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松平播磨守

「松平播磨守」(まつだいらはりまのかみ)の名前を聞いて、さて石岡の人はどれだけの人が気がつくでしょうか。
とても興味深い。この私もつい最近まで気がつかなかったのです。
常陸府中藩は松平2万石であることは多くの人は聞いているはずです。
ところが、この播磨守とつくと石岡の藩主であったことにどれだけ気がつくのでしょう?
播磨とはもちろん播州、赤穂、姫路、などのあの播磨の国を指します。
この播磨守になることは大変な名誉なことで、平清盛などはまず播磨守になり出世します。
来年の大河ドラマは清盛だそうですから、見るのも楽しみですね。

しかし、江戸時代には、その役職はその地方とはあまり関係なく、一種の名誉職になっていたようです。
ですから、常陸府中初代藩主松平頼隆が播磨守となると、その後3,4,5,6,8,10代府中藩主が江戸では播磨守に任ぜられています。
ここ石岡には陣屋がおかれ、藩主は江戸に暮らしていました。
この暮らしていた場所が「小石川」であることはよく知られていますが、では小石川の何処なのでしょうか?
小石川には水戸の藩邸がありました。これは今の小石川後楽園の場所です。そうジャイアンツの後楽園ドーム球場のあるところです。
府中藩の松平家の藩邸はというと、この播磨守の名前がヒントになります。
今「播磨坂」という坂があり、桜の名所になっている辺りなのです。

この石岡に住んでいて、どういう訳だか分りませんが、この話は聞いたことがありません。
私が聞いていないだけなのかもしれませんが、興味がないのでしょうか。

陣屋門という門が石岡小学校の校庭に保存されています。
小石川の藩邸が火事になり、建て直した時にあまった、木材で建てられたものと言われています。

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この陣屋門も市民会館ができるまではこの小学校の入口のあり、子どもたちがこの門を通って通っていました。
懐かしい人もおられるでしょうね。

石岡市内 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/05/01 07:44

仙台にいってきました。

昨日は、先日書いておいたブログを予約投稿しておき、息子の荷物の片づけを兼ねて仙台にいっていました。
4月30日の朝出発の予定が、用事がなかなか終わらず、車で出発したのが午後1時前頃になってしまいました。
東北高速が手前の方で混雑が予想されたので、いわきから磐越高速で郡山から東北高速に乗りました。
予想した通りスムーズに午後5時前には仙台駅に到着しました。

石岡のスマートチェンジをはじめて利用しました。
便利になったものです。石岡の発展に寄与してくれるものと期待します。

高速を走って見て季節の移り変わりを実感しました。
まず、いわきまでの常磐高速は徐々に山の緑が淡くなり、新芽が芽吹く薄黄緑色からところどころに山桜の白い色も混ざりとてもきれいでした。紅葉時よりも美しい季節かもしれないとも・・・。
磐越に入ると山の緑の色が消え、まだ木々の芽吹きも始まっていません。しかし、桜が満開で、またいわきから三春にかけては桜の並木が続いていました。
三春の「滝桜」も今まだ見られたのかもしれません。時間があれば下りたかったのですがまたの機会にしました。

仙台の町は意外に被災地の印象もない程人も多く、街並みも表面的には何も変化はありませんでした。
ただ、町のホテルもボランティアなどで占められ、また一部ではまだ再開できていないホテルなどもあり、朝出かける前に宿をとろうとしましたが満杯のようでした。
最初は日帰りを考えていたのですが、出発が遅くなってしまったので、ダメと思いながら知っている「秋保(あきう)温泉」のホテルに電話したら、運良くまだ空いていて、夜遅くなるので夕食なしで予約。

仙台市内で食事をして10時頃宿に到着。ゆっくり温泉につかって、翌日また仙台に戻って、こちらには夜戻ってきました。
少々疲れましたね。連休の渋滞にはほとんどいあませんでしたので時間的にはスムーズに行ったのですが、往復600kmはやはり少し疲れました。

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仙台市内の「青葉通り」。以前と同様賑やかです。広瀬通りとともに今は欅の緑がまぶしいです。

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仙台城跡の公園です。緑がきれいですが、壁の一部崩落や、道路の一部通行止めなども見られます。
山の上にある動物園・遊園地などは牡丹桜が満開で子供たちもたくさんきていました。

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県庁の隣りの「勾当台(こうとうだい)公園」は花もきれいに咲き、多くの方が集まっていました。中にはボランティアの人達も・・・。

