正等院の七福神像(銚子)

 教職員や警察官の1月末での駆け込み退職の話題が過ぎたら、今度は2月末での駆け込みだ。
これに対して、「教職員が途中で責任を放り出してはだめだ。」ということをいう政治家や、官僚、また大手の新聞の論説にも載っている。

はたして、これは辞めるという教職員の問題なのだろうか?

これは、このように仕向けた制度にしたのだから、こうなっても仕方がないのではないか。
制度の運用をこの1月、2月末に決めたのは、県の役人だろう。
国からの指導があったし、早く施工すればいくら予算が浮くとのそろばん勘定をしたに違いない。
こんなことが前もって読めずにいたのだろうか。

だから、こうなってもやむを得ないはずだ。
辞める人だって、最後まで気持ちよく過ごしたいと思っていただろう。

でもひとりひとりの胸の内はわからないし、学校の先生も最近は楽でもないと思っていた人も多いに違いない。
早く退職になればいいと思っていたかもしれない。
中には病気を患っていた人だっていただろう。

 この問題を武士道などを持ち出して、精神論を持って論じる人がいる。全くおかしなものだ。

そのような人は組織の上に立てない。
このようなことが起こらないように、前もって対策を立てていないからであって、リスクマネージメントもできないことを露呈しているようなものだ。

ある新聞の論説で、「公と私を混同するのはおかしい。公の責任を放棄すべきでない」というような記述があった。
一見正しいように思われるが、これは組織的なマネージメントを精神論で論じてしまっている。
公も私も関係ない。全ては私という個が寄り集まって組織ができている。

さて、でも駆け込み退職せずに、退職金は減っても最後まで頑張ることを決めた人の方が多いという。
これが、立派かどうかはわからない。これも個々の事情があって苦悩したかもしれない。

もし、自分がその立場であったら、最後まで勤めただろうとは思うが、そのような制度ができたことを恨むだろう。

私は、辞める人、最後まで残った人の個々の人の良し悪しをここでは全く論じるつもりはない。
辞めると決めた人にも、その人なりに悩んでの結論だったと推察するだけだ。

テレビや新聞での論調が、途中で仕事を投げ出す先生や警察官は是か非かということを論点にしているのがおかしいと思っているに過ぎない。

 さて、今日も千葉県銚子の近くの話です。

最近度々銚子に仕事関係で出かけているが、その途中で気になっていた猿田神社に寄ってみようと利根水郷ラインの椎柴より内陸方面に曲がった。

このあたりも徐々に高台となって行くが、かなり古くからの寺院などが集中している。

東光寺という立派な寺の手前に気になる石像が置かれていた。

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(サムネルです)

七福神像です。このように七福神を一つの台座に並べて造られているにのは初めて見た。

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(サムネルです)

実際に人間よりは少し小さいが、立派な像です。(台座約35cm、像高約90cm)

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(サムネルです)

調べてみると2001年に銚子の二人の方が寄進したのだそうです。

この像が置かれていたのは正等院(しょうとういん)というお寺の広場のような境内です。

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この寺は隣の東光寺という古刹の寺が管理しているようです。
調べたが、寺のいわれなどはわからなかった。
無造作に置かれた七福神像と寺のコントラストが面白い。

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比較的古いお堂が境内に置かれているが、これも何かは不明だ。
そのうちにわかるかもしれないので、焦らずに紐解けばいいだろう。

さて、今日はバレンタインデー。
最近はこの日には全く縁がない。

会社も不定期勤務になり今日は近くの知り合いの葬式に午前中に出かけ、午後からは家にいた。

妻からは昨日「会社でチョコレートもらってくるからいらないわよね。」といわれ、知り合いの男の子の分だけチョコを買ったそうだ。
もっとも、もし義理チョコをもらってきたとしても、食べるのはほとんど妻なのだが・・・。

義理チョコもなくなってがっかりしているのはきっと妻の方に違いない。



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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/02/14 18:16

猿田神社(2)-神社本殿

 猿田神社の祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)・天鈿女命(あめのうずめのみこと)・菊理媛命(くくりひめのみこと)の三柱だそうです。

