道の駅
石岡に道の駅をつくるという話があると聞いた。現在建設が進んでいる朝日トンネルの近くに計画されているらしい。つくば側からトンネルができれば朝日峠越えの道が大分近くなり笠間側や茨城空港なども近付くだろう。八郷地区の観光も脚光を浴びてくるかもしれない。頑張ってほしいと願っている。
道の駅は現在茨城県にはまだ9か所しかない。栃木19、群馬21、千葉21、埼玉19箇所などと比べても極端に少ない。似たような設備としてロードパークや直売所的なものもあり、区別がつかないほど似通ったものもある。たとえば「かつら」と「みわ」の間の緒川地区に「かざぐるま」(水戸黄門に出てくる風車の弥七の墓が近くにある)という施設がある。紙すき場の跡もある。

「風車の弥七の墓」(本当にいたの?)
これは茨城県北西部を対象としたグリーンふるさと振興機構(財団法人)が運営しているようだ。見た目では区別がつかない。多くが地元を中心とした特産品を売っているという印象だが、あまり変わり映えしない。みわ(美和)の方にはよく行くので、「道の駅みわ」には何回か立ち寄ったことがある。比較的大きく観光バスも結構来ていた。売り物は「満天トイレ」と北斗星をイメージした建物やレストランだ。私の「歴史の里美和編」にも近くの歴史の情報を載せており、非常に興味のある地区でもある。石岡と売り込みものは似てくるかもしれない。星を見るイベントを毎年行ってもいる。しかし、ここの黒字?はこれだけではないように思う。この地区はシイタケの栽培がさかんで、リンゴなどもつくられている。売店でリンゴを買おうとして驚いた。売っていたのは長野県産(信州リンゴ)だけで、大量に仕入れて安く売っていた。実に商魂たくましく熱心であった。朝日トンネルを抜けたあたりは果樹が盛んだ。しかし、時季が決まっている。当然果物狩りとタイアップして大型バスが何台も止められるスペースがほしい。フラワーパーク、薬師古道や小町の北向き観音堂も近い。しかしこれだけではきっと他とかわらない「道の駅」にしかならないように思う。八郷のシャモ料理、有機野菜の里、かやぶき屋根の民家・・・・。少し工夫が必要だなあ~。
CAS冷凍設備をして年中果物も、牡蠣、アンコウなども何時でも美味しく食べることができる設備などがあったらな~。CAS冷凍設備は以前から私が気に入っているものだ。柏の近くにあるアビーという会社がやっている。おもしろい社長さんだ。テレビで拝見したが、とても好きである。冷凍したものは東京やつくばなどに卸すこともできる。なんて自分がやるわけでもないのに・・・・。発想を柔らかくして、発展を願うのみである。
道の駅は現在茨城県にはまだ9か所しかない。栃木19、群馬21、千葉21、埼玉19箇所などと比べても極端に少ない。似たような設備としてロードパークや直売所的なものもあり、区別がつかないほど似通ったものもある。たとえば「かつら」と「みわ」の間の緒川地区に「かざぐるま」(水戸黄門に出てくる風車の弥七の墓が近くにある)という施設がある。紙すき場の跡もある。

「風車の弥七の墓」(本当にいたの?)
これは茨城県北西部を対象としたグリーンふるさと振興機構(財団法人)が運営しているようだ。見た目では区別がつかない。多くが地元を中心とした特産品を売っているという印象だが、あまり変わり映えしない。みわ(美和)の方にはよく行くので、「道の駅みわ」には何回か立ち寄ったことがある。比較的大きく観光バスも結構来ていた。売り物は「満天トイレ」と北斗星をイメージした建物やレストランだ。私の「歴史の里美和編」にも近くの歴史の情報を載せており、非常に興味のある地区でもある。石岡と売り込みものは似てくるかもしれない。星を見るイベントを毎年行ってもいる。しかし、ここの黒字?はこれだけではないように思う。この地区はシイタケの栽培がさかんで、リンゴなどもつくられている。売店でリンゴを買おうとして驚いた。売っていたのは長野県産(信州リンゴ)だけで、大量に仕入れて安く売っていた。実に商魂たくましく熱心であった。朝日トンネルを抜けたあたりは果樹が盛んだ。しかし、時季が決まっている。当然果物狩りとタイアップして大型バスが何台も止められるスペースがほしい。フラワーパーク、薬師古道や小町の北向き観音堂も近い。しかしこれだけではきっと他とかわらない「道の駅」にしかならないように思う。八郷のシャモ料理、有機野菜の里、かやぶき屋根の民家・・・・。少し工夫が必要だなあ~。
CAS冷凍設備をして年中果物も、牡蠣、アンコウなども何時でも美味しく食べることができる設備などがあったらな~。CAS冷凍設備は以前から私が気に入っているものだ。柏の近くにあるアビーという会社がやっている。おもしろい社長さんだ。テレビで拝見したが、とても好きである。冷凍したものは東京やつくばなどに卸すこともできる。なんて自分がやるわけでもないのに・・・・。発想を柔らかくして、発展を願うのみである。
通りの名称の復活を願う
9月に入って3日経つがまだしばらく暑い日が続きそうだ。先日ロシアの歩行者天国の話を書いたが、通りに文豪の名前などがついており親しみやすい。また、現地で乗った夜行寝台の名前は日本語に直すと「静かなるドン号」であった。仙台の通りも「青葉通り」「広瀬通り」「晩翠通り」などのほかに横丁などの愛称が残されているものが多く驚かされる。これは京都などと同じである。石岡も街中の旧町名を残そうと「おまつり」をはじめ駅前広場の案内板、各旧町名の書かれた石柱(辻標)などを整備している。また石岡には路地や横丁も多くあり、昔から町名と共に愛称で呼ばれてきた。しかし私のような他所からやってきた者にはちっともわからない。中に入っていると知っていることが当たり前で、敢えて知らせてどうするんだ?などと思っていないだろうか。
まずは街中の通り名を復活表示してほしい。「八間(御幸)通り」「金丸通り」「金丸寿通り」「神社通り」「香丸通り」「八幡通り」「宮下通り」など通りの標識に追加して表示をしてほしいと思っている。これはお金など掛からないで出来るはずである。これも提案したがなしのつぶてであった。
仙台にはこの町名に愛着を感じてHPがいくつも立ち上げられている。すべて名前には歴史的な愛着が一緒にあり、そこで生きてきた人の思いも残っている。
現在、これらの通りにはそれぞれ商店会があるようである。目を外に向けてください。外のお客さんに自慢の商品を売ってください。良いものがたくさんあるはずなのに何も伝わってこないのは何故?
