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夏の日差しが傾く中で

はじめまして。企業を定年退職して2年が過ぎ、新しい挑戦にもチャレンジ中です。
常陸の旧国府である石岡市に越してきて6年が過ぎました。
歴史などに何の興味もなかった私が、この場所に来て何か古いものがとても懐かしく感じいろいろ場所を訪れるようになりました。
今は埋もれた古道を探索中です。
昨日、銚子に用事があっていってきましたが途中の大杉神社には「天狗のふるさと」の看板があり、阿波(あば)神社なども徳島阿波の関係を感じます。
また利根川の水門は朝方は海側は激しく波が渦巻いて鳴門の渦潮のようでしたが、反対側の川の流れはとても穏やかに流れ、穀倉地帯の稲も大分穂が実ってきていました。
とてものどかな風景でした。
利根川とともに常陸川の標識板がとても印象に残りました。
鹿嶋・香取に挟まれた水郷地帯はきっと昔は水運が盛んで多くの物資が運ばれたに違いありません。
成田線にある木下(きおろし)駅は昔材木を川に下ろす場所が名前の由来です。

URL:1300年の歴史の里石岡ロマン紀行

あいさつ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2010/08/11 16:27

本牧メルヘン

今日は台風が日本海側を北上している影響で風が強く、暑さの点では助かっている。
韓国へ上陸したはずの台風が日本列島に戻ってきて大きなニュースになっている。
日本のニュースや天気予報も日本列島ばかりで隣国である韓国はニュースにならない。
もし、同じように報道していれば距離感なり我が国の立地と他国との関係などももう少し身近に感じられるに違いない。
ここ石岡も多くの百済人(要人)が自国が滅ぼされた時にやってきて土着したようである。意外に身近なところに大和民族や朝鮮半島人、アイヌ人や縄文人が住んでいたことに驚かされる。
ところで、先日NHKテレビの歌謡番組で鹿内孝が「本牧メルヘン」という歌を歌っていた。
私は生れは新潟県であるが幼い時から小学1年生までこの本牧(横浜市)に住んでいた。
1972年に発売されたこの歌はほどほどのヒットで記憶にある人は多くはないと思うが、変わった歌詞が私の小さかった時の思い出と共に蘇った。
 本牧で死んだ娘は鴎(カモメ)になったよ
 ペットのブルースに送られて  (ペット:トランペット)
 踊るのが大好きといってたあの娘が
 さびしさに耐えかねて死んだのさ
 ジョニーもスミスの泣くのを忘れて
 海鳴りに向かって歌っていたよ
 本牧で死んだ娘は鴎になったよ
 なぜかしら誰でもがそう思う
まったく寂しい歌である。作詞家の阿久悠が「あまり売れなかったが何故か愛しい歌」として選んでいる。
  URL:阿久悠「あんでぱんだん」
阿久悠はこの後大ヒットとなった「ジョニーへの伝言」を書き、ジョニーを再登場させているのである。
私が本牧で育った頃は、まだ戦後の貧しい生活があたりまえで、アメリカ兵の後についていけばチョケレートが貰えた。「ギブ・ミー・チョコレート」の英語を知らぬ間に使っていた。
アメリカ兵と付き合って派手な服装をしていた日本娘は「パンパン」などと呼んで蔑みのことばで呼ばれていた。
しかし、当時アメリカ人の屋敷が広大な敷地で一面の芝生の緑が目に焼き付いてもいる。
こちらは粗末な家に住んでいたが、うらやましいとは感じなかった。まだ家がなく海岸沿いの崖に掘られた洞穴や山の上にある御堂に住んでいた人もまだいたし、学校の同級生にもいたのである。
恐らく、ここ石岡では経験することはなかったと思う。阿久悠があえて国籍不明の(無国籍の)歌を作ったのも、またその象徴として本牧を選んだのも何か今となって感じるものがある。やはり阿久悠は天才なのであろう。
ここ石岡に来て、この町を見る感性がきっとこの頃からのものなのかもしれない。
本牧は昔海だったところは埋め立てられてはるか先に行かなければ海がない。昔は海苔などを採る漁師も大勢いたのだが・・・・・。

子供のころ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/12 10:24

映画「ひまわり」

台風が過ぎ今日もまた真夏の暑さが戻ってきた。
夏の花といえば「ひまわり」であるが、1970年に公開されたマルチェロマストロヤンニとソフィアローレン主演の映画「ひまわり」がある。この映画の冒頭に一面のひまわり畑がでてくる。そしてヘンリー・マンシーニの心にしみてくる音楽である。映画音楽がこんなにせつなくなるほど映像とマッチした作品を私は他に知らない。
最初に日本で上映された時にはあまり感動は少なかったが、仕事の関係でモスクワからウクライナへを回ったときにウクライナで一面に続くひまわり畑を目にしてもう一度見たくなってビデオを借りた。
そこに映し出された映像はまさにウクライナのヒマワリと同じであった。この映画は初めてロシアに西側のカメラが入ったことで話題となり、ひまわりの撮影場所ははっきりさせていない。モスクワ近郊で撮影されたと書かれたものも見ているが、まさにそれはウクライナの景色であった。モスクワでは地下鉄が川の上を渡るところやサッカースタジアムなどはまさにモスクワとわかったが、このひまわりはウクライナであると思う。しかし、旧共産圏ソ連連邦の一員から1991年に独立して、土地も住民に分け与えられ、その土地をまた大量に集めてひまわり畑にしていったと考えると、1970年当時に本当にウクライナが現在のようなひまわり畑があったのかはわからない。私の推測でしかない。映画ではこの延々と続くひまわり畑の下にイタリアやソ連などの多くの兵士が眠っているという。戦争の無残さを映像と音楽でこんなにも人々を圧倒できることに感動を覚えたのである。
独立したウクライナはロシアとヨーロッパとの間で行ったり来たり。政権により方針が定まらない。ロシア語が学校の教科書から消えたとも聞いたが、またロシア側寄りの政権ができたので今はわからない。しかしそれにしても首都キエフは美しい町だ。高台に緑の楽園が広がっているような町である。女性も多くのファッションモデルを輩出しているだけあり美しい人が多い。しかし、現実は西側の文化に憧れをもって生活しているのである。ヘソ出しルックにタトゥーなど、これも西側への憧れなのかも知れない。またチェルノブイリ原発事故の影響は北側のベラルーシ(旧白ロシア)とともに今も残っている。

