桜はまだかな。
さて、桜も咲きだしたというので今朝は出かける前に柏原池公園にいってみました。
風土記の丘のしだれ桜はまだ2分咲きくらいだと聞いていたのですが、こちらの公園は大分見ごろではないかと思ったのです。

しかしまだまだ3~4分咲きくらいでしょうか。
今週末はあまり天気も良くなく、気温も花冷えのようですので、来週末が見ごろでしょうか。

この池も以前は毎朝ジョギングしていたのですが、今はすっかりメタボのお腹で寝転がっています。
花粉の季節が終わればまた散歩に来たいと思います。

来週、また頃を見計らって花見に来ましょう。
石岡では風土記の丘のしだれ桜がダントツです。
新しくなった石岡駅と花見に是非お出かけください。
来週末頃が見ごろだと思います。

<昨年4月9日の常陸風土記の丘公園にて撮影>
風土記の丘のしだれ桜はまだ2分咲きくらいだと聞いていたのですが、こちらの公園は大分見ごろではないかと思ったのです。

しかしまだまだ3~4分咲きくらいでしょうか。
今週末はあまり天気も良くなく、気温も花冷えのようですので、来週末が見ごろでしょうか。

この池も以前は毎朝ジョギングしていたのですが、今はすっかりメタボのお腹で寝転がっています。
花粉の季節が終わればまた散歩に来たいと思います。

来週、また頃を見計らって花見に来ましょう。
石岡では風土記の丘のしだれ桜がダントツです。
新しくなった石岡駅と花見に是非お出かけください。
来週末頃が見ごろだと思います。

<昨年4月9日の常陸風土記の丘公園にて撮影>
室崎神社(阿見)
先日紹介した2つの阿見神社と鹿島古女子神社。
お互いに関係していそうな神社だ。
そして中郷と竹来の2つの神社を結ぶ道路の中間点に道がクランクに折れ曲がった場所がある。
そこに「室崎神社」という神社が祀られていた。
前に気になって写真だけ撮ってきていたのだが、今日は各ネタも切れたのでそろそろ記事を書かねばと引っ張り出してきた。

木々で囲まれてはいるが特にこれといった特徴もなさそうな神社であった。
そして入口鳥居に掲げられている額には「室﨑神社」と書かれている。
神社の場所は「曙」となっているが、元々はこの辺りは大室と呼ばれていたらしい。

そればかりか、この神社の創建はかなり古く、貞観元年(862年)とか、仁和3年(887年)とかいわれているという。

そして祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこ)である。
これは他の阿見神社にも見られる神であるが鹿島神宮に行った時調べた旧摂社「坂戸神社」の神であり、藤原氏の前の中臣の氏神様だったはずである。
藤原氏の建てた春日大社の神様でもある。
すると鹿島地区における経津主命を祀る「沼尾神社」と、天児屋根命を祀る「坂戸神社」の関係や、阿見地区の阿見神社、美浦村の楯縫神社などとがかなり関係してくるのだ。
阿見地方における経津主命を祀る神社には廻戸(はさまと)にある「十握(とつか)神社」があるという。
どのような関係があるのか気になる。(古来竹来三社とよばれたという)
この室崎神社拝殿前には小さな相撲の土俵がある。
大人が相撲を取るには小さすぎるのでちびっ子相撲でも行なわれているのだろうか。


拝殿裏に本殿が置かれている。
竹来三社の一つらしいが、竹来阿見神社に合祀されてもこうして元の場所に残るというのは鹿島神宮の坂戸社、沼尾社などとも同じなのかもしれない。
この辺りは香取社もきっとあったのではないだろうか。
しかしそのほとんどが鹿島神社になって行ったのかも知れない。
このあたりでは鹿島の神(タケミカヅチ)も香取の神(フツヌシ)もどうやら一緒の神として混ざり合っているようだ。
お互いに関係していそうな神社だ。
そして中郷と竹来の2つの神社を結ぶ道路の中間点に道がクランクに折れ曲がった場所がある。
そこに「室崎神社」という神社が祀られていた。
前に気になって写真だけ撮ってきていたのだが、今日は各ネタも切れたのでそろそろ記事を書かねばと引っ張り出してきた。

