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今日から師走

 もう今日から師走です。
1年がたつのは早いものです。12月になると気持ちもあわただしくなります。
年初めに考えていたことがどれくらいできたでしょうか。

少しでも進めば良しとしましょう。

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夕方に銀杏並木が続く県道7号線の柏原工業団地の通りにやってきました。

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(写真をクリックすると拡大します)

メガソーラの建設が進む通りの前です。
夕日が傾きかけています。

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(写真をクリックすると拡大します)

黄葉もこの辺りはもう終わりでしょうか。

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では風土記の丘はどうなっているか見にいきました。
夕日が山に沈みかけもみじももう寒そうですね。

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(写真をクリックすると拡大します)

まだ午後4時半前だと言うのに、もう太陽は筑波山の方向に沈んでしまったようです。
向こうに沈んだ太陽に光を少し受けた筑波山が浮かんで見えます。

藤棚からは実のさやがカラカラになって時々下に落ちてカランと大きな音がします。
こんな音がするんですね。


さあ、日没は冬至のころではなく今が一番早いのだそうです。

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もう日が暮れたのでおうちに帰りましょう。

「カラスが鳴くから帰~ろ!」

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そして誰もいなくなった。

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近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/01 18:34

佐原三菱館(香取市)

 佐原はいまは香取市となったがやはり水郷佐原(さわら)といった方が似合う街だ。
香取神宮のおひざ元の街であるが伊能忠敬に代表される江戸時代にも水運で大変にぎわった町である。

ここは街を東西に2分して年に2回お祭りがあり、「関東三大山車祭り」と呼んでいる。

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今回近くに行った時に、この旧川崎銀行(後に三菱銀行)として建てられた建物を是非じっくり見て見たいと思ったのである。
前に行った時にはちらっと見ただけで、建物を良く見てこなかったのだ。

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このような頭部にドーム状の屋根を持つ赤レンガ造りのしゃれた建物だ。

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現地に書かれている説明によると
明治13年(1880)に川崎銀行佐原支店が設立された。
その後大正3年(1913)に今の清水建設の前進の清水満之助商店がこの建物を設計建築した。
川崎銀行は三菱銀行となったが、1989年に新館を建設するためこの旧館は佐原市に寄贈された。

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佐原にこの建物を残したのは本当に良かった。
小江戸とも呼ばれる佐原の街はこのような洋風の建物は少ない。
江戸時代から明治にかけての建物がまだ多く残っている。
その中でこの建物は異色を放っている。

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石岡の街にもこの建物とそっくりな「川崎第百銀行石岡支店」という建物があった。(こちらの記事参照)
しかしこの建物は残っていない。
現在残っていればどんなであったのかと思う。


佐原のこの建物は使われていないようだが、この建物を増設した形でここに「佐原町並み交流館」という施設がある。

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ここにはボランティアの方が4人ほどいて、街並みのジオラマが再現されていた。

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この三菱館もあった。

ボランティアスタッフの方はみなさん熱心で石岡からもボンネットバスが来たことがあると話されていた。
中を一通り見て地図をいただいたのを眺めて急に聞いてみたくなって年配の男の方に尋ねた。

「町の真ん中に流れている川は小野川と書かれていますが、この名前の由来は何かありますか?」

「さあ・・・」といって若いスタッフの方にネットで検索させた。
まあネットでわかるくらいなら質問はしないよと思ったが、

「この近くか、上流の方に小野という地名はありますか?」

「ああ、それなら少し先にあります。」

「そこは何か昔からの謂れでもありそうなところですか?」

「いや・・・ 何もないところですよ。」

「小町伝説もないんですか」

「・・・(笑) 聞いたことないですね。」

「そうですか。茨城県も江戸崎の霞ヶ浦に注ぐ川に小野川というのがあって共通点がないか知りたかったのです。

この江戸崎辺りに「榎浦の津」と言われていた場所があったはずで港で船がつくところだったようです。」

「そう津は確かに船着き場ですね。私の住んでいる場所も津宮(つのみや)と言って、香取神宮の鳥居があって香取の海と言われていた頃にここに船着き場があった場所だそうです」と年配のスタッフさんが教えてくれました。

こんな会話もまた楽しいですね。やはりこの辺りでは霞ヶ浦は香取の海と呼んでいますね。
江戸崎の方では「流れ海」というのが普通のようです。

この小野川と名前がついた川は全国にたくさんあります。
小野というと小町を思い出しますが、小野妹子に代表されるように古い氏族の名前(滋賀県大津市)のでもあります。

また近いうちにお邪魔して街の散策をやりたいと思います。
佐原はとてもよい街です。

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佐原 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/02 19:54

