かすみがうら水族館
今日は朝から雨。勤労感謝の日ではあるが仕事は休みでないので朝は出かけた。
午後から、東京から来ている母のために早く帰ってきた。
途中で黄色に色づいたイチョウの葉が雨で大分散ってしまっていた。
落ち葉も増え、やはり冬が来た感じがする。毎年時間のたつのは早い。
今は昭和ロマンの街並みに時々大きな丸い月が顔を出している。
先の日曜日に母を連れて、かすみがうら市の歩崎(あゆみざき)公園にある水族館に行ってきた。
ここは霞ケ浦の淡水生物の水族館として設立され、小さい子供などにも楽しめるように出来ている。
今は霞ケ浦だけでなく、世界の淡水魚や亀などがたくさんいて、一見の価値があるが、宣伝不足
のためか、あまり知られていない。

水族館の入口手前も昔に比べきれいに整備され、噴水や銅像などこれも天皇陛下のご来館が予定されたことがあったためでしょうか。
5年前に近くの「霞ケ浦環境科学センター」にこられ、その時に見学の話があったと聞いています。
しかし、あまりにもみすぼらしいのではないかとの話で・・・結果はどうなったのか??

しかし、銅像(あゆみ)に鯉のいる池と噴水はきれいに整備されています。

水族館の入口に大きなゾウガメ? その先に市民から愛称を募集した2匹のケヅメリクガメがいます。
子供のためか、世界のクワガタもこの時期にも生きて展示されています。

水族館の入口の霞ケ浦を一望できる場所に「帆引き船発祥の地」の石碑が建てられていました。
この日も日曜日だというのに、訪れていたのは、私たちと男の子を連れた親子3人の2組のみ。
賑やかなお祭りや遊具などがないので子供にも人気がないのだろうか。
ここには我が家の子供たちは小さい時に良き遊びに来た。
水辺の生物を触ることができるようになっていて結構楽しめたものだ。
しかし今は触れるようになっていたのはザリガニのみ。
しかしこのザリガニは日本ザリガニ? 日本ザリガニは貴重だが・・・
また外から見た建物よりも内部は結構広く、十分楽しめます。
石岡に戻るために数年前に無料となった霞ケ浦大橋をわたり、行方市の「道の駅たまつくり」や「水の科学館」側に渡ると、大勢の人があふれていました。
何があるというのでしょうか。
最近特に大型の店舗なども積極的に進出して人も集まるようになりました。
子供が楽しめる施設もあります。
数年前までは閑散としていたことを思えば雲泥の差です。
特別なものがなくても行ってみたいと思う何かがあるのでしょう。
でも行方市としては他の歴史的な史跡も多いのですが、あまり人が多いことはありません。
どこも閑散としています。霞ケ浦の自然が残され石岡とも古くから交流があった場所です。
鹿島鉄道があれば「玉造」-「石岡」はとても近いイメージだったのですが・・・。
午後から、東京から来ている母のために早く帰ってきた。
途中で黄色に色づいたイチョウの葉が雨で大分散ってしまっていた。
落ち葉も増え、やはり冬が来た感じがする。毎年時間のたつのは早い。
今は昭和ロマンの街並みに時々大きな丸い月が顔を出している。
先の日曜日に母を連れて、かすみがうら市の歩崎(あゆみざき)公園にある水族館に行ってきた。
ここは霞ケ浦の淡水生物の水族館として設立され、小さい子供などにも楽しめるように出来ている。
今は霞ケ浦だけでなく、世界の淡水魚や亀などがたくさんいて、一見の価値があるが、宣伝不足
のためか、あまり知られていない。

水族館の入口手前も昔に比べきれいに整備され、噴水や銅像などこれも天皇陛下のご来館が予定されたことがあったためでしょうか。
5年前に近くの「霞ケ浦環境科学センター」にこられ、その時に見学の話があったと聞いています。
しかし、あまりにもみすぼらしいのではないかとの話で・・・結果はどうなったのか??

しかし、銅像(あゆみ)に鯉のいる池と噴水はきれいに整備されています。

水族館の入口に大きなゾウガメ? その先に市民から愛称を募集した2匹のケヅメリクガメがいます。
子供のためか、世界のクワガタもこの時期にも生きて展示されています。

水族館の入口の霞ケ浦を一望できる場所に「帆引き船発祥の地」の石碑が建てられていました。
この日も日曜日だというのに、訪れていたのは、私たちと男の子を連れた親子3人の2組のみ。
賑やかなお祭りや遊具などがないので子供にも人気がないのだろうか。
ここには我が家の子供たちは小さい時に良き遊びに来た。
水辺の生物を触ることができるようになっていて結構楽しめたものだ。
しかし今は触れるようになっていたのはザリガニのみ。
しかしこのザリガニは日本ザリガニ? 日本ザリガニは貴重だが・・・
また外から見た建物よりも内部は結構広く、十分楽しめます。
石岡に戻るために数年前に無料となった霞ケ浦大橋をわたり、行方市の「道の駅たまつくり」や「水の科学館」側に渡ると、大勢の人があふれていました。
何があるというのでしょうか。
最近特に大型の店舗なども積極的に進出して人も集まるようになりました。
子供が楽しめる施設もあります。
数年前までは閑散としていたことを思えば雲泥の差です。
特別なものがなくても行ってみたいと思う何かがあるのでしょう。
でも行方市としては他の歴史的な史跡も多いのですが、あまり人が多いことはありません。
どこも閑散としています。霞ケ浦の自然が残され石岡とも古くから交流があった場所です。
鹿島鉄道があれば「玉造」-「石岡」はとても近いイメージだったのですが・・・。
霞ヶ浦総合公園
NHKテレビで土浦の霞ヶ浦総合公園のチューリップが紹介されていたので行ってみました。
ここは国民宿舎「水郷」があり、昔子供を連れて公園に遊びに来たり、野外バーベキューをやったりしましたが、最近きていなかったのです。
昔に比べ、公園はきれいに整備され、日帰り温泉施設「霞浦の湯(かほのゆ)」があります。しかし、「北海道二股温泉の石灰華原石を利用した人工温泉」となっていました。
国民宿舎はこの地震でまだ休業中。温泉施設だけが4月からオープンしていました。
また風車も土台部分が被害にあい、展望台などには入れないようです。
また、福島からの避難民を水郷体育館で受け入れておりましたが、4月10日に閉鎖となったようです。
避難者は親戚や市で準備したホテルなどに移られたようです。

シンボルである風車はオランダの風車をまねたもので、風車は動きません。内部に水を循環してきれいにする装置が取り付けられており、霞ケ浦の水質浄化が真の目的です。

チューリップはいつから始まったのでしょうか。発想はオランダの風車にはチューリップという単純なものですが、きれいに咲いていました。

子供たちも学校が始まっていると思いますが、宿題でしょうか「絵日記」のようなものを一生懸命書いていました。
先ほどいわき市の「スパリゾートハワイアンズ」(昔のハワイアンセンター)が被害にあい、再建も大変で、原発も近いので、ここでの営業をしばらくやめて、昔やった地方巡業をスタートさせると言っていました。頑張れ! フラガールズ。
ここは国民宿舎「水郷」があり、昔子供を連れて公園に遊びに来たり、野外バーベキューをやったりしましたが、最近きていなかったのです。
昔に比べ、公園はきれいに整備され、日帰り温泉施設「霞浦の湯(かほのゆ)」があります。しかし、「北海道二股温泉の石灰華原石を利用した人工温泉」となっていました。
国民宿舎はこの地震でまだ休業中。温泉施設だけが4月からオープンしていました。
また風車も土台部分が被害にあい、展望台などには入れないようです。
また、福島からの避難民を水郷体育館で受け入れておりましたが、4月10日に閉鎖となったようです。
避難者は親戚や市で準備したホテルなどに移られたようです。

シンボルである風車はオランダの風車をまねたもので、風車は動きません。内部に水を循環してきれいにする装置が取り付けられており、霞ケ浦の水質浄化が真の目的です。

チューリップはいつから始まったのでしょうか。発想はオランダの風車にはチューリップという単純なものですが、きれいに咲いていました。

子供たちも学校が始まっていると思いますが、宿題でしょうか「絵日記」のようなものを一生懸命書いていました。
先ほどいわき市の「スパリゾートハワイアンズ」(昔のハワイアンセンター)が被害にあい、再建も大変で、原発も近いので、ここでの営業をしばらくやめて、昔やった地方巡業をスタートさせると言っていました。頑張れ! フラガールズ。
筑波山と土浦
今日は夜になって大分冷え込んできました。明日はもっと寒くなる予報が出ていますので注意しましょう。
さて、今日は縄文海進で土浦の町を少しだけ見て見ましょう。
石岡は台地の上に街があるので、少し高台になっていますが、土浦の市街地は標高が低い低地なのです。