仙台市内は地震の被害も予想していたよりも多くはありません。ビルなどに入るとエレベータが使えなかったり、まだ再開できていないところもあるのですが、見た目は変わらないし、多くの人があふれていました。
少し、周辺の地区では色々と被害のある場所もあります。大型のスーパーなどが壁が崩壊して使えなくなった所や傾いて立入禁止のところなども・・・。
屋根などが壊れているところは目立ちません。前に大きな地震を何度か経験しているので、瓦屋根の家が少ないようです。

若林地区の知り合いの所を訪ねたのですが、その家は鉄筋でほとんど被害がなく、一部外つけの階段にひびが入ったくらいでしたが、隣りの2軒のお店は被害が大きく建物が使えない状況でした。
近くの24時間営業の大型スーパーもまだ営業再開できていません。
津波は、若林地区の海寄りの4号線バイパスまではほとんど影響がありません。しかし、その先の海に近い地域に行くと景色は一変します。
車は田圃などに無数にまだ残り、新しい家で流されなかったところも1階内部はぐしゃぐしゃのようです。
私にはその光景をこれ以上見れませんでした。
街中でもボランティアの車や自衛隊の車などともすれちがいました。
息子の残した冷蔵庫や電子レンジなども持って帰る予定でしたが、いただいてくれる方がいるというので全て寄付させていただきました。

行っている間に東北楽天の試合があり、盛り上がっていました。駅の東口から球場まで朝からたくさんの人があるいていました。最後は負けてしまいましたが、勝ち越しができて良かったです。地元の皆さんの応援がすごいです。 
このような応援ができることがうらやましい気もしました。
ガンバレ!東北!仙台!
 

震災後の風景 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/05/02 07:59

ハナミズキ

最近、各家の入口にハナミズキの花が目立つようになったと思う。
桜が散る頃に桜の花と同じような色合いの可憐な花が咲いているのである。
もともとアメリカワシントンD.Cにソメイヨシノの桜の木を送ったお礼にアメリカから送られた木である。古来の日本にはなかった花で古都に似合うかはわからない。
そのためどこかモダンなイメージがあるが、ヒットソングにも歌われて人気が出たのかもしれない。

新しい住宅などが建つと、庭木や公園の木としてからっとした雰囲気を醸し出す。

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旧家の門の脇にも植えられたいました。

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でもやはり洋風な家の庭木や入口近くにうえられることが多いようだ。

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日本ではさるすべりのイメージに近いものを感じる。

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色はピンク、赤、白と結構種類が多い。また花が密集しているものやパラパラに咲くものなど。
すっかり日本にも定着したようだ。
1915年に日本に送られたと辞書にはあるので、約100年くらいになる。
日米交流もこのような文化が感じられるものなら歓迎だ。
 

その他風景 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2011/05/03 07:43

屋根の修理

 どうにか梅雨前に屋根の修理ができそうです。
今日から始まりましたが、いろいろと問題が出てきました。

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屋根に設置していた太陽熱温水器が地震でずれて水漏れが起こっていました。
10度ほど位置が曲がってしまったようです。
去年から調子も悪かったので取り外してもらうことにしましたが、これでまた出費が・・・。
まあしかたないですけれど、どうもここの地面が硬いようです。瓦が割れたのも地面が硬いために揺れ方が「ゆらゆら」ではなく「バンバン」と揺れたせいだとのこと。

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地盤が固いのは良いことだと思っていたのですが。どうやら一概には言えないようです。
鹿島の神に守られており、硬い岩盤の上に石岡はあるので地震が多くてもそんなに被害はないと思っていたのですが、想定外でした。私も読みが甘かったです。
保険会社は写真をとっておけば作業してもOKとは言ってくれていますが、ちゃんとした地震保険には入っていなかったので、残念ですが見舞金くらいしか出ないようです。(トホホホ・・・)

作業は数件を掛け持ちしており、毎日続けて出来ないので少し時間がかかりそうです。
聞くところでは瓦などの材料は関西などにはあり全体としては不足は無いけれども、足元を見て今までの2~3倍の値段を吹っかけてくるそうです。困ったものですね。
 
 
 

震災後の状況 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2011/05/03 20:51

隗から始めよ

 それにしてもイライラする話題は多いですね。
復興の形が見えてこないが、増税や電力料金値上げのアドバルーンはすぐに打ち上げる。
このままでは本当に近いうちに、東南海大地震が起こるかもしれない。
今回の災害は天災だと言う。地震・津波は天災だろう。
しかし、原発事故は人災と思っている人がたくさんいる。私もその一人です。
また、震災後の政府の対応は一生懸命にやっていると言うだけで、何も出てこない。
これはある種の人災ではないかとも思う。

