般若寺(神栖)

 昨日紹介した神栖市奥野谷にある国の重要文化財の山本家住宅のすぐ近く(手前)に大きなお寺がある。
「般若寺」となっている。
調べると真言宗 智山派の寺院で、お宮参りや七五三などで結構にぎわうようだが、寺の謂れなどがよくわからない。

どうも神栖市の昔からの寺院などの説明などがあまり見当たらないのはどうしてだろうか。

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この寺の境内に入ると、かなり色々な建物や神社などたくさんが一緒になって置かれている。

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これは観音堂でしょうか。
堂の手前に「青塚山般若寺 十一面観世音」と書かれていました。

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こちらは鐘楼。
手前に「記念碑」という石碑が置かれていましたが、何が書かれていたのか見てきませんでした。

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奥が本堂で手前に仁王像(金剛力士像)が置かれています。
比較的新しいものでしょうか。
仁王門がありませんので少し違和感があります。

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こちらは神社。弁財天のようです。

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神社本殿。


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色々なものがたくさんあります。

もう少し調べないとわからないですね。

神栖 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/03/01 22:10

雛巡りももう少しで終わりです。

 我が家も子供たちが皆大きくなって、イギリスに嫁いだ娘の段飾りも寄付しており、あるところで飾られています。
お雛様も日の目を見て喜んでいることでしょう。

昨年は家にもグループで石岡の街中で色々なものを飾って展示をしていましたが、今年は場所を撤退したために飾る場所がなくあきらめました。

今日はある古くからある市内の家の奥から出てきたお雛様を家内が見せていただいたというので、その写真を紹介します。

恐らく大正時代頃の物だということです。

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段飾りと違ってこんなお雛様も良いですね。

雛03

雛04

雛05

石岡のひな巡りも3月3日(木)の明日までです。

石岡雛巡り | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/03/02 21:05

般若寺(神栖)その2

 今日3月3日は雛まつりですね。
木曜日は石岡の街は休みのお店が多いのですが、雛巡り期間中なので休まないでほしいと思っていましたが結構休みでシャッターが降りているお店も多い気がしました。

そんな中でも頑張っている所もありました。

男は雛まつりなどと言ってもあまり興味もなかったのですが、せっかく人集めもしていますので町を挙げてもう少し積極的に盛り上げても良いのではないかと思います。
今のままではやはりさびしいですよ。

今日柿岡へ午後から出かけ、家内が土浦でNPOの講習会に出かけるために土浦まで車で送り、今これから石岡駅まで迎えに行きます。

明日はまた銚子に行きますが、朝一番で歯医者を予約しているので、そのまま途中寄り道する時間はなさそうです。

今日の記事も時間が亡くなりましたので、一昨日の神栖市の神之池東端近くの真言宗「般若寺」の写真を追加しておきます。

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境内に四国88か所霊場をこの一角にまとめた場所がありました。

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弘法大師(空海)でしょうか

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もう一つ大きな弁天様の像があります。
高くそびえるような大きさです。

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海運橋だそうです。
渡ってきましたので少し運が開けたでしょうか。

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神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/03 21:45

蕎麦処「かまたや」(柿岡)

 昨日、旧八郷の中心地柿岡にある茅葺屋根のお蕎麦屋さん「かまたや」さんに行ってきました。
ここへはもう3年くらいぶりでしょうか。

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天もりそば(950円)

蕎麦は硬めで味がしっかりしてとても美味しいです。
天ぷらもかなり美味しく揚がっています。

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このお店が一昨年の「鶴瓶の家族に乾杯」で石岡が紹介された時に佐々木蔵之介さんがこのお店に来ました。

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また昨年のぶらぶらサタデーの路線バスの旅でタカ&トシと温水さんがやってきたようです。

このようなお店も貴重なのでしょう。

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前に来た時よりお店もきれいになったように思います。
また店の通りの反対側が駐車場です。
前は車を停めるのに苦労した覚えがあります。

食事処 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/04 22:34

辻の野菜直売所(ベジグリーン)オープン2周年

 今日はふるさと風の会の会報(3月号)の印刷日。
午前中500部(20ページ)を会員で印刷・製本した。

今回初めての方(若い人)が仲間に加わってくれることになり7人が8人になった。
初顔合わせでもあり、終わるのがいつもより遅くなってしまった。

そのため家に戻って食事をとってから会報を配って回った。

まず街中のまち蔵藍「丁子屋」さんへ。今日は若い方がたくさん街中を散策しており、こちらにも5~6人がやってきていた。

続いて瓦会の食事処「まんまや」さんへ。奥さまと少しペレットストーブのお話をして早々と次へ。

次にやってきたのは辻のイチゴ団地の街道沿いにできている野菜直売所「ベジグリーン」さんへ。

ここは、2か月前ほどから会報を置かせていただいている。

オープンした時(2014年3月1日)に記事にした。(こちら

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今日はかなりたくさんのお客さんが来ていた。
聞いてみると開店2周年記念のイベントをしているのだとそうだ。
おにぎりや味噌汁がふるまわれていた。

