無量寿寺(鉾田市)

 昨年末に今年が「親鸞750回忌」になると紹介してきました。

しかし、この鉾田市鳥栖の「無量寿寺」(本願寺派)を入れないと片手落ちになると気になっていましたが、やっと出かけてきました。(もう一つ下冨田にも無量寿寺(大谷派)があります)

親鸞聖人は越後に流されて、許されたのちも京に戻らずに関東の地で布教活動をしていますが、特に稲田(笠間市)の草庵に暮らして、何度となく石岡の地を経由して鹿島神宮に通ったと伝わっています。

実はこの寺(無量寿寺)には「幽霊図」があることで有名なのです。

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親鸞の関東での弟子二十四輩の第三番順信房が開基した寺です。

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幽霊の話はこうです。

「領主村田刑部少輔平高時の妻が難産で亡くなってしまいますが、我が子愛しさのため幽霊となって寺に姿をあらわしたため、寺の住職もいたたまれずに逃げ出してしまい、無住の寺になってしまいました。
困った村人が親鸞上人にお願いしたところ、聖人は村人が集めた小石にお経を1文字ずつ書いて、妻の塚に埋めたところ幽霊はあらわれなくなったという。親鸞はこの寺に三年逗留し布教につとめたといわれています。」

しかし、一時は実在の人物ではないとまで疑われるほど謎の多い親鸞については、正直わからないことが多いのも確かです。

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しかし、石岡では大覚寺に伝わる山伏弁円との話や、高浜の爪書き阿弥陀の話があり、親鸞聖人は高浜から舟で鹿島へ行っていたとなっていますが、小美玉市に伝わる「喜八阿弥陀堂」の話はこの無量寿寺の話と同じような話です。

いったいどのような道を通っていたのだろうか?

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寺の本堂は立派ですね。この本堂は1600年代後半の築造だそうです。丁度菊祭りで花が飾られていました。

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この鐘楼も趣がありますね。
昼少し前に行ったのですが、鐘を住職の方が突いておられました。写真を撮るときはもういません。
鳴らす回数が決まっているのでしょうから、もう一度突いてくださいとは言えません。

本堂、鐘楼、山門 が県指定文化財です。
また境内にある聖人が植えたといわれる菩提樹が県の天然文化財だそうです。

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鉾田 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/11/18 06:39

月蔵寺(鉾田市)

 親鸞聖人の無量寿寺(鉾田市)の街道入口の当間(トウマ)地区に赤いトタン屋根のお蔵があった。
近寄って見て見ると「月蔵寺」との文字が読める。

月蔵寺01

後で調べて見ると「当間山月蔵寺大教院」という寺が明治元年まで、このお堂の階段昇り口左手にあったが、その跡地に残された「地蔵堂」だという。
一方の大教院のあった場所には、その後明治に開校された小学校が出来て、それも廃校となり今は公民館が出来ていました。

月蔵寺07

よこの看板には芭蕉の句碑の説明が書かれていた。
石の古い句碑があったらしいのだが、写真を撮るの忘れてしまった。
やはり霞ケ浦水運の影響が強かったのがわかります。

「 けふばかり人も年よれ初時雨   芭蕉

(解釈)
 折からの初時雨に、この時期の物さびしい情趣は、老人の心にふさわしい。
 若い人も今日だけは、老人の心になって、この時雨を味わえよ。

 文化文政期の鹿島・行方地方は、水運の発達によって江戸の文化の影響が及んだか、特に俳諧の普及が著しかった。
 この句碑は、鉾田地方の俳人39人によって、文政6年(1823年)10月12日に芭蕉百三十回忌に因んで建てられたもので、この地方の当時の俳諧熱の高まりを今に伝えるものである。」

