麻生港と観音様
今日も霞ケ浦の湊「麻生港」とその周辺の紹介です。
麻生港にはコンクリで囲まれた船溜り(たまり)があります。
何艘かの釣り舟が停留されています。
ここ麻生では玉造とともに「観光帆引き船」が運行されるようです。
9月から12月初めまでの土日のみの運行とか・・・
(昨年の案内は→こちら)
このワカサギ漁も漁獲量がだいぶ減り、平成18年からワカサギ資源回復計画が始まり大分増えてきているといいます。
でも昭和40年頃は霞ケ浦でワカサギの漁獲量は年に2500トンもあったそうです。
今は1/10~1/20くらいでしょうか。

少し近くを散策して見ました。 すると神社がありました。


新川観音:医王山蓮城院の別院であるこの最勝院は、享保2年(1717)に創建、始め新川の河口に建立されたので「新川の観音様」の名称がある。安永8年(1779)に類焼したが、ただちに再建された。昭和4年の麻生港船溜り掘削によって現在地に移転された。航行安全、子授け、育児に霊験あらたかをもって知られ、1月10日の取子安全大護摩修業は現在でも多数の参詣者で賑わっている。(現地看板より)

お堂の中には真中の厨子には多分新川千手観音が納められているようです。
左右にはたくさんの観音さんが納められています。
百観音信仰などのものでしょうか?

神社の裏手には「熊野権現」が祀られていました。
少し霞ケ浦の漁業の歴史を見て見たいと思います。
大昔は別にして江戸時代になる頃には霞ケ浦に48津といわれる数の湊(津)がありました。
北浦にも44津があり、それぞれ組合のような組織ができ共同運営がされていました。
しかし江戸時代になり水戸藩がこの漁場を何とか自分たちの利にしたいと考えたのが御留川(おとめがわ)制度です。
この麻生と向こう岸の浮島辺りも御留川にしようとも考えたようです。
実際に御留川と制定されたのは高浜入りの狭くなった入り口部分の玉里と井関の間です(1625年)。
両岸を水戸藩が支配し、その間の湖も川と同じようにみなしてここで採れる魚介類jはすべて水戸藩に運ばれました。
この制度には他の霞ケ浦の漁師たちは反対したようです。
そして漁獲量や漁業期間の協定を結んで霞ケ浦の資源確保を図っていたといいます。
しかし、それも大徳網など発達で大きな網元が非常に大きな力を持って漁師たちを束ねて使うようになってきたようです。
この麻生と浮島の間はあまりにも広くて離れていますので御留川とするには影響も大きく無理もあったのでしょう。
こちらには御留川とはならなかったようですが、北浦の方は大分具体化された時期もあったようです。
きっとこのあたりにも大きな網元がいたのでしょうね。
玉里の御留川が発達したので水戸藩の江戸までの水運ルートも小川の方から運んだルートも発達したものと思います。
そうでなければ涸沼から鉾田経由で北浦を通って霞ケ浦~利根川の方が近いです。
まあ色々なことを考えて見ないといけませんね。
麻生港にはコンクリで囲まれた船溜り(たまり)があります。
何艘かの釣り舟が停留されています。
ここ麻生では玉造とともに「観光帆引き船」が運行されるようです。
9月から12月初めまでの土日のみの運行とか・・・
(昨年の案内は→こちら)
このワカサギ漁も漁獲量がだいぶ減り、平成18年からワカサギ資源回復計画が始まり大分増えてきているといいます。
でも昭和40年頃は霞ケ浦でワカサギの漁獲量は年に2500トンもあったそうです。
今は1/10~1/20くらいでしょうか。

少し近くを散策して見ました。 すると神社がありました。


新川観音:医王山蓮城院の別院であるこの最勝院は、享保2年(1717)に創建、始め新川の河口に建立されたので「新川の観音様」の名称がある。安永8年(1779)に類焼したが、ただちに再建された。昭和4年の麻生港船溜り掘削によって現在地に移転された。航行安全、子授け、育児に霊験あらたかをもって知られ、1月10日の取子安全大護摩修業は現在でも多数の参詣者で賑わっている。(現地看板より)

お堂の中には真中の厨子には多分新川千手観音が納められているようです。
左右にはたくさんの観音さんが納められています。
百観音信仰などのものでしょうか?

