那珂湊おさかな市場
正月休みの明けた頃(1月7日)に那珂湊にあるおさかな市場に立寄りました。
正月休みには賑わっていたのでしょうが、平日の午後は少し閑散としていました。
(写真はすべてクリックすると拡大します)

さんまをイワシのように丸干しにしていました。6匹で500円。 イカは4枚1000円です。
でも安売りしていることも多いので、買う時は交渉しないとね。
これが関西人なら間違いなくやりあうでしょうね。

比較的安く新鮮なものもありましたが、正月のかまぼこなど消費期限が近くて1/4位で売りさばいていました。
でも正月料理も飽きていた頃でしたので買いませんでした。
そういえば今日から2月ですね。余計な仕事を増やしてしまい昨夜から時間がとれなくなっていました。
やっとブログの作業に書かれましたがネタがありませんので古いもの(でもまだ1ヶ月はたっていない)でご勘弁を。

正月休みには賑わっていたのでしょうが、平日の午後は少し閑散としていました。
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さんまをイワシのように丸干しにしていました。6匹で500円。 イカは4枚1000円です。
でも安売りしていることも多いので、買う時は交渉しないとね。
これが関西人なら間違いなくやりあうでしょうね。

比較的安く新鮮なものもありましたが、正月のかまぼこなど消費期限が近くて1/4位で売りさばいていました。
でも正月料理も飽きていた頃でしたので買いませんでした。
そういえば今日から2月ですね。余計な仕事を増やしてしまい昨夜から時間がとれなくなっていました。
やっとブログの作業に書かれましたがネタがありませんので古いもの(でもまだ1ヶ月はたっていない)でご勘弁を。

そば処-利右エ門(神立)
先日午前中に用事があり出かけて昼時でしたので神立駅(土浦駅の一つ北)近くのそば所「利右エ門」にいきました。
実は今年に入って2度目なのです。
前に来た時に建物がきれいだし、蕎麦も美味しい(前にも来ています)ので寄って見たのです。
その時にランチがお得で驚いてまた来てしまいました。

これが「ざるそば」ですが、昼時は大盛りなのです。なんと3段重です。
通常の1.5倍らしいのです。

確かに1ザルは少し小ぶりですが、3段もあれば蕎麦でも結構お腹いっぱいになります。
750円です。

私は冬でもサルやもりそばが好きですが、暖かいそばも大きな器で出てきます。


ご飯物などはそばなどとミニ丼のセットです、これはランチは100円引き。
ここは軍鶏(しゃも)料理を食べることができますす。
でもここの蕎麦は実は北海道産のそば粉だと思います。
常陸そばではないようですよ。

内装も凝っていてきれいです。
でも喫煙席側が庭に面している堀炬燵式の方で、禁煙席が内側の和室。
と言うことはここは夜の宴会に使われることが多いのかもしれません。
食事や飲む時に大勢いればタバコを吸う人が必ずと言ってよいほどいますから・・・。
早く日本もタバコを吸う人が減って来てくれるといいのですが。
分煙などが広まってきたので、昔は友達と飲む時にタバコの匂いは気にもしなかったのですが、最近はもうダメです。
となりで吸われたら外行って吸ってくれて叫びそうになります。
(喫煙者もきっとたくさん読んでおられるのにごめんなさい。私は昔から吸わないんです。)

竹をモチーフにした和風の造りでまとめています。


会計の所にそば茶を売っています。前に来て買ってきて美味しかったのでまた買ってきてしまいました。
(650円?)

和風の建物に竹を植えています。駐車場も広いのでお近くに来られたら寄って見て下さい。
← よろしければクリックお願いします。
実は今年に入って2度目なのです。
前に来た時に建物がきれいだし、蕎麦も美味しい(前にも来ています)ので寄って見たのです。
その時にランチがお得で驚いてまた来てしまいました。

これが「ざるそば」ですが、昼時は大盛りなのです。なんと3段重です。
通常の1.5倍らしいのです。

確かに1ザルは少し小ぶりですが、3段もあれば蕎麦でも結構お腹いっぱいになります。
750円です。

私は冬でもサルやもりそばが好きですが、暖かいそばも大きな器で出てきます。


ご飯物などはそばなどとミニ丼のセットです、これはランチは100円引き。
ここは軍鶏(しゃも)料理を食べることができますす。
でもここの蕎麦は実は北海道産のそば粉だと思います。
常陸そばではないようですよ。

内装も凝っていてきれいです。
でも喫煙席側が庭に面している堀炬燵式の方で、禁煙席が内側の和室。
と言うことはここは夜の宴会に使われることが多いのかもしれません。
食事や飲む時に大勢いればタバコを吸う人が必ずと言ってよいほどいますから・・・。
早く日本もタバコを吸う人が減って来てくれるといいのですが。
分煙などが広まってきたので、昔は友達と飲む時にタバコの匂いは気にもしなかったのですが、最近はもうダメです。
となりで吸われたら外行って吸ってくれて叫びそうになります。
(喫煙者もきっとたくさん読んでおられるのにごめんなさい。私は昔から吸わないんです。)

竹をモチーフにした和風の造りでまとめています。


会計の所にそば茶を売っています。前に来て買ってきて美味しかったのでまた買ってきてしまいました。
(650円?)

