常陸風土記の丘にいってみました

 今日は土曜日で家にほとんどいたが、本当に暑かった。いつもクーラの中に昼間いると気がつかなかったのかもしれないが、体が秋を求めているのに「まだまだ~よ」と言われたような感じであった。
この暑い中に久しぶりに常陸風土記の丘公園に出かけてみた。この暑さで人もまばらではあったがこの空間は貴重であるので、益々の発展を願っている。
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今は人気の花もなく、暑い日には人では少ない。小学生が自転車で5-6人遊んでいた。
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公園も暑いが木陰に入るとホットする。風はあまりないがやはり涼しい。
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古代ハスも8月半ばでほぼ花は終わり、今はハチの巣のような花弁が奇妙だ。
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公園内はまだツクツクボウシが賑やかで、トンボはシオカラトンボとやっと赤トンボが結構飛んでいた。
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花は今は見ごろのものはほとんどない。サルスベリの赤い花が美しかった。
 公園の駐車場にはマイクロバスが1台。筑西市の俳句会様とか。俳句の会も近隣を中心に多くの人が訪れる。しかし、正岡子規の水戸紀行の時に泊まった「萬屋」旅館の跡地は知られていない。せめて看板でも設置してほしいものだ。市長さんからは「良い提案であるので「教育委員会」の方に検討するように指示した。」と4月に返事をもらったのだが・・・・。良いものを作ってもこれを皆さんに活用してもらうのは市民のみに目を向けていては活性化しない。PRもとてもへただな~。

風土記の丘近辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/04 19:49

石岡の景観(恋瀬橋)

 今日は幾分風があり、朝方は筑波山が比較的きれいに見えた。毎日のように山の方も何気なく眺めるようになっているが、夏場にはあまりはっきり見える日が少ない。以前石岡市で「残したい景観のアンケート」というのを依頼された。結果は市報か何かに載ったのを見たように思うが、その後の動きが見えない。少し景観について時々書いてみたいと思う。個人的な私感が伴うので、それ程のこともないが、とても気になっている。
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この写真は6号国道の恋瀬川に架かる「恋瀬橋」からの眺めである。
この場所以外にも、常磐線の橋からの眺めや高浜の方からの眺めは同じように美しい。万葉の頃から歌に読まれ、風光明媚な場所であったことが想像される。山と川の組み合わせはとても素晴らしいものである。これは「恋瀬川」の名前の由来などの歴史を紐解いていくと尚一層素晴らしい景色に見えてくる。是非この景観をもう少し整備し(あまり人工的ではなく)余計なものは出来るだけ排除するように願いたい。
この写真を撮っているとき、私は2つのことを考えていた。一つは「太古の昔の人が電線や大きな橋などなく、もっと空気が澄んでいた時にどのように見えたのだろうか?」ということ、もちろん龍神山は元の雄姿でみることができたであろうから・・・。もう一つは「この景色はどこかで見た景色に少し似ているな。そう、尾瀬ヶ原と燧岳や至仏岳の雄姿の組み合わせだ。」ということだ。尾瀬は昔から何度も訪れているが、こんなに身近にも似た景色があったということであった。もちろん周りの環境などはまったく違っているので比べようもないが、昔はもっともっときれいだったに違いない。現在6号バイパスなる名前の道路が反対側で工事中で、青い橋が一部架けられているが、どの程度この景観が損なわれることになるのか・・・。
とても心配である。

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/07 20:24

石岡の景観(高浜の海)

