つらつら思うこと(1)
昨日はやっとe-Taxで確定申告を送信した。
今年はいつもより少し面倒な申請が2件も多くあったので、少し時間がかかったのだが、去年に続いて今年もトラブルが発生した。
年に1回ではどうもうまくいかない。
去年は、ICカードとして住基カードを使うのだが、パスワードを別なものと勘違いして数回間違って入力したらカードがロックされてしまった。あわてて市役所に駆け込み解除してもらった。
今年のトラブルは、このICカードの有効期限が住基カードの表記は10年間なのだが、e-Taxの分は3年なのだ。
3年前に作ったので今年まで使えると思っていたのだが、1ヶ月前に期限切れであった。
今度も市役所へ駆け込んだ。係りのベテラン年配職員の人に話したが、有効期限まだ先じゃないか?という。
やっと若い職員さんが対応してくれて話が通じた。有効期限をまた今から3年間となって、500円取られた。
カードを作ったわけではなく有効期限をなにか操作して書き換えただけなのだが・・・。
これを利用している人が少ないのだろうか。田舎の市役所と言っては失礼だが・・・・
そういえば、石岡の観光案内の英文のパンフレットが置いてあったが、1部しかなかったので見るだけで元に戻してきた。
昨日、今日と暖かい日が続いている。気がつくとあちらこちらで梅の花が一斉に咲き出した。
もう春である。明日はまた銚子に出かける。
さて、パスカルは「人間は考える葦である」といった。
葦は風に逆らわずしなやかに反って強風をかわし、またしっかりと立ち上がる。こんな姿を人間の姿に例えたものというが、本当のところはわからない。手でも折ることだってできるじゃないか。
日本の国は「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と日本神話では表現されている。
葦は川べりや湿地帯に生える。
葦原中国とは高天原と黄泉の国(死者の国)とを結ぶ中間に存在する国というので、それは現実の日本国のことだとされている。昔から日本には葦がたくさん生えていたのだろう。
常陸風土記でも利根川から霞ヶ浦沿いの信太郡あたりの地帯を同じ表現をしている。
パスカルの表現では、葦は葦でも、人間は考える葦であるという。
考えないのは人間ではないということなのか。
また、上野に西洋美術館がある。これは松方コレクションを譲り受けて開設された美術館だが、ここの庭にロダンの彫刻がいくつか置かれている。
よく知られた「考える人」がすぐに目に飛び込んでくる。
この考える人とは何を考えているのだろうか?
この考える人の像の近くには、同じくロダンの「地獄門」というブロンズの門が置かれている。
ここに苦悩する人々などの真ん中の上部にこの考える人と同じ小さな像が描かれている。
この門には「ここを通る者は一切の望みを捨てよ」とあるそうだが、ロダンは考える人だけを別にまた作って「詩人」と名づけた。
親父に中学の頃に連れて行ってもらったが、同じ姿であったのを見つけて感動したものだ。
やはり人間は考える動物だ。考える込む人は詩人なのだ。
さて、考えても結論が出ないときはどうするのか?
そんなことは簡単だ。分からなければ分からなくてもいい。考えることが大切なのだ。
分からなければ知りたいと思い、調べたり、教えを乞うたり、すればよい。
でもここで肝心なのは自分の考えでそれを理解し、決して鵜呑みにしないことだと思う。
それが考えることだと思っている。
他人の考えを聞いて、考えもせずに鵜呑みにしたんでは考えたってちっとも面白くない。
私はテレビのクイズ番組などもよく見ているが、これは娯楽だと思っている。
ちっとも知的ではないよね。知らないこともたくさん出てくるが、右から左に流れていくだけだ。
最近の教育も少し気になることが多い。
今のあまり成績の芳しくない子供たちはすぐに答えを求めてくる。
塾などでも出来る子は教え方さえ教えれば自分から進められる。
でも出来ない子は全て教えてもらって勉強をやった気になる。

阿弥陀寺(那珂市額田)にて、梅の花はもう少しといったところだ。
← よろしければクリックお願いします。
今年はいつもより少し面倒な申請が2件も多くあったので、少し時間がかかったのだが、去年に続いて今年もトラブルが発生した。
年に1回ではどうもうまくいかない。
去年は、ICカードとして住基カードを使うのだが、パスワードを別なものと勘違いして数回間違って入力したらカードがロックされてしまった。あわてて市役所に駆け込み解除してもらった。
今年のトラブルは、このICカードの有効期限が住基カードの表記は10年間なのだが、e-Taxの分は3年なのだ。
3年前に作ったので今年まで使えると思っていたのだが、1ヶ月前に期限切れであった。
今度も市役所へ駆け込んだ。係りのベテラン年配職員の人に話したが、有効期限まだ先じゃないか?という。
やっと若い職員さんが対応してくれて話が通じた。有効期限をまた今から3年間となって、500円取られた。
カードを作ったわけではなく有効期限をなにか操作して書き換えただけなのだが・・・。
これを利用している人が少ないのだろうか。田舎の市役所と言っては失礼だが・・・・
そういえば、石岡の観光案内の英文のパンフレットが置いてあったが、1部しかなかったので見るだけで元に戻してきた。
昨日、今日と暖かい日が続いている。気がつくとあちらこちらで梅の花が一斉に咲き出した。
もう春である。明日はまた銚子に出かける。
さて、パスカルは「人間は考える葦である」といった。
葦は風に逆らわずしなやかに反って強風をかわし、またしっかりと立ち上がる。こんな姿を人間の姿に例えたものというが、本当のところはわからない。手でも折ることだってできるじゃないか。
日本の国は「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と日本神話では表現されている。
葦は川べりや湿地帯に生える。
葦原中国とは高天原と黄泉の国(死者の国)とを結ぶ中間に存在する国というので、それは現実の日本国のことだとされている。昔から日本には葦がたくさん生えていたのだろう。
常陸風土記でも利根川から霞ヶ浦沿いの信太郡あたりの地帯を同じ表現をしている。
パスカルの表現では、葦は葦でも、人間は考える葦であるという。
考えないのは人間ではないということなのか。
また、上野に西洋美術館がある。これは松方コレクションを譲り受けて開設された美術館だが、ここの庭にロダンの彫刻がいくつか置かれている。
よく知られた「考える人」がすぐに目に飛び込んでくる。
この考える人とは何を考えているのだろうか?
この考える人の像の近くには、同じくロダンの「地獄門」というブロンズの門が置かれている。
ここに苦悩する人々などの真ん中の上部にこの考える人と同じ小さな像が描かれている。
この門には「ここを通る者は一切の望みを捨てよ」とあるそうだが、ロダンは考える人だけを別にまた作って「詩人」と名づけた。
親父に中学の頃に連れて行ってもらったが、同じ姿であったのを見つけて感動したものだ。
やはり人間は考える動物だ。考える込む人は詩人なのだ。
さて、考えても結論が出ないときはどうするのか?
そんなことは簡単だ。分からなければ分からなくてもいい。考えることが大切なのだ。
分からなければ知りたいと思い、調べたり、教えを乞うたり、すればよい。
でもここで肝心なのは自分の考えでそれを理解し、決して鵜呑みにしないことだと思う。
それが考えることだと思っている。
他人の考えを聞いて、考えもせずに鵜呑みにしたんでは考えたってちっとも面白くない。
私はテレビのクイズ番組などもよく見ているが、これは娯楽だと思っている。
ちっとも知的ではないよね。知らないこともたくさん出てくるが、右から左に流れていくだけだ。
最近の教育も少し気になることが多い。
今のあまり成績の芳しくない子供たちはすぐに答えを求めてくる。
塾などでも出来る子は教え方さえ教えれば自分から進められる。
でも出来ない子は全て教えてもらって勉強をやった気になる。

阿弥陀寺(那珂市額田)にて、梅の花はもう少しといったところだ。


つらつら思うこと(2)
前回つらつら思うことというタイトルでパスカルの「考える葦」やロダンの「考える人」などのことをなんとなく書いた。
このタイトルでは、日頃なんとなく気になっていることを時々綴っていきたいと思っている。
最近の話題では、柔道の暴力問題がある。
18日に全柔連は理事会で現職の理事長はじめ執行部の続投を決めた。
やはり何も分かっていないと感じたのは私だけではないだろう。
もちろん会長がやめればいいというのではない。
この問題の発端は、オリンピックなどの強化選手の練習で起こった。単なる学校での暴力教師の話とは違う。
一流選手の指導者がこの体たらく(為体)であったことがとても驚きだった。
それなのに・・・何も変わりそうにない。
こんな指導法は大いに反省しなければならない。
体が強靭で、スポーツの試合では強いが、頭の悪い指導者などはこの世界では通用しない。
オリンピックで最近柔道が勝てないのも頷ける。前々回あたりのオリンピックの時ころから気になっていた。
勝てないのは選手の精神力の鍛え方が足りないからなどというように聞こえてきていたから。
世界と競争するのに、未だにこの精神論で、がむしゃらに鍛えて勝とうとしている。
やはりおかしいよね。
指導者には一流の指導法をもっと勉強して、指導者としての資格も必要なのではないか。
当然、メンタルトレーニングや栄養管理など必要最小限の知識がないものは指導者などにするな。
それなのに全柔連の理事会では、学校の部活のレベルを超えるものすら感じなかった。
また、気になるテレビコマーシャルがある。
グレーゾーン金利で過払いとなったカードローンの回収おまかせという「○○○○法律事務所」のものだ。
もともと法律が曖昧でこんな金利おかしいとは思っていたが、グレーゾーンなどというわからない名前で許可してきた国もおかしい。
この払いすぎ金利分を取り戻してあげるという一見素晴らしいことをやってくれそうに思うが、法律事務所などといっても弁護士など誰もいない。司法書士のグループだ。
過払い金については簡単なソフトが有り、個人でもやり方さえ覚えたら申請できる。
受け取った方が悪いのだから、それを返すのは受け取った方の責任でやらせればよい。
このような中間の手数料を過払いの人たちから取り上げてやる必要があるのだろうか。
儲かるのは、この中間業者と広告収入のあるテレビ会社などだ。こうしたカード会社もいつの間にか銀行と一緒になったりしている。
下手したら、過払い金はほとんど債務者には戻ってこないかもしれない。中間業者の手数料に消えてしまう。
何でも申請主義で、申請しなければ何もやらない・教えないというのは、年金の申請でよくわかった。
やはりこの国はおかしいよ。
人の税金をどう使おうと自分たちの勝手?
この田舎にいると、聞こえてくるのは自分たちの有利なようにお金を回すことばかり。
これも身近な人たちに情報は先に行って、一般庶民の知らぬうちに自分たちの税金が使われているのだろう。
普通の庶民は自ら申請することも知らない人が多いんですよ。
おとなしい真面目な人がバカを見るような世の中にはやはり住みたくないな。
さて、今回は「人の独立」ということを考えてみた。
福沢諭吉が福翁百話とは別に「福翁百餘話」として19編の話を書いている。
この中に、その最初の章に「人生の独立」ということが書かれている。(こちらで電子版を読めます)
その内容を大雑把に要約すると
「人生の独立などと文字で書けば難しそうだが、深い意味はない。他人に厄介にならないことに過ぎない。
父母の手を離れて一人前の成人男女となったならば、他人はもちろん自分の両親に対してもこれを煩はすのは独立の本位に背くものだ。
この独立には心の独立と、身体の独立の二つのものがある。
「身体の独立」とは親や他人の物質的な援助を受けずに、自分の力で解決していくことであり、「心の独立」とは、社会の処世において自分の考えを持ち、それを言い行って満腔豁然(まんこうかつぜん)洗うが如くにして秋毫(しゆうごう)の微も節を屈することがない姿を言う。
しかし、この心の独立を成し遂げるには、まず身体の独立が先になされていなければならない。」
要は、親を含め他人に衣食住の世話になっていては、いくら自分の考え方を主張しても心の独立は得られないというのです。
まあ、生まれながらに平等というが、鳩○○○(ぽっぽ)などのことを考えると、ちっとも平等ではない。
しかし、母親から多額の小遣いをもらって、いまだこの国を危うくするような発言や行動をしているからこまったもだ。
この意味では身体の独立が逆の意味で出来ていないのかもしれない。
さあ、春めいてきて庭の花々も一斉に咲き出しました。

スイセン

椿もこちらの木は少し小さいが大きな花をいくつも咲かせている。

こちらは別な椿の木ですが、赤い花と白い花があります。
1本の木に別々の色の花がつくんですね。真っ白い花もあります。

ヒヤシンス?

