防災の日

 今日は防災の日。企業では毎年防災避難訓練をしている。マンネリでもやって体で覚えるのが一番だとか・・・。さて、今から86年前に関東大震災が起こった。東京の地震はその前は安政の大地震であるからさらに69年前である。そろそろまた地震があるかもしれないと心配になる。
新潟中越の地震は丁度ロシアから帰ってきた日であった。大きなゆったりとした揺れが心配になりテレビで小千谷が被害にあったことを知った。私の生まれた所である。東京の母が数日後に現地に行くことになっていて、長岡-塩谷-山古志にも行く予定であった。出かけているときに地震が起こっていたらとゾッとしたものだ。あれから6年。また阪神淡路の時(15年前)もひどかった。妻の親戚が西宮にいて被害にあった。電車が止まっているのに心配で会いに出かけていた。運よく家は壊れたが命は助かった。本当に何時どこで起こるか分からない。鹿島神宮の要石のことを私のホームページに書いたことがある。茨城は本当に地震は多いが、被害にあう程の地震には会っていない。この石岡の台地も活断層は無いようだ。
 でも石岡といえば火災の被害が多い。昭和4年の市内の火事はメインの店々を一変に焼いてしまった。しかし、当時の石岡は復興も非常に早く活気がみなぎっていた。現在中町を中心に昭和ロマン建築(看板建築)はこの時に建てられたものだ。多くが現在国の有形文化財に指定されている。しかし、その昭和ロマンの建物も維持管理していくのは大変で、観光客や近隣の人たちを呼び込まなければこの先やっていくのは困難だ。行政も街の活性化を叫んでいるが、視点が内向きだ。来ていただくお客さんの満足をいかに得ることができるのかの視点で考えてほしい。自分たちの利益や中にいる人の満足を追求していては絶対に満足は得られない。「情けは人のためならず」である。情を持ってお客さんを迎えるにはどうしたらよいか?食事をしたいと思ってもどこで食べればいいの? お土産に本当に石岡の良いものは何なの?駅前の観光案内所は夕方4時には閉まってしまう。観光案内の満足な案内図はない。歴史もうわべをかじったような案内をして満足するのだろうか?お客さんのレベルに合わせいろいろなパターンを検討してほしい。昔中学生のころ青森の弘前の市役所を訪れて市の案内パンフレットをいただきたいと言ったとき、とてもきれいな写真入りの冊子をいただいた。うれしかった。その時の弘前城と桜の写真が忘れられない。観光は教育委員会の仕事ではない。まったく違った観点からやるべきだと思う。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/01 21:11

雨よふれ。ふってくれ。

 今年が観測史上もっとも暑い夏となったとか。天気なのもよいのだが、雨がふらない。これは困ったものである。道路もカラカラで車が通るとほこりが舞ってしまう。いままで、夏の日中暑い日には決まって夕方ににわか雨がふったものだ。それが今年は記録的な集中豪雨にカラカラ天気である。
江戸時代も飢饉がたびたび起きていたという。四大飢饉といわれる飢饉があった。寛永・享保・天明・天保を言うのだそうだ。しかしこのほとんどは冷夏や大雨である。また浅間山の噴火などによることが影響したことも多いという。今年のような暑い夏は作物は何とかなるということか・・・。それにしても葉物などはすぐに萎れてしまう。高原キャベツ・レタスなど生育も悪く、みずみずしさがない。本当に困ったものだ。我が家の鉢植えの朝顔も毎日水をやっているが、朝晩2回やらないと葉の一部が少し黄色くなってしまった。街中を歩いていると、この暑さにもかかわらず「さるすべり」の花が美しい。夾竹桃やムクゲなどもまだ元気だ。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/02 19:50

