夏のコスモス
今日は朝から家にのんびりしていた。
中国地方や日本海側の大雨のニュースが気になるし、東電の福島の汚染水漏れの話もほおっておけない。
家にいるとやたらとテレビなどからいろいろな話が聞こえてくる。
土屋アンナがどうしたとか・・・。まあ考えてもどうにもならないなら考えずに済ませたい。
そうだよね。井上陽水は書いて歌ってたよね。
「都会では♪ 自殺する♪ 若者が♪ 増えている。
今朝来た♪ 新聞の♪ 片隅に♪ 書いていた。
だけども♪ 問題は♪ 今日の雨♪ 傘がない。
行かなくちゃ♪ 君に逢いに行かなくちゃ♪
君の町に行かなくちゃ♪ 雨にぬれ。
冷たい雨が♪ 今日は心にしみる。
・・・・
・・・・
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべっている。
・・・・
・・・」
この夏は値上げの夏だそうだ。何もかも上がる。アベノミクスで物価は上がる。
上がることなどず~となかったので、なんかどうでもよい気がしてきた。
これから年金生活をどう過ごそうかな??
年寄りばかりが増えてくるよね。どうなるのか。
あと何年税金をまともに払うことができるだろうか?
今日は昼前から3台の新しいディスクトップのパソコンを箱から出してケーブルをつなぎ
設定をした。
マイクロソフトのオフィスを入れたがこれが高いよね。
本体を安く買ってもソフトがこんな高くちゃ・・・
何で3台も? なんて野暮な事は聞かないで・・・。
頼まれてやっているだけ。
それにしても机の下にもぐってケーブルを繋いだりしていたら汗がポトポト落ちてきた。
それ程暑い日ではないが湿度が多い。
1週間ほど前に行った銚子の先端の方でコスモスが咲いていた。
夏のコスモスもあるらしい。秋桜と書くのに夏に咲かせるものもあるんだ。

アジサイは終わりかけの所に咲いたコスモス。こんな組み合わせもあり?

豪雨で被害を受けたところでは早く雨が上がって欲しいですね。
新潟県長岡市の豪雨被害がテレビでやっている。
最近は長岡市も地域が広くなったので、少し場所がわからない。
寺泊なども長岡市だね。昔寺泊の海に泳ぎに行って、魚も買ったね。
長岡には駅の近くだが毎年夏に行っていた。
それが昭和36年の夏に川の堤防が決壊して街中(駅の東側)がかなり浸水した。床上浸水までいった。
下のものを2階に避難させて、何とかなったが、水が引いた後が大変だ。
汚れてしまった畳を外に出して、洗って乾かす。
その後は川の堤防工事が進んで被害が出なくなったはずだ。
明日、明後日には長岡の花火が予定されている。
今年も無事にあの腹に響くような花火が鳴り響くのだろうか。心配だ。
← よろしければクリックお願いします。
中国地方や日本海側の大雨のニュースが気になるし、東電の福島の汚染水漏れの話もほおっておけない。
家にいるとやたらとテレビなどからいろいろな話が聞こえてくる。
土屋アンナがどうしたとか・・・。まあ考えてもどうにもならないなら考えずに済ませたい。
そうだよね。井上陽水は書いて歌ってたよね。
「都会では♪ 自殺する♪ 若者が♪ 増えている。
今朝来た♪ 新聞の♪ 片隅に♪ 書いていた。
だけども♪ 問題は♪ 今日の雨♪ 傘がない。
行かなくちゃ♪ 君に逢いに行かなくちゃ♪
君の町に行かなくちゃ♪ 雨にぬれ。
冷たい雨が♪ 今日は心にしみる。
・・・・
・・・・
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべっている。
・・・・
・・・」
この夏は値上げの夏だそうだ。何もかも上がる。アベノミクスで物価は上がる。
上がることなどず~となかったので、なんかどうでもよい気がしてきた。
これから年金生活をどう過ごそうかな??
年寄りばかりが増えてくるよね。どうなるのか。
あと何年税金をまともに払うことができるだろうか?
今日は昼前から3台の新しいディスクトップのパソコンを箱から出してケーブルをつなぎ
設定をした。
マイクロソフトのオフィスを入れたがこれが高いよね。
本体を安く買ってもソフトがこんな高くちゃ・・・
何で3台も? なんて野暮な事は聞かないで・・・。
頼まれてやっているだけ。
それにしても机の下にもぐってケーブルを繋いだりしていたら汗がポトポト落ちてきた。
それ程暑い日ではないが湿度が多い。
1週間ほど前に行った銚子の先端の方でコスモスが咲いていた。
夏のコスモスもあるらしい。秋桜と書くのに夏に咲かせるものもあるんだ。

アジサイは終わりかけの所に咲いたコスモス。こんな組み合わせもあり?

豪雨で被害を受けたところでは早く雨が上がって欲しいですね。
新潟県長岡市の豪雨被害がテレビでやっている。
最近は長岡市も地域が広くなったので、少し場所がわからない。
寺泊なども長岡市だね。昔寺泊の海に泳ぎに行って、魚も買ったね。
長岡には駅の近くだが毎年夏に行っていた。
それが昭和36年の夏に川の堤防が決壊して街中(駅の東側)がかなり浸水した。床上浸水までいった。
下のものを2階に避難させて、何とかなったが、水が引いた後が大変だ。
汚れてしまった畳を外に出して、洗って乾かす。
その後は川の堤防工事が進んで被害が出なくなったはずだ。
明日、明後日には長岡の花火が予定されている。
今年も無事にあの腹に響くような花火が鳴り響くのだろうか。心配だ。


渡海神社の極相林
渡海神社の入口に「極相林(きょくそうりん)」という説明文が掲げられていました。
始めてみる言葉です。
普通古木などで覆われた樹林のことは「樹叢(じゅそう)」と書かれているところが多いと思います。
ではここのはただの樹叢とは違うのでしょうか。

説明では大分違っています。植物から樹木が何度も生育から衰退を繰り返してきて、今は安定した樹林帯になっている林のことだと言います。

この神社の周りの木々やシダ類などを見てわかるのでしょうか?

