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月山寺(桜川市)

 桜川市の月山寺はこのブログでも数回紹介していますが、紅葉の頃がきれいなので寄ってみました。
しかし、今年の紅葉は良くありません。一部はすでに色あせているようですが、聞いてみるとまだ1週間くらい早いといいます。

でも一斉に紅葉しないとどうもダメですね。

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この手水鉢? ししおどし? 水が少ししか流れていないのではっきりしませんが手水鉢のようです。
この竹組は今までなかったのですが・・・。

あれ! 長生きできるという水かけ亀さんたちはどこにいった??

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京都風の枯山水(築山)の庭園がありますが、もみじの色は今一つ気にいりません。
今年はあきらめですね。

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この松は五葉松といい、樹齢700年くらいだそうです。本堂は江戸時代初期の建築です。

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筑西・桜川地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/11/22 19:30

椎尾薬師(桜川市)1

 以前徳一法師が筑波山周りに配した「筑波四面薬師」の記事を書きました。(こちら

その四番目に紹介したのがこの椎尾薬師(椎尾山薬王院)です。ここの三重塔と紅葉が名物なので行ってみました。

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この薬師様も山の上の方にあるのでこのような道を登ります。
昔の山道はほぼ薬師に直登する様に階段があったようです。
道がそのような時にどのように三重塔や薬師堂を建てたのでしょうか。

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そのような山道をやっとの思いで登って来た時にこの山門が目に飛び込んでくるのです。
素晴らしい造りです。この山門の左右にはものすごく大きな下駄と草鞋の履物が取り付けられています。
ここに来る前に茨城県北部で震度5強の地震があったようです。
先に来ていた人とお話ししましたが、上の塔の近くで大分揺れて恐かったそうです。
この石段のズレはいつズレたのかはわかりません。今度の3月の地震でも影響はあったはずです。
上にある石灯篭の頭部分などは取れて崩れたものはありました。

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紅葉も始まっているのですが、もう少しですね。

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この鐘楼もいいですね。かなり大きいです。向こうに見えるのは1704年に建てられた県の文化財です。
右手の屋根が見える部分は本堂で、1680年の建立です。

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椎尾山は椎の木がたくさんあったのでこの名前になったようです。
この薬師には椎の木(スタジイ)の大木が何本もあります。
樹齢は500年くらいのようです。

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この山の入口でまた迷ってしまいました。案内板を見つけられなくて前の通りを行ったり来たり。
前に来た時に湖があったことを思い出してわかりました。
帰りに見たら案内板はあったのですが、少しわかりにくいですね。

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筑西・桜川地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/23 17:59

椎尾薬師(桜川市)2

椎尾薬師(薬王院)の続きです。

この薬師さんはじっくり見ると色々なところが見ごたえのある薬師さんです。
昔は麓から上まで真っ直ぐ階段を登っていたのでしょう。
そして、そこの木々の間から仁王門が見えるのdす。

この美しさは、車の道がついて簡単に登れるようになると感激は半減してしまうでしょう。

徳一法師が建てた寺院は全て山の中腹や上に建てられたものがほとんどです。山岳信仰があったと思います。

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この三重塔はみごとだな。山の中の風景や木々、花などとマッチしますね。塔は釈迦の納骨場所だといいますが、美的に見てもとても美しいです。そして日本の寺に似合います。

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これは入口山門の頭上に彫られた龍です。

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山門の左右には大きな仁王像が置かれていますが、その仁王様の裏側にこのように風神・雷神?像があります。

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薬王院のほんどうのわきにはこのようなたくさんの小さな地蔵さんが置かれていました。

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本堂の彫り物も立派です。これは建て直されたものかもしれません。

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こちらは三重塔の彫り物です。この塔は1704年の完成です。
この塔の(大工棟梁)櫻井安信によるもので、後に成田山新勝寺の三重塔も建築しています。

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こちらも三重塔の彫り物です。



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筑西・桜川地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/24 06:08

雨引観音(桜川市)(1)