和風の建物に竹を植えています。駐車場も広いのでお近くに来られたら寄って見て下さい。


小見川大橋
銚子から戻る時に利根川と常陸川の間にある中州を通ることが多い。
先日出かけた時に戻る時間が少し早かったので、途中の小見川大橋の所で夕暮れとなった。
信号待ちで1枚写真を撮った。

(写真はクリックすると拡大します)
利根川に架かる小見川大橋。
この川は利根川で橋を渡ると向こう側は小見川(現香取市)だ。そして香取神宮に行くことができる。
そして、この中洲の所から右に曲がると常陸川(常陸利根川)で、そこに架かる橋を息栖(いきす)大橋という。
そう、その息栖大橋を渡ると茨城県となりすぐそばに「息栖神社」があります。
この橋の所が東国三社といわれる「息栖神社」と「香取神宮」を結ぶ橋になります。
昔はこの中州の陸地はなく大きな海が繋がっていたのでしょう。
たそがれゆく空を眺め、すこし寂しく輝く明かりを見ているとどこか懐かしさがこみ上げてきます。
例え、鹿島・香取・息栖が直角三角形に並んでいるのが人工的に配置されたとしても、この三角地帯が大和朝廷の東国進出の最重要地帯だったのでしょう。
やはり黒潮に乗って、海からこの地に大和民族がやって来たのは間違いないでしょう。
前に書いた東国三社の位置関係はこちらを参照下さい。

(Flood Maps で海面高さを+5mとして表示した地図に記入)
今回はこの東国三社のレイラインと銚子と常陸国府石岡の位置関係を載せます。
前に鹿島-香取-息栖のラインを弓の弦と矢に例えてこの弓を引いた時に矢が放たれて常陸国府を焼いたという事を言っていた人がいた。
私はこの説には同調しないがこのラインの延長に常陸国府を移してきたのだと思うようになった。
石岡では「茨城の県名の発祥の地」との説明看板も立っているが、茨城は小原(現笠間市)からこの地に移されたものだ。
息栖神社を今の位置に移したと同じように、計画的にこの地に移したのではないかと思う。
まあ単なる仮説だが・・・。
今日は銚子に出かけていて戻るのが遅くなってしまった。
この橋の場所もまた通ったがもう辺りは暗闇であった。
まあこんな位置関係を考えながらここを通る人はたぶん他にはいないだろうと思う。
また上の地図では加波山までしか延ばしていないが、これをさらに延長するときっと日光に行くと思う。
徳川家康の墓所を東照宮に定めた「天海僧正」はきっとこれも見抜いて位置を決めたのかもしれない。
こんな想像も結構面白いな。
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先日出かけた時に戻る時間が少し早かったので、途中の小見川大橋の所で夕暮れとなった。
信号待ちで1枚写真を撮った。

(写真はクリックすると拡大します)
利根川に架かる小見川大橋。
この川は利根川で橋を渡ると向こう側は小見川(現香取市)だ。そして香取神宮に行くことができる。
そして、この中洲の所から右に曲がると常陸川(常陸利根川)で、そこに架かる橋を息栖(いきす)大橋という。
そう、その息栖大橋を渡ると茨城県となりすぐそばに「息栖神社」があります。
この橋の所が東国三社といわれる「息栖神社」と「香取神宮」を結ぶ橋になります。
昔はこの中州の陸地はなく大きな海が繋がっていたのでしょう。
たそがれゆく空を眺め、すこし寂しく輝く明かりを見ているとどこか懐かしさがこみ上げてきます。
例え、鹿島・香取・息栖が直角三角形に並んでいるのが人工的に配置されたとしても、この三角地帯が大和朝廷の東国進出の最重要地帯だったのでしょう。
やはり黒潮に乗って、海からこの地に大和民族がやって来たのは間違いないでしょう。
前に書いた東国三社の位置関係はこちらを参照下さい。