(Flood Mapsで海面が+5mとなった場合の地図)
土浦は中世以降に発展した街で、江戸時代は土屋氏がその録を拡大し、発展を遂げました。
江戸末期から明治初めは、霞ケ浦の水運でも石岡とともに発展していったのです。
(その後の発展は石岡の方が昭和の初めまでは勢いもあったように思うのですが、その後まったく逆転してしまったようです)
しかし、古代を見ると特にとるべきものは少ないようです。
これは現在市街地となっている大部分(土浦城も含めて)湿地帯で住みにくい場所であったことが原因だと思っています。
これは江戸が昔家康が都を移す前までの状態に似ています。
何もないところの方が便利であれば資財を投入して新たに街並みができる。
今回の津波災害が襲った場所を高台に移す計画が進められているが、100年経った時にはきっとまた湊の近くに人が住むようになるでしょう。それが人間の心理ですね。
100年も経てば災害を経験した人がいなくなり、本当に規制ができるのだろうか。
それより、津波が襲ったら、その規模を少しでも軽減し、到達時間を遅らせ、住民が皆で、どうやって逃げるかを考えた方が良いのではないだろうか?
また本気に高台移転をするのなら、その地に生活がしやすい環境や中心となる施設の建設などを集中投資するしかない。
でも範囲が広すぎて今回の対応はできないように思う。
霞ケ浦から眺めた筑波山とそのふもとの街並みは美しいと思う。
筑波山の上からこの町の夜景なども美しく見える。
石岡の高浜や土浦も昔は良く水害があった。今は完全に淡水湖になってしまい、まわりの水田や干拓には水害などの被害がほとんどなくなった。
逆に霞ケ浦の水質がどんどん悪化していったが、努力の結果かなり改善されてきた様に思う。
先日書いた鯉の養殖による餌の影響が水質を悪くしているとの指摘があったが、今回の鯉ヘルペスによる養殖中止で改善したという因果関係はあまり報告されていない。
私が最初に土浦の町に降り立ったのはもう40年くらい前になる、その当時駅前は「若鷲の歌」(予科練の歌)が駅前で盛んに流されていた。
今の人が見たら何なのかと思うに違いない。
これも予科練特攻隊の霞ケ浦部隊があったことが原因なのだが、戦後25年くらいたった時のことだから驚かされたものだ。
また桜町の飲み屋街も少し若者には恐いところのように感じていた。
そんなところも筑波万博で大分変ったが、駅前も最近元気がないようにも思われる。
市長さんも頑張ってやっているので、都会からの人も流れてきて、また発展するものと期待している。
石岡がとり残される心配などしていない。
ともに発展しないとTXができた「つくば」に皆な持っていかれるようでは困るのである。
少しは土浦も取り上げたい。他所から来るとこの町も川があり、城下町の風情も残る良い街並みである。
下の写真は、先日、霞ケ浦の阿見町の少し先の方から土浦の町を眺めたものだ。

(サムネルです。クリックすると少し拡大します)
撮影場所は下記です。
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さて、今日は縄文海進で土浦の町を少しだけ見て見ましょう。
石岡は台地の上に街があるので、少し高台になっていますが、土浦の市街地は標高が低い低地なのです。

(Flood Mapsで海面が+5mとなった場合の地図)
土浦は中世以降に発展した街で、江戸時代は土屋氏がその録を拡大し、発展を遂げました。
江戸末期から明治初めは、霞ケ浦の水運でも石岡とともに発展していったのです。
(その後の発展は石岡の方が昭和の初めまでは勢いもあったように思うのですが、その後まったく逆転してしまったようです)
しかし、古代を見ると特にとるべきものは少ないようです。
これは現在市街地となっている大部分(土浦城も含めて)湿地帯で住みにくい場所であったことが原因だと思っています。
これは江戸が昔家康が都を移す前までの状態に似ています。
何もないところの方が便利であれば資財を投入して新たに街並みができる。
今回の津波災害が襲った場所を高台に移す計画が進められているが、100年経った時にはきっとまた湊の近くに人が住むようになるでしょう。それが人間の心理ですね。
100年も経てば災害を経験した人がいなくなり、本当に規制ができるのだろうか。
それより、津波が襲ったら、その規模を少しでも軽減し、到達時間を遅らせ、住民が皆で、どうやって逃げるかを考えた方が良いのではないだろうか?
また本気に高台移転をするのなら、その地に生活がしやすい環境や中心となる施設の建設などを集中投資するしかない。
でも範囲が広すぎて今回の対応はできないように思う。
霞ケ浦から眺めた筑波山とそのふもとの街並みは美しいと思う。
筑波山の上からこの町の夜景なども美しく見える。
石岡の高浜や土浦も昔は良く水害があった。今は完全に淡水湖になってしまい、まわりの水田や干拓には水害などの被害がほとんどなくなった。
逆に霞ケ浦の水質がどんどん悪化していったが、努力の結果かなり改善されてきた様に思う。
先日書いた鯉の養殖による餌の影響が水質を悪くしているとの指摘があったが、今回の鯉ヘルペスによる養殖中止で改善したという因果関係はあまり報告されていない。
私が最初に土浦の町に降り立ったのはもう40年くらい前になる、その当時駅前は「若鷲の歌」(予科練の歌)が駅前で盛んに流されていた。
今の人が見たら何なのかと思うに違いない。
これも予科練特攻隊の霞ケ浦部隊があったことが原因なのだが、戦後25年くらいたった時のことだから驚かされたものだ。
また桜町の飲み屋街も少し若者には恐いところのように感じていた。
そんなところも筑波万博で大分変ったが、駅前も最近元気がないようにも思われる。
市長さんも頑張ってやっているので、都会からの人も流れてきて、また発展するものと期待している。
石岡がとり残される心配などしていない。
ともに発展しないとTXができた「つくば」に皆な持っていかれるようでは困るのである。
少しは土浦も取り上げたい。他所から来るとこの町も川があり、城下町の風情も残る良い街並みである。
下の写真は、先日、霞ケ浦の阿見町の少し先の方から土浦の町を眺めたものだ。

(サムネルです。クリックすると少し拡大します)
撮影場所は下記です。


土浦港
今日は寒い一日でしたね。
雪国の人は雪カキが大変なんでしょう。
こちらの風が冷たく晴れている日は日本海側で吹雪くことが多いので心配です。
さて、今日は昨日書いた隣り町の土浦の港に行ってきたので紹介します。

この港は、今では漁港ではなく、霞ケ浦周遊の観光船とヨットハーバーに使われています。
観光船の乗り場が移動したので、前の船着き場は釣りを楽しむ人が大勢いました。
対岸に見えるのは「港町」で釣り具屋さんなどもありますが、ほとんど住宅街です。
知り合いで家を建てた方もおりますが、家の基礎はベタ基礎といって、柱の下だけでなく、家の下全体に平らにコンクリートで固めます。
そうしないと家が傾く恐れがあるのです。

この霞ケ浦の”土浦入り”は水の流れが少ないので、夏場にアオコが発生して緑や青色に染まってしまう場合がありました。
それも、少しずつはきれいになり、最近はあまり聞かなくなったと思っていたのですが、昨年の夏には大量発生したようです。
臭いもするので、本当に困りものです。昔泳ぐことができたという、きれいな水に早くなってほしいものです。

向こうに見えるのが土浦の町です。街には来ることは良くあるのですが、港に来たのは何年振りだろう。
昔は今釣りをしている辺りに白鳥の形をした遊覧船が止まっていたはずなのですが・・・。

この港の通りの反対側に3つの神社が並んで立っていました。
「水天宮」「水神宮」「稲荷神社」です。
水天宮は1840年に久留米21万石の有馬家から土浦藩土屋家(9.5万石)に嫁入りの祭に久留米の水天宮を分霊したもので、水神宮は1836年に地元の船運・漁業者が創建したものだそうです。
また稲荷大明神は、江戸時代末期に土浦城内に祀られたものを移したものだそうです。
このように3つが並んで置かれているのも珍しいですね。
この土浦港近くには土浦京成ホテルと付属のボーリング場があったのですが、閉鎖となり、その跡地をマリーナも含めて土浦市で買い取り、公園などとして整備するようです。
これからどのように変わっていくのかも見ていきたいと思います。
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雪国の人は雪カキが大変なんでしょう。
こちらの風が冷たく晴れている日は日本海側で吹雪くことが多いので心配です。
さて、今日は昨日書いた隣り町の土浦の港に行ってきたので紹介します。

この港は、今では漁港ではなく、霞ケ浦周遊の観光船とヨットハーバーに使われています。
観光船の乗り場が移動したので、前の船着き場は釣りを楽しむ人が大勢いました。
対岸に見えるのは「港町」で釣り具屋さんなどもありますが、ほとんど住宅街です。
知り合いで家を建てた方もおりますが、家の基礎はベタ基礎といって、柱の下だけでなく、家の下全体に平らにコンクリートで固めます。
そうしないと家が傾く恐れがあるのです。

この霞ケ浦の”土浦入り”は水の流れが少ないので、夏場にアオコが発生して緑や青色に染まってしまう場合がありました。
それも、少しずつはきれいになり、最近はあまり聞かなくなったと思っていたのですが、昨年の夏には大量発生したようです。
臭いもするので、本当に困りものです。昔泳ぐことができたという、きれいな水に早くなってほしいものです。

向こうに見えるのが土浦の町です。街には来ることは良くあるのですが、港に来たのは何年振りだろう。
昔は今釣りをしている辺りに白鳥の形をした遊覧船が止まっていたはずなのですが・・・。