馬酔木(あしび)の花は、もう2ヶ月以上咲いている。となりの梅の花はもうほとんど散ってしまった。
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このタイトルでは、日頃なんとなく気になっていることを時々綴っていきたいと思っている。
最近の話題では、柔道の暴力問題がある。
18日に全柔連は理事会で現職の理事長はじめ執行部の続投を決めた。
やはり何も分かっていないと感じたのは私だけではないだろう。
もちろん会長がやめればいいというのではない。
この問題の発端は、オリンピックなどの強化選手の練習で起こった。単なる学校での暴力教師の話とは違う。
一流選手の指導者がこの体たらく(為体)であったことがとても驚きだった。
それなのに・・・何も変わりそうにない。
こんな指導法は大いに反省しなければならない。
体が強靭で、スポーツの試合では強いが、頭の悪い指導者などはこの世界では通用しない。
オリンピックで最近柔道が勝てないのも頷ける。前々回あたりのオリンピックの時ころから気になっていた。
勝てないのは選手の精神力の鍛え方が足りないからなどというように聞こえてきていたから。
世界と競争するのに、未だにこの精神論で、がむしゃらに鍛えて勝とうとしている。
やはりおかしいよね。
指導者には一流の指導法をもっと勉強して、指導者としての資格も必要なのではないか。
当然、メンタルトレーニングや栄養管理など必要最小限の知識がないものは指導者などにするな。
それなのに全柔連の理事会では、学校の部活のレベルを超えるものすら感じなかった。
また、気になるテレビコマーシャルがある。
グレーゾーン金利で過払いとなったカードローンの回収おまかせという「○○○○法律事務所」のものだ。
もともと法律が曖昧でこんな金利おかしいとは思っていたが、グレーゾーンなどというわからない名前で許可してきた国もおかしい。
この払いすぎ金利分を取り戻してあげるという一見素晴らしいことをやってくれそうに思うが、法律事務所などといっても弁護士など誰もいない。司法書士のグループだ。
過払い金については簡単なソフトが有り、個人でもやり方さえ覚えたら申請できる。
受け取った方が悪いのだから、それを返すのは受け取った方の責任でやらせればよい。
このような中間の手数料を過払いの人たちから取り上げてやる必要があるのだろうか。
儲かるのは、この中間業者と広告収入のあるテレビ会社などだ。こうしたカード会社もいつの間にか銀行と一緒になったりしている。
下手したら、過払い金はほとんど債務者には戻ってこないかもしれない。中間業者の手数料に消えてしまう。
何でも申請主義で、申請しなければ何もやらない・教えないというのは、年金の申請でよくわかった。
やはりこの国はおかしいよ。
人の税金をどう使おうと自分たちの勝手?
この田舎にいると、聞こえてくるのは自分たちの有利なようにお金を回すことばかり。
これも身近な人たちに情報は先に行って、一般庶民の知らぬうちに自分たちの税金が使われているのだろう。
普通の庶民は自ら申請することも知らない人が多いんですよ。
おとなしい真面目な人がバカを見るような世の中にはやはり住みたくないな。
さて、今回は「人の独立」ということを考えてみた。
福沢諭吉が福翁百話とは別に「福翁百餘話」として19編の話を書いている。
この中に、その最初の章に「人生の独立」ということが書かれている。(こちらで電子版を読めます)
その内容を大雑把に要約すると
「人生の独立などと文字で書けば難しそうだが、深い意味はない。他人に厄介にならないことに過ぎない。
父母の手を離れて一人前の成人男女となったならば、他人はもちろん自分の両親に対してもこれを煩はすのは独立の本位に背くものだ。
この独立には心の独立と、身体の独立の二つのものがある。
「身体の独立」とは親や他人の物質的な援助を受けずに、自分の力で解決していくことであり、「心の独立」とは、社会の処世において自分の考えを持ち、それを言い行って満腔豁然(まんこうかつぜん)洗うが如くにして秋毫(しゆうごう)の微も節を屈することがない姿を言う。
しかし、この心の独立を成し遂げるには、まず身体の独立が先になされていなければならない。」
要は、親を含め他人に衣食住の世話になっていては、いくら自分の考え方を主張しても心の独立は得られないというのです。
まあ、生まれながらに平等というが、鳩○○○(ぽっぽ)などのことを考えると、ちっとも平等ではない。
しかし、母親から多額の小遣いをもらって、いまだこの国を危うくするような発言や行動をしているからこまったもだ。
この意味では身体の独立が逆の意味で出来ていないのかもしれない。
さあ、春めいてきて庭の花々も一斉に咲き出しました。

スイセン

椿もこちらの木は少し小さいが大きな花をいくつも咲かせている。

こちらは別な椿の木ですが、赤い花と白い花があります。
1本の木に別々の色の花がつくんですね。真っ白い花もあります。

ヒヤシンス?

馬酔木(あしび)の花は、もう2ヶ月以上咲いている。となりの梅の花はもうほとんど散ってしまった。


つらつら思うこと(3)
今週末からゴールデンウィークに突入する。
今や海外でも日本のこの休みは良く知られているが、日本人の仕事のやり方を見ていると真面目なのは良いが、どう見ても能率的でないことが多い。
自分も含めてだが、長い時間疲れるまで働いて働いたと思いこんでいるところがある。
これは、自分の経験から思うのだが、時間の使い方をもう少しうまく使わなければいけない。
もうある年を過ぎてから根を詰めて仕事をすることができなくなったせいもあるが、実に無駄な時間を使っている人が多いと感じている。
まあ、私もこの手のやり方で長いことやってきた一人ではあるのだが、あることが転機となって、最近はもう少しうまいやり方を工夫している。これでもう少しまだ必要とされているのかもしれない。
さて、私のブログを読んで、「歴史に詳しい人だ」などという人がいるが、そんなことはまったくない。
歴史など受験勉強以外に何も勉強してこなかったし、最も苦手なものの一つだ。
人物の名前や年号などが覚えられない。覚えたのも「鳴くよ794ウグイス平安京」「いい国1192つくろう鎌倉幕府」「ひとつくれよう1904露にげんこ」「引くがよい1941に仲間入り(真珠湾)」くらいをなんとか覚えた。
先ほどまだ明るい空を見上げたらまんまるいオレンジ色の月が輝いていた。
満月は明日の朝方のようなので今晩が満月といってもいいだろう。

歴史認識について、数日前から気になって次のようなことを書いていたが、アップするのがためらわれたので、お蔵入りにしようと思っていた。
しかし、今日の韓国や中国の抗議のニュース聞いて、こんなことを2日ほど前に考えていたということで残しておこうと思う。
-----------------------------
自民党政権になり、安倍首相の人気も高まっているが、靖国参拝に自民党議員がぞろぞろと・・・・。
それぞれの国で自国の英霊にお参りするのにどこが悪いという。
たしかに理屈はそうだが、日本では「韓国併合」の歴史があまりはっきり説明されていない。
これから韓国・中国との友好関係を築き、深めていかなければならないという時期に優先するものが違うだろうと思うのだが・・・・。
しばらくは関係が悪化してしまうのは避けられない。こんなことでまた元に戻ってしまうのかと残念に思う。
日韓併合の解釈はいろいろあり、それぞれの主張が異なるが、韓国では日帝に植民地化されたと思っている人が多いという。
また、日本の産業発展のために韓国人が労働力として強制連行されて働かされたと思っているし、日本との話をするときに豊臣秀吉の朝鮮進出まで話題に上げる人も多いという。
私はこの近代日本史をまともに学校で学んだ覚えがない。
古代から始まりに日清・日露戦争の頃になると事象だけを急ぎ足で流して終わってしまう。
記憶にほとんど残らない。
韓国に行った時には年配者は日本語をしゃべり一緒に話していても最後の最後では日本人に対して快く思っていない人たちがいることを知った。
山の木々が禿山になり、緑が少ないのも日本のせいだと未だに言う人がいる。
お互いが心を開いて仲良くすることを考えていかねばならない時に、この人(議員)たちの真の目的が未来志向の日本の国益を考えているとは思われない。
恐らくこれらの反対や抗議がエスカレートしてくると、さらに日本の軍備を強くしなければならないという国粋主義に傾いていきかねないのです。
このような行動をとっている人たちを見ていると憲法9条の改訂などはやはり怖くなる。
資源のない日本をどのような方向に持っていくのでしょうか?
なし崩しに原発も再開されていくのでしょうか?
富士山の爆発や、東南海連動型の大地震は来ないのでしょうか?
私にはどのようにしていくべきなのかは正直わかりません。
数万年単位で考えていくとこの地球の人類がいつまでも繁栄できるはずはないのかもしれません。
-----------------------------------
さて、この話しはこれくらいにして、今日の大槌町で復興のために切り倒される運命となった桜の5本の木を皆で最後の花見をしようという催しがあったが、強い風雨のため外での花見物はできなくなったそうです。
桜の木が切り倒されるのはさみしいですが、桜は意外に大きくなるのが早いのでもっとたくさんの桜を植えて10年後には盛大に花見ができるようになると前向きに考えましょう。

今年も花ダイコン(オオアラセイトウ、諸喝采)が咲いています。
諸葛孔明が食用に広めたと伝わるのですが、孔明が活躍したのは1800年も前なんですよね。
この頃日本は卑弥呼の時代ですね。
この私のいる常陸国はどんなだったのでしょう。
まだ常陸国は存在しませんが、豊かなめぐみを分けあって仲良く暮らしていた縄文人がまだいたのでしょうか。

池に映るボタン桜ももうだいぶ葉桜となりました。(かすみがうら市志筑にて)
明日はまた銚子に出かけます。
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今や海外でも日本のこの休みは良く知られているが、日本人の仕事のやり方を見ていると真面目なのは良いが、どう見ても能率的でないことが多い。
自分も含めてだが、長い時間疲れるまで働いて働いたと思いこんでいるところがある。
これは、自分の経験から思うのだが、時間の使い方をもう少しうまく使わなければいけない。
もうある年を過ぎてから根を詰めて仕事をすることができなくなったせいもあるが、実に無駄な時間を使っている人が多いと感じている。
まあ、私もこの手のやり方で長いことやってきた一人ではあるのだが、あることが転機となって、最近はもう少しうまいやり方を工夫している。これでもう少しまだ必要とされているのかもしれない。
さて、私のブログを読んで、「歴史に詳しい人だ」などという人がいるが、そんなことはまったくない。
歴史など受験勉強以外に何も勉強してこなかったし、最も苦手なものの一つだ。
人物の名前や年号などが覚えられない。覚えたのも「鳴くよ794ウグイス平安京」「いい国1192つくろう鎌倉幕府」「ひとつくれよう1904露にげんこ」「引くがよい1941に仲間入り(真珠湾)」くらいをなんとか覚えた。
先ほどまだ明るい空を見上げたらまんまるいオレンジ色の月が輝いていた。
満月は明日の朝方のようなので今晩が満月といってもいいだろう。

歴史認識について、数日前から気になって次のようなことを書いていたが、アップするのがためらわれたので、お蔵入りにしようと思っていた。
しかし、今日の韓国や中国の抗議のニュース聞いて、こんなことを2日ほど前に考えていたということで残しておこうと思う。
-----------------------------
自民党政権になり、安倍首相の人気も高まっているが、靖国参拝に自民党議員がぞろぞろと・・・・。
それぞれの国で自国の英霊にお参りするのにどこが悪いという。
たしかに理屈はそうだが、日本では「韓国併合」の歴史があまりはっきり説明されていない。
これから韓国・中国との友好関係を築き、深めていかなければならないという時期に優先するものが違うだろうと思うのだが・・・・。
しばらくは関係が悪化してしまうのは避けられない。こんなことでまた元に戻ってしまうのかと残念に思う。
日韓併合の解釈はいろいろあり、それぞれの主張が異なるが、韓国では日帝に植民地化されたと思っている人が多いという。
また、日本の産業発展のために韓国人が労働力として強制連行されて働かされたと思っているし、日本との話をするときに豊臣秀吉の朝鮮進出まで話題に上げる人も多いという。
私はこの近代日本史をまともに学校で学んだ覚えがない。
古代から始まりに日清・日露戦争の頃になると事象だけを急ぎ足で流して終わってしまう。
記憶にほとんど残らない。
韓国に行った時には年配者は日本語をしゃべり一緒に話していても最後の最後では日本人に対して快く思っていない人たちがいることを知った。
山の木々が禿山になり、緑が少ないのも日本のせいだと未だに言う人がいる。
お互いが心を開いて仲良くすることを考えていかねばならない時に、この人(議員)たちの真の目的が未来志向の日本の国益を考えているとは思われない。
恐らくこれらの反対や抗議がエスカレートしてくると、さらに日本の軍備を強くしなければならないという国粋主義に傾いていきかねないのです。
このような行動をとっている人たちを見ていると憲法9条の改訂などはやはり怖くなる。
資源のない日本をどのような方向に持っていくのでしょうか?
なし崩しに原発も再開されていくのでしょうか?
富士山の爆発や、東南海連動型の大地震は来ないのでしょうか?
私にはどのようにしていくべきなのかは正直わかりません。
数万年単位で考えていくとこの地球の人類がいつまでも繁栄できるはずはないのかもしれません。
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さて、この話しはこれくらいにして、今日の大槌町で復興のために切り倒される運命となった桜の5本の木を皆で最後の花見をしようという催しがあったが、強い風雨のため外での花見物はできなくなったそうです。
桜の木が切り倒されるのはさみしいですが、桜は意外に大きくなるのが早いのでもっとたくさんの桜を植えて10年後には盛大に花見ができるようになると前向きに考えましょう。

今年も花ダイコン(オオアラセイトウ、諸喝采)が咲いています。
諸葛孔明が食用に広めたと伝わるのですが、孔明が活躍したのは1800年も前なんですよね。
この頃日本は卑弥呼の時代ですね。
この私のいる常陸国はどんなだったのでしょう。
まだ常陸国は存在しませんが、豊かなめぐみを分けあって仲良く暮らしていた縄文人がまだいたのでしょうか。

