真浄寺(香取市沢)

 もう数週間前だが香取市沢(旧栗源町)の道の駅(くりもと)や澤の山桜などを紹介しましたが、ここを訪れたのはここに「真浄寺」という古い寺があると聞いてやってきたのでした。

訪れてから3週間くらい経ってしまいましたが、記録ですので載せておきます。

先日紹介した道の駅「くりもと」から山桜の道を通ってすこし行くと寺はありました。

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蓮寿山真浄寺。日蓮宗の寺院である。

しかしこの寺があの唐招提寺を建てた唐僧「鑑真和尚」が開山したとも言われている。

わかっているのは永徳元年(1381)平賀本土寺(松戸市)第9世妙高院日意上人を中興の祖としている。

戦国時代末期の天正18年(1590)矢作城が落城した時にすべて灰になったという。
その後再興された。

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本堂に向かう階段の左右には立派な杉の大木が聳えている。
美和の三浦杉には及ばないが樹齢300年以上のかなり立派なものだ。

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境内は立派なしだれ桜があり、古くから枝垂れ桜の名所として知られ、「房総名勝500選」に選ばれている。

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本堂は元文5年(1740)の建築とされ、江戸中期には末寺24ヶ寺を有していたと言う。

また寺の庫裏も平成に建てなおしているがその前は宝暦8年(1758)の建立だったそうだ。

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朱塗りの渡り廊下を背景に咲く枝垂れ桜の風景が美しいと言う。

本堂は香取市の文化財に指定されている。

香取地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/01 20:56

天狗党の墓(鹿嶋)

 鹿島神宮から潮来側に行く時は昔は大船津から舟で渡っていた。

今は国道51号線が新旧2本の神宮橋があるが、この神宮橋の鹿嶋側のたもと辺りがこの大船津になる。

この近くに「天狗党の墓」と書かれた案内看板があり細い道を山の方に入って行った。

突き当りの山をまくように細い道が続いているが、山側にはたくさんの墓石が並んでいる。

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車を手前で停めて歩いて奥の方に進んでみた。
一般の家の墓だが、近くに寺院は見当たらない。

そのまま100m程進んだ奥に看板らしきものが見えた。

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すぐ近くには一般の墓もなくひっそりとした場所だ。

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ここが「天狗党の墓」であるという。

現地の看板の内容は

「元治元年(1864年)大平組と称する天狗党の一隊800人余りが宮中へ屯集した。
この一隊は、幕府追討軍に追われ鹿島に集まったもので、旅館や寺院などに宿陣したが、川股茂七郎以下80人程を殿軍として、大船津から延方へと渡っていった。
この時川股勢と幕府軍との間に砲戦があり、大船津は兵火に焼かれる。
幕府軍は江戸から府中(石岡市)・玉造・鉾田を経て鹿島へ到着し残党を探索した。
捕縛された23人は下生の石橋外で打ち首にされ、大掾辺田(だいじょうべた)の馬捨て場に埋められた。
明治になり斉藤俊 鹿嶋郡初代郡長によって「殉難諸子之墓」が建てられている。」

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何とも悲しい思いがする。
こんな場所に・・・

墓の場所には榎(えのき)の木が植えられ大きく枝を伸ばしていた。

鹿嶋市文化財愛護かるたに「えのきの下に天狗のお墓」とあるという。

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この墓も行って見ると感じるものがあった。
墓があることは知っていたのだがあまりにもリアルな思いがしてくる。

この場所が馬捨て場だったのか?

大掾辺田(だいじょうべた)と地名にあるようだがどういう場所なのか。
常陸大掾(だいじょう)の田圃と言う意味なのか?

辺田(べた)は「へた」と言う呼び方で各地にもある。
規格外や端っこの田と言うくらいの意味か?

前に延方を探索していて天狗党の残影があちらこちらにあった。
延方に逃げずに大船津で隠れていた天狗党の仲間がつかまって処刑。
そして無残にも馬捨て場に埋められた。

この時代の粛清は考えて見るとすさまじい。

未だに敵も味方もこの亡霊に苦しんでいるのかもしれない。


鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/02 21:28

風の会展

 今日から日曜日まで石岡市のかちかど情報センターで「ふるさと風の会展」が行なわれています。

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これは会員最長老の打田兄の平家物語の全訳(巻1~12)が完成したことを祝して行なったものである。

平家と関係の深い石岡の地で平家物語をすべて読み切り、独自の訳本作ると言うのは並大抵のことではない。
本当に頭の下がる思いである。

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コツコツと積み重ねてそれが形になるというのは実に愉快だ。

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同時に会員のかたの今までに発行した本も展示販売している。

