露盤石(付録)

 昨日まで3回に分けて石岡に残された「きんちゃく石」を紐解いてみた。
そしてそれが五重塔の露盤であるということで、いろいろ調べていたら、となりの筑波郡にも残されていることがわかった。

そこで、早速今日夕方に見に行ってきた。

それは古代筑波郡の郡衙とされる「平沢官衙」近くの北条地区の山よりの少し高くなった木々の林の片隅に置かれていた。

さすがにつくば市はこの北条地区も案内板は整備されており、「露盤石」とあちこちに出てくる。

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車を北条の通りから少し入ったところに止めて、案内板に従って上り道を進むと金網で柵のある木々の間にこの石が置かれていた。
その上には石祠が乗せられている。

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近くにこの露盤石の内容を説明するものは一切ない。
何かで読んででもこない限り、見ただけでは何かがわからないと思う。
信仰の石といった感じだ。

北条の通りには石の祠に「市の神」と名前をつけたものが2つあった。
こちらは明日紹介しようと思う。

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この古代筑波郡の郡衙(郡の大昔の中心役場のあるところ)の郡寺として「常陸中台廃寺」とか、「筑波廃寺」または「北条廃寺」などと呼ばれる廃寺があったという。

この寺の五重塔の露盤だとみられている。
大きさは一辺94cmの正方形で、厚さは25cm/35cmの台形、孔径34.5/35.5cmの少しテーパがついている形状だという。
石は花崗岩だそうだ。
これは茨城廃寺より小さい。
また作られたのは奈良後期と見られており、茨城廃寺よりも後のようです。

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こちらは探している人にとっては案内板はしっかりしており(これもおそらく最近)、場所はわかるが、説明は不足していますね。
それに、これもしっかり保存されているとは思えません。

すぐ裏が原っぱのようになっていましたが、建物を建設中でした。
このあたりが「中台廃寺跡」と見られているようです。
筑波山を望む良い位置に建っていたようです。



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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/05 21:24

つくば市北条(2)-五輪塔1

筑波山の麓にある北条地区はここから江戸時代の「つくば道」の起点の街となっている。
そしてそこに市がたち、門前町のような風情が残る。

北条の商店街の東端に「八坂神社」がある。
東端というよりもこの神社のところで道はクランクに曲がっている。

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通りの方から見ると東の正面突き当りに神社がある。
この西側階段もあるが、神社への正面入口階段は、南側から登る。

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石段の左右に、「庚申塔」や「十九夜尊」などいくつか石塔が置かれている。

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 天喜年間(1053~1057年)の創建といわれ、八幡太郎(源義家)を祀っているという。
(これははっきりしません。あまり本当とは思えないが・・・。祭神は牛頭天王か?)

本殿・鳥居は天保18年(1733)に再建されたものだそうだ。7月に祇園祭りが行われ、各町内からの山車や、神輿が町内を回るにぎやかなものだという。

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この神社のことはさておき、特に私が気になったのは、ここに茨城県内で2番目に古い(銘のあるものとして)戦国時代(1537年)の五輪塔があることです。
高さが2mもありますからかなり大きく見えます。

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この五輪塔は普通のものに比べ下から上まで石の大きさがあまり変わらない。
そのため、全体として大きく立派に見えます。

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この説明にあるように一番下の石の上にくぼみをつけて、そこに「経筒」が収められていたという。
これは変わっている。

普通、経筒は末法思想が流行った時に、筒にお経を入れて土に穴を掘って埋めたものがほとんどで、その他にお経を書いた小石を埋めたりもしたと前にも何箇所か説明しました。(経塚の話し

しかし、このような五輪塔に隠されたのは初めて聞きました。
この五輪塔は「八坂神社の別当である吉祥院の境内にあったが、明治の廃仏毀釈の際に現在の八坂神社境内に移された」とどの説明にも出てくるのだが、肝心の吉祥院はどこにあったのか?