 台風のおかげで久しぶりの雨となった。一部激しく降ったりしているが、恵みの雨でもある。野菜などは助かっているだろう。さて、昨日に続いて石岡の景観について書いてみたい。今回は「高浜の海」である。江戸時代に利根川の東遷工事で銚子へ流れが変更されるまでは、今の霞ケ浦は海水で大きな内海であった。香取の海と呼ばれていた。高浜も「国府の浜」が「こうのはま」となり「たかはま」に名前が変わったと考えられている。昨日の恋瀬橋からの筑波山の眺めを紹介したが、ここ高浜から見た筑波山はまた違った美しさがある。
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この写真は、今の6号国道のバイパス工事前の写真であり、この景色は大分変ってしまうかもしれない。
常陸風土記の書かれた頃(奈良時代初期)にはもっと水は豊かであったと思われ、交通も歩く以外は牛車や舟であるので今の鉄道や車の社会で想像するのは難しくなってきている。しかし、奈良時代を想像できる景観を残していかなければならないと思うのは私だけではないだろう。
高浜神社の看板に書かれた常陸風土記の口語訳を紹介しよう。
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<高浜の海>
そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉の色づき散りしく秋になると、あるいは駕(のりもの)を命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸という岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯(うぐいす)の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海人(あま)の娘は、浜辺を逐(お)い走って群れつどい、商人と農夫は、小舟に棹(さお)さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れになると。友を呼び僕(しもべ)を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめやる。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の憂(う)さを風に払い、岡を照らしていた日影がしだいに動いて行くにつれ、涼を求める者は、喜びの心を動かすのである。
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☆ 高浜に 来寄する浪の 沖つ浪 寄すとも寄らじ 子らにし寄らば

(高浜に寄せ来る波が、どんなに沖から寄せ来ても(他の女が寄って来ても)、私の心が動かないのは、あの娘に心を寄せてるからだ。)

☆ 高浜の 下風(したかぜ)さやぐ 妹を恋ひ 妻と言はばや しこと召しつも

(高浜の浜辺の下を騒がしく吹く風ではないが、恋するあの娘を妻と呼びたい気持ちがこみあげてくる。こんな私だのに。)

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/08 20:35

祭りが終わって明日は中秋の名月

 石岡のお祭りも終わり、街はまた静けさを取り戻しました。
でも、賑やかだったはずなのにどこか虚しさが襲ってきます。
祭りの時以外に、この駅に降り立った人は、この人通りのなさをきっと「寂しい街だなあ」と思うに違いありません。
私などがいくら街をPRしてもほとんど効果はありませんが、それでも少しは活性化になるように思ってやってきたのですが・・・・。
良いものは沢山あるのに、それを見たり感じる感性がこの町には感じないのは何故でしょうか?
薬師古道を整備し、薬師堂の景色はすばらしい風情があった。
しかし、人寄せパンダではあるまいに人工的な石灯篭や看板を配し、意味のまったくつかめない姿に変わってしまった。奈良や大和の寺を歩いた人はこの保存会にいないのだろうか。
自慢できるものが一つ減ってしまった。残念に思えてならない。
こんな気持ちはきっと理解できないのだろう。
歴史の町と自認していても、その時代は戦国時代まで。平家の祖先がいた町であるのに、その後がない。
江戸時代などに見るものが何もない。260年もの間、何があったのでしょうか。
多くの火災があったと私はHPに書いた。そしてなくしたと・・・・。
しかし、なくしたのでは、隠しているか、敢えて見せないのだと思う。
舟塚山古墳に眠っていた宝物は何処に??
静かになった町の真上に名月がそっと優しい光を注いでいる。
昔ときっと変わらない光と思うが、「昔は活気があった。」などとこれからもズーッと言っていくのだろうか。
60歳以上のネットを使う人と使わない(使えない)人の差がラジオで議論になっていた。
使えるからどうってことはないが、何歳になっても物事に対する感性をなくしたくはない。
昭和36年に開かれた上野の国立美術館の「ルーブルを中心としたフランス美術展」に中学になったばかりだったが両親に連れられて見に行った。
上野公園の端から長蛇の列でやっと入場したが、人がいっぱい。
でもその時に見た絵画の印象が一生忘れられないものになった。
その後、西洋美術館にやってきた「ミロのビーナス」もすごい人だかりだった。
その当時は、文化的なものに飢えていたのかもしれない。
そして、東京駅のブリヂストン美術館や、倉敷の大原美術館、奈良の博物館、デパートで開催したマネ・モネ・ルノワール・セザンヌ・ビュフェ・ユトリロ・ダリなどの美術展に足を運んだりした。
しかし、大学に入ってゼミの人達と話をして、皆あまりにも知らないことに驚いたことがあった。
皆、私より裕福な家庭に育っているはずであったが・・・。
理科系の人は絵画や文学には興味がなかったのかもしれない。
石岡に立派でなくてもよいが、しっかりとした美術館、博物館、資料館などを建てていただけないだろうか。
図書館は利用者が多いが、美術館などは利用者が少ないのでダメ??
発想が貧弱なんだな~。これでは文化は育たない。
お月さんのウサギが笑ってら。



