瀬戸井街道(1)-山崎宿

 さて、今日の記事は江戸時代に筑波詣で栄えた瀬戸井街道に関するものです。

 江戸時代に江戸から見て鬼門(東北)方向に当たるとして、徳川家からの保護を受けて、筑波詣でが盛んに行われました。
このため、筑波への道が各地に造られ、特に水戸から筑波と群馬県の瀬戸井(邑楽郡千代田町瀬戸井)を結ぶ28里(112km)にも及ぶ街道(瀬戸井街道)が巡礼道、物資運搬道として発達していきました。

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しかし、この瀬戸井街道は現在あちこちが寸断され、1本の道としてはわからなくなっています。
水戸から岩間までは県道30号線、筑波(北条)から古河までは国道125号線がほぼこのルートでした。

主なルートは水戸-鯉渕-住吉-泉(岩間)-山崎-柿岡-小幡-(風返峠)-北条-高道祖-下妻-八町-諸川-小堤-古河-瀬戸井(古河-瀬戸井間は利根川が流れており舟運かもしれません)
街道に名前がついた「瀬戸井」も小さな町です。

日光への街道と、この筑波への街道とが大きな意味を持っていたのでしょう。
今の私達が見失っているものなのかもしれません。

この瀬戸井街道が、ここ石岡市の旧八郷地区を横切るように走っています。
水戸の城下から筑波にお参りに行く最短ルートだったようです。

「八郷町史」では、水戸から岩間を通り、真家・厚毛峠・山崎・部原(へばら)・柿岡・小幡・風返峠・北条と続いていたと書かれています。
しかし利用されたのは江戸期であり、明治・大正と徐々に一部は使われなくなり、消えて行ったため道も寸断されてしまいわからなくなっている所も多くあるようです。

特に柿岡から山崎、泉(岩間)の道ははっきりしません。

また「厚毛峠」とありますが、地図には出てきません。地図にあるのは「厚茂峠(あつもとうげ)」で、この峠は部原(へばら)部落に近いため、違うかもしれません。

昨年ブログで「矢口家の鹿子の木(こちら)」を紹介したのですが、もしこの道が瀬戸井街道の一部とすると、この山崎の宿場を通るとまわり道になります。

もう少し調べてみないと、私には瀬戸井街道はどのルートであったのかがわかりません。

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バス停の名前が「山崎宿」と宿場であった名前をとどめています。
「山崎」の地名はこの周辺にかなり広く使われていますが、「宿」がつくのはここですので間違いないでしょう。
でもバスは1時間に1本もありません。都会では考えられないですね。

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この通りに沿って立派な長屋門や屋敷が並びます。一部地震の被害も見受けます。

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こういった立派な門は門の中は納屋や使用人が寝泊まりできたようです。

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門だけで普通の家よりも立派ですね。でも屋根が瓦になったのはもっと後かもしれません。
八郷地区には長屋門に茅葺のものがいくつか残されています。
何時か調べてみたいとも思いますが、こちらは保存会もありますのでとりあえずはそちらに譲りましょう。

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門の軒は立派な木組です。思わずパチリと・・・。

柿岡、小幡などはこの後発展を遂げ、宿場としても大きくなっていったようですが、ここ山崎宿は比較的小さな宿場だったようです。

しかし、歴史に忘れられていくのは悲しいですね。
地元の人がその面影を残して頑張っておられますので記録に撮っておきましょう。


  

瀬戸井街道 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/08/14 18:16

瀬戸井街道(2)-部原から厚茂峠

 昨日、今朝と「池花池」を紹介しましたが、ここは常陸国国府(石岡)から陸奥国(仙台、多賀城)へ1300年前に作られていた官道沿い近くにあると思っています。
この話は、一呼吸おいてからまた続けます。その前に「瀬戸井街道」の探索です。

 先日石岡の八郷地区を通っていたという(筑波参拝の)江戸時代の街道「瀬戸井街道」の宿場と思われる「山崎宿」を紹介しました。(こちら
しかし、どう考えてもそのルートがはっきりしません。
そこで、八郷町史に出てくるルートを国土地理院の地図などをたよりに探してみることにしました。

大増から瓦会を通り園部とを結ぶ県道140号線(通称瓦会(かわらえ)街道)は北側に難台山などの山並みを見、南の高台に豊後荘病院、ギター文化館などをながめられる窪地の街道である。

先日紹介した「山崎宿」はこの街道にあるのだが、どうもこの140号線は比較的新しいのではないか。
瀬戸井街道ではないようだ。ではいったいどこを通っていたのか?