通りを歩いても「他所者が来た」と思って見られたら誰もお店には入っていきません。ニコニコ挨拶しよう。街を変えていきませんか?
東京なども、国道○号線などではなく、かなり愛称が使われている。昔に比べてかなり増えてきているように思う。この夏に行った時も「府中街道」「お鷹の道」「はけの道」「鎌倉街道」など名前だけでわくわくしてくるようです。
まずは街中の通り名を復活表示してほしい。「八間(御幸)通り」「金丸通り」「金丸寿通り」「神社通り」「香丸通り」「八幡通り」「宮下通り」など通りの標識に追加して表示をしてほしいと思っている。これはお金など掛からないで出来るはずである。これも提案したがなしのつぶてであった。
仙台にはこの町名に愛着を感じてHPがいくつも立ち上げられている。すべて名前には歴史的な愛着が一緒にあり、そこで生きてきた人の思いも残っている。
現在、これらの通りにはそれぞれ商店会があるようである。目を外に向けてください。外のお客さんに自慢の商品を売ってください。良いものがたくさんあるはずなのに何も伝わってこないのは何故?
通りを歩いても「他所者が来た」と思って見られたら誰もお店には入っていきません。ニコニコ挨拶しよう。街を変えていきませんか?
東京なども、国道○号線などではなく、かなり愛称が使われている。昔に比べてかなり増えてきているように思う。この夏に行った時も「府中街道」「お鷹の道」「はけの道」「鎌倉街道」など名前だけでわくわくしてくるようです。
新しいバスレーン
今日は台風の影響か夜になり少し風があり、暑さも少し和らいでいる。
台風の進路も予定より頭を押さえられて、日本列島を横切ろうとしている。これは前より秋の高気圧が強くなっているのではないかと少しホットした気持ちでいる。雨も少しは降るだろう。さて、石岡駅から茨城空港までのバスの専用レーンが完成し、8月30日よりオープンしたという。これは惜しまれつつ幕を閉じた鹿島鉄道の軌道の跡にバス専用レーンを設置したもので、混み合う小川街道が混まずに通ることができるとのうたい文句である。
しかし、その運賃を見て驚いた。石岡駅から茨城空港まで600円である。空港から鉾田まで行くと1040円だという。何か運賃を下げ、利用しやすくする工夫がないのか?
中国の春秋航空が上海片道4000円の格安航空券を発売した。全体の座席数の1割というからそれほどは多くないが、今後さらなる格安航空会社(LCC)導入が期待される時にこの金額はないのでは。
市としての期待された宣伝文句の足がこれでは先が思いやられる。皆さんは茨城空港から中国の団体さんを載せたバスが東京まで500円で走っていることを知っているのだろうか?
価格を工夫して下げることを検討してもらいたいものである。民営でもうまくタイアップして沿道の病院などの近くに停車場を設置し、広告をバスに掲示、アナウンスして広告収入なども入れ、気楽に乗れる料金に是非してほしいものだ。石岡の休日の巡回バスなども他の観光地に対して高い。笠間・大洗などの循環バスは無料であったり、100円~200円だ。しかし、良く調べてみるとかなり工夫されている。少し他を学ぶべきだと思う。バスレーンについても私は、当初新交通システムの導入を期待していたのだが・・・・。結果はいつもがっかりしてしまう。
台風の進路も予定より頭を押さえられて、日本列島を横切ろうとしている。これは前より秋の高気圧が強くなっているのではないかと少しホットした気持ちでいる。雨も少しは降るだろう。さて、石岡駅から茨城空港までのバスの専用レーンが完成し、8月30日よりオープンしたという。これは惜しまれつつ幕を閉じた鹿島鉄道の軌道の跡にバス専用レーンを設置したもので、混み合う小川街道が混まずに通ることができるとのうたい文句である。
しかし、その運賃を見て驚いた。石岡駅から茨城空港まで600円である。空港から鉾田まで行くと1040円だという。何か運賃を下げ、利用しやすくする工夫がないのか?
中国の春秋航空が上海片道4000円の格安航空券を発売した。全体の座席数の1割というからそれほどは多くないが、今後さらなる格安航空会社(LCC)導入が期待される時にこの金額はないのでは。
市としての期待された宣伝文句の足がこれでは先が思いやられる。皆さんは茨城空港から中国の団体さんを載せたバスが東京まで500円で走っていることを知っているのだろうか?