と書かれています。

月蔵寺06

この地蔵堂は天正15年(1588年)に建てられたものらしい。
かなり歴史的価値がありそうだが、扱いは少し粗末な気がする。

月蔵寺02

このように彫刻も立派であったが、今は大分傷んで修理したら良いのにと思われるものでした。

月蔵寺03

月蔵寺04

外に掲げられた額の絵もなかなか興味深いものがあります。しかし、これも長年の風雨で判別も難しそうです。

月蔵寺05

下のYAHOOの地図にこのお堂のすぐ近くに「無量寿寺」との記載の寺があるが、これは先日紹介した寺ではない。
この道をもう少し行った先にある。いったい幾つ同じ名前の寺があるのか?
最近問題となっている念仏集団もあるという。無量寿とは寿命が無量ということらしい。
本来はだれでも極楽往生できるという考え方のようです。




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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/07 18:44

子生(こなじ)の浜

 鉾田の少し北の鹿島灘に面した浜に近いところに子生(こなじ)(旧旭村?)という場所があります。

この変わった名前の場所は、石岡の一部の人にとっては有名な場所なんです。

石岡に残る「国分寺の鐘伝説」(こちら)では、この場所に国分寺の雌雄2つの鐘が最初にこの浜に浮かんだ場所だからです。

そして、この伝説が石岡駅の下りホームに壁画として飾られているのです。(こちら

この話は石岡では有名な話なのですが、この話をモチーフに作られた石岡の銘菓「釣鐘最中(つりがねもなか)」は知っていても、この話を知らない人も結構いるようですので、石岡の方でこのブログを読んでおられて、知らなかったら上にリンクしたHPを読んでみてくださいね。

この話は石岡以外にも、霞ヶ浦周辺にいくつも伝わっています。
この子生周辺の話では、ここから2つの鐘を常陸国府(現石岡)の国分寺に運んだのは「弁慶」になっていたりします。

逆に石岡では一つの鐘が盗まれてしまいますが、盗んだのはやはり「弁慶」だというのもあります。
伝説ですから力持ちは皆弁慶になってしまうようです。
もちろん時代も合いません。

子生は少し内陸よりなので、適当に玉田あたりに検討をつけて海を目指しました。

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正面に海が見えてきました。ここで車は通行止めになっています。
歩いていくのは良いようなので、空き地に停めて歩いて坂道を下っていきました。
通行止めの入口に工事中らしく警備員さんが立っていました。

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道路の両サイドにカラーコーンが置かれており、路肩が危ないのかもしれません。
この近くも地震と津波で被害を受けたのでしょう。

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(サムネルです)

海岸にでました。
台風が過ぎたと思いましたが、かなり波が高いです。
北側は大洗海岸の方向ですが、波消しのブロックが置かれているのかと思いましたが、形が傘の弧のような形をしています。

先ほどの警備の方に、砂の流出防止だと後で伺いました。

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昔は砂浜ももっと遠くまで広がっていたそうです。
今ではこのように波で流出してしまったのでしょう。
鹿島灘は波が荒く、船の難破も何度もあります。

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(サムネルです)

南の方を見ると、波のしぶきで薄らと白いもやのようになっていました。
こんな波の高い海に船で鐘を運んできたとも考えられません。
さて、何故ここが子生という名前で、国分寺の鐘がここから運ばれたと伝説が何故生まれたのだろう。

荒れた海を眺めながらそんなことを考えていた。

そうそう、先ほどの入口に立っていた警備のおじさんも人が良さそうな方だったので、声をかけてみました。

「今日は暑くなりましたね。」

「そう。だからここ(木の陰)に立ってるの」

「でも大変ですね。昨日はもっと海の波は高かったのですか」

「いや、こんなものでしたよ。今日と同じくらい。」

「砂浜が少ないですね。」

「昔はもっと沖まで砂浜だったようだが、波で持って行かれてしまったらしい。」

「そうですか。昔みたいに戻ればいいですね。」

てな具合です。お粗末です。



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鉾田 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/10/05 21:08