明日もやっているかも・・・。 お近くなら行って見てください。

この直売所もテント方式の簡易店舗だ。最初は心配もしたが2年を迎え少し活気が出てきたようだ。

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この近くにあまりお店がないので便利だと思う。

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この店舗の前のハウスはイチゴだと思います。
ここ辻はイチゴ団地と呼ばれています。
前の通りは「フルーツライン」といいます。

朝日トンネルもすぐ近くです。

すぐ前に朝日里山学校があり、先月蕎麦打ち祭りが行なわれました。

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最近無料駐車場と公衆トイレの設備が近くにできました。これからよくなっていくでしょう。

また今年になってフルーツラインの恋瀬におなじような直売所ができました。
色々なお店ができて元気になってもらいたいものです。

この後朝日トンネルを抜けて小町の里の「小町の館」に会報を置き、そのままつくば市北条へ。
北条の「田村家」へもいつも置かせていただいています。
先月伺った時は北条祭りのイベントをしておりましたが、今回は宮清大蔵で県の子供の勉強会と言うことでたくさんの親子でが参加していたようです。

「田村家」でコーヒーを出していただいて、北条街づくり振興会会長の坂入さんとお話をさせていただきました。
お互いにエールの交換といったところでしょうか。

お役所の縦割り行政はどこも同じようですね。

私は北条などと交流したいのは、街おこしというのは自分の街の都合ばかりではなく、近隣とも仲良く門戸を外に対して常にオープンであるべきだと感じているからです。

特に竜巻で大きな被害を受けた北条は石岡の吉田(馬場)大掾氏(だいじょうし)の前の大掾氏(多気大掾)がいた場所ですのでとても関係が深いのです。

しかし残念なことにどちらでもあまり話題になりません。そのうちに気がついてくると思います。
小町の里もこの辻から入った仏生寺にある北向観音と切っても切れないのですから、これもトンネルができて風通しが良くなるでしょう。

石岡街中の人があまりこちらの北向観音を知らない(北向観音というと冨田北向観音と思う)というのも淋しいものです。

石岡の歴史などとGoogleで検索しても私が10年ほど前に作成した「1300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>」というホームページが一番上に出てくるようではまだまだ外に向かっての情報発信が足りないのでしょう。
このホームページは私がブログを始めた5年前からほとんど中を更新していないのです。
それなのに・・・・

先日少し見ていたら、直したいところがたくさんありました。

ブログをまた少し置いておいてこちらもまた動かしたくなりました。
まあこんなだと、いくら時間があっても足りなそうです。

年寄りがやることがなく困っている話もよく耳にしますが、まあ私は、まだもう少しはやることがありそうです。

そういえば先日自作本の小冊子の電子版(pdf)を何冊か作成したのですがこれも早くPRしなければなりません。
せっかく作ったのですから。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/05 20:59

八郷にペレットストーブの体感ハウスオープン

 昨日風の会の会報を配って八郷地区へ。
今回は瓦会から柿岡方面にいかずに「恋瀬地区」(善光寺近く)からフルーツラインを県立フラワーパーク方面に車で走りました。

すると恋瀬の信号から少し行ったところに、気になっていたペレットストーブの木材加工工場が現れました。

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ここは通販生活で知られたカタログハウスが展開するペレットストーブのペレット加工場なのですが、通り沿いに木材の素敵な建物が数棟並んでいました。

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「ソロー茨城」はこのカタログハウスのペレット事業部のようです。
今年2月半ばにここにこのペレットストーブの体感ハウス(ショールーム)がオープンしたのだそうです。

このペレット加工場が八郷地区にあることは昨年聞いていましたが、こんなショールームができていたのは知りませんでした。
まだオープンしたばかりのようですがこの日は土曜日のためかハウスは閉まっていたようです。

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薪ストーブと違って、ペレットは木材を細かくし、成型して小さな粒に加工したものでとても燃焼効率がよく、灰やすすはほとんど出ません。