猿田彦神社という神社は全国的にも数多くありますが、猿田神社は珍しいそうです。

猿田彦は神社などで行われる神楽では、ほとんどが鼻の長い天狗の姿をしています。

猿という漢字を書いているのでお猿さんを思い浮かべますが、これは間違いで、縄文の言葉では先達(せんだつ)する人を指しているという説明を読んだことがあります。

天(高天原)にいた神様が地上(葦原中国の)に降りる時に道案内をした神様です。
天鈿女は、天照大神が岩戸に隠れてしまった時に、岩戸の前で踊った女性です。
この猿田彦と天鈿女(あめのうずめ)が夫婦となったとされているのですが、菊理媛(くくりひめ)とはどんな神様なのでしょうか。

黄泉の国(死んでしまった人の国)に行ってしまったイザナミを探しにイザナギが黄泉の国に出かけます。
そして変わり果てたイザナミの姿を見てイザナギは逃げ帰るのですが、追いかけられてしまいます。

この二人の間を取り持ったのがこの菊理媛だそうです。

縁結びの神様なのだとか。

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本神社の創建は垂仁天皇25年(紀元前4年)となっていますが、そんなに古いことはありえませんが、相当に古いようです。

街道沿いに1の鳥居があります。奥に見える鳥居の先が、昨日書いたJRの線路が階段下を走っています。

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(サムネルです)

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拝殿です。立派な社務所や、禰宜、巫女さんなどもいる大きな神社です。
訪れた日も何人もの人がお祓いを受けるために訪れていました。

この猿田の地は銚子の方からすると山の方にある場所で、もっとひなびた神社を想像していたので立派なのに驚きました。

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絵馬やおみくじもこの通りです。方位除け、交通安全、七五三のお祓いを受けに、この神社を訪れるのだそうです。

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拝殿の奥に本殿があります。

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記録からは、大同2年(807)に社殿を造営したとされていますので、多くの古い神社と同じです。

ただここも源氏の武士の信仰が厚く、頼朝からの寄進もあったようです。

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本殿はとても立派なものです。この現在の本殿は、永禄9年(1566年)に海上氏と安房氏との戦いで焼失し、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)にふたたび焼失、翌天正2年(1574年)に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものだそうです。

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それにしてもかなりの歴史遺産ですね。千葉県の文化財になっています。

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このあたりでは、七五三のお参り(11月)に訪れる人が大変多いそうです。

明日に境内の紹介がもう少し続きます。

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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/02/20 19:03

猿田神社(3)

 銚子にある七五三などで賑わうという「猿田神社」の3回目の記事です。
途中に石岡の雛めぐり記事を入れたので5日ぶりです。

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神輿や太鼓など祭礼のものが保管されているのでしょう。大変綺麗です。

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向かって左側の狛犬(獅子)です。子獅子を携えている姿です。
これも玉であったりしますので、意味があるのでしょうがわかりません。

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この神社に残された文化財ですが、面白い説明が書かれていました。
銚子の名前はお酒の「お銚子」なのですね。もうみんな知っていたのかな?

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この猿田村、結構古いんですね。侮れません。

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本殿の彫刻は見ごたえがあります。

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礎石が置かれていました。この本殿が建て替えられた1574年より前のものでしょうか。

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それぞれ本殿の隅に置かれた彫刻。よく龍や象、獅子などが使われますが、この彫刻はグロテスクですよね。
建物の隅で、外からの邪悪なものを寄せ付けない役割をしているのでしょうが。どうもこちらも近づけません。

さて、猿田については「先達人」という意味だろうと書きました。

でも神話での表現を見ていると少し不思議な神様です。
高天原にいた神様の仲間ではありません。

地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)=今の日本本土に降臨する時にその間を照らして道案内をした名前も知らない神様だそうです。

名前がわからないのでアメノウズメに名前を聞かせたのです。

こんなところから、この猿田彦は弥生人と縄文人との仲を取り持った人物(氏族)だと言われているようなのです。

この銚子にも原住民(縄文人)が住んでいたはずです。そこにヤマトの人々が進出してきたのでしょう。
最初に名前も知らない神様はこの「猿田彦」の他に「少名彦」がおります。
どちらも弥生人というよりは朝鮮半島南部の氏族のような印象を受けます。