とちぎ海浜自然の家

 昨日書いた子生(こなじ)近くの海岸のすぐ近くに、地図に「とちぎ海浜自然の家」と書かれた場所があります。

「いばらき」の間違いではないかと一瞬地図を疑いました。
すぐ近くなので行ってみました。

海岸に近い高台に立派な建物がでんと建っています。

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この近くの道路から見ると少し場違いのような立派な建物です。

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栃木県の生涯学習施設だそうです。海のない栃木県の子供達などに利用してもらうための栃木県の施設のようです。

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施設を利用または見学をする方を除いて施設の中に入らないでくださいと書かれていました。
なら見学をさせていただくのなら構わないだろうとなかに車を乗り入れました。

入ると右側に立派な駐車場が有り20台くらいは停車していましたので利用者が来ているのでしょう。
この正面の建物の他、左側にテニスコートなどの運動場、奥の方に大きな体育館のような施設が数棟見ることができました。

ドラえもんとドラミちゃんなどが出迎えてくれます。

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写真を撮っていると警備員さんがやってきました。
「ちょっと見学させていただいて、すぐに戻ります。」と話をしてすぐに失礼しました。

この施設がある場所は高台ですが、そのまま海岸に降りれるのかと思いましたが、少し周りを見てみましたが海に直接降りられるようには見えませんでした。(詳しくはわかりません)

建物の上の階に行けば太平洋の鹿島灘はよく見渡せるし、宿泊すれば日の出は見ることができそうです。
夏の海水浴ならこの少し北には大洗サンビーチがあり、すぐ南には大竹海岸もあります。

どちぎの子供たちも茨城に来て雄大な海を眺め、茨城を好きになって欲しいですね。

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この自然の家に行く道と昨日の海岸への道の分かれ道の角には古びた石像が置かれていました。

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(サムネルです)

この玉田地区の婦人会が置いた子安観音や庚申像?に二十三夜尊の石碑などです。
茨城もこのようにあちこちにこのような道祖神などが置かれています。
都会ではあまり見かけなくなったものですが、このようなものを見るのもどこか懐かしさがあります。

芭蕉もこのようなものに何かを感じて奥の細道を旅したのでしょうか?

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鉾田 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/10/06 18:21

龍蔵院-虚空蔵尊

 茨城県の大洗海岸と大竹海岸の間の鹿島灘は太平洋の波が押し寄せるため、海岸線は比較的幅の狭い砂浜が続いています。
そして、そこに傘を広げたような防砂壁がいくつも設けられています。

この地には今は無き常陸国分寺の二つの鐘がこの付近(子生=こなじ)の浜より運ばれてきたとという伝説が伝わっています。

前に書いた海岸のすぐ近くに地図に「龍蔵院」という寺がかかれています。
ネットで調べてみてもほとんど内容がわかりません。
そこで、この寺を見てみたくなり立ち寄ることにしました。

 海岸の崖の上に広がる玉田地区の住宅の台地の一番海岸寄りの脇道を少し入ったところに赤い板壁のお堂が見えました。

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 お堂の横に、昭和47年にこの龍蔵院本堂を改築した時の記念碑が建てられています。
内容の一部を少し省いたりしていますが下記に記します。

「明和4年に当地に建立され、一説に常陸国村松山虚空蔵尊の分室と伝えられる家内安全五穀豊穣を守護とする御仏として信仰される。明治42年10月火災により類焼したが、御本尊のみは災火から守られた。
・・・・・・
ここに於て往時不毛の地として価値なき海辺砂丘地帯を所有する玉田部落29名の共有地山林を売却し、代金の一部を削って龍蔵院本堂及び寺各所の建設を完成する。」

明和4年というと1767年で、江戸時代中期です。

また村松山虚空蔵堂というのは、東海村にある寺で、虚空蔵尊は、虚空菩薩像の中でも日本三体の一つに数えられ、十三詣りとして厄払いでも有名だそうです。

村松山虚空蔵堂は、807年に弘法大師により建立されたと書かれており、戦国時代の戦火で堂は焼けてしまったが、虚空蔵菩薩は無事で、後の1487年に頭白上人によって堂は再建されたとあります。