神社の裏手には「熊野権現」が祀られていました。
少し霞ケ浦の漁業の歴史を見て見たいと思います。
大昔は別にして江戸時代になる頃には霞ケ浦に48津といわれる数の湊(津)がありました。
北浦にも44津があり、それぞれ組合のような組織ができ共同運営がされていました。
しかし江戸時代になり水戸藩がこの漁場を何とか自分たちの利にしたいと考えたのが御留川(おとめがわ)制度です。
この麻生と向こう岸の浮島辺りも御留川にしようとも考えたようです。
実際に御留川と制定されたのは高浜入りの狭くなった入り口部分の玉里と井関の間です(1625年)。
両岸を水戸藩が支配し、その間の湖も川と同じようにみなしてここで採れる魚介類jはすべて水戸藩に運ばれました。
この制度には他の霞ケ浦の漁師たちは反対したようです。
そして漁獲量や漁業期間の協定を結んで霞ケ浦の資源確保を図っていたといいます。
しかし、それも大徳網など発達で大きな網元が非常に大きな力を持って漁師たちを束ねて使うようになってきたようです。
この麻生と浮島の間はあまりにも広くて離れていますので御留川とするには影響も大きく無理もあったのでしょう。
こちらには御留川とはならなかったようですが、北浦の方は大分具体化された時期もあったようです。
きっとこのあたりにも大きな網元がいたのでしょうね。
玉里の御留川が発達したので水戸藩の江戸までの水運ルートも小川の方から運んだルートも発達したものと思います。
そうでなければ涸沼から鉾田経由で北浦を通って霞ケ浦~利根川の方が近いです。
まあ色々なことを考えて見ないといけませんね。
いつもの春
あっという間に春になりました。
4月になり心もまだ落ち着かないし、少し疲れも出てペースはまだつかめていません。
でも朝から夕方まで少し仕事をして頭を使い、夕方4時過ぎに常陸風土記の丘に桜を見に行ってきました。

しだれ桜のトンネルは満開まではもう少しでしたが、この週末はかなりきれいになりそうです。

4~5分咲きくらいでしょうか?


まだつぼみも多くありましたので満開になればいつものしだれ桜のトンネルができます。

週末から来週初めにかけて見ごろになりそうです。是非お出かけください。
4月になり心もまだ落ち着かないし、少し疲れも出てペースはまだつかめていません。
でも朝から夕方まで少し仕事をして頭を使い、夕方4時過ぎに常陸風土記の丘に桜を見に行ってきました。

しだれ桜のトンネルは満開まではもう少しでしたが、この週末はかなりきれいになりそうです。

4~5分咲きくらいでしょうか?


まだつぼみも多くありましたので満開になればいつものしだれ桜のトンネルができます。

週末から来週初めにかけて見ごろになりそうです。是非お出かけください。
常陸風土記の丘
今日は風が強く桜が満開のところでは散り始めたかもしれません。
でもこの地ではまだ満開までもう少しあります。
ソメイヨシノはこの週末がピークになるかもしれません。
来週火曜日以降はまた寒くなる予報でしたので来週末でもまだ大丈夫かもしれません。
ブログはネタも少し切れてきましたので桜の写真で少しつなぎます。
昨日と同じく昨日行った常陸風土記の丘の桜です。
昨日はピンクのしだれ桜でしたが、今日は白いソメイヨシノです。