この港の通りの反対側に3つの神社が並んで立っていました。
「水天宮」「水神宮」「稲荷神社」です。
水天宮は1840年に久留米21万石の有馬家から土浦藩土屋家(9.5万石)に嫁入りの祭に久留米の水天宮を分霊したもので、水神宮は1836年に地元の船運・漁業者が創建したものだそうです。
また稲荷大明神は、江戸時代末期に土浦城内に祀られたものを移したものだそうです。
このように3つが並んで置かれているのも珍しいですね。
この土浦港近くには土浦京成ホテルと付属のボーリング場があったのですが、閉鎖となり、その跡地をマリーナも含めて土浦市で買い取り、公園などとして整備するようです。
これからどのように変わっていくのかも見ていきたいと思います。


水郷公園(土浦)
土浦の水郷公園に行ってきました。
国民宿舎「水郷」があったのですが、今回の地震で営業を停止し、そのまま取り壊しされるようです。
隣りの日帰り温泉施設はやっているようですが、温泉ボーリングはうまくいかず、どこかから温泉成分を持ってきてやっているようです。
この公園も、むかし(14~5年位前)に比べるとかなりきれいになりました。
去年はチュウリップの時に紹介しています。
今回はこの水郷公園につながっている手前の湖畔に水鳥(白鳥、鴨など)が沢山きていたので紹介します。
(写真はサムネルです。クリックで拡大します)

白鳥などはこの時期に渡り鳥として飛来してきたのか、棲みついているものかは不明です。
かなりの数の白鳥が棲みついているとも聞いています。

この辺りは人工的に鳥が集まりやすいように環境を整えているようです。

この場所は桜川の支流(備前川?)が霞ケ浦に注いでいます。
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国民宿舎「水郷」があったのですが、今回の地震で営業を停止し、そのまま取り壊しされるようです。
隣りの日帰り温泉施設はやっているようですが、温泉ボーリングはうまくいかず、どこかから温泉成分を持ってきてやっているようです。
この公園も、むかし(14~5年位前)に比べるとかなりきれいになりました。
去年はチュウリップの時に紹介しています。
今回はこの水郷公園につながっている手前の湖畔に水鳥(白鳥、鴨など)が沢山きていたので紹介します。
(写真はサムネルです。クリックで拡大します)

白鳥などはこの時期に渡り鳥として飛来してきたのか、棲みついているものかは不明です。
かなりの数の白鳥が棲みついているとも聞いています。

この辺りは人工的に鳥が集まりやすいように環境を整えているようです。

この場所は桜川の支流(備前川?)が霞ケ浦に注いでいます。


釣り少年と犬
「釣り少年と犬」のタイトルでは何か分かりませんよね。
少し前から紹介している土浦の水郷公園に作られているオブジェなんです。
特に何のいわれがあるかなどのことは何も書かれていません。
でも何処かにストーリーが眠っていても良いような雰囲気を持っています。
どなたか考えて書いてみませんか?
(写真は今回もサムネルです。クリックで拡大します)

霞ケ浦に釣り糸を垂れる少年と寄り添う犬のオブジェです。
作者の名前も書かれたものはありません。

見る角度で色々な表情に変わります。
作られた方はどなたなのでしょう
何処かにそれにまつわるお話がついてきてもよさそうな雰囲気があります。

このオブジェはオランダ風風車のすぐ近くにあります。
さて、このブログもいつのまにか、記事数が700回を越えて、今回が702回目(522日目)の記事になります。
いつの間にかこんなに記事を書いてきたのだと我ながら感心していますが、いつの間にか色々な方とつながってくるのはとてもうれしいですね。
黙って読んでくれている方がいくらかでもおられる感触が出てきましたので嬉しいことです。
今年も歴史と郷土の写真を織り交ぜながら紹介していけたらいいなと思っています。
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少し前から紹介している土浦の水郷公園に作られているオブジェなんです。
特に何のいわれがあるかなどのことは何も書かれていません。
でも何処かにストーリーが眠っていても良いような雰囲気を持っています。
どなたか考えて書いてみませんか?
(写真は今回もサムネルです。クリックで拡大します)

霞ケ浦に釣り糸を垂れる少年と寄り添う犬のオブジェです。
作者の名前も書かれたものはありません。

見る角度で色々な表情に変わります。
作られた方はどなたなのでしょう
何処かにそれにまつわるお話がついてきてもよさそうな雰囲気があります。

このオブジェはオランダ風風車のすぐ近くにあります。
さて、このブログもいつのまにか、記事数が700回を越えて、今回が702回目(522日目)の記事になります。
いつの間にかこんなに記事を書いてきたのだと我ながら感心していますが、いつの間にか色々な方とつながってくるのはとてもうれしいですね。
黙って読んでくれている方がいくらかでもおられる感触が出てきましたので嬉しいことです。
今年も歴史と郷土の写真を織り交ぜながら紹介していけたらいいなと思っています。


和田岬と和田公園(浮島)
今日1月17日は17年前に阪神淡路大震災が起こった日です。
朝早く起きてテレビをつけていたら、5時46分に1分間の黙祷が行なわれました。
テレビに合わせ黙祷を捧げました。
今日は人間ドックの検診日でいつもより早く家を出て、昼過ぎに帰ってきました。
そして、只今午後2時46分になりました。東日本大震災の起こった時刻で、2度目の黙祷を捧げました。
阪神淡路の時は西ノ宮にいた家内の親類が被災し、家は倒壊しましたが幸い無事でした。
でも、当時はなかなか連絡が取れずずいぶん心配し、電車が動かない中、家内は行ける所まで行くと出かけて行きました。
途中までしか動いていなかった電車で行き、そこから歩いて何とかいけたようですが、その時の町の光景は忘れられないようです。
直下型であったため、完全に倒壊した家の列と道路一つ隔てたら何ともないところもあったようです。
年寄り一人で住んでいて、たまたま炬燵で寝ていて上にタンスが倒れたけど無事だったなどと、今では笑い話をするようですが、「このような経験をすると世の中の見方が変わってくる」と言っていました。
「皆がこういう時にはしっかりとその状況を見て状況をしっかりと体験しておくことが、何にも変えられない経験だ」といわれたのを思い出します。
その後、2004年10月には今度は私の親戚が新潟中越地震で被災し、しばらく家の中では怖くて車で寝ていたなどと言っていました。
こんなに災害の多い国なんですね。
人は痛みや悲しみは一時的には忘れるように出来ています。
そうでなければ立ち直れないんです。四六時中悲しんでいても生きていけません。
でも、まわりの人は忘れてはいけないんですよね。この話はこれくらいにしますね。
さて、今日は昨日の浮島の先端にある和田公園を紹介します。
昔、大和朝廷が東国を平定するために東京湾をわたり、流れ海(昔の内海であった霞ケ浦の一部)を渡りながらこの信太郡にやってきて、浮島や陸平(おかだいら)の地から大きな霞ケ浦を前にしてどのように進もうかと考えたのだろう。
その先にはとても肥沃な広大な土地が広がりそこには原住民が生活していました。
筑波山や海(霞ケ浦=香取の海)を前にしてどんな景色が見えていたのでしょうか。
当時は海岸線はもっと陸側にあったと思われますが、ながめた景色は今の水辺の様子に近かったのかもしれません。
今そこに「和田岬」と言う少し霞ケ浦に出っ張った岬がありきれいな公園があります。
石岡の方から来ると少し遠いので、あまり来る機会はありませんでした。
浮島散策の時にどんなところか見てきました。

和田岬は小さな湾になっていて、湖の中に穏やかな湖があるような感じです。
そこに漁船と釣り人が糸を垂れています。

写真の松林の向こうに広い霞ケ浦が広がります。

ここは「水郷筑波国定公園」です。
この水郷、霞ケ浦、筑波をひとつのエリアととらえてPRすべきだと感じました。

先ほどの松林の向こう側は防砂堤を設けて、砂を入れ、砂場を作る計画で工事をしています。
テレビのうわさのチャンネルだったかと思いますが、「入れた砂が皆流され、つぎ込んだお金がみんな波に持っていかれた」というような紹介がされたような気がしますが、なんとか昔の景観を取り戻したいと努力しているようです。
向こうに見えるのは筑波山です。

