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ダイダラボッチの里(9)

 石岡市の東南端の地区(旧井関村、石川村)は、江戸時代は、常陸府中藩(常府)とは違って水戸藩の飛び地であった。

この里をダイダラボッチ(大人形)を飾る地区や霞ヶ浦の干拓した地区と紹介してみたが、本当はもっと違った側面を紹介するべきだったかもしれない。

それは、この地区は多くの古墳が眠っている地でもあるが、江戸時代に「楢山塾」「長峰塾」という私塾が開設され、多くの子弟を育て、文化的にも大きな影響を与えた土地柄でもあったことだと思う。

これは、霞ヶ浦の対岸側の小川が水戸藩の医学校(稽医館)や小川郷校が作られていたことが非常に大きい。
この「楢山塾」は1840年に小川稽医館で学んだ鈴木文輔が起こしたものであり、「長峰塾」は小川郷校に学んだ鈴木銀四郎晩香が1858年に起こした。

明治5年に政府が学校制度を頒布して、続々と小学校が設立されたが、これらの私塾教育がすでに行われていたことは特筆されてもいいと思う。

これらは少しみな高台側であるが、霞ヶ浦に面したところの写真を少し紹介します。

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石川地区の干拓入口部にあるモータープール。

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この場所から土手が続き、右側には田んぼが広がります。
しかし、この土手の道は車は進入禁止になっていました。

これはこの先の八木地区の堤防を工事中のためだと思います。前は通れたように思います。

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この場所は釣りの人も多いようですが、危険なので釣り禁止です。

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西側には筑波山が見えます。この場所では手前の建物が邪魔です。
写真には八木地区入口の方が良さそうですが、工事中です。

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この石川地区の田んぼには、写真のような比較的大きなビニールハウスが並んでいます。
中ではいろいろな花を育てているようです。

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さて、前回紹介した八木地区の高台にあった「住吉神社」と同じように、石川地区から八木地区へこの山沿いの道を進むと高台に「鹿島神社」があります。

しかし、通りの道が狭く、手前も車を置く場所がないので、鳥居のところで写真を撮っただけで通り過ぎました。

これではこの神社に一人で登るのはためらわれます。


ダイダラボッチの里 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/09/01 19:46
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