残された物
石岡小学校の校庭に残こされている懐かしいものを紹介します。
ここは奈良時代には常陸国の国衙が置かれ、そののち南北朝時代の正平年間(1346~51)に吉田大掾詮国(だいじょうあきくに)が難攻不落とも言われた府中城を築いて1590年に佐竹氏に滅ぼされるまで大掾氏の居城があった場所です。
小学校の敷地内には市の民俗資料館のほか、今修理移転中の陣屋門や国府跡の碑などが置かれています。
城跡を偲ぶ土塁跡などが特に目を引くものがあります。
小学校は市民会館が建てられる前までは陣屋門をくぐっておおきな高台(土塁跡)のケヤキの木「常陸のみやこ 一千有余年之地」を横に見て登校していたのでしょう。
この「常陸のみやこ 一千有余年之地」の碑の場所には戦時中まで教育勅語や天皇陛下のお写真などを納めた「奉安殿」という石蔵?が置かれ、一礼をして登下校していたものと思います。
そしてその頃は都会からたくさんの疎開の子供たちがいて、学校は今の何倍にも膨れていたと言います。

さて、その頃から戦後しばらくの間中庭(?)に置かれていた二宮尊徳像がいま校庭の片隅の大きな木の下に置かれています。
学校の中庭には「なかよし」という男女の子供の像が置かれています。(昭和50年?卒業記念品)

もう一つ昔のままに取り残されたコンクリート製のすべり台が残っています。
何時まで残されているかわかりませんのでこうして写真に収めてきました。
右側に「オスナ」左に「ニコく」。
オスナは押すな?、ニコヽはニコニコですね。
子供の頃に「ニコく」と書いてあるので「にこく」ってなんだろうなんて思ったりしたでしょうね。

今は懐かしい故郷を偲ぶ思い出の品です。卒業生にとっては懐かしい思い出だと思います。
出来るだけこれからも大切に残して「残されし物」を「残せし物」として保存していってほしいものです。
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ここは奈良時代には常陸国の国衙が置かれ、そののち南北朝時代の正平年間(1346~51)に吉田大掾詮国(だいじょうあきくに)が難攻不落とも言われた府中城を築いて1590年に佐竹氏に滅ぼされるまで大掾氏の居城があった場所です。
小学校の敷地内には市の民俗資料館のほか、今修理移転中の陣屋門や国府跡の碑などが置かれています。
城跡を偲ぶ土塁跡などが特に目を引くものがあります。
小学校は市民会館が建てられる前までは陣屋門をくぐっておおきな高台(土塁跡)のケヤキの木「常陸のみやこ 一千有余年之地」を横に見て登校していたのでしょう。
この「常陸のみやこ 一千有余年之地」の碑の場所には戦時中まで教育勅語や天皇陛下のお写真などを納めた「奉安殿」という石蔵?が置かれ、一礼をして登下校していたものと思います。
そしてその頃は都会からたくさんの疎開の子供たちがいて、学校は今の何倍にも膨れていたと言います。

さて、その頃から戦後しばらくの間中庭(?)に置かれていた二宮尊徳像がいま校庭の片隅の大きな木の下に置かれています。
学校の中庭には「なかよし」という男女の子供の像が置かれています。(昭和50年?卒業記念品)

もう一つ昔のままに取り残されたコンクリート製のすべり台が残っています。
何時まで残されているかわかりませんのでこうして写真に収めてきました。
右側に「オスナ」左に「ニコく」。
オスナは押すな?、ニコヽはニコニコですね。
子供の頃に「ニコく」と書いてあるので「にこく」ってなんだろうなんて思ったりしたでしょうね。

今は懐かしい故郷を偲ぶ思い出の品です。卒業生にとっては懐かしい思い出だと思います。
出来るだけこれからも大切に残して「残されし物」を「残せし物」として保存していってほしいものです。


献穀田
常陸国総社宮の相撲の土俵のすぐ近くに目立たない石碑が置かれている。
「おみたらし道」への入り口近くでもある。
今まで何度も来ているがあることに気がつかなかった。