やはり海に近いせいでしょうか、このような樹木はあまりよそでは見られません。

神社の参道もこのような木々が・・・。

神社の境内社として稲荷神社でしょう、たくさんの狐が祀られていました。

これは猿田神社にもあったな。(こちら)

神社から外に出て、近くの道角に置かれていた石碑。

地図にある通り犬吠崎も近い場所です。また銚子有料道路と書かれていますがいまは無料です。
← よろしければクリックお願いします。
始めてみる言葉です。
普通古木などで覆われた樹林のことは「樹叢(じゅそう)」と書かれているところが多いと思います。
ではここのはただの樹叢とは違うのでしょうか。

説明では大分違っています。植物から樹木が何度も生育から衰退を繰り返してきて、今は安定した樹林帯になっている林のことだと言います。

この神社の周りの木々やシダ類などを見てわかるのでしょうか?

やはり海に近いせいでしょうか、このような樹木はあまりよそでは見られません。

神社の参道もこのような木々が・・・。

神社の境内社として稲荷神社でしょう、たくさんの狐が祀られていました。

これは猿田神社にもあったな。(こちら)

神社から外に出て、近くの道角に置かれていた石碑。

地図にある通り犬吠崎も近い場所です。また銚子有料道路と書かれていますがいまは無料です。


ひつじ草
今日は朝からセミが鳴き、ようやく夏らしくなりました。
東北地方も梅雨明けだそうですね。
気温もそれほど高くはなかったので気持ちの良い日になりました。

小美玉市にある池花池にひつじ草の花を見にいってきました。
お昼頃です。

未の刻(午後2時)頃に咲くということですが、朝から咲いています。
霞ヶ浦周辺ではハスが多いので朝は白いハスの花が満開ですが、夕方も結構咲いています。

前にもこの池のひつじ草を紹介しています(こちら)
上の細かな草の芽のようなものが一面に出ていますが、前に「タヌキモ」ではないかと書いたものです。
(こちら)



アヒルも木陰で休んでいました。
この池は冬には白鳥が飛んできます。
東北地方も梅雨明けだそうですね。
気温もそれほど高くはなかったので気持ちの良い日になりました。

小美玉市にある池花池にひつじ草の花を見にいってきました。
お昼頃です。

未の刻(午後2時)頃に咲くということですが、朝から咲いています。
霞ヶ浦周辺ではハスが多いので朝は白いハスの花が満開ですが、夕方も結構咲いています。

前にもこの池のひつじ草を紹介しています(こちら)
上の細かな草の芽のようなものが一面に出ていますが、前に「タヌキモ」ではないかと書いたものです。
(こちら)



アヒルも木陰で休んでいました。
この池は冬には白鳥が飛んできます。
天高く夏日戻る
今日はひる頃宮城県沖で震度5強の地震がありました。
ここのところ余震が少なくなっていましたが、久しぶりな気がします。
大きな被害は聞こえてきませんので大丈夫だったのでしょう。
私のブログもこのところ昔書いた安政の地震(こちら)に拍手が2回ありました。
やはりこれから少し心配も増えてくるかもしれません。
家内は昨日地震雲を見たそうです。縦の線状の雲だそうです。
結構な確率で当たるんです。これが・・・。
さて、東北地方も梅雨明けして伝統の夏祭りも始まりました。
青森ねぷた、秋田竿灯、山形花笠、仙台七夕と8/2~/8の期間に集中しています。
夏が来ていよいよ東北も元気になってもらいたいですね。
私たちも復興特別税として25年間も2.1%税金が上乗せになっています。
しっかりわかる形で復興に使ってほしいものです。
仮設の問題もありますが、日本全国の地方が過疎化になろうとしています。
新築の家もすぐに住む人がいなくなることも考えなければいけません。
地方を元気にするには仕事を増やし、若い人を呼び込むことが必須です。
このまま行くと日本の人口は30年後には20%以上減ってしまいます。
どうなるのでしょうか?
夏空に向かってトウモロコシが高く高く伸びていました。

大人の背丈よりずっと高いんですね。2倍くらいありそうです。

サルスベリの赤が色鮮やに輝いていました。

このブログも3年まであと1週間です。がんばろう!
少し気持ちがマイナス方向のようです。
いつものような記事を書く気力が減っています。仕事のこともあるし・・・
最後の坂が結構きついな~。
ちょっとくだらない記事が続くかもしれません。ご容赦ください。
← よろしければクリックお願いします。
ここのところ余震が少なくなっていましたが、久しぶりな気がします。
大きな被害は聞こえてきませんので大丈夫だったのでしょう。
私のブログもこのところ昔書いた安政の地震(こちら)に拍手が2回ありました。
やはりこれから少し心配も増えてくるかもしれません。
家内は昨日地震雲を見たそうです。縦の線状の雲だそうです。
結構な確率で当たるんです。これが・・・。
さて、東北地方も梅雨明けして伝統の夏祭りも始まりました。
青森ねぷた、秋田竿灯、山形花笠、仙台七夕と8/2~/8の期間に集中しています。
夏が来ていよいよ東北も元気になってもらいたいですね。
私たちも復興特別税として25年間も2.1%税金が上乗せになっています。
しっかりわかる形で復興に使ってほしいものです。
仮設の問題もありますが、日本全国の地方が過疎化になろうとしています。
新築の家もすぐに住む人がいなくなることも考えなければいけません。
地方を元気にするには仕事を増やし、若い人を呼び込むことが必須です。
このまま行くと日本の人口は30年後には20%以上減ってしまいます。
どうなるのでしょうか?
夏空に向かってトウモロコシが高く高く伸びていました。