 ここ雨引観音はこの辺りでは有名な観音様だ。

かなり遠くまで名前が知れ渡っている。

寺に書かれている説明書きによれば

「雨引観音は、雨引山楽法寺と申し、用明天皇のころ(6世紀末)梁の国人の法輪独守居士によって開かれた、厄除・延命・安産・子育ての霊験あらたかな、延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊とする坂東観音霊場第二十四番札所の名刹です。・・・・・・・・」

と書かれています。

最近は花の寺としても有名で、特に紫陽花の頃は多くの人が訪れます。

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入口の仁王門(県指定文化財)。入口階段の両側は紫陽花の木です。

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入口の山門(薬医門)を少し上から。木々がきれいです。
この薬医門は室町時代に建立されたものだそうです。

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仁王門横の鐘楼堂(当初1254年建設されたものを1831年再建したものだそうです)から本堂を見上げたところです。

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この仁王門は県指定の文化財です。享保年間(1716~36年)に再建されたものです。

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ここを安産祈願で訪れて、子供が授かってから子供を連れて「お礼まいり」に多くの方が訪れます。
この日は七五三の前後の日曜日とあって、子供連れの方がたくさん来ていました。(11月20日)



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筑西・桜川地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/11/24 18:28

上野沼(桜川市)

 昔の新治郡である協和町の方にいく途中の桜川市(旧岩瀬町)にきれいな湖がありました。

「上野沼」と言うのだそうです。

江戸時代の1650年頃に造られた灌漑用の湖だそうです。

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日曜日だというのにほんの少しだけ釣り人がいるだけで、とても静かです。

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桜の木が210本程あるそうで、春はきれいなのでしょうね。

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この沼も車の通る主街道(国道50号線)脇にありますが、まったく車の影響はありません。
クヌギ、アカマツ、コナラなどの森があり動植物も豊富で、自然環境保全地区に指定されています。

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都会だったらきっと親子ずれでにぎわいそうですね。田舎は自然がたっぷりありますよ。

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筑西・桜川地区 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/11/25 19:18

雨引観音(桜川市)2

 今日は雨引観音の続きです。
1400年以上の歴史を持つこの雨引観音(あまびきかんのん)について、少し歴史的なことも書いておきます。

ここは安産、子育て、延命祈願のほか、昔はやはり雨乞いの祈願所でもありました。

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雨引山に登る山道で。

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雨引観音(楽法寺)も古木が多い。花の寺としても有名らしいが、やはり歴史的な重みを感じる。

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入口にある仁王門(2階建ての楼門)です。最初は建長6年(1254)に建立され、鎌倉時代の仏師康慶 の彫刻した仁王尊が祠られています。
しかし門は焼失して、天和2年(1628)に再建されたものです。
門の上の彫刻は見事です。宝永(1704)年中無関堂円哲が彫刻したものと伝えられ、日光の東照宮を少し思い起こします。

家康とこの雨引観音との関係が何かありそうです。徳川幕府によって庇護されたようです。

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向かって左側が「多宝塔」で江戸時代の嘉永六年 1853年の製作です。高さは22m。
右側が本堂(観音堂)で宝永七年 1710年建立されたものです。共に県指定の文化財です。
中央は本堂の入口で、ここから入り渡り廊下を歩いて本堂に行きます。

この雨引観音(楽法寺)は6世紀末ごろ(寺の説明書では587年)に中国梁の国人の法輪独守居士によって開かれたと伝えられ、本尊の延命観世音菩薩は国指定重要文化財に指定されています。

天平時代には光明皇后の御願によって安産を祈願し勅願寺となり、建長6年(1254)後嵯峨天皇の皇子宗尊親王により三重塔・仁王門・鐘楼堂・客殿・不動堂が建立されたが、兵火で焼けてしまい。再建されています。
この時本尊の観世音菩薩は自ら大木の陰に身を移して難を逃れたと伝えられています。