通りの名称の復活を願う

 9月に入って3日経つがまだしばらく暑い日が続きそうだ。先日ロシアの歩行者天国の話を書いたが、通りに文豪の名前などがついており親しみやすい。また、現地で乗った夜行寝台の名前は日本語に直すと「静かなるドン号」であった。仙台の通りも「青葉通り」「広瀬通り」「晩翠通り」などのほかに横丁などの愛称が残されているものが多く驚かされる。これは京都などと同じである。石岡も街中の旧町名を残そうと「おまつり」をはじめ駅前広場の案内板、各旧町名の書かれた石柱(辻標)などを整備している。また石岡には路地や横丁も多くあり、昔から町名と共に愛称で呼ばれてきた。しかし私のような他所からやってきた者にはちっともわからない。中に入っていると知っていることが当たり前で、敢えて知らせてどうするんだ?などと思っていないだろうか。
 まずは街中の通り名を復活表示してほしい。「八間(御幸)通り」「金丸通り」「金丸寿通り」「神社通り」「香丸通り」「八幡通り」「宮下通り」など通りの標識に追加して表示をしてほしいと思っている。これはお金など掛からないで出来るはずである。これも提案したがなしのつぶてであった。
仙台にはこの町名に愛着を感じてHPがいくつも立ち上げられている。すべて名前には歴史的な愛着が一緒にあり、そこで生きてきた人の思いも残っている。
現在、これらの通りにはそれぞれ商店会があるようである。目を外に向けてください。外のお客さんに自慢の商品を売ってください。良いものがたくさんあるはずなのに何も伝わってこないのは何故?
通りを歩いても「他所者が来た」と思って見られたら誰もお店には入っていきません。ニコニコ挨拶しよう。街を変えていきませんか?
東京なども、国道○号線などではなく、かなり愛称が使われている。昔に比べてかなり増えてきているように思う。この夏に行った時も「府中街道」「お鷹の道」「はけの道」「鎌倉街道」など名前だけでわくわくしてくるようです。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/03 22:20

常陸風土記の丘にいってみました

 今日は土曜日で家にほとんどいたが、本当に暑かった。いつもクーラの中に昼間いると気がつかなかったのかもしれないが、体が秋を求めているのに「まだまだ~よ」と言われたような感じであった。
この暑い中に久しぶりに常陸風土記の丘公園に出かけてみた。この暑さで人もまばらではあったがこの空間は貴重であるので、益々の発展を願っている。
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今は人気の花もなく、暑い日には人では少ない。小学生が自転車で5-6人遊んでいた。
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公園も暑いが木陰に入るとホットする。風はあまりないがやはり涼しい。
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古代ハスも8月半ばでほぼ花は終わり、今はハチの巣のような花弁が奇妙だ。
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公園内はまだツクツクボウシが賑やかで、トンボはシオカラトンボとやっと赤トンボが結構飛んでいた。
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花は今は見ごろのものはほとんどない。サルスベリの赤い花が美しかった。
 公園の駐車場にはマイクロバスが1台。筑西市の俳句会様とか。俳句の会も近隣を中心に多くの人が訪れる。しかし、正岡子規の水戸紀行の時に泊まった「萬屋」旅館の跡地は知られていない。せめて看板でも設置してほしいものだ。市長さんからは「良い提案であるので「教育委員会」の方に検討するように指示した。」と4月に返事をもらったのだが・・・・。良いものを作ってもこれを皆さんに活用してもらうのは市民のみに目を向けていては活性化しない。PRもとてもへただな~。

