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新年おめでとうございます。

 時間は止まってくれませんね。

今年も始まりました。毎年同じようなことを繰り返しながら時は過ぎていきます。

進歩をしていく過程に何時もありたいと願います。

年も感じるようになり、若い時に比べれば時間的には余裕はできてきたのだが、正月は日本人にとっては特別な時かもしれません。

でも、まず健康が一番。

身体が健康でないと、心も沈みます。

ボランティアどころでもなくなります。

今年は、末の子供も社会人になります。

私も新たな生きがいを見つけて、邁進していけそうです。

新たな出会いも生まれるような気もします。

毎日、充実した日々が過ごせるように頑張っていこう!

さあ、新しい年のスタートです。

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 我が家の蝋梅の花も咲きました。(2011.1.1撮影)


昨年末に地元八郷産のおいしいもち米でもちをつきました。

ついたといっても機械の「もちつき機」ですが、正月の雑煮にして食べたらとても美味しいかったです。

昨年のお正月には越後の美味しい餅をいただきましたが、やはり自分のところの方が美味しいですね。

純粋な良いもち米を使えば誰にでも美味しい餅ができるそうです。

今年も地元の美味しいものも探していきますね。

朝スコットランドから娘の電話がありました。スコットランドは旦那さんの実家です。

家族皆が集まり、一杯飲んでいるとのこと。時間は現地の元旦の0時半頃でした。

イギリスの寒波を心配していましたが今はそれ程でもないとのこと。

逆に日本の各地で大雪の便りがあり、車が立往生事故が多発しているとか。

正月なのに皆さん大変です。


今年もよろしくお付き合いください。
  
 

あいさつ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/01/01 12:12

初詣

 今日は午後から近くの総社宮に初詣に行ってきました。

hatsumoude01.jpg

夜中は混んでいると思って、ノンビリ出かけたのですが、午後から並び始めたようです。
列は100mくらいでしょうか。

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お参りは2~3人ずつですからなかなか進まないですね。

今までは実家の方に帰っていくことが多いので、総社宮での初詣も二度目です。

良いことがありますように!
 

あいさつ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/01/01 16:11

本年もよろしくお願いします

 今年はウサギ年。

どうかウサギのように飛躍の年になりますように。

昔作ったウサギのアニメを載せてみました。

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食べているのは地元八郷産の有機ニンジンです。

とても味が濃くてにおいがとても強いです。
あきらかにスーパーの人参とは違うんですよ。

人参ジュースにすると人参だけで、甘くミルクのような味が増します。

今年もよろしくお願いします。


明日は東京の実家へ行きますが、夜には帰ります。


あいさつ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/01/02 14:33

天狗の話 - 猿田彦

 さお今年も3日目、地域・歴史ネタのスタートです。

最初は「天狗の話」から数回にわたって知っていることを紹介します。

今日は天狗の姿の原型と言われている「猿田彦」のお話です。

猿田彦は日本書紀などの神話に出てくる神様で、神が高天原に降り立つ時に、下りる場所から葦原中国(あしはらのなかつくに)までの道案内の神として登場します。
神が降りたのは宮崎県高千穂、そして葦原中国は出雲あたりを指すと思われていますが、神話ですから諸説あり、神の国から日本の本土への道案内との解釈もあるようです。

今日は天狗の話ですから、この神話はさておいて、猿田彦命の姿が、天狗そっくりなのです。

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上の写真は石岡のお祭りの祭礼に出てくる行列の先頭を行く猿田彦です。
まさに天狗ですね。
もっとも、お祭りの時はこの前に「富田のささら」という変わった三匹の獅子が露払いをします。

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上の写真は「染谷十二座神楽」に登場する猿田彦です。これも神楽の最初に登場します。

神話に出てくる猿田彦は「鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のようだ」とあります。
「咫(あた)」は長さの単位で、直径1尺の円周の長さを4咫としたという。
1咫≒0.8尺という。
中国後漢時代の1尺は約23cmほどだというので、背の高さは約161cm、鼻長は129cmとばかに鼻が長い。
もっとも長いことを誇張したものと思われるし、目にいたっては八咫鏡というので直径が50cm近い円になってしまう。
もっともこの八咫というのは単に大きいというように使われているそうで、大きさをまともに考えてもしょうがない。