この一帯が松林でとても趣のあるところです。
霞ケ浦に砂浜と海水浴場などがよみがえる日は来るのでしょうか。
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朝早く起きてテレビをつけていたら、5時46分に1分間の黙祷が行なわれました。
テレビに合わせ黙祷を捧げました。
今日は人間ドックの検診日でいつもより早く家を出て、昼過ぎに帰ってきました。
そして、只今午後2時46分になりました。東日本大震災の起こった時刻で、2度目の黙祷を捧げました。
阪神淡路の時は西ノ宮にいた家内の親類が被災し、家は倒壊しましたが幸い無事でした。
でも、当時はなかなか連絡が取れずずいぶん心配し、電車が動かない中、家内は行ける所まで行くと出かけて行きました。
途中までしか動いていなかった電車で行き、そこから歩いて何とかいけたようですが、その時の町の光景は忘れられないようです。
直下型であったため、完全に倒壊した家の列と道路一つ隔てたら何ともないところもあったようです。
年寄り一人で住んでいて、たまたま炬燵で寝ていて上にタンスが倒れたけど無事だったなどと、今では笑い話をするようですが、「このような経験をすると世の中の見方が変わってくる」と言っていました。
「皆がこういう時にはしっかりとその状況を見て状況をしっかりと体験しておくことが、何にも変えられない経験だ」といわれたのを思い出します。
その後、2004年10月には今度は私の親戚が新潟中越地震で被災し、しばらく家の中では怖くて車で寝ていたなどと言っていました。
こんなに災害の多い国なんですね。
人は痛みや悲しみは一時的には忘れるように出来ています。
そうでなければ立ち直れないんです。四六時中悲しんでいても生きていけません。
でも、まわりの人は忘れてはいけないんですよね。この話はこれくらいにしますね。
さて、今日は昨日の浮島の先端にある和田公園を紹介します。
昔、大和朝廷が東国を平定するために東京湾をわたり、流れ海(昔の内海であった霞ケ浦の一部)を渡りながらこの信太郡にやってきて、浮島や陸平(おかだいら)の地から大きな霞ケ浦を前にしてどのように進もうかと考えたのだろう。
その先にはとても肥沃な広大な土地が広がりそこには原住民が生活していました。
筑波山や海(霞ケ浦=香取の海)を前にしてどんな景色が見えていたのでしょうか。
当時は海岸線はもっと陸側にあったと思われますが、ながめた景色は今の水辺の様子に近かったのかもしれません。
今そこに「和田岬」と言う少し霞ケ浦に出っ張った岬がありきれいな公園があります。
石岡の方から来ると少し遠いので、あまり来る機会はありませんでした。
浮島散策の時にどんなところか見てきました。

和田岬は小さな湾になっていて、湖の中に穏やかな湖があるような感じです。
そこに漁船と釣り人が糸を垂れています。

写真の松林の向こうに広い霞ケ浦が広がります。

ここは「水郷筑波国定公園」です。
この水郷、霞ケ浦、筑波をひとつのエリアととらえてPRすべきだと感じました。

先ほどの松林の向こう側は防砂堤を設けて、砂を入れ、砂場を作る計画で工事をしています。
テレビのうわさのチャンネルだったかと思いますが、「入れた砂が皆流され、つぎ込んだお金がみんな波に持っていかれた」というような紹介がされたような気がしますが、なんとか昔の景観を取り戻したいと努力しているようです。
向こうに見えるのは筑波山です。

この一帯が松林でとても趣のあるところです。
霞ケ浦に砂浜と海水浴場などがよみがえる日は来るのでしょうか。


春うらら
今日は比較的気温が低く、東北や北海道では雪になったようですね。
でも午前中は比較的暖かく日もさしていたので、少し気になっていた出島の散策にまた行ってきました。
何もないところだと思っていましたが、色々面白いところが見つかってきました。
春の花もアチラコチラに色鮮やかに咲き乱れており本当に春うららの陽気でした。
カメラを持って出かけたのですが、途中で電池が切れてしまい、また出直しです。
そのうちにまた紹介したいと思います。
今は夜空にまん丸の月が優しく輝いています。
桜の花は一部咲きだしたところもありますがまだもう少しかかるようです。
(今回の写真は全部サムネルです。クリックすると少し大きな写真が見れますよ)

途中高浜近くの平和橋から見た恋瀬川と筑波山。

この場所は禁猟区だと思いますので鴨さんものんびり泳いでいます。
川の水も「水ぬるむ」という表現がちょうど合う陽気です。

かすみがうら市出島の先端にあるあゆみ崎の郷土資料館です。
最初はこんなお城の形なんかで作ってどうしようもない等と見ていたのですが、このお城結構形がいいです。
桜もホンの少し咲きだしたようです。
すぐ近くに歩崎森林公園等もありますので、子供連れの人は楽しめると思います。

最後に近所の鯉のぼりです。
毎年4月になると上がります。それも夜は下ろすので毎日上げたり下ろしたり、大変なんだろうな?
← よろしければクリックお願いします。(「Ctrl」を押しながら2つクリックしてね)
でも午前中は比較的暖かく日もさしていたので、少し気になっていた出島の散策にまた行ってきました。
何もないところだと思っていましたが、色々面白いところが見つかってきました。
春の花もアチラコチラに色鮮やかに咲き乱れており本当に春うららの陽気でした。
カメラを持って出かけたのですが、途中で電池が切れてしまい、また出直しです。
そのうちにまた紹介したいと思います。
今は夜空にまん丸の月が優しく輝いています。
桜の花は一部咲きだしたところもありますがまだもう少しかかるようです。
(今回の写真は全部サムネルです。クリックすると少し大きな写真が見れますよ)

途中高浜近くの平和橋から見た恋瀬川と筑波山。

この場所は禁猟区だと思いますので鴨さんものんびり泳いでいます。
川の水も「水ぬるむ」という表現がちょうど合う陽気です。

かすみがうら市出島の先端にあるあゆみ崎の郷土資料館です。
最初はこんなお城の形なんかで作ってどうしようもない等と見ていたのですが、このお城結構形がいいです。
桜もホンの少し咲きだしたようです。
すぐ近くに歩崎森林公園等もありますので、子供連れの人は楽しめると思います。

最後に近所の鯉のぼりです。
毎年4月になると上がります。それも夜は下ろすので毎日上げたり下ろしたり、大変なんだろうな?


浮島和田公園のチューリップ
稲敷市浮島は前にも「広畑貝塚(製塩土器)」「景行天皇行在所跡」「毘沙門堂」などを紹介してきました。
今日は銚子の方に行く用事ができ、行きがけに浮島の突端にある和田公園で「稲敷チューリップ祭り」が開かれているというのでよってみました。

天気はよくなかったのですが、チューリップは一部が終わったものもありますがほぼ満開でした。

チューリップの種類が多いのに驚きです。
むかしオランダで今までにない品種のチューリップが高値で取引されていた話題の小説「黒いチューリップ」等というのがありましたが、なかなか黒いチューリップを作れなかった話だったと思います。
確かに黒っぽいのはありますが「黒のチューリップ」はあまりないみたいです。

下のリストにあるようにチューリップの種類を覚えながら鑑賞するのも面白いかもしれません。


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今日は銚子の方に行く用事ができ、行きがけに浮島の突端にある和田公園で「稲敷チューリップ祭り」が開かれているというのでよってみました。

天気はよくなかったのですが、チューリップは一部が終わったものもありますがほぼ満開でした。

チューリップの種類が多いのに驚きです。
むかしオランダで今までにない品種のチューリップが高値で取引されていた話題の小説「黒いチューリップ」等というのがありましたが、なかなか黒いチューリップを作れなかった話だったと思います。
確かに黒っぽいのはありますが「黒のチューリップ」はあまりないみたいです。

下のリストにあるようにチューリップの種類を覚えながら鑑賞するのも面白いかもしれません。




霞ヶ浦と菜の花畑
土浦から国道125号線で阿見町方面に進み、「予科練平和記念館」を過ぎたところで一面の菜の花畑が出現している。
国道から霞ヶ浦までの300~400m四方一面に菜の花が咲き乱れ、黄色一色となっていた。

菜の花畑の先に霞ヶ浦が見える。距離にして400~500m位でしょうか。

菜の花畑は近辺では栗畑の若木のところに一面に植えられ、肥料となっているところもあるが(去年のブログ参照→こちら)、こんなにたくさんあるのは珍しい。

電信柱のある道の反対側にも黄色の波は続いている。

現地に説明看板が建てられていました。
転作事業に伴い、「花の回廊」計画だそうです。

駐車場はありませんので、通りの先のコンビニに車を置かせてもらい見学しました。
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国道から霞ヶ浦までの300~400m四方一面に菜の花が咲き乱れ、黄色一色となっていた。

菜の花畑の先に霞ヶ浦が見える。距離にして400~500m位でしょうか。

菜の花畑は近辺では栗畑の若木のところに一面に植えられ、肥料となっているところもあるが(去年のブログ参照→こちら)、こんなにたくさんあるのは珍しい。

電信柱のある道の反対側にも黄色の波は続いている。

現地に説明看板が建てられていました。
転作事業に伴い、「花の回廊」計画だそうです。

駐車場はありませんので、通りの先のコンビニに車を置かせてもらい見学しました。


霞ヶ浦の夕景
最近は天気が不安定で、今日も先ほどは水戸方面の空が真っ黒な雲に覆われていました。
常陸太田では雷で停電も起こっているそうで、このあたりもこれからまだ危ないかもしれません。
今日も日曜日に撮った写真を載せます。

玉造から小川にかけて少し見ておきたいところがあったので、出かけて帰りに日がもうだいぶ傾きかけていましたが、街道を走っていて霞ヶ浦の湖面がキラキラ輝いていました。
そこで、またほほえみの丘と呼ばれるところに行ってみました。
筑波山は小さいですね。