分からずじまいだったが、またいつか別な資料でも探してみたい。
そうしないとどうも落ち着かない。そんな性分なのかも・・・・。

最初は少しだけこの北条地区の記事を取り上げるつもりでしたが、ここが常陸大掾氏(多気氏)の本拠地だったのだと今頃気がついて慌てています。

このことはまた後ほど書きたいと思います。

今日は石岡市柴間のギター文化館に「里山と風の声」コンサートに行ってきました。

会場はそれほど広くないので60人くらいで満員です。それも足りなくて椅子を追加して大変盛況でした。
それにとても癒される音で、気持ちもゆったり出来ました。
こちらの紹介もまた後でやりたいと思います。

今日は石岡の街中では夜になってお祭りの練習やら大変賑やかになってきました。
本当にお祭り好きが多いのでしょうね。

石岡のおまつりは今度の三連休の3日間です。午後2時頃から夜9時頃までやります。
是非お出かけください。

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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/09 21:10

つくば市北条(3)-五輪塔(2)

 昨日は北条の商店会の東端にある八坂神社に置かれた大きな五輪塔を紹介しました。

現地のイラストマップには反対側の西側に五輪塔の絵が描かれており、「多気太郎の墓」となっていました。

これを見た時にすぐに気がつかなかったのですが、多気太郎を調べると多気義幹(たけよしもと)のことだとなっています。

うかつにもすぐに気がつかなかったのですが、この多気義幹は石岡の歴史に名を刻んでいる重要人物です。

この北条の裏手の小高い山が多気城山または城山(じょうざん)といって幻の多気城があったところだそうです。

あまりに古いので遺構もはっきりしないようですが、この多気城は多気(平)維幹(これとも)が西暦900年頃に筑波の水守からこの地に移って建てた城とされています。

多気維幹(これとも)はその後常陸大掾(だいじょう)職にに任じられて、石岡の大掾氏の世襲が始まったのだから、石岡から見てもこの地はとても縁の深い土地とも言える。

しかしどういうわけだか、石岡の歴史ではほとんど論じられない。この多気氏が常陸大掾氏と言われたのは6代目の多気(大掾)義幹(よしとも)までで、この義幹が「多気太郎」とこちらでは呼ばれて親しまれているそうだ。

 歴史を紐解くと、多気義幹は八田知家(ともいえ)(小田知家)の曽我兄弟の仇討ち事件の時に、源頼朝に「義幹に謀反の動きあり」との換言で鎌倉に呼びざされ、大掾職を解かれ、所領を没収されて多気氏が滅びてしまいました。

しかし、この大掾(だいじょう)職は八田氏には行かずに、多気氏(平氏)と同族の水戸の吉田氏に引き継がれます。

そして、石岡の府中城が築かれます。
ということは多気氏はこの北条一帯が所領の中心で、1193年までは、常陸国の国府は石岡の地にあったが、それを治めていた多気大掾氏はこの北条地区に居を構えていたことになります。

今考えてもかなり離れています。
馬で行くにしても峠を超えていくか、ぐるっと回っていかなければなりません。

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これが多気太郎の墓といわれる五輪塔です。
かなり大きな花崗岩のようです。
普通の墓に比べると見るからに大きいです。
時代的にも八坂神社の五輪塔よりは古いでしょう。(八坂神社:1537年、多気太郎:1193年?)

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地元の人に大事にされているようです。
塔婆と花が置かれていました。
確かに多気太郎となっています。

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 現地の説明石碑です。

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この五輪塔の周りは畑や田んぼが広がります。

確かこの向こうの小田城の跡にも比較的大きな五輪塔があったように思います。
北条、小田、新治地区に残された五輪塔を調べて比べてみるのも面白そうです。

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北条の商店街に通りももうハズレの場所なのですが、そこから比較的狭い道を少し入ったところにこの五輪塔があります。
この日も暑かったので、皆さん涼んでいるのでしょうか?
五輪塔は写真の先の右側にあります。



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つくば市北条 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/10 20:08

つくば市北条(4)-五輪塔(番外)

 つくば市北条の八坂神社に県指定文化財に指定されている戦国時代の五輪塔があったが、この説明によると「天文六年(1537年)建立の在銘五輪塔は県内では新治村の頭白上人五輪塔(永正十二年1515年)についで古いものである」と書かれていた。

この八坂神社の五輪塔を県内2番目に古いと書くと少し誤解を受けそうだ。
この説明にあるように銘が刻まれているものとして古いというので良いのだろう。
それにしても大きので墓とは違うのかもしれない。