民主党がもし政権を取れていなかったら、どのようなことを言うかということが想像できる。
マニフェストには今から思えば、選挙のためだけの公約としか思えない言葉が並んでいた。
消費税の増税は、この国が高齢化社会に入るために避けて通れないとしても、この人災のしりぬぐいにつかわれたのではかなわない。
今回の災害の被害者の人の援助は最大限にやりたいと国民の皆が思っている。
しかし、今までの体質が変わらなければ責任のある人たちの分まで負担を国民に押し付けてしまう。

「隗から始めよ」という中国の故事に由来する言葉がある。
今では本来の意味とは少し違って、「言いだした者から始めよ」と言うように使われている。
民主党はマニフェストで5つの政策を公約しました。その最初にあるのが

1 ムダづかい
 国の総予算207兆円を全面組み替え。
 税金のムダづかいと天下りを根絶します。
 議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。

とあります。また、その中に

・自民党長期政権の下で温存された族議員、霞が関の既得権益を一掃する。
・国家公務員の人件費を2割削減する。

とあります。いったいどうなったのでしょうか。

先日仙台まで高速道路を使いました。料金所を出る時に表示された料金は1000円でした。
私は、これはありがたいとは思いません。数倍の請求があっても払うことは厭いません。
今までのが高すぎて、このお金が無駄な高速道路を生んでしまうことに抵抗があっただけです。
この国を「高負担、高福祉」社会にするのか「中負担、中福祉」社会にするのか?
まったく先を示さずに、「国民が今なら増税もやむなしの気持ちの人も多いから、今やりたい」と考えているようにしか見えないことでは絶対に反対です。

増税の議論は福祉などの政策とセットでなけらば国の形が歪んだままで変わりません。
既得権益っていったい何を指すのでしょう。
半減しても東電の役員報酬は2000万円。これでは国民は納得しません。
原発予算はどのように使われて、だれの利益になってきたのか?
私も茨城県に住んでいるので原発の配分金を得ていたことになります。しかし、知らされてこなかったことも確かです。
もちろん痛みが伴うことになるだろうと思います。覚悟を決めなければいけないでしょう。
今まで国は、「想定外の事故は関係者は責任をとらなくても市民を犠牲にしてかまわない。」と考えていたとしか思えない政策で国民を懐柔してきました。
責任者が今のまま曖昧であれば、想定外の事故はまた起こります。
今度起こるのは直下型のM8.5以上の地震かもしれません。
関東大震災でもM7.9でした。そうしたらひとたまりもなく日本は沈没してしまいます。
奢ることなく、取れる対策をすべてとるしかないのです。
現在原子力安全保安院の指示で、浜岡原発なども津波の対策を考えはじめています。
しかし、想定しているものが「津波」です。人間ってこんなに馬鹿ばっかりが集まっていたのか。
今まで、危険を指摘されていたのはそればかりでない。またもそのような意見は無視し想定外を連発するのか?
浜岡原発の説明ではM8.0を想定。M8.5で設計しており余裕がある。・・・
本当に全ての人がこの説明で納得できるのですか? 疑問に思う人は? 良心が痛む人は?

まあ、その時は日本を脱出するしかない。そして1000年後くらいに、JAPANというきれいな国があったが、愚かな欲の固まった人たちによって、消滅したと。・・・
放射能が多くて近づけない島が残るのです。
危険ばかりを誇張したいとは思いません。建設的な意見を言いたいとも思っています。
しかし、偏った人達だけで方向を決められてはたまりません。ゼロベースで見直しをして下さい。
御用学者だけの意見はもう国民には届きません。

制度の問題があれば、それをはっきりさせて、自分たちの痛みを伴った行動をしなければ誰もついてこない「はだかの王様」になってしまいます。
 

震災後の状況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/05/04 11:30

花大根

ゴールデンウィークとはいうが、今年は今日でおしまいだ。明日からまた仕事が始まる。
しかも土曜日も。代わりに夏の休暇が長くなった。
今年の電力不足も思わぬ方向になった。あまり猛暑も困るな~。
 さて、「だいこんの花」というテレビドラマが昔あったが、一般に大根の花は白い小さな花がたくさん咲いているのを思い浮かべていた。
しかし、この花に似た「花だいこん」というものが別にあることを知った。
現在は観賞用にも植えられているらしいが、一年草で道端でも可憐に咲いているところを今までも見ていた。
女房が「大根の花」が好きという。そして、先日仙台で公園の前に咲いていた花を見て「あ、だいこんの花」と叫んだので花の名前がわかったのである。
この花にもダイコンができるのかとも思ったが、まったく別物のようで、ダイコンはできない。
中国原産の花で別名「諸葛菜(しょかっさい)、紫花菜(むらさきはなな)、大紫羅欄花(おおあらせいとう)」などと呼ばれると言う。
諸葛菜は三国志に出てくる「諸葛孔明」が食料として栽培していたということから名前がついたようだ。
日本には江戸時代に渡ってきたらしいが、一年草で、また種が落ちるので、また翌年も花を咲かせるという。