この本堂などの焼けた後に謎の覆面の職人たちが集まって仮本堂が17日間で完成したと伝えられ、この職人たちを指揮していたのが鬼の面をかぶった白馬にまたがった鬼神であったことから、この寺の「マダラ鬼神祭」が始まったといわれています。

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仁王門の近くに立つ「地蔵堂」です。建長6年(1254)の建立した建物で、内部には享保年中(1715)仏師無関堂円鉄(円哲)が彫刻した地蔵菩薩(子安地蔵)が安置されています。

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本堂のある境内の高台より筑波山を望む。左下に見えるのは「仁王門」右側に見えるのは「鐘楼堂」です。
この鐘楼堂は建長6年(1254)に建立されたが、焼失し天和2年(1682)に再建。しかしこれも大破したため、文政13年(1830)に再度建立したものだそうです。

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「東照山王権現社殿」
社殿内から徳川家康神像と徳川将軍歴代(十四代)の位牌や東照大権現宮と山王権現宮の標札が発見されています。
寺伝によれば、慶長18年(1613)5月に徳川家康公に寺領として朱印百五十石を賜り、家康の死後、寛永2年(1625)に家康公を祀るため、境内に東照大権現(徳川家康の神号)の祠堂を建立したといいます。

その後、享保12年(1727)に仏師円哲により現存の東照宮を再建し、地主大権現として家康家光を合祠したとのことです。

この雨引観音(楽法寺)にきて、その彫刻などや色使いなどから日光東照宮を思い浮かべたのも頷けます。

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筑西・桜川地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/11/26 17:30

富谷観音(桜川市)(1)

 この富谷(とみや)観音に三重塔があることは前に写真などを見て知っていたが、あまり良く知らなかった。
今回、雨引観音によった時に偶然案内看板を見つけて寄って見ることにした。

この三重塔は想像以上に素晴らしいものだった。
何故このように素晴らしいものが世に知られていないのだろうと不思議だ。

案内に従ってそのまま富谷山の麓の入口登り口に到着した。

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ここから上の富谷観音(正式名称は小山寺)まで階段が続いているが、ここから上るのはかなり大変だ。
かなりの急勾配で健脚の方以外にはお勧めできません。
この階段入り口横から車でも登ることができ、ここから上ったのだが途中でほとんど車同士のすれ違える場所がなく車の方は西側から大型バスも通れるきれいな道路が整備されているのでそちらから上ってください。

この階段登り口に設置されているのは「富谷観世音」の石碑と文部省の重要文化財建造物「小山寺塔婆」の碑です。

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1週間くらい前ですが紅葉も程よく色づいていました。

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上に上って小山寺への上り道端に観音様の石像が置かれています。それほど大きなものではありませんがいつごろのものでしょうか。

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富谷観音(小山寺)には三重塔があります。この詳細はまた後日紹介しますが、一時国宝に指定されたものです。現在は国の重要文化財建造物となっています。

椎尾薬師や雨引観音の塔は県の重要文化財であるのに比べるとこちらの方が格上ですね。
山の木々の間に聳える塔は素晴らしいですね。
山岳信仰の極みがここにあるように感じます。山の下から歩いて登ってきて塔が天に向かって聳えている姿は本当に素晴らしいものです。

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「鐘楼」

小山寺(富谷観音)の歴史的な紹介は次回にします。



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筑西・桜川地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/11/27 17:03

富谷観音(小山寺)2

 富谷観音の続きです。

この富谷観音は正式には「天台宗 施無得畏山宝珠院 小山寺」といい、富谷山の中腹(ほぼ頂上近く)に天平七年(735)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山したと伝えられる古刹です。

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この本堂は建てられた時は現在地より大分手前の方にあったそうですが、山津波か何かで土台から崩れ、江戸時代に現在地に1.5分の1の大きさで再建されたものだそうです。

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本尊は行基の作と伝えられる十一面観世音で、開運、安産、子育てに霊験あらたかと言われています。
この十一面観音像は1丈6尺(約4.85メートル)の大きなものだそうです。