文献では厚毛峠を通っていたらしいので、この厚毛峠を探すと、地図では標高117mの厚茂(あつも)峠がこれらしい。

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部原(へばら)(変わった読み方ですね)集落のバス停「部原」から山の方に入っていく道がある。

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道幅は4mくらいで、車が1台通れるだけだが、舗装されている。 道の片側は田圃が続く。

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道はくねくねと山の方に入っていくが、途中茅葺屋根の立派な門が見えてきた。
ここはむかし豊後荘病院があったところらしく、病院の門が残されていた。
この門の奥には立派なお屋敷が続いているので、病院の院長の自宅だろうか?
きれいに茅葺の屋根の手入れがされていた。

山道に入ると車でも結構急な坂が続く。麓の集落が標高40~50mくらいなので、峠の頂上まで約70mくらい登ることになる。
それ程危険な道ではないが、車がすれ違える場所は少なく、坂の途中で車も止められなかったので、頂上付近で1枚撮っただけです。

登りでは盛んにセミが鳴いていた。もうツクツクボウシが鳴いていた。やはり山なのだろう。
(ここを訪れた時は、1週間ほど前になります。)

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ここからは坂を一気に下る。

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くねくねと下ると部落の道にぶつかる。

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このぶつかったところの右側にきれいな水飲み場がある。コップで1杯飲んでみた。とても冷たくて
美味しい。

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この反対側はお地蔵や石板などが置かれ、ここが街道の分かれ道であった様子がわかる。
こういうのが今も残るのはとてもうれしい。

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おもしろいことに、この瀬戸井街道のルートが見えてくると、もう一つの宇都宮街道(宇都宮-瓦会街道)も前から気になっていたのが見えてきた。

昔の街道は幅が2間(3.6m)くらいだったというのだから今では車1台が通れる程度だ。
県道140号線が今はバスも通る道になっているが、これを中心に考えると江戸時代やそれ以前の道は見えてこないものなんですね。

この先、水戸までの道を順を追って見て行きたいと思います。次回は真家宿までを紹介します。

今回現地に行ってみてわかったルートは、瀬戸井(邑楽郡千代田町瀬戸井)-古河-諸川-八町-下妻-高道祖-北条-(風返峠)-小幡宿-柿岡宿-部原-(山崎宿)-真家宿-泉宿(岩間)-土師-住吉宿-随分附-鯉渕宿-水戸です。

1回目に山崎宿を紹介しましたが、この宿は通る時も通らない時もあったのでしょう。
今日が部原から真家宿までの半分です。
今後この先を水戸の一つ手前の「鯉渕宿」までを独断と勘をたよりに紹介していく予定です。
どうなりますか。

(地元以外の方には何処の道かなど全然わかりませんね。でも何処か懐かしい道や家の佇まいを楽しんでいただければと思います。まだしばらく続くと思いますので、できれば、お付き合いしていただけると嬉しいですね。)


 

瀬戸井街道 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/08/23 19:02

瀬戸井街道(3)-真家地区

昨日書いた「厚茂(あつも)峠」から下の集落へ下ったところから今日はスタートです。
今日は真家地区と普通呼ばれている柿の産地の集落です。

立派な竹林と古くからの古木の素敵な家がありました。

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この真家地区を通る瀬戸井街道は山の集落の人家を縫うように続いています。

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立派な長者門の家が通りに姿を現しました。あたりは柿の果樹園が広がります。

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明円寺の入口。ここから少し上流に「馬滝(うまたき)」がある。
明円寺は親鸞を襲って、回心し弟子となった山伏弁円(明法房)の建てた寺だが、一般には親鸞の二十四輩の明法房の寺は上宮寺をいうようですが、ここも忘れてはいけない寺です。
元はもう少し山の上にあったが山津波で流され下にたてなおされたものといいます。