風土記の丘近辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/04 19:49

ウクライナの夏

 今日もまだ暑い日が続き、太陽の強さも衰えない。しかし日本は春・夏・秋・冬が必ずあるのでそのうち秋にはなるだろうから、それまであせらずに待つしかないさ。さて今日はウクライナの夏を少し紹介しましょう。ウクライナの首都キエフは割合に北の方に位置し、その北側にはベラルーシ(旧白ロシア)がある。原発事故のあったチェルノブイリは比較的キエフに近かったが、ベラルーシとの境界に近く、事故での被害は風向きもありベラルーシ側の方が大きかったとされています。日本人が行くとやはり広島の原爆の経験には大分興味があるようです。日本からは比較的遠い国であり、日本から訪ずれる人は多くはいないようですが、比較的親しみは持てるように思います。今回はその一部を参考までに紹介します。場所は首都キエフから南に約180km離れた人口約30万人の都市チェルカスィです。ウクライナは北から南に大きな「ドニエプル川」が流れています。この川はとても大きな川です。川幅がとても広いのです。キエフもこの川の沿岸にあり、川沿いに都市が発達したのがよくわかります。
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川が曲がったところなどがところどころ砂浜になっており、海がないこの地方では川で海水浴ができます。海の家のようなものも散見され日光浴も盛んです。川が広いのでまるで海のようです。この川はこの先は黒海に注いでいます。
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街の通りにはいろいろな本屋、食べ物屋などいろいろな露天のような店が並んでいます。
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街角で子犬が売られていました。女の子が眺めているのが印象的でした。
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これは街の中に体重計が置かれて、通行人が体重を量っていました。日本では見かけない光景ですね。
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木陰には多くの人が集まって休んでいます。
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これはロシア、ウクライナではポピュラーな飲み物で「クワス(KBAC)」といいます。パンやライ麦などを酵母で発酵させたもので街角でこのような黄色い車で売っています。アルコール分が少し入ったものもあるようですが、外で売っているものはほとんど入っていないそうです。1杯10-20円程度と安い庶民的な飲み物のようですが、その時は何か分からずに飲みませんでした。

海外 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/05 14:49

新しいバスレーン

今日は台風の影響か夜になり少し風があり、暑さも少し和らいでいる。
台風の進路も予定より頭を押さえられて、日本列島を横切ろうとしている。これは前より秋の高気圧が強くなっているのではないかと少しホットした気持ちでいる。雨も少しは降るだろう。さて、石岡駅から茨城空港までのバスの専用レーンが完成し、8月30日よりオープンしたという。これは惜しまれつつ幕を閉じた鹿島鉄道の軌道の跡にバス専用レーンを設置したもので、混み合う小川街道が混まずに通ることができるとのうたい文句である。
しかし、その運賃を見て驚いた。石岡駅から茨城空港まで600円である。空港から鉾田まで行くと1040円だという。何か運賃を下げ、利用しやすくする工夫がないのか?
中国の春秋航空が上海片道4000円の格安航空券を発売した。全体の座席数の1割というからそれほどは多くないが、今後さらなる格安航空会社(LCC)導入が期待される時にこの金額はないのでは。
市としての期待された宣伝文句の足がこれでは先が思いやられる。皆さんは茨城空港から中国の団体さんを載せたバスが東京まで500円で走っていることを知っているのだろうか?
価格を工夫して下げることを検討してもらいたいものである。民営でもうまくタイアップして沿道の病院などの近くに停車場を設置し、広告をバスに掲示、アナウンスして広告収入なども入れ、気楽に乗れる料金に是非してほしいものだ。石岡の休日の巡回バスなども他の観光地に対して高い。笠間・大洗などの循環バスは無料であったり、100円~200円だ。しかし、良く調べてみるとかなり工夫されている。少し他を学ぶべきだと思う。バスレーンについても私は、当初新交通システムの導入を期待していたのだが・・・・。結果はいつもがっかりしてしまう。

地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/06 20:13

石岡の景観(恋瀬橋)