この大和朝廷は朝鮮南部の氏族が日本本土に逃げてきたとき、結構差別なく優遇したようです。
多くの技術を持つ優秀な氏族として、ともに日本の国作りをしたようです。
(推論です。根拠はあまりありません)

石岡の北西部の板敷峠を越えて、桜川市に入ったところに「猿田」という地名があります。
また常陸太田には猿田さんという名前の方が多くいます。

これは常陸太田を拠点とした源氏の佐竹氏の部下に猿田氏という人がいましたので、その子孫だと思います。
佐竹氏は江戸の始まりに秋田に天封され、猿田氏もまた秋田の横手に移りました。

猿田彦が秦氏の一族なら、秦氏が織物を伝え、少名彦は薬などの製法を伝えています。

今の日本人がどこから来たのかなどを論じてみても、虚しさばかりが残ります。
日本には日本で育った文化がたくさんあります。

日本の文化を大事にしなくてはなりません。
日本語などを見てください。ほかの国にはない素晴らしい文化なのです。

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銚子 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/02/27 17:59

猿田神社(4)-力石

 千葉県の銚子近くにある猿田神社の続き(最終)です。

神社の境内の横にお稲荷さまが祀られています。

たくさんの狐像が並べられています。
この稲荷社と猿田神社がどのような関係にあるのかわかりません。

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そのすぐ手前に「御神水」があり、この水を汲んで持ち帰る人がたくさんいるようです。
ペットボトル専用とポリタンク専用の蛇口がついています。
でも本来の御神水は裏の山の方にあるそうです。

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この鼻長の狐さんは古い稲荷神社でよく見かけます。

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今日の話題はこの「力石」です。
私も各地の神社などを回っていると時々見かけます。

ほとんどがこれを持ち上げて力比べをするものです。どこまでもって歩けるかとか・・・
でもこの大きな方の石には「四十八貫」と刻まれています。

約180kgになります。普通のコメ俵だと3俵ですよね。
我が家では玄米を米袋で買いますが、これだと倍の6袋あります。
1袋でも重いですよね。私なら60kgくらいしか持てないです。

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なかなかこの猿田神社も奥が深い神社でした。

地図を見ていたら鹿島神宮のすぐ北側にも「猿田」という地名がありました。
また「高天原」という地名も近くです。

神話ではニニギ(天皇の祖)が天から降臨する時に、行く手を照らす神がいたが名前がわからなかったのでアメノウズメに名前を聞くように言った。そしてそれが猿田彦であると知った。
そしたら名前を聞いたのだからと二人は夫婦になった。なんでかな?

二人は猿田彦の故郷である伊勢の五十鈴川に帰り、そこで猿田彦は漁をしている時に溺れ死んだ。
何を意味しているのだろう。アマノウズメはどうなったのか?
神楽で赤い鼻の長い天狗がこの猿田彦だ。

考えれば考えるほど不思議な神(氏族)だ。弥生人と縄文人をつなぎ合わせた民族はどこから来たのか。
それがなぜこの香取の神(物部)のいる銚子に祀られているのか・・・・。

まあ、神話はできるだけ意味深な書き方をして、わからないように作られている。
そして聖書やギリシャ神話も真似たようなところもある。
この時代にどのように情報を得ていたのだろう。

銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/02/28 19:30

海上宮(銚子)

 房総の上総国の中に海上(うなかみ)国という国をご存知だろうか。
これは菟上国とも書いた。

霞ヶ浦が内海で香取の海と呼ばれていたころの話だ。

この地の水運を支配していたという。

6世紀ころには大海上国があったようだ。
それが6世紀前半に物部小事が坂東を征して褒美に匝瑳群ができた。
また、川の上流側が印波国などとなり、また海上国(菟上国)も上下に分かれた。

上菟上国は市原近辺、下菟上国は銚子市、旭市、匝瑳市のあたりと考えられるようだ。
そして巧みな水運の技術を持ってこのあたりを支配していた。

この辺が全くよくわかっていない。
一方四国の阿波国から忌部氏などが黒潮に乗ってこの房総や常陸国にやってきて、麻や稲作を広めていったと思われ、この影響や名前があちこちに見て取れる。

するとこの海上国(菟上国)はどんな人たちがいたのだろうか。
たくさんの丸木舟をあやつっていた。??