池に映るボタン桜ももうだいぶ葉桜となりました。(かすみがうら市志筑にて)
明日はまた銚子に出かけます。


つらつら思うこと(4)
ゴールデンウィークも今日で終わりですね。
ある程度自由の身になると、この休みはかえって困ります。
どこに行っても混雑し、時間もかかる上にゆっくり散策もできない。
昔はこれしか休めないのでどこに行こうかなどと考えもしたが、今は平日に出かけることもできるので休みは家にとどまっていることが多い。
このブログを開始して今日で1000日目になった。
昔の記事に時々拍手やコメントをもらうことがある。その時にまたその記事を読み直してみる。
毎日書いているとやはりマンネリになり昔のフレッシュさが失われてきていることに気がつく。
やはりマンネリで記事をUPしていることが多くなった。
時間との競争もあり、根気が続かなくなることもある。
これもある程度は致し方ないだろう。
このブログを始めたきっかけは実に他愛もないことだった。
最初はどうして良いかも分からずにハンドルネームも自分だけわかれば良いと登録するときに考えずに決めてしまった。
今から思えば皆からキザと思われるような名前になってしまった。
石岡の歴史などを紹介するホームページも、他所から来て間もない時であったので「・・・ロマン紀行」なんてつけたので、石岡市民とはまだ自分でも思っていなかったのだろう。
もちろんこの場所を、他の場所に住んでおられる方に知ってもらうには紀行文的な書き方の方が伝わりやすいと思っていたためのタイトルでもあった。
そして、姉妹編としてこのブログを始めたのでハンドル名を「Roman1405」(ロマン石岡)としたのだが、これってコメントを書くたびに出てきて打つのが面倒になり「Roman」と短くした。
まったくキザぽくなっってしまったが、本人はいたってロマンチストとは思っていない。
でも名前負けしたくないので、顔も見えないので、できればもっとロマンチックにやりたいのだが、こればかりは生来のガサツさは文章に出てくる。
まあ目標の3年間ももう少し。
妻に「疲れたからそろそろ毎日書くのはやめようかな」と言うと、「ここまでやったのだからもう少し続けたら」と言われてしまった。
妻も、このブログを毎日のようにチェックしているようだが、文章は長いからほとんど写真を流し読みが多いという。
だから写真がないとつまらないようなので今日も1枚載せます。
連休最終日に風土記の丘も親子連れが多く来ていました。
お弁当を広げたり小川で魚などをとったり楽しそうでした。
明日にもう少し写真をUPします。

(クリックすると拡大します)
風土記の丘の日本一の獅子頭と藤棚
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ある程度自由の身になると、この休みはかえって困ります。
どこに行っても混雑し、時間もかかる上にゆっくり散策もできない。
昔はこれしか休めないのでどこに行こうかなどと考えもしたが、今は平日に出かけることもできるので休みは家にとどまっていることが多い。
このブログを開始して今日で1000日目になった。
昔の記事に時々拍手やコメントをもらうことがある。その時にまたその記事を読み直してみる。
毎日書いているとやはりマンネリになり昔のフレッシュさが失われてきていることに気がつく。
やはりマンネリで記事をUPしていることが多くなった。
時間との競争もあり、根気が続かなくなることもある。
これもある程度は致し方ないだろう。
このブログを始めたきっかけは実に他愛もないことだった。
最初はどうして良いかも分からずにハンドルネームも自分だけわかれば良いと登録するときに考えずに決めてしまった。
今から思えば皆からキザと思われるような名前になってしまった。
石岡の歴史などを紹介するホームページも、他所から来て間もない時であったので「・・・ロマン紀行」なんてつけたので、石岡市民とはまだ自分でも思っていなかったのだろう。
もちろんこの場所を、他の場所に住んでおられる方に知ってもらうには紀行文的な書き方の方が伝わりやすいと思っていたためのタイトルでもあった。
そして、姉妹編としてこのブログを始めたのでハンドル名を「Roman1405」(ロマン石岡)としたのだが、これってコメントを書くたびに出てきて打つのが面倒になり「Roman」と短くした。
まったくキザぽくなっってしまったが、本人はいたってロマンチストとは思っていない。
でも名前負けしたくないので、顔も見えないので、できればもっとロマンチックにやりたいのだが、こればかりは生来のガサツさは文章に出てくる。
まあ目標の3年間ももう少し。
妻に「疲れたからそろそろ毎日書くのはやめようかな」と言うと、「ここまでやったのだからもう少し続けたら」と言われてしまった。
妻も、このブログを毎日のようにチェックしているようだが、文章は長いからほとんど写真を流し読みが多いという。
だから写真がないとつまらないようなので今日も1枚載せます。
連休最終日に風土記の丘も親子連れが多く来ていました。
お弁当を広げたり小川で魚などをとったり楽しそうでした。
明日にもう少し写真をUPします。

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風土記の丘の日本一の獅子頭と藤棚


つらつら思うこと(5)
このブログもいろいろな場所を訪れて、見て感じて、発見したりしたことなどを好きに書いてきた。
しかも、歴史学や考古学、民俗学などそれぞれの専門家がいるのに、そんな勉強もしない素人が勝手なことを書いていてもいいのだろうかというプレッシャーを感じることがある。
しかし、歴史も嘘は多いし、事実の事柄だけを並べ立ててもその時代に生きていた人たちの思いは伝わって来ない。
歴史の裏を見たいという思いはきっと誰にでもあるのだろうが、記録されたものがなければ学問では扱えず、どちらかと言うと文学や芸能の方がそのような民衆の考え方が伝わってくることも多い。
まあ「Going My Way」で行こう。誰かに何か言われてもそれはその人の考えであり、私は私の考えのおもむくままに進めばいい。
そんなことを考えていて、この休みにアメリカ映画「Going My Way」をネットで見た。
1944年の作品でまだ太平洋戦争の最中なのにアカデミー7部門を獲得したアメリカ映画だ。
タイトルから想像したのとは全く違ったが、とても良い映画だった。モノクロ映画など久しぶりだ。
借金で潰れそうになっていた教会を立て直しに新任神父がやってくる。
45年以上にわたってこの教会を自ら建て、それを守ってきた老神父は、新任の神父が自分の代わりに送られてきたことを知って、居場所がない思いにかられ、教会をそっと去る。
あてもないのに・・・・。
戦争中でもあったし、多くの人々が、居場所を見失っていた時代なのかもしれません。
家出し歌手を目指す少女・七面鳥を盗んだりする少年グループなど新任神父が変えていきます。
映画は優しく包んでくれます。
これは"虹の町"へ往く道
我が道を往こう ♪
行く手には "青い鳥の丘"
我が道を往こう
バスケットに希望をつめて さあ旅立とう
日曜の朝のように 心晴れやかに
道を曲がれば標識 "夢追い人"のハイウエー
幸せが待ち受ける道
我が道を往こう ♪
やがて浮かぶほほ笑みを 旅の道連れに
君も往くといい 君の道を ♪
ビング・クロスビーが歌う「Going My Way」はしっとりと美しい声だ。
この新任神父役がビング・クロスビーで若い時に歌手になるか神父になるかの選択を迷った結果が、このGoing My Wayというわけだ。
(アベマリア)
でもこれは日本語で言う「我が道を往く」ということとはかなりイメージが違う。
人々のために陰で支える役割に徹して、「君も往くといい 君の道を」というわけだ。
うん、こんな生き方もいいなと思うようになったね。
アベノミクスでただお金だけが動いて大儲けするなんて現象がまた復活しかけている。
生産性の伴わない金儲けは基本的にはどこかで損をする人が出る。
海外勢が日本株を買っているが、これは逃げ足が早い。ムードが変わった途端に暴落する。
まあ、お金の儲かった人は大いに消費してもらい、旅行も美味しいものもたくさん食べてくださいね。
どちらにしろ年寄りの金はなくなるしかないので、そのうちにこの大借金国日本はもたなくなるでしょう。

今朝(6時頃)の恋瀬橋からの眺め。(クリックで拡大します)
← よろしければクリックお願いします。
しかも、歴史学や考古学、民俗学などそれぞれの専門家がいるのに、そんな勉強もしない素人が勝手なことを書いていてもいいのだろうかというプレッシャーを感じることがある。
しかし、歴史も嘘は多いし、事実の事柄だけを並べ立ててもその時代に生きていた人たちの思いは伝わって来ない。
歴史の裏を見たいという思いはきっと誰にでもあるのだろうが、記録されたものがなければ学問では扱えず、どちらかと言うと文学や芸能の方がそのような民衆の考え方が伝わってくることも多い。
まあ「Going My Way」で行こう。誰かに何か言われてもそれはその人の考えであり、私は私の考えのおもむくままに進めばいい。
そんなことを考えていて、この休みにアメリカ映画「Going My Way」をネットで見た。
1944年の作品でまだ太平洋戦争の最中なのにアカデミー7部門を獲得したアメリカ映画だ。
タイトルから想像したのとは全く違ったが、とても良い映画だった。モノクロ映画など久しぶりだ。
借金で潰れそうになっていた教会を立て直しに新任神父がやってくる。
45年以上にわたってこの教会を自ら建て、それを守ってきた老神父は、新任の神父が自分の代わりに送られてきたことを知って、居場所がない思いにかられ、教会をそっと去る。
あてもないのに・・・・。
戦争中でもあったし、多くの人々が、居場所を見失っていた時代なのかもしれません。
家出し歌手を目指す少女・七面鳥を盗んだりする少年グループなど新任神父が変えていきます。
映画は優しく包んでくれます。
これは"虹の町"へ往く道
我が道を往こう ♪
行く手には "青い鳥の丘"
我が道を往こう
バスケットに希望をつめて さあ旅立とう
日曜の朝のように 心晴れやかに
道を曲がれば標識 "夢追い人"のハイウエー
幸せが待ち受ける道
我が道を往こう ♪
やがて浮かぶほほ笑みを 旅の道連れに
君も往くといい 君の道を ♪
ビング・クロスビーが歌う「Going My Way」はしっとりと美しい声だ。
この新任神父役がビング・クロスビーで若い時に歌手になるか神父になるかの選択を迷った結果が、このGoing My Wayというわけだ。
(アベマリア)
でもこれは日本語で言う「我が道を往く」ということとはかなりイメージが違う。
人々のために陰で支える役割に徹して、「君も往くといい 君の道を」というわけだ。
うん、こんな生き方もいいなと思うようになったね。
アベノミクスでただお金だけが動いて大儲けするなんて現象がまた復活しかけている。
生産性の伴わない金儲けは基本的にはどこかで損をする人が出る。
海外勢が日本株を買っているが、これは逃げ足が早い。ムードが変わった途端に暴落する。
まあ、お金の儲かった人は大いに消費してもらい、旅行も美味しいものもたくさん食べてくださいね。
どちらにしろ年寄りの金はなくなるしかないので、そのうちにこの大借金国日本はもたなくなるでしょう。

今朝(6時頃)の恋瀬橋からの眺め。(クリックで拡大します)


