ダイダラボッチの里(9)

 石岡市の東南端の地区(旧井関村、石川村)は、江戸時代は、常陸府中藩(常府)とは違って水戸藩の飛び地であった。

この里をダイダラボッチ(大人形)を飾る地区や霞ヶ浦の干拓した地区と紹介してみたが、本当はもっと違った側面を紹介するべきだったかもしれない。

それは、この地区は多くの古墳が眠っている地でもあるが、江戸時代に「楢山塾」「長峰塾」という私塾が開設され、多くの子弟を育て、文化的にも大きな影響を与えた土地柄でもあったことだと思う。

これは、霞ヶ浦の対岸側の小川が水戸藩の医学校(稽医館)や小川郷校が作られていたことが非常に大きい。
この「楢山塾」は1840年に小川稽医館で学んだ鈴木文輔が起こしたものであり、「長峰塾」は小川郷校に学んだ鈴木銀四郎晩香が1858年に起こした。

明治5年に政府が学校制度を頒布して、続々と小学校が設立されたが、これらの私塾教育がすでに行われていたことは特筆されてもいいと思う。

これらは少しみな高台側であるが、霞ヶ浦に面したところの写真を少し紹介します。

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石川地区の干拓入口部にあるモータープール。

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この場所から土手が続き、右側には田んぼが広がります。
しかし、この土手の道は車は進入禁止になっていました。

これはこの先の八木地区の堤防を工事中のためだと思います。前は通れたように思います。

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この場所は釣りの人も多いようですが、危険なので釣り禁止です。

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西側には筑波山が見えます。この場所では手前の建物が邪魔です。
写真には八木地区入口の方が良さそうですが、工事中です。

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この石川地区の田んぼには、写真のような比較的大きなビニールハウスが並んでいます。
中ではいろいろな花を育てているようです。

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さて、前回紹介した八木地区の高台にあった「住吉神社」と同じように、石川地区から八木地区へこの山沿いの道を進むと高台に「鹿島神社」があります。

しかし、通りの道が狭く、手前も車を置く場所がないので、鳥居のところで写真を撮っただけで通り過ぎました。

これではこの神社に一人で登るのはためらわれます。


ダイダラボッチの里 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/01 19:46

きんちゃく石(1)-露盤

 石岡市茨城という地名がある。茨城県名発祥の地という看板がある場所だ。

県名については前に考え方を述べているのでそちらを参考にして欲しい。
今日はこの茨城(バラキ)にある「万福寺」という寺の横にある四角い石のお話である。

バラキ台団地の入口にある万福寺の横の道を少し入った畑の中に置かれている石だ。
前に井関地区(ダイダラボッチの里)を訪ねた帰りに見てみたくなって寄り道をした。

ちょうど畑の草取りをしておられたこの土地の持ち主の方(奥様)に写真を撮らせていただく許可をいただいき、少し話を伺った。

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畑のすみに「きんちゃく石」という看板があるが、この看板はこの土地の方が、訪ねてこられる人がわからないというので自分たちで作って立てられたそうだ。

本当に、看板がなければ探す人は困るだろう。
私も、万福寺の境内をくまなく探して、お寺の中ではないことを思い出して、横の畑にやってきたが、看板を見つけてやっとわかったようなものだった。

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さて、この石は一体何だと思いますか?

これは、この近くにあったとされる「茨城廃寺」の五重塔の露盤ではないかと言われるものです。
茨城廃寺は国分寺よりも前に建てられた寺といわれ、茨城郡の郡寺と考えられています。

露盤は最近注目の東京スカイツリーにも採用された古代建築の塔の芯柱の上部に乗せられた重しです。
これがあるので、地震にも五重塔は今まで倒壊しなかったと言われています。