海外 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/13 16:26

横浜本牧の八聖殿

 今日は朝早くからミンミンゼミの合唱がはじまりジリジリと暑さが増してきた。蝉もこの頃になるとなにか過ぎゆく夏を惜しんでいるように忙しく鳴いているように聞こえてくる。このあたりでは蝉はアブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシなどであるが、南の地域静岡以南ではクマゼミがものすごい鳴き方で圧倒してくるようである。小学1年生まで住んでいた横浜の本牧元町ではよく近所の友達や二つ上の兄とセミ取りに夢中であった。セミ取りの網などはなかったのか、長い棒の先に針金で輪をつくりそれに朝早いまだ露が付いているくらいの蜘蛛の巣を沢山つけてから山へのぼってセミを捕まえるのである。蜘蛛の巣は粘着力があって木に止まっているセミの背に押し付けるとくっついて蝉が捕まえられるのである。この方法は今の虫取り網よりも確実で簡単であった。ある夏の日に高い木の上の方でシャンシャンシャンとクマゼミが鳴いていたのを見つけたがあまりの高さに見上げいるしかなかったことを覚えている。その後少し大きくなって伊豆の宿屋に宿泊した時、朝起きるとまわり中クマゼミの大合唱であった。このセミはミンミンゼミのように羽が透き通っているが、少し黒っぽく大きさも一回り大きくて、子供の時は自分の昆虫採集標本に加えたいと探したこともあったが横浜で鳴き声を聞いたのはこの1回だけであった。地球温暖化で今では東京あたりまで進出しているような話も聞いた。
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さて、このセミとりの舞台が八聖殿山で、山の上に八角形のお堂があった。これは奈良の法隆寺夢殿の形を模して昭和8年に熊本の政治家が制作したものを昭和12年にこの地に移したものだという。しかし昭和30年当時にはあまり整備はされずにいたように記憶されている。今は横浜の郷土資料館として幕末からの農業・漁業などの展示品を含め無料で公開されているという。周りは本牧市民公園として四季の木々なども美しい市民憩いの場所と紹介されていました。
先日のブログで鹿内孝の「本牧メルヘン」を紹介し、懐かしくなって地図を調べて、昔とはかなり姿がかわり、小さな時の思い出の地が良く分からなくなりそうでした。この八聖殿の街と反対側はすぐ海で崖があり、怖いようでしたし、三渓園や私の通っていた真門小学校もグランドからすぐ海岸に下りられたのですが、今の地図では高速道路が近くを通りその先は石油タンクや工場が広がり、海ははるか先で、歩いてはとてもいけない程先にいってしまっていました。文明の進歩があるのは当然ですが、その変貌ぶりが激しいとどこかにしわ寄せがきます。この文明の技術の進歩が、何千年もの日本の歴史から見て、今後どのような評価が下されるのかはわかりません。でも人間って愚かな生き物か賢い生き物かよくわからなくなっているだな~。

子供のころ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/22 11:19

スカイプを使ってみました。

このブログもはじめて2週間が経過した。とりあえず毎日更新できたことで少し満足している。疲れたら休めという極意になかなか達成していないため、なにかネタを探して続けなければなどと考えているが、これでは続くわけがない。まあ書けるときのみ好きに書いていけばいいのだからノンビリやるさ。
 さて、夜はさすがに暑さは和らいできたし、虫が鳴き始めたので秋も間近になってきました。
今朝早く、イギリスのロンドンに嫁いだ娘と話をした。10月に休みを取って夫婦で日本に来ると言っていた。まだ紅葉には少し早いかもしれないが日本食を食べるのが目的らしい。インターネット電話にしているのであまり電話代もかからないのだが、娘から言われてスカイプというものを使ってパソコン同士で話をしました。簡単にやれて良く聞こえたし、今はマイクだけだけれどウェブカメラをつければ向こうの顔も見れるらしい。しかも無料だから、このようなものが広まれば電話会社も困るでしょう。海外で携帯電話でも使えるのですから・・・。最近個人の所有している書籍の電子化を請け負う会社が出てきて、しかも350ページまで100円以下なんて信じられない設定です。ただし、日本は著作権法が厳しく、本当は個人目的でも電子書籍はグレーのようです。しかし世界の流れに遅れてしまうので制度の見直しが是非必要だと思います。日本はすべて性悪説にもとづいて規制をしていくという考えのようであるが、お役人も自分たちの利権については性悪説での規制には反対らしい。既得権をいつまでも唱えていればだんだんと小さくなっていく国は沈んでいくのみと思われます。図書館の本は今や世界中のものが検索でき、しかも読めるようになるのももうすぐでしょう。いままでの技術・科学書籍なども自由に皆が使えるようになれば、きっと技術革新も進むに違いありません。しかし、その情報をうまく使えるかどうかはその人の技量によってきまってくるでしょう・・・・。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/25 21:13