私も、少し興味を持ってこの猿田彦を調べてみた。
そうすると、面白いことが判ってきた。何事も知らないことが多いですね。

それは、猿田彦が天照大神の命により地上に降り立った神(邇邇芸尊)の道案内を終えると、天宇受売命(あめのうずめ)が猿田彦の生まれ故郷である伊勢国の五十鈴川の川上について行くのです。
そして名前を「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになるのですが、どうもこの女性の姿がエロっぽく書かれてもおり、二人は結婚したと考えられています。

猿田彦は伊勢の海でおぼれ死んでしまいますが、日本の神話は単純なようでわかりにくいですね。

さて、猿田彦はこのように伊勢より南側の行動しかないのですが、ここ常陸にも祀られたところが多く存在します。またこのようにお祭りなどで登場します。

石岡の大覚寺の少し先を羽黒の方に進んだところに桜川市「猿田」という地名があります。
下の写真はそこの小学校です。
全校生徒54人です。1学年10人前後しか生徒がいません。きっとのびのびと育っているのでしょうね。

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猿田と言う地名は実は銚子にもあります。
銚子にも時々出かけていますが通る時に見かけてやはり気になりました。

もっとも、私の娘にいわせれば「こんな名前の小学校ではかわいそう」とも言っていました。
何時の間に猿が嫌われてしまったのでしょうか?

猿田彦は道案内の神であるので「道祖神」として考えられたり江戸時代の庚申講との関係もいわれてきています。

ところで、常陸には「猿田」さんという名字が多いそうです。常陸大宮周辺に多いと聞きます。

昔の名前などを考えるときに漢字から考えるとわからないことが良くあります。
発音などを調べてみるのも良いのかもしれません。
「去る」「佐瑠」「佐太」「戯人」や琉球語?縄文語?などとの関連も面白そうですね。

どちらにしろ、私には詳しくはわかりません。
知っているのは猿田彦が天狗の顔のようだということだけです。

ではまた続きは明日へ。
 
 

天狗の話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/01/03 16:39

感謝のメールをいただきました。

 今日は4日目。お休みも今日までです。
昨日は東京小金井の実家に行ってきました。
帰省ラッシュなどを心配していたのですが、行き帰りともに、混雑もなく良い1日でした。

しかし、向こうの土地独自の古い神社がどこも行列ができていました。
神社にお参りする人がとても多くなっているようにも思いました。

昨日のブログの続きはこの後にまたUPしますが、昨夜ある女性の方から私の運営しているホームページ「1300年の歴史の里石岡ロマン紀行」に登録されているアドレスに感謝のメールをいただきました。

少し内容を紹介したいと思います。

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こんにちは
とても嬉しいことがあって、メールさせていただきました。

1月3日の今日、昨年嫁の安産祈念のお守りのお礼参りと観光を兼ね、初詣客が多くて道が混んでいるかと思い、今回は電車で参りました。

電車の待ち合わせが多く、石岡に着いたのが10時過ぎ。
駅前の観光案内で、常陸国分尼僧寺跡の行き方やその他歴史の諸々を尋ね、地図等頂き出発しました。

一本早く曲がりすぎたため、道に迷い戻ったりでつくまでに1時間くらいかかってしまいました。
やっと府中小学校を右に曲がり、そこで立ち話しているご高齢のおばあちゃんに尼僧寺のことを尋ねると、近くだからと杖をつきながら、道案内してくださいました。

無事、尼僧寺に着き見学させていただきました。
1300年前の跡地がそのまま残されていることに感動しました。

その隣の集会場でお祭り仲間との新年会の準備をなさっていた方が、桜が咲いている季節はいいですよ!とお声をかけてくださいました。
そして見ず知らずの私たち夫婦が歩いて来たことを知り、次に行こうとする、総社宮まで車で送ってくださいました。

お蔭様で、無事嫁の安産のお札もお返ししお礼参りができました。
夫と、石岡の方たちの温かさ優しさがとても嬉しく、拙い文章ではありますがメールさせていただきました。
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内容は石岡の市民の皆さん宛てと思い、市長さんのオフィシャルサイトへ転送しています。
さて、何か反応があるでしょうか?