でもこの地ではまだ満開までもう少しあります。
ソメイヨシノはこの週末がピークになるかもしれません。
来週火曜日以降はまた寒くなる予報でしたので来週末でもまだ大丈夫かもしれません。
ブログはネタも少し切れてきましたので桜の写真で少しつなぎます。
昨日と同じく昨日行った常陸風土記の丘の桜です。
昨日はピンクのしだれ桜でしたが、今日は白いソメイヨシノです。



桜を追いかけて(1)
今日は「ふるさと風の会」の会報印刷を昼までやって、午後何時も置いていただいている場所を車で回りました。
もうどこも桜が満開でした。
一部散り始めたところも僅かですがありましたので来週末まで持つかどうか・・・・。
今年は咲きだしてから満開になるのが早いです。
来週また寒くなるようなので何とかもう少し楽しませてもらいたいものです。
それ程桜に愛着があったわけでもないのですが、あわてて散ってしまうのはやはり寂しい気がします。
人生の変わり目などもあり人それぞれ想いが異なっていてもほとんどの人が同じような想いではないかと思います。
今日回ってきたところを数回に分けて載せます。
まず石岡の桜の名所になってきた柏原池公園です。

もうほぼ満開です。
今日は少し寒かったのでお花見客も少ないようです。


まだ満開には時間があると思っていましたが今日明日がピークかもしれません。

今日の昼は瓦会にある「まんまや」さんでお蕎麦をいただきました。
お店では明日クラリネットジャズ+ボーカルの音楽コンサートが夕方開かれるそうです。
4人のグループにお客さんが30人ほど集まるそうです。満席なので一部お断りするほどだとか。
コーヒーに蕎麦がついて2500円。
それに御主人は地区の集会の弁当も頼まれているので明日はてんてこ舞いだとか・・・。

「まんまや」さんのすぐ前にある日笠神社の桜もきれいです。
この右手側に「茨城黄色種創始記念碑」と書かれた石碑があります。(前の記事→こちら)
この瓦会地区は江戸時代は牛久藩の飛び地だったそうです。
そしてこの近くに殿様の泊まる立派な陣屋(本陣?)のような家があったそうですが、その家は筑波山に建てたレストラン「ひたち野」の建物に移築されて利用されたそうです。
初めて聞きました。
もうどこも桜が満開でした。
一部散り始めたところも僅かですがありましたので来週末まで持つかどうか・・・・。
今年は咲きだしてから満開になるのが早いです。
来週また寒くなるようなので何とかもう少し楽しませてもらいたいものです。
それ程桜に愛着があったわけでもないのですが、あわてて散ってしまうのはやはり寂しい気がします。
人生の変わり目などもあり人それぞれ想いが異なっていてもほとんどの人が同じような想いではないかと思います。
今日回ってきたところを数回に分けて載せます。
まず石岡の桜の名所になってきた柏原池公園です。

もうほぼ満開です。
今日は少し寒かったのでお花見客も少ないようです。


まだ満開には時間があると思っていましたが今日明日がピークかもしれません。

今日の昼は瓦会にある「まんまや」さんでお蕎麦をいただきました。
お店では明日クラリネットジャズ+ボーカルの音楽コンサートが夕方開かれるそうです。
4人のグループにお客さんが30人ほど集まるそうです。満席なので一部お断りするほどだとか。
コーヒーに蕎麦がついて2500円。
それに御主人は地区の集会の弁当も頼まれているので明日はてんてこ舞いだとか・・・。

「まんまや」さんのすぐ前にある日笠神社の桜もきれいです。
この右手側に「茨城黄色種創始記念碑」と書かれた石碑があります。(前の記事→こちら)
この瓦会地区は江戸時代は牛久藩の飛び地だったそうです。
そしてこの近くに殿様の泊まる立派な陣屋(本陣?)のような家があったそうですが、その家は筑波山に建てたレストラン「ひたち野」の建物に移築されて利用されたそうです。
初めて聞きました。
桜を追いかけて(2)
今日は東京に行っていました。
大学の時の研究室の仲間との飲み会でした。
こちらの方はまだ桜も満開なのですが、東京は葉桜で花も大分散ってしまっていました。