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私は最後にバタバタとまとめて9冊の小冊子を作製した。
このブログで5年に亘って呟いてきたことをまとめただけだが、それでもかなり膨大なものをまとめた形にするのもかなりの作業量となった。

10月は息子の結婚式や何やらでなかなか作業ができず、ギリギリでなんとか9冊をまとめた。
目標は20冊くらいになりそうなのでまだ半分も進んでいないが、こうして一区切りをつけると言うことも自己満足の領域ではあるがどこかスッキリした思いになるものである。

1日も休まず5年間続けた集大成でもある。

これが終われば次はどこに向かえば良いのか・・・・・・・・・・。

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また同時に兼平さんたちがやっている「ふるさと言葉絵」の作品や伊東さんの御留川を歩く会の展示もしている。

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11月3日~11月8日 石岡市まちかど情報センター  (木曜日は定休日)


ことば座・風の会 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/03 21:32

石岡の旧町名とまつり

石岡市内の丸三そば店さんの店内に「石岡のおまつり」の年番表が飾られていた。

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「石岡のおまつり」の歴史は比較的浅く明治35年に考え出されたものである。

そしてその時に市内の旧町(守木・大小路・土橋・木之地・金丸・守横・富田・仲之内・宮下・青木・幸・国分・中町・若松・泉・香丸)の十六の町で1年ごとに順に年番を持ち回りで開催することにしたのです。

しかし途中で木之地が脱退して15の地区で持ち回りしています。

ここに掲げられた看板と現在町で表示している旧町名の表記が異なっている個所がたくさんあります。

守木 → 森荷
木之地 → 城之内
守横 → 茂里横
青木 → 大木
中 → 仲
若松 → 長法寺


となり、昔の表記にこだわっていたのが読み取れます。

特に長法寺は昔の若松町にあった大きな寺で町名は江戸時代(宝永年間(1704-1711))に長法寺町から縁起の良い名前にするということで若松町に変更になっています。

また明治3年に起きた500軒程が焼失した火災でこの長法寺は灰になりその後再建されずに消えて行きました。

しかし長法寺町と言う名前が消えたわけでもないようで、時々その名前が出てきます。

特にお祭りを考え出した人達は何処かこのような古い名前を使いたかったように思います。
作った時にあった名前を使わずにあえて更に古い名前を引っ張り出したような感じです。
まあそんなところにこだわっているから昔から考え方が変わらないのかもしれませんね。

まあ少し気になったので記事に残しておきましょう。



石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/04 20:56

景清の娘「人丸」の墓

 今日は昼間はかなり暖かくなりました。
気温差が大きくなりこれからまた寒くなったりするようですので体調を崩すかもしれませんね。
年寄りは気をつけねばなりません。

今日は「まちかど情報センター」はお休みで風の会展はお休みでした。
今度の日曜まで開催していますが、土曜は会報の印刷日だし、日曜は前に勤めていた会社のOB会があり出かけます。

定年後は比較的、暇になり会社も昔の職場単位や同期の人たちとの集まりも増えました。
また来月初めには学生の時の仲間と東京で飲み会です。これも最近は年2回です。

集まると昔に戻りますが、後で写真などを見ると皆さん年とったのがよくわかります。
自分の年を考えると嫌になります。
でも年相応の人でいたいとも思いますが、うまく年輪を重ねると言うのは難しいですね。


 2カ月ほど前に鹿嶋市棚木にある「大福寺」を紹介しました(記事はこちら

その時に見落としていたものがあり、少し前にまた行ってきました。

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平家一番の武将として知られる平景清の娘「人丸」が景清の霊を弔うために日向国(宮崎)から景清の守り本尊を背をってこの地に来たとされています。

そしてこの大福寺に「妙庫塚」という人丸の墓があったのです。

見落としていたために再訪しました。
このようなことはよくあります。
調べるのが後になりますので、見落としに気がつくのです。
ですから2度3度と訪れることがよくありますが、これも近所であればよいのですが少し離れたところだと数ヵ月後になったりします。

最初に来た時は案内板もないのでどれかわからなかったのです。
でもよく見たらこの少しこんもり土が盛られた墓がそのようです。

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これが妙庫塚でしょう。人丸はこの地で「妙庫比丘尼」と名前を変え、女人救済につとめたそうです。

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大福寺から表通りに下りたところに「景清の松」という松の木があります。

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人丸がここの松の大木に小枝で棚を作って観音を安置したと伝わっています。
このためこの松を景清の松と呼び、ここの地名が「棚木」となったと言われています。