大人の背丈よりずっと高いんですね。2倍くらいありそうです。

サルスベリの赤が色鮮やに輝いていました。

このブログも3年まであと1週間です。がんばろう!
少し気持ちがマイナス方向のようです。
いつものような記事を書く気力が減っています。仕事のこともあるし・・・
最後の坂が結構きついな~。
ちょっとくだらない記事が続くかもしれません。ご容赦ください。


地球の丸く見える丘(1)
千葉県銚子市の犬吠崎の近くの丘の上に「地球の丸く見える丘展望台」がある。
先日近くまで来たので立寄って見た。この場所はそれほど高い場所ではないが、愛宕山(73.6m)の上に建つ3階建ての展望台の屋上からはまさに360度の大パノラマを見ることができる。

展望台のエントランスには季節の花が多く植えられ展望台手前でもかなり眺望は良い。

建物の1階は土産物売り場であるが、ここからエレベータで上に行くには350円の入場料が必要である。

売店奥のチケットカンターで入場料を払い、左手のエレベータで屋上を目指します。
外階段もありますが、進入禁止です。でもエレバータは屋上には突起物を作らないためでしょうか、3階まで行ってから外階段で上がります。

3階は展望ラウンジ、喫茶・レストランとなっています。まだ午前中でしたので人も多くはなく、お客さんもあまりいません。

食事メニュー。名古屋名物「ひつまぶし」1200円はこの鰻高騰なのに安いでしょうか?
実はここを訪れたのは土用の丑の日(7/22の月曜日)です。

上にのぼると2~3組のお客さんがいました。
展望台の真ん中にデッキがあって、ここから360度景色を眺めることができます。

ここに一人立って遠く海の彼方から、後ろ側の筑波山まで見えるはずなのですが、少し曇っていましたので山などははっきり見えませんでした。
展望デッキからの眺めは明日に続きます。
← よろしければクリックお願いします。
先日近くまで来たので立寄って見た。この場所はそれほど高い場所ではないが、愛宕山(73.6m)の上に建つ3階建ての展望台の屋上からはまさに360度の大パノラマを見ることができる。

展望台のエントランスには季節の花が多く植えられ展望台手前でもかなり眺望は良い。

建物の1階は土産物売り場であるが、ここからエレベータで上に行くには350円の入場料が必要である。

売店奥のチケットカンターで入場料を払い、左手のエレベータで屋上を目指します。
外階段もありますが、進入禁止です。でもエレバータは屋上には突起物を作らないためでしょうか、3階まで行ってから外階段で上がります。

3階は展望ラウンジ、喫茶・レストランとなっています。まだ午前中でしたので人も多くはなく、お客さんもあまりいません。

食事メニュー。名古屋名物「ひつまぶし」1200円はこの鰻高騰なのに安いでしょうか?
実はここを訪れたのは土用の丑の日(7/22の月曜日)です。

上にのぼると2~3組のお客さんがいました。
展望台の真ん中にデッキがあって、ここから360度景色を眺めることができます。

ここに一人立って遠く海の彼方から、後ろ側の筑波山まで見えるはずなのですが、少し曇っていましたので山などははっきり見えませんでした。
展望デッキからの眺めは明日に続きます。


地球の丸く見える丘(2)
銚子の犬吠崎灯台の近くにある「地球の丸く見える丘」展望台の続きです。
エレベータで上に登り360度のパノラマを眺めました。
私の普通のカメラレンズではあまり丸く見える様には撮れませんが・・・

それでも、四方をパシャパシャと撮ってみましたので、感じはわかって頂けるでしょうか。

360度を眺めると確かに地球の丸さを感じます。







← よろしければクリックお願いします。
エレベータで上に登り360度のパノラマを眺めました。
私の普通のカメラレンズではあまり丸く見える様には撮れませんが・・・

それでも、四方をパシャパシャと撮ってみましたので、感じはわかって頂けるでしょうか。

360度を眺めると確かに地球の丸さを感じます。









地球の丸く見える丘(3)
昨日はこの地球の丸く見える丘展望台の上から眺めを写真で単に紹介したのみでした。
まったく手抜きですよね。
でも昨日はまた銚子に行っていて戻ったのは7時過ぎ。まあこんな調子ですからこの程度で胡麻化していました。
でもこの場所はただの観光場所として見ていたのですが、少しいくつか違った目で見てみると興味が湧いてきました。
今日は、世田谷の用賀の方に用事があり車で出かけて夕方戻りました。
お盆前でしょうか、それともいつもの事なのかどうかわかりませんが、高速道路もかなり渋滞し、事故も見ました。
そのため、予定よりも1時間近くも遅れて到着。暑い中運転手さんは大変ですね。
私の方は疲れました。
ではこの展望台周辺で気になったところを調べながら記事を書いてみたいと思います。
まずは、この展望台の壁面にはその方向の地名などが記されていますが、筑波山も載っていましたが、フィリピンと書かれたプレートが目につきました。

さあ、海の向こうのフィリピンが見えるのでしょうか。
展望台の建物の横に「日比友愛の碑」というモニュメントがおかれています。

銚子市はフィリピンのマヨン山を有するレガスピー市と姉妹都市契約を締結しています。
しかし姉妹都市の提携は昭和60年のことで、この「日比友愛の碑」が出来たのは昭和33年です。
この碑が日本とフィリピンの戦争による過去の過ちを繰り返さないようにフィリピンのマヨン山に向かって建てられたのは、それまでも銚子とフィリピンが友好関係にあったことによるようです。