またお盆の時に行なわれる平安時代から続く「真家のみたまおどり」が残る不思議な場所です。
(おどりはこちらを参照ください)

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この真家地区の柿は(皇室)献上柿として有名だそうだ。
柿の収穫は10月頃である。今はこの程度の大きさだ。

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明日は真家宿を紹介します。
 

瀬戸井街道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/08/24 10:53

瀬戸井街道(4)-真家宿

 瀬戸井街道は真家を通っていたはずだが、真家は柿の畑が広がる山側のイメージが強かったが、国土地理院の地図では園部からの通り沿いに「真家宿」の表示がある。

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ここは初めて通ったが、古い家並みが続く。真家さんとの表札の家もある。

この道を真っ直ぐにいけば岩間にでる。

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大きな瓦屋根の家があった。元は茅葺屋根だったものをそのままの形で瓦屋根にかえたと思われるが、勾配がきつくて、私だったらこんな屋根は恐くて登れない。

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長屋門の上から裏山(鐘転山?)が見える。

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今回の地震で土壁などが傷んだ門や家もかなり見かける。

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この真家宿の中心にあるのが「全龍寺」という天文4年(1535)に創建されたという寺である。
何度か火災にあって平成5年に本堂客殿書院を建立したもの。
この山門は少し古くから残されたものと思われる。

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寺の入口には新しい六地蔵が並ぶ。




次回は岩間(泉)宿へ
 

瀬戸井街道 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/08/25 06:30

瀬戸井街道(5)-岩間(泉)宿

本日2回目の投稿です。

 真家宿の道を真っ直ぐに進むとT字路に突き当りますが、ここを右に(東に)まがると石岡と笠間を結ぶ国道355線の旧道に出ます。
こちらの道(355線)は前に紹介したが、笠間市の観光案内書では「江戸街道」として紹介されている。

この通りに出て少し岩間駅の方に進んだところが泉地区で、何処となく宿場の雰囲気が残っている。

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このような大きな構えの家が並んでいる。
下の写真など立派な門だ。長者門?

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下の写真は泉地区ではなく岩間の駅に近い場所にある。
それにしても門がこんなに幅広いのでは、十分にこの門で暮らせますね。

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いよいよここからは岩間と水戸を結ぶ岩間街道に出るわけですが、この岩間地区は愛宕神社を素通りできないですね。また「隠沢観音」というのがあるのですが、ここもこの街道とともに見ると見方が変わってきます。

しかし、一旦街道の流れを見てからまた戻って調べた方がわかるように思いますので後ほど紹介に加えましょう。


 

瀬戸井街道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/08/25 18:30

瀬戸井街道(6)-岩間街道

 さて、瀬戸井街道はこの泉宿で(旧)国道355号線(笠間街道、江戸街道)に一旦でてJRの岩間駅から水戸方面につながる県道30号線(岩間街道)がほぼ昔の瀬戸井街道であったと言われています。

この岩間街道に入ると、旧岩間町役場(現笠間市役所岩間支所)の横を通ります。
この役場の建物や敷地は立派ですね。岩間駅などの施設に比べて見るとなんでこんなに立派なの?
などと考えてしまいますが・・・。

県道30号線は「土師(はじ)十字路」交差点で少し左に折れています。
土師とは名前からすると、8~9世紀頃まで盛んに作られていた「土師器(はじき)」を作る人たちが住んでいたところと思われますね。

石岡には旧水戸街道の石岡の入口に「幸町」という旧町名があるが、ここは昔江戸時代半ばまで「土器(かわらけ)町」と言われたところでした(昨年のブログ参照)。
かわらけより土師器の方が古いかもしれません。

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この岩間街道に「歴史と語らいの道」という看板と少しの休憩スペースが設置されています。

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結構広いスペースですので車や自転車は少し休憩してここに書かれている説明板を見てほしいと思います。

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一通り歴史が細かく書かれていました。瀬戸井街道として使われたこと。天狗党がここを通って筑波山に集結したことなど。
土師村焼き討ち、鯉渕勢などの天狗党時代のことも詳しいですね。
私が気にしたのはこの中の「土浦藩主や家臣たちが北条陣屋と岩間を往復した道」というくだりです。
これは何を意味してるのでしょうか?