道の駅

 石岡に道の駅をつくるという話があると聞いた。現在建設が進んでいる朝日トンネルの近くに計画されているらしい。つくば側からトンネルができれば朝日峠越えの道が大分近くなり笠間側や茨城空港なども近付くだろう。八郷地区の観光も脚光を浴びてくるかもしれない。頑張ってほしいと願っている。
道の駅は現在茨城県にはまだ9か所しかない。栃木19、群馬21、千葉21、埼玉19箇所などと比べても極端に少ない。似たような設備としてロードパークや直売所的なものもあり、区別がつかないほど似通ったものもある。たとえば「かつら」と「みわ」の間の緒川地区に「かざぐるま」(水戸黄門に出てくる風車の弥七の墓が近くにある)という施設がある。紙すき場の跡もある。
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「風車の弥七の墓」(本当にいたの?)
これは茨城県北西部を対象としたグリーンふるさと振興機構(財団法人)が運営しているようだ。見た目では区別がつかない。多くが地元を中心とした特産品を売っているという印象だが、あまり変わり映えしない。みわ(美和)の方にはよく行くので、「道の駅みわ」には何回か立ち寄ったことがある。比較的大きく観光バスも結構来ていた。売り物は「満天トイレ」と北斗星をイメージした建物やレストランだ。私の「歴史の里美和編」にも近くの歴史の情報を載せており、非常に興味のある地区でもある。石岡と売り込みものは似てくるかもしれない。星を見るイベントを毎年行ってもいる。しかし、ここの黒字?はこれだけではないように思う。この地区はシイタケの栽培がさかんで、リンゴなどもつくられている。売店でリンゴを買おうとして驚いた。売っていたのは長野県産(信州リンゴ)だけで、大量に仕入れて安く売っていた。実に商魂たくましく熱心であった。朝日トンネルを抜けたあたりは果樹が盛んだ。しかし、時季が決まっている。当然果物狩りとタイアップして大型バスが何台も止められるスペースがほしい。フラワーパーク、薬師古道や小町の北向き観音堂も近い。しかしこれだけではきっと他とかわらない「道の駅」にしかならないように思う。八郷のシャモ料理、有機野菜の里、かやぶき屋根の民家・・・・。少し工夫が必要だなあ~。
CAS冷凍設備をして年中果物も、牡蠣、アンコウなども何時でも美味しく食べることができる設備などがあったらな~。CAS冷凍設備は以前から私が気に入っているものだ。柏の近くにあるアビーという会社がやっている。おもしろい社長さんだ。テレビで拝見したが、とても好きである。冷凍したものは東京やつくばなどに卸すこともできる。なんて自分がやるわけでもないのに・・・・。発想を柔らかくして、発展を願うのみである。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/27 21:49

モスクワの地下街

 もう8月も終わろうとしているのにこの暑さである。数年前に数回ロシアを仕事で訪問したことがある。5月の半ばに訪れた時に4月まで地域暖房が入っていたのをやめたばかりなのに昼間気温が30℃になった。モスクワは個人住宅などなく多くがアパートなどの住宅に住み、週末には郊外の別荘に行く人で車がラッシュとなる。エアコンもあまり必要なかったそうだが、窓に取り付けた所が急速に増えていた。今年の猛暑は日本と同様らしい。さて、一般に観光旅行に行くとクレムリンや美術館などに行くようであるが、少し気になったところがあったので紹介しようと思う。それはモスクワの中心部赤の広場の近くマネージ広場の地下につくられた巨大な地下街である。1994年頃に3年がかりで完成したという。
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地上の広場から地下への入口(2005年5月撮影)
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地上は地下の吹く抜け部分の明かりとり用円形の窓(2004年10月撮影)
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地下街は3階建で真中が吹き抜けで広々している。(2005年5月撮影)
この地下街は地上の建物としては、今では良く見られる方式であるが、例えば、横浜のランドマーク、品川駅、成田空港など似た方式を見ることがある。現地に滞在していた人に、ここの地下の設計をするときに日本を参考にしたと聞いた。東京に見に来たともいっていたが、東京にはこのような所を私は知らない。しかし、ここに来た時に私はどこかで似た風景を見た気がした。後で思い出したが、大阪梅田の地下街である。大きなスクリーンBIGMANがあり紀伊国屋書店にいった時、確かにこのような吹き抜けの両側に店や喫茶店などがあったように思う。石岡にもし箱モノを作るなら記念に、また話題になるくらいのものを作らなければ何の意味もない。世間知らずなどと思われない自分よがりでないものを創造していきたいものだ。現地を観光で旅行した人はあまりこのような所にはいかないようだ。ロシア語しか通じないのでひとりで食べ物屋にいくのも結構大変である。まあ何の参考にもならないかもしれないが・・・・。