つらつら思うこと(6)
「つらつら思うこと」という、適当な「つぶやき」を時々載せようと思い3月から5月にかけて5回程書いた。
また時々書いてみようかと思う。
私は団塊の世代の中心にいる。
この時代に生まれたことは自分で望んだことではない。
この時代の人口が多いので今や厄介者のように扱われるのは全く困ったものだと思う。
団塊前の世代が制度上の優遇を受けていても、私たちの時には必ず制度が改正された。
団体生命保険などもそうだ。若い時世代によらず一律のものが、若い時は「年上になっても変わらないですからいいですよ」などと言われていたものがある時突然「年齢により変えます」などと平気で言ってくる。
もうあきらめと言おうか、そんなつまらないことを気にしても始まらないのでどうでもよくなった。
さて話は変わるが、最近テレビに出てくるタレントさんなどの使う言葉がとても気になっている。
自分の親を「私のお父さん」「僕のお母さん」と平気で使う。
何時からこんなことになったのだろう。もう教えるい人がいないからなのかもしれない。
教える大人が何とも思っていない??
私は貧しいながらも自分の親の事を他人に話す時は「私の父(ちち)は・・・」「母(はは)は・・・」と言うように言われた。
小学校6年生の時だ。しっかり覚えている。
これは私立中学を受験したため、その面接があり、学校でも家に帰ってからも何回も稽古をさせられた。
ノックして部屋に入る時、ドアの締め方、椅子に座るタイミング、目線・・・・
まったく嫌だと思っていたが、今から思えば感謝すべきことであった。
2~3倍くらいの倍率を突破しなければならないのだから結構しんどいが、競争はそれからも続いた。
中学に入ったら学校の増設ラッシュで教室数が前の学年よりもかなり増えた。
今から思えばきっと先生方も急激に増えた生徒をどう指導するか苦慮されたものと思う。
大学は浪人してはいるのが当たり前の時代で、2浪、3浪なども結構いた。
しかし団塊の前の世代(2年前)は、後ろに塊が控えているので皆現役合格を希望していた。
落ちたらその後ろの団塊世代に飲み込まれるのが目に見えていたのだ。
1年前の世代から団塊世代と言うが、その前が少なかったので受験倍率はまだよかった。
一番大変だったのが昭和23・24年組だ。
何処も倍率が高く、10倍くらいは当たり前の状態だった。
これは本人が望んだことではなく、この年に生まれたのだからあきらめるしかなかった。
こんな状態で大学に入ったら学校は学生運動で閉鎖されまともな授業もできない年であった。
ノンポリ学生だったので学校に行って、まともな授業はないのでやることはない。しかし、バリケードしていても学生は中に入れたので、読書三昧の日々が半年くらい続いた。これも一つの糧となった。
もっともこの頃に麻雀荘に入り浸っている学生もたくさんいた。
企業に就職しても仲間はものすごくたくさんいた。
企業では何度も失敗し挫折も味わったし、50歳前に友人を一人ガンで亡くし、その後自分もガンを疑われて1カ月入院し手術した。
その頃から会社人生はある程度で良いと思うようになった。子供の教育は妻任せであったし・・・。
半沢直樹も面白いがこんな人生は送りたくない。
現在おかれている日本の状況はとても危うい。
私はもう10年以上前の段階で、消費税は15~20%必要だと感じて来た。
これはヨーロッパなどに行くと15~20%は普通なので、そのうちこのくらいは必要だと思うようになったのである。
財政規律の公約もどこまで本気なのか・・・。
でも消費税が3%上がるとなったことで、それを狙った族議員などがうごめいている。
まったく醜い姿をさらしている。
復興増税で得た金がまったく関係ない所に湯水のごとく流れていくのだから、今回も大体どうなるか見えてくる。
団塊の世代の老齢化対策にコストがかかると言いながら別なものに充てられる。
こんなことならこの先も国の借金は減らず、福祉はどんどん貧しくなっていくだろう。
こんな世の中に誰がしただ。
議員定数も減らせられないし、既得権益などがまだはびこっている状態では消費税を上げても益々お上にぺこぺこして補助金をもらったり、土地を寝かせておいて税金をくれと叫んでみたり、堂々と自分の持っている土地に道路を誘致したりすることが無くならない限りとても安心して増税など主張できない。
私も今年65歳になった。ここまで税金も納めて来た。この先まだ数年は税金を払っていくと思う。
後何年納めればこんな無駄使いをしない世の中になるのだろう。俺の金は大切に使ってくれ。
無駄な事に使われているなら許さない。
農協もTPP反対などと騒ぐいでいるが、何処に落とし所を考えているのだろうか。
騒げば関税が今の水準に維持されると思っている人ばかりではないだろう。
食糧自給率を本当にこの危機水準から回復させる気があるのか農水省さん。
自分の利益、団体の利益を力ずくで取り込もうなんてこの国を滅ぼすだけだ。
族議員なんてくそくらえだ。

少し殺伐とした内容になってしまったので、家内の絵手紙の絵を一枚拝借しました。
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また時々書いてみようかと思う。
私は団塊の世代の中心にいる。
この時代に生まれたことは自分で望んだことではない。
この時代の人口が多いので今や厄介者のように扱われるのは全く困ったものだと思う。
団塊前の世代が制度上の優遇を受けていても、私たちの時には必ず制度が改正された。
団体生命保険などもそうだ。若い時世代によらず一律のものが、若い時は「年上になっても変わらないですからいいですよ」などと言われていたものがある時突然「年齢により変えます」などと平気で言ってくる。
もうあきらめと言おうか、そんなつまらないことを気にしても始まらないのでどうでもよくなった。
さて話は変わるが、最近テレビに出てくるタレントさんなどの使う言葉がとても気になっている。
自分の親を「私のお父さん」「僕のお母さん」と平気で使う。
何時からこんなことになったのだろう。もう教えるい人がいないからなのかもしれない。
教える大人が何とも思っていない??
私は貧しいながらも自分の親の事を他人に話す時は「私の父(ちち)は・・・」「母(はは)は・・・」と言うように言われた。
小学校6年生の時だ。しっかり覚えている。
これは私立中学を受験したため、その面接があり、学校でも家に帰ってからも何回も稽古をさせられた。
ノックして部屋に入る時、ドアの締め方、椅子に座るタイミング、目線・・・・
まったく嫌だと思っていたが、今から思えば感謝すべきことであった。
2~3倍くらいの倍率を突破しなければならないのだから結構しんどいが、競争はそれからも続いた。
中学に入ったら学校の増設ラッシュで教室数が前の学年よりもかなり増えた。
今から思えばきっと先生方も急激に増えた生徒をどう指導するか苦慮されたものと思う。
大学は浪人してはいるのが当たり前の時代で、2浪、3浪なども結構いた。
しかし団塊の前の世代(2年前)は、後ろに塊が控えているので皆現役合格を希望していた。
落ちたらその後ろの団塊世代に飲み込まれるのが目に見えていたのだ。
1年前の世代から団塊世代と言うが、その前が少なかったので受験倍率はまだよかった。
一番大変だったのが昭和23・24年組だ。
何処も倍率が高く、10倍くらいは当たり前の状態だった。
これは本人が望んだことではなく、この年に生まれたのだからあきらめるしかなかった。
こんな状態で大学に入ったら学校は学生運動で閉鎖されまともな授業もできない年であった。
ノンポリ学生だったので学校に行って、まともな授業はないのでやることはない。しかし、バリケードしていても学生は中に入れたので、読書三昧の日々が半年くらい続いた。これも一つの糧となった。
もっともこの頃に麻雀荘に入り浸っている学生もたくさんいた。
企業に就職しても仲間はものすごくたくさんいた。
企業では何度も失敗し挫折も味わったし、50歳前に友人を一人ガンで亡くし、その後自分もガンを疑われて1カ月入院し手術した。
その頃から会社人生はある程度で良いと思うようになった。子供の教育は妻任せであったし・・・。
半沢直樹も面白いがこんな人生は送りたくない。
現在おかれている日本の状況はとても危うい。
私はもう10年以上前の段階で、消費税は15~20%必要だと感じて来た。
これはヨーロッパなどに行くと15~20%は普通なので、そのうちこのくらいは必要だと思うようになったのである。
財政規律の公約もどこまで本気なのか・・・。
でも消費税が3%上がるとなったことで、それを狙った族議員などがうごめいている。
まったく醜い姿をさらしている。
復興増税で得た金がまったく関係ない所に湯水のごとく流れていくのだから、今回も大体どうなるか見えてくる。
団塊の世代の老齢化対策にコストがかかると言いながら別なものに充てられる。
こんなことならこの先も国の借金は減らず、福祉はどんどん貧しくなっていくだろう。
こんな世の中に誰がしただ。
議員定数も減らせられないし、既得権益などがまだはびこっている状態では消費税を上げても益々お上にぺこぺこして補助金をもらったり、土地を寝かせておいて税金をくれと叫んでみたり、堂々と自分の持っている土地に道路を誘致したりすることが無くならない限りとても安心して増税など主張できない。
私も今年65歳になった。ここまで税金も納めて来た。この先まだ数年は税金を払っていくと思う。
後何年納めればこんな無駄使いをしない世の中になるのだろう。俺の金は大切に使ってくれ。
無駄な事に使われているなら許さない。
農協もTPP反対などと騒ぐいでいるが、何処に落とし所を考えているのだろうか。
騒げば関税が今の水準に維持されると思っている人ばかりではないだろう。
食糧自給率を本当にこの危機水準から回復させる気があるのか農水省さん。
自分の利益、団体の利益を力ずくで取り込もうなんてこの国を滅ぼすだけだ。
族議員なんてくそくらえだ。

少し殺伐とした内容になってしまったので、家内の絵手紙の絵を一枚拝借しました。


つらつら思うこと(7)
当ブログも少しマンネリで気分的に優れないこともあり、そんな時はついぼやきたくなる。
まあ、今日は夜空はきれいなのに、そんな気分の記事なので適当に読み流してください。
国会で特定機密法案が成立した。
この不完全な法案をこのような違憲状態で当選した国会議員たちが裏でこそこそ談合したように秘密裏に急いで成立させたことに不安をおぼえる人は少なくないだろう。
公聴会をやるなどという自分たちの口実をつけるためだけの茶番まで行った。
どうも日本にはこのようなものが似合わない。
日本語はあいまいを良しとしていて、解釈でどうにでもなってしまうことがある。
これが官僚たちが作る法律までこのようになってしまっては困ってしまう。
今の政治家や官僚などをどうしても信頼ができない。
日本語は素晴らしい文化なのだが法律文章などがどうにも苦手な言語で、それを良い事に「どうとでも後から解釈を変えれば済むようにしてしまえ」などという声が裏で聞こえてくる。
英語は得意ではないが、日本語と比べて主語がなくては文章にならない。
日本語の文章を英語に翻訳するときに、これにはよく悩まされる。
誰がやるのかを書かないでも文章が成り立ってしまう。
話している流れの中で主語がなくても通じるだろうとか思っている場合が多い。
日本は島国だ。
この島国が日本の文化を生み日本という国を長い間育んできた。
この島国という環境が外と隔離させ独特の文化も生まれた。
そんな日本人は勤勉で優秀であった。でもそう思っていただけかもしれない。
しかし、1億人以上の国民も農業自給率からは多すぎるともいう。
しかし、この1億という人がいるのが内需を守り、丁度バランスを保ってきた。
それが減ってくると(年寄りばかりになるのも同じ)、海外との流通なくしては需要と供給のバランスが崩れ、経済は破綻する。
年寄りが金を持っているという。何処にそんなお金持ちがいるのだろうと思うのだが。
その年寄りマネーをあてにして大借金国でも崩壊しないのだと言う。
しかしこれも時間の問題だろう。
年金も減り、税金も上がる。金持ちなどほんの少ししかいない。
庶民の生活はどんどん苦しくなっていく。
税収が支出の半分しかないのに無駄が無くならない。
2020年にプライマリーバランスを健全化させるのは国際公約だが、本当に達成させるつもりがあるのだろうか。
みんなの党の渡辺喜美が「アジェンダ」などという言葉を使いたがるが、これもとても違和感がある。
アジェンダという言葉は海外と打ち合わせをする時にはよく使うが、これは打ち合わせでどのような事を打ち合わせるかという議題を書いたものをさすと思っている。
それよりも大事なのは打ち合わせの議事録(プロトコルなど)でお互いに約束したり実行したりする事を細かく取り決める事だと思う。
これが日本人同士だとどうも議事録に変なものが多い。
官庁などで話した内容を会話調で書いたりしなければ議事録ではないなどと思っているところもある。
議会の議事録などをインターネットで見かけるがほとんどがこのパターンだ。
これは録音するのと変わらない。
交渉の議事録は簡潔に結論をお互いが納得するように作る。途中経過はあまり重要視されない。
こんなことを言ってみても仕方がないが、徐々に民族が劣化していると感じてしまうことも多い。
昨日は「ふるさと風の会」の会報をメンバーで印刷し、石岡の「まち蔵藍(丁子屋)」に持っていき、その足で瓦会の「まんまや」さんにもって行った。
ここで野菜天ぷらソバをいただき、朝日トンネルを抜けて小町の里の館に少し置いて、つくば市の北条の田村家に少しまた置かせてもらって午後3時頃に戻った。
月に1回はこんな状態だ。