その他風景 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/21 21:47

今日は冷え込んで筑波山がくっきり

今日はこの秋一番の冷え込みとのことでした。
しかし、朝は冷えていたが昼間は久しぶりの青空が広がり、とても気持ちの良い天気でした。
毎日のように恋瀬川から筑波山を眺めているが、今朝はくっきりと見ることができました。
やはり、恋瀬川から見る筑波山が一番美しい。
 さて、昨日、諭吉通りの話を書いたが、この街道には「長豊街道」とある。
この辺りの地名かと思ったが、調べてみると茨城県旧長竿村(現河内町)と千葉県豊住村(現成田市)を結ぶ通りから名前がついたようだ。
茨城と千葉の境を流れる利根川に架かる長豊橋の名前が先についたと思われる。
この橋も地域住民の長年の運動が実ったといわれる。結構長い橋であり交通量も結構多い。
成田空港ができたためだろうか?
しかし、通りの沿線沿いはあまり開けていない。開発も難しいものだと考えさせられる。
羽田の国際線発着が始まり、成田の近辺ももっと開けることを期待していただろうに・このありさまです・・・。
東京の一極集中は本当にこのままでよいのだろうか?
地方は益々過疎、高齢化が進みます。
明日は、また雨で気温も上がらないとの予報。週末も天気は期待できないという。
なにか冷たい雨は気分も滅入りそうでいやになる。
金曜日には銚子にまたでかける。美味しいものでも食べることを考えよう。

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/27 19:49

寒さは緩んだが、今朝も筑波山はきれいだった。

 最近あまり晴れの日が少ないので朝の筑波山もはっきり見える日が少なかったが、今日はきれいに見えた。
カメラを持っていなかったし、朝は急いでもいるので目に焼き付けておいた。
恋瀬川が昔の歌の名所である男女川(みなのがわ)であろうと鈴木健氏はいっている。
ここからの筑波山が一番きれいだし、石岡に国府があったことを考えればそれは本当に違いないと思う。
しかし、もう少しこの川もきれいにしてもらえないだろうか。
昔を偲ぶには「背い高泡立ち草」がいっぱいでは興ざめしてしまう。
少し整備して、そこに生息する動物や魚を観察し、皆に知らせてほしいものだ。
「地域おこし」はそこを訪れた人をリピータとして大事にすることが本当の底流になければならない。
どうすればリピータが増えるか、これは海外の事例も含めたくさんの方法が紹介されている。
図書館の建設は地元の利用者は喜ぶが、これは文化の向上にはなってもリピータの確保・増加の観点からは町おこしの対象にはならない。
それよりも受験生などが気軽に利用できる勉強スペース(ボックス)などを街中に確保して、学力の向上に役立ててほしい。
来年は電子書籍が世界中に広まる。何処の図書館にどんな図書があるかがすぐにわかる。
図書館に行かなくても世界中の本が見られるようになるかもしれない。
少し将来を見据えた斬新な図書館(七重の塔の形をした電子図書館など)なら話題性もあり、良いと思うが・・・・。
これから年より社会で、暇な老人はクーラや暖房の効いている無料で利用できる図書館は良いが、街の発展にはあまり寄与できない。
昨日今日と以前石岡の歴史のHPで知り合った方からブログにコメントをいただいた。
うれしいですね。またこのブログも止めずに続けていけそうだ。

恋瀬川と筑波山 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2010/11/02 21:28

筑波山には尾花が似合う?