岩間の愛宕山はもちろんですが、隠沢観音がとても興味を引きます。

明日は住吉宿です。

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(瀬戸井街道のルートを青い線のルートに訂正します。2011.9.8)


 

瀬戸井街道 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/08/26 06:21

瀬戸井街道(7)-住吉宿

本日2本目です。早くこの街道を制覇したいので。

江戸時代に120kmにも及ぶ地方街道であった「瀬戸井街道」は徳川幕府の当時の信仰感も見えてきます。
日光に御所を置き、街道を整備していますが、一方鬼門の方向にあった筑波山も保護し、この筑波詣でも盛んに行なわれるようになりました。

徳川御三家の一つ「水戸藩」と筑波山を結ぶ最短ルートがこの瀬戸井街道でした。
しかし、明治になり主要道ではなかったために、徐々にその役目がなくなり道もわからなくなっていきました。

現在、国土地理院の地図ではこの街道沿いに「宿」の文字が見えるか所がいくつか存在します。
しかし、他の交通地図で探してもほとんど載っていません。
岩間街道沿いでは唯一、この住吉に「新宿」「本宿」との地名が残っていました。

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まず最初に「住吉新宿」があります。
地名では残っていますが、宿場町らしい面影はあまりありません。

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こちらの本宿は新宿からすぐですが、こちらは神社、旧家の面影があります。
現在の街道は昔の街道の4倍くらいは道幅が広がっていますので、大分変ってしまったものと思います。

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この通りから裏側も何処となくその雰囲気は感じられます。

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宿場の神社や街道沿いに残された門などに昔の趣を感じるのですが、変化も激しいですね。

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このような門を保存していくのも大変ですが、是非残していってほしいですね。


   

 

瀬戸井街道 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/08/26 14:14

瀬戸井街道(8)-随分附

 旧瀬戸井街道といわれる「岩間街道」を岩間から水戸方面に行くと、昨日紹介した「住吉宿」があり、次が「鯉渕宿」ですが、この2つの宿場の中間にとても変わった地名の場所があります。
「随分附」とかいて「ナムサンヅケ」と読みます。

茨城の難読地名リストに必ず登場するところです。木葉下でアボッケ、安居で「アゴ」など明らかに昔から伝わり残された地名です。
漢字はほとんどの場合が当て字でしょうから、漢字から意味をつかむのは無理でしょう。
興味のある方はアイヌ語などを調べられたらわかるかもしれません。

さて、この随分附には昔の街道と思われる通りが残されていました。


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上の写真は水戸方面から岩間方面を見たところです。
「随分附本郷」という看板を笠間市が立てていました。
ここから横(北方向に)に入る幅4mくらいの道は、恐らく瀬戸井街道の名残でしょう。

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こんな感じの道が数十mあるだけで、元の笠間海道に出てしまいます。

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明らかにまわりの家に比べて雰囲気が違っていますね。

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立派な門や塀、古木などが続いています。

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次回は水戸市に入って「鯉渕宿」周辺をお届けします。
 

瀬戸井街道 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/08/27 06:24

瀬戸井街道(9)-鯉渕宿

 岩間街道は水戸城下から筑波を通っていた瀬戸井街道の通りをほぼ拡張して作られているようです。
しかし、昔の道幅は狭く、徒歩や馬で通っていた時代は道はくねくね曲がっていたはずです。
それを車が通りやすく、通りに大型のショッピング店などが建つように変わっていくと、昔の名残を探すのが困難になってきます。

さて、瀬戸井街道の水戸城下から最初の宿場が「鯉渕宿」です。
鯉渕もかなり広い範囲にまたがっていて、昔の通りをさがしてみました。

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水戸方面に向かって、高速道路の高架橋の少し手前の信号から右手斜めに入る道があります。
これが旧道でしょう。通りの両側には古い桜の並木が残されていました。