瓦会のまんまやさんは前回は自転車での来客が一人あり、今回は3組7人ほどの先客があった。

「野菜天ぷらそば」(850円) このソバはとても美味しい。

北条の「田村家」は「方丈ふれあい館」となっていて、田村家の方が土日に開いている。
町の見学に行かれたら寄ってみて下さい。
石岡の人は「大掾氏(だいじょう)」は石岡にずっと住んでいたと思っているが、将門の乱の少し後の西暦990年頃から鎌倉幕府が始まった後の1193年まではこの北条の多気山に城をかまえていた。(約200年)
その後水戸の吉田氏(馬場氏)が大掾職を継ぐが、石岡と水戸の両方を行き来していた。
府中城が昔の国府があった場所に築かれたのは1350年頃で
水戸を奪われて石岡に本当に住んだのは1429年以降だ。
まあ北条も江戸時代の筑波山参拝の門前町であったのでそんな昔の事などあまり関係ないと思っているかもしれない。
しかし、今は消えてしまった筑波山参拝の街道であった「瀬戸井街道(群馬県瀬戸井から水戸までの道)」が、この瓦会「まんまや」の前を通って、この北条と繋がっていたなどと考えることなどまずないのだろう。
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まあ、今日は夜空はきれいなのに、そんな気分の記事なので適当に読み流してください。
国会で特定機密法案が成立した。
この不完全な法案をこのような違憲状態で当選した国会議員たちが裏でこそこそ談合したように秘密裏に急いで成立させたことに不安をおぼえる人は少なくないだろう。
公聴会をやるなどという自分たちの口実をつけるためだけの茶番まで行った。
どうも日本にはこのようなものが似合わない。
日本語はあいまいを良しとしていて、解釈でどうにでもなってしまうことがある。
これが官僚たちが作る法律までこのようになってしまっては困ってしまう。
今の政治家や官僚などをどうしても信頼ができない。
日本語は素晴らしい文化なのだが法律文章などがどうにも苦手な言語で、それを良い事に「どうとでも後から解釈を変えれば済むようにしてしまえ」などという声が裏で聞こえてくる。
英語は得意ではないが、日本語と比べて主語がなくては文章にならない。
日本語の文章を英語に翻訳するときに、これにはよく悩まされる。
誰がやるのかを書かないでも文章が成り立ってしまう。
話している流れの中で主語がなくても通じるだろうとか思っている場合が多い。
日本は島国だ。
この島国が日本の文化を生み日本という国を長い間育んできた。
この島国という環境が外と隔離させ独特の文化も生まれた。
そんな日本人は勤勉で優秀であった。でもそう思っていただけかもしれない。
しかし、1億人以上の国民も農業自給率からは多すぎるともいう。
しかし、この1億という人がいるのが内需を守り、丁度バランスを保ってきた。
それが減ってくると(年寄りばかりになるのも同じ)、海外との流通なくしては需要と供給のバランスが崩れ、経済は破綻する。
年寄りが金を持っているという。何処にそんなお金持ちがいるのだろうと思うのだが。
その年寄りマネーをあてにして大借金国でも崩壊しないのだと言う。
しかしこれも時間の問題だろう。
年金も減り、税金も上がる。金持ちなどほんの少ししかいない。
庶民の生活はどんどん苦しくなっていく。
税収が支出の半分しかないのに無駄が無くならない。
2020年にプライマリーバランスを健全化させるのは国際公約だが、本当に達成させるつもりがあるのだろうか。
みんなの党の渡辺喜美が「アジェンダ」などという言葉を使いたがるが、これもとても違和感がある。
アジェンダという言葉は海外と打ち合わせをする時にはよく使うが、これは打ち合わせでどのような事を打ち合わせるかという議題を書いたものをさすと思っている。
それよりも大事なのは打ち合わせの議事録(プロトコルなど)でお互いに約束したり実行したりする事を細かく取り決める事だと思う。
これが日本人同士だとどうも議事録に変なものが多い。
官庁などで話した内容を会話調で書いたりしなければ議事録ではないなどと思っているところもある。
議会の議事録などをインターネットで見かけるがほとんどがこのパターンだ。
これは録音するのと変わらない。
交渉の議事録は簡潔に結論をお互いが納得するように作る。途中経過はあまり重要視されない。
こんなことを言ってみても仕方がないが、徐々に民族が劣化していると感じてしまうことも多い。
昨日は「ふるさと風の会」の会報をメンバーで印刷し、石岡の「まち蔵藍(丁子屋)」に持っていき、その足で瓦会の「まんまや」さんにもって行った。
ここで野菜天ぷらソバをいただき、朝日トンネルを抜けて小町の里の館に少し置いて、つくば市の北条の田村家に少しまた置かせてもらって午後3時頃に戻った。
月に1回はこんな状態だ。

瓦会のまんまやさんは前回は自転車での来客が一人あり、今回は3組7人ほどの先客があった。

「野菜天ぷらそば」(850円) このソバはとても美味しい。

北条の「田村家」は「方丈ふれあい館」となっていて、田村家の方が土日に開いている。
町の見学に行かれたら寄ってみて下さい。
石岡の人は「大掾氏(だいじょう)」は石岡にずっと住んでいたと思っているが、将門の乱の少し後の西暦990年頃から鎌倉幕府が始まった後の1193年まではこの北条の多気山に城をかまえていた。(約200年)
その後水戸の吉田氏(馬場氏)が大掾職を継ぐが、石岡と水戸の両方を行き来していた。
府中城が昔の国府があった場所に築かれたのは1350年頃で
水戸を奪われて石岡に本当に住んだのは1429年以降だ。
まあ北条も江戸時代の筑波山参拝の門前町であったのでそんな昔の事などあまり関係ないと思っているかもしれない。
しかし、今は消えてしまった筑波山参拝の街道であった「瀬戸井街道(群馬県瀬戸井から水戸までの道)」が、この瓦会「まんまや」の前を通って、この北条と繋がっていたなどと考えることなどまずないのだろう。


つらつら思うこと(8)
最近気になることが多くなった。
これも年取ったせいかもしれないが、黙っていれば逆に尚更年寄りになりそうだ。
読んでいる方にはあまり気分も良くないかもしれないが時々は吐き出さねばならない。
先月から仕事もまたかわりこれをこなすのに少し疲れ、ブログ更新にも追われてしまった。
仕方がなく写真をつないで何のためのブログかがわからないようになった。
(私のリンク先が写真ブログの方がおおいのでどうも影響されているようにも思う。)
昨日・今日とテレビなどではSTAP細胞論文の疑惑を報じている。
論文は取り下げる方が良いと理化学研究所幹部の方たちが記者会見した。
本当にそうなのだろうか?
私は何も読んでいないし、報道されたことだけしか知らないがこの論文がねつ造から作られたものだとは思っていない。
小保方さんたちはこの細胞の存在を信じて再現実験を繰り返しているように思う。
もしかしたら重大な思い込みよる過誤があったのかもしれないが、この苦境を必死に頑張ればもっと新たな発見が生まれるかもしれない。
確かに報道からは少しお粗末に思うが、これは私が企業で若者の書いたものなどを見ていると論文の体をなさない物が多い。
しかしこれも懇切丁寧に指導して、そこを乗り越えて徐々に進歩するものである。
一番大事なのはその研究の意欲をこの幹部たちが削ぐような発言が気になる。
現在国の研究費の分捕り合戦もあり、これをどこまで検証された真実かが全く分からない。
是非もう少し時間をかけて検証を積み重ねあたたかく見守っていても良いのではないだろうか?
皆が週刊誌的な発想で問い詰める事もあるまい。(私は週刊誌はほとんど読みませんが・・・)
比較的遠くない将来に真実がわかる日が来ることを願っている。
もう一つはウクライナ問題。ロシアとヨーロッパとアメリカの利害関係がみな違う。
本当にアメリカの言うことが正しいのか?
確かにロシアも何度か訪れたが、行くたびに警護が厳しくなり、モスクワの駅などでもパスポートの提示を求められたり、地方の空港内部の写真撮影をしようとして厳しく止められたこともあった。
昔のソ連時代に回帰しそうなニュアンスも感じていて、いまのロシアは決して民主的ではない。
強権的な面も多くみられる。また依然汚職なども多いようだ。
しかし、クリミア自治国の住民の多くがロシア帰属を望み独立運動をすることがウクライナの憲法違反ということで糾弾されなければならないのか?
中国のモンゴルでの独立運動とどのように違うのか?
ウクライナの学校教育からロシア語を排除したのはもう10年以上前だっただろうか。
政権が変るたびに教育内容まで変わってしまっては混乱するのは当たり前。
ウクライナ内部の暫定政権がもう少し国内にいるロシア人たちを融和する政策をとらなければうまくいかないように思う。
それをアメリカが力ずくで制裁を加えたりしたら日本としてこれに追随するしかないのか・・・。
まあこれも関ヶ原に参戦しなかった常陸国の佐竹氏が家康に出羽国(秋田)久保田に左遷させられたようなことの過去の歴史とそれほど変わらないのかもしれない。(あまりにも例えが悪いが)
他にも安倍政権の気になることも多い。これは民主党政権があまりの体たらくで国民から見放されてしまったからで、安倍さんや自民党の人気があるわけではない。
しばらく国政選挙が無いのだが、次の選挙では入れるところが無い。困ったものだ。
先日の石岡ひな巡りの後半に「みんなの広場」2Fのサロン展示室にイギリス(スコットランド)とドイツに在住している石岡出身の方が来られたと言う。
聞いてみるとどうやら3年前にこのブログに意見を寄せられた方(イギリス)ではないかと思う。
震災後にこのブログではネタが書けなくなり、電気・ガス・水道・ガソリンなどの状況や近辺の放射線の状況などを流していた。
こうした状況を海外に在住していて故郷を心配していた方がアクセスしてくれたものだ。
ここにお越し頂いたと言うのは今でも時々見て読んで頂いていたのだろうか。ありがたいことだ。

(銚子港にて 3月11日 撮影)
原発の増え続ける汚染水がもし海に放出されたらこの銚子港までが汚染されるかもしれません。
← よろしければクリックお願いします。
これも年取ったせいかもしれないが、黙っていれば逆に尚更年寄りになりそうだ。
読んでいる方にはあまり気分も良くないかもしれないが時々は吐き出さねばならない。
先月から仕事もまたかわりこれをこなすのに少し疲れ、ブログ更新にも追われてしまった。
仕方がなく写真をつないで何のためのブログかがわからないようになった。
(私のリンク先が写真ブログの方がおおいのでどうも影響されているようにも思う。)
昨日・今日とテレビなどではSTAP細胞論文の疑惑を報じている。
論文は取り下げる方が良いと理化学研究所幹部の方たちが記者会見した。
本当にそうなのだろうか?
私は何も読んでいないし、報道されたことだけしか知らないがこの論文がねつ造から作られたものだとは思っていない。
小保方さんたちはこの細胞の存在を信じて再現実験を繰り返しているように思う。
もしかしたら重大な思い込みよる過誤があったのかもしれないが、この苦境を必死に頑張ればもっと新たな発見が生まれるかもしれない。
確かに報道からは少しお粗末に思うが、これは私が企業で若者の書いたものなどを見ていると論文の体をなさない物が多い。
しかしこれも懇切丁寧に指導して、そこを乗り越えて徐々に進歩するものである。
一番大事なのはその研究の意欲をこの幹部たちが削ぐような発言が気になる。
現在国の研究費の分捕り合戦もあり、これをどこまで検証された真実かが全く分からない。
是非もう少し時間をかけて検証を積み重ねあたたかく見守っていても良いのではないだろうか?
皆が週刊誌的な発想で問い詰める事もあるまい。(私は週刊誌はほとんど読みませんが・・・)
比較的遠くない将来に真実がわかる日が来ることを願っている。
もう一つはウクライナ問題。ロシアとヨーロッパとアメリカの利害関係がみな違う。
本当にアメリカの言うことが正しいのか?
確かにロシアも何度か訪れたが、行くたびに警護が厳しくなり、モスクワの駅などでもパスポートの提示を求められたり、地方の空港内部の写真撮影をしようとして厳しく止められたこともあった。
昔のソ連時代に回帰しそうなニュアンスも感じていて、いまのロシアは決して民主的ではない。
強権的な面も多くみられる。また依然汚職なども多いようだ。
しかし、クリミア自治国の住民の多くがロシア帰属を望み独立運動をすることがウクライナの憲法違反ということで糾弾されなければならないのか?
中国のモンゴルでの独立運動とどのように違うのか?
ウクライナの学校教育からロシア語を排除したのはもう10年以上前だっただろうか。
政権が変るたびに教育内容まで変わってしまっては混乱するのは当たり前。
ウクライナ内部の暫定政権がもう少し国内にいるロシア人たちを融和する政策をとらなければうまくいかないように思う。
それをアメリカが力ずくで制裁を加えたりしたら日本としてこれに追随するしかないのか・・・。
まあこれも関ヶ原に参戦しなかった常陸国の佐竹氏が家康に出羽国(秋田)久保田に左遷させられたようなことの過去の歴史とそれほど変わらないのかもしれない。(あまりにも例えが悪いが)
他にも安倍政権の気になることも多い。これは民主党政権があまりの体たらくで国民から見放されてしまったからで、安倍さんや自民党の人気があるわけではない。
しばらく国政選挙が無いのだが、次の選挙では入れるところが無い。困ったものだ。
先日の石岡ひな巡りの後半に「みんなの広場」2Fのサロン展示室にイギリス(スコットランド)とドイツに在住している石岡出身の方が来られたと言う。
聞いてみるとどうやら3年前にこのブログに意見を寄せられた方(イギリス)ではないかと思う。
震災後にこのブログではネタが書けなくなり、電気・ガス・水道・ガソリンなどの状況や近辺の放射線の状況などを流していた。
こうした状況を海外に在住していて故郷を心配していた方がアクセスしてくれたものだ。
ここにお越し頂いたと言うのは今でも時々見て読んで頂いていたのだろうか。ありがたいことだ。