そう、頭白上人っていうのは頭が白かったので頭白だそうですが、先日北条地区を回った帰り道でみた大きな五輪塔(記事はこちら)で、この名前を見つけた僧です。

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赤い壁の虚空堂本堂の中を覗くと、真ん中に色彩豊かな厨子が置かれています。
この中に虚空菩薩が安置されているものと思います。

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その厨の横には、何やらとても古そうな仏像が置かれていました。

少し気味が悪いようにも思います。
この虚空蔵堂は「龍蔵院」と地図にも載っていますが、この玉田、子生地区には「厳島神社」という古社があります。

今回この地区に来た一番の目的はこの厳島神社の本殿を見たかったです。

国分寺の鐘伝説の現地調査はその次の目的でした。

こちらの厳島神社については明日以降に書きたいと思います。

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この地区にひっそりと見物客なども訪れることはないような、このような社寺などを偶然訪れてみると、ハッとすることがあります。
もしかしたら、気がつかないことが眠っているのではないかとも思ってしまいます。

例えば、この龍蔵院は江戸中期の創建ではなく、もっと昔からあったのではないかということを・・・。

赤いお堂に曼珠沙華というのも絵になります。

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花の写真を単独にアップして(マクロ?)撮るのはあまり趣味ではありません。
周り全体の中の花として風景などと一緒に花を見ないと落ち着かないのです。

赤の花を見るのでも「万緑叢中紅一点」の言葉どうり、一面の緑の草原に赤い花が一つあるから感じるものがあるように思っています。

これは、これらの社寺や道端のお地蔵さんなどでも同じです。
風景に溶け込んで初めて、そこに吹く風や土の匂いがするような気がしています。

これも個人の好みの問題なのでしょうがないですね。

これは石岡の史跡などを見るときも同じです。

常陸国分寺史跡を見るときも、単に石岡の史跡というのではなく、この史跡が置かれている環境を考えたり、常陸国(茨城)の史跡としてどう見るか、とか日本の史跡としてはどうなのか、という見方になります。

私も石岡に住んでいるので、ここに国分寺史跡があることは嬉しいのですが、石岡市民などという小さな枠で捉えることはどうしても好きになれないのです。

これは、もしかしたら私が生まれ育った場所ではないからかもしれませんね。
他所とのつながりを考えるのも好きですね。



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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/08 17:02

厳島神社(子生弁天)(1)

 茨城県鉾田市子生(こなじ)には子生の弁天様と呼ばれる「厳島神社」がある。

水戸から鹿島の方に海沿いを走る国道51号線の旧旭村の子生地区に国道沿いに厳島神社の表参道入口がある。

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この入口に鳥居が2つ、「村社厳島神社」の石柱と、説明板が置かれている。

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「旭村森林浴の道厳島神社

承歴2年(1078)、安芸の宮島の厳島神社の分霊を迎えたことが始まりとされている厳島神社の境内を巡るコース。安産の神様として地元からは崇拝されている。
本店は小振りだが周囲は池と樹林に囲まれ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
・・・・・・・
東に足を向ければ、約1.5kmで玉田海岸にたどりつく。海岸沿いには飛砂防備保安林としてクロマツ林が広がり、海の青さとマツの緑が絶妙なコントラストを有しており、旭村の自然を満喫できる。」

と書かれています。

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2つの鳥居の先に森林浴に確かに良さそうな参道が続いています。

入口にもう一つ神社の説明が書かれています。

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(サムネルです)

神社の由緒の内容は

・祭神は市杵島姫命・・・これは安芸(広島)の宮島「厳島神社」の祭神で弁天様のようです。

・神社は寛文22年に火災で焼失し記録が残っていないが、承歴2年に安芸の宮島より勧請したと言われる。・・・平清盛が宮島の厳島神社の社殿を造営したのは1168年頃と言われていますので、承歴2年(1078)はその90年も前です。