価格を工夫して下げることを検討してもらいたいものである。民営でもうまくタイアップして沿道の病院などの近くに停車場を設置し、広告をバスに掲示、アナウンスして広告収入なども入れ、気楽に乗れる料金に是非してほしいものだ。石岡の休日の巡回バスなども他の観光地に対して高い。笠間・大洗などの循環バスは無料であったり、100円~200円だ。しかし、良く調べてみるとかなり工夫されている。少し他を学ぶべきだと思う。バスレーンについても私は、当初新交通システムの導入を期待していたのだが・・・・。結果はいつもがっかりしてしまう。
おまつり会館
やっと涼しくなってきたと思ったら、日が暮れるのもずいぶん早くなった気がする。6時には大分薄暗くなってきた。カラスが鳴くから帰っ~ろの気分である。
先日は石岡のお祭りが関東三大祭りに入るのかというような話をした。今日もそのような話を祭り好きの同僚と話をした。「三大祭りと言い出したのは石岡の観光協会で、石岡が初めて言い出したのではないか」といっていた。本当のところはわからないが、言いだしっぺならそれを貫けば良いのにと思う。
また、お祭り前なのに市内が静かだという。練習をするとうるさいとのことで、市街ではあまり練習ができず、工業団地などのある広い場所の方に出かけて行って練習しているのだという。
わからぬでもないが、一時期だけなのだから多少うるさくても構ないようにも思うが、これも時代なのかもしれない。石岡はお祭りの時だけは賑やかだが、それ以外では静まり返ってしまう。何か寂しいと思う。
そこで、三大まつりと言われているところのホームページを見てみた。佐原も川越も「おまつり会館」があり、山車などを常時展示している。それぞれ古い歴史があると豪語してはいるが、よ~く見てみるとそれ程の大差はないようだ。もちろん江戸時代の山車などもないとは言わないが、多くは明治中期に大々的にやるようになったようだ。川越は明治中期に大火事があり、しばらく祭りも中断したようだ。それを町の復興を願って復活させると同時に大きくしたようだ。石岡と同じではないか。石岡は山車の数も多く、幌獅子や富田のささらなど独特なものも多く、石岡ばやし(三村囃子、染谷囃子)や染谷十二座神楽など説明する場が与えられていない。是非「まつり会館」でも作って町の元気さをアピール出来ないものだろうか。西友の跡地などの一部を利用したら?
上記の二か所のまつり会館は入場料は300円~400円程度をとっている。町の歴史なども説明するのがとても下手で、黙っていても、探してくれ。探してくれ~。と言うだけだ。まあその分探す楽しみは多いのだが、最近はほっておいたらまず探す人は少ないのだから、いつまでたってもブツブツ文句ばかり言っていなければならない。徳島の阿波踊りは毎日阿波踊り会館で踊りの実演の見物ができる。市内の眉山という山へのケーブルカーとセットの券を発売している。これは踊りのプロがいるのでできるのだろうが、この町も工夫が足りなさすぎると感じてしまう。
先日は石岡のお祭りが関東三大祭りに入るのかというような話をした。今日もそのような話を祭り好きの同僚と話をした。「三大祭りと言い出したのは石岡の観光協会で、石岡が初めて言い出したのではないか」といっていた。本当のところはわからないが、言いだしっぺならそれを貫けば良いのにと思う。
また、お祭り前なのに市内が静かだという。練習をするとうるさいとのことで、市街ではあまり練習ができず、工業団地などのある広い場所の方に出かけて行って練習しているのだという。
わからぬでもないが、一時期だけなのだから多少うるさくても構ないようにも思うが、これも時代なのかもしれない。石岡はお祭りの時だけは賑やかだが、それ以外では静まり返ってしまう。何か寂しいと思う。
そこで、三大まつりと言われているところのホームページを見てみた。佐原も川越も「おまつり会館」があり、山車などを常時展示している。それぞれ古い歴史があると豪語してはいるが、よ~く見てみるとそれ程の大差はないようだ。もちろん江戸時代の山車などもないとは言わないが、多くは明治中期に大々的にやるようになったようだ。川越は明治中期に大火事があり、しばらく祭りも中断したようだ。それを町の復興を願って復活させると同時に大きくしたようだ。石岡と同じではないか。石岡は山車の数も多く、幌獅子や富田のささらなど独特なものも多く、石岡ばやし(三村囃子、染谷囃子)や染谷十二座神楽など説明する場が与えられていない。是非「まつり会館」でも作って町の元気さをアピール出来ないものだろうか。西友の跡地などの一部を利用したら?
上記の二か所のまつり会館は入場料は300円~400円程度をとっている。町の歴史なども説明するのがとても下手で、黙っていても、探してくれ。探してくれ~。と言うだけだ。まあその分探す楽しみは多いのだが、最近はほっておいたらまず探す人は少ないのだから、いつまでたってもブツブツ文句ばかり言っていなければならない。徳島の阿波踊りは毎日阿波踊り会館で踊りの実演の見物ができる。市内の眉山という山へのケーブルカーとセットの券を発売している。これは踊りのプロがいるのでできるのだろうが、この町も工夫が足りなさすぎると感じてしまう。
雲隠れした名月は見えるか?
今日は中秋の名月というが、あいにく曇って見られません。
昨日じっくり眺めたのでまずは佳しとしよう。
雲に隠れても真ん丸の月が「まほらの里」にも注いでいることを思い描こう。
各地で「星を見る会」が開催されている。
この際であるので少し考えてみよう。
先日紹介した「道の駅みわ」は星がきれいな里をキャッチフレーズに使っている。
トイレの天井にも星をあしらって「満てんトイレ」だ。
またレストランは「北斗庵」だ。
星がきれいなことなら八郷地区だって負けないはずだが、残念ながらその発想はない。
筑波山、加波山、吾国山などに囲まれ星を見るにはもってこいだと思う。
ホタルの里、フルーツラインなどと共に売りだしたらどうだろう。
藁ぶき屋根の家や歴史の里と一緒になって、オカリナコンサートなどを組み合わせ、少しでも文化的なものに触れる機会を作っていくべきだと思う。
もちろん美味しい食事も必須条件だが、これはボランティアだけの発想ではやっていけない。
徐々に志を同じくする仲間を増やしていくしかないように思う。
もしかしたら、空き家などを探せばこれから先はアイディア勝負かもしれない。
どうしても欠かすことができないのが、宣伝の力である。
インターネットや地域情報誌などに記事を出してもらうなど。
何かワクワクしてくるが、またすぐにシャボン玉みたいに消えていくのかもしれない。
長野の小さな都市「小布施」などがとても参考になる。
葛飾北斎で有名であるが、それよりも台風娘「セーラ・カミングス」さんの力が大きい。
こんな一人の力でも大きく変えることができるのだから・・・・。
前に東京に行ったときにも「小布施」まつりのようなイベントをやっていた。
宣伝も巧みなようだ。石岡市役所の人は何人くらい知っていますか?