 今日は幾分風があり、朝方は筑波山が比較的きれいに見えた。毎日のように山の方も何気なく眺めるようになっているが、夏場にはあまりはっきり見える日が少ない。以前石岡市で「残したい景観のアンケート」というのを依頼された。結果は市報か何かに載ったのを見たように思うが、その後の動きが見えない。少し景観について時々書いてみたいと思う。個人的な私感が伴うので、それ程のこともないが、とても気になっている。
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この写真は6号国道の恋瀬川に架かる「恋瀬橋」からの眺めである。
この場所以外にも、常磐線の橋からの眺めや高浜の方からの眺めは同じように美しい。万葉の頃から歌に読まれ、風光明媚な場所であったことが想像される。山と川の組み合わせはとても素晴らしいものである。これは「恋瀬川」の名前の由来などの歴史を紐解いていくと尚一層素晴らしい景色に見えてくる。是非この景観をもう少し整備し(あまり人工的ではなく)余計なものは出来るだけ排除するように願いたい。
この写真を撮っているとき、私は2つのことを考えていた。一つは「太古の昔の人が電線や大きな橋などなく、もっと空気が澄んでいた時にどのように見えたのだろうか?」ということ、もちろん龍神山は元の雄姿でみることができたであろうから・・・。もう一つは「この景色はどこかで見た景色に少し似ているな。そう、尾瀬ヶ原と燧岳や至仏岳の雄姿の組み合わせだ。」ということだ。尾瀬は昔から何度も訪れているが、こんなに身近にも似た景色があったということであった。もちろん周りの環境などはまったく違っているので比べようもないが、昔はもっともっときれいだったに違いない。現在6号バイパスなる名前の道路が反対側で工事中で、青い橋が一部架けられているが、どの程度この景観が損なわれることになるのか・・・。
とても心配である。

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/07 20:24

石岡の景観(高浜の海)

 台風のおかげで久しぶりの雨となった。一部激しく降ったりしているが、恵みの雨でもある。野菜などは助かっているだろう。さて、昨日に続いて石岡の景観について書いてみたい。今回は「高浜の海」である。江戸時代に利根川の東遷工事で銚子へ流れが変更されるまでは、今の霞ケ浦は海水で大きな内海であった。香取の海と呼ばれていた。高浜も「国府の浜」が「こうのはま」となり「たかはま」に名前が変わったと考えられている。昨日の恋瀬橋からの筑波山の眺めを紹介したが、ここ高浜から見た筑波山はまた違った美しさがある。
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この写真は、今の6号国道のバイパス工事前の写真であり、この景色は大分変ってしまうかもしれない。
常陸風土記の書かれた頃(奈良時代初期)にはもっと水は豊かであったと思われ、交通も歩く以外は牛車や舟であるので今の鉄道や車の社会で想像するのは難しくなってきている。しかし、奈良時代を想像できる景観を残していかなければならないと思うのは私だけではないだろう。
高浜神社の看板に書かれた常陸風土記の口語訳を紹介しよう。
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<高浜の海>
そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉の色づき散りしく秋になると、あるいは駕(のりもの)を命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸という岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯(うぐいす)の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海人(あま)の娘は、浜辺を逐(お)い走って群れつどい、商人と農夫は、小舟に棹(さお)さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れになると。友を呼び僕(しもべ)を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめやる。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の憂(う)さを風に払い、岡を照らしていた日影がしだいに動いて行くにつれ、涼を求める者は、喜びの心を動かすのである。
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☆ 高浜に 来寄する浪の 沖つ浪 寄すとも寄らじ 子らにし寄らば

(高浜に寄せ来る波が、どんなに沖から寄せ来ても(他の女が寄って来ても)、私の心が動かないのは、あの娘に心を寄せてるからだ。)

☆ 高浜の 下風(したかぜ)さやぐ 妹を恋ひ 妻と言はばや しこと召しつも

(高浜の浜辺の下を騒がしく吹く風ではないが、恋するあの娘を妻と呼びたい気持ちがこみあげてくる。こんな私だのに。)