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この桜の古木は中心がもうありません。空洞ですね。でも青々とした葉をいっぱい茂らせていました。
古木に耳をあてると昔のことを思い出させてくれる。そんな感じになります。

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通りの分かれ道の所にはやはり地蔵さんや石碑が立っていました。
このままこの旧道を進むと鯉渕小学校の所に出ます。

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さて、この旧道はまたぐるっとまわって、元の岩間街道にでます。
この途中に旧家らしい家並みが続きます。
石岡から水戸に行くのによくここに出てきました。
古い家並みを見て通過していたのですが、今やっとすこしずつ通りが見えてきました。

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この旧家の所を右に曲がると「根古矢」へ。曲ってすぐまた右に行く道は石岡へつながります。

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鯉渕は昔「鯉渕城」があったと言われており、道もたくさんの道が交わり、クランクのようになっています。
桜田門外の変では鯉渕勢として名前が出てきます。鯉渕要人なども関係者でしょう。

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ここ、鯉渕に鎮座する「鹿島神社」由緒などは良くわかりませんが、中世の城の大手門なども近くにあったようです。

さて、岩間街道(瀬戸井街道)はこのあと水戸市街に入っていきます。
そして歴史館の横を通って、大工町にでます。
市街地になり面影が追えなくなりますので、一旦ここで探索を終了し、岩間の神社を見てみたいと思います。

次回は岩間の隠沢観音を紹介します。
 

 

瀬戸井街道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/08/27 18:50

瀬戸井街道(10)-(岩間)隠沢観音

 江戸時代の地方街道、走行距離120kmにも及ぶ「瀬戸井街道」は私のいる石岡市を横切っていました。
しかし、ほとんど紹介されているものもなく、ルートもわからなくなってしまっていたと思います。

今回そのわからない部分をたんなる勘をたよりに訪ねてみたのですが、わからないなりに昔の道や人の流れが見えてきたように思います。

笠間市の旧岩間には「愛宕神社」やその手前に「六所神社」がありますが、昔の瀬戸井街道が廃れたために、現在使われている県道や国道を中心に物が見えており、また市をまたがっているとどうしてもそこに行政の壁があって、道はつながっているのにそこに線が引かれ、壁があるようです。

でもこれは受け取る側の問題なんですね。実際はどこにも壁はありません。

岩間には吾国山から鐘転山まで連なる山がありますが、岩間の泉から真家に行くのには山越えはありません。
山をまくように平地でつながっていました。ほとんど通ることがないので山越えが必要と思い込んでいました。

ここに「隠沢観音」(嶽南山・慈眼院清竜寺)という無住の寺があります。
現在は裏の鐘転(かねころばし)山へ登る方が時々通るだけです。

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寺への石の階段は年月を感じさせる寺です。

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数年前に朽ちたような看板に誘われて行ってみたのですが、今回この瀬戸井街道との繋がりが見えてきました。

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この寺は「養老4年(720)の開創にして、後行基菩薩の一刀三拝の作と伝えられる十一面観音像を奉安してある。本寺は土浦土屋初代藩主数直侯の遺志を継承した二代政直侯が、堂平より現位置に移転改築したもので、本堂、客殿、二階建の庫裡黒門と輪舘奐の美を整え、延宝9年(1681)10月14日完成、本堂内に御本尊を奉納した。当寺は土浦藩主の御祈願所として格別の庇護を受け、年々石高にして十石が寄進され保護されていた。」と説明にあります。

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お堂の奥に観音像が置かれています。肉眼ではあまり良く見えません。

ここは土浦藩土屋家の祈願所だったのです。
7月10日、12月10日のお参りは「朝観音」といわれ、この日にお参りすると4万6千日(しまんろくせんにち)お参りしたことになるといわれたといいます。
浅草のほうずき市(7/9,10)観音様詣りと同じです。

子授け、子育てに霊験があると言われています。
土浦藩の北条陣屋(つくば)からここにお参りに来るにはこの瀬戸井街道が使われたに違いありません。
 

 

瀬戸井街道 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/08/28 06:30
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