石岡の役場や商工会などにいる人は、本も読んだことはないのかな~。
残念ながら石岡の図書館には置いていないようだ??
「町おこし」と叫ぶなら、参考になる資料はすべて知っておくべきだよ。
市内なら、酒蔵めぐり、美味しいもの巡りなどを積極的に計画しよう。
人の上げ足をとるような根性の小さなことは他所の文化人に笑われるだけです。
県内の施設を視察しても、本当の参考になるものは別にも沢山あるのにね。
昨日じっくり眺めたのでまずは佳しとしよう。
雲に隠れても真ん丸の月が「まほらの里」にも注いでいることを思い描こう。
各地で「星を見る会」が開催されている。
この際であるので少し考えてみよう。
先日紹介した「道の駅みわ」は星がきれいな里をキャッチフレーズに使っている。
トイレの天井にも星をあしらって「満てんトイレ」だ。
またレストランは「北斗庵」だ。
星がきれいなことなら八郷地区だって負けないはずだが、残念ながらその発想はない。
筑波山、加波山、吾国山などに囲まれ星を見るにはもってこいだと思う。
ホタルの里、フルーツラインなどと共に売りだしたらどうだろう。
藁ぶき屋根の家や歴史の里と一緒になって、オカリナコンサートなどを組み合わせ、少しでも文化的なものに触れる機会を作っていくべきだと思う。
もちろん美味しい食事も必須条件だが、これはボランティアだけの発想ではやっていけない。
徐々に志を同じくする仲間を増やしていくしかないように思う。
もしかしたら、空き家などを探せばこれから先はアイディア勝負かもしれない。
どうしても欠かすことができないのが、宣伝の力である。
インターネットや地域情報誌などに記事を出してもらうなど。
何かワクワクしてくるが、またすぐにシャボン玉みたいに消えていくのかもしれない。
長野の小さな都市「小布施」などがとても参考になる。
葛飾北斎で有名であるが、それよりも台風娘「セーラ・カミングス」さんの力が大きい。
こんな一人の力でも大きく変えることができるのだから・・・・。
前に東京に行ったときにも「小布施」まつりのようなイベントをやっていた。
宣伝も巧みなようだ。石岡市役所の人は何人くらい知っていますか?
石岡の役場や商工会などにいる人は、本も読んだことはないのかな~。
残念ながら石岡の図書館には置いていないようだ??
「町おこし」と叫ぶなら、参考になる資料はすべて知っておくべきだよ。
市内なら、酒蔵めぐり、美味しいもの巡りなどを積極的に計画しよう。
人の上げ足をとるような根性の小さなことは他所の文化人に笑われるだけです。
県内の施設を視察しても、本当の参考になるものは別にも沢山あるのにね。
茨城の県民性
「常陽藝文」10月号が送られてきた。今月の特集は「助さん格さんの謎に迫る」となっているが、それよりも茨城の歴史と県民性という連載がのっている。
もう6回目であるので今までも載っていたはずだがあまり記憶がない。
その中にプレジデント別冊に全国の県民性を特集しており、茨城県については「徳川御三家である水戸藩の荒々しいDNAが根付く茨城県人。もとは、怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽいの水戸っぽと呼ばれた三ぽい。それがいつからか怒りっぽい、忘れっぽい、飽きっぽいの茨城の三ぽいに変化した。
いずれにせよ短気で冷静さに欠けるのは否めないところ。また口べたで、なまりがきついことも誤解を招きやすく他人と衝突する原因になりがち。県民自身が自覚する運転マナーの悪さにも三ぽい気質がよく表れている。・・・」またここでは県南地方は温和な県民が増加しているとも紹介されているとのこと。
この記事は茨城キリスト教大学名誉教授 志田諄一氏が連載している一部の紹介記事で、氏も「言いたい放題でいささかしゃくにさわる」と書いておられます。
しかし、私が茨城にやってきた頃、もう35年以上も前ですが、まったくこの三ぽい気質を感じていました。車の運転などがとても荒いし、ウインカーも出さずに急に曲がる車があったり、すぐに急加速をしたがる。運転事故の件数もいつもワースト上位だったように思います。
私もその頃から運転していたが、久しぶりに東京に戻ると、皆がおとなしい運転をしているのにビックリ。いつのまにかこちらも慣らされてしまっていたのかもしれないと反省したことを思い出しました。
それでも運転の荒さはわたしの経験では大阪の和泉ナンバーの泉州 河内地区が一番怖かった思いも・・・。路肩を平気で追い越して行った。しかしこれも30年も前のことで、今は大分変ったという。
まあ、海外にはもっと荒っぽいところは沢山あった。自分では運転はしていないが、三車線でも四~五列くらいで無理やりに入り込んでくるところなども結構あった。エジプトカイロなどもそうだった。
昔常磐線に上野駅で列車待ちで並んで、列車が入ってきたときに、順番など関係なく、窓から荷物を座席に置いて席を横取りする乗客が結構いて驚いたこともあったが、さすがにそのような光景は見られなくなった。
茨城県は何処にあるの?東北でしょ。などとよく言われるが、意外に東京に近い関東なのである。
もう少しマナーも向上させなければ田舎っぺといわれるだけだ。県民性も他の県との交流や国際化が遅れているのでいつまでも昔のイメージから脱却できないのだと思う。
2-3日前に車にガソリンを給油してスタンドから通りの反対側車線に出ようとし、丁度近くの信号が赤となったので、連なっていた車も止まってこちらが出るために止まって、譲ってくれると思ったが、目の前に平気で車を止め、一切譲ろうとしない。良く見たらまだ若い女性。あ~あ、これも県民性なのか?