海外 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/30 22:44

モスクワの歩行者天国

 今日で8月は終わりである。しかしまだまだ暑さが続くという。こんな調子では生産性も上がらずバテテしまう。困ったものだ。昨日に続いてモスクワでみた町おこしのヒントについて書いてみたいと思う。
あまり参考になるかどうかわからないが・・・
 モスクワ市内の通りは文豪の名前などがついて親しみやすい。しかし「ゴーリキー通り」と呼ばれていたところは「トヴェルスカヤ通り」と名前が変わっており、これも歴史が変わっていく表れかもしれない。仙台なども「晩翠通り」などがあり似ている。土地の人に親しみが持てる名前は残してほしいものだ。
今日はその中で「アルバート通り」である。ここは15世紀末からモスクワの中心部としてこの名前が登場するらしい。しかし、ここにレストランや土産物屋が軒を連ねるようになり、1986年通りを修復して歩行者天国になった。
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土日になると近郊から人があつまる。通りの両側はレストランがテラスを出したり、モスクワの土産物「マトリョーシカ」などを並べた店が賑やかだ。通りの真中には自分の絵画を並べたり、手作りの首飾りなどいろいろなものが並びます。
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ここで、この通りの一部に変わったレンガ(タイル?)があった。何か字や数字が書かれていた。その中に日本人の女性の名前を見つけた。この通りを直したときに募集して寄付した人が思い思いの字を書いて、それが焼かれてレンガやタイルとして通りに並べられていたようだ。
そこで、提案であるが、石岡でもお金をかけて決まったタイルなどで整備するのではなく、観光客の方に、決められた大きさのイラスト付きのタイルに絵や字を好きに書いてもらい、中町の歩道や路地または、壁に貼って記念に残していけるようなイベントをやったらどうだろうか。今意外にタイルなどを焼き付ける技術は発達して簡単にできるという。一度訪れていただいた方に想い出を残してくれれば必ずまた来てもらえる。こんな提案も今春市長さん宛てにメールしたが、反応はなかった。無視されるのが一番残念だ。(まあ、続けて3-4点提案したので、最初の時だけ返事があったが、それもいい提案だから担当部署に話しておく・・・。といったまま実現していない)今年もおまつりが始まるようだ、あちらこちらで笛・太鼓の音がして練習が始まっている。それにしてもお祭りだけはどこから人が来るのかと思われるほどにぎやかだ。普段にもこの1割でもきてくれたらいいのにな~。

海外 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/31 21:06

防災の日

 今日は防災の日。企業では毎年防災避難訓練をしている。マンネリでもやって体で覚えるのが一番だとか・・・。さて、今から86年前に関東大震災が起こった。東京の地震はその前は安政の大地震であるからさらに69年前である。そろそろまた地震があるかもしれないと心配になる。
新潟中越の地震は丁度ロシアから帰ってきた日であった。大きなゆったりとした揺れが心配になりテレビで小千谷が被害にあったことを知った。私の生まれた所である。東京の母が数日後に現地に行くことになっていて、長岡-塩谷-山古志にも行く予定であった。出かけているときに地震が起こっていたらとゾッとしたものだ。あれから6年。また阪神淡路の時(15年前)もひどかった。妻の親戚が西宮にいて被害にあった。電車が止まっているのに心配で会いに出かけていた。運よく家は壊れたが命は助かった。本当に何時どこで起こるか分からない。鹿島神宮の要石のことを私のホームページに書いたことがある。茨城は本当に地震は多いが、被害にあう程の地震には会っていない。この石岡の台地も活断層は無いようだ。
 でも石岡といえば火災の被害が多い。昭和4年の市内の火事はメインの店々を一変に焼いてしまった。しかし、当時の石岡は復興も非常に早く活気がみなぎっていた。現在中町を中心に昭和ロマン建築(看板建築)はこの時に建てられたものだ。多くが現在国の有形文化財に指定されている。しかし、その昭和ロマンの建物も維持管理していくのは大変で、観光客や近隣の人たちを呼び込まなければこの先やっていくのは困難だ。行政も街の活性化を叫んでいるが、視点が内向きだ。来ていただくお客さんの満足をいかに得ることができるのかの視点で考えてほしい。自分たちの利益や中にいる人の満足を追求していては絶対に満足は得られない。「情けは人のためならず」である。情を持ってお客さんを迎えるにはどうしたらよいか?食事をしたいと思ってもどこで食べればいいの? お土産に本当に石岡の良いものは何なの?駅前の観光案内所は夕方4時には閉まってしまう。観光案内の満足な案内図はない。歴史もうわべをかじったような案内をして満足するのだろうか?お客さんのレベルに合わせいろいろなパターンを検討してほしい。昔中学生のころ青森の弘前の市役所を訪れて市の案内パンフレットをいただきたいと言ったとき、とてもきれいな写真入りの冊子をいただいた。うれしかった。その時の弘前城と桜の写真が忘れられない。観光は教育委員会の仕事ではない。まったく違った観点からやるべきだと思う。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/01 21:11