伊能忠敬像

 佐原の町も通りが狭く毎回車で行っても道がわからなくなる。
「忠敬橋」が中心になるのだが一方通行などをぐるぐると回されて目的地に着く。
街中観光の設備はかなり整っており無料駐車場やトイレの設備は比較的良いように思う。

今日も銚子に行く途中で寄り道をしたのだがまた諏訪神社の前を通った。

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諏訪神社は伊能家が代々守ってきたそうで、その入口の公園に伊能忠敬の像が置かれている。
もちろん忠敬の旧家の所には記念館があり測量機器などすべてが国の指定文化財に指定され飾られている。

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こちらが諏訪神社の入口。
新宿の秋の大祭はこの神社のお祭りだ。

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中心の通りに向かう時に気になった建物を撮ったものを載せます。

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また後で佐原の街は紹介したいと思います。

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佐原 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/03 21:36

香取神宮-新装

 香取神宮を前に訪れた時は、来年4月の式年大祭(12年に1度)に合わせて拝殿・本殿の改装をしていた。
布が被せられていて良く拝むことが出来なかったが、それが10月になって完成したと聞いて立寄りました。

今回の写真はすべてサムネイルです。クリックすると大きくなります。

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こちらが正面の拝殿です。
前に来た時は屋根からすっぽりと布がかぶっていました。

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こちらは本殿です。こちらもきれいになりました。

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楼門の裏手に飾られている木の狛犬です。

宝物館は今回も入ってみていません。
今度行った時に宝物館の狛犬を見て見たいですね。

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少し遅いのですがまだ七五三の祈祷も受け付けていました。

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丁度紅葉も見ごろでした。

(12月3日撮影)

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香取神宮 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/04 19:50

香取神宮-奥宮

 香取神宮に奥宮があることは知っていたが前に来た時には立ち寄らずに来てしまった。
今回この奥宮の位置が気になり神宮拝殿に行く前に直接立ち寄ってみることにした。

ここは神宮の正面大鳥居から参道を登るのではなく、その手前の脇道を左手に入って行く道を選んだ。

参道を進んで要石などを見物してから行くこともできるし、楼門手前から左に回れば行くことができるが、何か少し違った雰囲気を感じたので直接奥宮を目指した。

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入口手前の売店などが立ち並ぶその先に左側へ山の方に入って行く細い道がある。

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道を進むと小さな道祖神が祀られていた。

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一応舗装されているが、結構急な登りだ。

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左手に竹藪が現われた。この上が奥宮らしい。

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奥宮の入口に到着しました。
今登ってきたのは写真には映っていませんが、上の写真の左側を巻くように下って行く道です。

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この奥宮は木々の間にひっそりと置かれていました。
辺りは静かです。
なにか古来の霊が宿っているようです。

ここには経津主の荒魂を祀っていると思われます。

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神宮にお参りに来る方や観光客もほんの一部の方がこちらにも足を運んでいました。
ここですれ違った3人ほどの方から私が登ってきた方向の道が「何処に出ますか?」と聞かれました。
境内の案内地図などにはこの道はあまり詳しく載っていないようです。

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一般に奥宮などは参道・門・拝殿・本殿とあり、その奥や山の上の方に置かれている場合が多いと思います。
しかしこの奥宮の置かれた場所は神社から見ると横の方になります。

これは昔の香取神宮は北からの参道があったのではないかと思います。
少し辺りを散策してみることにしました。

(続きます)



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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/05 19:34

香取神宮-雨乞塚

 香取神宮の奥宮入口の道の辻に「雨乞塚」と書かれた看板が立っていた。
ここは十字路の交差点に当たる場所だ。

紅葉も丁度良い雰囲気を醸し出していた

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ここから真南に伸びた道の先の正面に奥宮がある。

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雨乞塚:ここは聖武天皇天平4年(732)、この地が大旱魃の時祭壇を設け雨乞ひをした処である。(看板に書かれている内容)

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奥宮の入口左側に「天真正伝神道流(しょうしんしょうでんしんとうりゅう)始祖飯篠長威斎(いいざさちょううさい)墓」がある。

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日本最古の剣道の流儀を始めた人物だそうだ。周りを囲まれていただ、墓石は質素なものだ。