「皇太子殿下御誕生記念 常陸国総社宮献穀田」と書かれているようです。

裏を見ると「昭和九年七月三十日」とあります。
今の天皇陛下が生まれたのは昭和八年十二月二十三日ですから、これを記念して翌年に造られたものと考えられます。
献穀田(けんこくでん)というのは秋に行われる新嘗祭(にいなめさい)に備えるための米をつくっている田のことだそうです。

この総社宮に関する記事を調べてみると、八郷の片野地区に現在「献穀田」があり、田植えの行事なども行っているようです。
しかし、昔は宮下にある現在国府中学校がある場所にこの「献穀田」があり、神事も行われていたようです。
この場所の田が使えなくなった時にこの石碑を境内に移して残したのだそうです。
その国府中学校も統合され廃校となるとのうわさが飛び交っていますが、時期はまだ明確ではなく検討段階のようです。
全国の小中学校の統廃合が急速に進んでいます。
国府中は学校の沿革を見ると、昭和52年に建設が承認され、昭和57年に用地買収、昭和57年に建設開始。
昭和59年に開校という比較的新しい学校です。
耐震基準の法律の施行が昭和56年ですから、この基準後と考えられます。
建て物は古そうに見えますが塗装し修理すればまだまだ使えそうな建物です。
石岡も1960年代に多くの学校が統廃合されました。
しかし、2012年に適正配置の調査が全国規模で行われ、これからもまだ計画が続いていくようです。
詳細はわかりませんが、詳しく知りたい方はご自分でお調べくださいね。
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「おみたらし道」への入り口近くでもある。
今まで何度も来ているがあることに気がつかなかった。

「皇太子殿下御誕生記念 常陸国総社宮献穀田」と書かれているようです。

裏を見ると「昭和九年七月三十日」とあります。
今の天皇陛下が生まれたのは昭和八年十二月二十三日ですから、これを記念して翌年に造られたものと考えられます。
献穀田(けんこくでん)というのは秋に行われる新嘗祭(にいなめさい)に備えるための米をつくっている田のことだそうです。

この総社宮に関する記事を調べてみると、八郷の片野地区に現在「献穀田」があり、田植えの行事なども行っているようです。
しかし、昔は宮下にある現在国府中学校がある場所にこの「献穀田」があり、神事も行われていたようです。
この場所の田が使えなくなった時にこの石碑を境内に移して残したのだそうです。
その国府中学校も統合され廃校となるとのうわさが飛び交っていますが、時期はまだ明確ではなく検討段階のようです。
全国の小中学校の統廃合が急速に進んでいます。
国府中は学校の沿革を見ると、昭和52年に建設が承認され、昭和57年に用地買収、昭和57年に建設開始。
昭和59年に開校という比較的新しい学校です。
耐震基準の法律の施行が昭和56年ですから、この基準後と考えられます。
建て物は古そうに見えますが塗装し修理すればまだまだ使えそうな建物です。
石岡も1960年代に多くの学校が統廃合されました。
しかし、2012年に適正配置の調査が全国規模で行われ、これからもまだ計画が続いていくようです。
詳細はわかりませんが、詳しく知りたい方はご自分でお調べくださいね。


夏まつり
今何処でも夏の盆踊り大会が行われています。
昔からの「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭りだ」といった行事とは別に「広場で盆踊り」が行われているところが多くなったように思います。
石岡も昨日図書館前のイベント広場で「市民盆踊り大会」が行われました。
私は、もう子供も家にいませんし盆踊りに行くこともありませんが夜になりにぎやかな音が聞こえてきました。