(Flood Maps で海面高さを+5mとして表示した地図に記入)
今回はこの東国三社のレイラインと銚子と常陸国府石岡の位置関係を載せます。
前に鹿島-香取-息栖のラインを弓の弦と矢に例えてこの弓を引いた時に矢が放たれて常陸国府を焼いたという事を言っていた人がいた。
私はこの説には同調しないがこのラインの延長に常陸国府を移してきたのだと思うようになった。
石岡では「茨城の県名の発祥の地」との説明看板も立っているが、茨城は小原(現笠間市)からこの地に移されたものだ。
息栖神社を今の位置に移したと同じように、計画的にこの地に移したのではないかと思う。
まあ単なる仮説だが・・・。
今日は銚子に出かけていて戻るのが遅くなってしまった。
この橋の場所もまた通ったがもう辺りは暗闇であった。
まあこんな位置関係を考えながらここを通る人はたぶん他にはいないだろうと思う。
また上の地図では加波山までしか延ばしていないが、これをさらに延長するときっと日光に行くと思う。
徳川家康の墓所を東照宮に定めた「天海僧正」はきっとこれも見抜いて位置を決めたのかもしれない。
こんな想像も結構面白いな。


霧の境?
今日は立春というのに雪になりました。
夜にはやんで車の通る道路はほとんど溶けて交通には問題ありませんが、明日は冷えて凍るかもしれません。
その一方昨日の節分は暖かくて日中は暑いくらいに思うほどでした。
朝から銚子の方に出かけていたのですが、行きは徐々に暖かくなるのが車を走らせていて感じました。
気温が高くなったせいか少し遠くはかすんで見え、山も霧がかかっていました。
でも近づけば霧もほとんどわからないものですね。視界を遮られるほど濃い霧ではなかったのです。
そんな中、少し気になる看板を見つけて脇道に車を走らせていた時です。
横の畑から白い湯気が立ちあがっていました。
てっきり日差しが差し始めたので濡れた地面から水蒸気が立ち上っているのだとばかり思い、近くに車を停めて眺めていました。

見ているうちにその水蒸気と思われる白い煙は消えてしまい、ほんの少しの時間の現象だったのかと思っていると、また奥の方から白い煙が徐々に近づいて畑全体を覆いました。

どうやら裏の林の方から霧が地面を伝って動いているのだと気が付きました。

山の高いところなどではよく霧がどんどんと動いていくことは何度も経験していますが、こんな平地でもこうして動いて消えてしまう物なんですね。

しばらく見とれていましたがこの現象もわずかな時間だったようです。おもしろいですね。
銚子までの途中で今日はバカにお年寄りが集まっているなという場所がいくつかありました。
近所の数人が連れだってどうやら神社で節分の行事をやるようでした。
私はそれまでこの日が節分だと気がつかなかったのです。
仕事を終えて帰るのが遅くなってしまいましたが、節分ということで東北東を向いて高級?「恵方巻」にかぶりつき、いわしを焼いたのを食べて頭を柊にさして玄関に飾りました。
この二つの行事は今までほとんどしてこなかったことですが、まあたまにはいいかもしれませんね。
イワシの頭も信心からと言いますから・・・・。
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夜にはやんで車の通る道路はほとんど溶けて交通には問題ありませんが、明日は冷えて凍るかもしれません。
その一方昨日の節分は暖かくて日中は暑いくらいに思うほどでした。
朝から銚子の方に出かけていたのですが、行きは徐々に暖かくなるのが車を走らせていて感じました。
気温が高くなったせいか少し遠くはかすんで見え、山も霧がかかっていました。
でも近づけば霧もほとんどわからないものですね。視界を遮られるほど濃い霧ではなかったのです。
そんな中、少し気になる看板を見つけて脇道に車を走らせていた時です。
横の畑から白い湯気が立ちあがっていました。
てっきり日差しが差し始めたので濡れた地面から水蒸気が立ち上っているのだとばかり思い、近くに車を停めて眺めていました。

見ているうちにその水蒸気と思われる白い煙は消えてしまい、ほんの少しの時間の現象だったのかと思っていると、また奥の方から白い煙が徐々に近づいて畑全体を覆いました。

どうやら裏の林の方から霧が地面を伝って動いているのだと気が付きました。

山の高いところなどではよく霧がどんどんと動いていくことは何度も経験していますが、こんな平地でもこうして動いて消えてしまう物なんですね。

しばらく見とれていましたがこの現象もわずかな時間だったようです。おもしろいですね。
銚子までの途中で今日はバカにお年寄りが集まっているなという場所がいくつかありました。
近所の数人が連れだってどうやら神社で節分の行事をやるようでした。
私はそれまでこの日が節分だと気がつかなかったのです。
仕事を終えて帰るのが遅くなってしまいましたが、節分ということで東北東を向いて高級?「恵方巻」にかぶりつき、いわしを焼いたのを食べて頭を柊にさして玄関に飾りました。
この二つの行事は今までほとんどしてこなかったことですが、まあたまにはいいかもしれませんね。
イワシの頭も信心からと言いますから・・・・。