雨よふれ。ふってくれ。

 今年が観測史上もっとも暑い夏となったとか。天気なのもよいのだが、雨がふらない。これは困ったものである。道路もカラカラで車が通るとほこりが舞ってしまう。いままで、夏の日中暑い日には決まって夕方ににわか雨がふったものだ。それが今年は記録的な集中豪雨にカラカラ天気である。
江戸時代も飢饉がたびたび起きていたという。四大飢饉といわれる飢饉があった。寛永・享保・天明・天保を言うのだそうだ。しかしこのほとんどは冷夏や大雨である。また浅間山の噴火などによることが影響したことも多いという。今年のような暑い夏は作物は何とかなるということか・・・。それにしても葉物などはすぐに萎れてしまう。高原キャベツ・レタスなど生育も悪く、みずみずしさがない。本当に困ったものだ。我が家の鉢植えの朝顔も毎日水をやっているが、朝晩2回やらないと葉の一部が少し黄色くなってしまった。街中を歩いていると、この暑さにもかかわらず「さるすべり」の花が美しい。夾竹桃やムクゲなどもまだ元気だ。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/02 19:50

通りの名称の復活を願う

 9月に入って3日経つがまだしばらく暑い日が続きそうだ。先日ロシアの歩行者天国の話を書いたが、通りに文豪の名前などがついており親しみやすい。また、現地で乗った夜行寝台の名前は日本語に直すと「静かなるドン号」であった。仙台の通りも「青葉通り」「広瀬通り」「晩翠通り」などのほかに横丁などの愛称が残されているものが多く驚かされる。これは京都などと同じである。石岡も街中の旧町名を残そうと「おまつり」をはじめ駅前広場の案内板、各旧町名の書かれた石柱(辻標)などを整備している。また石岡には路地や横丁も多くあり、昔から町名と共に愛称で呼ばれてきた。しかし私のような他所からやってきた者にはちっともわからない。中に入っていると知っていることが当たり前で、敢えて知らせてどうするんだ?などと思っていないだろうか。
 まずは街中の通り名を復活表示してほしい。「八間(御幸)通り」「金丸通り」「金丸寿通り」「神社通り」「香丸通り」「八幡通り」「宮下通り」など通りの標識に追加して表示をしてほしいと思っている。これはお金など掛からないで出来るはずである。これも提案したがなしのつぶてであった。
仙台にはこの町名に愛着を感じてHPがいくつも立ち上げられている。すべて名前には歴史的な愛着が一緒にあり、そこで生きてきた人の思いも残っている。
現在、これらの通りにはそれぞれ商店会があるようである。目を外に向けてください。外のお客さんに自慢の商品を売ってください。良いものがたくさんあるはずなのに何も伝わってこないのは何故?
通りを歩いても「他所者が来た」と思って見られたら誰もお店には入っていきません。ニコニコ挨拶しよう。街を変えていきませんか?
東京なども、国道○号線などではなく、かなり愛称が使われている。昔に比べてかなり増えてきているように思う。この夏に行った時も「府中街道」「お鷹の道」「はけの道」「鎌倉街道」など名前だけでわくわくしてくるようです。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/03 22:20

ウクライナの夏

 今日もまだ暑い日が続き、太陽の強さも衰えない。しかし日本は春・夏・秋・冬が必ずあるのでそのうち秋にはなるだろうから、それまであせらずに待つしかないさ。さて今日はウクライナの夏を少し紹介しましょう。ウクライナの首都キエフは割合に北の方に位置し、その北側にはベラルーシ(旧白ロシア)がある。原発事故のあったチェルノブイリは比較的キエフに近かったが、ベラルーシとの境界に近く、事故での被害は風向きもありベラルーシ側の方が大きかったとされています。日本人が行くとやはり広島の原爆の経験には大分興味があるようです。日本からは比較的遠い国であり、日本から訪ずれる人は多くはいないようですが、比較的親しみは持てるように思います。今回はその一部を参考までに紹介します。場所は首都キエフから南に約180km離れた人口約30万人の都市チェルカスィです。ウクライナは北から南に大きな「ドニエプル川」が流れています。この川はとても大きな川です。川幅がとても広いのです。キエフもこの川の沿岸にあり、川沿いに都市が発達したのがよくわかります。
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川が曲がったところなどがところどころ砂浜になっており、海がないこの地方では川で海水浴ができます。海の家のようなものも散見され日光浴も盛んです。川が広いのでまるで海のようです。この川はこの先は黒海に注いでいます。
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街の通りにはいろいろな本屋、食べ物屋などいろいろな露天のような店が並んでいます。
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街角で子犬が売られていました。女の子が眺めているのが印象的でした。
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これは街の中に体重計が置かれて、通行人が体重を量っていました。日本では見かけない光景ですね。
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木陰には多くの人が集まって休んでいます。
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これはロシア、ウクライナではポピュラーな飲み物で「クワス(KBAC)」といいます。パンやライ麦などを酵母で発酵させたもので街角でこのような黄色い車で売っています。アルコール分が少し入ったものもあるようですが、外で売っているものはほとんど入っていないそうです。1杯10-20円程度と安い庶民的な飲み物のようですが、その時は何か分からずに飲みませんでした。