とても興味深いので、詳細は次回にまた少し書きますが、この石について「石岡の歴史」(石岡市史編さん委員会)には次のように書かれています。

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<竜神山と茨城童子>(石岡の伝説)
石岡の市街の西にある竜神山には、大昔から竜神の夫婦が住んでいると言われている。この竜神のおかげで、山のふもとの御手洗井戸は、どんな旱天にも涸れることはなかった。(途中略)・・・・・
 この竜神山には、竜神のほかに「茨城童子」と呼ばれる、人の何倍もある大きな鬼が住んでいたと言う。童子は、丹波の大江山の妖怪酒呑童子の兄弟分と言われ、さらった人間を入れる大きな巾着袋をさげ、石の根締めで紐をくくり、夜ごと里人をさらっては食べたという。このため、人々は童子を大いに恐れ、子供などは「茨城童子」と聞いただけで、泣きやむほどであった。
ところが、ある時、酒呑童子を退治した源頼光のような強者が童子を退治に来ると言う噂を聞き、童子は恐ろしさのあまり、一目散で竜神山から逃げ出し、西の三角山をひとまたぎに飛び越えて行ったと言う。それから、三角山は「鬼越山」と呼ばれるようになった。
 また、その時、童子は腰に下げていた巾着袋の根締め石も、邪魔だと言って投げ出していった。それが、はるか茨城の万福寺の西に落ち、畑の中にめり込んでしまった。今、茨城に残る巾着石とは、この時、落ちてきた根締め石だといわれている。
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さて、このような話は各地にあって、私の新潟(長岡)にいた祖母なども私が小さかった時に、酒呑童子の話などを良くしてくれたことを覚えています。

「泣く子は、酒呑童子にさらわれてしまう・・・」などと、昔は泣く子を黙らせる常套句だったのかもしれません。

(少し話は飛びますが、越後の栃尾(長岡市)には茨木童子が生まれたとする伝説があります)

でも、この石が茨城廃寺の石製露盤とするならば、歴史的な価値のある大切な品です。

このような畑に置いておくことは文化財を大切にしていないと言わざるを得ません。

「茨木廃寺跡Ⅰ」(石岡市教育委員会)によると、花崗岩製、平面正方形で一辺110cm、厚さ35cmで、中央に径45cmの円形貫通孔を有する。と書かれています。

少し長くなりましたので、続きはまた明日書きます。



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石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/02 17:51

きんちゃく石(2)-露盤

 昨日の記事の続きです。

「きんちゃく石」が置かれていた畑の草取りをされていた奥さんと会話しました。

私「写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」

Aさん「はい、どうぞ。 今その周りの草をとりますね」

私「いいえ、このまでいいですよ。」「ここにあると分からずにお寺の方を探してしまいました。」

Aさん「そうですね。皆さんわかりにくいというので、この看板を立てたのです。」

私「ご自分たちでお立てになったのですか?」「確かにこれがあると分かりやすですね」
 「この石を見に来られる人がありますか?」

Aさん「時々いらっしゃいますよ。この間も茨城大?の学生さんや研究者の方もこられました」

私「この石は、鬼が逃げた時に投げ捨てたきんちゃく石っていいますけど、大昔にあった塔の上の方につけていた重しなどと言われているみたいですね」

Aさん「この間来られた大学の人も廃寺の塔の礎石のようなものじゃないかといっていました」

私「そうですね、廃寺の礎石はこの向こう側の小見代公民館の近くと市内のお寺の方にいくつかあるそうですが、これは塔の真ん中の上の方に載せていたものらしいです。」

Aさん「よく調べられて、歴史がお好きなんですね。」

私「好きであちこち見て回っています。ここは茨城県名の発祥の地という茨城(バラキ)ですね。」

Aさん「茨城(バラキ)ですが、これも昔は城ではなく、木と書いて"茨木"となっていたんですが、いつの間にか県名と同じ「茨城」になってしまったんです。」
「それに、この石も通りの向こう側に昔はあったのをここに運んできたと聞いています。」

私「それは面白いですね。でもこんな大切なものを市では何かしないんですか?」

Aさん「特にないみたいです。市で保管してくれたらいいようにも思いますが・・・・」


とりとめのない会話でしたが、いろいろなことを教えていただきました。ありがとうございました。

 さて、この五重塔の露盤についてはこの近くの貝地にある「平等寺」の横に地元のロータリークラブが設置した説明版と模型?が置かれています。
これを紹介します。

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これが、その露盤ですが、綺麗すぎるのでこれはレプリカではないかと考えられます。説明はありません。

roban00.jpg

これが、この説明文です。わかりやすいのでこのまま載せました。
しかし、この露盤がにわかに今年注目され始めたのです。

それは東京スカイツリーのあの細くてスリムな塔の建築にこの露盤と同じようなものを使っているというのです。

日本の五重塔や三重塔は釘などを使わず、芯柱と塔の屋根部などとは固定されていないというのです。
そして一番上に穴のあいた石を芯柱にかぶせて、地震などで重心をズラして揺れを抑える役目をしているようなのです。