前に紹介したとおり、砂浜の復元させるため、防波堤防をつくり砂浜も大分形成されています。
昔といっても昭和の初め頃までは霞ヶ浦はとても水がきれいだったといいます。
いつから泳げなくなってしまったのでしょう。
ここの水がきれいにならなければ、日本そのものがダメになるような・・・
大袈裟かな??
縄文時代には魚も貝もたくさん捕れて、塩も採れたんです。
人々は1万年以上も、争いもなくのんびりと暮らしていたのでしょう。
山にはドングリなどの実も沢山なっていました。
ここに暮らしたらよそへは行けなかったのでしょうね。
そのかわり、気候も良いのでノンビリし過ぎて働くことを忘れてしまったかも知れませんね。
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常陸太田では雷で停電も起こっているそうで、このあたりもこれからまだ危ないかもしれません。
今日も日曜日に撮った写真を載せます。

玉造から小川にかけて少し見ておきたいところがあったので、出かけて帰りに日がもうだいぶ傾きかけていましたが、街道を走っていて霞ヶ浦の湖面がキラキラ輝いていました。
そこで、またほほえみの丘と呼ばれるところに行ってみました。
筑波山は小さいですね。

前に紹介したとおり、砂浜の復元させるため、防波堤防をつくり砂浜も大分形成されています。
昔といっても昭和の初め頃までは霞ヶ浦はとても水がきれいだったといいます。
いつから泳げなくなってしまったのでしょう。
ここの水がきれいにならなければ、日本そのものがダメになるような・・・
大袈裟かな??
縄文時代には魚も貝もたくさん捕れて、塩も採れたんです。
人々は1万年以上も、争いもなくのんびりと暮らしていたのでしょう。
山にはドングリなどの実も沢山なっていました。
ここに暮らしたらよそへは行けなかったのでしょうね。
そのかわり、気候も良いのでノンビリし過ぎて働くことを忘れてしまったかも知れませんね。


桜川(土浦)
それにしても暑いですね。
ブログも夏休みを取られている人もおられますね。やはりこれが賢明な選択かも。
こちらはあと1週間くらいでまる2年を迎える。まだ休んだことがないので、ここで休めない。
貧乏性な性格が災いしています。
今日は空には入道雲がもくもくと出ていました。午後から土浦の法務局に行く用事があって、少し職場を離れて行ってきました。
これは登記変更の申請を先週してきたので、完了証明書を受け取りに行ってきました。
司法書士の方にお願いすると2万円と言われ、自分でやってきました。2筆変更があったので2千円でした。
最近は法務局も相談窓口があって、素人にも優しく教えてくれます。
ネットで調べて書類を作り、相談窓口で15分くらいで書類も完成しました。
なんでも挑戦は必要ですね。ほんとに簡単でした。
法務局と土浦駅との間には桜川という川が流れています。
あまりの天気の良さについ川沿いの土手に出てみました。

こちらが霞ヶ浦方面(下流側)で土浦駅は左手奥の方向です。

川の水がかなり緑が濃く、土手の桜並木の影も濃くなっています。

こちらは上流側で、6号国道や常磐高速の橋を越えて、つくば山につながります。
この土手で10月初め頃に花火大会が行われます。
日本で一番最後の花火大会かもしれません。全国の花火師のコンクールなのです。
今日または明日から東北三大祭りが始まりますね。いよいよ夏本番です。
新潟長岡の花火大会も確か明日、明後日頃だったと思います。
三尺玉の花火は迫力がありますね。

この桜川に沿ってもう1本小さな川が平行に流れています。
ここに木の橋がかけられていました。渡るのが少し怖いくらいです。
今夜は満月でしょうか、先ほど外に出たら雲一つなく真ん丸な月が笑っていました。
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こちらはあと1週間くらいでまる2年を迎える。まだ休んだことがないので、ここで休めない。
貧乏性な性格が災いしています。
今日は空には入道雲がもくもくと出ていました。午後から土浦の法務局に行く用事があって、少し職場を離れて行ってきました。
これは登記変更の申請を先週してきたので、完了証明書を受け取りに行ってきました。
司法書士の方にお願いすると2万円と言われ、自分でやってきました。2筆変更があったので2千円でした。
最近は法務局も相談窓口があって、素人にも優しく教えてくれます。
ネットで調べて書類を作り、相談窓口で15分くらいで書類も完成しました。
なんでも挑戦は必要ですね。ほんとに簡単でした。
法務局と土浦駅との間には桜川という川が流れています。
あまりの天気の良さについ川沿いの土手に出てみました。

こちらが霞ヶ浦方面(下流側)で土浦駅は左手奥の方向です。

川の水がかなり緑が濃く、土手の桜並木の影も濃くなっています。

こちらは上流側で、6号国道や常磐高速の橋を越えて、つくば山につながります。
この土手で10月初め頃に花火大会が行われます。
日本で一番最後の花火大会かもしれません。全国の花火師のコンクールなのです。
今日または明日から東北三大祭りが始まりますね。いよいよ夏本番です。
新潟長岡の花火大会も確か明日、明後日頃だったと思います。
三尺玉の花火は迫力がありますね。

この桜川に沿ってもう1本小さな川が平行に流れています。
ここに木の橋がかけられていました。渡るのが少し怖いくらいです。
今夜は満月でしょうか、先ほど外に出たら雲一つなく真ん丸な月が笑っていました。


常世の空を泳ぐ大龍
昨日はギター文化館で小さな龍が山から上っていったが、今日は朝から晴れてここ常陸国の上を一杯に龍が泳いでいた。

家の近くから空を撮った。これは本当に龍だ。



普通のレンズでは入らないので貼り合わせてみた。
クリックすると拡大します。

恋瀬橋(6号国道)から石岡方面を見たところ。

これは反対側。

恋瀬橋より左側が筑波山。右手前の山が真ん中を削られた「龍神山」です。

筑波山はこのあたりからがもっとも姿が良い。
○ 白雲の蒲團の中につゝまれてならんで寐たり女體男體 (正岡子規)
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家の近くから空を撮った。これは本当に龍だ。



普通のレンズでは入らないので貼り合わせてみた。
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恋瀬橋(6号国道)から石岡方面を見たところ。

これは反対側。

恋瀬橋より左側が筑波山。右手前の山が真ん中を削られた「龍神山」です。

筑波山はこのあたりからがもっとも姿が良い。
○ 白雲の蒲團の中につゝまれてならんで寐たり女體男體 (正岡子規)


西連寺大イチョウ
行方市の常陸高野といわれる西連寺に樹齢千年近いイチョウの大木がある。
去年も出かけてきたが、12月に入り見たくなって午後少し遅かったが出かけてきた。
(写真はすべてサムネルです)

入口側の常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)のおこなわれる常行堂と鐘楼の間にイチョウの木が見えてきます。

2本のみごとな天然記念物に指定されているイチョウの木は樹齢千年ほどであるにもかかわらず枝ぶりも立派です。

写真左側の「相輪橖(そうりんとう)」は元寇の役の戦勝を記念して弘安十年(1287)に建立したものと伝えられています。国の重要文化財です。
相輪橖の高さも10m程あるのですが、右側の大イチョウは高さ25mほどあるので相輪橖が小さく見えます。

もうこの時期ですから落ち葉の季節ですね。写真は少し加工してみました。
落ち葉の雰囲気はやはり暗いのかもしれません。厳しい冬がこれからやってくる・・・・
もう40年以上前に、父が会社帰りにレコードを買って帰ってきたことがありました。
レコード店に入ったら、店員から「どんなレコードをお探しですか?」 と聞かれて
「ムードのある曲」と答えたら、店員が勧めてくれたと言って2つのレコードを選んでくれたそうです。
一つは「アルフレッドハウゼ楽団の曲」で、もう一つは「ジュリエットグレコのシャンソン」でした。
枯葉を見て思い出したんです。その父も28年前になくなりました。
肺の機能が低下して・・・。中村勘三郎が亡くなり、急に思い出してしまいました。
では個人的な選曲ですが、枯葉を二人の歌でよかったらお聞きください。
1)まずはイブ・モンタン。 若い時のものもありますが、晩年の方が味があります。世界で160万回も再生されています。
2)ジュリエット・グレコ。現在も80歳を超えても元気で活躍しており、日本にも時々来ているようですが、恋多き女性と言われた昔の映像で。
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去年も出かけてきたが、12月に入り見たくなって午後少し遅かったが出かけてきた。
(写真はすべてサムネルです)

入口側の常行三昧会(じょうぎょうざんまいえ)のおこなわれる常行堂と鐘楼の間にイチョウの木が見えてきます。

2本のみごとな天然記念物に指定されているイチョウの木は樹齢千年ほどであるにもかかわらず枝ぶりも立派です。

写真左側の「相輪橖(そうりんとう)」は元寇の役の戦勝を記念して弘安十年(1287)に建立したものと伝えられています。国の重要文化財です。
相輪橖の高さも10m程あるのですが、右側の大イチョウは高さ25mほどあるので相輪橖が小さく見えます。