海外 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/05 14:49

新しいバスレーン

今日は台風の影響か夜になり少し風があり、暑さも少し和らいでいる。
台風の進路も予定より頭を押さえられて、日本列島を横切ろうとしている。これは前より秋の高気圧が強くなっているのではないかと少しホットした気持ちでいる。雨も少しは降るだろう。さて、石岡駅から茨城空港までのバスの専用レーンが完成し、8月30日よりオープンしたという。これは惜しまれつつ幕を閉じた鹿島鉄道の軌道の跡にバス専用レーンを設置したもので、混み合う小川街道が混まずに通ることができるとのうたい文句である。
しかし、その運賃を見て驚いた。石岡駅から茨城空港まで600円である。空港から鉾田まで行くと1040円だという。何か運賃を下げ、利用しやすくする工夫がないのか?
中国の春秋航空が上海片道4000円の格安航空券を発売した。全体の座席数の1割というからそれほどは多くないが、今後さらなる格安航空会社(LCC)導入が期待される時にこの金額はないのでは。
市としての期待された宣伝文句の足がこれでは先が思いやられる。皆さんは茨城空港から中国の団体さんを載せたバスが東京まで500円で走っていることを知っているのだろうか?
価格を工夫して下げることを検討してもらいたいものである。民営でもうまくタイアップして沿道の病院などの近くに停車場を設置し、広告をバスに掲示、アナウンスして広告収入なども入れ、気楽に乗れる料金に是非してほしいものだ。石岡の休日の巡回バスなども他の観光地に対して高い。笠間・大洗などの循環バスは無料であったり、100円~200円だ。しかし、良く調べてみるとかなり工夫されている。少し他を学ぶべきだと思う。バスレーンについても私は、当初新交通システムの導入を期待していたのだが・・・・。結果はいつもがっかりしてしまう。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/06 20:13

9月9日重陽の節句です。

 今日は台風が通り過ぎ気持ちの良い天気となった。虫の声も大分元気になったようだ。昨夜は開けていた窓からコウロギが部屋に入ってきて鳴いていた。秋をやっと感じるようになり、ぼーとした頭も大分スッキリした気分である。やはり気温が高すぎるとやる気が失せてしまうものだ。
本日は9月9日で、重陽の節句である。菊の花にはまだ少し早いが気分だけでも祝いたい。ラジオでは今日の日を「救急の日」と紹介していたが、重陽の節句はあまり言われなくなってしまったようである。3月3日、5月5日、7月7日については大々的に知られているのだが・・・・。
このブログも明日で1カ月になる。毎日少しずつ書いて行こうとはじめて見たが、やはり結構大変だ。場合によっては週に数回の更新の方が長続きするようにも思う。
先日から石岡の景観について書き始めたが、最近気になって仕方がないことがある。光ケーブルとケーブルテレビ用のケーブルの醜さである。何とかならないものだろうか。黒々ととした太いケーブルを平気で引き回し、これを日本の津々浦々に張り巡らして全国どこでも情報を受け取れるようにする計画だそうだ。原口総務大臣、孫正義社長 アイディアは良いが、もう一度日本の自然を壊さぬ工夫をしてもらわなければ、後世に禍根を残しますよ。あまり反対の声は聞こえてこないが、山奥までこんなケーブルを引いても全く効率的ではないでしょう。デジタルデバイドはこんなことで解消するはずがないことに早く気がついてほしいものです。地方のどんどんと増える空家の有効利用などを是非検討してもらいたいものだ。年寄りはどんどん増え、人口の減少が始まったようでもある。もう10年もすると大変なことになるんですよ。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/09 19:12

おまつり会館

 やっと涼しくなってきたと思ったら、日が暮れるのもずいぶん早くなった気がする。6時には大分薄暗くなってきた。カラスが鳴くから帰っ~ろの気分である。
先日は石岡のお祭りが関東三大祭りに入るのかというような話をした。今日もそのような話を祭り好きの同僚と話をした。「三大祭りと言い出したのは石岡の観光協会で、石岡が初めて言い出したのではないか」といっていた。本当のところはわからないが、言いだしっぺならそれを貫けば良いのにと思う。
また、お祭り前なのに市内が静かだという。練習をするとうるさいとのことで、市街ではあまり練習ができず、工業団地などのある広い場所の方に出かけて行って練習しているのだという。
わからぬでもないが、一時期だけなのだから多少うるさくても構ないようにも思うが、これも時代なのかもしれない。石岡はお祭りの時だけは賑やかだが、それ以外では静まり返ってしまう。何か寂しいと思う。
そこで、三大まつりと言われているところのホームページを見てみた。佐原も川越も「おまつり会館」があり、山車などを常時展示している。それぞれ古い歴史があると豪語してはいるが、よ~く見てみるとそれ程の大差はないようだ。もちろん江戸時代の山車などもないとは言わないが、多くは明治中期に大々的にやるようになったようだ。川越は明治中期に大火事があり、しばらく祭りも中断したようだ。それを町の復興を願って復活させると同時に大きくしたようだ。石岡と同じではないか。石岡は山車の数も多く、幌獅子や富田のささらなど独特なものも多く、石岡ばやし(三村囃子、染谷囃子)や染谷十二座神楽など説明する場が与えられていない。是非「まつり会館」でも作って町の元気さをアピール出来ないものだろうか。西友の跡地などの一部を利用したら?
上記の二か所のまつり会館は入場料は300円~400円程度をとっている。町の歴史なども説明するのがとても下手で、黙っていても、探してくれ。探してくれ~。と言うだけだ。まあその分探す楽しみは多いのだが、最近はほっておいたらまず探す人は少ないのだから、いつまでたってもブツブツ文句ばかり言っていなければならない。徳島の阿波踊りは毎日阿波踊り会館で踊りの実演の見物ができる。市内の眉山という山へのケーブルカーとセットの券を発売している。これは踊りのプロがいるのでできるのだろうが、この町も工夫が足りなさすぎると感じてしまう。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/15 21:19

雲隠れした名月は見えるか?