古事記には「上菟上国国造」と「下菟上国国造」とがでてくる。
この氏族は伊勢の豪族「伊勢津彦(いせつひこ)」の後裔だとされる。

前に大杉神社(アンバ様)の由来を書いていた時にこの上菟上国がでてきた。
ということは、上菟上国は市原市あたりを中心といってもこの成田から稲敷あたりにかけても勢力を張っていたということだろう。

また伊勢の海で死んだという猿田彦を祀る銚子(下菟上国)の猿田彦神社も関係があるようだ。

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猿田彦神社は高台にあるが、この海上(うなかみ)八幡宮はもっと低地にある。
しかし、ひっそりと佇んでいるがどこか厳かな伝統を重んじる雰囲気をさせている。

もっとも菟上国(うなかみのくに)ではなく、その後に成立した「海上郡」の総鎮守としてこの神社は置かれている。
ただ、この名前が残るのだから何かその痕跡を見たいと思ったが・・・・
八幡宮と名前がつくようにもっと時代はあとになってしまう。

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(サムネルです)

正面が拝殿。手前の大きな古木はこの地方では多く見かける「マキ」の大木と思われる。

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(サムネルです)

多くの神社と同じく大同二年(807)の創建とされる。
豊前の宇佐八幡(大分県宇佐神宮)を勧請したと伝わる。

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(サムネルです)

この本殿は美しい。県の文化財に指定されている。
天和三年(1683)(江戸初期)の建立と思われると書かれている。
しかし最近までは屋根は萱葺き屋根だったようです。銅板葺きに変わったのは2003年だそうです。

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(サムネルです)

元々は少し離れたところにあったようですが、源頼朝が挙兵して石橋山の戦いに敗れ安房国に逃れてきた時にここに祈願し、後にお礼のため、この地に移し造営したともいわれています。

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皇室の菊紋がたくさん付けられている。

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本殿の横の天井下の部分におもしろい彫刻(邪鬼?)が施されていたのでUPしてみました。

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境内にある稲荷神社。

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この狐の姿がどこか艶かしい・・・・。

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椿の花びらが散って。
寺の隣に植樹された桜の木の林があります。御大典記念らしいです。
(訪れたのは3月下旬でした)

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銚子 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/04/18 19:37

長者山仁王尊阿弥陀院(銚子)

 先日銚子で金目鯛を食べた後、海岸に沿った道路を戻ってきた時に途中で見かけて立寄ったお寺がある。
「長者山」と書かれた石柱がたっている。

場所は松岸駅に近い垣根町にあり、海上小学校のとなりになる。
なにか古そうな建物が見えたので、由来も名前もわからずに立ち寄ったのだ。

丁度この日は祭礼があったのかどうか知らないが、受付などの準備が進められていた。
近所の人も三々五々自転車などでやってき始めていた様子だった。

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横の方から入ってしまったので、正面に回って写真を撮った。
正面に灯篭や立派な仁王門がある。

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仁王門と書いたが、仁王像は置かれていない。中が暗いが仁王様がいらっしゃるそうです。ご指摘頂きましたので訂正します(2014.6.16)
このように両側に「長者山」と大きく書かれた板が置かれている。

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そして、仁王像が安置されているべきところの金網にはたくさんの履物が奉納され、納札二ヶ所目と書かれていた。

仁王門の手前に入口の受付のような場所があったので、そのが一ヶ所目だったのかもしれない。

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仁王像が置かれているべき場所は「賽銭口」とあるので、賽銭を入れる場所になっていた。

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正面の上には「仁王尊」という額がかかっていた。ここそのものが山門でもあるが、仁王様を正式に祀っているようだ。

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門をくぐった先の正面にあるのは「阿弥陀院」の本堂。
調べてみると、この寺は正式には阿弥陀院根本寺(こんぽんじ)となっていた。
正面に「札所三ヶ所目」と書かれた札があった。
なかなか形の良い阿弥陀堂である。