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大根の花に似ていると言うがダイコンはもっと白い小花だったと思うが・・・。ピンクのものもあるので似ていると言えば似ているかもしれない。

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写真の場所はかすみがうら市下志筑(しづく)から中志筑に向かう途中の坂道にある池の脇である。
二十三夜塔も道端に置かれており、きれいに花だいこんが咲いていた。

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この池は名前は何と言うのだろうか? 志筑城の堀の一部が残ったものだろうか?
遅咲きのボタン桜がまだ咲いていた。
 

その他風景 | コメント(12) | トラックバック(0) | 2011/05/04 21:52

横綱谷風

 今日は子供の日であったが、仕事に出かけてきた。
人が休んでいる時にどうも気が入らないのは、それだけ仕事の情熱が薄れているのかもしれない。
そろそろノンビリするのも良いか・・・。

さて、テレビで5月3日に「ゆず」が仙台の市民公園で突然ライブを行なったと出ていた。
この市民公園は宮城県庁と仙台市役所のすぐ隣にある「勾当台公園(こうとうだいこうえん)」で市民の憩いの場となっている。
先日行った時に公園によってみたが、花がきれいに咲いていた。

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写真の右手後ろに立つビルが宮城県庁である。

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この公園の一角に横綱「谷風」の銅像が立てられている。
仙台出身の江戸時代の大横綱である。
横綱双葉山の69連勝が大連勝記録となっており、白鵬が破ることができなかった記録であるが、本当はこの谷風の98連勝が最高であることはあまり知られていない。
谷風の正式な連勝記録は63連勝で小野川に敗れたのだが、これは江戸本場所の記録しか正式には数えなかったからであり、京都と大阪でも本場所が行なわれており、この場所を数えると98連勝しているのである。

こんな強い横綱が仙台出身でいたのである。

さて、「勾当台」という変わった名前がすぐに気になるのだが、この名称は、伊達政宗が寵愛した盲目の狂歌師・花村勾当の屋敷があり、少し高台になっていたことによるらしい。
また、勾当台は「こうとうだい」と読むが、江戸時代には「こどのでえ」と読んだそうだ。
これは庄内弁か? よみにくいな~。

仙台よがんばろう!
 

震災後の風景 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/05/05 20:06

これで少し安心して眠れるか?

 政府は浜岡原発の稼働中の2機の運転停止を決めた。
発表を待たないとまだよくわからないが、少し舵を切ってくれたようだ。
明日にはリキリークスが暴露した米軍のガム移転費用のカラクリ記事が紙面をにぎわすはず。
これに対する反応が怖くて方向転換したのかもしれない。

まだまだ隠していることも多いし、テレビや新聞が取り上げないプルサーマルやもんじゅの話もきな臭い。
小沢問題もいかがわしい「水谷建設」がらみで変な証言ばかりが紙面を踊る。
検察のおかしな点はちっとも取り上げない。メディアまで地に落ちてしまった。
佐藤栄佐久前知事の汚職事件で嘘の証言をして、またも小沢事件・・・・。

今日も仕事でやっと帰ってきたところで、あすも出社だ。
このようなことを書くのは止めようとしてはいたが、少しだけ載せておきます。
またすぐ別な話題に変えますね。

震災後の状況 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2011/05/06 19:43

貞観(じょうがん)地震に学ぶ

 今回の東日本大地震について「貞観(じょうがん)地震、津波」との比較がいろいろと言われています。
私も先日仙台に行き、若林地区へ行った時に最北の「陸奥の国、国分寺と国分尼寺」跡が残されていることを知り石岡と比べながら興味を持って調べていたところ、この地震の記事に行き当たりました。