鹿島で、鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いたのが有名な塚原ト伝だ。

鹿島神宮と香取神宮は共に剣道を学ぶ人たちにとっての聖地にもなっている。

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この雨乞塚の北側には「祖霊社」という場所がある。

建屋は比較的質素なものであった。

調べて見るとこの場所にはかつて「香取山金剛宝寺」という真言宗の寺があったという。
この寺はこの香取神宮の神宮寺として十一面観音像を本尊として置かれていた。

しかし、明治初期の廃仏毀釈で全て取り壊され一部の仏像などが近くの寺に移されて残るのみとなったようだ。

今では祖霊社として神社で行われる葬儀などに使われているのかもしれない。


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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/06 19:02

香取神宮-津宮の浜鳥居

 香取神宮の奥宮から真北に進むと利根川の川岸に木の大きな鳥居が建っています。

場所は佐原市津宮(つのみや)で津宮鳥居とか浜鳥居とか呼ばれているようです。

先日佐原の方と話した時に「津」は湊のことだとおっしゃっておりました。

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(クリックで拡大します)

むかし、この辺りもみな香取の海とか香取の流れ海とか呼ばれていました。
鹿島神宮と香取神宮はこの内海を挟んで並んでいました。

今は霞ヶ浦も小さくなり、この湊のある場所も利根川沿いになりましたが、ここが香取神宮の参拝入口だったことをうかがわせます。

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利根川はこの辺りは流れも穏やかで静かです。
昔も絶好の船着き場だったのでしょう。

対岸は水郷地帯でその向こうに潮来があります。

来年4月に行われる式年大祭(昔は20年おき、今は12年おき)では、鹿島神宮の鳥居の所から3000人ほどで奥宮を通り、昔の参道沿いにこの津宮まで約2km程を歩いてこの場所にやってきます。
そしてこの場所から色鮮やかな船(御座船)で川を上り、佐原沖で鹿島神宮からの御座船と合い、佐原で上陸して1泊し翌日佐原の市街を通って戻ってくると言います。

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(クリックで拡大します)

利根川沿いに堤防がありますので川岸の鳥居は少し低く見えます。
でもこれは平成14年の建造で高さは三丈一尺(9.4m)だそうです。

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ここに「香取宮」と彫られた常夜燈(1769年奉納)がありました。
船運が盛んであった明治初期まで船の目印になったようです。

しかし、この常夜灯は東日本大震災の地震で倒壊してしまったようです。
それがこのように修理復活したのでしょう。
もっとも灯籠は頭が重いので地震には弱いようです。あちこちの神社で台座と分断されていました。
香取神宮も1年ほど前までは、木々の間の空き地にたくさん置かれていたように思います。

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(クリックで拡大します)

今は小さな船着き場ですが、水鳥がたくさん集まっていました。
カメラを構えて近づくといっせいに飛び立ちます。

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(クリックで拡大します)


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川岸側から鳥居を見上げました。
南を向いているわけですが、鳥居から太陽がまぶしく輝いていました。
時間は午前11時頃です。

この津宮の事を調べていたら気になる記事が見つかりました。

「津宮地区には、自然堤防に立地する津宮遺跡群と津宮古墳群があります。自然堤防は、利根川東遷以前の氾濫によってできた微高地で、香取駅周辺の東西に延びる幅300mほどの範囲です。標高は最大で約5mになります。

 津宮遺跡群の発掘調査では、縄文時代から中近世までの遺構や遺物が見つかっており、遺跡群の範囲が、自然堤防の標高約2mのところまで広がっていることもわかりました。」

何処が気になるかというと縄文時代からの遺跡が見つかっていますが、標高が3~5mくらいのところに広がっているようです。

縄文時代も海面はそんなに高くはなかったようです。
縄文海進というのも時期がかなり昔であるので数千年前ではせいぜい1~2m程高いくらいだったのかもしれません。

これは広畑貝塚などでも感じたことです。



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香取神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/07 18:33

つらつら思うこと(7)

当ブログも少しマンネリで気分的に優れないこともあり、そんな時はついぼやきたくなる。
まあ、今日は夜空はきれいなのに、そんな気分の記事なので適当に読み流してください。

 国会で特定機密法案が成立した。

この不完全な法案をこのような違憲状態で当選した国会議員たちが裏でこそこそ談合したように秘密裏に急いで成立させたことに不安をおぼえる人は少なくないだろう。

公聴会をやるなどという自分たちの口実をつけるためだけの茶番まで行った。

どうも日本にはこのようなものが似合わない。
日本語はあいまいを良しとしていて、解釈でどうにでもなってしまうことがある。

これが官僚たちが作る法律までこのようになってしまっては困ってしまう。
今の政治家や官僚などをどうしても信頼ができない。

日本語は素晴らしい文化なのだが法律文章などがどうにも苦手な言語で、それを良い事に「どうとでも後から解釈を変えれば済むようにしてしまえ」などという声が裏で聞こえてくる。