(銚子港にて 3月11日 撮影)
原発の増え続ける汚染水がもし海に放出されたらこの銚子港までが汚染されるかもしれません。


年末の忙しい時に解散だって?
今朝は予約していた近くの歯医者に行った。朝一番の予約は待たされることが無い。
仕事もあるが、こんな時は休みとして家でやりたいことをやるはずであったが、なんか天気も悪く、寒いのでこうしてパソコンに向かってブログを書いている。
また近くで地震があった。少し身構えたがすぐに落ち着いた。
まだ3年半前の悪夢が頭をよぎる。
先日からの鼻風邪がまだ抜けない。
今日は暖かくしてのんびりすることにしよう。
昨日あたりから急に衆議院の解散話が騒がれ始めた。
なってこった!
何故解散するのか?
先日内閣の人事を更新したばかりだし、解散をする大義名分が何もない。
何か自分たちの都合ばかりを考えて首相が解散をしていたらきりがない。
また議員定数の大幅削減をここでやることでの解散ならば意味があるが、解散風で右往左往している議員たちもみな自分のことばかりだ。
なんてこった!
今朝も近くの県議会議員の事務所では人が集まり・・・・ この時だけしか顔の見えない議員さん。
やはり有権者がこのように応援している議員が当選すれば何か自分たちに都合のよいことをしてくれると思っているのだろう。
このような関係はいつまでも無くならないだろうが、さもしい、みすぼらしい と思うのは私だけだろうか?
この地域は選挙期間なるとある特定議員を中傷する怪文書が流れたりする。
何故こう言うのが無くならないのだろうか?
昔茨城に越して来た時(もう40年近くも前)に、地元選挙に現ナマが流れていたようだ。
我が家にも来て置いていった人がいた。これをその日の夜に返しに行った。
「間違って置いていかれたようですので返しに来ました」と言って・・・。
まあ悪い人ではないが地元の有志で活躍していたご老人だ。
でも返しに行ったら一言・・・
「こうして返しに来た人は初めてです」
と。
東海村原子力発電の再稼働の意思を表明している候補はほとんどいない。
何か他所事だ。
最近太陽光パネルが畑や空き地に次々と建設されている。
電力会社はこの電力買い取りに制限を設け始めた。
確かに電気代が40円/kW時もしたら産業は成り立たない。
太陽光の買い取り価格も下がっていかざるを得ない。
まあ業者も法律で買い取りが義務つけられ、申請した時の価格でしばらく買い取ってもらえるというので急に増えたとは思う。
年間8000時間稼働する1000kWの機械だと電気代だけで年間3億2千万円となってしまう。
これでは海外と競争できない。 当然10~15円/kW時程度でなければ海外製品に負けてしまう。
原発再稼働に反対を唱えるのはたやすい。私もそうしたい。
でもどのように再生可能エネルギーを確保し、国の基幹電力として発展させるのかの道筋を決めることが大切だ。
40年経った原発は廃炉とする方針をまもり、どのように全原発を止めて行くのか・・・
全く見えてこない。
数か月前のある日こんな相談を受けた。
「私の畑の隣の敷地に、突然太陽光パネルが設置されることになった。
説明は受けたが、反対しても何も聞いてくれない。
反対運動に力を貸してほしい。」
理由は
・電力の発電効率は30%くらいで残りは熱になったりするはず、周りに影響が無いのか?
・太陽光パネルにもモーターが使われていて騒音もあるという。心配だ。
・農地法では農地以外に転用するときはその敷地の隣近所の了承を得ることと書いてある。
これに当てはめて、反対しているのに建設を止めさせられないか?
ということでした。
この話には根本的に無理があり、丁重にお断りしました。
ノンビリ畑仕事をしている里山にキラキラする金属の異物が入れば里山も台無しになるし景観が損なわれるとの思いは確かに私にもあります。
でも上の理由では反対するのもナンセンスです。
(発電効率が低いからといって周りに影響など無いでしょう。モータの音などもわずかなものです。)
農地法など昔の遺物で今にあった物に作り変えなければなりません。
色々な考えの人が多いと感じた次第です。

月曜日に銚子に行った時はイオンモールで中華屋さんに入った。
ここもたびたび利用している。中国人がやっているようだ。

白身魚のあんかけ定食(850円+税)(杏仁豆腐付き)
仕事もあるが、こんな時は休みとして家でやりたいことをやるはずであったが、なんか天気も悪く、寒いのでこうしてパソコンに向かってブログを書いている。
また近くで地震があった。少し身構えたがすぐに落ち着いた。
まだ3年半前の悪夢が頭をよぎる。
先日からの鼻風邪がまだ抜けない。
今日は暖かくしてのんびりすることにしよう。
昨日あたりから急に衆議院の解散話が騒がれ始めた。
なってこった!
何故解散するのか?
先日内閣の人事を更新したばかりだし、解散をする大義名分が何もない。
何か自分たちの都合ばかりを考えて首相が解散をしていたらきりがない。
また議員定数の大幅削減をここでやることでの解散ならば意味があるが、解散風で右往左往している議員たちもみな自分のことばかりだ。
なんてこった!
今朝も近くの県議会議員の事務所では人が集まり・・・・ この時だけしか顔の見えない議員さん。
やはり有権者がこのように応援している議員が当選すれば何か自分たちに都合のよいことをしてくれると思っているのだろう。
このような関係はいつまでも無くならないだろうが、さもしい、みすぼらしい と思うのは私だけだろうか?
この地域は選挙期間なるとある特定議員を中傷する怪文書が流れたりする。
何故こう言うのが無くならないのだろうか?
昔茨城に越して来た時(もう40年近くも前)に、地元選挙に現ナマが流れていたようだ。
我が家にも来て置いていった人がいた。これをその日の夜に返しに行った。
「間違って置いていかれたようですので返しに来ました」と言って・・・。
まあ悪い人ではないが地元の有志で活躍していたご老人だ。
でも返しに行ったら一言・・・
「こうして返しに来た人は初めてです」
と。
東海村原子力発電の再稼働の意思を表明している候補はほとんどいない。
何か他所事だ。
最近太陽光パネルが畑や空き地に次々と建設されている。
電力会社はこの電力買い取りに制限を設け始めた。
確かに電気代が40円/kW時もしたら産業は成り立たない。
太陽光の買い取り価格も下がっていかざるを得ない。
まあ業者も法律で買い取りが義務つけられ、申請した時の価格でしばらく買い取ってもらえるというので急に増えたとは思う。
年間8000時間稼働する1000kWの機械だと電気代だけで年間3億2千万円となってしまう。
これでは海外と競争できない。 当然10~15円/kW時程度でなければ海外製品に負けてしまう。
原発再稼働に反対を唱えるのはたやすい。私もそうしたい。
でもどのように再生可能エネルギーを確保し、国の基幹電力として発展させるのかの道筋を決めることが大切だ。
40年経った原発は廃炉とする方針をまもり、どのように全原発を止めて行くのか・・・
全く見えてこない。
数か月前のある日こんな相談を受けた。
「私の畑の隣の敷地に、突然太陽光パネルが設置されることになった。
説明は受けたが、反対しても何も聞いてくれない。
反対運動に力を貸してほしい。」
理由は
・電力の発電効率は30%くらいで残りは熱になったりするはず、周りに影響が無いのか?
・太陽光パネルにもモーターが使われていて騒音もあるという。心配だ。
・農地法では農地以外に転用するときはその敷地の隣近所の了承を得ることと書いてある。
これに当てはめて、反対しているのに建設を止めさせられないか?
ということでした。
この話には根本的に無理があり、丁重にお断りしました。
ノンビリ畑仕事をしている里山にキラキラする金属の異物が入れば里山も台無しになるし景観が損なわれるとの思いは確かに私にもあります。
でも上の理由では反対するのもナンセンスです。
(発電効率が低いからといって周りに影響など無いでしょう。モータの音などもわずかなものです。)
農地法など昔の遺物で今にあった物に作り変えなければなりません。
色々な考えの人が多いと感じた次第です。

月曜日に銚子に行った時はイオンモールで中華屋さんに入った。
ここもたびたび利用している。中国人がやっているようだ。

白身魚のあんかけ定食(850円+税)(杏仁豆腐付き)
国の品位?
高倉健が亡くなり選挙戦の番組がかなり減り助かった。
あのばかばかしい選挙の意義がどうかなどという内容をいくらメディアで言ってみても所詮それぞれに思うことの根本が違っていて見ていても気持ちは沈むばかりであった。
そこに、高倉健の追悼番組がたくさん組まれて、選挙もどこかに飛んでしまった。
大した俳優だ。
私は網走番外地などの任侠者の俳優であったというイメージがあって作品はあまり見ていない。
そこに「あなたへ」が放映され魅入ってしまった。
何もセリフをしゃべらずに観る者の心に入ってくる。
ここ1週間ほど咳きこんだりして、家の中でブラブラすることが多かった。
調子が悪く医者に2回も行って薬を変えたりした。
夜もよく眠れず頭も働かなかった。
ようやく良く眠れるようになりほぼ正常に戻ってきたがブログのネタも切れた。
そこで、まあ言いたいことでも書いておこうかと書きはじめたがまとまらない。
まだ本調子でもないのだから適当に読み飛ばされる記事でもしょうがない。
今日の記事を書こうと思って頭にまず浮かんだのは
沖縄知事選挙で現職知事が10万票もの大差で敗れたことだ。
そしてその原因と思われる映像がうかんできた。
それは仲井眞知事が辺野古埋め立て承認した時に東京の官邸でのセリフだ。
「これほどの沖縄支援要請を受け入れていただいたを感謝する・・・」
苦渋の選択であり、現実的にはこれしかないと決めてのことだったと思うが、県民はまた
「沖縄は日本本土から見放されている」
と思ったのでしょう。
これと似たことが福島でもありました。
あの石原大臣の
「最後は金目でしょ」
である。
人はお金という麻薬のようなものに弱いです。多くの人はお金がほしいのです。
でも人にはプライドがあります。
表面的にはそんなに思っていないだろうと思われる人にも心の奥底に眠っています。
もちろん個人差があり「武士は食わねど高楊枝」という人もおれば、「あなたがいらないなら私がもらってあげる」という人もいるでしょう。
だけどこれが政治家の発言となると話は違います。
国の安全保障に必要なことを何とか納得してくれる都道府県にお金を積んでお願いする。
とても難しい問題です。原発も同じ構図ですね。
いつまでもこの構図で進むことは出来なくなってきたということです。
それなのに国のお偉い人は沖縄県民には「最後は金目でしょ」で解決できると内心思っています。
それが態度や言動のちょっとしたことに現われています。
(実際は現実的に解決するためにはこれしかないと本気で考えているのでしょう)
上から目線と現地の人は感じます。
品位が問われるのは個人も国も同じなのでしょう。
「何が品位だ」などという声が聞こえてきます。「食うことが先だ」などとも。
このブログももう一度初期に戻って地域に眠っている風や声に耳を傾けて感じるものをかみしめて進んでいきたいと思います。
お口直しに先日食べたイタリアンを。

茄子とベーコンのトマトソースとコヒー、サラダセット (銚子・小麦職人)

あのばかばかしい選挙の意義がどうかなどという内容をいくらメディアで言ってみても所詮それぞれに思うことの根本が違っていて見ていても気持ちは沈むばかりであった。
そこに、高倉健の追悼番組がたくさん組まれて、選挙もどこかに飛んでしまった。
大した俳優だ。
私は網走番外地などの任侠者の俳優であったというイメージがあって作品はあまり見ていない。
そこに「あなたへ」が放映され魅入ってしまった。
何もセリフをしゃべらずに観る者の心に入ってくる。
ここ1週間ほど咳きこんだりして、家の中でブラブラすることが多かった。
調子が悪く医者に2回も行って薬を変えたりした。
夜もよく眠れず頭も働かなかった。
ようやく良く眠れるようになりほぼ正常に戻ってきたがブログのネタも切れた。
そこで、まあ言いたいことでも書いておこうかと書きはじめたがまとまらない。
まだ本調子でもないのだから適当に読み飛ばされる記事でもしょうがない。
今日の記事を書こうと思って頭にまず浮かんだのは
沖縄知事選挙で現職知事が10万票もの大差で敗れたことだ。
そしてその原因と思われる映像がうかんできた。
それは仲井眞知事が辺野古埋め立て承認した時に東京の官邸でのセリフだ。
「これほどの沖縄支援要請を受け入れていただいたを感謝する・・・」
苦渋の選択であり、現実的にはこれしかないと決めてのことだったと思うが、県民はまた
「沖縄は日本本土から見放されている」
と思ったのでしょう。
これと似たことが福島でもありました。
あの石原大臣の
「最後は金目でしょ」
である。
人はお金という麻薬のようなものに弱いです。多くの人はお金がほしいのです。
でも人にはプライドがあります。
表面的にはそんなに思っていないだろうと思われる人にも心の奥底に眠っています。
もちろん個人差があり「武士は食わねど高楊枝」という人もおれば、「あなたがいらないなら私がもらってあげる」という人もいるでしょう。
だけどこれが政治家の発言となると話は違います。
国の安全保障に必要なことを何とか納得してくれる都道府県にお金を積んでお願いする。
とても難しい問題です。原発も同じ構図ですね。
いつまでもこの構図で進むことは出来なくなってきたということです。
それなのに国のお偉い人は沖縄県民には「最後は金目でしょ」で解決できると内心思っています。
それが態度や言動のちょっとしたことに現われています。
(実際は現実的に解決するためにはこれしかないと本気で考えているのでしょう)
上から目線と現地の人は感じます。
品位が問われるのは個人も国も同じなのでしょう。
「何が品位だ」などという声が聞こえてきます。「食うことが先だ」などとも。
このブログももう一度初期に戻って地域に眠っている風や声に耳を傾けて感じるものをかみしめて進んでいきたいと思います。
お口直しに先日食べたイタリアンを。

茄子とベーコンのトマトソースとコヒー、サラダセット (銚子・小麦職人)

頭を冷やして・・・
さて今日は久しぶりに良い天気であった。
こんな日も朝から仕事に出かけた。
会社への道中で朝日があたってきれいだったので近所の家の垣根を撮った。
サザンカサザンカ咲いた道・・・??