フィリピンのマヨン山(2462m)は富士山と同じような姿の山で、マニラ富士とも呼ばれています。
写真は(こちら)をクリックして下さい。 リンク先で見られます。
しかし、この山は活火山で、時々噴火(過去400年で50回噴火)して多くの被害をもたらしました。
最近では1993年に噴火による火砕流で70人以上の死者が出ています。


碑文:内閣総理大臣 岸信介 と カルロス・P・ガルシア大統領のサイン
その隣には陸軍報道班員だっと寺下辰夫の詩
雲へだつ
ふたつの国の同胞が
互の慨き のり越えつ
緊く結びし 心とこころ
友愛の浄火 仄々と
永劫不滅に
あゝ 燃えにぞ燃えよ
寺下 辰夫

碑 文
撰文 尾﨑士郎
此処に、われ等が恩讐を絶する日比両国の戦友百数十万の霊を
慰むるための記念塔を立てる。
悲しき歴史の運命について、われ等は今日言うべき言葉もない。
この儚き民族の夢の影もなく消えていったあとに、祖国の難に殉
じて倒れた魂の、声なき声を、われ等は心の底に聴く。
希うところは、唯、この微かなる響きを透して、あたらしき民族の
生命の芽生えんことのみである。愛情の最後の一滴を捧げつくし
て、侘しく滅びていった同胞の御霊よ。
此処に永恒をつらぬく悲しき思いを、世界平和を築く荘厳なる理想
と抱負に託して、こころしずかに眠れよかし。
昭和三十三年五月中浣
日比友愛の碑建立委員会
銚子がフィリピンとこのような関係にあることは知りませんでした。
今、この千葉県の東端(日本の東端)である銚子は、人口の減少率が千葉県では一番のようです。
水産や醤油産業だけでは、東京からは鉄道でも遠くこれからの過疎化が深刻になって来ています。
今、この町に近づくと高台に何台もの風車が立ち並ぶ光景は、遠くからでも見ることができます。
私もここに来るまではあまり興味をもっていなかった銚子ですが、この地が銚子口と言われて漁場の宝庫で江戸の魚の多くが水運でここから運ばれていたことなどにも想いを馳せています。
また、日本酒も熱燗して飲むことも若い人は減ってしまい「お銚子」などといってもピンとこない人もいますよね。
私も銚子というと徳利の事だと思っていたのですが、本来は違うようです。
銚子は長い柄のついた金属製の酒を注ぐ口の付いた容器なのだそうです。
でも千葉県の銚子は昔「銚子口」と言われていたそうです。
← よろしければクリックお願いします。
まったく手抜きですよね。
でも昨日はまた銚子に行っていて戻ったのは7時過ぎ。まあこんな調子ですからこの程度で胡麻化していました。
でもこの場所はただの観光場所として見ていたのですが、少しいくつか違った目で見てみると興味が湧いてきました。
今日は、世田谷の用賀の方に用事があり車で出かけて夕方戻りました。
お盆前でしょうか、それともいつもの事なのかどうかわかりませんが、高速道路もかなり渋滞し、事故も見ました。
そのため、予定よりも1時間近くも遅れて到着。暑い中運転手さんは大変ですね。
私の方は疲れました。
ではこの展望台周辺で気になったところを調べながら記事を書いてみたいと思います。
まずは、この展望台の壁面にはその方向の地名などが記されていますが、筑波山も載っていましたが、フィリピンと書かれたプレートが目につきました。

さあ、海の向こうのフィリピンが見えるのでしょうか。
展望台の建物の横に「日比友愛の碑」というモニュメントがおかれています。

銚子市はフィリピンのマヨン山を有するレガスピー市と姉妹都市契約を締結しています。
しかし姉妹都市の提携は昭和60年のことで、この「日比友愛の碑」が出来たのは昭和33年です。
この碑が日本とフィリピンの戦争による過去の過ちを繰り返さないようにフィリピンのマヨン山に向かって建てられたのは、それまでも銚子とフィリピンが友好関係にあったことによるようです。


フィリピンのマヨン山(2462m)は富士山と同じような姿の山で、マニラ富士とも呼ばれています。
写真は(こちら)をクリックして下さい。 リンク先で見られます。
しかし、この山は活火山で、時々噴火(過去400年で50回噴火)して多くの被害をもたらしました。
最近では1993年に噴火による火砕流で70人以上の死者が出ています。


碑文:内閣総理大臣 岸信介 と カルロス・P・ガルシア大統領のサイン
その隣には陸軍報道班員だっと寺下辰夫の詩
雲へだつ
ふたつの国の同胞が
互の慨き のり越えつ
緊く結びし 心とこころ
友愛の浄火 仄々と
永劫不滅に
あゝ 燃えにぞ燃えよ
寺下 辰夫