御投稿された方には了解もなく公開させていただいたことはお詫び申し上げます。

メールの内容にもあるように、曲がり角などにももう少し親切な案内矢印などがあれば良いとも感じています。

 
 小さなことのようですが、池に落とした小石の波紋が広がるようにほのぼのとした気持ちも広がる。

このことは、私がこのブログを開設している目的でもあります。

 

あいさつ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/01/04 15:41

天狗の話 - 長楽寺の天狗

 さて、今日は天狗の話の第2話です。
石岡市龍明というところにある「長楽寺」という寺にまつわるお話です。
もともと龍明という地名ではなく「狢内(むじなうち)」という地名でした。
名前のように昔は狢がたくさん住んでいるといわれたような場所ではなかったかと思います。

この寺を有名にしたのは映画やテレビのロケ地として売り込まれたためです。
御覧のように、まわりに電線や電柱などがありません。時代劇の撮影にはもってこいですね。

映画「座頭市」やNHKテレビ「篤姫」の撮影にも使われました。

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この場所に最初に行った時は、道が判らないであきらめ、二度目は入り口がわからず、前を素通り。
今は少し入口の道路を整備していますが、最初の方には判りずらいところです。

私のHPにも場所を書いていますので参考にしていただければと思います。

chourakuji02.jpg

どうですか、すてきな感じでしょ?

chourakuji03.jpg

この寺の歴史などはゆっくり調べることにして、今日のテーマは天狗です。
この長楽寺の住職が天狗になった話なのです。

昔、筑波山、加波山、難台山、愛宕山などに、多くの天狗が住み、修業を行なっていました。
ある時、この長楽寺には年とった母が一緒に暮らしており、この母の願いである「津島の祇園」を見たいというので親孝行の長楽寺は岩間山(今の愛宕山)の天狗にお願いして、毎日天狗の修業をしてとうとう天狗になることができたのです。

詳しくはこちらのお話を読んでください。

ここでは詳しくは書けませんが、興味もわきましたか?

面白いと思ったのは私だけかもしれませんが、まあお付き合いください。

この長楽寺の庭にはたくさんの石碑が置かれています。

一つ一つ見ていくと面白いものもあります。

諸国をまわったという六部などの碑もあります。六部については数日中にまた紹介します。

天狗の腰掛石などというのもあるといいますが、どれだか?

今度行ったらもう少しじっくり見てみたいと思います。

どうしても、映画やテレビなどのシーンが浮かんできてしまいそれ以上に思考が進みません。

岩間(愛宕)山の天狗の話はまた明日にします。
 

天狗の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/05 18:52

天狗の話 - 愛宕山の天狗

 天狗の話も3回目です。
今日は岩間にある愛宕山の十三天狗の話です。

この山は昔は岩間山と呼ばれ、場所も常磐線の岩間駅にも近い場所ですが、石岡市とは隣接しており山の反対側は石岡市の真家地区になります。

この山を私はずっと桜の名所としてしか見てきませんでした。
少し遅めに満開を迎え、下から上にある神社に向かって桜並木が続きます。
上の神社の少し手前まで車で登れ、そこからの眺めがとても素晴らしいところです。

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しかし、ここは十三天狗が修業していた所としても有名なのです。
今は笠間市になっていますが、現地に行っても「あたご天狗の森」などと名前を付けてPRしています。

何故、ここを紹介するかと言うと、昨日話した映画撮影などに使われている「長楽寺」の天狗になった和尚が、ここにいた十二天狗の仲間に加わって、十三番目の天狗になったと伝えられているのです。

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愛宕神社は徳一法師が創建されたという古く謂れのある神社で、防火の神をお祀りしている珍しい神社で消防団の方などがよくお参りされているようですが、是非いかれた時はその裏手にある「飯綱神社」へ行ってください。

この飯綱神社の本尊はその裏に回ると見られますが、六角形をした金属製の塔で「六角殿」と言います。
この六角殿はまた六角形の石の上に建てられ、この石は手足などをかたどった亀だといいます。
この六角殿を背後から守って取り囲むように十三の祠が置かれています。
これが十三天狗の祠です。

atagojinnjya03.jpg

さて、長楽寺は寺の名前ですが、天狗の仲間となった時に、この天狗は長楽寺と呼ばれていました。
そして、最後に加わったので、面白い言い伝えが残っています。

人が集まる席に誰か一人が来ていないと「長楽寺はまだ来ていないのか?」「来るまで待とう」などと言うようになったそうです。

さて、最後に、毎年12月にこの天狗の祠にまつわる「悪態祭り」という変わった祭りがあります。
悪態を言い合うとても変わったお祭りだというのですが、まだいったことはありません。
こんど機会があったら行ってみたいと思います。
 