東京駅までバスで行きましたので八重洲口に回って日本橋のさくら通りに行ってみました。
今日はこんな「雨もよい」。桜の花も淋しげです。

夕方にこちらにまたバスで戻ってきましたが、桜はまだ健在です。
満開に咲く花はぱっと明るくなります。
昨日の桜を追いかけての続きです。
瓦会から柿岡へ向かいました。ここは昔、瀬戸井街道であったのではないかと書いた道の一部です。
上の写真は柿岡の恋瀬川土手です。丸山荘病院の裏手です。
昔はこのあたりから霞ケ浦まで荷物を船で運んだのでしょうか?

こちらは県立フラワーパークです。 柿岡上宿から曲って真っ直ぐ来るとこのフラワーパークのところでフルーツラインに合流します。
フルーツラインを朝日トンネルに向かい、小町の里に行くのですがその前に辻の交差点を右折して小町花街道を北向き観音に向かいました。
ここの里山風情が大好きなのです。



やはりこのお堂は美しい。 地名は仏生寺といい、裏山が小野越という。
小野小町が山を超えてやってきたとの伝説がある。
そして山の向こう側が土浦市の小町の里だ。

朝日トンネルを通って行った小町の里です。
こちらには人がたくさんいますが、北向観音は誰もいませんでした。
明日にもう少し続きます。
大学の時の研究室の仲間との飲み会でした。
こちらの方はまだ桜も満開なのですが、東京は葉桜で花も大分散ってしまっていました。

東京駅までバスで行きましたので八重洲口に回って日本橋のさくら通りに行ってみました。
今日はこんな「雨もよい」。桜の花も淋しげです。

夕方にこちらにまたバスで戻ってきましたが、桜はまだ健在です。
満開に咲く花はぱっと明るくなります。
昨日の桜を追いかけての続きです。
瓦会から柿岡へ向かいました。ここは昔、瀬戸井街道であったのではないかと書いた道の一部です。
上の写真は柿岡の恋瀬川土手です。丸山荘病院の裏手です。
昔はこのあたりから霞ケ浦まで荷物を船で運んだのでしょうか?

こちらは県立フラワーパークです。 柿岡上宿から曲って真っ直ぐ来るとこのフラワーパークのところでフルーツラインに合流します。
フルーツラインを朝日トンネルに向かい、小町の里に行くのですがその前に辻の交差点を右折して小町花街道を北向き観音に向かいました。
ここの里山風情が大好きなのです。



やはりこのお堂は美しい。 地名は仏生寺といい、裏山が小野越という。
小野小町が山を超えてやってきたとの伝説がある。
そして山の向こう側が土浦市の小町の里だ。

朝日トンネルを通って行った小町の里です。
こちらには人がたくさんいますが、北向観音は誰もいませんでした。
明日にもう少し続きます。
桜を追いかけて(3)
小町の里から北条に向かう途中に頭白上人が母親の供養のために建立したと伝わる大きな五輪塔があります。
ここの桜もきれいです。

頭白上人も謎の多い人物ですが、常陸国では飴買い幽霊の話と佐竹氏がこの頭白上人の生まれ変わりだと称したことで知られています。

頭白上人は殺されて葬られた墓の中で幽霊となった母親が産み夜な夜な飴を買ってきた飴玉で育てられたと伝わります。

こんなところにあるというのも不思議ですが、。とても大きな五輪塔です。
筑波山の砕石場の横にありますが、この辺りでは昔から大きくて立派な石が採れたのでしょう。

ここの桜も毎年見ます。


北条の街の入口をはしる「つくばりんりんロード」。

ここを走っていた鉄道(関東鉄道つくば線)が廃止されてはや28年になります。
そしてこのサイクリングロードができ、沿道に桜が植えられました。
今ではきれいに桜のトンネルがあちこちにできました。