土曜日の早朝に準備されていた盆踊りのやぐらと筑波山を一緒に写真を撮りました。
やはりこの色合いはどこか郷愁を感じますね。浴衣姿で団扇でも手にして・・・・。
今日もこちらは晴れて暑さも異常ですが、四国などでは記録的大雨だとか。
そこにもう一つ台風が向かっています。気になります。
やはり気候変動は激しくなっているようです。
集団的自衛権の閣議決定からそれ程日が経っていませんが、もう何か押せ押せ・・・・
いつか来た道どうにも気持ちが落ち着きません。
政治の無能や汚職などのいらだちとは全く違うどうにも気分が悪くなる嫌悪感に襲われます。
ジワリジワリ既成事実がつくられ、ハードルが一つ一つ低くなっていく。
最近政治家の顔を見るのも嫌になってきた。抑止力がますのだと・・・。
抑止力など軍備を増強しても際限が無く何の効果もない。
かえって憎しみが増大して危険が増すことを過去の歴史が証明しています。
先ほど暑さも少しピークを過ぎて外に出ました。
上空をいっぱいになって大きな龍が泳いでいました。
白い半分の月も優しく頭の上で微笑んでいました。
おいおい少しで良いから涼しくしておくれ! ひと雨ほしいですね。
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昔からの「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭りだ」といった行事とは別に「広場で盆踊り」が行われているところが多くなったように思います。
石岡も昨日図書館前のイベント広場で「市民盆踊り大会」が行われました。
私は、もう子供も家にいませんし盆踊りに行くこともありませんが夜になりにぎやかな音が聞こえてきました。

土曜日の早朝に準備されていた盆踊りのやぐらと筑波山を一緒に写真を撮りました。
やはりこの色合いはどこか郷愁を感じますね。浴衣姿で団扇でも手にして・・・・。
今日もこちらは晴れて暑さも異常ですが、四国などでは記録的大雨だとか。
そこにもう一つ台風が向かっています。気になります。
やはり気候変動は激しくなっているようです。
集団的自衛権の閣議決定からそれ程日が経っていませんが、もう何か押せ押せ・・・・
いつか来た道どうにも気持ちが落ち着きません。
政治の無能や汚職などのいらだちとは全く違うどうにも気分が悪くなる嫌悪感に襲われます。
ジワリジワリ既成事実がつくられ、ハードルが一つ一つ低くなっていく。
最近政治家の顔を見るのも嫌になってきた。抑止力がますのだと・・・。
抑止力など軍備を増強しても際限が無く何の効果もない。
かえって憎しみが増大して危険が増すことを過去の歴史が証明しています。
先ほど暑さも少しピークを過ぎて外に出ました。
上空をいっぱいになって大きな龍が泳いでいました。
白い半分の月も優しく頭の上で微笑んでいました。
おいおい少しで良いから涼しくしておくれ! ひと雨ほしいですね。


田んぼアート(小町)
土浦市の筑波山側にある小町の里は小野小町伝説がある場所だが、先日立寄ったら田んぼアートが造られていた。
規模は小さいが色々模索しているのですね。
参考までに紹介しておきます。

少し高い展望台が組まれていたが、もう少し高い方が良く見えそうです。

詳細はこんな感じだと。
4品種で色分けしています。読みたい人はクリックして見て下さい。
毎日暑い日が続いています。ブログも短い記事で繋いで行きます。
もうすぐこのブログも4年になります。 さあもう一息!
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規模は小さいが色々模索しているのですね。
参考までに紹介しておきます。

少し高い展望台が組まれていたが、もう少し高い方が良く見えそうです。

詳細はこんな感じだと。
4品種で色分けしています。読みたい人はクリックして見て下さい。
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もうすぐこのブログも4年になります。 さあもう一息!


竜の子ゴブリン
つくば市北条を襲った竜巻は2年前の5月。
損壊家屋も1000軒を超え大きな被害を受けたが、見た目は復興し、一部は家を壊した空き地も目立っている。
今では近くで竜巻の予報が出てもまだビクビクするという。
この地は石岡の大掾氏(だいじょうし)に鎌倉時代まで続いた多気大掾氏の居城があった場所であり縁が深い。
このため何とか石岡とも交流を持ちたいと「風の会」の会報を町の観光施設としている田村家(旧呉服屋さん)に置かせていただいている。
ここを開けるのは土日にのみだが、そこしでもつながりが持てれば嬉しい限りだ。

