街中に確保して、学力の向上に役立ててほしい。
来年は電子書籍が世界中に広まる。何処の図書館にどんな図書があるかがすぐにわかる。
図書館に行かなくても世界中の本が見られるようになるかもしれない。
少し将来を見据えた斬新な図書館(七重の塔の形をした電子図書館など)なら話題性もあり、良いと思うが・・・・。
これから年より社会で、暇な老人はクーラや暖房の効いている無料で利用できる図書館は良いが、街の発展にはあまり寄与できない。
昨日今日と以前石岡の歴史のHPで知り合った方からブログにコメントをいただいた。
うれしいですね。またこのブログも止めずに続けていけそうだ。

恋瀬川と筑波山 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2010/11/02 21:28

筑波山には尾花が似合う?

昨日の文化の日の私のブログはページアクセス数が130にもなった。
いつもはせいぜい20~30アクセス程度であるので一気に増えたことになる。
理由はある程度分かっているが、丁寧にナンページも見ていただいた方にはお礼を言いたい。
行徳在住者さんにはコメントもたくさんいただいた。
町おこしアドバイスも感謝!
まあ今日はいつものペースに戻ったようである。本ブログはブログ村やツイッターとも連動していない。
やり方はあるのだろうが、ノンビリマイペースでやることにしよう。
仕事を終えて外を見たら、まだ5時半だというのに真っ暗になっていた。
暗くなると寒さも増してくる。
今朝、恋瀬川の橋から筑波山をみたら、少し上の方にでていた雲の影響か、朝日がまだらに山に当たって、山の中腹は明るい緑色、少し上は濃い緑。山の二つの頂上も、手前の女体山は日が当らず、奥の男体山はキラキラと明るく輝いていた。
不思議な風景だあった。
昨日、恋瀬川の志筑寄りにある「粟田橋」付近で撮影したススキ(尾花)と筑波山の写真を載せておきます。
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ここの橋は新しく架け直されて立派になり、常陸風土記の丘へとつながっている。
写真は昔の橋があった辺りの風景である。
筑波山には尾花が似合うのかもしれない。
もっとも万葉の頃の尾花は写真のようなススキ?ではないだろう。
このような細いススキでは茅葺の屋根は葺けない。
八郷地区には茅葺の家が何軒も残っている。
保存も大変なのだが、後世に残して行ってほしい。
「東京から最も近い田舎(里山)」をキャッチフレーズとしてPRしていこう!

恋瀬川と筑波山 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/11/04 19:56

筑波山が朝日に燃えていた。

 今朝の筑波山は美しかった。
日が山や尾根に当たり、車の通りや橋などは少し日が陰って暗くなり、山の紅葉が朝日を浴びて輝きコントラストが見事であった。
毎日のように筑波山を見るが、同じ姿を見せることはほとんどない。
みな少しずつ違った姿を見せてくれるのはとてもありがたい。
石岡からみた筑波山は二つの頂上(男体山、女体山)が少し離れているだけで一番バランスが良いのである。

正岡子規の水戸紀行では次のように詠んでいる。

 白雲の蒲團の中につゝまれてならんで寐たり女體男體

石岡から片倉へ向かう途中での歌ではあるが、ここから少し北(東)へ進むと、筑波山の2つの頂は一つになってくるのである。
また土浦やつくば市の方から見ると、2つの頂は大分離れて見える。
従って筑波山を見るには「高浜」や石岡の恋瀬川付近がもっとも美しく見える。
万葉の時代にはもっと美しく見えたのだろうと想像するだけで楽しくなる。

 まだ先日引いた風邪が本調子ではない。
微熱で調子も悪いが、正岡子規が血を吐いても死ぬまで歌をうたうホトトギスの別名で自分の名前を
「子規」としたのは、この水戸紀行の途中で吐血し、旅行から戻って少したった頃と聞いている。
病気でも情熱があれば歌を詠むことができるのですね。
普通の人は気力も衰えてしまうものなのですが・・・。

人間何歳になっても情熱は捨ててはいけませんね。
私もまだまだ頑張りますわ。自分のできる範囲を精一杯やるだけですが・・・
論語にいわれる「七十にして矩を踰えず」ということは、70歳までは矩(のり)を踰(こ)えてもOK?
少しくらいまだ無理をしても良いともとれますね。
 