人丸はまずこの松の木に棚を作り平家の霊を都もらっていたと言います。
その後近くに大福寺(庵)を建て尼となって過ごしたようです。

前の松は昭和47年の台風で倒れてしまいましたが、今ではその後に松が植えられています。

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歌舞伎にもなった景清や人丸の話はどこまでが事実であるかはわかりません。
しかし人しれないこのような場所に昔から言い伝えられている話は事実かもしれないとも思われてきます。

小松寺(城里町)に伝わる「平重盛の墓」なども事実であるように思われますね。

常陸国に、あまり人しれずひっそりと眠っているところがありますね。

鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/05 21:05

お食い初め

 先日イギリスの長女家族が東京に移り、我が家には次女と今年5月に生まれた赤ん坊(孫)がしばらく滞在しました。

そこで常陸海浜公園にコキアを見に行った帰りに大洗の森田水産大洗店に立ち寄りました。
ここは回転ずしと和風レストランが左右に分けれた作りになっていて、間に中庭のある素敵なレストランでもあります。

赤ん坊連れなどはレストランも奥の座敷に案内してくれるのでとても助かります。
周りに迷惑をかけずに赤ん坊なども寝かせおけたり、泣いても隣と区切られているので気になりません。

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それに平日の昼はとても美味しいランチが安いのです。

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この豪華なお寿司ランチセットも800円?くらいです。とてもお得です。

また、通常は生後100日目くらいに行なうのが習わしのお食い初めがまだと言うので、大きな鯛を焼いてもらいました。

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大きな鯛の塩焼きが600円程度です。
家で買ってきて焼いたらこんなにうまく焼けないし、何倍も高くなりそうです。

食べる真似だけで、中身は大人が最後に美味しくいただきました。

100日の頃に不幸がありそれどころではなかったので遅れましたがお宮参りもしたし、まずはいろいろできました。

もう神戸に帰ってしまいましたが、我が家の老夫婦は孫の笑い顔を時々思い出しています。

そして今日荷物を送りました。

ジャンパルー

ジャンパルーという玩具ですがヨーロッパでとても人気があります。
歩くようになると危ないので、そんなに長くは使えませんがお母さんがとても楽なのです。
家事をしながら遊ばせておけるので心配ないのです。

お食い初めやランチは安上がりでしたので、少し奮発してしまいました。

それから孫たちと少し一緒にいて石岡の町も見方が変わってきました。
町おこしなどと言う言葉も良いのですが、やはりこの町は年寄りが中心の町のように思います。

もっともっと子育ての人や共働きの人達に優しい町になってほしいと思います。

最近図書館も子育てのためのスペース造りや保育の人の確保などのニュースが流れます。
スターバックスやツタヤと連携した図書館などが話題になりますが、こちらの方にも目を向ける必要があります。

私も定年過ぎて平日も自由な時間が増えました。
徐々にサラリーマン時代の時間の感覚が失せて行きます。

でも若者がもっとたくさんあふれる街になってほしいと願っています。

ひたち海浜公園には赤ちゃん用の乳母車も無料で貸してくれるし、授乳用の場所も確保されていました。

赤ん坊連れでないとなかなか気がつかないですね。

石岡の選挙は午後6時で締め切りです。
いくら選挙管理委員会で夜6時以降なら早くやめることも決められると言っても、こんな街中で法定時間の夜8時を2時間も前倒しにして平気でいられる神経がわかりません。

こんなところも見直さねばなりませんね。



その他の食べ物 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/06 21:40

秋深まる

 今朝外を見ると変な雲が東の空にあった。
これって地震雲??

縦に煙が立ち上るように真っ直ぐに上っていた。

近いうちに大きな地震が起きなければようが・・・。

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ただ狼煙を上げているような形であまり緊迫感は無い。

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赤とんぼもたくさん飛んでいました。

今は柿があちこちで実が色つき美味しそうですね。

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この場所は土浦市の小町の里です。
風の会の会報を展示してもらいに行きました。

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お昼に小町庵で「天もりそば」(870円?)をいただきました。
常陸秋そば美味しいですね。

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明日は風の会展の最後ですが、私は昼間は土浦に行き夕方戻ってきます。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/07 20:54

小町の里

 昨日の朝、縦に立ち上った雲をみて地震雲ではないかとブログを書いて2時間後(地震雲を見てから14時間後)に実際に地震が起こりました。
最大深度4の比較的大きな地震でした。

驚きでした。地震雲も迷信かとも思っていたのですがある程度何か関係がありそうです。
今後も注意しておきましょう。

今日は土浦で前の会社のOB会でした。

懐かしい顔にたくさん出会えてよかったです。

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土曜日に訪れた土浦市の小町の里。

昨年? リニューアルして綺麗になった奥の体験コーナーの建物の方に行ってみました。

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田圃の中の人? これは人形でした。 結構リアルですね。

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こちらのお休み処の縁側も人形です。

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今までこちらに足をのばしませんでしたが、中の部屋も自由に休憩に使えるようです。