天狗の話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/01/06 18:12

天狗の話 - 天狗小僧寅吉

 今日も天狗の話の続きです。
昨日書いた愛宕山(旧岩間山)の十三天狗の話は、江戸時代後期の国学者「平田篤胤」が書いた「仙境異聞」によるものだ。
これによると、当時、江戸の町で天狗にさらわれてまた戻ってきたという寅吉という少年が評判となった。
そこで、この平田先生が、自宅に連れてきたりして、この寅吉の語った内容をそのまま書いたという形式の書物である。

平田篤胤は本居宣長の後を引き継ぐ学者として有名な人で、けして作り話を書くような人ではないのだが・・。

当時、平田篤胤は、神や異界の存在、さらには死後の世界に大きな興味をいだいていたといいます。

天狗に連れられて天狗の世界を見てきた寅吉の話を要約すると、

・最初に連れてこられたのは獅子ガ鼻岩という岩が突き出ていることで知られる南台丈という山であったが、いつの間にか岩間山になっていた。

・岩間山には十三天狗がいて、その首領の「杉山僧正(そうしょう)」が寅吉の師匠である。

・岩間山には最初十二天狗であったが、途中で長楽寺が加わって十三天狗になった。

・人間から天狗になったのは長楽寺だけで、その他は鳥や獣などが形を変えたのだという。

・長楽寺はその十三天狗の首領となった。

となっています。そうすると、長楽寺は杉山僧正と同一とも受け取れます。
しかし、笠間市のHPや愛宕山に記載されている表現は違っています。
最初に杉山僧正を首領とする十二の天狗がいた。そこに長楽寺が加わって十三の天狗になった。

どちらが本当でもよいのですが、平田篤胤は山神として天狗の存在を真面目に信じ、研究をしています。
そして、その姿を絵師に書かせ、宝物にしています。

この神の姿はあまり今の天狗のイメージとは違います。
学研の「神仙道の本」表紙などに使われています。

この絵にも下の方に白鹿が描かれています。

また寅吉が、最初に降り立った山「南台丈」は、南北朝時代に合戦が行われた悲劇の山「難台山」のことですね。
天狗の鼻のように突き出した岩(獅子ガ鼻岩)があります。
 

天狗の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/07 18:50

天狗の話-烏天狗

さて、天狗の話の5回目です。今回はカラス天狗の話です。

長楽寺の和尚が天狗になった時、その他の十二天狗は鳥や獣が修業して天狗となったと書かれていますが、天狗は大きな羽根を背中から広げて空を飛ぶとされていました。

そして、天狗の姿を現した中に口がとがったカラス天狗の話があります。
物語にも良く出てきます。
鞍馬山で牛若丸の剣術の修業をしたのはこの烏天狗だというものです。

カラスが天狗になったというものと思いますが、どうも各地に伝わる河童伝説にもこの烏天狗が関係しているようなのが興味をひきます。

大昔、インドあたりから伝わった時には天狗は流れ星のことを指したと書かれているのを読んだことがあります。
それが何時の間にか、カラスなどと人間が合体したような天狗が現れ、その後、猿田彦のような鼻の長い天狗が出現します。

東京の西端に位置する高尾山は天狗の伝説でも知られたところです。
私も子供の頃から中学生ころまで良く登りました。
ケーブルで登って向こう側の相模湖側へ下るハイキングコースなどは吊り橋などもあり楽しんだものです。

最近は外人にも人気があるといわれています。

この山の上に高尾山薬王院がありますが、ここに天狗の像があります。
右が鼻の高い大天狗、左が烏天狗の小天狗の像だといいます。

どうも烏天狗は鼻の長い天狗の子分のようですね。

そして大天狗は団扇を持ち、小天狗は剣をかかげています。
どのようないわれがあるのでしょうか。
天狗が団扇を振ると大風が吹いたり、雷が鳴るのでしょうか。

自然現象も山の神・天狗や鬼の仕業であるというおとぎ話は沢山ありますね。

山には龍神が祀られ、雨などを祈願したりもしたのでしょう。

天狗の話ではありませんが、最初に書いた「猿田彦」と共に故郷伊勢に連れて帰った「猿女君(さるめのきみ)」こと、天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、太陽神をあらわす天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れてしまい、この世が真っ暗になった時に、この岩戸の前で踊って桶を打ち鳴らし、岩戸を少し開けさせるのに成功したとされる神です。

