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鹿島神宮(15)-境内附郡家跡

 今日は東京に車で行って、荷物を積んでとんぼ帰りしてきました。

行先は用賀で行くのに高速も都内は混んでいて3時間以上かかりましたが、帰りは比較的すいていて2時間弱でした。

途中小貝川は台風の雨の影響か水かさも多く、まだ濁った濁流でした。

隅田川はやはりまだ水量も多くスカイツリーを眺めながら今までと少し違った様子を眺めながら在原業平の訪れたであろう1100年程前の渡りがあった頃を少し想像しました。

さて、今日の記事は鹿島神宮シリーズの最後になります。

 「鹿島神宮境内附郡家跡」(かしまじんぐうけいだいつけたりぐうけあと)と国の史跡に登録されている場所が神宮の南にある。

周りは住宅街だが、一帯は空き地となった場所に案内板が置かれていた。

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この場所に昔の鹿島郡の郡衙(役所のような機能を持つ建物群のあった場所)があったという。
常陸国風土記では「香島郡」と書かれている。

説明によれば「昭和54年度~昭和63年度にかけて実施された発掘調査によって、郡庁並びに正倉院が検出され、鹿島郡家跡と断定された遺跡であり、日本歴史上、重要な遺跡である」となっている。

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鹿島神宮の摂社である「沼尾神社」「坂戸神社」と神宮を結ぶ直線上にこの郡家跡が並んでいる。
国の史跡はこの4か所を含む領域をまとめて指定されたもので、「沼尾神社境内・坂戸神社境内・鹿島神宮境内・鹿島郡家跡」全部をまとめた史跡指定になっている。


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上の説明では、この場所に奈良時代から平安時代にかけて鹿島郡の郡家があったと書かれている。
しかし、調べて見ると、常陸国風土記の記述では

「社の南に郡家があり、反対側の北側には沼尾の池がある。翁のいふには、神代に天より流れ来た水がたまって沼となった。この沼で採れる蓮根は、他では味はへない良い味である。病気の者も、この沼の蓮を食ふと、たちどころに癒えるといふ。鮒や鯉も多い。ここは以前郡家のあった所で、橘も多く、良い実がなる。」

となっており、沼尾神社付近に郡家が最初にあったことが記述されている。

上の地図では国の史跡となった4か所はほぼ一直線に並び、鹿島神宮の拝殿の向きと一致している。

東北の蝦夷を守ると説明では良くされるが、これの解釈はいくらでもできそうだ。

しかし、沼尾神社付近には大きな沼があり、この辺りにいた部族がどのような人びとだったのか興味を引く。
坂戸神社は中臣氏(藤原氏)の氏神を祭る神社である。

鎌足神社などもあるがこちらは神宮の西側にある。(記事はこちら

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この郡家のあった場所は夏草が生い茂り、バッタなどが飛び交うのどかな空き地が広がっていた。

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この郡家跡の遺跡は「神野向遺跡」(かのむかいいせき)と呼ばれている。

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鹿嶋市の下水マンホール。市の花「はまなす」、市の木「松」、市の鳥「きじ」が描かれています。

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鹿島神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/18 18:44
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