恋瀬川と筑波山 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/08 20:35

9月9日重陽の節句です。

 今日は台風が通り過ぎ気持ちの良い天気となった。虫の声も大分元気になったようだ。昨夜は開けていた窓からコウロギが部屋に入ってきて鳴いていた。秋をやっと感じるようになり、ぼーとした頭も大分スッキリした気分である。やはり気温が高すぎるとやる気が失せてしまうものだ。
本日は9月9日で、重陽の節句である。菊の花にはまだ少し早いが気分だけでも祝いたい。ラジオでは今日の日を「救急の日」と紹介していたが、重陽の節句はあまり言われなくなってしまったようである。3月3日、5月5日、7月7日については大々的に知られているのだが・・・・。
このブログも明日で1カ月になる。毎日少しずつ書いて行こうとはじめて見たが、やはり結構大変だ。場合によっては週に数回の更新の方が長続きするようにも思う。
先日から石岡の景観について書き始めたが、最近気になって仕方がないことがある。光ケーブルとケーブルテレビ用のケーブルの醜さである。何とかならないものだろうか。黒々ととした太いケーブルを平気で引き回し、これを日本の津々浦々に張り巡らして全国どこでも情報を受け取れるようにする計画だそうだ。原口総務大臣、孫正義社長 アイディアは良いが、もう一度日本の自然を壊さぬ工夫をしてもらわなければ、後世に禍根を残しますよ。あまり反対の声は聞こえてこないが、山奥までこんなケーブルを引いても全く効率的ではないでしょう。デジタルデバイドはこんなことで解消するはずがないことに早く気がついてほしいものです。地方のどんどんと増える空家の有効利用などを是非検討してもらいたいものだ。年寄りはどんどん増え、人口の減少が始まったようでもある。もう10年もすると大変なことになるんですよ。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/09 19:12

石岡の杉並木

 やっとこのブログも1ヶ月目となった。
まあ「継続は・・・・・」とのことで、そのうちに意味を持ってくると思う。
まあそういってもまだやっと1カ月である。
何年も書かれている皆さんはすごいな~などとも思いながら今日も少し書いて行こうと思う。

無題



この写真は旧水戸街道の泉町の一里塚を少しすぎたあたりである。
地名は杉並という。
地元の人には杉並小学校があり、ドラッグストアなども並び比較的にぎやかな通りであるが、本屋さんや回転すし屋さんが撤退して少しさびしくもなってきた感もある。
実はここは旧水戸街道では珍しい杉並木が両側に続いていたのである。
ここ石岡(府中)は松平2万石であり、水戸(徳川)藩とは親戚関係があるので杉並木が許されたという。
一般には杉並木は日光などのように徳川と関係がないとあまり許可されなかったらしい。
 明治~大正にかけて石岡は醸造の大きな煙突が目印であったという。
今では醤油などはすっかり廃れてしまったが、銚子や野田は今でも盛んだ。
何が原因だったのだろうか? 今の石岡の衰退と何か共通点がありそうに思う。
もう少し掘り下げてみてみなければならないだろう。
この写真の手前(一里塚の手前)を少し右に曲がった所に、昔アルコール工場があったが、今はスーパーを中心としたショッピングモールにかわっている。
 ここ杉並の杉並木は通りの両側に続き、遠くからも良く見えたという。
しかし、暗く、追剥まがいの被害などもあったようで、近代化には邪魔と切られてしまった。
確かに明るくなったと思うが、もう少しこの並木の特徴を活かす工夫はなかったのだろうか。
写真の先の方に行くと「茶屋場住宅前」という信号がある。
ここは水戸藩の殿様などが来たときに接待した「茶屋場」があったらしい。
「延齢の松」などというものも歴史に埋もれてしまっているようである。
天狗党の処刑も近くで行われたことなどもあり、イメージを一新したい思いもあるようだが、旧水戸街道の景観を残す場所でもあるのだから、通りの構成などにも少し工夫がほしいと思っている。

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この看板は常磐線の上を跨ぐ旧水戸街道の橋のガードにとりつけられている。

水戸街道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/10 21:34
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