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景行天皇行在所跡(お伊勢の台)

 霞ケ浦の南側湖岸を旅すると、この地の古い遺跡が多く眠っているのに驚かされると思います。
しかし、そのほとんどが感心も持たれずにひっそりと眠っています。

確かに貝塚などの遺跡を除けばお話に登場する程度で、本当かどうかも疑われるようなものかもしれません。

今日は常陸国風土記に出てくる稲敷市の浮島に眠る遺跡です。

名前の通り、昔は霞ケ浦に浮かぶ島だったところです。

茨城の県名のいわれという黒坂命(くろさかのみこと)はこの地にやってきてここから北の方を制圧していき、日立市北部の竪破山までいって死んだとされます。
そしてこの霞ケ浦が見える地に埋葬されたと伝えられるのです。

さて黒坂命の多分数十年後だと推察されるのですが、景行天皇の第2皇子といわれるヤマトタケル(日本武尊)がこの地にやってきます。

そして、この湖を渡り対岸の行方を含め、東国の地を平定して故郷に戻る途中(伊勢)で病で亡くなったといわれています。

さて、常陸国風土記には、この地に息子ヤマトタケルの辿った跡を偲んで景行天皇がこの地にやってきたと記されています。

信太郡の条に「郡より北十里のところに、碓氷がある。昔、大足日子(おほたらしひこ)の天皇(景行天皇)が浮島(うきしま)の帳(とばり)の宮に行幸されたときに、飲み水に困った。そこで占部(うらべ)をして占ひをさせて、井戸を掘らしめた。その井戸は、今も雄栗(をぐり)の村にある」(口訳・常陸国風土記)
と書かれています。

さてこれだけだとよくわかりませんね。
景行天皇は、この浮島に来て帳(とばり)の宮(仮宮)に行き、そこにしばらく滞在したと思われます。

その場所が今回紹介する「景行天皇行在所(あんざいしょ)跡」でお伊勢の台と呼ばれる丘なのです。
風土記の逸文では、この行宮に三十日(みそか)滞在したとあり、この島にいる「賀久賀鳥(かくがどり)」のさえずる声が可愛らしかったので伊賀理命を遣わして網を張ってこの鳥を捕まえさせたといいます。

そして、この鳥を捕まえた伊賀理命に「鳥取」という名前を与えたのです。

どうして出雲の国とつながる話がこの地に出てくるのか不思議です。
景行天皇は西暦71年~130年となっていますが、これはサバを読み過ぎで、実際には4世紀初め頃の話だと思います。

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浮島地区に入り右側に小山が見えてきたのでここが浮島かと思ったが、辺りには何もない・・・。
店舗やガソリンスタンドも閉鎖されたところが多い。

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そのまま進むと真っ直ぐ行く道の両側は田圃や畑など一面の平地となる。
昔はこの辺り一帯が海(湖)であったのだろうと想像しながら、その先に見える丘(多分浮島)を目指す。

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浮島に入り、浮島小学校の少し先の左側に「景行天皇行在所」の看板が見えた。
すぐ手前が農家の直売所のような建物があり駐車もできるが、店はやっておらず、辺りにはだれもいない。

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階段を登ると少し広くなった小山の上に石碑が置かれていた。

さて、このような話は何処まで信じることができるかはどちらかというとあまり関心はないのですが、何故ここにこのような話が伝わっているのかが面白いのです。

東京墨田区堤通に「隅田川神社」が鎮座しています。この神社は昔「浮島宮」と言われたそうです。
浮島宮はこの景行天皇の行宮のことで、それが隅田川に移されたものだと伝えられています。

でも、この浮島の現地にはそんなことは何処にも書かれていないのです。
まだまだわからないことがたくさんありそうです。
この隅田川神社(浮島宮)は鳥石楠船命(とりのいわくすふね)を祀っているそうです。

まえに那珂川を少しさかのぼった旧桂村の粟、阿波地方にある石船神社を紹介しましたが、どこかでつながっていそうです。

天狗の大杉神社(通称あんば様)もすぐ近くです。やはり物部氏とかかわっていたのでしょうか。

香取神宮にもすぐ行けます。



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阿見・美浦・稲敷 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/01/15 11:27
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