この塔の露盤がどのような役目をしていたのか、もう少し調べてみたいと思います。
(もう少し書きたいことがあるので、あすに続きます)

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さて、この説明が書かれている場所のすぐ横には「景清塚」というお宮があります。
この小山は愛宕山ですから正式には「愛宕神社」です。

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しかし、源平合戦で平家側の武勇者として名高い平景清が、この石岡の地で生れ、この近くの「室ヶ井」という湧水のところで産湯をつかったという話が残されています。
(正確なところはわかりません。各地に多くの話が残っています)

前に見に来た時になかった貝地公民館がすぐ近くに作られていました。
この愛宕山も周りが狭苦しくなってきた感じがしますね。



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石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/03 18:56

きんちゃく石(3)-露盤

 先程まで雷鳴が轟いておりましたが、今は遠のいていったようです。(8時頃書き始めています)

さて昨日書きかけていた五重塔と露盤の話を少ししてみたいと思います。

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これは、ロータリークラブの看板にあった図ですが、法隆寺の五重塔を模したものだと思います。

法隆寺は聖徳太子の命令によって建てられたものだと解釈していますが、創建は607年だとされています。
しかし、日本書紀では670年に火災にあい、ほとんど皆燃えてしまったとも言われているようです。
その後、直ぐに立て直されたとすると1300年以上が経つ、日本最古の木造建築とも言われます。

しかし、この五重塔が木造なのに何で1300年以上も地震にも耐え、木が反ったり腐ったりしないで今も美しい姿を見せてくれるのでしょうか。

これはいろいろなサイトに説明もされていますが、最も大きな要因はこの芯柱が樹齢1000年以上のヒノキで、この芯柱に乗っかっているのは一番上の相輪だけで、周りの五重塔の骨組みや屋根、瓦などのは芯柱には全く荷重がかかっていないようです。

一番下(5段目)の屋根の瓦の重さは、その上の1~4段目の屋根の重量で「やじろべえ」のようにバランスをとり、4段目は1~3段目で、また3段目は・・・・ とくると、一番上(1段目)はその上に屋根がありませんので、この露盤(石)で重さをバランスさせています。

地震にもそれぞれが別々に動くので、どこかに力が集中しないようになっています。

こんな昔に、すごい技術ですね。またヒノキが一番変形もなく、長い年月でも耐えることを知っていたのですね。

露盤は今回のスカイツリーにも応用されたというので、驚きです。

 さて、この法隆寺の建設には百済の人の技術が伝わっていると言われています。

ではここにあった茨城廃寺(茨木寺)はいつごろ建てられたのでしょうか?
昨日紹介したロータリークラブの説明では8世紀前期頃となっています。
しかし、出土した瓦の最も古いものは7世紀後半のものだと言われています。

そうすると、この法隆寺が再建された年(670~700年頃)とほぼ一致します。

きんちゃく石があった畑のとなりの「万福寺」は、ここ石岡にいた税所(さいしょ)氏歴代の墓と思われる五輪塔が数基置かれています。

税所という名前は、ここに古代の茨城郡があった時に税を取り締まっていた役人の役職から出来た名前だと思われます。

この税所氏の古文書残されており、元の名前は百済氏といったようです。

この茨城廃寺の建設にもきっと百済の技術者がやってきていたのでしょうか?

飛鳥時代にはこの百済王家と大和朝廷は大変密接な交流がありました。
朝鮮半島で滅びた時(660年)に大勢の百済人が日本に逃げてきています。

そして「白村江の戦い(663年)」「高句麗滅亡(668年)」と続きます。

常陸介の前進 初代常陸守は「百済王遠宝」です。西暦700年です。
こちらでも有名な「藤原宇合(うまかい)」は4代目で719年です。
これは藤原不比等の子供(三男)です。

百済王とは「くだらのこにきし」と読みます。
百済国が出身ですが、日本の氏族の一つです。

ところで奈良の国宝百済観音は美しいですね。
日本の木が使われており、日本で彫られた仏像であることは間違いがなさそうですが誰が作ったものかわかっていません。

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石岡市内 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/04 22:11

露盤石(付録)