・享保2年(1717年)の江戸時代に奉納された鏡に「安産をこの神に祈らば即ち安泰なり」とあるので子生村(こなじむら)と号すると言い伝えられん。
・・・私はこの説は信じられませんが、こんなことも話としては面白いでしょう。

この「こなじ」を「子生」と書いたものだろうが、名前はきっともっと前からあるように思う。

・神殿向拝柱の龍の彫刻は一本の柱をくりぬいた珍しい手法とされている。・・・この神社に来た最大の目的です。後日詳細を書きます。

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この狛犬素敵ですね。
阿型の獅子は子獅子を連れています。

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吽型の方は玉を持っています。

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入口の長い参道が続きます。竹林も綺麗です。

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参道を進むと横断する道が向こうにありますが、その先にまた鳥居があり、階段を神社の方へ下ります。
すると赤い神社の拝殿が池の中に浮かび上がって見えてきます。

安芸の厳島神社をミニュチュアにしたようなイメージかもしれませんが、綺麗な造形美です。

神社はまた明日続きを書きます。



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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/09 21:10

厳島神社(子生弁天)(2)

 子生(こなじ)弁天様といわれる厳島神社の続きです。

この子生(こなじ)に上がった鐘を常陸国分寺へ運んだという場所というには、この地の玉田海岸は砂浜も少なく何故この場所なのだろうとずっと考えていた。
そしてこの地に来たがこの子生の弁天様(厳島神社)がある以外にそれといったイメージがわかなかった。

そして、今日地図を見て思い当たったことがあります。
それは、この場所が筑波山の真東だということです。(石岡からは真東はもう少し南になります。)

春分・秋分の時に筑波山から見るとこの海岸から日が昇ります。こちらから見ると山に日が沈みます。
きっとそんなことが関係していたのかもしれません。

鹿島神宮から真西には諏訪大社があります。これも偶然の一致とは言えないでしょう。

やはり水際にお祀りしていますが、坂道を降りたところにある赤い神社が水面に映えておもわずハッとします。
今はコンクリの階段ですが、昔は山道を下ったようなところにあったのでしょう。

このような造形の美が何故かあまり知られていません。

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ここは今は鉾田市ですが、平成の大合併以前は旭村でした。
鉾田も旭村もどちらもメロンが有名です。
夕張みたいに高くはなくとても美味しいです。

これはこのあたりの土壌がメロン栽培やさつまいも栽培に適しているのだと思います。

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坂を降りたところに木々の間から赤い円弧の橋が水に映って、思わず立ち止まり、うっとりと眺めました。

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(これだけサムネルです)

左側が拝殿で、市の文化財です。奥の右側が本殿で、県の文化財です。
待望の龍の彫られた柱は、本殿をすっぽりと保護するように建屋で覆われていますので、遠目にはよく見えません。

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こちらが市の文化財である拝殿です。

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太鼓橋と赤い欄干が水に映ると綺麗です。
この池の水はあまり綺麗ではありませんが、鯉がおよいでいます。

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こちらが本殿(社殿)です。

創建は承暦2年(1078)と伝えられますが、現在の本殿は元禄10年(1697)年に建てられたものだそうです。

こじんまりしたものですが、300年以上経つ本殿はこの中にあります。

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木々の生い茂る山の中の窪地に湧き出した池の中に浮かぶように社殿を建てたのは
やはり水というものが大切にされ、弁天様を祀り、五穀豊穣を願ったのでしょう。

名前が子生であるので、子供が無事に生まれる女神ということがいつの間にか広がり、江戸時代には江戸からも参拝者があり、正月の縁日には参拝客がたくさん集まったと言われています。

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毎日調べながら記事を書いていますが、仕事に出かけているときは、やはり記事のUPが遅くなってしまいます。