碑 文
撰文 尾﨑士郎
此処に、われ等が恩讐を絶する日比両国の戦友百数十万の霊を
慰むるための記念塔を立てる。
悲しき歴史の運命について、われ等は今日言うべき言葉もない。
この儚き民族の夢の影もなく消えていったあとに、祖国の難に殉
じて倒れた魂の、声なき声を、われ等は心の底に聴く。
希うところは、唯、この微かなる響きを透して、あたらしき民族の
生命の芽生えんことのみである。愛情の最後の一滴を捧げつくし
て、侘しく滅びていった同胞の御霊よ。
此処に永恒をつらぬく悲しき思いを、世界平和を築く荘厳なる理想
と抱負に託して、こころしずかに眠れよかし。
昭和三十三年五月中浣
日比友愛の碑建立委員会
銚子がフィリピンとこのような関係にあることは知りませんでした。
今、この千葉県の東端(日本の東端)である銚子は、人口の減少率が千葉県では一番のようです。
水産や醤油産業だけでは、東京からは鉄道でも遠くこれからの過疎化が深刻になって来ています。
今、この町に近づくと高台に何台もの風車が立ち並ぶ光景は、遠くからでも見ることができます。
私もここに来るまではあまり興味をもっていなかった銚子ですが、この地が銚子口と言われて漁場の宝庫で江戸の魚の多くが水運でここから運ばれていたことなどにも想いを馳せています。
また、日本酒も熱燗して飲むことも若い人は減ってしまい「お銚子」などといってもピンとこない人もいますよね。
私も銚子というと徳利の事だと思っていたのですが、本来は違うようです。
銚子は長い柄のついた金属製の酒を注ぐ口の付いた容器なのだそうです。
でも千葉県の銚子は昔「銚子口」と言われていたそうです。


地球の丸く見える丘(4)
この地球の丸く見える丘展望台のある愛宕山は標高73.6mしかありませんが、北総台地最高峰です。
この場所が地質学的には少し興味深い場所だということがわかりました。
銚子の海岸よりの史跡などに行くと「シオパーク」という説明看板が目立ちます。
この展望台のある場所にも看板がありましたので少し紹介します。
「銚子ジオパーク推進協議会」がまとめ「千葉科学大学」が制作しています。
この大学は前に紹介した「屏風岩(屏風ヶ浦)」(こちら)の入口海岸にあります。

地層をそのできた年代で3つに分類しています。
この最も古い部分が先端の手のこぶしの部分(A)でジュラ紀の地層です。

この愛宕山の部分がこぶしエリアで最もとんがった高い場所です。そしてその中でも一番古いジュラ紀の地層なのだそうです。
香取から前の貝塚などのある腕の部分(Bエリア)がその次に古い場所。
利根川の周りのエリアCの地域は縄文海進では水面以下で15万年前位以降の地層だそうです。
なんとなくわかってきたようです。
詳細は下の説明写真をクリックして拡大して見て下さい。

この展望台のあるのは標高73.6mの愛宕山(正式には高神愛宕山)です。
そのため、この頂上に三角点が置かれています。これがかなり古いのです。
そしてかなり重要な役目を負っています。

良く読んでみて下さい。何か感じませんか?
何気なしに書かれていますが、これってかなり重要な事だと思います。
三角点の名前が「高神村(こうじんむら)」と言うのも面白いですね。
昔からあるこの地層の頂点を基準として日本の地形の変化を量る基点になっているようなのです。
これってすごい事ですよね。
今ではGPSがあるから関係ない? 確かにそうかもしれないけど・・・。
でも考えると結構楽しい。
また、明治38年に田山花袋が犬吠崎に国木田独歩を見舞いに来て、この愛宕山にのぼったと「写真」という小説に書いてあるそうだ。
それによれば、この三角測量台の傍に戦時の展望哨が置かれてあると書かれている。
いろいろ想像して楽しみましょう。

これがその三角点です。
この山の地層が愛宕山層群で「高神礫岩」とよばれるジュラ紀の化石などが多く出土しているのだそうです。
約3億年前くらいまでさかのぼれるそうですからすごいですね。

三角点の横に「愛宕神社」があります。たんに、石造の祠と玉垣があるだけですが、道路から展望台に登る入口の両側に石の灯籠がおかれています。
これも神社の入口燈籠らしいのです。
この石灯籠は「愛宕燈籠」と呼ばれています。
江戸時代には、火難除けの「愛宕信仰」が盛んで、ここから村々の代表が年に一度、京都の「愛宕神社」へお参りしてお札をもらって帰って来て、それを各戸に配ることが行われてきたそうです。
← よろしければクリックお願いします。
この場所が地質学的には少し興味深い場所だということがわかりました。
銚子の海岸よりの史跡などに行くと「シオパーク」という説明看板が目立ちます。
この展望台のある場所にも看板がありましたので少し紹介します。
「銚子ジオパーク推進協議会」がまとめ「千葉科学大学」が制作しています。
この大学は前に紹介した「屏風岩(屏風ヶ浦)」(こちら)の入口海岸にあります。

地層をそのできた年代で3つに分類しています。
この最も古い部分が先端の手のこぶしの部分(A)でジュラ紀の地層です。

この愛宕山の部分がこぶしエリアで最もとんがった高い場所です。そしてその中でも一番古いジュラ紀の地層なのだそうです。
香取から前の貝塚などのある腕の部分(Bエリア)がその次に古い場所。
利根川の周りのエリアCの地域は縄文海進では水面以下で15万年前位以降の地層だそうです。
なんとなくわかってきたようです。
詳細は下の説明写真をクリックして拡大して見て下さい。

この展望台のあるのは標高73.6mの愛宕山(正式には高神愛宕山)です。
そのため、この頂上に三角点が置かれています。これがかなり古いのです。
そしてかなり重要な役目を負っています。

良く読んでみて下さい。何か感じませんか?
何気なしに書かれていますが、これってかなり重要な事だと思います。
三角点の名前が「高神村(こうじんむら)」と言うのも面白いですね。
昔からあるこの地層の頂点を基準として日本の地形の変化を量る基点になっているようなのです。
これってすごい事ですよね。
今ではGPSがあるから関係ない? 確かにそうかもしれないけど・・・。
でも考えると結構楽しい。
また、明治38年に田山花袋が犬吠崎に国木田独歩を見舞いに来て、この愛宕山にのぼったと「写真」という小説に書いてあるそうだ。
それによれば、この三角測量台の傍に戦時の展望哨が置かれてあると書かれている。
いろいろ想像して楽しみましょう。