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入口の狛犬の表情も良い。

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帰ってから、調べてみると結構面白いことがわかってきた。
私の散策もこのようなことが多い。
訪れた時はわからずに疑問を解消しようと調べだしたら、記事がまとまらなくなる。
でも早めに残しておきたくなる。そしてその得た知識が別なところを訪れていてふと思い出されて関係が気になってまた調べる。
そんな繰り返しだ。いつになっても終わらない。

調べた内容を大雑把に書くとこんなことだ。

ここ長者山と名が付いたのは、この場所に昔の海上郡で一番の長者が住んでいたのだそうだ。
土地の名前で「垣根の長者屋敷」と呼ばれていたという。
名前は「根本右兵衛義貞」。この根本(ねもと)の名前から根本寺(こんぽんじ)(寺と苗字の読みが違うことは普通よくあること)となった。

しかし、面白いのはここに「安倍晴明」の伝説が残っていることである。
陰陽師で有名な安倍晴明伝説がどうして銚子に残されているのか。

伝説の内容の詳細は こちら などを参考にさせてもらいました。

安倍晴明は平安時代の陰陽師としてその名を知られていますが、出生についてはいろいろな説があります。
大阪の安倍晴明神社のある阿倍野区というのが有力とされているのですが、茨城県の筑波山の麓である旧明野町猫島(現筑西市猫島)で生まれたとする説もかなり有力なのです。

921年生まれ1005年没とするのは少し年齢的におかしな気もするので、940年生まれというのも比較的時代もあっているようです。
晴明のことが書かれている最も古い歴史的文献「ほき抄」がその証拠と言われています。
平将門がいたのもこの近くですし、亡くなったのは940年です。

ただ、ここに残されている伝説では、晴明は都から筑波に逃げてきたとされます。
そして、この銚子の長者「根本氏」宅に匿われ、その時に長者の娘が晴明に恋をしてしまい、財産を全て渡すことを申し出られて一旦約束するが、顔の半分にあざのある姿に耐えられず晴明は逃げ出したのだそうです。

そのあとを追いかけ、晴明が着物・履物を脱ぎ身を投げたように偽装したため、それを信じた娘が身を投げて死んでしまい、その歯と櫛が流れ着いたのを祀った「歯櫛明神」が建ち、その後名前を「白紙神社」となり、明治になって地名から「川口神社」となって今に残るといいます。

その他にも幾つかこの近辺にこの伝説が元となった神社な名前が多く残されているのです。

この伝説はいくつかおかしなところがあります。
でも本当か嘘かというのではなく、この海上国が常陸の筑波山の麓地方と関係があったことを伺わせる話であることが興味をそそります。

千葉氏からわかれた相馬氏は将門の子孫を自認します。
千葉県西部にこの子孫が点在し、色々なところに伝説を残しています。

福島県の海岸沿いにある相馬市、南相馬市(原ノ町)なども相馬氏の子孫がいた場所ですが、千葉県の柏や我孫子、また茨城県の取手、守谷、常総市、利根町などは昔はみな相馬郡と呼んでいた。

美浦村に残されている信太の小太郎伝説などもこの将門の子孫とされている。
そして利根川、常陸利根川が注ぐ銚子にこのような話が伝わっていたことがなんとも驚きで面白いのです。



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銚子 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/04/21 17:15

犬岩(銚子)

 銚子の犬吠崎の近くの海岸に「犬岩」という犬の形の岩があります。

場所は外川港の隣りで、犬若海岸という場所です。

ここに伝わる義経伝説があります。

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頼朝に追われる身となった義経が奥州に逃げるとき、海岸に残された愛犬が7日7晩なき続けて岩になってしまいました。犬吠崎もこの犬の吠えた声が届いたので名前が付いたという。

もちろん伝説です。
悲劇の義経の幼名「牛若丸」から犬若海岸の地名も付けられたのでしょうか。

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この犬の形の岩「犬岩」も、「約1億5千万年前のジュラ紀に古い太平洋プレートの上に堆積したものがプレート運動で大陸にぶつかって激しく変形を受けたもの」という説明がありました。



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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/05/30 18:36