玉造駅跡(鹿島鉄道)
昨年も何回かに亘って、もう7年も前に廃線となった鹿島鉄道(石岡~鉾田)の跡を見てきた。
左側のカテゴリに今までの記事をまとめた。
そして今回はこれに途中での最大の駅「玉造駅」跡を見に行った。

玉造駅があった場所は大きな空き地となったままですぐに分かった。

駅のトイレとして造ったものだと思うが、これは比較的新しいく現在も使われていた。

駅から正面の商店街を眺めた。
現在も営業しているお店が多いが、駅が無くなりさみしい通りになってしまったようだ。

駅の入口にあったコイのモニュメントが残されていた。
霞ヶ浦の鯉がこの町でも名産だったようだ。
これも鯉ヘルペスでほとんどがダメになり、今では復活したが半分程に減ってしまったようである。

浜駅の方向は線路のあった部分は盛り土されていたようでそのまま空間として残っていた。
この方向に霞ヶ浦がある。
浜駅までは霞ヶ浦に沿って線路はあったが、そこから玉造は内陸側に90度曲がっていたようだ。
逆の鉾田方面は草に覆われて見通すことは出来なかった。

今はこの場所には「玉造駅」というバス停があり、自転車置き場が置かれていた。

玉造の街の方に進んで駅の方を振り返った。この正面突きあたりが駅のあった場所だ。

その突きあたりの駅の所を道は右に曲がっていて、そのまま進むと線路をまたいで新撰組所縁の地として売り込んでいる「芹沢」の方に行く。
この道路上の線路はそのまま残っていた。
そして、取り外されたコンクリート製の枕木がうず高く積まれていた。


玉造駅方面をながめたところ。
さて、行方市玉造は今有る試みをしている。農地法を緩めた特区の設置だ。
霞ヶ浦大橋を渡り、道の駅周辺からの通り沿いの再開発が進み大型店がどんどん進出してきている。
この駅前はさみしくなっているが、大型の商業開発もこのように鉄道も無くなれば必要だと思う。
昭和27年に制定された「農地法」が硬直化された行政に今では弊害あって益なしと言えるのではないか。
農地法の目的と書かれた所を抜粋してみます。
「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。 」
本文を読んでみてもまったく古くて、いろいろな事をやりたくてもこれを制限する以外に何もないように思う。
(これは良く調べていないので内容が違っているかもしれません。内容は各自お調べください。)
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左側のカテゴリに今までの記事をまとめた。
そして今回はこれに途中での最大の駅「玉造駅」跡を見に行った。

玉造駅があった場所は大きな空き地となったままですぐに分かった。

駅のトイレとして造ったものだと思うが、これは比較的新しいく現在も使われていた。

駅から正面の商店街を眺めた。
現在も営業しているお店が多いが、駅が無くなりさみしい通りになってしまったようだ。

駅の入口にあったコイのモニュメントが残されていた。
霞ヶ浦の鯉がこの町でも名産だったようだ。
これも鯉ヘルペスでほとんどがダメになり、今では復活したが半分程に減ってしまったようである。

浜駅の方向は線路のあった部分は盛り土されていたようでそのまま空間として残っていた。
この方向に霞ヶ浦がある。
浜駅までは霞ヶ浦に沿って線路はあったが、そこから玉造は内陸側に90度曲がっていたようだ。
逆の鉾田方面は草に覆われて見通すことは出来なかった。

今はこの場所には「玉造駅」というバス停があり、自転車置き場が置かれていた。

玉造の街の方に進んで駅の方を振り返った。この正面突きあたりが駅のあった場所だ。

その突きあたりの駅の所を道は右に曲がっていて、そのまま進むと線路をまたいで新撰組所縁の地として売り込んでいる「芹沢」の方に行く。
この道路上の線路はそのまま残っていた。
そして、取り外されたコンクリート製の枕木がうず高く積まれていた。


玉造駅方面をながめたところ。
さて、行方市玉造は今有る試みをしている。農地法を緩めた特区の設置だ。
霞ヶ浦大橋を渡り、道の駅周辺からの通り沿いの再開発が進み大型店がどんどん進出してきている。
この駅前はさみしくなっているが、大型の商業開発もこのように鉄道も無くなれば必要だと思う。
昭和27年に制定された「農地法」が硬直化された行政に今では弊害あって益なしと言えるのではないか。
農地法の目的と書かれた所を抜粋してみます。
「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。 」
本文を読んでみてもまったく古くて、いろいろな事をやりたくてもこれを制限する以外に何もないように思う。
(これは良く調べていないので内容が違っているかもしれません。内容は各自お調べください。)