 今日は中秋の名月というが、あいにく曇って見られません。
昨日じっくり眺めたのでまずは佳しとしよう。
雲に隠れても真ん丸の月が「まほらの里」にも注いでいることを思い描こう。
各地で「星を見る会」が開催されている。
この際であるので少し考えてみよう。
先日紹介した「道の駅みわ」は星がきれいな里をキャッチフレーズに使っている。
トイレの天井にも星をあしらって「満てんトイレ」だ。
またレストランは「北斗庵」だ。
星がきれいなことなら八郷地区だって負けないはずだが、残念ながらその発想はない。
筑波山、加波山、吾国山などに囲まれ星を見るにはもってこいだと思う。
ホタルの里、フルーツラインなどと共に売りだしたらどうだろう。
藁ぶき屋根の家や歴史の里と一緒になって、オカリナコンサートなどを組み合わせ、少しでも文化的なものに触れる機会を作っていくべきだと思う。
もちろん美味しい食事も必須条件だが、これはボランティアだけの発想ではやっていけない。
徐々に志を同じくする仲間を増やしていくしかないように思う。
もしかしたら、空き家などを探せばこれから先はアイディア勝負かもしれない。
どうしても欠かすことができないのが、宣伝の力である。
インターネットや地域情報誌などに記事を出してもらうなど。
何かワクワクしてくるが、またすぐにシャボン玉みたいに消えていくのかもしれない。
長野の小さな都市「小布施」などがとても参考になる。
葛飾北斎で有名であるが、それよりも台風娘「セーラ・カミングス」さんの力が大きい。
こんな一人の力でも大きく変えることができるのだから・・・・。
前に東京に行ったときにも「小布施」まつりのようなイベントをやっていた。
宣伝も巧みなようだ。石岡市役所の人は何人くらい知っていますか?
石岡の役場や商工会などにいる人は、本も読んだことはないのかな~。
残念ながら石岡の図書館には置いていないようだ??
「町おこし」と叫ぶなら、参考になる資料はすべて知っておくべきだよ。
市内なら、酒蔵めぐり、美味しいもの巡りなどを積極的に計画しよう。
人の上げ足をとるような根性の小さなことは他所の文化人に笑われるだけです。
県内の施設を視察しても、本当の参考になるものは別にも沢山あるのにね。


地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/22 18:51

逆輸入品

 今日は雨。気温も一段と下がって寒いくらいだ。
天気予報では「忘却の雨」などといっていた。
あれほど暑かった夏もこの雨で気温が下がると暑かったことも忘れてしまうというのだ。
そんなことはないだろうと聞いていたが、本当に忘れそうだ。
今日は銚子まで車で朝から出かけてきた。
朝はまだ雨はほとんど降っていなかったが、夕方から風雨が強く、利根川・常陸川に挟まれた中州を車ではしった。
天気の良い時は気持ちが良いが、悪くなると結構寂しい気になる。
先日、愛用していたデジカメのメモリが認識できなくなったので、ネットで一番安いものを探して注文した。
送られてきたのはメーカ純正品で日本製であったが、取扱説明書は「英語」「スペイン語」「フランス語」だけだった。
最近電化製品などの部品をネットで買うと良く日本語の説明のないものが良く送られてくる。
いわゆる「逆輸入品」らしい。何故海外向けの製品が、国内向けのものよりも安いのだろうか。
どちらも純正品で、日本製である。
数年前にコピーのトナーが特約店であまりに高いので、ネットで注文した。
価格は1/3以下だ。中身は変わらないがメーカの海外向けの消耗品であった。
特約店などを通じて商売をしていくこのような特殊な商慣行に慣らされてしまい、何か本質を見失っているのではないかと感じる。
サービスを売っているというが、これはサービスではない。海外には高く売れないだけである。
海外向けは安く売って、国内には何倍もの価格で売る二重価格がまかり通っている。
これは一見、国内の代理店などでは当然と思っているようなところがあるが、これでは韓国などに負けてしまうように思う。
日本の人口は約1億人。韓国は約4千万人強。
韓国は海外に市場を広げるしかないのであるが、日本は中途半端な人口である。
このままでは、きっと価格の破壊に悩まされ続けるに違いない。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/23 21:01