携帯電話をして平気で運転している。これは道交法違反ですよ。
この性格を変えていくにはどうすればよいのだろう。
この地方は他所者との交流が少なく、段々と劣化してしまったのだろうか。
タバコが値上げになりました。茨城の女性はタバコを吸う人が結構多い。
是非、この機会に禁煙が進んでくれると良いのだが、石岡はタバコ農家も、またJT関係者も多い。どうも本気で禁煙を呼びかけたりしているとは思えない。
税金が減るのは怖いのだ。困ったものだ。
県民性もこの土浦・つくばに比べ石岡から北はどうもこの昔からの三ぽい気質が強いように思う。
私は他所からきたので、勝手に良くない県民性を述べたが、そうはいってもどこか応援したいと思っているのである。こうして歴史などの紹介もしているのだから・・・。
もう6回目であるので今までも載っていたはずだがあまり記憶がない。
その中にプレジデント別冊に全国の県民性を特集しており、茨城県については「徳川御三家である水戸藩の荒々しいDNAが根付く茨城県人。もとは、怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽいの水戸っぽと呼ばれた三ぽい。それがいつからか怒りっぽい、忘れっぽい、飽きっぽいの茨城の三ぽいに変化した。
いずれにせよ短気で冷静さに欠けるのは否めないところ。また口べたで、なまりがきついことも誤解を招きやすく他人と衝突する原因になりがち。県民自身が自覚する運転マナーの悪さにも三ぽい気質がよく表れている。・・・」またここでは県南地方は温和な県民が増加しているとも紹介されているとのこと。
この記事は茨城キリスト教大学名誉教授 志田諄一氏が連載している一部の紹介記事で、氏も「言いたい放題でいささかしゃくにさわる」と書いておられます。
しかし、私が茨城にやってきた頃、もう35年以上も前ですが、まったくこの三ぽい気質を感じていました。車の運転などがとても荒いし、ウインカーも出さずに急に曲がる車があったり、すぐに急加速をしたがる。運転事故の件数もいつもワースト上位だったように思います。
私もその頃から運転していたが、久しぶりに東京に戻ると、皆がおとなしい運転をしているのにビックリ。いつのまにかこちらも慣らされてしまっていたのかもしれないと反省したことを思い出しました。
それでも運転の荒さはわたしの経験では大阪の和泉ナンバーの泉州 河内地区が一番怖かった思いも・・・。路肩を平気で追い越して行った。しかしこれも30年も前のことで、今は大分変ったという。
まあ、海外にはもっと荒っぽいところは沢山あった。自分では運転はしていないが、三車線でも四~五列くらいで無理やりに入り込んでくるところなども結構あった。エジプトカイロなどもそうだった。
昔常磐線に上野駅で列車待ちで並んで、列車が入ってきたときに、順番など関係なく、窓から荷物を座席に置いて席を横取りする乗客が結構いて驚いたこともあったが、さすがにそのような光景は見られなくなった。
茨城県は何処にあるの?東北でしょ。などとよく言われるが、意外に東京に近い関東なのである。
もう少しマナーも向上させなければ田舎っぺといわれるだけだ。県民性も他の県との交流や国際化が遅れているのでいつまでも昔のイメージから脱却できないのだと思う。
2-3日前に車にガソリンを給油してスタンドから通りの反対側車線に出ようとし、丁度近くの信号が赤となったので、連なっていた車も止まってこちらが出るために止まって、譲ってくれると思ったが、目の前に平気で車を止め、一切譲ろうとしない。良く見たらまだ若い女性。あ~あ、これも県民性なのか?
携帯電話をして平気で運転している。これは道交法違反ですよ。
この性格を変えていくにはどうすればよいのだろう。
この地方は他所者との交流が少なく、段々と劣化してしまったのだろうか。
タバコが値上げになりました。茨城の女性はタバコを吸う人が結構多い。
是非、この機会に禁煙が進んでくれると良いのだが、石岡はタバコ農家も、またJT関係者も多い。どうも本気で禁煙を呼びかけたりしているとは思えない。
税金が減るのは怖いのだ。困ったものだ。
県民性もこの土浦・つくばに比べ石岡から北はどうもこの昔からの三ぽい気質が強いように思う。
私は他所からきたので、勝手に良くない県民性を述べたが、そうはいってもどこか応援したいと思っているのである。こうして歴史などの紹介もしているのだから・・・。
これから・・・。
昨夜の台風はほとんど影響がなく良かった。
しかし、今日は台風一過とはならず、曇り模様。時々雨や晴れ間ものぞき変わりやすい。
テレビでは銚子漁港辺りの景色を何度も映していたが、先日直接見た時も少し荒れていたが・・・。
さて、漁港での食事も美味しかったが、土産に貰ったキンメダイの開きを昨日焼いて食べた。
これがとても脂がのって美味しい。こんな美味しいのは初めてである。
現地の料理店でも結構値段が高いが、お土産センターでは比較的安く、やはり多くの観光客が訪れるのもわかる気がする。
石岡には何があるのだろうか?
地元生まれではないので、私が知らない素敵なものもあるに違いない。
「高野菓子店の釣鐘最中」「羽鳥屋のあんずロール」「府中誉の渡舟」「貝地の高菜漬」「荻野のコロッケ」「キッチンさくらのハンバーグ」「小野越のそば」「関平のトンカツ」「高浜のこがね味噌」「朝日屋のラーメン」「石岡酒造の筑波」「白菊酒造」・・・・
まあいろいろあることはありそうだが、どこも外に向かったアピールが下手だ。
インターネットを開いて検索してもほとんど表示されない。
どこもやらないならこちらでPRでもしてやろうかとさえ考える。
もっとも、最初に歴史紹介サイトを立ち上げた時にも同じ気持であった。
まるでネットにあふれる活気が見えないのである。
もう年寄りの出番でもないが、少し仕事以外のこともやりたくなって、作っていったら段々はまってしまった。
高校生にでも地元もうまいものマップでも作ってもらえば、お金など掛けずに地域活性化ができるのに。
そうしたら全然別のお店が載るに違いない。
「珈琲哲学」や小美玉も加えると「喜元門ラーメン」などが加えられるだろう。
石岡は人口の割にお店の数がとても多い。何が入ってくるか楽しみである。
しかし街中は活気がない。まるで昔からの人々の利害でしか動かない街となってしまっている。
多くの地方が同じ悩みを抱えていることでしょう。
年寄り人口が増えているのだからしょうがないかも・・・。
地域主権になって、自由に好きなことにお金が使えるようになったら何をしたいのだろうか?