 昨日まで3回に分けて石岡に残された「きんちゃく石」を紐解いてみた。
そしてそれが五重塔の露盤であるということで、いろいろ調べていたら、となりの筑波郡にも残されていることがわかった。

そこで、早速今日夕方に見に行ってきた。

それは古代筑波郡の郡衙とされる「平沢官衙」近くの北条地区の山よりの少し高くなった木々の林の片隅に置かれていた。

さすがにつくば市はこの北条地区も案内板は整備されており、「露盤石」とあちこちに出てくる。

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車を北条の通りから少し入ったところに止めて、案内板に従って上り道を進むと金網で柵のある木々の間にこの石が置かれていた。
その上には石祠が乗せられている。

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近くにこの露盤石の内容を説明するものは一切ない。
何かで読んででもこない限り、見ただけでは何かがわからないと思う。
信仰の石といった感じだ。

北条の通りには石の祠に「市の神」と名前をつけたものが2つあった。
こちらは明日紹介しようと思う。

robanseki03.jpg

この古代筑波郡の郡衙(郡の大昔の中心役場のあるところ)の郡寺として「常陸中台廃寺」とか、「筑波廃寺」または「北条廃寺」などと呼ばれる廃寺があったという。

この寺の五重塔の露盤だとみられている。
大きさは一辺94cmの正方形で、厚さは25cm/35cmの台形、孔径34.5/35.5cmの少しテーパがついている形状だという。
石は花崗岩だそうだ。
これは茨城廃寺より小さい。
また作られたのは奈良後期と見られており、茨城廃寺よりも後のようです。

robannseki04.jpg

こちらは探している人にとっては案内板はしっかりしており(これもおそらく最近)、場所はわかるが、説明は不足していますね。
それに、これもしっかり保存されているとは思えません。

すぐ裏が原っぱのようになっていましたが、建物を建設中でした。
このあたりが「中台廃寺跡」と見られているようです。
筑波山を望む良い位置に建っていたようです。



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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/05 21:24

つくば市北条(1)

 昨日、古代筑波郡の郡寺の塔に使われたと思われる露盤を紹介しました。

久しぶりにこの北条地区にやってきました。

ここは江戸時代に筑波参詣の入口の街として栄えた街並みが広がっています。

しかし、今年5月の竜巻の被害は大きなもので、今でも建て直しやブルーシートもかなり目立ちます。

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市の神1

北条の通りに2つの「市の神」というのが祀られていました。
江戸時代に通りの辻などに置かれたものかもしれないと、調べてみるとこの通りで「市いち」が開かれており、この両端にこの祠をおいて祀ったもののようです。

ですから「市神様=いちかみさま」でしょうか。

こちらは八坂神社の少し東側にありました。「東の市の神」だそうです。

市の神02

「西の市の神」はちょうど「つくば道」の大きな追分のすぐ前にありました。
「つくば道」については前に紹介していますので今回は省略です。(筑波古道をまとめたものはこちら

この石の祠の横に、「北条町道路元標」が置かれていました。
前にこの道路元標をまとめて調べていた時に、ここの写真を撮っていなかったので今回載せます。

しかし、この辻の元標の後ろ側が空き地になっています。
前に来た時は家があったと思います。おそらく竜巻の被害で取り壊されたのではないかと思います。

hojho03.jpg

「北条歴史めぐり絵巻」と書かれた看板があちこちに置かれています。
前にはあまり気がつかなかったように思いますので、比較的新しいものかもしれません。

この中心地の近くに「稲荷神社」と矢印の書かれている看板を見つけて行ってみました。

くねくねと坂道を登っていくと「北条小学校」のグランド裏にそれはありました。
「久保山稲荷」となっています。

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たくさんの狐像が置かれていましたが、特に内容を説明するものはありません。
地元のお稲荷さんでしょうか。

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今日は夕方から空が真っ黒になって風も強くなりました。
家の入口にある百日紅の花も風に煽られて大きく揺れていました。

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富山ではかなり大雨が降ったようです。

皆様のところに被害がありませんようにお祈りしています。

明日はこの北条の八坂神社を紹介したいと思います。



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筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/06 19:18

いしおかサンド(1)-高野菓子店

 石岡の魅力創造事業として今年7月末に発売が開始された「いしおかサンド」
評判も上々のようです。

世界的パティシエ辻口博啓氏のアドバイスで市内の11の菓子店がそれぞれオリジナルの菓子を作りました。
私はあまりスイーツを食べる方ではないのですが、時々記事の間で紹介していきたいと思います。