本尊の十一面観音は行基の作、不動尊は慈覚大師作、多聞天は運慶作だと言われているようです。

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本堂の上部に彫られた立派な龍の彫刻。

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この三重塔は国の重要文化財で、室町時代の寛正六年(1465)に下妻城主多賀谷朝経が再建したものです。
本堂および仁王門(鎌倉時代の運慶の作といわれる)は県の重要文化財に指定されています。

仁王門には毘沙門天と不動明王の像がある楼門だそうですが、少し下の方にあるようで、下りてみなかったので見過ごしてしまいました。残念です。

鐘楼は享保17年(1732年)建立だそうです。

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丁度もみじも紅葉してきれいでした。

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この本堂が、写真右側の崖の位置に昔あったそうで、山が崩れて倒れ、現在地に再建されたものです。

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この三重塔などは国宝でした。しかし少し格下げされて国の重要文化財となりました。
このいきさつはわかりませんが、現在の保存状態などが少し心配されます。
とても素晴らしいものだと思います。でもほとんど知られていません。

是非国の宝として保存していってほしいものです。

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筑西・桜川地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/11/28 07:16

三重塔

 先日紅葉巡りで訪れた筑波山系裏の寺院には立派な三重塔がたくさんあるのに驚きだった。
少し比較してみたいと思いまとめて紹介することにした。

1)椎尾薬師(薬王院)の三重塔

この塔は江戸時代 宝永元年 1704年の完成です。県指定文化財、銅板葺、高さ 25m

この塔は(大工棟梁)櫻井安信によるもので、八年後、成田山新勝寺の三重塔も建築しています。

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2)雨引観音(楽法寺)の多宝塔

ここは三重塔ではないが、昔は三重塔でした。

天平年中(730)光明皇后がお産の際にここ雨引観音に安産祈願をし、安産であったので、三重塔を寄進したといわれています。また美智子妃殿下(現皇后)も安産祈願をされたそうです。

天和3年(1683)十四世堯長が、三重塔を再建しようとして良材を集めて塔の第二重目まで建設したが、病のため果たせず、十五世堯宗は先師の遺命を奉じて翌 貞享元年正月、工事を進めて円成(仏の心を成就すること)しました。

嘉永6年(1853)元盛暢光両師協力して十万人講を勧進して、三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔です。

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3)富谷観音(小山寺)三重塔

国の重要文化財、室町時代の寛正六年(1465)に下妻城主多賀谷朝経が再建したもの。
大工棟梁宗阿弥家吉等によろ造営と相輪の宝珠の刻銘に記されているそうです。
とち葺、高さ 21.4m

このような和様の三重塔は、関東以北で建てられた最古のものだそうです。

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4)板橋不動尊(つくばみらい市)

板橋のお不動さんと親しまれる願成寺の三重塔。
関東三大不動尊の一つと言われているお不動さんです。
もっとも高幡不動と成田山新勝寺までは入るが、三番目となるとたくさんある。

県指定文化財、江戸時代 安永元年(1772)の建造です。銅板瓦葺、高さは 25.1m

願成寺は平安時代の、大同3年(808)に弘法大師により開かれたといわれ、大師が刻んだと言われる不動明王を本尊としています。

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その他、関東で最古の多宝塔と言われる竜ヶ崎市にある来迎院を入れるべきらしいが、いっていないのでまたそのうちに載せられたら加えたいと思います。

また、栃木県益子にある「西明寺」の三重塔も比較的に近く素晴らしい塔だそうだ。
今度行ってみたい。

わかりやすいように一覧表にしてみよう。
1)椎尾薬師(三重塔):1704年(江戸時代)25m 県の重要文化財
2)雨引観音(多宝塔):1684年(江戸時代)22m 県の重要文化財
3)富谷観音(三重塔):1465年(室町時代)21.4m 国の重要文化財
4)板橋不動尊(三重塔):1772年(江戸時代)25.1m 県の重要文化財
5)西明寺(益子)(三重塔):1539年(室町時代、戦国時代)18.2m 国の重要文化財
(注:滋賀県にある同名の西明寺の三重塔は鎌倉時代の作で国宝)
6)来迎院(竜ヶ崎)(多宝塔):1556年(室町時代、戦国時代)13.1m 県の重要文化財