 この北条地区はもっと紹介しておきたいところも多いが、この最も古いとされた「頭白上人五輪塔」を石岡に戻る時に偶然発見したので、北条地区とは離れているが、紹介しておきたい。

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場所はつくば山の採石場や射撃練習場などがあるところといえば、近くを通った方ならすぐにわかると思う。

昔から毎日にのように山を崩して砕石をしています。
道路を作るのに使われているようです。
年間どれくらい山が小さくなっていくのかわかりませんが、まだまだ掘るんですね。

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ここは今は土浦市ですが、その前は新治村です。
地図には「金嶽神社」と書かれています。塚田陶管の工場のとなりです。

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それにしても大きな五輪塔です。
北条の八坂神社の五輪塔は2mくらいでしたが、この塔は3.6mもあります。

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「頭白(ずはく)上人」が母の供養のために建立したとなっています。
1516年の建立と書かれていますが、つくば北条の五輪塔のように一番古いとは書かれていません。
何故? 単に気がついていないだけか?

おそらくこの場所を訪れる人はこの採石場などの関係者や地元の方以外には少ないように思う。

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この金嶽神社は小田氏治の家臣、「小高知常」が天正2年(1574)にこの地に移り住んで、石崎の蔵王山の上に建立したといいます。

昭和50年にこの神社の場所が採石場にかかってしまい、この今の場所に移されたものだそうです。

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こちらが本殿ですが、本殿も別に鳥居があります。
本殿は江戸末期に再建されたものだそうです。

神社の周りは手入れされ、砕石業者などの信仰も集めているように感じました。



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つくば市北条 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/11 20:00

つくば市北条(5)-日向廃寺跡

 つくば市北条地区が気になって少し見て歩いたのだが、おまつりの記事が入ってしまい少しあいだが空いてしまった。

この地区はとても不思議なところだ。
石岡に似ているところが多いが、大きな五輪塔などはまた違った文化があったようだ。

石岡は常陸国の国府があったところと自慢している。

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石岡駅の名所案内。一番下に「常陸大掾平氏歴代の墓」とある。
これは平氏の福を願う寺として紹介した「平福寺」にある五輪塔のこと(こちら)だが、石岡ではその中心にある一番大きなものは「平国香」のものではないかと密かに囁かれている。

常陸大掾(だいじょう)は役職が名前になった全国でも珍しい氏族だが、ここつくば市北条に来たら、やはりこの考え方(国香の墓)には同意できない気が強くなった。

もともと国香は石田館(明野)にいたし、ここに墓と言われるものもある。

北条はその後に常陸大掾になった多気(たけ)大掾が6代までいた。
そして、八田氏(小田)の換言で頼朝に地域を没収されてしまって滅びた。
その後の常陸大掾はこの多気氏とは同族の水戸にいた吉田氏(=馬場氏)(水戸城=馬場城)が継いだ。
そして府中(石岡)に府中城を建てた。

しかし、この北条地区はそれから小田氏の領地になったのだろう。

そして、多気氏の大掾は今でもこの北条にて慕われているようだ。
多気氏が6代、その後1590年に滅びるまで7~22代が吉田氏が常陸大掾氏ということになる。

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今日は少し変わった場所を見つけたので紹介します。
「日向廃寺」と書いてありました。

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これは、写真に写っているように市営アパート? を建設するときに発見されたものだそうです。
アパートの公園のような広場が広がり、そこに何箇所か建物の土台を現す長方形の盛土があります。
ただ普通の寺跡のイメージとはかなり違っています。

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この説明によれば、多気氏が建てた寺の跡だろうと書かれており、特に注目すべきは宇治の平等院の鳳凰堂と同じような寺院様式だったと書かれています。

これは珍しいです。

平泉に残されている「無量光院の跡」もこの鳳凰堂を真似て作ったものだろうといいますので、
こんなところにもし本当に鳳凰堂を模した建物があったというのは当時の多気氏の力を想像させるものがあります。

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幻の多気城と言われていた多気氏の城跡は、この裏山の上です。



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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/18 19:59

つくば市北条(6)-毘沙門天種子

 昨日日向廃寺跡を紹介したのですが、すぐ近くに変わったものがありました。

「毘沙門天種子板碑」と書かれています。
毘沙門天は聖徳太子や上杉謙信が信奉していたインドの神様ですよね。
四天王寺に祀られていますが、毘沙門天の種子=たね?? て一体何?