私が石岡に来た時に驚いたことの1つですが、この町にはとてもお菓子屋さんが多いと感じました。
こんなにケーキ屋さんがあってやっていけるのだろうかと。

甘党ばかりとは思えませんが、石岡の人は何か法事や集まりなどでもお菓子を使うようです。

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評判を聞いてまず「高野製菓」さんの「いしおかそらまめサンド」を買ってみました。
まず駅前通りのお店に行くと「午前中で売り切れてしまいました」とのこと。

6号国道のジャスコ(イオン)にはあるかもしれないということで行ってきました。
まだ7~8個残っていましたので2つ買ってきました。

(高野さんはイオン内と八間通り、中町通りの少し守木町側の3箇所にあります。)

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価格 1個260円です。

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これが結構美味しいです! これはいけますね。
クセになりそうな味です。 そらまめと中のおもちが絶妙です。
見た目よりもずっといけますよ。
石岡の素材はそら豆と米粉だそうです。

この高野菓子店さんは石岡のお土産として有名なお菓子「釣鐘最中」が有名です。
その他「扇歌」「かりんと饅頭」なども美味しいです。
オリジナル洋菓子(ケーキ)などもたくさんあります。

いしおかサンドを扱っているお店はこちらで確認できます。(こちら

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いしおかサンド | コメント(8) | トラックバック(0) | 2012/09/07 19:45

師付(志筑)の田井-稲刈り間近

 今日も結構残暑が厳しかったです。

しかし午後に一雨きましたがすぐに上がってしまいました。

雨が上がったあとつくばの方にまた出かけたのですが、舗装された通りから白い蒸気が立ち上っていました。

道路が暑くて、降った雨がすぐに蒸発しているのです。
しかし、これは道路ばかりでなく穂がたわわに実って刈られるのを待っているばかりの田んぼからもうっすらと白く立ち昇っていました。

(下の写真はサムネルです。よければクリックして見てください)
志筑の田井01

万葉集に歌われた師付の田居は、ここ石岡を流れる恋瀬川を昔、志筑川といわれていたため、この流域に広がる田んぼを筑波山から眺めて詠んだものと思われますが、今はかすみがうら市中志筑の長興寺の裏の田んぼに湧き出す井戸を指すとされています。

近くを通るとこの「師付(志筑)の田井」の場所から白いもやが立ち昇っていました。

志筑の田井02

もう来週にはこのあたりも稲刈りが終わっているかもしれません。
この風情ももう少しです。

明日は石岡市柴間のギター文化館で「里山と風の声コンサート」があります。
友達を連れて行く予定です。

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志筑・かすみがうら地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/09/08 20:04

つくば市北条(2)-五輪塔1

筑波山の麓にある北条地区はここから江戸時代の「つくば道」の起点の街となっている。
そしてそこに市がたち、門前町のような風情が残る。

北条の商店街の東端に「八坂神社」がある。
東端というよりもこの神社のところで道はクランクに曲がっている。

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通りの方から見ると東の正面突き当りに神社がある。
この西側階段もあるが、神社への正面入口階段は、南側から登る。

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石段の左右に、「庚申塔」や「十九夜尊」などいくつか石塔が置かれている。

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 天喜年間(1053~1057年)の創建といわれ、八幡太郎(源義家)を祀っているという。
(これははっきりしません。あまり本当とは思えないが・・・。祭神は牛頭天王か?)

本殿・鳥居は天保18年(1733)に再建されたものだそうだ。7月に祇園祭りが行われ、各町内からの山車や、神輿が町内を回るにぎやかなものだという。

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この神社のことはさておき、特に私が気になったのは、ここに茨城県内で2番目に古い(銘のあるものとして)戦国時代(1537年)の五輪塔があることです。
高さが2mもありますからかなり大きく見えます。

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この五輪塔は普通のものに比べ下から上まで石の大きさがあまり変わらない。
そのため、全体として大きく立派に見えます。

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この説明にあるように一番下の石の上にくぼみをつけて、そこに「経筒」が収められていたという。
これは変わっている。

普通、経筒は末法思想が流行った時に、筒にお経を入れて土に穴を掘って埋めたものがほとんどで、その他にお経を書いた小石を埋めたりもしたと前にも何箇所か説明しました。(経塚の話し

しかし、このような五輪塔に隠されたのは初めて聞きました。
この五輪塔は「八坂神社の別当である吉祥院の境内にあったが、明治の廃仏毀釈の際に現在の八坂神社境内に移された」とどの説明にも出てくるのだが、肝心の吉祥院はどこにあったのか?