赤ちゃん連れの御夫婦がおりました。
赤ん坊は中の畳の上をゴロゴロしていました。

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新しいだけあって綺麗ですね。

一般の観光客も、水車の近くの椅子に腰かけたり、小町庵の中を見学したりはしていますが、この奥の施設にはあまり足を延ばさないようです。


近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/11/08 21:21

風の会展を終えて

 「ふるさと"風"の会展」を11月3日から8日まで、石岡市まちかど情報センターで行なった。
会員は7名しかいないが、毎月A4版20ページほどの会報を発行している。

それが現在114号まで来ているので今年の6月には10年になる。

ふるさと風の会は、「ふるさとの歴史・文化の再発見と創造を考える」を軸に、会員それぞれの思い・志を出来るだけ大声に会報に述べて行く、語って行く会ということで、会員が好きなことだれに遠慮することはなく自己の責任で声しているのである。

私は90号からの参加でまだ2年になったばかりである。

会員は書くことが好きな人ばかりであり、私などは恥ずかしい限りだが、今までの会社生活では得られなかった新鮮さがある。

今回の展示会は打田氏が石岡が平氏の地元であるために、「平家物語」を打田氏なりに解釈して全訳が完成したことを祝して行なったものである。

原本を読むだけでも大変であり、それを理解して訳本を作るというのは並大抵ではない。
80歳を超えてのこの意欲にはまったく脱帽である。

この次は将門記に挑むそうだ。
氏は昔将門の歌まで作っているのだから、昔からかなりすでに自分のものにされているに違いないが・・・。

今回私はこのブログで書きためてきたことを、テーマ毎にわけて50~100ページほどの小冊子を9冊作成して展示した。

会の間にボツボツと手にとって買って下さった方が数人おられた。
会期中に20冊程が売れた。

欲しい方は「まちかど情報センター」に置かせていただくことにしたので、そちらに足を運んでください。
現在の石岡駅の模型とで集う車両展の展示(~11/15)が終わったら展示していただけると思う。

表紙1 表紙2
 表紙3 表紙4
表紙5 表紙6
表紙7 表紙8
表紙9

一度にやってしまわないと、なかなかまとめられないので、何とか年内に同じくらいはまとめたいと頑張っている。
やはり5年で貯め込んだ記事はかなりの分量になる。

全て見直し、写真を整理して順番も変えて・・・・ 編集し直し、ページを振って目次や後付けなどを書きくわえ、表紙を整え、印刷し、製本して断裁して本になる。

これも誰かがやらなければ将来に残らない。
情報が氾濫するネットの世界だけではきっと満たされない。

これが終われば次に何をやるか?

そろそろ考えておきたい。





ことば座・風の会 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/09 21:29

清瀧寺

 筑波山の尾根下を貫く朝日トンネルは土浦側の小町の里と石岡市八郷朝日地区を結ぶが、この土浦側には板東三十三観音札所である「清瀧寺」がある。

トンネルができて、この清滝寺と小町の里が分断されたようにトンネルの進入道路があって、イメージとしてはトンネルの裏手となってしまってなかなか行く機会もない。

しかし、板東三十三観音は茨城県では八溝山日輪寺(大子町)、妙福山佐竹寺(常陸太田)、佐白山 正福寺(笠間)、雨引山楽法寺(桜川)、筑波山大御堂(つくば)と続いて第26番南明山清瀧寺と立派な寺が続いて観音霊場となっている。

次の27番は銚子にある飯沼観音であるのでかなり離れる。

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この寺も大同元年に徳一上人により創建されたと言われる古刹である。

しかし昭和44年の火災(放火?)により本堂などがすべて焼失し、建物として残ったのはこの仁王門(天保15年築造)のみ。

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しかし、昔からの観音信仰の寺であり、今でも多くの参拝者が訪れている。
現在も修理中のところが多く散見されたが、一日も早い復旧を願う。

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今でもこうして読教して三十三観音を回る人は後を絶たない。
筑波山の大御堂は明治の廃仏毀釈で一時壊され、神社のみが残ったが、今では神社の隣に復元されている。
雨引山、筑波山と来てその次がこの清瀧寺となるのである。

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しかし、このような観音道場でも無檀家でなかなか浄財も集まらなく苦労しているようです。


最近記事が底をつき、連続記録も風前のともしびとなりつつある。
過去5年で書いた記事をまとめているので、あまり新しく記事を書くとまとまりもつかない。


明日は銚子に出かけます。

筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/11/10 21:27
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