ここの桜もきれいです。

頭白上人も謎の多い人物ですが、常陸国では飴買い幽霊の話と佐竹氏がこの頭白上人の生まれ変わりだと称したことで知られています。

頭白上人は殺されて葬られた墓の中で幽霊となった母親が産み夜な夜な飴を買ってきた飴玉で育てられたと伝わります。

こんなところにあるというのも不思議ですが、。とても大きな五輪塔です。
筑波山の砕石場の横にありますが、この辺りでは昔から大きくて立派な石が採れたのでしょう。

ここの桜も毎年見ます。


北条の街の入口をはしる「つくばりんりんロード」。

ここを走っていた鉄道(関東鉄道つくば線)が廃止されてはや28年になります。
そしてこのサイクリングロードができ、沿道に桜が植えられました。
今ではきれいに桜のトンネルがあちこちにできました。

桜を追いかけて(4)
今日は寒くなりましたね。
桜も週末まで持つかとも思いましたが大分散り始めました。
先週末につくば市北条まで行ったので北条大池の桜を見てきました。
やはり人も多く満開でした。


この池のところから筑波山の尾根に登ると不動峠に出ます。
近くには不動尊が昔はあったようですが今は良くわかりません。
この峠を超えると石岡市で先日紹介した北向観音のある仏生寺に行きます。




この大池の脇には古代の筑波郡の郡衙(ぐんが)(郡の中心地の役所のあった場所)があったとされるため、この昔の施設を再現しています。
平沢官衙と呼ばれています。
筑波山が綺麗に見えます。
桜も週末まで持つかとも思いましたが大分散り始めました。
先週末につくば市北条まで行ったので北条大池の桜を見てきました。
やはり人も多く満開でした。


この池のところから筑波山の尾根に登ると不動峠に出ます。
近くには不動尊が昔はあったようですが今は良くわかりません。
この峠を超えると石岡市で先日紹介した北向観音のある仏生寺に行きます。




この大池の脇には古代の筑波郡の郡衙(ぐんが)(郡の中心地の役所のあった場所)があったとされるため、この昔の施設を再現しています。
平沢官衙と呼ばれています。
筑波山が綺麗に見えます。
甘茶まつり
今日は朝から雨が雪に変わり、そしてみぞれ交じりの雨に変わって一日中寒い日でした。
この前まであんなに暖かくて桜も一気に咲いてしまったのに、これでは花を楽しむゆとりも時間もありません。
今日は常陸国分寺ではお釈迦様の誕生日ですから甘茶花祭りが開かれました。
いつも平日のことが多く、会社に行っている間はなかなか行く余裕もなかったのですが、今年は暇になったし行って見ようと思っていました。
しかし、こんな天気で行く気も失せてしまったのですが、午後から少し時間を作っていってきました。

こんな冷たい雨でしたが結構屋台が出ていました。

桜も少し満開は過ぎていましたがまだ楽しめました。

国分寺の薬師堂を開帳して、その前に2体の小さなお釈迦さまが置かれています。


お釈迦様の像に甘茶をかけます。
無病息災を願います。
腰の曲がったおばあちゃんが一生懸命何回もかけていました。
子供の疳の虫封じにもなそうです。

甘茶は一般に甘茶(ヤマアジサイに似ている)と呼ばれる木の葉っぱを発酵させ煎じたもの?らしいです。


この前まであんなに暖かくて桜も一気に咲いてしまったのに、これでは花を楽しむゆとりも時間もありません。
今日は常陸国分寺ではお釈迦様の誕生日ですから甘茶花祭りが開かれました。
いつも平日のことが多く、会社に行っている間はなかなか行く余裕もなかったのですが、今年は暇になったし行って見ようと思っていました。
しかし、こんな天気で行く気も失せてしまったのですが、午後から少し時間を作っていってきました。