これがその三角点です。
この山の地層が愛宕山層群で「高神礫岩」とよばれるジュラ紀の化石などが多く出土しているのだそうです。
約3億年前くらいまでさかのぼれるそうですからすごいですね。

三角点の横に「愛宕神社」があります。たんに、石造の祠と玉垣があるだけですが、道路から展望台に登る入口の両側に石の灯籠がおかれています。
これも神社の入口燈籠らしいのです。
この石灯籠は「愛宕燈籠」と呼ばれています。
江戸時代には、火難除けの「愛宕信仰」が盛んで、ここから村々の代表が年に一度、京都の「愛宕神社」へお参りしてお札をもらって帰って来て、それを各戸に配ることが行われてきたそうです。


地球の丸く見える丘(5)
千葉県銚子の地球の丸く見える丘の5回目です。
ここを5回にわたって紹介するとは最初は思っていませんでした。
今日が最後です。
今日はここの展望台に登る途中におかれていた次の立て看板について少し調べてみました。

登り坂の途中におかれていました。書かれている内容は下記です。
まあこんなものもあるのだと思っただけでしたが、調べると面白い事も出てくるものです。
でも記事を書く時間がどうしても足りない。
こんなに暑いと全く書く気もしなくなるしパソコンを打つ手も進まない。

内容は、ここの銚子にある小学校がNHKの教育番組(小学高高学年向けの道徳番組)である「あしたへジャンプ」のモデル校に選ばれて、1年間放送された。
その時の生徒たちの想いなどを書いた手紙をタイムカプセルにしてこの場所に埋めたようです。
調べてみると、このあしたへジャンプは小学校の道徳の時間の教材として使われたそうですが、私の小学校時代はこんなテレビなどという洒落たものは学校にはもちろんありませんでした。
いくつかのシリーズがあるようなので、このあしたへジャンプは約10年間各地の地方の学校を1年おきくらいにモデル校として使われたようです。この銚子の学校は開始から3年目くらいのモデル校でした。
その時の子供達は今はどれくらいになっているのでしょうか?
平成元年ですからすでに25年が経過しています。30代半ばでしょうね。

さて、このモデルとなったのは「高神小学校」です。そうこの山のある村の名前の小学校です。
明治9年創業です。
現在はこの展望台の山の下の方の少し海岸方面にいった辺りにあります。
この展望台の下に広い公園があります。
先日コスモスとアジサイのコラボレーションとして写真を紹介したところです。
その公園の登り口に上のような石碑がおかれていました。
この公園のあった場所にこの小学校が昔あったのです。
調べてみると、1964年(昭和39)まで、この小学校がここにあったのだそうです。
小学校のHPの沿革には載っていないので探すのに苦労してしまいました。
そして、地元の方は特区に御存じなのでしょうが、この小学校のあった敷地に遊園地(犬吠オーシャンランド)ができたそうです。
それもプールが5つにゴーカート、海の生活館の展示施設など本格的なレジャー施設だったそうです。
1973年(昭和48)に開園され、施設の老朽化の為に1989年(平成元)に閉鎖されたそうです。
当然地元の人はご存じでしょうね。でも何も書かれていないので他所から来た人は知る由もありません。

現在この公園には季節の花々と銚子市内にある点在しているいくつもの文学碑のレプリカをここに作ってここを一回りするだけで銚子所縁の文学者などを紹介しようとしています。
これは市民にアイデアを募集して決まったものだそうです。
上の写真は「竹下夢二」の碑です。
宵待草
まてど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は 月も出ぬさうな
これは、夢二が海鹿島海岸にひっそりと咲き乱れる宵待草によせて、わが身の悲恋をうたったものなのだそうです。

こちらは国木田独歩の詩碑です。
「なつかしき わが故郷は何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」
国木田独歩は銚子に生まれました。生い立ちを見てみるとかなり興味をひく内容でした。
父の国木田専八が銚子沖で船が沈没し、銚子の旅館(吉野家)に奉公していた淡路まんと仲良くなり生まれたというように伝わっています。しかし謎も多いようです。
小さい時に銚子を離れていますが、銚子には何度も足を運んでいますし、病気療養にも来ています。

こちらは、牛久沼でも河童でおなじみの小川芋銭(おがわうせん)の句碑です。
「銚子灘朝暾(ちょうとん) 大海を飛びいつる如と 初日の出」
芋銭が初めて銚子を訪れたのは大正12年で、55歳の時だそうですが、ここの海鹿島が気に入り9回も訪れたのです。
調べてみると、私のいる石岡にも大いに関係していました。
芋銭はこの銚子には、後援者であった石岡の高浜の運漕業を営む篠目八郎兵衛が自分の別荘を勧めて、海鹿島にあった篠目家の別荘に滞在したのです。
その後もまたこの別荘に来て、「潮光庵」(ちょうこうあん)と名付けたそうです。
高浜はその当時霞ヶ浦の水運でかなりの勢いがあり、この篠目八郎兵衛についても以前に石の仁王像を船で運んだとして記事にしています。(こちら)
こうしてつながってくるとその当時の事が徐々にはっきりしてきますね。
銚子市内にはまだまだ文学碑がたくさんあるそうですが、この場所には4つだけレプリカを設置しているようです。
← よろしければクリックお願いします。
ここを5回にわたって紹介するとは最初は思っていませんでした。
今日が最後です。
今日はここの展望台に登る途中におかれていた次の立て看板について少し調べてみました。

登り坂の途中におかれていました。書かれている内容は下記です。
まあこんなものもあるのだと思っただけでしたが、調べると面白い事も出てくるものです。
でも記事を書く時間がどうしても足りない。
こんなに暑いと全く書く気もしなくなるしパソコンを打つ手も進まない。