もうこの時期ですから落ち葉の季節ですね。写真は少し加工してみました。
落ち葉の雰囲気はやはり暗いのかもしれません。厳しい冬がこれからやってくる・・・・
もう40年以上前に、父が会社帰りにレコードを買って帰ってきたことがありました。
レコード店に入ったら、店員から「どんなレコードをお探しですか?」 と聞かれて
「ムードのある曲」と答えたら、店員が勧めてくれたと言って2つのレコードを選んでくれたそうです。
一つは「アルフレッドハウゼ楽団の曲」で、もう一つは「ジュリエットグレコのシャンソン」でした。
枯葉を見て思い出したんです。その父も28年前になくなりました。
肺の機能が低下して・・・。中村勘三郎が亡くなり、急に思い出してしまいました。
では個人的な選曲ですが、枯葉を二人の歌でよかったらお聞きください。
1)まずはイブ・モンタン。 若い時のものもありますが、晩年の方が味があります。世界で160万回も再生されています。
2)ジュリエット・グレコ。現在も80歳を超えても元気で活躍しており、日本にも時々来ているようですが、恋多き女性と言われた昔の映像で。


和田公園のチューリップ
昨日銚子へ行くのに霞ヶ浦の南岸を車で通りました。
浮島を横断していったので、途中広畑貝塚や、景行天皇行在所などを懐かしく思い出しながら通過していて、和田岬のチューリップ公園を思い出して寄り道してみました。
もうチューリップ祭りは終了したらしくイベントの看板や矢印もありません。
少し行き過ぎてから公園に向かうと、車もほとんど来ていません。

チューリップ祭りは4月21日に終わっていました。
この21日は雨や風が強く屋外でのイベントが中止されたようです。
もう少しまだチューリップが咲いていると思ったのですが、7割くらいはもう花もつけていません。
花が終わった後の手入れの最中です。
球根のためにも咲き終わった花は摘み取ったほうがいいのですよね。茎の先端を摘み取っているようです。

でも、ここのチューリップはたくさんの種類のチューリップが植えられます。
もう終わったと思ったら、奥の方にはまだ咲いていました。



この和田岬は浮島の霞ヶ浦に飛び出た先端にあります。
浮島と名前があるように、ここは昔は周りを海で囲まれた島だったところです。
建借間(たけかしま)は、軍を率ゐて安婆(あ ば)の島に宿を設けた。そして海の東の浦を遥かに望むと、煙が見えた。軍人たちはこもごも賊軍ではないかと疑った。建借間の命は、天を仰いで誓(うけひ)して、「もし天人の煙ならば、立ち来たって我が上を覆へ。もし荒ぶる賊の煙ならば、遠ざかって海へ靡け」といふと、煙は、海へ向かって遠く流れて行った。かうして賊であることがわかったので、軍兵みなに命じて朝飯を早く済ませて、軍は海を渡った。
そして、潮来に賊を追い詰め、穴に隠れてしまった賊を楽しい音楽や踊りにつられて出てきた賊を皆殺しにした。
痛く殺したので「板来(いたく)」とその地は呼ばれた。これが今の潮来だそうです。
この賊というのはここに暮らしていた縄文人(蝦夷)です。
このあたりの霞ヶ浦から対岸を眺めるとこの話が頭をよぎります。
婆(あ ば)の島というのもこの近くの阿波(あば)という場所やアンバ様として親しまれている大杉神社などがあるこの浮島の手前の半島部分か、このあたりを言ったのだろうという思いがします。
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浮島を横断していったので、途中広畑貝塚や、景行天皇行在所などを懐かしく思い出しながら通過していて、和田岬のチューリップ公園を思い出して寄り道してみました。
もうチューリップ祭りは終了したらしくイベントの看板や矢印もありません。
少し行き過ぎてから公園に向かうと、車もほとんど来ていません。

チューリップ祭りは4月21日に終わっていました。
この21日は雨や風が強く屋外でのイベントが中止されたようです。
もう少しまだチューリップが咲いていると思ったのですが、7割くらいはもう花もつけていません。
花が終わった後の手入れの最中です。
球根のためにも咲き終わった花は摘み取ったほうがいいのですよね。茎の先端を摘み取っているようです。

でも、ここのチューリップはたくさんの種類のチューリップが植えられます。
もう終わったと思ったら、奥の方にはまだ咲いていました。



この和田岬は浮島の霞ヶ浦に飛び出た先端にあります。
浮島と名前があるように、ここは昔は周りを海で囲まれた島だったところです。
建借間(たけかしま)は、軍を率ゐて安婆(あ ば)の島に宿を設けた。そして海の東の浦を遥かに望むと、煙が見えた。軍人たちはこもごも賊軍ではないかと疑った。建借間の命は、天を仰いで誓(うけひ)して、「もし天人の煙ならば、立ち来たって我が上を覆へ。もし荒ぶる賊の煙ならば、遠ざかって海へ靡け」といふと、煙は、海へ向かって遠く流れて行った。かうして賊であることがわかったので、軍兵みなに命じて朝飯を早く済ませて、軍は海を渡った。
そして、潮来に賊を追い詰め、穴に隠れてしまった賊を楽しい音楽や踊りにつられて出てきた賊を皆殺しにした。
痛く殺したので「板来(いたく)」とその地は呼ばれた。これが今の潮来だそうです。
この賊というのはここに暮らしていた縄文人(蝦夷)です。
このあたりの霞ヶ浦から対岸を眺めるとこの話が頭をよぎります。
婆(あ ば)の島というのもこの近くの阿波(あば)という場所やアンバ様として親しまれている大杉神社などがあるこの浮島の手前の半島部分か、このあたりを言ったのだろうという思いがします。


水郷潮来(1)
あやめの花もあちらこちらで咲き始め、鮮やかな色合いを感じさせてくれるようになってきました。
そこで「あやめ」といえば潮来ですよね。
というわけで金曜日に銚子に行くときに少し寄り道して見学してきました。
まず目指したのは「前川あやめ園」。
よく写真で見かけるあやめがいっぱい咲いている風景を想像したやってきた。

でもまだこの通り。現在は早生(わせ)のみで本格的な観光シーズンは18日からなのだそうです。
現在は手入れの真っ最中でした。

さて、潮来を流れる「常陸利根川」にそそぐ「前川」(まえがわ)を渡し舟でめぐるのが人気のようです。
この菖蒲園付近にブリッジ型の橋とあやめと女船頭さんがやはり絵になるのでしょうね。

ここの右側に渡し舟の乗り場がありますが、私が来たのは朝が早くまだ観光客もまばらでした。



ここはこのような数人乗りの小舟です。流れが緩やかですので危ない感じもありません。

渡し舟乗り場の入口には橋幸夫の「潮来笠」の像と音楽が流れます。
でももうこの歌を知っている人も少なくなったのではないでしょうか。
潮来の水郷というと思い出す歌は「潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 船でゆく ♪♪・・・」です。
これなど古いですね。花村菊江さんなんて、もう知らないですよね。


橋の上から眺めてみました。
これであやめが満開ならいいですよね。でもまだ2週間くらい先のようです。

明日に続きます。
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そこで「あやめ」といえば潮来ですよね。
というわけで金曜日に銚子に行くときに少し寄り道して見学してきました。
まず目指したのは「前川あやめ園」。
よく写真で見かけるあやめがいっぱい咲いている風景を想像したやってきた。

でもまだこの通り。現在は早生(わせ)のみで本格的な観光シーズンは18日からなのだそうです。
現在は手入れの真っ最中でした。

さて、潮来を流れる「常陸利根川」にそそぐ「前川」(まえがわ)を渡し舟でめぐるのが人気のようです。
この菖蒲園付近にブリッジ型の橋とあやめと女船頭さんがやはり絵になるのでしょうね。

ここの右側に渡し舟の乗り場がありますが、私が来たのは朝が早くまだ観光客もまばらでした。



ここはこのような数人乗りの小舟です。流れが緩やかですので危ない感じもありません。

渡し舟乗り場の入口には橋幸夫の「潮来笠」の像と音楽が流れます。
でももうこの歌を知っている人も少なくなったのではないでしょうか。
潮来の水郷というと思い出す歌は「潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 船でゆく ♪♪・・・」です。
これなど古いですね。花村菊江さんなんて、もう知らないですよね。


橋の上から眺めてみました。
これであやめが満開ならいいですよね。でもまだ2週間くらい先のようです。

明日に続きます。


水郷潮来(2)
潮来を流れる前川(まえがわ)が常陸利根川にそそぐ場所に潮来の「十二橋巡り」の船乗り場があります。
前川あやめ園を見学した足で、ここにやってきました。
よく見慣れた水郷の女船頭さんが二人で入口に腰をかけていました。