高速バス

今日は午前中は雨で寒かったが、東京に用事があって昼ごろ出かけた。
最近電車ではなく、高速バスを良く使う。石岡から必ず座れて途中も止まらないので大変便利だ。
雨も丁度上がって晴れてきたので気持ちが良かった。
バスは水戸から来るのであるが、乗客の9割くらいは女性であった。
皆二人掛けの席に一人づつ腰かけ、座席にバックなどを置いているので、女性の隣りに荷物をどけてもらって座るしかないが、誰も荷物をどけようとしない。
これも土地柄なのかもなどと考えて見たが、何処でも同じようなものかもしれない。
 眠っていたような人に荷物をどけてもらって座ったが、どうも後味が良くない。
さて、それはそうとして、このバスは浅草・上野を経由して東京駅まで行く。
浅草は、東京スカイツリーのすぐ脇を通るのでバスの窓から見物ができ得した気分であった。
浅草は観光客も増えているようで、店なども多くなっているように感じた。
屋形船などを見ながら、石岡の観光に何が足りないのだろうかなどと考えていた。
何もかもが足りないようでもあるが、本当に足りないものは地域に住む人たちの情熱のようにも感じていた。
前に、市内の路地などにも通りの名称を復活表示してほしいとここにも書いた。
東京はかなり通りの名称表示が増えてきたように感じた。
浅草通り、靖国通り、昭和通り、春日通り、蔵前橋通り、江戸通りなどかなり目立つように表示されていた。
国道4号線にかかる歩道橋には日光街道の表示が併記されていた。
やはりこの方がよっぽど良い。街中の道路にも是非表示してもらいたいものだ。
帰りは夜になったが、名月を少し過ぎたが丸い月がやさしく光っていた。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/25 22:12

久しぶりの友に再会して・・・

今日は久しぶりの秋晴れとなり気持ちの良い日となった。
我が家の庭のみかんの実がたわわに実って、この夏暑かったのに豊作のようだ。
もっとも、この木は車の駐車には非常に邪魔になり困っている。
切ってしまおうかと悩んでいるのだが、せっかくたくさん実をつけてくれたのだから今年はもう少し実が大きくなるまで我慢しようと思う。
ところで、「たわわ」とは実がしなって枝が撓んだ状態を指す言葉であるが、「たわ」とはもともと縄文語で「峠」を指す言葉だという。
いろいろな所にこのような言葉が残っているのは面白いですね。
 さて、昨日は横浜の方で大学の研究室の先生の喜寿をお祝いする会に出席してきました。
卒業して35年以上たつのですが、卒業以来あったことのなかった仲間に久しぶりに会えた。
最初は皆おっさんになっており、わからない人もいたが、話しているうちに昔のことが蘇ってくるから不思議である。
先生には結婚式の仲人もしていただきお世話になっているのにお会いするのも本当に御無沙汰をしてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
ご病気もされ、少し介護が必要なご様子であったが、奥様はじめお子様方と一緒に元気な姿を拝見し大変うれしい日でした。
研究室で一緒だった先生方も皆覚えていてくださり、昔一緒に山に登った話や、暇な時に囲碁に興じていた思い出などを懐かしく思い出しました。
企業にいると出世などで人間の価値を判断してしまいがちですが、学生の頃の友とはこんな壁はすぐなくなります。うれしいことです。
 今日ネットで石岡の訪問のブログなどを探していたら、茨城空港へバスで行ったブログがあった。
石岡駅から片道600円で、往復で1000円だという。
行きは3-4名の乗客で、空港には車で来ている人は結構いたが、帰りにバスに乗ったのはその人1人だけだったとのこと。
これでは、このバスも廃止になってしまいそうです。
排ガス規制などもあるのだから、何か有効な手は打てないものだろうか?
お客さんをもっと呼ぶ工夫をしなさいよ。
バスに乗ったら何か得になるようなことは考えられないの?
もうこの先を危惧しなければならないのでしょうか?
工夫もないままではとてもやっていけない。
空港の近くに何かイベント会場を作って東京からの観光客も呼び込んだり、ちびっこのスポーツなどの祭典をやったり同時にいろいろとやらなければ空港は単なる通過地点で終わってしまいます。
目的が活性化ではなく、単なる箱モノや道路建設のためだけなのでしょうか?
大きな枠でものをとらえていきましょうよ。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/26 15:57

朝顔に葦簀(よしず)とられて日陰となり

 今日は秋晴れで気持ちの良い朝を迎えました。
我が家では今年の夏は暑く、リビングに注ぐ東からの日差しが強いため、高さが2m位あるよしず(葦簀)を2枚置いていました。
そこに朝顔の鉢をおいておいたため、つるが絡みついてしまいました。
せっかくの朝日を取り込みたいので、どけたいのですが、今頃になって花がたくさん咲きました。
asagao.jpg
この朝顔は琉球朝顔と言いますが、調べてみると朝顔の種類の多いのにビックリ。
また、日本に伝わったのは奈良時代末期に遣唐使によって伝えられたといいます。
また江戸時代にはブームになって沢山の品種改良がおこなわれたというので驚きですね。
種子は牽牛子といわれる生薬になるそうですから、意外に役にたっていたようです。
 今日のニュースで「茨城県住宅供給公社が破産申し立て」とありました。公社が破綻するなど考えられないのですが、この負債のツケが県民1人当たり2万円というからあきれてしまいます。
また、「まんが日本昔ばなし」のアニメを制作したグループ・タックが破産手続とも載っていました。
少子化の影響と解説されていましたが、本もあまり読まなくなったのかもしれません。
一方、講談社の創業100周年記念出版として「日本むかし話」が読み聞かせCD付きの絵本で発売されていました。
子供に読み聞かせをすることは、子供の成長にとても良いと思っています。
 それから、今度のNHK連続テレビ小説「てっぺん」の音楽担当は「啼鵬」さんです。
お父さんの松本定芳さんとは知り合いで、我が家の子供たちも音楽の手ほどきを一時受けていました。
今後、益々のご活躍になられるよう、応援していま~す。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/29 20:26
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