これからの暖房にはきっと活躍することでしょう。

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このような木材を燃やすのかと考えると地球にやさしいとは言えないなどと考えるかもしれませんが、それは逆です。
森林は手入れをして間伐をしなければ維持できません。

間伐材が役にたてば森林を守る人たちが増えます。
そうすれば日本の森もまた蘇るのです。

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ペレットストーブは屋外にこのような排気用エントツがでますが、ほとんど煙もにおいもしません。
これで灰もほとんどないのですから寒い地方ではきっとこれから大いに活躍する場があると思われます。

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興味がおありでしたら一度空いている時間を調べて行って見てください。

現在AMAZONなどでも安いペレットストーブが売られていますが、こちらの通販生活で扱っているストーブはもう少し高級なようです。

詳細は:体感ショールーム(こちら

     ソローのペレットストーブ(こちら

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まずはお店などの暖房用を考えているようです。

実際に瓦会にある蕎麦処「まんまや」さんでは使われています。

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地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/06 10:01

竹原神社(小美玉市)

 石岡から6号国道を北上し、園部川を渡ると旧美野里町(現小美玉市)に入ります。
その入口が竹原になります。

昔の水戸街道は石岡の一里塚から杉並(昔杉並木があった)から行里川(なめりがわ)を経由してからしばらくして旧道を通りながら東に向かいこの竹原で6号国道と交わりますが、旧街道は今度は国道の東側を通ります。

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この竹原の交差点手前の少し高くなった台地の上に竹原神社があります。

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この神社には「アワアワ祇園」という祭りが継承されています。

説明では:
正保二年(1645)に園部川上流の旧大谷村を中心に伝染病が流行し、その原因が「大谷村の牛頭天王が人を食うからだ」、との噂が広まった為、大谷村の人々は怒って牛頭天王の御神体である金幣を園部川に流してしまいました。そのご神体が流れ着いた竹原村では、神の怒りを恐れ、水中から金幣を引き上げた後に、洗い清め、焚火で温めて、乾かしてから祠を建ててお祀りしました。
そのご神体が「アワアワ」と寒さでふるえていたとの言い伝えから「アワアワ祇園」と名づけられました。

と書かれています。
でも私はこのような名前の謂れはあまり信用しません。
きっと別な意味があるような気がします。

説明にあるように「牛頭天王」を祀っているので八幡神社などと同じで祇園祭が行なわれているのでしょう。

石岡のお祭りも基本的には祇園祭だと思います。
元は中町にあった天王社(今は総社宮に合祀)が行なっていた祇園祭を明治に変形させて造り出したものでしょう。

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狛犬

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拝殿

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本殿

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本殿の彫刻

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神社横から裏側の山は紫陽花の木が植えられています。
この神社のアジサイもきれいだと言います。今度は梅雨時に来て見ましょう。

アワアワ祇園祭は7月の第3土・日に行われています。

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祇園祭に使われる神輿は石岡の総社宮の神輿とほぼ同じような形だそうですが、これは石岡とこの竹原が文化的にはつながっているようです。

石岡のおまつりも富田町のささら(棒ささら)がでてきますが、これと同じような原型がここにもあります。
また木之地町のみろく人形も今では残っているものが少なく、ここ竹原に残されていたみろく人形をもとに復元されたりしています。
(木之地のみろくについては前に書いた記事を参照ください:こちら

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神社の入り口横にある「大乗妙典塔」
(大乗妙典についてはこちらの記事を参照: こちら

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「金剛般若経壱千部塔」です。

戦国時代に石岡(府中)は平氏の大掾氏(だいじょうし)が治めていました。
そして園部川の北のこの竹原には竹原義国(大掾貞国の弟)が治めていました。
北の江戸氏や佐竹氏に対抗するために城が築かれました。

しかし、大掾貞国が戦死するとまだ5歳だった清幹(きよもと)が家督を継ぎ、その補佐をしたのがこの竹原義国です。

府中は北はこの竹原、東は園部氏(小川)に対抗するために田木谷に砦を築いて敵地対抗していました。
義国もこの田木谷が危うくなると応援に行っていたようです。

それも両方が破られ不滅とも言われた府中城は消滅しました。

そういう意味でも石岡の文化圏は竹原や玉里などは同じ様なつながりを感じます。

歴史を見て行くとこの小美玉市との境は本当は線などは無いのかもしれません。
行政はそれとは関係なく、区分けされてしまいました。
そのため、色々知らせるべき事柄もお互いに忘れて行くようで淋しい気がします。