カメラを手に持ってこの船乗り場にひとりで近づいていきました。
Aコース~ いろいろなコースの所要時間と料金の書かれた看板の前にいくと、一人の船頭さんが近づいて話しかけてきました。
私も慌てて、今日は乗りに来たのではないことを説明し、少し話をさせてもらいました。
昔は話すのも恥ずかしく、話しかけられてもすぐに話を終わらせていたのですが、最近は年の功でしょうかあまり恥ずかしさもなくなり、こういう時は情報を仕入れるチャンスと捉えるようになりました。
お年はもう若くはありません。大ベテランなのかもしれませんね。
顔に刻まれたしわの深さに、ここで長い間暮らしてきただろうとても良いお顔でした。
写真は遠慮して遠くから横顔を1枚撮らせてもらいましたよ。
「今はまだ見学には時期は早いのですか?」
「まだ、少し早いですね。今咲いているのは○○○色の早生品種で、本格的には18日からで6月かな?・・・」
「お客さんも今はまだあまり来られないんですか?」
「まあまだ少し早いから少ないね。今日は団体さんが来るというので待っているの」
「そういえば、20人以上の団体さんが、あやめ園の方にやってきていましたよ」
「そのお客さんバスで来ていましたか? 21人と言っていたんだけど」
「そうそのくらいいましたよ。バスかどうかはわからないけど、そのくらいの人数ならバスでしょう。
先にあやめ園の見学をしているのではないですか? 早く来るといいですね。
ところで「十二橋巡り」というのはこの先の与田浦の方も廻るんですか?」
「ええ、行きますよ。コースによりますけど。少し時間がかかります。」
私はこの船に乗ったことがないのですが、どうやら十二橋というのは前川にあやめ園を中心に十二の橋があり、そこを巡るのがAコースで、ここではあやめ祭り中に観光用に花嫁船が出るようです。
またB、Cコースはこの常陸利根川と利根川にはさまれた中洲に残る与田浦などの水路を巡るものでこちらも別な十二橋があります。
その他前に祭りや伊能忠敬記念館の時に紹介した佐原の水路も十二橋があるのだということを初めて知りました。
あまり観光地には興味がないのでまあそのうちに機会があったら船で巡ってみましょう。
(5人までは5~6千円:1人でも5人でも同じ価格。これ以上の場合は少し割引になる)
(あやめ祭りは → こちら)(十二橋巡り → こちら)

ここが船乗り場です。大きな船は与田浦の方を巡る船かもしれません。
隅田川などの屋形舟にも似ていますが、小さい船が多くありました。

船乗り場から常陸利根川の上流側(霞ヶ浦側)を眺めたところです。
見える橋は左が与田浦に行く橋です。
その奥にうっすらと見えるのが前に紹介した「北利根橋」です。

その北利根橋の近くに来ました。ここが前に紹介した牛堀地区です。(記事はこちら)
「北斎公園」と名前がついているようです。
写真に写っているのが「北利根橋」です。

北斎公園(牛堀)から潮来水郷の船乗り場方面を見たところです。
4kmくらい離れています。
明日に与田浦にも寄り道したので紹介します。
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前川あやめ園を見学した足で、ここにやってきました。
よく見慣れた水郷の女船頭さんが二人で入口に腰をかけていました。

カメラを手に持ってこの船乗り場にひとりで近づいていきました。
Aコース~ いろいろなコースの所要時間と料金の書かれた看板の前にいくと、一人の船頭さんが近づいて話しかけてきました。
私も慌てて、今日は乗りに来たのではないことを説明し、少し話をさせてもらいました。
昔は話すのも恥ずかしく、話しかけられてもすぐに話を終わらせていたのですが、最近は年の功でしょうかあまり恥ずかしさもなくなり、こういう時は情報を仕入れるチャンスと捉えるようになりました。
お年はもう若くはありません。大ベテランなのかもしれませんね。
顔に刻まれたしわの深さに、ここで長い間暮らしてきただろうとても良いお顔でした。
写真は遠慮して遠くから横顔を1枚撮らせてもらいましたよ。
「今はまだ見学には時期は早いのですか?」
「まだ、少し早いですね。今咲いているのは○○○色の早生品種で、本格的には18日からで6月かな?・・・」
「お客さんも今はまだあまり来られないんですか?」
「まあまだ少し早いから少ないね。今日は団体さんが来るというので待っているの」
「そういえば、20人以上の団体さんが、あやめ園の方にやってきていましたよ」
「そのお客さんバスで来ていましたか? 21人と言っていたんだけど」
「そうそのくらいいましたよ。バスかどうかはわからないけど、そのくらいの人数ならバスでしょう。
先にあやめ園の見学をしているのではないですか? 早く来るといいですね。
ところで「十二橋巡り」というのはこの先の与田浦の方も廻るんですか?」
「ええ、行きますよ。コースによりますけど。少し時間がかかります。」
私はこの船に乗ったことがないのですが、どうやら十二橋というのは前川にあやめ園を中心に十二の橋があり、そこを巡るのがAコースで、ここではあやめ祭り中に観光用に花嫁船が出るようです。
またB、Cコースはこの常陸利根川と利根川にはさまれた中洲に残る与田浦などの水路を巡るものでこちらも別な十二橋があります。
その他前に祭りや伊能忠敬記念館の時に紹介した佐原の水路も十二橋があるのだということを初めて知りました。
あまり観光地には興味がないのでまあそのうちに機会があったら船で巡ってみましょう。
(5人までは5~6千円:1人でも5人でも同じ価格。これ以上の場合は少し割引になる)
(あやめ祭りは → こちら)(十二橋巡り → こちら)

ここが船乗り場です。大きな船は与田浦の方を巡る船かもしれません。
隅田川などの屋形舟にも似ていますが、小さい船が多くありました。

船乗り場から常陸利根川の上流側(霞ヶ浦側)を眺めたところです。
見える橋は左が与田浦に行く橋です。
その奥にうっすらと見えるのが前に紹介した「北利根橋」です。

その北利根橋の近くに来ました。ここが前に紹介した牛堀地区です。(記事はこちら)
「北斎公園」と名前がついているようです。
写真に写っているのが「北利根橋」です。

北斎公園(牛堀)から潮来水郷の船乗り場方面を見たところです。
4kmくらい離れています。
明日に与田浦にも寄り道したので紹介します。


水郷潮来(3)
水郷というと潮来と思っていたのですが、潮来は茨城県で、常陸利根川が有り、その対岸は利根川とのあいだの中洲になっていて、この地域や、佐原の街も水郷と言っているのだそうです。
この中洲地帯はほとんどが水田で、いろいろな干拓事業で一大コメの耕作地になったのだと思いますが、前に紹介した二つの川をつなぐ横利根川(横利根水門も紹介しました)とまた中洲の中に残された与田浦周りも水郷なのです。
但しこちらは千葉県の香取市になります。

与田浦の一番西側に「水郷佐原水生植物園」があります。
銚子に行く途中でしたので少しだけ寄り道をして来ました。

時間はまだ10時頃でしたので、まだ観光客もまばらで、園の前であやめの鉢植えなどを売るお店も準備中でした。

園の中には水路が有り、観光用の舟が動いていました。
藤棚はもう終わり、やはりたくさん植えられているあやめがだいぶ咲いていました。
もう少ししたらここも観光客がたくさん見えるのかもしれません。
入口から内部を少し失礼して写真を撮らせていただきました。
(詳細はこちらのホームページを見てください → こちら)

(画像クリックで拡大します)
園の敷地の周りには目貼りのすだれが一面に回されていて、少ししか眺めることができません。
この程度でご勘弁を・・・。
この園の入口には「おんな船頭唄」(三橋美智也)の像と歌詞、やはり音楽も流れるようになっていました。
(写真を撮らなかったので、記憶が曖昧です)

この横の与田浦に十二橋巡りの船の発着場がありました。
船はここにも寄るのでしょうね。
今回潮来と与田浦に来てこの水郷めぐりのイメージがやっとわかりました。
もちろん昔は水運が栄えて、この潮来はその中心となったのでしょう。
潮来節なるものもここから近隣の村々にも伝わり盆踊りにもなっていったのです。
石岡の八郷地区の善光寺で行われていたという7月の万灯祭で歌われた歌が潮来節であったのはこの水運がとても身近なものに感じたものです。(こちら記事)(こちらも)
こちらに、太田の万灯で昔歌われたという歌を残しておきます。
♪ 潮来出島のよれ真菰(まこも) 殿に刈らせて我捧ぐ
ささぎ揃いて船に積む
船は何船宝船 船は出て行く森の影
此処は何処だよ船頭さん 此処は神崎森の下
森の下には狐棲む
棲むや白狐 我も二三度騙された ♪
神崎は利根川に面したナンジャモンジャの木がある神崎神社のことです。
前に書いた神崎神社の記事はこちら → その1、その2、その3
← よろしければクリックお願いします。
この中洲地帯はほとんどが水田で、いろいろな干拓事業で一大コメの耕作地になったのだと思いますが、前に紹介した二つの川をつなぐ横利根川(横利根水門も紹介しました)とまた中洲の中に残された与田浦周りも水郷なのです。
但しこちらは千葉県の香取市になります。

与田浦の一番西側に「水郷佐原水生植物園」があります。
銚子に行く途中でしたので少しだけ寄り道をして来ました。

時間はまだ10時頃でしたので、まだ観光客もまばらで、園の前であやめの鉢植えなどを売るお店も準備中でした。

園の中には水路が有り、観光用の舟が動いていました。
藤棚はもう終わり、やはりたくさん植えられているあやめがだいぶ咲いていました。
もう少ししたらここも観光客がたくさん見えるのかもしれません。
入口から内部を少し失礼して写真を撮らせていただきました。
(詳細はこちらのホームページを見てください → こちら)

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園の敷地の周りには目貼りのすだれが一面に回されていて、少ししか眺めることができません。
この程度でご勘弁を・・・。
この園の入口には「おんな船頭唄」(三橋美智也)の像と歌詞、やはり音楽も流れるようになっていました。
(写真を撮らなかったので、記憶が曖昧です)