竜巻の被害ででたガレキのかけらで作った「竜の子ゴブリン」を団地に組み立て、今はこの田村家に飾られています。

あまり暑かったので名物「北条米スクリーム」(300円)をお店で頂きました。
お米がはいっているのでモチモチした触感でコクがあります。今年は抹茶味も追加されました(350円)
先日地元の神社の祇園祭りは終わりましたが、8月7日に多気太郎の命日と言うことで万灯会が行われます。
また復興記念の夏祭り(盆踊り)が8月17日(日)に行われます。
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損壊家屋も1000軒を超え大きな被害を受けたが、見た目は復興し、一部は家を壊した空き地も目立っている。
今では近くで竜巻の予報が出てもまだビクビクするという。
この地は石岡の大掾氏(だいじょうし)に鎌倉時代まで続いた多気大掾氏の居城があった場所であり縁が深い。
このため何とか石岡とも交流を持ちたいと「風の会」の会報を町の観光施設としている田村家(旧呉服屋さん)に置かせていただいている。
ここを開けるのは土日にのみだが、そこしでもつながりが持てれば嬉しい限りだ。

竜巻の被害ででたガレキのかけらで作った「竜の子ゴブリン」を団地に組み立て、今はこの田村家に飾られています。

あまり暑かったので名物「北条米スクリーム」(300円)をお店で頂きました。
お米がはいっているのでモチモチした触感でコクがあります。今年は抹茶味も追加されました(350円)
先日地元の神社の祇園祭りは終わりましたが、8月7日に多気太郎の命日と言うことで万灯会が行われます。
また復興記念の夏祭り(盆踊り)が8月17日(日)に行われます。


飯岡灯台(刑部岬)
銚子市から旭市に入ってすぐこの飯岡灯台があります。
前回一度の行った時は風が強くあまり天気も良くありませんでしたが、梅雨が明けてからまた行った時は青空もきれいでした。(7月25日撮影)
(写真は全てクリックすると大きくなります。)

写真をクリックして360度の景色をお楽しみください。
先の方の海岸線が九十九里浜です。この飯岡が北端です。
九十九里も砂浜が大分少なくなってきて遠浅でもない所が増え、海水浴場がかなり閉鎖になりました。


九十九里と反対側は銚子の屏風岩に連なっていますが、こちらの浸食を止めるための防波堤工事をしてから九十九里浜はどんどん砂が少なくなっていっているようです。



飯岡港です。東日本大震災の時にはこの港は津波で覆われました。


これが飯岡灯台です。
この展望台の方が大きくて高いので灯台と言ってもどこかかわいらしいです。



こんなに毎日暑いとどこかに出かけて写真など撮る元気がないです。
明日も銚子に出かけますが、どこかで美味しいものでも食べて涼しいところでのんびりしたいです。
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前回一度の行った時は風が強くあまり天気も良くありませんでしたが、梅雨が明けてからまた行った時は青空もきれいでした。(7月25日撮影)
(写真は全てクリックすると大きくなります。)

写真をクリックして360度の景色をお楽しみください。
先の方の海岸線が九十九里浜です。この飯岡が北端です。
九十九里も砂浜が大分少なくなってきて遠浅でもない所が増え、海水浴場がかなり閉鎖になりました。


九十九里と反対側は銚子の屏風岩に連なっていますが、こちらの浸食を止めるための防波堤工事をしてから九十九里浜はどんどん砂が少なくなっていっているようです。



飯岡港です。東日本大震災の時にはこの港は津波で覆われました。


これが飯岡灯台です。
この展望台の方が大きくて高いので灯台と言ってもどこかかわいらしいです。



こんなに毎日暑いとどこかに出かけて写真など撮る元気がないです。
明日も銚子に出かけますが、どこかで美味しいものでも食べて涼しいところでのんびりしたいです。


鳩レース
最近始めた早朝の街中散歩で見かけた「茨城南部競翔連合会」の看板。
競翔って何?