カレーボール
銚子の創業130年という嘉平屋さんで「カレーボール」というのを買ってきました。
もっともイーオンの中に入っているお店(鮮の市)ですが・・・
その他におみやげセンターやウォッセ21などにも入っている銚子では老舗のお店です。

一般には各種「磯揚げ」を売っているのですが、このカレーボールを食べたら結構病み付きになりまた食べたくなったりするのです。
イーオンの中はこの店の隣ではおかき、ぬれせんべいなどのの「福はうち」というお店が入っています。
節分にピッタリの名前ですよね。

嘉平屋でカレーボールだけ入った10個入り700円を買ってきました。今回で3回目くらいかな。

幟に「元祖カレーボール」となっておりましたのでカレーボールをネットで検索したらたくさんあるんですね。
練りものはあまり好きでないという方にも意外に受けがいいようです。

半分に切って見ると中はうっすらカレー色。
新鮮なうちはカレーの味がしてそのままでも美味しく食べられます。
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もっともイーオンの中に入っているお店(鮮の市)ですが・・・
その他におみやげセンターやウォッセ21などにも入っている銚子では老舗のお店です。

一般には各種「磯揚げ」を売っているのですが、このカレーボールを食べたら結構病み付きになりまた食べたくなったりするのです。
イーオンの中はこの店の隣ではおかき、ぬれせんべいなどのの「福はうち」というお店が入っています。
節分にピッタリの名前ですよね。

嘉平屋でカレーボールだけ入った10個入り700円を買ってきました。今回で3回目くらいかな。

幟に「元祖カレーボール」となっておりましたのでカレーボールをネットで検索したらたくさんあるんですね。
練りものはあまり好きでないという方にも意外に受けがいいようです。

半分に切って見ると中はうっすらカレー色。
新鮮なうちはカレーの味がしてそのままでも美味しく食べられます。


御食事処 稲穂
石岡から北へ県道52号線(石塚街道)を15km程行ったところに「稲穂」という和風レストランがある。
石岡からはかなり遠いのだがたまに食事に出かけることがある。
もう2週間ほど前になるが袋田に出かけた時に昼めしを食べるために立寄った。

街道の脇で結構大きな造りである。
この場所は友部スマートインターの近くであるが、前に紹介した古東海道の延長に当たる「五万掘古道」の延長上に当たる。
住所は笠間市長兎路。
長兎路(ながとろ)は長瀞と同じで昔は涸沼川がこの辺りまで川幅が広くなっていたのだろう。
五万掘古道を調べている人は長兎路と書かれている漢字で古道との関係を連想するようだが川の流れが穏やかになっている場所につけられた名前だろう。石岡にも貝地の恋瀬川近くに同じ地名がある。

実はこのお店には偶然入って食べた海鮮丼(海の幸丼)が忘れられなくて何度か来ている。
子供達も気に行っているようで少し遠いのだがそれから数回食べに訪れている。

昔は中に入ると町の食堂という感じであったが、今ではかなり内装もかなりきれいになっている。
入って右手にカウンターとその奥が厨房で、左手にテーブル席とオープンの座敷席。
また正面奥に仕切られた座敷部屋がいくつかある。
その座敷部屋では夜はサラリーマンが宴会をやっていることがある。地元に愛されるお店なのだろう。

席につくとまず今日の日替わり定食(980円)の内容を説明してくれる。
でもこれは確かにボリュームは多くておいしいのだがここに来て食べるのはいつも決まっている。

海の幸丼(1050円)だ。酢めしと普通ご飯が選べるが、私はいつも酢めしだ。
このほかに海鮮丼の少し小さいのとうどんやそばがつく三色丼950円もある。

まぐろ、はまち、いか、タイ、ホタテの五種類で、かなり新鮮で厚い切り身が乗っている。
まあ、最近ではあちこちボリュームのある海鮮丼も多くなり各地でも食べているが、ここのは昔から変わらない。
こうして車を飛ばして食べにくることもまだあるだろう。
平日のお昼はサービスでコヒーがつく。
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石岡からはかなり遠いのだがたまに食事に出かけることがある。
もう2週間ほど前になるが袋田に出かけた時に昼めしを食べるために立寄った。

街道の脇で結構大きな造りである。
この場所は友部スマートインターの近くであるが、前に紹介した古東海道の延長に当たる「五万掘古道」の延長上に当たる。
住所は笠間市長兎路。
長兎路(ながとろ)は長瀞と同じで昔は涸沼川がこの辺りまで川幅が広くなっていたのだろう。
五万掘古道を調べている人は長兎路と書かれている漢字で古道との関係を連想するようだが川の流れが穏やかになっている場所につけられた名前だろう。石岡にも貝地の恋瀬川近くに同じ地名がある。