こんな冷たい雨でしたが結構屋台が出ていました。

桜も少し満開は過ぎていましたがまだ楽しめました。

国分寺の薬師堂を開帳して、その前に2体の小さなお釈迦さまが置かれています。


お釈迦様の像に甘茶をかけます。
無病息災を願います。
腰の曲がったおばあちゃんが一生懸命何回もかけていました。
子供の疳の虫封じにもなそうです。

甘茶は一般に甘茶(ヤマアジサイに似ている)と呼ばれる木の葉っぱを発酵させ煎じたもの?らしいです。


桜を追いかけて(5)
昨日の寒さも嘘のように太陽はやはり元気にしてくれますね。
今日の日差しの中を昼前に少し時間があったので最後の桜を見に風土記の丘に行ってきました。
毎日決められた時間に出かける勤めがなくなると、用事や多少の仕事があっても時間が自由になる。
これは結構いいもので、これをうまく考えて楽しめば良いのだろうと思う。
しかし、長い間の習慣で規則正しい時間に出かけていたのがなくなれば、男は多分誰もが寂しさを味わうものではないだろうか?
4月から決まった時間に起きなくても良いのだが、これではまったく曜日の感覚がなくなり何をして良いかわからなくなってしまう。

幸いまだやらなければならない仕事も少しいただいているので、家では能率が落ちるので別な場所にパソコンを置いて、出かけている。
しかし、今日は天気も良いし1時間ほど桜見物としゃれこんだ。
車で出かけると筑波山に雪が積もっているのが見えた。
4月にこんな景色に出会えることもめったにないので恋瀬川から筑波山を写真に撮った。
場所は恋瀬橋よりも2つ上流の粟田橋だ。

ここから風土記方面に向かったが、少し寄り道をした。
染谷の寶持院の入口のピンクの桜がきれいに咲いています。(寺の説明は:前に作ったHP参照)

風土記の丘は先日紹介したしだれ桜ですが満開でした。
しかしここ2~3日の天候不順で少しいつもより寂しい気がしました。

ここを訪れているのはお年寄りばかりでした。
まあ私も含めてこんな平日の昼間に行けるのはお年寄りなのでしょうね。
前を歩いていた老夫婦が「すばらしいね。・・・さんに教えてあげなくちゃ。本当に素晴らしい」などと話していました。

あと年配のカメラを持った人がたくさんいました。
私もその一人なのですが・・・・・・・。
常陸風土記の丘ではこのしだれ桜の後はボタン桜が咲くのですが、こちらはまだつぼみも硬くほとんど咲いていません。

近くの幼稚園児でしょうか。
可愛らしいですね。お花見も楽しそうです。

ちょうど1週間前に同じ場所で写真を撮った。(こちら)
比較すると確かに今が満開のようです。
午後から4時過ぎまで仕事をしていましたが、目もつかれてしまいましたので終了です。
こんな生活は何時まで続くでしょうか。
まだまだペースはつかめません。
気長に構えたいと思います。
今日の日差しの中を昼前に少し時間があったので最後の桜を見に風土記の丘に行ってきました。
毎日決められた時間に出かける勤めがなくなると、用事や多少の仕事があっても時間が自由になる。
これは結構いいもので、これをうまく考えて楽しめば良いのだろうと思う。
しかし、長い間の習慣で規則正しい時間に出かけていたのがなくなれば、男は多分誰もが寂しさを味わうものではないだろうか?
4月から決まった時間に起きなくても良いのだが、これではまったく曜日の感覚がなくなり何をして良いかわからなくなってしまう。

幸いまだやらなければならない仕事も少しいただいているので、家では能率が落ちるので別な場所にパソコンを置いて、出かけている。
しかし、今日は天気も良いし1時間ほど桜見物としゃれこんだ。
車で出かけると筑波山に雪が積もっているのが見えた。
4月にこんな景色に出会えることもめったにないので恋瀬川から筑波山を写真に撮った。
場所は恋瀬橋よりも2つ上流の粟田橋だ。

ここから風土記方面に向かったが、少し寄り道をした。
染谷の寶持院の入口のピンクの桜がきれいに咲いています。(寺の説明は:前に作ったHP参照)