ここは国道355号から市民会館方向に少し入ったところ。

鳥獣店は? 今はここではやっていないようですが、場所を少し郊外に移して営業しているようだ。
でも昔の看板なのでこの競翔連合会は昔の話ではと思って調べたら、これは伝書鳩のレースの協会のようだ。
今でも各地で盛んに行われており世界大会もあるようだ。

調べたら八郷の片野地区に「八郷国際委託鳩舎」という場所が載っていたので見に行って来た。

片野地区は風土記の丘から鬼越峠を越えた場所にある昔太田三楽斉の居城があった場所だ。

泰寧寺野前に広がる田に丁度筑波山と反対側の山に背を向けるように鳩舎が建っていた。

ここで鳩の訓練をやるようだ。
国際と名前のつく訓練鳩舎はここと「伊賀」の2か所のみ。
訓練は10kmから100km程度で行うようだが、国際レースは200km~900kmとすごい距離で行われている。
鳩を放って到着する時間を競う。
こんな競技があるのですね。
結構茨城も千葉県も熱心なようです。

訓練鳩舎の前は一面の田と向こうに筑波山が見える場所です。
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競翔って何?

ここは国道355号から市民会館方向に少し入ったところ。

鳥獣店は? 今はここではやっていないようですが、場所を少し郊外に移して営業しているようだ。
でも昔の看板なのでこの競翔連合会は昔の話ではと思って調べたら、これは伝書鳩のレースの協会のようだ。
今でも各地で盛んに行われており世界大会もあるようだ。

調べたら八郷の片野地区に「八郷国際委託鳩舎」という場所が載っていたので見に行って来た。

片野地区は風土記の丘から鬼越峠を越えた場所にある昔太田三楽斉の居城があった場所だ。

泰寧寺野前に広がる田に丁度筑波山と反対側の山に背を向けるように鳩舎が建っていた。

ここで鳩の訓練をやるようだ。
国際と名前のつく訓練鳩舎はここと「伊賀」の2か所のみ。
訓練は10kmから100km程度で行うようだが、国際レースは200km~900kmとすごい距離で行われている。
鳩を放って到着する時間を競う。
こんな競技があるのですね。
結構茨城も千葉県も熱心なようです。

訓練鳩舎の前は一面の田と向こうに筑波山が見える場所です。


早朝(あさ)は癒しの時間(とき)
稲も大分たわわになってきました。
カラスもスズメも結構集まっています。
いろいろなカカシ(案山子)がありますね。



柏原池の水鳥たちも最近は早起きのようです。
池の周りには「アベリア」の花が植えられていますが、この匂いが強くて早朝のすがすがしさも相殺されてしまいます。
しかし、長いこと花をつけ、虫を呼び寄せる匂いも好きな人もいそうです。

鴨さんたちも少し前まではじっとしていたのに今では餌を求めて木の下を一所懸命につついています。
日毎に人が近づいても平気になっていきます。

これも夏の少しの期間なのでしょう。
まだまだ始めたばかりの早朝散歩ですが、これからの変化も見て行きましょう。
もうすぐブログを始めて4年になります。
来週から5年目に突入です。
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カラスもスズメも結構集まっています。
いろいろなカカシ(案山子)がありますね。



柏原池の水鳥たちも最近は早起きのようです。
池の周りには「アベリア」の花が植えられていますが、この匂いが強くて早朝のすがすがしさも相殺されてしまいます。
しかし、長いこと花をつけ、虫を呼び寄せる匂いも好きな人もいそうです。

鴨さんたちも少し前まではじっとしていたのに今では餌を求めて木の下を一所懸命につついています。
日毎に人が近づいても平気になっていきます。

これも夏の少しの期間なのでしょう。
まだまだ始めたばかりの早朝散歩ですが、これからの変化も見て行きましょう。
もうすぐブログを始めて4年になります。
来週から5年目に突入です。


セレモニーホールだらけ。これも時代の流れか。
最近職場でも同僚の親などが亡くなり葬儀の知らせなどをいただく機会も増えたが、そのほとんどが葬儀を家族親類のみで行うので「香典等はご遠慮申し上げます。」と連絡があります。
一昔前までは会社関係も誰かが遠くても出かけるとかしていたのですが、まさに様変わりです。
さて、私の家の近くに新しいセレモニーホールができました。
昨年その少し先に一つでき、その前も一つできたので距離にして1km程の間にこのセレモニーホールなどの施設が3つもできてしまいました。