先週は1週間絶不調で散々であった。
熱はあまりなくても、咳は出るし夜寝られないのは苦しい。
先日からやっとまともに寝ることができ、気分も戻ってきた。
でもとうとうブログネタが切れた。10日以上ネタを仕入れていない。
最近のテレビやラジオなどを聞いていると不愉快な話題が多い。
今日も関電の高浜原発1、2号機の運転再開に向けて特別点検をするという。
40年を経過した原発を点検してあと何年使うつもりなのか?
やはりこうなったという思いが強い。こうなることはわかっていて抜け道を作ったとしか考えられない。
廃炉には200億円以上かかるというのだから、原発の収支計算のルールを見直すべきだ。
今回の衆議院選挙はまた小手先の変更で違憲状態のまま行うという。
最高裁は選挙のやり直し判決を是非出して政治家の目を覚まさせてほしい。
参議院の格差はひどいものだ。
自民党なども地方組織が県単位となっていて人口の少ない県でも人数を配布することを譲ろうとしない。
地方の声を聞く必要があるという変な自分勝手な建前論で民主主義そのものを無視してなんとも思わない政治家に改革などできるはずもない。
いっそ参議院は全廃止するかまたは議員定数を半分にして全国区1本で行うべきではないのか。
こんな日は庭の花でも眺めていよう。少しは憂さも晴れるか??

ミカンもまだ鈴なりだ。
少し鳥がついばんでいくようだが、早くとらなければ全部食われてしまいそうだ。
少し酸っぱいのでジュースにでもするか。

冬はやはり椿・・・。

こんな日も朝から仕事に出かけた。
会社への道中で朝日があたってきれいだったので近所の家の垣根を撮った。
サザンカサザンカ咲いた道・・・??

先週は1週間絶不調で散々であった。
熱はあまりなくても、咳は出るし夜寝られないのは苦しい。
先日からやっとまともに寝ることができ、気分も戻ってきた。
でもとうとうブログネタが切れた。10日以上ネタを仕入れていない。
最近のテレビやラジオなどを聞いていると不愉快な話題が多い。
今日も関電の高浜原発1、2号機の運転再開に向けて特別点検をするという。
40年を経過した原発を点検してあと何年使うつもりなのか?
やはりこうなったという思いが強い。こうなることはわかっていて抜け道を作ったとしか考えられない。
廃炉には200億円以上かかるというのだから、原発の収支計算のルールを見直すべきだ。
今回の衆議院選挙はまた小手先の変更で違憲状態のまま行うという。
最高裁は選挙のやり直し判決を是非出して政治家の目を覚まさせてほしい。
参議院の格差はひどいものだ。
自民党なども地方組織が県単位となっていて人口の少ない県でも人数を配布することを譲ろうとしない。
地方の声を聞く必要があるという変な自分勝手な建前論で民主主義そのものを無視してなんとも思わない政治家に改革などできるはずもない。
いっそ参議院は全廃止するかまたは議員定数を半分にして全国区1本で行うべきではないのか。
こんな日は庭の花でも眺めていよう。少しは憂さも晴れるか??

ミカンもまだ鈴なりだ。
少し鳥がついばんでいくようだが、早くとらなければ全部食われてしまいそうだ。
少し酸っぱいのでジュースにでもするか。

冬はやはり椿・・・。

明日はどうなるか?
大型台風10号は少し北寄りに進んでいるらしい。
明日はどうなるか?
明日、銚子に仕事で行く予定でいるが、状況により取りやめるかもしれない。
今のところ心配していたよりは少し離れているようなので用心しながらでも出かけることの成るかもしれない。
今日は途中から暑さがぶり返し、昨日の続きで書籍つくりを追加で10冊ほど作った。
作りながら次の構想が浮かんできた。
今度は今まで訪れたところで気になったお話を拾い出して書き留めておきたい。
・女化原の狐
・手奪橋と手継神社
・岩間山の13天狗
・牛久沼のいわれ
・天海僧正のへっぴり坂
・信太の小太郎
・雨引山のマダラ鬼神
・常陸坊海存と大杉神社
・星香々背男と宿根石
・・・・・・
気になるものはかなりありそうだ。
でもこんなものはうまく書けそうにないな~・・・・
それにしても人生暇にはならないものだ。
貧乏人は自ら忙しさをこしらえてしまう。
困ったものだ。
お試しに買ったグリナでも飲んでみるか。
明日はどうなるか?
明日、銚子に仕事で行く予定でいるが、状況により取りやめるかもしれない。
今のところ心配していたよりは少し離れているようなので用心しながらでも出かけることの成るかもしれない。
今日は途中から暑さがぶり返し、昨日の続きで書籍つくりを追加で10冊ほど作った。
作りながら次の構想が浮かんできた。
今度は今まで訪れたところで気になったお話を拾い出して書き留めておきたい。
・女化原の狐
・手奪橋と手継神社
・岩間山の13天狗
・牛久沼のいわれ
・天海僧正のへっぴり坂
・信太の小太郎
・雨引山のマダラ鬼神
・常陸坊海存と大杉神社
・星香々背男と宿根石
・・・・・・
気になるものはかなりありそうだ。
でもこんなものはうまく書けそうにないな~・・・・
それにしても人生暇にはならないものだ。
貧乏人は自ら忙しさをこしらえてしまう。
困ったものだ。
お試しに買ったグリナでも飲んでみるか。
歴史っていったい何か?
歴史っていったい何か?
企業の定年が間際に迫ってきた頃から、地元の埋もれた歴史に関する記事などをブログのテーマにしているが、いまだにこの「歴史」ということがわからない。
私は元々理系人間で中学生の頃から学校での歴史授業は好きではなかった。
暗記すべき年代や人物名などがたくさんあり、これを覚えなければテストでは良い点数が採れない。受験勉強のためにやむなく勉強したに過ぎない。特に途中からは世界史の専攻になったので、日本史はいまだにチンプンカンプンだ。
今思えばこの歴史授業がどこかおかしいのだという気がしてならない。
こんな名前や年代などは調べればわかることであり覚えなくてもよいのではないかと思う。
「歴史(れきし)」は「暦史(れきし)」であり、大昔は「暦(こよみ)」の記録に過ぎない。
中国の「史記」が歴史書のはじめといわれるように「史」そのものに現在でいう「歴史」の意味があったという。
しかし、歴史学なるものが出来て、また「歴史認識」などというわけのわからない言葉に置き換えられ、益々混迷してしまっている。
自分の都合の良いように歴史の事柄を変えたり、追加したり、無視したりする時の権力者や歴史家と称する人が大昔から現在まで数多く存在し、教科書などもどこまで信用してよいのかまったく見当も付かない。
また、国家レベルでも、どこの国も自国の都合の良いようにしたがる。
地方で言えば、市史や行政の説明看板、パンフレット、ちらし、ホームページなどに書かれていれば全て事実と思いがちになる。異なった事実が明らかになっても、行政や有名な教育者の話などが先にあれば正しいと思い込む。特に読み手の都合の良いことだけを信じようとする。書かれている事柄の自分なりの検証をすることをしない。
最近この地方の「よもやま話」などを書き始めたが、どうにも筆が進まない。
まあでもこの地に来て12年ほどになる新参者ではあるが、この間に知り得たことを少しでも残しておけば後の世に何か役に立つのではないかと思う。当然私の書いているものもどこかで事実を捻じ曲げられた事柄にすぎないものもあるかもしれないが・・・・。
企業の定年が間際に迫ってきた頃から、地元の埋もれた歴史に関する記事などをブログのテーマにしているが、いまだにこの「歴史」ということがわからない。
私は元々理系人間で中学生の頃から学校での歴史授業は好きではなかった。
暗記すべき年代や人物名などがたくさんあり、これを覚えなければテストでは良い点数が採れない。受験勉強のためにやむなく勉強したに過ぎない。特に途中からは世界史の専攻になったので、日本史はいまだにチンプンカンプンだ。
今思えばこの歴史授業がどこかおかしいのだという気がしてならない。
こんな名前や年代などは調べればわかることであり覚えなくてもよいのではないかと思う。
「歴史(れきし)」は「暦史(れきし)」であり、大昔は「暦(こよみ)」の記録に過ぎない。
中国の「史記」が歴史書のはじめといわれるように「史」そのものに現在でいう「歴史」の意味があったという。
しかし、歴史学なるものが出来て、また「歴史認識」などというわけのわからない言葉に置き換えられ、益々混迷してしまっている。
自分の都合の良いように歴史の事柄を変えたり、追加したり、無視したりする時の権力者や歴史家と称する人が大昔から現在まで数多く存在し、教科書などもどこまで信用してよいのかまったく見当も付かない。
また、国家レベルでも、どこの国も自国の都合の良いようにしたがる。
地方で言えば、市史や行政の説明看板、パンフレット、ちらし、ホームページなどに書かれていれば全て事実と思いがちになる。異なった事実が明らかになっても、行政や有名な教育者の話などが先にあれば正しいと思い込む。特に読み手の都合の良いことだけを信じようとする。書かれている事柄の自分なりの検証をすることをしない。
最近この地方の「よもやま話」などを書き始めたが、どうにも筆が進まない。
まあでもこの地に来て12年ほどになる新参者ではあるが、この間に知り得たことを少しでも残しておけば後の世に何か役に立つのではないかと思う。当然私の書いているものもどこかで事実を捻じ曲げられた事柄にすぎないものもあるかもしれないが・・・・。
甲子夜話って結構面白い
最近、フェースブックの友人の原田さんが松浦静山公が江戸時代に書いた「甲子夜話」を記事にしてFBに投稿してくれている。
最初は何の気なしに読み飛ばしていたが、結構面白い事が書かれていることがあり、気になってもいた。
しかし、フェースブックでは情報がどんどん流れてしまい、過去の記事を見たいときに探すのに苦労する。
それなら検索がしやすく、カテゴリ等にも分類できるブログのほうがよいのではないかと思い、新たにブログを立ち上げさせていただいた。
(ブログは下記)
甲子夜話のお稽古(FC2ブログ) ⇒ こちら
この甲子夜話は平戸藩主であった松浦(まつら)静山公が藩主隠居後の1821年12月11日(文政4年11月17日)の甲子の夜に書きだして、死ぬ(1841年(天保12年))まで20年間にわたり書き続けたものである。

毎日20年間もよくもまあこんなに沢山書いたものだと感心せざるを得ない。
私がこのブログを6年間休まずに毎日書き続けたが、それで2300件ほど、その後半分ほどに減って、現在まで10年5ヶ月で3275件。

静山公はそれを20年間も毎日書いたという。 そのため、随筆数も7000件ほどあるという。
またそこには江戸時代の民族・風習など実に興味深い内容が記されている。
毎日のように原田さんが記事をUPしていただいているので、その都度こちらにも転載させていただいている。
例えば今日の記事、なかなか面白い。⇒ (こちら)
正月の初夢の縁起物といえば「一富士二鷹三茄子」であるが、この名の興りが記載されていた。
家康公が初茄子の値段が余りにも高く、駿府で高いものは一に富士山、二に足高山(愛鷹山)で三に茄子(なすび)だと言ったのが始まりだという。
この「甲子夜話のお稽古」ブログも毎日のように更新していますので、ご興味のある方は時々覗いて見てくださいね。
拍手やコメント大歓迎です。よろしくお願いします。


最初は何の気なしに読み飛ばしていたが、結構面白い事が書かれていることがあり、気になってもいた。
しかし、フェースブックでは情報がどんどん流れてしまい、過去の記事を見たいときに探すのに苦労する。
それなら検索がしやすく、カテゴリ等にも分類できるブログのほうがよいのではないかと思い、新たにブログを立ち上げさせていただいた。
(ブログは下記)
甲子夜話のお稽古(FC2ブログ) ⇒ こちら
この甲子夜話は平戸藩主であった松浦(まつら)静山公が藩主隠居後の1821年12月11日(文政4年11月17日)の甲子の夜に書きだして、死ぬ(1841年(天保12年))まで20年間にわたり書き続けたものである。

毎日20年間もよくもまあこんなに沢山書いたものだと感心せざるを得ない。
私がこのブログを6年間休まずに毎日書き続けたが、それで2300件ほど、その後半分ほどに減って、現在まで10年5ヶ月で3275件。

静山公はそれを20年間も毎日書いたという。 そのため、随筆数も7000件ほどあるという。
またそこには江戸時代の民族・風習など実に興味深い内容が記されている。
毎日のように原田さんが記事をUPしていただいているので、その都度こちらにも転載させていただいている。
例えば今日の記事、なかなか面白い。⇒ (こちら)
正月の初夢の縁起物といえば「一富士二鷹三茄子」であるが、この名の興りが記載されていた。
家康公が初茄子の値段が余りにも高く、駿府で高いものは一に富士山、二に足高山(愛鷹山)で三に茄子(なすび)だと言ったのが始まりだという。
この「甲子夜話のお稽古」ブログも毎日のように更新していますので、ご興味のある方は時々覗いて見てくださいね。
拍手やコメント大歓迎です。よろしくお願いします。


大連のうた
先日まだ緊急事態宣言が出される前のこと、笠間の方のフリーマーケットで妻が変った絵本を買ったと帰って来た。
おとうさんの絵本 「大連のうた」という本である。
本はハードカバーの上製本にボックスの紙カバーに入っていた。
このボックスカバーは薄汚れて、かなりボロボロだ。