昨日の文化の日の私のブログはページアクセス数が130にもなった。
いつもはせいぜい20~30アクセス程度であるので一気に増えたことになる。
理由はある程度分かっているが、丁寧にナンページも見ていただいた方にはお礼を言いたい。
行徳在住者さんにはコメントもたくさんいただいた。
町おこしアドバイスも感謝!
まあ今日はいつものペースに戻ったようである。本ブログはブログ村やツイッターとも連動していない。
やり方はあるのだろうが、ノンビリマイペースでやることにしよう。
仕事を終えて外を見たら、まだ5時半だというのに真っ暗になっていた。
暗くなると寒さも増してくる。
今朝、恋瀬川の橋から筑波山をみたら、少し上の方にでていた雲の影響か、朝日がまだらに山に当たって、山の中腹は明るい緑色、少し上は濃い緑。山の二つの頂上も、手前の女体山は日が当らず、奥の男体山はキラキラと明るく輝いていた。
不思議な風景だあった。
昨日、恋瀬川の志筑寄りにある「粟田橋」付近で撮影したススキ(尾花)と筑波山の写真を載せておきます。
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ここの橋は新しく架け直されて立派になり、常陸風土記の丘へとつながっている。
写真は昔の橋があった辺りの風景である。
筑波山には尾花が似合うのかもしれない。
もっとも万葉の頃の尾花は写真のようなススキ?ではないだろう。
このような細いススキでは茅葺の屋根は葺けない。
八郷地区には茅葺の家が何軒も残っている。
保存も大変なのだが、後世に残して行ってほしい。
「東京から最も近い田舎(里山)」をキャッチフレーズとしてPRしていこう!

恋瀬川と筑波山 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/11/04 19:56

雨晴れてコスモス野に笑う

今日は久しぶりに天気も回復ししたが、スッキリした青空とはいかなかった。
しかし朝は久しぶりに筑波山が顔を見せ、朝日が二つの山にあたり輝いていた。
今週初めは朝冷え込み、車の窓ガラスが凍った。しかしその日の筑波山はとても美しく輝いていた。
また、その後朝は寒さが緩んでも、冷たい雨で一日気温が上がらず、気持ちも晴れない日が続いた。
今日は久しぶりの青空が広がった。コスモスも久しぶりに笑っているようだった。
もともと花が咲くことは笑うと同じだという。まあ山が笑うといえば春のことだが
コスモス畑も広がり筑波山も背景にはもってこいだった。
先日、テレビで東京に住んでいる人を対象にした県別人気度調査の話をしていた。
その結果は、茨城県は2年連続最下位となったという。
まったくおかしな話でもあり、またもっともとも思う。
東京に住んでいた頃の茨城のイメージは最悪であった。
言葉使いも何か親しみが持てず、正直をいって住みたいとは思わなかった。
しかし、住めば都というように今はすっかり茨城住民になった。
最下位はさすがにうれしくはない。
何が足りないのかについて、自分なりに考えはあるのだが・・・・。
温暖な気候、海に山に果物・野菜など実に豊富で、東京の台所となっているが、東京の人は認識がない。
これは、実に不思議なことである。
茨城といえば「納豆」と「水戸黄門」だという。
「県民性のせいだ」と片づけるのは簡単だが、私は違う見方をしている。
「PRしないことを佳し」とするのは本当に県民性のせいであろうか?
私は「努力が足りない」「努力をしなくても食べていけるから良いと今までずーと過ごしてきた。」
せいではないのかと思っている。まさに商売人ではないのです。
県のイメージを上げ、県を豊かにしていくことは将来の子供たちに対する義務でもあります。
例えば、ネットで発言したり、良さを発信するのも豊かな県では当たり前のように湧いてくるものです。
皆さん、おとなしすぎます。もっともっと自分を磨いて大いに発信しましょう。
 

石岡市内の風景 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/11/18 19:29

かすみがうら水族館

 今日は朝から雨。勤労感謝の日ではあるが仕事は休みでないので朝は出かけた。
午後から、東京から来ている母のために早く帰ってきた。
途中で黄色に色づいたイチョウの葉が雨で大分散ってしまっていた。
落ち葉も増え、やはり冬が来た感じがする。毎年時間のたつのは早い。
今は昭和ロマンの街並みに時々大きな丸い月が顔を出している。

先の日曜日に母を連れて、かすみがうら市の歩崎(あゆみざき)公園にある水族館に行ってきた。
ここは霞ケ浦の淡水生物の水族館として設立され、小さい子供などにも楽しめるように出来ている。
今は霞ケ浦だけでなく、世界の淡水魚や亀などがたくさんいて、一見の価値があるが、宣伝不足
のためか、あまり知られていない。

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水族館の入口手前も昔に比べきれいに整備され、噴水や銅像などこれも天皇陛下のご来館が予定されたことがあったためでしょうか。
5年前に近くの「霞ケ浦環境科学センター」にこられ、その時に見学の話があったと聞いています。
しかし、あまりにもみすぼらしいのではないかとの話で・・・結果はどうなったのか??