この横の与田浦に十二橋巡りの船の発着場がありました。
船はここにも寄るのでしょうね。
今回潮来と与田浦に来てこの水郷めぐりのイメージがやっとわかりました。
もちろん昔は水運が栄えて、この潮来はその中心となったのでしょう。
潮来節なるものもここから近隣の村々にも伝わり盆踊りにもなっていったのです。
石岡の八郷地区の善光寺で行われていたという7月の万灯祭で歌われた歌が潮来節であったのはこの水運がとても身近なものに感じたものです。(こちら記事)(こちらも)
こちらに、太田の万灯で昔歌われたという歌を残しておきます。
♪ 潮来出島のよれ真菰(まこも) 殿に刈らせて我捧ぐ
ささぎ揃いて船に積む
船は何船宝船 船は出て行く森の影
此処は何処だよ船頭さん 此処は神崎森の下
森の下には狐棲む
棲むや白狐 我も二三度騙された ♪
神崎は利根川に面したナンジャモンジャの木がある神崎神社のことです。
前に書いた神崎神社の記事はこちら → その1、その2、その3


ブログ4年目も無事終了
先日銚子に行く前に稲敷方面の探索しておきたいところがあり、高速で稲敷インターまで行きました。
ここは圏央道といってこの「稲敷」で行き止まりでしたが、今春この先の一部が開通になりました。
この先「稲敷東」「神崎(こうざき)」まで伸び、いよいよ利根川を渡って千葉県に突入しました。
先の方ではアクアラインから九十九里の「横芝光町」まで完成していますのでこれがつながれば便利になります。

稲敷のインターすぐ手前に「江戸崎PA」ができていましたので少し休憩に立寄りました。
でもあるのはトイレと自動販売機のみです。
そのうちにまた何かできるのかもしれません。
それにしても高速料金(千代田石岡-稲敷間 平日1420円)が高くなったのには驚きです。
(日曜日ならETCで990円だそうです)
割引制度が終りになったと言うのですが、7月からのUP感は異常な感じがします。
ガソリン代も上がって、エコ運転に徹して節約し何とかやりくりしても、やはり高速は遠慮したくなります。
でも時間が無い時は一般道では時間がかかり過ぎなので時間を買うことになります。
思ったより500円位赤字になってしまいましたので、美味しいランチはお預けとしました。
この日は中華のセットランチ(850円+税)としました。これも美味しかったですが・・・。

帰りは利根川と常陸利根川の中間の中州道路を走ります。
夕日に向かっていくのでまぶしいのですが、この日は雲があり夕焼けが見れると思ったのですが、あまり焼けず、地平線より前で雲に隠れてしまいました。
車はこの土手の道は走れませんので、右下の道路を走ります。
この土手道はサイクリングにはよさそうです。

ふり返って今来た道を。ここは利根川にかかる「利根川大橋」
橋の所に水門が設置されています。
先日の梅雨の間はこの水門が開けられているのを何度も見ましたが、また閉まっています。
橋を渡ったところの右手に「大利根河原の決闘」の天保水滸伝の石碑が置かれています。

この左手側は常陸利根川でこの川は霞ヶ浦と繋がっています。
霞ヶ浦に流れ込んだ水は皆ここから利根川に注ぎ銚子で外洋に流れて行きます。
この橋を渡ったところは茨城県の神栖市になります。
夕方の退社時間はこの川沿いが混雑しないので便利です。
このブログも何がテーマかわからなくなりつつありますが、プチ歴史的なお話もまた続けて行きたいと思います。
今日でブログ開設後まる4年が経過しました(4年前の最初の記事もこの場所の記事でした)。
明日から5年目となります。
「別冊まほらの風に吹かれて」なども書きはじめてしまい、更に忙しくなってしまいました。
書いていれば元気な証拠であり、海外にいる子供たちも安心するでしょう。
スコットランドがイギリスから独立するかどうかの国民投票があります(9月18日)。
今のままで独立などしない方がいいと私は思います。
遠くから見ていると、違った文化を持つ地域だとわかりますが、独立などしても良いことはないでしょう。
うまくUK(United Kingdom)としてまとまっていってほしいと思います。
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ここは圏央道といってこの「稲敷」で行き止まりでしたが、今春この先の一部が開通になりました。
この先「稲敷東」「神崎(こうざき)」まで伸び、いよいよ利根川を渡って千葉県に突入しました。
先の方ではアクアラインから九十九里の「横芝光町」まで完成していますのでこれがつながれば便利になります。

稲敷のインターすぐ手前に「江戸崎PA」ができていましたので少し休憩に立寄りました。
でもあるのはトイレと自動販売機のみです。
そのうちにまた何かできるのかもしれません。
それにしても高速料金(千代田石岡-稲敷間 平日1420円)が高くなったのには驚きです。
(日曜日ならETCで990円だそうです)
割引制度が終りになったと言うのですが、7月からのUP感は異常な感じがします。
ガソリン代も上がって、エコ運転に徹して節約し何とかやりくりしても、やはり高速は遠慮したくなります。
でも時間が無い時は一般道では時間がかかり過ぎなので時間を買うことになります。
思ったより500円位赤字になってしまいましたので、美味しいランチはお預けとしました。
この日は中華のセットランチ(850円+税)としました。これも美味しかったですが・・・。

帰りは利根川と常陸利根川の中間の中州道路を走ります。
夕日に向かっていくのでまぶしいのですが、この日は雲があり夕焼けが見れると思ったのですが、あまり焼けず、地平線より前で雲に隠れてしまいました。
車はこの土手の道は走れませんので、右下の道路を走ります。
この土手道はサイクリングにはよさそうです。

ふり返って今来た道を。ここは利根川にかかる「利根川大橋」
橋の所に水門が設置されています。
先日の梅雨の間はこの水門が開けられているのを何度も見ましたが、また閉まっています。
橋を渡ったところの右手に「大利根河原の決闘」の天保水滸伝の石碑が置かれています。

この左手側は常陸利根川でこの川は霞ヶ浦と繋がっています。
霞ヶ浦に流れ込んだ水は皆ここから利根川に注ぎ銚子で外洋に流れて行きます。
この橋を渡ったところは茨城県の神栖市になります。
夕方の退社時間はこの川沿いが混雑しないので便利です。
このブログも何がテーマかわからなくなりつつありますが、プチ歴史的なお話もまた続けて行きたいと思います。
今日でブログ開設後まる4年が経過しました(4年前の最初の記事もこの場所の記事でした)。
明日から5年目となります。
「別冊まほらの風に吹かれて」なども書きはじめてしまい、更に忙しくなってしまいました。
書いていれば元気な証拠であり、海外にいる子供たちも安心するでしょう。
スコットランドがイギリスから独立するかどうかの国民投票があります(9月18日)。
今のままで独立などしない方がいいと私は思います。
遠くから見ていると、違った文化を持つ地域だとわかりますが、独立などしても良いことはないでしょう。
うまくUK(United Kingdom)としてまとまっていってほしいと思います。


台風一過
昨夜から早朝にかけて大型台風が過ぎ去って行きました。
1週間前の台風では大雨で川が氾濫とも聞いていたし、今回は石岡市でも約8000人程に早めの避難準備警報が出されていましたので心配していたのですが、前回よりも雨も少なかったようです。
今日は午前中から銚子に行くために家を出て、高浜に寄りました。

愛郷橋の旧橋がまだ歩行者が通れますので川の水位を見ました。

大分水位も多くなってはいましたが、心配したほどではありません。
向こう側の青い橋は常磐線の鉄橋です。
そのすぐ右の方が高浜駅です。
ここは大雨が降ると良く鉄道が徐行運転になったり、厳しい時は運転見合わせになることもあります。
昭和の半ば頃までは良く洪水がおきました。水浸しで水害もたくさんあったそうです。
しかし霞ヶ浦周りの堤防もほとんど完成し、大きな水害もほとんど無くなりました。


途中行方市の三昧塚古墳の上の空が青かったので、少し立寄って眺めることにしました。

今日は空域が澄んでいて、筑波山も良く見えます。
上に少し浮かんだ雲も全く動きません。
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1週間前の台風では大雨で川が氾濫とも聞いていたし、今回は石岡市でも約8000人程に早めの避難準備警報が出されていましたので心配していたのですが、前回よりも雨も少なかったようです。
今日は午前中から銚子に行くために家を出て、高浜に寄りました。

愛郷橋の旧橋がまだ歩行者が通れますので川の水位を見ました。

大分水位も多くなってはいましたが、心配したほどではありません。
向こう側の青い橋は常磐線の鉄橋です。
そのすぐ右の方が高浜駅です。
ここは大雨が降ると良く鉄道が徐行運転になったり、厳しい時は運転見合わせになることもあります。
昭和の半ば頃までは良く洪水がおきました。水浸しで水害もたくさんあったそうです。
しかし霞ヶ浦周りの堤防もほとんど完成し、大きな水害もほとんど無くなりました。


途中行方市の三昧塚古墳の上の空が青かったので、少し立寄って眺めることにしました。

今日は空域が澄んでいて、筑波山も良く見えます。
上に少し浮かんだ雲も全く動きません。