実はこのお店には偶然入って食べた海鮮丼(海の幸丼)が忘れられなくて何度か来ている。
子供達も気に行っているようで少し遠いのだがそれから数回食べに訪れている。

昔は中に入ると町の食堂という感じであったが、今ではかなり内装もかなりきれいになっている。
入って右手にカウンターとその奥が厨房で、左手にテーブル席とオープンの座敷席。
また正面奥に仕切られた座敷部屋がいくつかある。
その座敷部屋では夜はサラリーマンが宴会をやっていることがある。地元に愛されるお店なのだろう。

席につくとまず今日の日替わり定食(980円)の内容を説明してくれる。
でもこれは確かにボリュームは多くておいしいのだがここに来て食べるのはいつも決まっている。

海の幸丼(1050円)だ。酢めしと普通ご飯が選べるが、私はいつも酢めしだ。
このほかに海鮮丼の少し小さいのとうどんやそばがつく三色丼950円もある。

まぐろ、はまち、いか、タイ、ホタテの五種類で、かなり新鮮で厚い切り身が乗っている。
まあ、最近ではあちこちボリュームのある海鮮丼も多くなり各地でも食べているが、ここのは昔から変わらない。
こうして車を飛ばして食べにくることもまだあるだろう。
平日のお昼はサービスでコヒーがつく。


おはなし劇場(第8回)
(後に実施した時の様子を追加しました(2月8日)
今度の土曜日(2/8)に東京から「グループ観覧車」メンバー3人がやって来てくれます。
お近くの方は是非1度来て見て下さい。お子様連れでも、大人だけでも楽しめます。
無料です。


「みんなのひろば」2階の真ん中の部屋です。平日は10時~3時過ぎまで開いています。
係の人もいますので100円?コヒーでもゆっくり飲んで行って下さい。
卓球台もあるので体力作りを考えている人は一度相談下さいね。
---------以下実施後の記事を追加します-------------------------
本日朝から雪が積もり開催も危ぶまれたのですが何とか実施できました。ありがとうございました。
ぐるーぷ観覧車の方たちは雪を心配して昨晩から石岡に来ていただいたようです。ありがたいです。

「みんなのひろば」2Fも大分きれいになりました。
石岡にお遊びに来られた時はお茶でも飲みにお立ち寄りください。平日の昼間は開いております。

お客さんも誰もいないかと心配したのですが8人ほどになりました。
最も関係者が4人いますのでお客さんは4人です。でもこの雪の中歩いて来てくれたのです。うれしいですね。
今日は私も朝9時半から「ふるさと風」の会報の印刷と製本作業があり、途中抜け出して10時半にこちらに参加しました。
そして11時半にはまた風の会に戻りました。印刷は終わっておりましたが、おにぎりにモツ煮込を用意してくれていて大変おいしく頂きました。

さて今回のおはなし劇場の最初は芥川龍之介の「くもの糸」です。
名作をこのように直接目と耳から聞くのも心地が良いです。

そしてアヒルの人形劇。お歌は「雪やこんこ」。
この歌は「雪やこんこん」とばかり思っておりましたが、「こんこ」が正解なのだそうです。
知らなかったな~(笑)

今日の童話は「すきになりそう」というお話でした。
かたつむりがたくさんでてきます。そして餌としてニンジンが出てきて頑張ります。
カタツムリは赤いうんちをして子供はこんなお話が大好きですね。
これでニンジンが好きになってくれるかな?

そして木管のフルートで雪の歌を2曲。アダモの「雪が降る」よ昔懐かしい「雪の降る街を」でした。
「雪が降る」はアダモが日本語で歌っていて冬になると良く来日していました。
もう30年以上前に見に聞きに行きました。
でも原曲の「トンブラネージュ」とうたうあのフランス語はいいですね。
今回の演奏はこちらの原曲を思い出しました。

落語から一つ。さて演題は「厩火事(うまやかじ)」
笈川さん御夫婦が軽快な口調でやりあいます。面白いですね。本来の落語とは違いますがこれもいいですね。

最後にもう一つあったのですが途中で失礼しました。観覧車の皆さんありがとうございました。
また2カ月後にありますので聞きに来て下さいね。
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今度の土曜日(2/8)に東京から「グループ観覧車」メンバー3人がやって来てくれます。
お近くの方は是非1度来て見て下さい。お子様連れでも、大人だけでも楽しめます。
無料です。