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道の角に案内板、小さなお宮?とともに石碑のようなものが置かれていました。

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これが毘沙門天種子だそうです。

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一般的には毘沙門天(多聞天)は像を信仰していますが、これは毘沙門天を表す梵字で「ベイシラマンダヤ」ということを表したものだそうです。
文字の上には宝塔をほっているのだそうです。

さて、「種子」は「しゅじ」と読み、梵字のことを指すのだそうです。
種子または悉曇(シッタン)とも書くそうです。

鎌倉時代のものですから、800年以上前になるのでしょうか。
材質は「黒雲母」だといいます。

確かに珍しいものですが、「種子」なんて書かれると何かのタネかな?なんて考えてしまうのは知識がなさすぎるのでしょうか。

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すぐ近くは竜巻の被害の跡がたくさんありました。
すぐ先にあった石碑のとなりに「虚空像尊」と書かれていました。
この空き地に何かがあったのでしょうか?

写真の奥の家の工事はおそらく竜巻で破損した家を修理または建て直しているものと思われます。

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上の写真は北条の「つくば道」の入口から少し登った辺りで、北条小学校の近くです。
あちこちビニールシートが目だちます。
また家の工事中がやたらに多く目につきました。

竜巻のすぐあとは被害がとてもひどいものだったそうですが、どうにか頑張って復興してきています。

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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/19 20:19

つくば市北条(7)-無量院

 つくば市北条地区を散策した時の記事を載せていますが、この地区は江戸時代から残る商屋、店舗、蔵なども多く残されています。

そして、徳川の鬼門の方角(丑と寅の間の方向=東北方向)の守り処として筑波山の「中尊寺」が手厚く扱われて、この筑波山中尊寺、筑波山神社の門前町として賑わったようです。
家光の時に現在残されている多くの文化財が造られたわけで、この工事にあたってもここから山に登る道が開かれたようです。

明治になって寺が取り壊されて、現在の筑波山神社だけが残され、後から大御堂を古民家を移築して寺を再建をしたと聞いています。

さて、このため、一般に、北条の歴史の説明はこの江戸時代の面影を追い求めすぎているように思います。
しかし、多気(たけ)氏6代に渡る歴史があちこちに残されてもいるようです。
多気氏がここで勢力を張っていたのは、西暦990年頃から1192年の約200年間です。

多気太郎の墓と言われる五輪塔のすぐ北側の山(多気城があった?)の麓に梅松山光明寺「無量院」(時宗)というお寺があります。

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少し山の方に登っていったところの左側にあります。

現地の説明板によれば下記。 あまりそのまま載せてもどうかとも思うが・・・。

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多気氏が滅んですでに800年以上が経ちますが、今でもこの寺では多気氏を慕っているのがわかります。

先日紹介した「日向廃寺」が焼けてしまったが、この廃寺がこの無量院であったという話もあるようです。

 当初は天台宗だったが、呑海上人がこの寺を訪れ、多気太郎を供養し、時宗に改めたという。

このちに移ったのは、嘉暦年間(1326~1328)に現在地に移ったという。また本堂は200年以上たったものだったそうですが、2004年に建て直したものだそうです。

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「北条さんぽ」の地図には、この寺に「石造多層塔」があると書かれていました。
そこで寺の裏に回ってみるとありました。

説明を書くのが面倒なので、書かれているものを写真に撮ってそのまま載せます。

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何故この寺に? と思いましたが。
これは1361年に建立された塔で、小田氏の家臣中久木家の墓地にあったものを移したようです。
このあたりは、多気氏が滅びた後に小田氏が1590年頃まで勢力を張っていたようです。

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無量院の入口に、小さなお宮が2つ置かれています。
向かって右側が「多気天神」で、左側が「多気稲荷神社」となっています。

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この「多気稲荷神社」と「多気天神」はともに、昭和61年2月再建されたと碑が置かれていました。

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多気天神さんは雨乞いの神様で、昭和初期までは雨乞いの行事も行われていたようです。