民間を活性化させて自由を取り戻さねば未来は開けないよな~・・・・???
しかし、今日は台風一過とはならず、曇り模様。時々雨や晴れ間ものぞき変わりやすい。
テレビでは銚子漁港辺りの景色を何度も映していたが、先日直接見た時も少し荒れていたが・・・。
さて、漁港での食事も美味しかったが、土産に貰ったキンメダイの開きを昨日焼いて食べた。
これがとても脂がのって美味しい。こんな美味しいのは初めてである。
現地の料理店でも結構値段が高いが、お土産センターでは比較的安く、やはり多くの観光客が訪れるのもわかる気がする。
石岡には何があるのだろうか?
地元生まれではないので、私が知らない素敵なものもあるに違いない。
「高野菓子店の釣鐘最中」「羽鳥屋のあんずロール」「府中誉の渡舟」「貝地の高菜漬」「荻野のコロッケ」「キッチンさくらのハンバーグ」「小野越のそば」「関平のトンカツ」「高浜のこがね味噌」「朝日屋のラーメン」「石岡酒造の筑波」「白菊酒造」・・・・
まあいろいろあることはありそうだが、どこも外に向かったアピールが下手だ。
インターネットを開いて検索してもほとんど表示されない。
どこもやらないならこちらでPRでもしてやろうかとさえ考える。
もっとも、最初に歴史紹介サイトを立ち上げた時にも同じ気持であった。
まるでネットにあふれる活気が見えないのである。
もう年寄りの出番でもないが、少し仕事以外のこともやりたくなって、作っていったら段々はまってしまった。
高校生にでも地元もうまいものマップでも作ってもらえば、お金など掛けずに地域活性化ができるのに。
そうしたら全然別のお店が載るに違いない。
「珈琲哲学」や小美玉も加えると「喜元門ラーメン」などが加えられるだろう。
石岡は人口の割にお店の数がとても多い。何が入ってくるか楽しみである。
しかし街中は活気がない。まるで昔からの人々の利害でしか動かない街となってしまっている。
多くの地方が同じ悩みを抱えていることでしょう。
年寄り人口が増えているのだからしょうがないかも・・・。
地域主権になって、自由に好きなことにお金が使えるようになったら何をしたいのだろうか?
民間を活性化させて自由を取り戻さねば未来は開けないよな~・・・・???
忠犬タローの歌を聞いて
今日文化の日はスッキリと晴れて気持ちの良い一日となりました。
各地で文化祭などが行われました。ここ石岡でもあちらこちらで各種の行事が行われます。
商工祭はイベント広場で今度の週末。
今日はあるブログを見つけて、市民会館で行われた第41回市民合唱祭に顔を出してきました。
お目当ては地元幼稚園(善隣幼稚園)園児たちの「ここで君を待っているよ」の合唱を聞くためでした。
石岡駅で17年間主を待ち続けた「忠犬タロー」の話しを聞いて、坂本九さんの長女大島花子さんが作詞・作曲してくれたとても素敵な歌でした。

渋谷駅の「忠犬ハチ公」に似た感動のエピソードがありました。
テレビや新聞でもいくつか紹介されて話題ともなっているようですから、詳しく知りたい方はネットで検索してみてくださいね。
タロー(元の名前コロ)が当時(45年ほど前)電車(今は廃線となった鹿島鉄道)で通っていた飼い主(当時5歳の善隣幼稚園児)と一緒に電車で石岡まできてしまい、そしてはぐれてしまって以来、石岡東小の子供たちに可愛がられて育てられました。
それから死ぬまでの17年間、学校から石岡駅まで朝と晩に通っては、駅で飼い主を待っていたといわれています。

(写真は東小の入口にある卒業生の制作したもののようです。校舎は現在裏に新築のすてきな校舎に建て替え中でした)
石岡東小はジャスコの6号国道をはさんで反対側にあります。
通りは車が多くうるさいようですが、学校は周りは住宅街で静かな場所です。
ここから駅までは、学校を出るとすぐに6号国道を跨ぐ歩道橋があります。この歩道橋をいつも渡っていたといいます。駅までの距離を測ってみましたが約2.5kmと結構遠いです。
飼い主の少女が通っていた幼稚園は駅の近くの市街にあるので学校とは反対側ですね。
この話も、飼い主は卒園してからこちらの方に来る機会も少なくなり探したそうですがわからなくなってしまったといいます。
それが昨年の新聞記事で名乗り出たといいます。
このような話もまだ石岡にも活気があった時代ですが、語り継がれていくといいですね。
各地で文化祭などが行われました。ここ石岡でもあちらこちらで各種の行事が行われます。
商工祭はイベント広場で今度の週末。
今日はあるブログを見つけて、市民会館で行われた第41回市民合唱祭に顔を出してきました。
お目当ては地元幼稚園(善隣幼稚園)園児たちの「ここで君を待っているよ」の合唱を聞くためでした。
石岡駅で17年間主を待ち続けた「忠犬タロー」の話しを聞いて、坂本九さんの長女大島花子さんが作詞・作曲してくれたとても素敵な歌でした。

渋谷駅の「忠犬ハチ公」に似た感動のエピソードがありました。
テレビや新聞でもいくつか紹介されて話題ともなっているようですから、詳しく知りたい方はネットで検索してみてくださいね。
タロー(元の名前コロ)が当時(45年ほど前)電車(今は廃線となった鹿島鉄道)で通っていた飼い主(当時5歳の善隣幼稚園児)と一緒に電車で石岡まできてしまい、そしてはぐれてしまって以来、石岡東小の子供たちに可愛がられて育てられました。
それから死ぬまでの17年間、学校から石岡駅まで朝と晩に通っては、駅で飼い主を待っていたといわれています。