「みんなのひろば」2階の真ん中の部屋です。平日は10時~3時過ぎまで開いています。
係の人もいますので100円?コヒーでもゆっくり飲んで行って下さい。
卓球台もあるので体力作りを考えている人は一度相談下さいね。
---------以下実施後の記事を追加します-------------------------
本日朝から雪が積もり開催も危ぶまれたのですが何とか実施できました。ありがとうございました。
ぐるーぷ観覧車の方たちは雪を心配して昨晩から石岡に来ていただいたようです。ありがたいです。

「みんなのひろば」2Fも大分きれいになりました。
石岡にお遊びに来られた時はお茶でも飲みにお立ち寄りください。平日の昼間は開いております。

お客さんも誰もいないかと心配したのですが8人ほどになりました。
最も関係者が4人いますのでお客さんは4人です。でもこの雪の中歩いて来てくれたのです。うれしいですね。
今日は私も朝9時半から「ふるさと風」の会報の印刷と製本作業があり、途中抜け出して10時半にこちらに参加しました。
そして11時半にはまた風の会に戻りました。印刷は終わっておりましたが、おにぎりにモツ煮込を用意してくれていて大変おいしく頂きました。

さて今回のおはなし劇場の最初は芥川龍之介の「くもの糸」です。
名作をこのように直接目と耳から聞くのも心地が良いです。

そしてアヒルの人形劇。お歌は「雪やこんこ」。
この歌は「雪やこんこん」とばかり思っておりましたが、「こんこ」が正解なのだそうです。
知らなかったな~(笑)

今日の童話は「すきになりそう」というお話でした。
かたつむりがたくさんでてきます。そして餌としてニンジンが出てきて頑張ります。
カタツムリは赤いうんちをして子供はこんなお話が大好きですね。
これでニンジンが好きになってくれるかな?

そして木管のフルートで雪の歌を2曲。アダモの「雪が降る」よ昔懐かしい「雪の降る街を」でした。
「雪が降る」はアダモが日本語で歌っていて冬になると良く来日していました。
もう30年以上前に見に聞きに行きました。
でも原曲の「トンブラネージュ」とうたうあのフランス語はいいですね。
今回の演奏はこちらの原曲を思い出しました。

落語から一つ。さて演題は「厩火事(うまやかじ)」
笈川さん御夫婦が軽快な口調でやりあいます。面白いですね。本来の落語とは違いますがこれもいいですね。

最後にもう一つあったのですが途中で失礼しました。観覧車の皆さんありがとうございました。
また2カ月後にありますので聞きに来て下さいね。


大雪の朝
こちらの天気予報では昨日夕方から雪が雨に変わると言う予報が出ていました。
そして午前中は思ったほど降らずに、また昼過ぎには道路は車の通行には何の問題もないくらいでした。
そのため昨日午前中に印刷した会報も丁子屋さんに少し届けただけで今日土浦の方に持っていこうと思っていたのです。
ところが夜のうちにどんどん積って朝には2階のベランダは雪の吹き溜まりで一杯になっていました。
会報を配るのは11日の休みの時にしようと思います。

朝の我が家の入口はこんな状態です。
歩くにも長靴でももぐってしまうくらいでした。30cmくらい積ったでしょうか。

夜中には2階の屋根から雪が時々下に落ちてドスンと地響きがします。軒下は雪がうず高くたまってしまいました。
何とか家の前と通り道だけスコップで除雪しました。でもすぐに腰が痛くなってしまいます。
雪国の人は大変だなと思います。

少ししてから常陸国分寺へ向かいました。
この道は裏道でしょうね。正面に筑波山が見えます。(国分寺側から見たところ)
雪は積もっていますが凍っている様子はなくやわらかで水分を含んですぐに溶けそうな雪です。
午後になり陽が出てきましたのでこのまま冷え込まなければ早めに溶けそうです。
でも筑波山はそれ程白くなっていません。
聞いてみると石岡でも八郷の山側はあまり雪が積もっていないそうです。
水戸市内もほとんど積っていないと言いますので今回は地域差が大きいようです。

やはり常陸国分寺の姿を確認に行きました。
薬師堂です。
やはりほとんど足跡はありません。

千手院山門(国分寺境内)です。
ここも門の前には足あとがありません。
足あとをつけては申し訳ないので少し離れた所から1枚写真をとって帰ってきました。
今日は1日のんびり家で過ごします。
午後3時。雪も半分くらい溶けたようです。今夜凍らなければいいですね。
みなさんの所はどうだったのでしょうか?
← よろしければクリックお願いします。
そして午前中は思ったほど降らずに、また昼過ぎには道路は車の通行には何の問題もないくらいでした。
そのため昨日午前中に印刷した会報も丁子屋さんに少し届けただけで今日土浦の方に持っていこうと思っていたのです。
ところが夜のうちにどんどん積って朝には2階のベランダは雪の吹き溜まりで一杯になっていました。
会報を配るのは11日の休みの時にしようと思います。