つい最近できたばかりの「さがみ典礼」ホール。 石岡駅の先の6号国道沿いにもう一つありますので2件目です。

こちらは昨年?オープンした農協(JA)が運営するホールです。
JAのホールはもう少し先に行った柿岡の手前にもあります。

こちらは355線バイパスとの交差点(鹿の子)脇にあったレンタルビデオ屋さんが営業止めてしばらく空家になっていたのですが、新しく出来たのはこのセレモニーホールです。

石岡の斎場は今まで街中の繁華街のジャスコ(現イーオン)の裏手にあったのですが、風土記の丘公園の向かい側を少し入ったところに新しく出来ました。
早朝に散歩ついでに見に行ってきましたが門は閉まっていました。
この斎場の影響で通りにいくつもホールができるのかもしれませんが、年をとってくると考えさせられます。
皆さんの周りはどうですか? 同じような現象が起きていますか?
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一昔前までは会社関係も誰かが遠くても出かけるとかしていたのですが、まさに様変わりです。
さて、私の家の近くに新しいセレモニーホールができました。
昨年その少し先に一つでき、その前も一つできたので距離にして1km程の間にこのセレモニーホールなどの施設が3つもできてしまいました。

つい最近できたばかりの「さがみ典礼」ホール。 石岡駅の先の6号国道沿いにもう一つありますので2件目です。

こちらは昨年?オープンした農協(JA)が運営するホールです。
JAのホールはもう少し先に行った柿岡の手前にもあります。

こちらは355線バイパスとの交差点(鹿の子)脇にあったレンタルビデオ屋さんが営業止めてしばらく空家になっていたのですが、新しく出来たのはこのセレモニーホールです。

石岡の斎場は今まで街中の繁華街のジャスコ(現イーオン)の裏手にあったのですが、風土記の丘公園の向かい側を少し入ったところに新しく出来ました。
早朝に散歩ついでに見に行ってきましたが門は閉まっていました。
この斎場の影響で通りにいくつもホールができるのかもしれませんが、年をとってくると考えさせられます。
皆さんの周りはどうですか? 同じような現象が起きていますか?


ブログ4年目も無事終了
先日銚子に行く前に稲敷方面の探索しておきたいところがあり、高速で稲敷インターまで行きました。
ここは圏央道といってこの「稲敷」で行き止まりでしたが、今春この先の一部が開通になりました。
この先「稲敷東」「神崎(こうざき)」まで伸び、いよいよ利根川を渡って千葉県に突入しました。
先の方ではアクアラインから九十九里の「横芝光町」まで完成していますのでこれがつながれば便利になります。

稲敷のインターすぐ手前に「江戸崎PA」ができていましたので少し休憩に立寄りました。
でもあるのはトイレと自動販売機のみです。
そのうちにまた何かできるのかもしれません。
それにしても高速料金(千代田石岡-稲敷間 平日1420円)が高くなったのには驚きです。
(日曜日ならETCで990円だそうです)
割引制度が終りになったと言うのですが、7月からのUP感は異常な感じがします。
ガソリン代も上がって、エコ運転に徹して節約し何とかやりくりしても、やはり高速は遠慮したくなります。
でも時間が無い時は一般道では時間がかかり過ぎなので時間を買うことになります。
思ったより500円位赤字になってしまいましたので、美味しいランチはお預けとしました。
この日は中華のセットランチ(850円+税)としました。これも美味しかったですが・・・。

帰りは利根川と常陸利根川の中間の中州道路を走ります。
夕日に向かっていくのでまぶしいのですが、この日は雲があり夕焼けが見れると思ったのですが、あまり焼けず、地平線より前で雲に隠れてしまいました。
車はこの土手の道は走れませんので、右下の道路を走ります。
この土手道はサイクリングにはよさそうです。