しかし、中身は全く読まれた形跡もないほどきれいなままである。
妻の父(私の義父)は、大連、満州国で終戦時に旧ソ連の捕虜になり、シベリア抑留となり、日本に帰れたのは最後の頃の昭和25年頃となったと聞いている。
帰国後に妻が生まれた事になる。
義父から大連の話しは時々聞いていたらしく、本のタイトルをみて衝動的に買い求めたという。
私を含め、妻もこのシベリア抑留の頃の話は、義父は殆んど話したがらず、詳しいことは聞いていない。
昭和20年8月の日本の敗戦により約60万人の日本兵が本国へ帰れず、シベリアに連れて行かれて長い年月過酷な労働をさせられたこのソ連(ロシア)の非人道的な扱いにより、抑留者の約1割(約6万人)が現地で亡くなったと言う。
また、ソ連共産党の思想的な強制も受け、共産主義に変わった(変えられた)人間も多くいたという。
さて、この絵本は、昭和7年に大連で生れて、戦後の15歳のときまで、大連で育った「川崎忠昭」さんが、当時を思い出して、町の行事や子供時代の記憶を頼りに、30点ほどの絵を描いて、それに当時の様子を詩(文章)に書いて添えられている。
まさに子供時代を過ごして作者の感性が生き生きとよみがえってくる。
これも、きっかけは自分の子供のために残そうと考えて描かれた本だという。
日本に帰り、電車に乗り、東京「信濃町」などを通る時に、急に大連の「しなのまち」を思い出したという。
本が出版されたのが1978年(昭和53年)。
残念ながら作者の川崎忠昭さんは、その翌年の昭和49年に亡くなられたようだ。
まさに「おとうさんの絵本」なのかもしれない。
久々に感動した本であった。
中の絵や詩は複製、転写などができないため、見たい方は本を買い求めていただくしかないが、なかなか古本で捜してみたが、出ていなかった。
以前の販売記録では定価5800円の本に、倍以上の値段が付いていた。
私も、本を開けて、一気に全部読んでしまった。
とても役に立った。
戦争を知らない現在の人達にも是非手にとって見てもらいたい本だ。
日露戦争で日本が勝利して、大連はロシアから日本の統治下に入った。
そして、太平洋戦争前には大勢の日本人が中国人とともに暮らしていた。
そんな暮らしの様子がよくわかる。
終戦によりロシア軍が町に入ってきた時の様子も・・・。
うん。なかなかよい本にめぐり合えた。・・・・・・
作者の川崎忠昭さんの奥様は、和洋女子大学名誉教授で国文学者の「川崎キヌ子」さん。
時々、この本の原画展などが行われているようだ。
おとうさんの絵本 「大連のうた」という本である。
本はハードカバーの上製本にボックスの紙カバーに入っていた。
このボックスカバーは薄汚れて、かなりボロボロだ。


しかし、中身は全く読まれた形跡もないほどきれいなままである。
妻の父(私の義父)は、大連、満州国で終戦時に旧ソ連の捕虜になり、シベリア抑留となり、日本に帰れたのは最後の頃の昭和25年頃となったと聞いている。
帰国後に妻が生まれた事になる。
義父から大連の話しは時々聞いていたらしく、本のタイトルをみて衝動的に買い求めたという。
私を含め、妻もこのシベリア抑留の頃の話は、義父は殆んど話したがらず、詳しいことは聞いていない。
昭和20年8月の日本の敗戦により約60万人の日本兵が本国へ帰れず、シベリアに連れて行かれて長い年月過酷な労働をさせられたこのソ連(ロシア)の非人道的な扱いにより、抑留者の約1割(約6万人)が現地で亡くなったと言う。
また、ソ連共産党の思想的な強制も受け、共産主義に変わった(変えられた)人間も多くいたという。
さて、この絵本は、昭和7年に大連で生れて、戦後の15歳のときまで、大連で育った「川崎忠昭」さんが、当時を思い出して、町の行事や子供時代の記憶を頼りに、30点ほどの絵を描いて、それに当時の様子を詩(文章)に書いて添えられている。
まさに子供時代を過ごして作者の感性が生き生きとよみがえってくる。
これも、きっかけは自分の子供のために残そうと考えて描かれた本だという。
日本に帰り、電車に乗り、東京「信濃町」などを通る時に、急に大連の「しなのまち」を思い出したという。
本が出版されたのが1978年(昭和53年)。
残念ながら作者の川崎忠昭さんは、その翌年の昭和49年に亡くなられたようだ。
まさに「おとうさんの絵本」なのかもしれない。
久々に感動した本であった。
中の絵や詩は複製、転写などができないため、見たい方は本を買い求めていただくしかないが、なかなか古本で捜してみたが、出ていなかった。
以前の販売記録では定価5800円の本に、倍以上の値段が付いていた。
私も、本を開けて、一気に全部読んでしまった。
とても役に立った。
戦争を知らない現在の人達にも是非手にとって見てもらいたい本だ。
日露戦争で日本が勝利して、大連はロシアから日本の統治下に入った。
そして、太平洋戦争前には大勢の日本人が中国人とともに暮らしていた。
そんな暮らしの様子がよくわかる。
終戦によりロシア軍が町に入ってきた時の様子も・・・。
うん。なかなかよい本にめぐり合えた。・・・・・・
作者の川崎忠昭さんの奥様は、和洋女子大学名誉教授で国文学者の「川崎キヌ子」さん。
時々、この本の原画展などが行われているようだ。
豊浦について
以前、このブログでも常陸の養蚕神社(三蚕神社)について書いたことがある。
・金色姫伝説(蚕影山神社:つくば市神郡) ⇒ こちら
・蚕養神社(日立市川尻) ⇒ こちら
・蚕霊神社(神栖市日川) ⇒ こちら
この常陸の三蚕神社と呼ばれる三箇所の神社は共に「豊浦」と名付けられた場所にあり、今は海や川に面していなくとも昔はここに金色姫を乗せた舟がインドから流れ着き、養蚕が伝わったとする昔話が存在する。
これは前に書いたことで、この時この三箇所の地名が何故「豊浦(とようら)」になっているのかが不思議に思っていた。
今日、家にある会津八一氏の「自註鹿鳴集」の文庫本を手に取り眺めていた。
するとそこに「豊浦(とよら)にて」という箇所があった。
豊浦(とよら)にて
ちよろづ の かみ の いむ とふ おほてら を
おして たて けむ この むら の へ に
豊浦・岡寺駅の東北3キロ。欽明天皇13年(552)百済国より献じたる仏像を、この地なる豊浦宮に安置して豊浦寺といひ、仏法最初の寺と称せらる。
かみのいむとふ・「いむ」は「忌む」。「とふ」は「といふ」の略。
日本在来の八百万の神達は、これを好みたまはざるべしといふ懸念、その頃一般に行われたり。
と書かれていました。
そうだったのかと遅咲きの知識に加えて始めて何処か納得したしだい。
豊浦宮は「とゆらのみや」と読ませているが、現在の地名は「奈良県高市郡明日香村豊浦(とようら)」となっている。
宮と名がつくのはここを推古天皇(女帝)が即位後しばらくの間宮殿として使っていたためという。
会津八一の説明にあるように、推古天皇より前の552年(欽明天皇13年)に百済(聖明王)から金銅仏が日本で最初にもたらされた仏像だといわれています。
欽明天皇は蘇我稲目に仏像を与えてこれを崇拝させてみたのです。蘇我馬子はこの稲目の子です。
蘇我稲目の自宅が小墾田の向原(むくはら)にあり、ここを寺に改造してこの仏像を祀ったと伝えられており、これが豊浦宮・豊浦寺(日本最古の尼寺)となり、現在は「向原寺」となっています。
豊浦寺に仏像が祀られ、仏教を広めようとしていた蘇我氏でしたが、八百万の神が日本にはあり、仏教を嫌う物部氏により、寺は焼かれ、この仏像は近くの難波の堀江に投げこまれたといわれています。
その後物部氏をやぶり、仏教を広めようと蘇我馬子が飛鳥寺を建立しました。
この豊浦宮・豊浦寺(現向原寺)が日本仏教発祥の地と言っても良いでしょう。
投げ捨てられた仏像ですが、これを拾い上げて信濃に持ち帰り祀ったと言うのが信濃善光寺の始まりといわれています。
しかし、ここの向原寺にも飛鳥の仏像が存在します。
善光寺の仏像は釈迦三尊像で実物は秘仏で殆んど拝顔することはできません。
一方この向原寺の仏像は金銅観音菩薩立像1体で、近くの難波池で1772年に首から上は発見され、胴体部分は江戸時代に造られたものといわれています。
これが1974年に厨子ごと盗難に会い、2010年にオークションに出品されていたのを寺が買い戻したといいます。
仏像は元の姿でありましたが、厨子はなくなっていたそうです。
豊浦は昔、止由良、等由良などと書いていたようですので、発音はトユラが正しいのでしょう。
只今は、トヨウラと殆んどの場所で読まれていて、全国各地にたくさん存在するようです。
また、日本に仏教が伝わったのはもう少し前という説もあり、奈良の元興寺に残された「元興寺縁起」によれば戊午年(538年)とされているようです。
地名もいろいろな歴史的な出来事に関係しているのかもしれませんね。
玄翁が打ち砕いた那須野の九尾狐の殺傷石は全国の「高田」という地名の所に飛んで行ったとも言われています。
これらもきっとその地に神楽などが伝えられているようですので、関係があるのでしょう。
南総里見八犬伝などを思い出してしまいます。
・金色姫伝説(蚕影山神社:つくば市神郡) ⇒ こちら
・蚕養神社(日立市川尻) ⇒ こちら
・蚕霊神社(神栖市日川) ⇒ こちら
この常陸の三蚕神社と呼ばれる三箇所の神社は共に「豊浦」と名付けられた場所にあり、今は海や川に面していなくとも昔はここに金色姫を乗せた舟がインドから流れ着き、養蚕が伝わったとする昔話が存在する。
これは前に書いたことで、この時この三箇所の地名が何故「豊浦(とようら)」になっているのかが不思議に思っていた。
今日、家にある会津八一氏の「自註鹿鳴集」の文庫本を手に取り眺めていた。
するとそこに「豊浦(とよら)にて」という箇所があった。
豊浦(とよら)にて
ちよろづ の かみ の いむ とふ おほてら を
おして たて けむ この むら の へ に
豊浦・岡寺駅の東北3キロ。欽明天皇13年(552)百済国より献じたる仏像を、この地なる豊浦宮に安置して豊浦寺といひ、仏法最初の寺と称せらる。
かみのいむとふ・「いむ」は「忌む」。「とふ」は「といふ」の略。
日本在来の八百万の神達は、これを好みたまはざるべしといふ懸念、その頃一般に行われたり。
と書かれていました。
そうだったのかと遅咲きの知識に加えて始めて何処か納得したしだい。
豊浦宮は「とゆらのみや」と読ませているが、現在の地名は「奈良県高市郡明日香村豊浦(とようら)」となっている。
宮と名がつくのはここを推古天皇(女帝)が即位後しばらくの間宮殿として使っていたためという。
会津八一の説明にあるように、推古天皇より前の552年(欽明天皇13年)に百済(聖明王)から金銅仏が日本で最初にもたらされた仏像だといわれています。
欽明天皇は蘇我稲目に仏像を与えてこれを崇拝させてみたのです。蘇我馬子はこの稲目の子です。
蘇我稲目の自宅が小墾田の向原(むくはら)にあり、ここを寺に改造してこの仏像を祀ったと伝えられており、これが豊浦宮・豊浦寺(日本最古の尼寺)となり、現在は「向原寺」となっています。
豊浦寺に仏像が祀られ、仏教を広めようとしていた蘇我氏でしたが、八百万の神が日本にはあり、仏教を嫌う物部氏により、寺は焼かれ、この仏像は近くの難波の堀江に投げこまれたといわれています。
その後物部氏をやぶり、仏教を広めようと蘇我馬子が飛鳥寺を建立しました。
この豊浦宮・豊浦寺(現向原寺)が日本仏教発祥の地と言っても良いでしょう。
投げ捨てられた仏像ですが、これを拾い上げて信濃に持ち帰り祀ったと言うのが信濃善光寺の始まりといわれています。
しかし、ここの向原寺にも飛鳥の仏像が存在します。
善光寺の仏像は釈迦三尊像で実物は秘仏で殆んど拝顔することはできません。
一方この向原寺の仏像は金銅観音菩薩立像1体で、近くの難波池で1772年に首から上は発見され、胴体部分は江戸時代に造られたものといわれています。
これが1974年に厨子ごと盗難に会い、2010年にオークションに出品されていたのを寺が買い戻したといいます。
仏像は元の姿でありましたが、厨子はなくなっていたそうです。
豊浦は昔、止由良、等由良などと書いていたようですので、発音はトユラが正しいのでしょう。
只今は、トヨウラと殆んどの場所で読まれていて、全国各地にたくさん存在するようです。
また、日本に仏教が伝わったのはもう少し前という説もあり、奈良の元興寺に残された「元興寺縁起」によれば戊午年(538年)とされているようです。
地名もいろいろな歴史的な出来事に関係しているのかもしれませんね。
玄翁が打ち砕いた那須野の九尾狐の殺傷石は全国の「高田」という地名の所に飛んで行ったとも言われています。
これらもきっとその地に神楽などが伝えられているようですので、関係があるのでしょう。
南総里見八犬伝などを思い出してしまいます。
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