(写真は東小の入口にある卒業生の制作したもののようです。校舎は現在裏に新築のすてきな校舎に建て替え中でした)
石岡東小はジャスコの6号国道をはさんで反対側にあります。
通りは車が多くうるさいようですが、学校は周りは住宅街で静かな場所です。
ここから駅までは、学校を出るとすぐに6号国道を跨ぐ歩道橋があります。この歩道橋をいつも渡っていたといいます。駅までの距離を測ってみましたが約2.5kmと結構遠いです。
飼い主の少女が通っていた幼稚園は駅の近くの市街にあるので学校とは反対側ですね。
この話も、飼い主は卒園してからこちらの方に来る機会も少なくなり探したそうですがわからなくなってしまったといいます。
それが昨年の新聞記事で名乗り出たといいます。
このような話もまだ石岡にも活気があった時代ですが、語り継がれていくといいですね。
工場誘致
雪印メグの新工場が阿見町の星の里工業団地に来年建設されることになった。
阿見東インターから2km位の好立地だという。また阿見にはこの近くにもう一つ工業団地がある。
この高速道路は常磐高速のつくばジャンクションから成田空港の方に徐々に延長されている。
ここ阿見東インターを下りた所に大きなアウトレットモールがオープンしている。
茨城県が誘致しているのだが、阿見には大きな雇用も生まれる。
石岡のスマートインターチェンジも決まり、柏原工業団地をもっと活性化させて雇用を生み出さなければ本当に歴史だけで生き残ることは不可能に近い。雇用が生まれれば石岡駅にももっと人が増える。
歴史を大事に、観光も多くの人に来ていただきたい。
外国人も同様だ。日本人の興味の持ち方とは全く違うところに興味を持つ。
日本人のおもてなしの心を皆がとても興味を持つという。
しかし、これも日本人から見て判らない部分でもある。
外人が話しかけてきたら石岡の人はどうするのだろうか?
私も英語は苦手だ。娘の旦那(イギリス人)の相手をしても日本語だ。
意味は通じていないことも多いがそんなことはどうでもよいのである。
私が初めて海外に行った時、イタリアのフィレンチェにたった一人ででかけた。
とても心細いものであった。これが二人ならそんな気持ちにもならないだろう。
ロンドンのヒースロー空港での乗り換えは、いわばヨーロッパ国内便ターミナルに、バスで移動する。
乗り場が判らない。また乗ったは良いが、何処で降りたらいいかわからない。
飛行機は平気で出発時間が過ぎても案内がない。
イタリアのピサまで飛行機で行った、そこからフィレンチェまではリムジンバスだ。
やっと着いたが、今度はタクシー乗り場がわからない。聞くとタクシーはそこの電話から呼べという。
電話のかけ方もわからない。やっぱりはじめての時はだれか知った人といくべきだ・・・。
まあ死ぬわけでもないので何とかなったが、満足にしゃべれない悔しさがこみ上げる。
もう30年以上前のことだ。当時はヨーロッパへ行くのもアラスカのアンカレッジ経由であった。
フィレンチェまで20時間くらいかかった。
仕事での出張であったが、心細さも徐々に癒され、段々と厚かましさも出てくるものだ。
しかし、はじめてのフィレンチェの町はゴシック建築など、とても素晴らしい連続であった。
歴史の重さを感じたものである。
帰国時にはピサではなくフィレンチェよりミラノへ飛行機(国内便)で出てミラノでイギリス行の国際線に乗り換えたのだが、飛行場が少し離れているため、どちらへ行けばよいかわからない。そこでその辺で数人いたタクシーの運ちゃんに、拙い英語で話しかけた。
そうしたら、皆逃げ出してしまった。こちらはやっとの思いで尋ねたというのに・・・。
そう、イタリア人の英語レベルは日本と同じようなものだったのである。
今の石岡ももしかしたら同じようなものではないかと思う。
自分がこのような目にあうと判るのだが、日本語で堂々としゃべればよいのである。
身振り手振りでどうにか通じるし、気持ちは伝わるのである。
でも本当に英語はうまくならなかった。昔から本当に大嫌いな科目であった。
まあ、今は自分の代わりに子供たちは結構喋れるようになったからよいと自分を慰めているのである。
あっ。それから一人で行ったので良いこともあった。帰国便のイギリスのBA航空で、ビジネス切符であったが、どういう訳かファーストクラスにのせてくれた。
空港でチケットをにっこり渡された理由が判ったのである。搭乗案内が一番最後でドキドキしたが、機長のすぐうしろの2階席であり、機長の挨拶や食事も別メニューであった。
阿見東インターから2km位の好立地だという。また阿見にはこの近くにもう一つ工業団地がある。
この高速道路は常磐高速のつくばジャンクションから成田空港の方に徐々に延長されている。
ここ阿見東インターを下りた所に大きなアウトレットモールがオープンしている。
茨城県が誘致しているのだが、阿見には大きな雇用も生まれる。
石岡のスマートインターチェンジも決まり、柏原工業団地をもっと活性化させて雇用を生み出さなければ本当に歴史だけで生き残ることは不可能に近い。雇用が生まれれば石岡駅にももっと人が増える。
歴史を大事に、観光も多くの人に来ていただきたい。
外国人も同様だ。日本人の興味の持ち方とは全く違うところに興味を持つ。
日本人のおもてなしの心を皆がとても興味を持つという。
しかし、これも日本人から見て判らない部分でもある。
外人が話しかけてきたら石岡の人はどうするのだろうか?