風土記の丘は先日紹介したしだれ桜ですが満開でした。
しかしここ2~3日の天候不順で少しいつもより寂しい気がしました。

ここを訪れているのはお年寄りばかりでした。
まあ私も含めてこんな平日の昼間に行けるのはお年寄りなのでしょうね。
前を歩いていた老夫婦が「すばらしいね。・・・さんに教えてあげなくちゃ。本当に素晴らしい」などと話していました。

あと年配のカメラを持った人がたくさんいました。
私もその一人なのですが・・・・・・・。
常陸風土記の丘ではこのしだれ桜の後はボタン桜が咲くのですが、こちらはまだつぼみも硬くほとんど咲いていません。

近くの幼稚園児でしょうか。
可愛らしいですね。お花見も楽しそうです。

ちょうど1週間前に同じ場所で写真を撮った。(こちら)
比較すると確かに今が満開のようです。
午後から4時過ぎまで仕事をしていましたが、目もつかれてしまいましたので終了です。
こんな生活は何時まで続くでしょうか。
まだまだペースはつかめません。
気長に構えたいと思います。
長勝寺(潮来)
数日前に銚子に行く時に何処か寄り道して桜を見るならどこが良いかと考えた。
そしてこの潮来の古刹「長勝寺」にやってきた。

この寺は潮来が源頼朝と縁が深かった由縁の寺だ。
1185年に源頼朝が創建したと伝わる。
寺の屋根の紋も源氏の笹竜胆だ。

でも何と言っても入口山門から本堂に続く間の桜並木が美しい。
今回も桜が散る時にきてしまった。
ひらひら舞い落ちる桜の花びら。

この楼門も移築したものとはいえ素晴らしい風情を感じる。
制作年代もあまりはっきりしないが室町時代と考えられている。(県指定文化財)

何回か訪れているので駐車場の場所なども比較的スムーズに入ることができたが、最初は結構手間取った。
前川アヤメ園まで行くのも5~600mくらいのはずなので寺の駐車場以外にもすぐ近くに大きな駐車場があるので観光もできるかもしれない。
ただ知らないと入り口がわかりにくいか? 近くの西円寺を目指すと良いかもしれない。



上の写真に駐車場の向こう側にあるのは国の重要文化財に指定されている鐘楼。
この鐘は1330年(元徳2)に北条高時が源頼朝の菩提の為に寄進したもので、鐘銘の作者は、鎌倉円覚寺十六世清拙和尚(大鑑禅師)で、鋳物師は甲斐権守ト部助光だそうだ。
そしてこの潮来の古刹「長勝寺」にやってきた。

この寺は潮来が源頼朝と縁が深かった由縁の寺だ。
1185年に源頼朝が創建したと伝わる。
寺の屋根の紋も源氏の笹竜胆だ。

でも何と言っても入口山門から本堂に続く間の桜並木が美しい。
今回も桜が散る時にきてしまった。
ひらひら舞い落ちる桜の花びら。

この楼門も移築したものとはいえ素晴らしい風情を感じる。
制作年代もあまりはっきりしないが室町時代と考えられている。(県指定文化財)

何回か訪れているので駐車場の場所なども比較的スムーズに入ることができたが、最初は結構手間取った。
前川アヤメ園まで行くのも5~600mくらいのはずなので寺の駐車場以外にもすぐ近くに大きな駐車場があるので観光もできるかもしれない。
ただ知らないと入り口がわかりにくいか? 近くの西円寺を目指すと良いかもしれない。



上の写真に駐車場の向こう側にあるのは国の重要文化財に指定されている鐘楼。
この鐘は1330年(元徳2)に北条高時が源頼朝の菩提の為に寄進したもので、鐘銘の作者は、鎌倉円覚寺十六世清拙和尚(大鑑禅師)で、鋳物師は甲斐権守ト部助光だそうだ。