外川港(銚子)

 銚子は「銚子港」と「外川港」の2箇所の港が有り、金目鯛などの水揚げも外川港が中心だと聞いていた。

今まで、銚子港の方には数回訪れているが、そこで食べたキンメの「久六」さんも外川港でとれたキンメを使っていると言っていた。

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犬吠崎の近くに外川港があった。
おもったよりこじんまりした港であった。

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「澪つくし」のロケ地として有名になったという。

今は海釣りで釣り好きには有名なところのようだ。
ヒラメ、ヤリイカなどがたくさん釣れるという。

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このあたりの船は海釣りの客を載せて早朝にここから沖合に出るらしい。

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港の端は先日の犬岩とも近く、この岩は「千騎ヶ岩」というのだそうです。
源義経が千騎の兵で立てこもったと言われているのだとか。

沖合に見えるの風車は洋上発電のテストプラント(NEDOと東京電力で実施)でしょうか。
いま、この銚子沖と福島の原発事故の沖合(広野火力発電所沖)で海に浮かぶ風車のテスト装置が作られています。

まだテスト機ですから、最終的にはこの風車が何十機も立ち並ぶことになるかもしれません。
そうすればこの景観もかなり変わってくることでしょう。



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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/05/31 18:10

渡海神社(銚子)

 3週間程前に千葉県旧小見川の良文貝塚などを紹介してきました。
その時に「豊玉姫神社」を紹介しました。(記事こちら

この豊玉姫神社とこの銚子の渡海神社とがかなり深い結びつきがあるということが書かれていました。
また式年銚子大神幸祭(20年置きに行う祭り)がこの豊玉姫神社と東大社(東庄町宮本)、雷神社(海上町見広)の三社の間で行われるのですが、前に書いた「海上八幡宮」(こちら)にも立寄り、夜にはではこの渡海神社に上の三か所の神社から神輿が集まります。

そしてこの神社が宿泊所となり、翌日にはここで神事が行われ、神輿は順番に外川港に集結し、会場に船を連ねて出ていきます。

このお祭りは康和4年(1102年)に銚子の高見浦に大津波が起こり海難が続いたため行われるようになったそうです。
このためこの海を鎮めることが神事の目的なのだと思います。

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銚子の外川港に近い少し内陸側に木々で囲まれた場所にひっそりとたたずんでいました。

神社の創建はかなり古く奈良時代末頃から平安時代初めとされ、外川浦日和山(現、銚子市外川町1丁目)に建てられたが、津波で流され現在の少し山側に移されたようです。

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とても神聖な場所である空気が漂っていました。きっと由緒正しいのでしょうね。

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神社の入口鳥居が三か所ありました。

こんな立派な神社ですが、地図を調べていかないと少しわかりにくく近くを通っていても見落としてしまうかもしれません。 

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この狛犬の顔はやはり沖縄などのシーザーの系列なのかもしれません。
やはり黒潮海上ルートで人も文化も伝わっていたような気がします。

ところで銚子というのはこの半島の形状がお酒を飲む時の「ちょうし」に似ているからだと言うのは本当なんでしょうか。

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銚子 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2013/07/31 18:58

渡海神社の極相林

 渡海神社の入口に「極相林(きょくそうりん)」という説明文が掲げられていました。
始めてみる言葉です。
普通古木などで覆われた樹林のことは「樹叢(じゅそう)」と書かれているところが多いと思います。

ではここのはただの樹叢とは違うのでしょうか。

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説明では大分違っています。植物から樹木が何度も生育から衰退を繰り返してきて、今は安定した樹林帯になっている林のことだと言います。

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この神社の周りの木々やシダ類などを見てわかるのでしょうか?

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やはり海に近いせいでしょうか、このような樹木はあまりよそでは見られません。

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神社の参道もこのような木々が・・・。

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神社の境内社として稲荷神社でしょう、たくさんの狐が祀られていました。

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これは猿田神社にもあったな。(こちら

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神社から外に出て、近くの道角に置かれていた石碑。

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地図にある通り犬吠崎も近い場所です。また銚子有料道路と書かれていますがいまは無料です。

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銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/08/02 20:01
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