内容は、ここの銚子にある小学校がNHKの教育番組(小学高高学年向けの道徳番組)である「あしたへジャンプ」のモデル校に選ばれて、1年間放送された。
その時の生徒たちの想いなどを書いた手紙をタイムカプセルにしてこの場所に埋めたようです。
調べてみると、このあしたへジャンプは小学校の道徳の時間の教材として使われたそうですが、私の小学校時代はこんなテレビなどという洒落たものは学校にはもちろんありませんでした。
いくつかのシリーズがあるようなので、このあしたへジャンプは約10年間各地の地方の学校を1年おきくらいにモデル校として使われたようです。この銚子の学校は開始から3年目くらいのモデル校でした。
その時の子供達は今はどれくらいになっているのでしょうか?
平成元年ですからすでに25年が経過しています。30代半ばでしょうね。

さて、このモデルとなったのは「高神小学校」です。そうこの山のある村の名前の小学校です。
明治9年創業です。
現在はこの展望台の山の下の方の少し海岸方面にいった辺りにあります。
この展望台の下に広い公園があります。
先日コスモスとアジサイのコラボレーションとして写真を紹介したところです。
その公園の登り口に上のような石碑がおかれていました。
この公園のあった場所にこの小学校が昔あったのです。
調べてみると、1964年(昭和39)まで、この小学校がここにあったのだそうです。
小学校のHPの沿革には載っていないので探すのに苦労してしまいました。
そして、地元の方は特区に御存じなのでしょうが、この小学校のあった敷地に遊園地(犬吠オーシャンランド)ができたそうです。
それもプールが5つにゴーカート、海の生活館の展示施設など本格的なレジャー施設だったそうです。
1973年(昭和48)に開園され、施設の老朽化の為に1989年(平成元)に閉鎖されたそうです。
当然地元の人はご存じでしょうね。でも何も書かれていないので他所から来た人は知る由もありません。

現在この公園には季節の花々と銚子市内にある点在しているいくつもの文学碑のレプリカをここに作ってここを一回りするだけで銚子所縁の文学者などを紹介しようとしています。
これは市民にアイデアを募集して決まったものだそうです。
上の写真は「竹下夢二」の碑です。
宵待草
まてど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は 月も出ぬさうな
これは、夢二が海鹿島海岸にひっそりと咲き乱れる宵待草によせて、わが身の悲恋をうたったものなのだそうです。

こちらは国木田独歩の詩碑です。
「なつかしき わが故郷は何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」
国木田独歩は銚子に生まれました。生い立ちを見てみるとかなり興味をひく内容でした。
父の国木田専八が銚子沖で船が沈没し、銚子の旅館(吉野家)に奉公していた淡路まんと仲良くなり生まれたというように伝わっています。しかし謎も多いようです。
小さい時に銚子を離れていますが、銚子には何度も足を運んでいますし、病気療養にも来ています。

こちらは、牛久沼でも河童でおなじみの小川芋銭(おがわうせん)の句碑です。
「銚子灘朝暾(ちょうとん) 大海を飛びいつる如と 初日の出」
芋銭が初めて銚子を訪れたのは大正12年で、55歳の時だそうですが、ここの海鹿島が気に入り9回も訪れたのです。
調べてみると、私のいる石岡にも大いに関係していました。
芋銭はこの銚子には、後援者であった石岡の高浜の運漕業を営む篠目八郎兵衛が自分の別荘を勧めて、海鹿島にあった篠目家の別荘に滞在したのです。
その後もまたこの別荘に来て、「潮光庵」(ちょうこうあん)と名付けたそうです。
高浜はその当時霞ヶ浦の水運でかなりの勢いがあり、この篠目八郎兵衛についても以前に石の仁王像を船で運んだとして記事にしています。(こちら)
こうしてつながってくるとその当時の事が徐々にはっきりしてきますね。
銚子市内にはまだまだ文学碑がたくさんあるそうですが、この場所には4つだけレプリカを設置しているようです。


どうやら3年突破できたかな。
今日は気温が37度まで上昇した。
午前中に「ふるさと風の会」の会報の印刷をして、そのまま「まち蔵藍」、まんまやさんと廻っておそばをいただき、また車に戻ると汗が噴き出してくる。
それでも八郷の山並みと少し色づき始めた稲田の間を走って里山を感じながら朝日トンネルをくぐって小町の里へ。
土曜日とはいえこの暑さではやはり人が少ない。子供と言わずとも海かプールがいいだろうね。
それでも北条地区に行くと町の通りの両側に提灯がたくさん飾られていた。