英語は得意ではないが、日本語と比べて主語がなくては文章にならない。
日本語の文章を英語に翻訳するときに、これにはよく悩まされる。

誰がやるのかを書かないでも文章が成り立ってしまう。

話している流れの中で主語がなくても通じるだろうとか思っている場合が多い。


 日本は島国だ。

この島国が日本の文化を生み日本という国を長い間育んできた。

この島国という環境が外と隔離させ独特の文化も生まれた。

そんな日本人は勤勉で優秀であった。でもそう思っていただけかもしれない。

しかし、1億人以上の国民も農業自給率からは多すぎるともいう。

しかし、この1億という人がいるのが内需を守り、丁度バランスを保ってきた。
それが減ってくると(年寄りばかりになるのも同じ)、海外との流通なくしては需要と供給のバランスが崩れ、経済は破綻する。

年寄りが金を持っているという。何処にそんなお金持ちがいるのだろうと思うのだが。

その年寄りマネーをあてにして大借金国でも崩壊しないのだと言う。
しかしこれも時間の問題だろう。

年金も減り、税金も上がる。金持ちなどほんの少ししかいない。
庶民の生活はどんどん苦しくなっていく。

税収が支出の半分しかないのに無駄が無くならない。

2020年にプライマリーバランスを健全化させるのは国際公約だが、本当に達成させるつもりがあるのだろうか。

みんなの党の渡辺喜美が「アジェンダ」などという言葉を使いたがるが、これもとても違和感がある。
アジェンダという言葉は海外と打ち合わせをする時にはよく使うが、これは打ち合わせでどのような事を打ち合わせるかという議題を書いたものをさすと思っている。

それよりも大事なのは打ち合わせの議事録(プロトコルなど)でお互いに約束したり実行したりする事を細かく取り決める事だと思う。

これが日本人同士だとどうも議事録に変なものが多い。

官庁などで話した内容を会話調で書いたりしなければ議事録ではないなどと思っているところもある。
議会の議事録などをインターネットで見かけるがほとんどがこのパターンだ。
これは録音するのと変わらない。

交渉の議事録は簡潔に結論をお互いが納得するように作る。途中経過はあまり重要視されない。

こんなことを言ってみても仕方がないが、徐々に民族が劣化していると感じてしまうことも多い。


昨日は「ふるさと風の会」の会報をメンバーで印刷し、石岡の「まち蔵藍(丁子屋)」に持っていき、その足で瓦会の「まんまや」さんにもって行った。

ここで野菜天ぷらソバをいただき、朝日トンネルを抜けて小町の里の館に少し置いて、つくば市の北条の田村家に少しまた置かせてもらって午後3時頃に戻った。

月に1回はこんな状態だ。


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瓦会のまんまやさんは前回は自転車での来客が一人あり、今回は3組7人ほどの先客があった。

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「野菜天ぷらそば」(850円) このソバはとても美味しい。

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北条の「田村家」は「方丈ふれあい館」となっていて、田村家の方が土日に開いている。
町の見学に行かれたら寄ってみて下さい。

石岡の人は「大掾氏(だいじょう)」は石岡にずっと住んでいたと思っているが、将門の乱の少し後の西暦990年頃から鎌倉幕府が始まった後の1193年まではこの北条の多気山に城をかまえていた。(約200年)

その後水戸の吉田氏(馬場氏)が大掾職を継ぐが、石岡と水戸の両方を行き来していた。

府中城が昔の国府があった場所に築かれたのは1350年頃で
水戸を奪われて石岡に本当に住んだのは1429年以降だ。

まあ北条も江戸時代の筑波山参拝の門前町であったのでそんな昔の事などあまり関係ないと思っているかもしれない。
しかし、今は消えてしまった筑波山参拝の街道であった「瀬戸井街道(群馬県瀬戸井から水戸までの道)」が、この瓦会「まんまや」の前を通って、この北条と繋がっていたなどと考えることなどまずないのだろう。

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つらつら思うこと | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/08 18:54