朝の我が家の入口はこんな状態です。
歩くにも長靴でももぐってしまうくらいでした。30cmくらい積ったでしょうか。

夜中には2階の屋根から雪が時々下に落ちてドスンと地響きがします。軒下は雪がうず高くたまってしまいました。
何とか家の前と通り道だけスコップで除雪しました。でもすぐに腰が痛くなってしまいます。
雪国の人は大変だなと思います。

少ししてから常陸国分寺へ向かいました。
この道は裏道でしょうね。正面に筑波山が見えます。(国分寺側から見たところ)
雪は積もっていますが凍っている様子はなくやわらかで水分を含んですぐに溶けそうな雪です。
午後になり陽が出てきましたのでこのまま冷え込まなければ早めに溶けそうです。
でも筑波山はそれ程白くなっていません。
聞いてみると石岡でも八郷の山側はあまり雪が積もっていないそうです。
水戸市内もほとんど積っていないと言いますので今回は地域差が大きいようです。

やはり常陸国分寺の姿を確認に行きました。
薬師堂です。
やはりほとんど足跡はありません。

千手院山門(国分寺境内)です。
ここも門の前には足あとがありません。
足あとをつけては申し訳ないので少し離れた所から1枚写真をとって帰ってきました。
今日は1日のんびり家で過ごします。
午後3時。雪も半分くらい溶けたようです。今夜凍らなければいいですね。
みなさんの所はどうだったのでしょうか?


雪の街景(降り始め)
今朝は残った雪がカチカチで駅前通りなどでもまだ大分積ったままでした。
私は仕事の職場にいつもは車で出かけるのですが、今日は徒歩と電車で行きました。
帰りも少し早めに帰宅しました。
朝コチコチのところでも夕方は主な通りはもうほとんど雪は解けていました。
しかし我が家は細い路地を入るので雪も凍ってまだしばらくは残りそうです。
さて、雪が降り始めた土曜日の朝に用事で街中に歩いて行く途中で気になったところを少し写真を撮りました。

中町の通りから一つ路地を入ったところ。この左側が登録文化財の「栗山呉服店」さん。
栗山呉服店さんは京都の呉服小物などを取り扱っています。建物は和風で昭和7年頃の建物ですが特徴は2階正面の組子のガラスで模様が細工されているのですが、その一部が今度の震災で壊れてしまい復旧できないそうです。

その向かい側がクライマックスという美容室さんです。
先日写真ブログ(はせがわさん)が石岡に来て写真で紹介されていましたので今回良く眺めて見ました。
他の建物と調和させるためでしょうか正面にギリシャ風の模様が施された壁をアレンジしています。
横から見ると正面にこの模様の壁をはめ込んだようになっています。

これは「たかぎ書店」さんの店先に飾られた雪だるまです。
この時はそれ程大雪にはまだなっていない時でしたが、お店の方が遊び心で作成して飾ったものです。
鼻はマジック、目はmonoケシゴムです。早く春よ来いと桜でアレンジ。面白いですね。
4月には桜まつりがあります。
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私は仕事の職場にいつもは車で出かけるのですが、今日は徒歩と電車で行きました。
帰りも少し早めに帰宅しました。
朝コチコチのところでも夕方は主な通りはもうほとんど雪は解けていました。
しかし我が家は細い路地を入るので雪も凍ってまだしばらくは残りそうです。
さて、雪が降り始めた土曜日の朝に用事で街中に歩いて行く途中で気になったところを少し写真を撮りました。

中町の通りから一つ路地を入ったところ。この左側が登録文化財の「栗山呉服店」さん。
栗山呉服店さんは京都の呉服小物などを取り扱っています。建物は和風で昭和7年頃の建物ですが特徴は2階正面の組子のガラスで模様が細工されているのですが、その一部が今度の震災で壊れてしまい復旧できないそうです。

その向かい側がクライマックスという美容室さんです。
先日写真ブログ(はせがわさん)が石岡に来て写真で紹介されていましたので今回良く眺めて見ました。
他の建物と調和させるためでしょうか正面にギリシャ風の模様が施された壁をアレンジしています。
横から見ると正面にこの模様の壁をはめ込んだようになっています。

これは「たかぎ書店」さんの店先に飾られた雪だるまです。
この時はそれ程大雪にはまだなっていない時でしたが、お店の方が遊び心で作成して飾ったものです。
鼻はマジック、目はmonoケシゴムです。早く春よ来いと桜でアレンジ。面白いですね。
4月には桜まつりがあります。