 貞観地震については、この時代の事を書いた歴史書「日本三代実録」に記録が残されており、大地震と大津波が記録されています。
貞観11年(869年)に発生し、M8.4以上だといわれ、今回と同じのM9.0くらいだったかもしれないともいわれます。
「日本三代実録」の記述では海から数十百里の先まで水びたしとなり、1000人程が溺死し、野も原も道も大海原となり、城下近くまで海水が来たとなっています。
この城は仙台と塩釜の中間の多賀城市にある多賀城と思われているのですが、別な説もあるようです。
国分寺と国分尼寺は聖武天皇の勅命(741年)で全国に建設されたのですが、ここ陸奥国が最北でした。
場所は仙台の若林地区にあり、仙台の駅の東南側になります。
また海抜16m程の所にあり、今回の津波はここには到達していないのですが、この貞観津波では被害を受けたと記録が残されているそうです。

仙台の海寄りの地形を調べてみると3000年ほどの間に貞観津波の前2回を含め、3回の大津波が襲っていることが判明しています。
それは800年~1100年の周期であり、貞観地震の後今回の地震まで約1100年強となります。
しかし、その間に明治三陸津波・昭和三陸津波があるのですが、どうも今回の地震発生の範囲とメカニズムがこの貞観地震にとても似ていると言われています。
もっとも貞観地震の5年前には富士山が大爆発して青木ヶ原ができた年代ですから、今とは少し違うようにも思います。
しかし、これから火山活動が活発になるかもしれません。貞観地震の後で、阿蘇山・鳥海山・開聞岳などが噴火しています。
注意深く見て行きたいですね。

もっとも気になるのが貞観地震の18年後(仁和3年(887年))に起きた五畿七道地震とも呼ばれる広範囲に被害を及ぼした「仁和地震」があることです。
これは東海・南海地震でM9.0クラスの巨大地震だったかもしれないという大地震と津波です。

東海地方、紀伊半島、関東南部など標高20m以下の所に住んでいる方は、巨大地震があった場合は高台、または5階建て以上のビルに避難をして下さい。
自分のいる海抜を知ることと共に、訓練しておくことも必要ですね。
今回の被害を見てみると、危機感が足りなかったと思われるところがありました。

中部電力の浜岡原発を止めてもすぐには危険がなくなるわけではありませんが、どうもこの報道がなされた後、経済活動に支障が出るとか、収益が圧迫される、株主に説明ができないとか、どこかおかしいですね。

都合が悪くなると民間企業を前面に出し、通常は国の方針に従っているとして、高い電力料金を支払わせる。そして高い給料を得ている。本当に数日後に仁和地震クラスの地震が起こらないとは言えません。

今回の地震前に、貞観地震の再来を真剣に心配されていた研究者がおりました。
地震は何時かがわからないのがやはり怖いですね。
 

地震・津波全般 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/05/07 17:44

石岡の陣屋門の思い出

 先日、江戸時代の府中藩主松平氏が江戸小石川の屋敷が今の播磨坂のあたりで、松平播磨守であったことを紹介しました。
また、小石川の藩邸が火事で再建した時の材木の残りで、ここ府中の陣屋門がつくられたのですが、このブログの石岡出身の読者の方から、昔の小学校の発行した文集の表紙を送っていただきました。

私はこの学校の卒業生ではないので思い出もありませんが、当時を知る人にとっては思い出も詰まっているものと思います。
懐かしく感じられる人もおられると思いましたので掲載させていただきたく思います。

 jinyamon41.jpg 石岡小学校昭和43年3月発行

これは、昭和43年の3月に石岡小学校の4~6年生の文集だそうです。当時の子供(生徒)の数は今の5倍くらいいたようです。木造の校舎で冬はダルマストーブ(石炭)だったとか・・・。

学校の入口に陣屋門があり、これを生徒はくぐって登校していた様子を版画にしたものですね。

歴史的な経緯を書くと
・文政11年(1828)2月に建立(小石川の藩邸の改築時に同じ木材を使って造られた)
・昭和41年7月石岡市民会館の建設計画と、陣屋門の移転計画が発表。
・昭和42年、市民会館の建設工事着手。
・昭和43年4月、市民会館が完成オープン。
・昭和44年3月、移転工事(現市民会館入り口から小学校校庭入口へ)
となっていますので
この文集は市民会館がオープンする寸前に出されたものですね。
この版画のように当時は門は常にオープンで左右の門柱に写真のような表札が付けられたいたようです。
(資料提供に感謝いたします)
 
※小学校の昔の文集ですので、そのまま表紙を載せております。
関係者の方で何か問題なり、ご意見等があればご連絡お願いいたします。 
 

石岡市内 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2011/05/08 13:05
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