薬師

(板橋不動尊はもっと南にありますが、載せていません)

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筑西・桜川地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/11/28 20:47

下谷貝市村家と天満宮

 石岡から県道7号線で上曽峠を越えて真壁町(桜川市)に入り、下館に向かった。
真壁の街を通り過ぎてしばらく行くと県道148号線と交差する。
この旧道側の交差点「下谷貝(しもやがい)」のすぐ近くにこんもりした木々で覆われた場所があった。

近くに車を停めて行って見た。

ブログを始めてから、何でも気になるとすぐに見に行くようになってしまった。
でも何もないことも多いし、後から別な記事からあの場所だったのかなどと記憶が蘇ることもある。

今回はどちらかと言うと何が何だかわからなかったが少し調べていると面白くなってきた場所だ。

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県道7号線より北にすこし入ったところの一角に鳥居があった。
「下谷貝天満宮」と書かれていた。

天満宮なので菅原道真を祀る。

この辺りはやはり天満宮が多い。

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裏通りの角にこの天満宮があるが、神社の裏手に深い森が続いている。
神社の敷地かと思ったが全く違っていた。
大きな古いお屋敷で、今もここに人が住んでいるようだ。

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神社の説明板によれば、天正年間の1580年頃に河内国からこの地に移住してきた市村家が、道明寺天満宮((大阪府藤井寺市)から分祀したものだそうだ。

しかしこの市村家はここで真壁氏の家臣となり、当時真壁氏はすでに佐竹氏一門となっていた。

この佐竹氏が常陸国を統一するが家康から出羽(秋田)への国替を命ぜられ、真壁氏も秋田へ移った。

しかし、家臣は全て連れて行けず、この市村氏はバラバラになったようである。
この下谷貝では、この辺り一帯の城跡を所有し大きな地主として残ったものかもしれない。

しかし、新撰組に「市村 鉄之助」という人物がいて、函館戦争で土方歳三の遺品を預かり、五稜郭を抜け出して政府軍の包囲をかいくぐり日野の土方の親類佐藤家に届けたことが伝わっているが、この市村鉄之助はここ真壁の市村家の分裂の際に美濃大垣藩に移った家柄のようだ。


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神社を少し回り込むと木々の間に屋敷の門が見えてくる。

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この門は市村家の門で、現在も使われている。
昔はここに城の屋敷があったようだ。

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もう一つ藁葺の門が置かれていた。通用門と勝手門?などとわかれているものかもしれない。

何も書かれてものは置かれていない。
とても大きな屋敷だ。


筑西・桜川地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/10/13 18:07

雨引山(楽法寺)へ

 土曜日はまだ雨も降らなかったので、息子夫婦と孫の成長祈願に雨引山へ行ってきました。

私たちの孫たちはイギリスの孫を含め皆この雨引山へ護摩供養に行っています。
今年2人孫が増えて4人となりましたが、イギリスの長女のところの2番目(7月誕生)を除いて3人目のお詣りとなりました。

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寺の入り口道路わきには曼珠沙華がきれいに咲いていました。

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寺の入り口の仁王門。
きれいな彫刻が施されています。
1254年建立の門ですが、彫刻は1704年の江戸時代です。
この寺は日光東照宮を彷彿させる雰囲気が各所にあります。

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立派な多宝塔と本堂です。

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本堂ではほぼ毎日護摩を焚いていろいろな祈願供養を1時間おきに行っています。
私たちの時は同じような赤ん坊や2~3歳ほどの子供を連れた親子が15組ほど祈願していました。

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放し飼いのクジャクもちゃんとあいさつにやってきました。

いただいた御札などは7歳の時に返しに行きます。

筑西・桜川地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/18 18:04
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