この竹原神社や耳守神社などは是非石岡の教育委員会などでも調査し記録を残していってほしいものです。



小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/03/07 21:45

二つの阿弥神社(阿見町)(1)

 まだ3月になったばかりだというのにもう夏になりそうな陽気。
明日は逆に朝からほとんど気温も上がらず昼間は今日より10度くらい下がるという。

自然界の植物も動物も皆戸惑っているに違いない。

こんな変化が激しいと今年の夏場はどうなるのか心配になる。
暑い夏も困るが、自然災害もまた起こるに違いない。

さて、今日は先日阿見町にある大きな病院に行く用事があり、ついでに近くにある前から気になっていた神社に立ち寄った。

写真も多くなってしまったので数回に分けて紹介したいと思う。

気になる神社というのは、この阿見町の名前の謂れともなっている「阿彌神社」が二つあり、それぞれこの「元となっている」かで論争があるらしいということである。

どちらもかなり古くからある神社のようである。

まずは病院にも近い阿見町中郷にある阿彌神社から紹介します。
もう一つはもう少し東の竹来にある阿彌神社である。


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中郷の阿彌神社は国道125号線のバイパスと県道203号線とに挟まれた場所で、国道側の西郷信号近くに鳥居がありそこから長い参道が続いている。

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この神社は現地看板およびWikipediaの由緒では
「崇神天皇18年(紀元前80年)、豊城入彦命が崇神天皇の勅命による東国平定で当地に訪れた際、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を補弼せり、其神功成るに及びて天に還りしと、蓋し是地に於てするや」と常陸国風土記に記された普都大神の事蹟を偲ばれた。この御言葉が信太郡阿彌郷、ひいては阿見町の由来になったという。この伝承を縁故として、和銅元年(708年)に祠を建てて皇子を祀り、阿彌神社と称した。豊城入彦命の後裔一族に大網公があり、その氏神かという推測がある。」とある。

この内容はもう一つの竹来の神社と比較して読み解かなければわからない。
後から考えることにしよう。

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この鳥居から真っ直ぐに長い参道が続く。

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やっと正面に神社の拝殿が見えてきました。
手前には狛犬が2対。

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この拝殿に向かって左側(西側)に一つの社が置かれている。
境内社と思われるが説明はない。

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調べてみるとどうやらこれは旧霞ヶ浦海軍航空隊の敷地内にあった旧霞ヶ浦神社だという。
海軍航空隊の殉職者の英霊をまつっていたが戦後BHQにより強制的に廃絶となり、社だけをこの神社に移して保存していたが、現在は境内社とはなっておらず、自衛隊の敷地内の土浦航空隊神社にて祀られるとともに、英霊は東京神宮にある東郷神社境内の社に移されたそうだ。(Wikipediaより)

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拝殿から参道を振り返る。

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境内社(稲荷社?)

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本殿

写真ばかりになってしまいました。

こちらの神社の特徴は「第10代崇神天皇皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が祀られていることだと思う。

次回は竹来の神社を紹介します。



阿見・美浦・稲敷 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/03/08 22:29

二つの阿弥神社(阿見町)(2)

 今日は昨日の暖かさににくらべ急に冷え込んだようで、身体が縮まって頭も働きません。

暑ければ暑くてダメといい、寒ければ寒くてダメという。
どうも怠け癖がついてしまったようです。

昨日も今日も昼間は事務作業のデータベースを活用するためのプログラミンクに没頭していたのですが、もう根気が続きません。

さて、今日は昨日の続きで2つの阿弥神社のもう一つの竹来にある神社を紹介したいのですが、この神社については前に美浦村を探索していた時に一度書いているので、今回どうしようか迷うのですが、寒くて気分も乗らないのでまずは写真を紹介して記事はまた後から追加したいと思います。

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竹来は阿見町の東寄りで美浦村に近い場所です。

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ここの樹叢が阿見町の天然記念物に指定されています。

入口鳥居から神社までの参道の両側にこの樹叢が広がります。

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この参道沿いの樹叢の中にこのように小さな祠が置かれています。

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参道が拝殿まで真っ直ぐのびています。

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前に秋に来た時はこの拝殿前にはイチョウの葉が一面に積もっていました。

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拝殿に本殿。

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どちらの阿弥神社が古いのか?
また延喜式にのっている式内社はどちらの方が主体なのか?
信太郡のなりたちはどのようなものなのか?