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/29 19:15

日没と筑波山

4月29日です。ゴールデンウィークが始まったようですが、私は出勤です、
またこの連休は後半3日間も夏に電力を減らすために振替で出勤です。
それにしてもテレビ局は放送時間の短縮などは言い出さないですね。

昨日夕方6時過ぎに撮った写真をUPしておきます。

太陽がもっとも強いのは夏至の頃で、6月20日頃ですが、日が沈む方向が春分の日に真西であったものが徐々に北の方向にズレてきて、夏至の時にもっとも北になり23.4度地軸の傾き分だけズレるのです。
石岡から見ると、夏至には筑波山より少し北側の加波山寄りに沈みます。
筑波山に沈むのが丁度今頃から5月初めの頃になります。

今日は夕方に少し雲が出て太陽が少し隠れてしまったが、筑波山の陰影が何ともいえずきれいでした。

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田圃にも水が張られ始めたので、山のシルエットもまた不思議です。


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この写真は恋瀬川にかかる粟田橋の近くから撮影しましたが、山頂より少しまだ左側に太陽沈んでいました。
太陽の沈む地を昔の人は死んだ人の行く世界(黄泉国:よみのくに)と考えていたようです。
伊勢から日が昇ると熊野方面に沈みます。鹿島に日が昇ると筑波山に沈みます。

日光に徳川家康の御所をつくったのも、もしかしたら、日光が水戸から見て夏至の時に太陽が沈む方向になるのと関係があるのかもしれません。

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(同じアングルで翌朝撮りました。比較のために追加します。)

レイラインなども考えてみるのも、今年は面白いかもしれません。
東京もネオンが減り、夜の明かりを少し落として月明かりがきれだといいますから・・・。
 

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/04/29 06:18

筑波山の南山麓

 5月25日 朝また地震で起きてしまいました。最近また余震が続いています。
今日は職場の同僚の定年祝賀会があり、電車で出社です。帰りが遅くなるので朝のうちに一つ記事を載せておきます。

 筑波山も石岡側から見た男体山・女体山の位置関係がお互いが寄り添うように見えるのだが、筑波側から見ると全く離れて見える。
この写真は先週向こう側(つくば側)の山の麓である、つくば市臼井付近から見た筑波山である。左右がきれいに見える。右が女体山である。

田植えが終わったばかりの田圃は水が輝いて美しい。
筑波山の麓のコメは皆美味しい。一部のブランド米だけではなく水が豊富で平野よりも少し高い所の方が味が良い。
今年は是非美味しいコメがたくさん採れてほしいものだ。

 延暦元年(782)徳一上人が筑波山の中腹に中禅寺(現在の大御堂)を建立した時に登ったとされる白滝の道はこのすぐ東側(右側)の六所神社の所から真っ直ぐに白滝までのぼり、昔の府中街道の所へ合流したと考えられる。
しかし、この徳一上人の記録はほとんど残されていない。

この古道はもっとも古くからあった登山道で、修験者の道とされてきたようだが、明治以降はほとんど廃れてしまっていた。それを数年前に、地元の方々の手でこの白滝古道が復活・整備された。
また、前にこのブログで紹介した「つくば道」はこの写真の左手側である。

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恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/05/25 06:24

筑波山の夕景(1)

 今日も一日真夏の太陽が照りつけ暑かったですね。
昨日は少し雲があり幾分すずしかったのですが、夕方6時半頃の筑波山です。
雲が出て、夕日が雲に当たって不思議な輝きでした。

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夏至が過ぎ、太陽も徐々に南側に沈む方向を移していきます。
しかし、まだ加波山寄りですね。

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もう少ししたら、筑波山の真上方向に沈むことでしょう。
撮影場所は恋瀬川近くです。粟田橋と府中橋の近くです。

昨日、石岡を水の都に復活したいと書いたが、あまり水の都というイメージを持っていないようだ。
確かに、書物を読んだりしても出てこない。
私は、これは水の都でなかったのではなく、忘れてしまったのではないかという気がしている。