ふり返って今来た道を。ここは利根川にかかる「利根川大橋」
橋の所に水門が設置されています。
先日の梅雨の間はこの水門が開けられているのを何度も見ましたが、また閉まっています。
橋を渡ったところの右手に「大利根河原の決闘」の天保水滸伝の石碑が置かれています。

この左手側は常陸利根川でこの川は霞ヶ浦と繋がっています。
霞ヶ浦に流れ込んだ水は皆ここから利根川に注ぎ銚子で外洋に流れて行きます。
この橋を渡ったところは茨城県の神栖市になります。
夕方の退社時間はこの川沿いが混雑しないので便利です。
このブログも何がテーマかわからなくなりつつありますが、プチ歴史的なお話もまた続けて行きたいと思います。
今日でブログ開設後まる4年が経過しました(4年前の最初の記事もこの場所の記事でした)。
明日から5年目となります。
「別冊まほらの風に吹かれて」なども書きはじめてしまい、更に忙しくなってしまいました。
書いていれば元気な証拠であり、海外にいる子供たちも安心するでしょう。
スコットランドがイギリスから独立するかどうかの国民投票があります(9月18日)。
今のままで独立などしない方がいいと私は思います。
遠くから見ていると、違った文化を持つ地域だとわかりますが、独立などしても良いことはないでしょう。
うまくUK(United Kingdom)としてまとまっていってほしいと思います。
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ここは圏央道といってこの「稲敷」で行き止まりでしたが、今春この先の一部が開通になりました。
この先「稲敷東」「神崎(こうざき)」まで伸び、いよいよ利根川を渡って千葉県に突入しました。
先の方ではアクアラインから九十九里の「横芝光町」まで完成していますのでこれがつながれば便利になります。

稲敷のインターすぐ手前に「江戸崎PA」ができていましたので少し休憩に立寄りました。
でもあるのはトイレと自動販売機のみです。
そのうちにまた何かできるのかもしれません。
それにしても高速料金(千代田石岡-稲敷間 平日1420円)が高くなったのには驚きです。
(日曜日ならETCで990円だそうです)
割引制度が終りになったと言うのですが、7月からのUP感は異常な感じがします。
ガソリン代も上がって、エコ運転に徹して節約し何とかやりくりしても、やはり高速は遠慮したくなります。
でも時間が無い時は一般道では時間がかかり過ぎなので時間を買うことになります。
思ったより500円位赤字になってしまいましたので、美味しいランチはお預けとしました。
この日は中華のセットランチ(850円+税)としました。これも美味しかったですが・・・。

帰りは利根川と常陸利根川の中間の中州道路を走ります。
夕日に向かっていくのでまぶしいのですが、この日は雲があり夕焼けが見れると思ったのですが、あまり焼けず、地平線より前で雲に隠れてしまいました。
車はこの土手の道は走れませんので、右下の道路を走ります。
この土手道はサイクリングにはよさそうです。

ふり返って今来た道を。ここは利根川にかかる「利根川大橋」
橋の所に水門が設置されています。
先日の梅雨の間はこの水門が開けられているのを何度も見ましたが、また閉まっています。
橋を渡ったところの右手に「大利根河原の決闘」の天保水滸伝の石碑が置かれています。

この左手側は常陸利根川でこの川は霞ヶ浦と繋がっています。
霞ヶ浦に流れ込んだ水は皆ここから利根川に注ぎ銚子で外洋に流れて行きます。
この橋を渡ったところは茨城県の神栖市になります。
夕方の退社時間はこの川沿いが混雑しないので便利です。
このブログも何がテーマかわからなくなりつつありますが、プチ歴史的なお話もまた続けて行きたいと思います。
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明日から5年目となります。
「別冊まほらの風に吹かれて」なども書きはじめてしまい、更に忙しくなってしまいました。
書いていれば元気な証拠であり、海外にいる子供たちも安心するでしょう。
スコットランドがイギリスから独立するかどうかの国民投票があります(9月18日)。
今のままで独立などしない方がいいと私は思います。
遠くから見ていると、違った文化を持つ地域だとわかりますが、独立などしても良いことはないでしょう。
うまくUK(United Kingdom)としてまとまっていってほしいと思います。