まあもう少し調べながらじっくりと書きたいのですが、時間に追われてしまい最近は満足な記事が書けません。
続きはまた後ですこしでも書きたいと思います。

阿見・美浦・稲敷 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/03/09 21:17

二つの阿弥神社(阿見町)(3)

 竹来の阿弥神社の続きです。

この神社には木造の狛犬が残されていると前に書いた記憶があります。
木造というと香取神宮の狛犬を思い出しますが、こちらの神社の狛犬がどのような姿なのかはわかりません。
写真もまだ見たことはありません。

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神社拝殿手前に置かれている石の狛犬はなかなか面白く、迫力もある顔です。
香取神宮は切手にもなった狛犬が宝物館に保管されており、また随身門の反対側にも置かれている木製の狛犬もいました。
こちらの神社はどこに置かれているのでしょうか。

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この神社を考えるには常陸国風土記の信太郡の記述から考えなければなりません。

「郡より北十里のところに、碓氷がある。昔、大足日子(おほたらしひこ)の天皇(景行天皇)が浮島の帳(とばり)の宮に行幸されたときに、飲み水に困った。そこで占部をして占ひをさせて、井戸を掘らしめた。その井戸は、今も雄栗の村にある。
 碓氷から西に行くと高来(たかく)の里がある。昔、天地の初め、草も木も言葉を語ったころに、天より降り来たった神があった。名は普都(ふ つ)の大神といひ、葦原の中津の国を巡行し、山川の荒ぶる神たちを和めた。それを終へて天に帰らうとして、身に着けてゐた厳(いつ)の鎧・矛・楯・剣、手に付けてゐた玉を、すべて脱ぎ捨て、この国に遺して、天に昇り帰って行った。」(口訳・常陸国風土記より)

景行天皇はヤマトタケルの父で、ヤマトタケル(風土記では倭武の天皇と表記)が亡くなった後この地に息子の残した足跡を偲んでやってきたと言われている。
この風土記に出てくる普都(ふ つ)の大神は物部氏の種族とも言われ、香取神宮に祀られている武人の神のことで、この総の国から常陸の国までやってきて、ここの高来までを平定して、着けていた鎧や楯などを脱いでこの地から天に昇って行ったという。

この鎧や楯を脱いだ場所が美浦村の楯縫神社だが、この楯縫神社も実は2つある。

信太郡の一之宮が美浦村信太にある楯縫神社でこちらの竹来(風土記で書かれた高久の場所だと思われる)にある阿弥神社が二の宮といわれているようだ。

この常陸国風土記は奈良時代初めに書かれたもので今から1300年ほど前になるが、当時言い伝えられていた古老の話などをもとにまとめたものだ。

この信太郡は白雉4年(653年)に物部河内・物部会津らが請いて、筑波・茨城の郡の700戸を分ちて置かれたとされている(Wikipedia)
すなわち常陸国風土記の書かれるより約60年ほど前のことだ。

今2つの阿弥神社の論争(論争というほどの争いはなさそうだが・・・)は、もっと後の平安時代に書かれた延喜式神社名帳(延長5年(927年))の式内社に載っている「阿彌神社」は現在のところ両方とも論社であるか、またはこちらの竹来の阿弥神社の方が本来の式内社を踏襲している可能性が高いようだ。

楯縫神社も美浦村の木原と信太にあるが、木原の方が大きく立派であり木原を式内社というようだが、信太の楯縫神社の方が歴史的には可能性が高いように思う。

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2つの阿弥神社を比べて見ると、竹来は鹿島神宮の祭神である「健御雷之男命(タケミカヅチ)」が主祭神で福祭神が香取神宮の祭神である「經津主命」と中臣氏(藤原)の祭神「天兒屋根命」である。

一方、中郷の阿弥神社は主祭神が「豊城入彦命」であり、こちらは海側ではなく陸側から東にやってきている。
石岡市柿岡にある丸山古墳がこの墓だとも言われている(前橋市の古墳という説が強いようだが)。

どうも物部氏の進出範囲がこの辺りで止まっているようだ。
千葉県香取市の佐原の手前あたりも物部氏と出雲系種族との激突があったのすればこの辺りでもあったということかもしれない。

専門家でもないのでここには適当な事を書いているかもしれませんので、この記事をあまり信用しないでくださいね。
一つの考え方のヒントくらいです。

あすはまた出かけます。
もう少し記事もじっくり構えなくては駄目ですね。

このブログも毎日書くということを目標にしているので、こんな記事が続くはずもない。
少し休むか?

1300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>のホームページの更新にもう少ししたら戻ろうかとも思う。
5年前からほとんど更新していないので・・・


阿見・美浦・稲敷 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/03/10 20:42
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