きいたところ明日(8/11)に「復興盆踊り大会」があるそうです。
竜巻被害からの復興でしょうね。見た目では大分被害も目立たなくなりましたが更地も増えました。

田村家(北条ふれあい館)に会報を置かせてもらっていたら田村さんの御主人から冷たい麦茶をごちそうになりました。
お礼ではないですが、ここで食べたかった「北条米(マイ)スクリーム」を買って、キンキンに冷えていたので車の中で少ししてからいただきました。(ここ北条地区は とても美味しいお米=北条米 が有名なのです。)
今日の記事がこのブログも3年目の最後の記事になりました。明日から4年目に入ります。
3年間1度も欠かさずに記事を書いてこれたことは、自分でも不思議な気がします。
飲んで帰って記事を書くのを止めようかとか、出かけて疲れたので休もうかなどと何度も思いましたが、途中から願かけしていました。
「3年続けられたら自分をほめてやろう」「何かいい事が起こるかもしれない」というつまらないものです。
3年続けてきて見えてきたものがたくさんあります。もしブログを書くと言うことがなければほとんど気がつかずに見過ごしていたであろうと思うことばかりを思い出します。
でもこれからどうしようか何も決めていないし成り行きでこのままかもしれないし、知らない間に止めているかもしれません。それもいいでしょう。
ブログの記事はありがたいことにこれから何年も消えずに生きて行ってくれると思います。
定年過ぎの男の時間つぶしには実に楽しいことです。まあ自然体でいきましょう。
さて、若い頃は毎週末に職場近くの駅前辺りで飲み歩いていました。
そしてカラオケ歌って憂さ晴らし。まだエイト(8)トラックなどという今では時代物。
昔を思い出していたら、ちあきなおみの「紅とんぼ」を聞いてみたくなった。
こんなにうまい歌手がいたんだなどと思ったものだ。
そんな事を思い出してまた聞きたくなった。
ねえ、ケンさん・・・ ねえ、しんちゃん・・・
そうそう、飲み屋に通ったことがある男ならこの歌の気持ちは伝わってくるだろう。
ちあきなおみさんも喝采や7つのお願いなどのポップスしか知らなかったがある時、矢切りの渡しなどの演歌を聴いた。
どこか物哀しげな女性の歌を歌うのがうまいと感じた。
そんなちあきなおみさんもシャンソンも歌っていたのだが、いつの間にか芸能界から姿を消した。
調べてみるとご主人をガンで亡くしてから自然にいろいろな活動を中止したのだとか。
そう知らぬ間に消えていた。こんなのもいいよね。
最近のこまどり姉妹の姿のようなのものは見たくないから・・・・
シャンソンを歌っているのも聞いてみて下さい。2曲入っています。
2曲目のラ・ボエームというのはパリで自由気ままに過ごしていたボヘミヤン(ボヘミヤ人)のことです。
でもこの歌はシャルル・アズナブールの歌です。大分御本家の歌とイメージが違いますね。
御本家の歌を聞きたい方は検索してみて下さい。なかなかいいですよ。
フランスは自由な芸術の香りがしますね。有名なオペラがあります。
← よろしければクリックお願いします。
午前中に「ふるさと風の会」の会報の印刷をして、そのまま「まち蔵藍」、まんまやさんと廻っておそばをいただき、また車に戻ると汗が噴き出してくる。
それでも八郷の山並みと少し色づき始めた稲田の間を走って里山を感じながら朝日トンネルをくぐって小町の里へ。
土曜日とはいえこの暑さではやはり人が少ない。子供と言わずとも海かプールがいいだろうね。
それでも北条地区に行くと町の通りの両側に提灯がたくさん飾られていた。

きいたところ明日(8/11)に「復興盆踊り大会」があるそうです。
竜巻被害からの復興でしょうね。見た目では大分被害も目立たなくなりましたが更地も増えました。

田村家(北条ふれあい館)に会報を置かせてもらっていたら田村さんの御主人から冷たい麦茶をごちそうになりました。
お礼ではないですが、ここで食べたかった「北条米(マイ)スクリーム」を買って、キンキンに冷えていたので車の中で少ししてからいただきました。(ここ北条地区は とても美味しいお米=北条米 が有名なのです。)
今日の記事がこのブログも3年目の最後の記事になりました。明日から4年目に入ります。
3年間1度も欠かさずに記事を書いてこれたことは、自分でも不思議な気がします。
飲んで帰って記事を書くのを止めようかとか、出かけて疲れたので休もうかなどと何度も思いましたが、途中から願かけしていました。
「3年続けられたら自分をほめてやろう」「何かいい事が起こるかもしれない」というつまらないものです。
3年続けてきて見えてきたものがたくさんあります。もしブログを書くと言うことがなければほとんど気がつかずに見過ごしていたであろうと思うことばかりを思い出します。
でもこれからどうしようか何も決めていないし成り行きでこのままかもしれないし、知らない間に止めているかもしれません。それもいいでしょう。
ブログの記事はありがたいことにこれから何年も消えずに生きて行ってくれると思います。
定年過ぎの男の時間つぶしには実に楽しいことです。まあ自然体でいきましょう。
さて、若い頃は毎週末に職場近くの駅前辺りで飲み歩いていました。
そしてカラオケ歌って憂さ晴らし。まだエイト(8)トラックなどという今では時代物。
昔を思い出していたら、ちあきなおみの「紅とんぼ」を聞いてみたくなった。
こんなにうまい歌手がいたんだなどと思ったものだ。
そんな事を思い出してまた聞きたくなった。
ねえ、ケンさん・・・ ねえ、しんちゃん・・・
そうそう、飲み屋に通ったことがある男ならこの歌の気持ちは伝わってくるだろう。
ちあきなおみさんも喝采や7つのお願いなどのポップスしか知らなかったがある時、矢切りの渡しなどの演歌を聴いた。
どこか物哀しげな女性の歌を歌うのがうまいと感じた。
そんなちあきなおみさんもシャンソンも歌っていたのだが、いつの間にか芸能界から姿を消した。
調べてみるとご主人をガンで亡くしてから自然にいろいろな活動を中止したのだとか。
そう知らぬ間に消えていた。こんなのもいいよね。
最近のこまどり姉妹の姿のようなのものは見たくないから・・・・
シャンソンを歌っているのも聞いてみて下さい。2曲入っています。
2曲目のラ・ボエームというのはパリで自由気ままに過ごしていたボヘミヤン(ボヘミヤ人)のことです。
でもこの歌はシャルル・アズナブールの歌です。大分御本家の歌とイメージが違いますね。
御本家の歌を聞きたい方は検索してみて下さい。なかなかいいですよ。
フランスは自由な芸術の香りがしますね。有名なオペラがあります。