この話は、子供の時に読んだ昔話に出てきましたが、この踊りの姿は、私が昔読んだ内容とは大分違うようです。

宇受(うずめ)は「かんざし」のことで、この神は、今の巫女をさし、踊りは神楽であるというような表現がされています。

しかし、古事記などの表現では胸を露わにしたトップレスで、腰の紐を下まで下ろした姿で踊っています。

このような姿の踊りを連想すると、ブラジルの「リオのカーニバル」のサンバやエジプトナイル川の船の上で踊られている「ベリーダンス」などを思い浮かべてしまいます。

どう見ても、今の優雅な巫女踊りからは想像ができませんね。

この「天宇受売命」が「おかめ」面のモデルのようです。

話題がそれますが、この「おかめ」(天宇受売命)と天狗(猿田彦)は夫婦になったと解釈されています。

これは、どうも違う民族の男と女が融合することを意味しているとも解釈されているようです。

アダムとイブの話とはまた少し違うようですね。
  

天狗の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/08 16:52

カラスの話 - 八咫烏

 昨日の土曜日にふるさとの物語を朗読舞いにして活動している「ことば座」などが毎月発行している機関誌「ふるさと風」の印刷と製本の手伝いをしてきました。

私はただ応援しているだけなのですが、毎月欠かさずに原稿を書いている会員の皆さんの強い意欲を何時も感じてしまいます。
機関誌も500部程つくり、無料で配っています。
過去のものを含め、こちらでも読むことができますので興味のある方はアクセスしてみてください。

ふるさと風の会HP

 さて、昨日まで天狗の話をしてきましたが、今日からカラスを取り上げてみます。

前に「白いカラス」をテーマとして書いたことがあります。

カラスは黒いものの代表なのですが、世の中には白いカラスも本当にいたのです。

しかし、どうやらカラスは真っ黒だというのは昔の人も同じ認識であったようです。

今日は「八咫烏(やたがらす)」について少し書いてみます。
八咫烏は足が3本として描かれてきましたが、神話の中ではその表現はありません。

天狗とそっくりな「猿田彦」はこの国に降り立った神を葦原中国(あしはらのなかつくに)までの道案内の神として登場しています。

そして、神武天皇が東征する時、熊野国から大和国へ移動する時に、熊野の神としてこの八咫烏が案内役として登場します。

当時熊野国には豪族がいて、神武天皇の東征する時に衝突し、神武天皇が負けてしまいます。
そこへ、熊野の神からこの八咫烏が遣わされ、西から太陽の登る東に進路を取ったことが敗戦につながったとして、南に迂回して大和国に入ります。

従ってこの八咫烏(やたがらす)は熊野の神のシンボルとなっています。
熊野古道などを歩くと、この八咫烏が祀られているところも多いようです。

しかし、京都下鴨神社の祭神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)はこの八咫烏です。
熊野の神がどうしてここにやってきたのでしょうか?

下鴨神社のHPをみると、この神を金鵄八咫烏(きんしやたからす)と表しています。
金鵄(きんし)は金色のトビのことで、やはり神武天皇が東征する時に登場します。
金色に輝く鳥が八咫烏と同一であるかについては良くわかっていません。

また、熊野権現に伝わる話に、八咫烏が金色に輝いて、金の鳥は太陽だと言っています。

私も神話などにはあまり詳しくないので、詳細を述べることはできません。

どうも太陽神をカラスになぞらえているようなのですが、カラスが太陽という思想はどうやら中国-朝鮮からもたらされたもののようです。

中国には太陽の中に3本足のアラスが棲んでいるとの考え方があるといいます。

太陽の黒点がカラスの黒色のように見えたのではないかと言われていますが・・・。

朝鮮の高句麗時代の壁画の中にこの丸い円の中に3本足のカラスが描かれた壁画が残されています。

日本サーカー協会がこの八咫烏をシンボルマークに使い話題となりました。


ところで、八咫の「咫(あた)」は長さの単位で、文献によれば「手を広げて親指の先から中指の先のまでの距離」と載っています。
確かに長さをはかる時に手を広げて長さを測るには便利ですね。

しかし、もう一つの解釈は「直径が1尺の円周の長さを4咫とした」という解釈がありました。
後漢の時代には1尺は少し短くて1尺≒23cm ですから 1咫≒18cm となります。

8咫≒144cmですね。

三種の神器である「八咫鏡」についても、この「八咫烏」についても一般的には単に大きいことを意味すると説明されています。

しかし、どうも違うのではないでしょうか?
大きなカラスではどうもしっくりしません。

この「咫」が円周の長さを現すのであれば、大きな丸、すなわち太陽を表している単位であるような気がします。

 

カラスの話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/09 15:20
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