私も英語は苦手だ。娘の旦那(イギリス人)の相手をしても日本語だ。
意味は通じていないことも多いがそんなことはどうでもよいのである。
私が初めて海外に行った時、イタリアのフィレンチェにたった一人ででかけた。
とても心細いものであった。これが二人ならそんな気持ちにもならないだろう。
ロンドンのヒースロー空港での乗り換えは、いわばヨーロッパ国内便ターミナルに、バスで移動する。
乗り場が判らない。また乗ったは良いが、何処で降りたらいいかわからない。
飛行機は平気で出発時間が過ぎても案内がない。
イタリアのピサまで飛行機で行った、そこからフィレンチェまではリムジンバスだ。
やっと着いたが、今度はタクシー乗り場がわからない。聞くとタクシーはそこの電話から呼べという。
電話のかけ方もわからない。やっぱりはじめての時はだれか知った人といくべきだ・・・。
まあ死ぬわけでもないので何とかなったが、満足にしゃべれない悔しさがこみ上げる。
もう30年以上前のことだ。当時はヨーロッパへ行くのもアラスカのアンカレッジ経由であった。
フィレンチェまで20時間くらいかかった。
仕事での出張であったが、心細さも徐々に癒され、段々と厚かましさも出てくるものだ。
しかし、はじめてのフィレンチェの町はゴシック建築など、とても素晴らしい連続であった。
歴史の重さを感じたものである。
帰国時にはピサではなくフィレンチェよりミラノへ飛行機(国内便)で出てミラノでイギリス行の国際線に乗り換えたのだが、飛行場が少し離れているため、どちらへ行けばよいかわからない。そこでその辺で数人いたタクシーの運ちゃんに、拙い英語で話しかけた。
そうしたら、皆逃げ出してしまった。こちらはやっとの思いで尋ねたというのに・・・。
そう、イタリア人の英語レベルは日本と同じようなものだったのである。
今の石岡ももしかしたら同じようなものではないかと思う。
自分がこのような目にあうと判るのだが、日本語で堂々としゃべればよいのである。
身振り手振りでどうにか通じるし、気持ちは伝わるのである。
でも本当に英語はうまくならなかった。昔から本当に大嫌いな科目であった。
まあ、今は自分の代わりに子供たちは結構喋れるようになったからよいと自分を慰めているのである。
あっ。それから一人で行ったので良いこともあった。帰国便のイギリスのBA航空で、ビジネス切符であったが、どういう訳かファーストクラスにのせてくれた。
空港でチケットをにっこり渡された理由が判ったのである。搭乗案内が一番最後でドキドキしたが、機長のすぐうしろの2階席であり、機長の挨拶や食事も別メニューであった。
イベント情報を積極的に広報して
石岡で行われている各種行事はどのようにPRされているのだろうか?
どうもよくわからない。
先日落語(寄席)が石岡市市民会館で行われた。
毎年のように恒例で実施されているらしいので知っておられる方は知っているらしい。
後からやってきた住民はどこで案内があるのかを知らずにいることが多い。
そこで市民会館のホームページを見てみた。
そこで行われるイベントなどのスケジュールなどの案内は一切ない。
借用した時の料金が表示され、その申込先などが案内されているばかりだ。
まったく嫌になってしまう。
市はホームページなどで市民に知らしめる必要はないと思っているのだろうか?
市の他の施設などの案内も全て同じ調子だ。
まるで活気が感じられないのである。
場所を貸したら終わりですか?
先日行われた商工祭などでも同じだ。商工会に入っている商店などは良く知っている。
しかし、一般のサラリーマンで、地元にあまり縁のない人にはまったくといってよいほど
知らされていない。市は多くの予算を使ってパンフレットなどを商店などに貼っている。
しかし、市民が全員知っているかというとまったくそうではない。
私も、当日別な人から「今日何かあるのかな? テントなどはっていたが・・・」などと
いわれた。何かどこかおかしい気がしている。
イベント広場でも「軽トラ市」や「フリーマーケット」などが行われている。
これは場所貸し的な要素で知らしめる必要がないと思っているのかもしれないが、
私には
「知らしめる方法が判らない」
「市またはその職員は知らせる能力に欠けている」
と思ってしまう。
毎年、たくさんの市民税を今も払っているのがだんだん馬鹿らしくなるのは困った事である。
どうもよくわからない。
先日落語(寄席)が石岡市市民会館で行われた。
毎年のように恒例で実施されているらしいので知っておられる方は知っているらしい。
後からやってきた住民はどこで案内があるのかを知らずにいることが多い。
そこで市民会館のホームページを見てみた。
そこで行われるイベントなどのスケジュールなどの案内は一切ない。
借用した時の料金が表示され、その申込先などが案内されているばかりだ。
まったく嫌になってしまう。
市はホームページなどで市民に知らしめる必要はないと思っているのだろうか?
市の他の施設などの案内も全て同じ調子だ。
まるで活気が感じられないのである。
場所を貸したら終わりですか?
先日行われた商工祭などでも同じだ。商工会に入っている商店などは良く知っている。
しかし、一般のサラリーマンで、地元にあまり縁のない人にはまったくといってよいほど
知らされていない。市は多くの予算を使ってパンフレットなどを商店などに貼っている。
しかし、市民が全員知っているかというとまったくそうではない。
私も、当日別な人から「今日何かあるのかな? テントなどはっていたが・・・」などと
いわれた。何かどこかおかしい気がしている。
イベント広場でも「軽トラ市」や「フリーマーケット」などが行われている。
これは場所貸し的な要素で知らしめる必要がないと思っているのかもしれないが、
私には
「知らしめる方法が判らない」
「市またはその職員は知らせる能力に欠けている」
と思ってしまう。
毎年、たくさんの市民税を今も払っているのがだんだん馬鹿らしくなるのは困った事である。