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無量院に登る坂道に「宝寿坂之碑」が建てられていました。
当然何かいわれがあるのでしょうね。
でもちょっと調べただけではわかりませんでした。
でも、知りたいと思っていれば、きっとそのうちに分かるでしょう。

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この無量院から南の北条の街の方を見下ろしたところです。
この方向に「多気太郎の五輪塔があります。

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つくば市北条 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/20 20:36

つくば市北条(8)

 数日前まで書いていたつくばし北条地区の記事がもう少し残ってしまいましたので、もう少し載せたいと思います。

 筑波神社への江戸時代の門前町と思っていたこの北条地区だが、見方を変えてみると違った側面があるように思う。
もちろん筑波山には徳一法師が建てた「中禅寺」という寺があり、この寺を徳川家康が、東北の鬼門の守りどころと定め、3代将軍家光により、寺の修復や門、鐘楼などが次々と整備された。
この時に、この北条から寺への登山道が整備された。

この前まではもっと東側から登る道(徳一法師が登ったとされる)もあり、石岡側から登る万葉の頃からの「府中街道」などもあった。

江戸時代も今は忘れられてしまった、水戸からつながっていた「瀬戸井街道」がこの参拝の道でもあった。

明治になり寺が壊され、神社が残ったが、この遺構を残す「六所神社」などもあり、後に古い民家を移築した大御堂が筑波神社の脇に建てられ、中禅寺を引き継いだ形になっている。

私はこのブログで調べる前まで、このようなことなど知らずに、万葉歌碑などを眺めて、神社にお参りして、山に登っていた。

そして、家光が寄進した鐘楼と思われるものが「泉の子育て観音」にあることを偶然知った。
これは本当かどうかは知らないが、不思議でもない。

 さて、今日は昨日紹介した「無量院」の東となりにある「全宗寺(ぜんそうじ)」を紹介します。
最初こちらが無量院かと勘違いしてしまったが、かなり古い寺であった。

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 北条の市街から多気山の方に入り、上り坂となって右手に駐車場があったので、そこに車を止めた。
この駐車場が全宗寺の駐車場で、無量院へはV字の道を左に進めば、少し先に無量院の大きな駐車場があります。

この全宗寺は写真正面に見えます。

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しかし、全宗寺の駐車場から階段で登れるようになっています。
しかしこちらは階段の右側には「弘法大師一千百年御遠忌記念塔」と書かれた石碑が置かれています。

全宗寺は真言宗豊山派の寺で、駐車場から登る階段の左側の建物に大きく「熊野山弥勒院大師堂」と書かれています。

寺の開創は応永2年(1385)といわれ、小田氏の滅んだ天正年間(1573-91)に北条治高の家臣、蜷川全宗が再興して、寺の名前も全宗寺になったそうです。

どうも歴史がわからないが、ここ北条にいたのは小田氏の一家であった北条治高のようだが、最後は佐竹氏と同盟を結んだのか?

しかし、北条氏も治高が最後のようです。

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その案内の下にはご覧のような古びた石像などが置かれています。
一番右にあるのはやはり「種子=梵字」でしょうか。

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「不動堂」です。
本尊は本尊は波切不動尊だそうです。

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弘法大師さまでしょうか。

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苔むした狛犬が迎えてくれます。

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こちらは寺の「法堂」だそうです。

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寺の前の空き地にある墓地ですが、かなり古そうです。
ここにもいくつも五輪塔があります。
誰のものでしょうか?

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写真に写っている木は樹齢300年以上と推定されているスタジイですが、数年前の写真を見るともっと幹が太くしっかりしていたようです。
このままでは樹勢が衰えてしまいそうです。

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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/24 20:50

つくば市北条(9)-熊野神社

 昨日紹介した「全宗寺」は熊野神社の別当寺であったと書かれていました。

別当寺は、神社に付属して置かれた寺のことだそうですが、この寺のすぐ東に熊野神社が残されています。

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このようにお墓の脇の道が山の方に続いており、石段が見えます。
熊野神社はこの石段を100段ほどのぼったところにあるそうです。
入口に車を置いておけなかったので、この上までは行く勇気もなく諦めてしまいました。
あまり大きな神社ではなく、小さなお宮が置かれているようです。

