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稽医館(小川)

 ここ数日にわたって現小美玉市の旧小川町の紹介をしています。
今日も、訪れて初めて知ったことを紹介します。

(小川)稽医館(けいいかん)という医学の研究所があったことを知っているだろうか?
小川の方なら多くの人が知っているのかもしれませんね。

先日訪れた小川素鷲神社の隣に小川小学校があります。

この小学校の敷地は中世は園部城があった場所で、江戸時代になり運送庁の使われなくなった建物があったようです。

そこに文化元年(1804)に水戸藩の施設として医学研究所が設立され、後に烈公(徳川斉昭)に稽医館という名前を授けてもらったという。

この時に医学の神様の名前を書いた斉昭の書が残されているという。

この医学の神様は「大穴牟遅神(おおなむじのかみ) =大国主命」と「少名毘古那神=少名彦名命」です。

この医学研究所は水戸藩の最初の郷校(今で言う学校。水戸藩の教育機関)である「小川郷校」にも後になったようです。

小川小学校の敷地に碑が置かれていると書かれていましたが、今回見ていません。

稽医館は当時としては最先端の医療研究をしていたようで、主な研究テーマは種痘や外科手術だったといいます。

稽(けい)というと稽古の稽ですが、稽える=考える という意味のようです。

実はこの稽医館の存在は、天聖寺の墓地にある本間家の墓所に掲げられた説明板に書かれていたことで知ったのです。

雑誌「常陽藝文」の4月号に「郷土の医事先駆者たち」という特集記事が掲載されました。

そこに本間玄調という名医が紹介されています。

記事では本間家八代の本間玄調はこの稽医館が設立された1804年に生まれ、水戸藩医の原南陽に学び、江戸や京都の名医の門をたたき、紀州の華岡青洲や長崎にいたシーボルトにも師事したそうです。
そして、脱疽の重症患者を救うために、日本初の下肢切断(足の切断)手術に成功した人物だそうです。

その後、斉昭の招きで水戸弘道館の医学館教授を勤め、天然痘の予防接種を広めるのに貢献したといいます。
また膀胱結石の手術や肺結核の治療に取り組みました。

この本(藝文)は常陽銀行の各支店には無料で閲覧出来るように置かれていると思いますので、興味のある方は読んでみてください。

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上は天聖寺にある本間家の墓所に書かれていた説明文です。

本間家6代の道意の時にこの小川に移り住み、玄調の父玄有(8代)、祖父玄琢(7代)が稽医館を開いたのです。

また、水戸市三の丸の三の丸小学校の前に本間玄調の立像が置かれているそうです。

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さて、ここに掲げられている芭蕉の歌に弟子の曽良とともに、潮来の医師「本間道悦=本間家一代」(号は松江)の歌が載っています。

芭蕉はこの道悦に医術の知識を学んだとも言われ、芭蕉がこの道悦を訪ねて潮来に来た時に、鹿島方面にも行ったようです。

鹿行地域(鹿島・行方)に行くと、芭蕉の句碑がいくつかあります。
これが皆、芭蕉がこの本間道悦という医者と交流があったためだと知りました。

潮来にある長勝寺にも上の歌の句碑が置かれているそうです。

また本間道悦の墓は牛堀の長国寺にあるとかかれていました。

牛堀町は潮来町と合併しましたが、富嶽三十六景の「常州牛堀」に描かれている場所でもあります。

これで今までの記事ともつながりました。

1、鉾田市の月蔵寺の芭蕉句碑。

2、息栖神社の芭蕉句碑

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小川地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/06/04 18:47
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