休みの日にある程度の記事をストックしたりしてそれを装飾して記事にまとめてもいますが、限界にも近づいて来ているかもしれませんね。

本殿の龍の彫刻を載せようと思いましたが、疲れたので、それはまた明日にします。

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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/10 20:47

厳島神社(子生弁天)(3)

茨城県鉾田市子生(こなじ)にある厳島神社の3回目です。

この神社については途中での火災などのため、資料があまり残っていないため、創建年代ががはっきりしていなかったようです。
そのためか、資料によっては鹿島郡では鹿島神宮についで古い神社であると書かれていたりします。
これも鹿島郡というだけですからどの範囲までを指しているのかはわかりません。
元鹿島ともいわれる「大生神社」という古社がありますので、これももう少し調べてみないと鵜呑みにはできません。

 現地に書かれた説明板によると、「昭和46年に至り氏子中の古文書より社の創建について承歴2年子生山弁才天建之此訳造谷村龍蔵院硯録に在之由也とあり、この神社の祭祠が遠く平安中期の九百年前に遡ることがほぼ立証された。」とあります。

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国道沿いの入口とは別に、横の県道側に「裏参道」の入口があり、赤い鳥居が建っています。
この山道も古くからあるようで、参道脇の樹木は根がむき出しとなり、道も深く沈み込んでいます。

この神社に駐車場がないと思いましたが、この鳥居をくぐって下りて行ったところに駐車場ができていました。

しかし、案内もないので、知らないと、この狭い参道を車で下りていくのは、少し勇気がいりますね。
私はこの入口に少し空いたスペースがあったのでそこに置いて歩いて行きました。

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こちらが県指定の文化財である「本殿」の龍の彫刻です。
元禄10年(1697)の棟札があるそうです。

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(サムネルです)

この龍はものすごいですね。左右それぞれ一番上に頭がありますが、途中にも頭がそれぞれあります。
ものすごい形相ですね。
下の方にも頭があります。

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本殿の彫刻も凝ったものがあります。
造りは流れ造りで屋根は後から上に保護のために銅板製の屋根を載せたのではないかと思います。

ここを見に来る気になったのは、龍の柱があるとの紹介は結構あるのですが、詳細を紹介しているところが少ないので、直接見に来たのです。

先日、石岡市瓦会(かわらえ)の日笠神社の本殿にやはり龍の彫刻があったので、比較のために見に来たといってもよいでしょう。

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こちらがその日笠神社の龍です。
やはり、厳島神社の方が迫力があります。

でも神社の作りはよく似ていますね。
でもこちらは火災で焼け、1850年に再建された物だったと思います。

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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/11 19:38

白井家-慶喜が最後に休憩した家

 鉾田市の中心部から、海岸沿いの国道にでる途中の街道沿いに大きな門構えの家があった。

門の前に説明板が置かれているので、一旦通り過ぎたが戻って見学した。

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「白井家」とあります。

慶喜は慶応3年10月に大政を奉還し、翌慶応4年4月に江戸城を明け渡して、上野寛永寺から水戸の講道館の一室に身を寄せました。

そしてそれから3ヶ月後の7月に駿府(静岡)に移された。その移動時に休憩した家がこの白井家であったという。

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(サムネルです)

当時を偲ばせてくれる大きな門構えの家です。

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(サムネルです)

水戸街道で江戸に向かうのではなく、この海運ルートを通って行ったのは、こちらの方が身は安全と判断したのでしょう。
(霞ヶ浦水運ルートについては前に書いた記事 → こちら を参照下さい。4番目の那珂湊内海ルートです。)

水戸から船で涸沼へ進み、対岸より鉾田まで陸を進み、ここ鉾田で1泊。
そして、ここからまた船で北浦から霞ヶ浦を通って利根川-江戸川と通ると江戸まで船で行けます。

この白井家は立派な庭を持つ大きな家です。

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(サムネルです)