水に都というと多くの都市を思い浮かべる。

Wikipedia では、「水辺の多様性から切り離されたしっかりとした地割のなかに道路と水路が交錯し、水際や橋梁からの視点がまちの風景を規定する水辺都市」と定義され、国内では平泉・新潟・大阪・広島・松江・西条、徳島・柳川・熊本の都市をあげている。

仙台、倉敷、萩、佐原などは入っていない。少し定義が違うようだ。
石岡には「子ハ清水」という泉があった。酒が盛んな地域は水が良くなければならない。
また、恋瀬川はたくさんの物資を川を下って江戸にも運んだ。
万葉集に歌われた筑波嶺から流れる男女川がこの恋瀬川だという人もいる。
石岡の人は何故この恋瀬川をもっと大切にしないのだろうか?

もしかしたら「恋瀬川って万葉集で歌われた恋の川 みなのがわ だ」などといって、別な権威から違うと指摘されると「だれがいいだしたのだ・・・」となるのが怖いのかも。

これは石岡のまつりが「関東三大祭りだ」と言ってきたが、違うかもしれないと言われて、「言わないようにしようと申し合わせた」などとまったく同じ構図である。
龍神山が「くれふし山」という説も水戸の「朝房山」にとられている。

せめて「茨城」の地名発祥の地だけでも・・・
でもこれこそ一番怪しい。茨城郡の郡衙があったのは確かだと思うのだから、地名はその前にあったとしても何の問題もないはずだと思うのだが。

私はこれが本当だなどとは言えない。
こういう考えや説もあると知っていただき、それによって新しい発見が行なわれるということもあると思う。考えることが楽しいのである。

八郷地区も含め、水の流れやそれにまつわる話などもう少し見直すべきだろうと思う。
ふる里を忘れては街の復興は無いはずです。
 
 このブログも1年までもう1カ月を切った。1年休まずにやれたら何か開けるものがあるかと勝手に考えて突っ走ってきた。

最近、読者も増えてきた手ごたえも少し感じているが、石岡を知っていただくにはどうしたら良いのか?
この石岡という都市を訪れて見たいと認識していただくには、あまりにもいろいろなことが不足している。

いろいろな分野で、いろいろなことが、頑張らなくてもはじけてくるようにならなければならない。
歴史などに何の興味もなく過ごしてきてしまった私も、5年程前にはまってしまった。
何かあるのは確かなのである。
 
もっともっと知らせてほしい。知ってほしいという声が聞こえるようなのである。不思議なものだ。
「千と千尋の世界」とも思ったが、この霞ケ浦周辺は縄文時代の遺跡の宝庫となっているようだ。
1万年の時が流れている都市はそんなにあるものではない。

それを、たった千年くらいの書かれたものなどで、本当か嘘かもわからず、これが本当だなどといってみても虚しく聞こえてくるから不思議だ。
こんな感覚にさせられたのも、この都市に住んでからである。

そうはいっても、たった4~5年位、片手間に調べているだけで何がわかるのかとおしかりを受けそうだ。
そう。こちらは何も専門家ではないので怖いものは無い。
この地を一人でも多くの人に知ってほしいだけである。
 

恋瀬川と筑波山 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/07/14 18:58

筑波山の夕景(2)

 7月14日 本当に暑くなりましたね。先ほどの夕景は昨日のものですが、今日も撮ってきました。

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今日は夏の太陽ですね。6時半でもまだギラギラしていました。。太陽が沈む方向はまだ山の北側です。

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東からは薄らと月が・・・。 
でも外がまだ明るいので月は白っぽく見えますが、日が沈むと黄色くなります。

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もうすぐ沈みます。6時35分頃撮影

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 頂上が削られてしまった龍神山が右側です。
それに続くように台地が広がりますが、これは「宮平遺跡」の場所です。
時代は旧石器時代(紀元前11000年?)
その頃この撮影場所あたりは流海(霞ケ浦)の水の下だったのでしょうか。
時の流れを感じませんか? こんな身近に1万年前に人類が住んでいたらしいなんて・・・。
 

恋瀬川と筑波山 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2011/07/14 19:58
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