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入口に置かれた説明板です。
熊野信仰がさかんであった時にはかなり訪れる人もいたようですが、今は北条の街の通りにこの神社の鳥居が残されており、それがこのあたりでは最も古い鳥居だそうです。

この写真を撮ったのは、鳥居をくぐってくると、お宮との中間点付近になります。

ところで、この神社は「イザナギノミコト」を祀っているんですね。
何か不思議な気がしませんか?
何故イザナギなのでしょうか。

熊野神社といえば「熊野詣で」というように熊野三山の神様が祀られていると思ったのですが・・・。

調べてみると東北などでもイザナギ、イザナミを祀った熊野神社が多数あるといいます。
出雲の熊野大社はスサノオを祀っているそうですから、イザナギから生まれた神です。

そういえば常陸総社宮は6神が祀られているようですが、イザナギ、スサノオが入っています。
その他ニギニや大国主など・・・

天皇家の先祖に当たる神を祭っていると思われます。

これも六所神社などと同じような総社ですから、考えるとどこか不思議です。

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こちらはもう少し東側にある「鹿島神社」です。
やはり、熊野神社と並ぶように多気山(城山)の麓に置かれています。
建久2年(1191)に多気義幹が建立したと伝えられるそうですがはっきりしません。

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祭神についても書かれていないのでわかりませんが、鹿島神社ですから武甕槌(タケミカヅチ)を祀っていると思われます。


つくば市北条 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/25 20:08

つくば市北条(10)-北条氏

茨城県は3年間続いた魅力度ランキングの最下位を今年は脱出しました。
でも下から2番目。最下位は群馬県だそうです。
群馬県は温泉もあってとても好きなのですが、共にこんな順位ではダメですね。
もっと頑張っていきましょう。

 さて、10回目を迎える「つくば市北条」地区の記事です。
ひとまずこれで北条地区は終わりです。

この地区を調べていくと、石岡と同じように昔から面々と続く歴史が眠っているように感じました。

しかし、ここもどこかに忘れらてしまった歴史があるように感じてしまいました。

その一つが、この地名ともなっている北条氏です。

北条という名前は桜川の北側になるので北条と言われるよううになったと思う。
そこに城を構えたので「北条氏」と言われるようだ。
鎌倉では北条氏が大きな力を持っていた時代であるが、そちらとは直接の関係はないかもしれない。

北条地区を歴史散歩の案内板に従って歩いていくと道がないような北条小学校の脇道を歩かされた。
しかし、こんな感じの道はきっと昔はお城があった場所ではないかと感じた。

しかし、学校のHPにも出てこないし、北条散歩の案内にも何にも書かれていない。

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この小学校はこの地区では比較的高台で、こんな場所を中世の人がほっておくわけがないと思い、更に見ていくとここに「北条城」という城があり、北条氏の居城であったという記事を見つけた。

 前に述べた多気城はもっと高い場所で、こことは向かい合った場所となっている。
そして、多気大掾が滅びたのは鎌倉幕府が出来た翌年の富士の裾野での曽我兄弟の仇討ち事件のあとだから1193年頃。

その後に、この北条に来たのは宇都宮氏の系列の八田知家(多気大掾はこの八田氏の換言により滅びた)の7男である時家で、この北条小学校がある場所に城を築き、北条氏(北条時家)を名乗ったようだ。

また、八田知家はこのつくばから土浦に勢力を張った「小田氏」の始祖と言われている。

この北条氏はそれから300~400年間この地を領地として居を構えていたはずである。
しかし、これほどの長さなのにあまりその歴史を感じさせるものが少ない。
何故なのだろうか?

やはり多気太郎が今でも慕われているのと関係しているのかもしれない。

さて、この北条氏だが、小田氏とは同じ仲間であるはずだが、南北朝時代などを経て、敵も味方も入り乱れてしまったようだ。

石岡市片野に城を構えた佐竹氏側の太田三楽斎(資正)と手を結んで、小田氏を攻めたりもしている。(三楽斎についてはこちらに記事を書いています)

天正10年(1582)に下妻の多賀谷政経に攻められ北条城は落城したという。
石岡の大掾氏が滅びた8年前である。

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北条小学校の前から筑波山を見る。
多気城山はこの左手の家屋の裏手の方に見えますが、写真は撮っていません。



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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/27 19:46
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