慶喜は江戸城を明け渡して上野寛永寺から水戸の講道館に謹慎し、その後、駿府(静岡)に行きます。
そして明治30年に東京巣鴨に住み、大正の初めまで生きています。

さて、この白井家の前を通る街道の反対側に大きな「メロンの森」という観光施設がありました。
メロンの時期(5~7月始め、及び9・10月)にはメロン狩りやバーベキューができるようです。
鉾田のメロンは有名なんです。

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鉾田 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/10/17 17:45

塔ヶ崎十一面観音(吉祥院)

 先日紹介した鉾田市の厳島神社を訪問する途中で、バイパスも出来ていたが、旧市街への道を進んだところ「塔ヶ崎十一面観音」と書かれた看板を見つけた。

この名前をあまり知らなかったが、このあたりでは安産、子育て、子授りなどで有名な観音様だという。

しかし、今回案内するのはこの同じ塔ヶ崎にあるが、もう一つ別な十一面観音だということに後で気がついた。
2つあるとはどういうことか?

もう一方の十一面観音の方は1月と8月の21日には屋台が並ぶほど人が訪れる場所らしい。
(今はだいぶ寂しくなったとも・・・)

しかし、どこを見てもこの十一面観音堂(吉祥院)を紹介しているところがない。

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車も入れたようだが、通りの空き地に駐車して、住宅のあいだを歩いて行った。
案内はしっかりしていて、ご覧のような矢印まである。

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すると、小さな張り出したような山の麓に立派なお堂が現れた。

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六角のお堂で「吉祥院」(きっしょういん?、きちじょういん?)と書かれている。
姿の良いお堂で、境内に梅の古木が植えられていた。

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「十一面観世音堂新築記念」と書かれた立派な石碑が置かれていました。

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それほど広い敷地ではないのですが、綺麗に管理されています。
近くで縁日に賑わうという「塔ヶ崎十一面観音堂」とはどういう関係があるのでしょう。

この裏手の山の姿を見ると、ここ鉾田が霞ヶ浦の北浦の先っぽにあり、この北浦にこの場所が突き出した場所だったのだろうと想像できます。

そして、そこに昔お宮が建てられた。そして十一面観音も祀られるようになった。
またその岬の場所に塔ケ崎と名が付いた。

しばらくして、山の麓に寺や神社ができ上の奥宮を下で祀った。
一つは有名な「塔ヶ崎十一面観音」で、もう一つが、この吉祥院のとなりにある「大宮神社」なのだろう。

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こちらがこの吉祥院に隣接する「大宮神社」だ。

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拝殿の裏にこじんまりとした本殿が山に抱かれるように安置されています。
そして、この神社の左手にまた鳥居と奥の方に小さな祠が置かれています。
これはこの山の神を祀るものでしょう。

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さて、もう一つの縁日も立つという塔ヶ崎十一面観音は「塔明山観音寺」というお寺です。
しかし、昔からあるのは書いてあるが、謂れや歴史がほとんど書かれたものがありません。
しかし十一面観音はそれほど大きなものではないようですが、写真を見る限り金色の像です。
昔、この近くを流れる巴川(ともえがわ)に流れ着いた観音様だそうです。

巴川は昔はもっと広い川だったようで、笠間の方から流れています。
そして親鸞上人の幽霊退治で有名な同じ鉾田市の無量寿寺の脇も流れています。

新潟佐渡にも「観音寺」と「吉祥寺」と二つあったものが片方がなくなったなどという記述もあることからすると、ここも観音寺と吉祥寺の2つがあったのかもしれません。
明治の初めの廃仏毀釈でこちらの寺が壊されたのかもしれません。

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歴史もよくわからない場所でしたが、こんなこともまた次のネタにもつながることはよくあるので記憶に留めておきましょう。



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鉾田 | コメント(2) | トラックバック(2) | 2012/10/22 18:26
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