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しかし、銅像(あゆみ)に鯉のいる池と噴水はきれいに整備されています。

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水族館の入口に大きなゾウガメ? その先に市民から愛称を募集した2匹のケヅメリクガメがいます。
子供のためか、世界のクワガタもこの時期にも生きて展示されています。

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水族館の入口の霞ケ浦を一望できる場所に「帆引き船発祥の地」の石碑が建てられていました。

この日も日曜日だというのに、訪れていたのは、私たちと男の子を連れた親子3人の2組のみ。
賑やかなお祭りや遊具などがないので子供にも人気がないのだろうか。
ここには我が家の子供たちは小さい時に良き遊びに来た。
水辺の生物を触ることができるようになっていて結構楽しめたものだ。
しかし今は触れるようになっていたのはザリガニのみ。
しかしこのザリガニは日本ザリガニ?  日本ザリガニは貴重だが・・・
また外から見た建物よりも内部は結構広く、十分楽しめます。

石岡に戻るために数年前に無料となった霞ケ浦大橋をわたり、行方市の「道の駅たまつくり」や「水の科学館」側に渡ると、大勢の人があふれていました。
何があるというのでしょうか。
最近特に大型の店舗なども積極的に進出して人も集まるようになりました。
子供が楽しめる施設もあります。
数年前までは閑散としていたことを思えば雲泥の差です。
特別なものがなくても行ってみたいと思う何かがあるのでしょう。
でも行方市としては他の歴史的な史跡も多いのですが、あまり人が多いことはありません。
どこも閑散としています。霞ケ浦の自然が残され石岡とも古くから交流があった場所です。
鹿島鉄道があれば「玉造」-「石岡」はとても近いイメージだったのですが・・・。

霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/23 20:21

筑波山が朝日に燃えていた。

 今朝の筑波山は美しかった。
日が山や尾根に当たり、車の通りや橋などは少し日が陰って暗くなり、山の紅葉が朝日を浴びて輝きコントラストが見事であった。
毎日のように筑波山を見るが、同じ姿を見せることはほとんどない。
みな少しずつ違った姿を見せてくれるのはとてもありがたい。
石岡からみた筑波山は二つの頂上(男体山、女体山)が少し離れているだけで一番バランスが良いのである。

正岡子規の水戸紀行では次のように詠んでいる。

 白雲の蒲團の中につゝまれてならんで寐たり女體男體

石岡から片倉へ向かう途中での歌ではあるが、ここから少し北(東)へ進むと、筑波山の2つの頂は一つになってくるのである。
また土浦やつくば市の方から見ると、2つの頂は大分離れて見える。
従って筑波山を見るには「高浜」や石岡の恋瀬川付近がもっとも美しく見える。
万葉の時代にはもっと美しく見えたのだろうと想像するだけで楽しくなる。

 まだ先日引いた風邪が本調子ではない。
微熱で調子も悪いが、正岡子規が血を吐いても死ぬまで歌をうたうホトトギスの別名で自分の名前を
「子規」としたのは、この水戸紀行の途中で吐血し、旅行から戻って少したった頃と聞いている。
病気でも情熱があれば歌を詠むことができるのですね。
普通の人は気力も衰えてしまうものなのですが・・・。

人間何歳になっても情熱は捨ててはいけませんね。
私もまだまだ頑張りますわ。自分のできる範囲を精一杯やるだけですが・・・
論語にいわれる「七十にして矩を踰えず」ということは、70歳までは矩(のり)を踰(こ)えてもOK?
少しくらいまだ無理をしても良いともとれますね。
 

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/11/29 19:15
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