落日荘

 石岡市瓦会の鳴滝の登り口を少し登ったところに建築家(都市計画)岩崎駿介さんが設計から建築まで全て手作りで建てられた素敵なお宅(自宅)がある。

岩崎さんの名前はもしドラ作家の岩崎夏海さんのお父さんと言った方が一般には通りが良いようだ。

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少し高台で、西側が開けた場所に、西向きのテラスを設け、ここから真西に足尾山、すこしその右側に加波山、左には筑波山も望めるロケーションで夕日が美しい場所を選んだそうだ。
建物の名前は「落日荘」だという。

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個人のご自宅だが本も出されておられるので、外見だけを撮影させていただいた。

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この瓦会(かわらえ)というのは昔奈良時代の瓦を焼いた窯跡がいくつも発見された場所で、常陸国国分寺の瓦もここで焼いて国府(現石岡)の寺まで運ばれたと言われている場所です。

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昨年発掘調査され、さらに窯跡も見つかったようで、かなり古い時代から瓦が焼かれていたという。
入口は南北朝時代に攻防が行われた難台山の麓にあたり、家の前の道をそのまま進めが「鳴滝」という石岡では数少ない滝に至る。

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集落から滝への登り口に「二十三夜尊」の碑が立っている。

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岩崎さんは「地球を生きる」という上下2冊の本を出版されています。
上巻は地球環境の問題を都市工学からの視点でとらえ、アジアの国々などと国境を越えて地球を感じて生きることを訴えています。
また下巻はこの落日荘が詳しく載っています。

自ら設計して材木を調達し自ら組み立て、自宅に至る道路まで全て手作りです。

もう何年もかけて手造りで進めており、いまだ全てが完成してはいないそうです。

先月に建築関係の人びとを数百人程招待してご自宅でパーティをされ、ビデオを上映するために上映室も手造りされたようです。
まったくすごいものです。

奥様は家の内部のインテリアなどがご専門で全て内部は奥様が考えておられるそうです。

まあ還暦過ぎて何年もかけてこの家を建てられたその情熱は何処から来るんでしょう。
私も見習わなければいけないのですが、師走になると毎年1年の早さを実感しうろたえるばかりです。

<お知らせ>

このブログも3年4カ月休みなく記事をUPしてきました。
当初目的としていた1カ月、3カ月、1年、3年とクリアしてきましたのでもう少しノンビリやって行きたいと思います。

ブルグ更新のペースを半分くらいに落とします。2~3日に1回くらいがちょうど良いですよね。

明日はまた銚子に出かけます。往復200kmくらい走ります。
何か美味しいものでも食べて気分転換したいですね。
(仕事なのでそう呑気に構えていられませんが・・・)

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八郷地区 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2013/12/09 19:25

団塊世代?もまだまだこれから?

 昨日ブログのペースを落とすと宣言したが、どうも落ち着かない。

まあ短めの記事を日記替わりに書いておきましょう。

今日銚子に仕事で出かけたが、いつも1~2時間余裕を持って早めに出かけ、途中寄り道しながら行くのだが、今日は途中から低気圧が近づいてきて突然のような突風と雨に稲光まで。

これだはのんびり途中見学は出来ないので早々と目的地についた。

竜巻注意報も出ていたし、風雨を避けるためにも大きな建物にとイオンモールで昼飯を食べることに。

12時前に入店の方は1260円の焼肉が800円というので今日は「大盛りカルビ定食」にした。

このイオンモールでは回転ずし、パスタ、中華、和食やこの焼肉などを交互にいただいている。
12時前についた時は焼肉ももう何回か食べている。

しかし、銚子というのにここに入っていた回転ずしのお店は閉店となっていた。
まあいまは1皿100円という安い回転ずしが多いので、このお店は美味しいけど少し高いのでお客さんも確かに少なかった。

もうどの店もクリスマスムードですね。

今日は予定より早く戻って来て、テレビを見てたら「団塊世代の活用」などというテーマで語られていた。

60歳になった時にやはり団塊世代の大量停年が問題視され、今度は65歳になったら今度は65歳で仕事を離れてやることがなく困っている男性が多いとか。

きっと70歳になったら今以上に70歳で介護予備軍が大量に・・・なんて話になるだろう。

何時まで働けばいいんだ。

といって働くのを止めたら何をすればいいのだ。

みなきっと同じような思いなのかもしれない。

こしてブログが書けるだけでも幸せなのだろう。

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韓国焼肉店「仁寺洞(インサドン)」

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大盛りカルビ定食(サラダ、スープ、デザート付き)

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近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/12/10 20:46
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