分からずじまいだったが、またいつか別な資料でも探してみたい。
そうしないとどうも落ち着かない。そんな性分なのかも・・・・。

最初は少しだけこの北条地区の記事を取り上げるつもりでしたが、ここが常陸大掾氏(多気氏)の本拠地だったのだと今頃気がついて慌てています。

このことはまた後ほど書きたいと思います。

今日は石岡市柴間のギター文化館に「里山と風の声」コンサートに行ってきました。

会場はそれほど広くないので60人くらいで満員です。それも足りなくて椅子を追加して大変盛況でした。
それにとても癒される音で、気持ちもゆったり出来ました。
こちらの紹介もまた後でやりたいと思います。

今日は石岡の街中では夜になってお祭りの練習やら大変賑やかになってきました。
本当にお祭り好きが多いのでしょうね。

石岡のおまつりは今度の三連休の3日間です。午後2時頃から夜9時頃までやります。
是非お出かけください。

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つくば市北条 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/09/09 21:10

つくば市北条(3)-五輪塔(2)

 昨日は北条の商店会の東端にある八坂神社に置かれた大きな五輪塔を紹介しました。

現地のイラストマップには反対側の西側に五輪塔の絵が描かれており、「多気太郎の墓」となっていました。

これを見た時にすぐに気がつかなかったのですが、多気太郎を調べると多気義幹(たけよしもと)のことだとなっています。

うかつにもすぐに気がつかなかったのですが、この多気義幹は石岡の歴史に名を刻んでいる重要人物です。

この北条の裏手の小高い山が多気城山または城山(じょうざん)といって幻の多気城があったところだそうです。

あまりに古いので遺構もはっきりしないようですが、この多気城は多気(平)維幹(これとも)が西暦900年頃に筑波の水守からこの地に移って建てた城とされています。

多気維幹(これとも)はその後常陸大掾(だいじょう)職にに任じられて、石岡の大掾氏の世襲が始まったのだから、石岡から見てもこの地はとても縁の深い土地とも言える。

しかしどういうわけだか、石岡の歴史ではほとんど論じられない。この多気氏が常陸大掾氏と言われたのは6代目の多気(大掾)義幹(よしとも)までで、この義幹が「多気太郎」とこちらでは呼ばれて親しまれているそうだ。

 歴史を紐解くと、多気義幹は八田知家(ともいえ)(小田知家)の曽我兄弟の仇討ち事件の時に、源頼朝に「義幹に謀反の動きあり」との換言で鎌倉に呼びざされ、大掾職を解かれ、所領を没収されて多気氏が滅びてしまいました。

しかし、この大掾(だいじょう)職は八田氏には行かずに、多気氏(平氏)と同族の水戸の吉田氏に引き継がれます。

そして、石岡の府中城が築かれます。
ということは多気氏はこの北条一帯が所領の中心で、1193年までは、常陸国の国府は石岡の地にあったが、それを治めていた多気大掾氏はこの北条地区に居を構えていたことになります。

今考えてもかなり離れています。
馬で行くにしても峠を超えていくか、ぐるっと回っていかなければなりません。

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これが多気太郎の墓といわれる五輪塔です。
かなり大きな花崗岩のようです。
普通の墓に比べると見るからに大きいです。
時代的にも八坂神社の五輪塔よりは古いでしょう。(八坂神社:1537年、多気太郎:1193年?)

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地元の人に大事にされているようです。
塔婆と花が置かれていました。
確かに多気太郎となっています。

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 現地の説明石碑です。

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この五輪塔の周りは畑や田んぼが広がります。

確かこの向こうの小田城の跡にも比較的大きな五輪塔があったように思います。
北条、小田、新治地区に残された五輪塔を調べて比べてみるのも面白そうです。

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北条の商店街に通りももうハズレの場所なのですが、そこから比較的狭い道を少し入ったところにこの五輪塔があります。
この日も暑かったので、皆さん涼んでいるのでしょうか?
五輪塔は写真の先の右側にあります。



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つくば市北条 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/10 20:08
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