木々で囲まれてはいるが特にこれといった特徴もなさそうな神社であった。
そして入口鳥居に掲げられている額には「室﨑神社」と書かれている。
神社の場所は「曙」となっているが、元々はこの辺りは大室と呼ばれていたらしい。

そればかりか、この神社の創建はかなり古く、貞観元年(862年)とか、仁和3年(887年)とかいわれているという。

そして祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこ)である。
これは他の阿見神社にも見られる神であるが鹿島神宮に行った時調べた旧摂社「坂戸神社」の神であり、藤原氏の前の中臣の氏神様だったはずである。
藤原氏の建てた春日大社の神様でもある。
すると鹿島地区における経津主命を祀る「沼尾神社」と、天児屋根命を祀る「坂戸神社」の関係や、阿見地区の阿見神社、美浦村の楯縫神社などとがかなり関係してくるのだ。
阿見地方における経津主命を祀る神社には廻戸(はさまと)にある「十握(とつか)神社」があるという。
どのような関係があるのか気になる。(古来竹来三社とよばれたという)
この室崎神社拝殿前には小さな相撲の土俵がある。
大人が相撲を取るには小さすぎるのでちびっ子相撲でも行なわれているのだろうか。


拝殿裏に本殿が置かれている。
竹来三社の一つらしいが、竹来阿見神社に合祀されてもこうして元の場所に残るというのは鹿島神宮の坂戸社、沼尾社などとも同じなのかもしれない。
この辺りは香取社もきっとあったのではないだろうか。
しかしそのほとんどが鹿島神社になって行ったのかも知れない。
このあたりでは鹿島の神(タケミカヅチ)も香取の神(フツヌシ)もどうやら一緒の神として混ざり合っているようだ。
浅間神社と愛宕神社(銚子)(1)
先日飯沼観音様前の丼屋七兵衛の店内に書かれていた「利根川図誌」の銚子の観音様の裏手に「清水の井」、「浅間神社」「アタゴ」というのがあったように記憶している。
この「清水の井」は現在は無いようで地名として清水町や清水小学校などとしてその場所が大体想像でされる程度だ。
もう少し調べたらわかるのかもしれないが、残りの浅間神社とアタゴについては銚子から犬吠崎にいく山側の入口に存在する。
銚子駅近くを東西に走る県道244号線(国道356号線から直進道路)が海寄りの道と少し山寄りの道に分かれて犬吠崎に向かうが、この山寄りの道が銚子電鉄踏切を渡る手前に神社がある。

入口鳥居には「浅間神社」の扁額がかかっており、山の上にある神社まで階段が続く。
地元では浅間様とずうっと呼ばれてきているという。

神社登り入口には3つの神社名が書かれている。
1、浅間神社:江戸時代中期に富士山の浅間信仰で分祀されたと言われている。
祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)でこれは富士浅間神社の神であり、子安神社の神様でもある。
一般には木花咲耶姫と書かれるがここでは古事記に書かれている漢字が使われている。
2、愛宕神社:これはご存じの火防の神様だ。
浅間神社が火山の神でもあるのでこれを鎮めるために置かれているらしい。
なにしろ木花之佐久夜毘売は疑いを晴らすために、燃えさかる産小屋の中で子供を産んだとされている。
しかし、この愛宕神社はこの浅間神社がある後飯町と銚子電鉄の線路の向こう側の愛宕町の2か所に分かれてある。
3、天神社(天満宮) :これはいうまでもない学問の神様菅原道真を祀る。

この階段を上ります。
石段入口には狛犬があります。

階段を上った先にも古めかしい狛犬が置かれています。
なかなか面白い表情です。

これが登った上にある神社の拝殿です。

面白い事に「浅間神社」「愛宕神社」の二つの額が架かっています。

これが天神社(天満宮)。境内にちょこんと置かれている。
石祠は、天保十一年に造立されたもので、子安だけでなく子供には学問が大切だとして町民の願いで寄進された物のようです。

神社の裏手からは銚子の漁港が望めます。
この山頂は標高31.9mだそうです。
毎年7月の第3土曜日に例大祭が行なわれ、たくさんの縁日屋台(150軒以上)が並ぶそうです。
この狭い入口にたくさん露店が並ぶと確かに賑やかでしょうね。
銚子の街から見ると飯沼観音の裏手の山の守り神といったところでしょうか。
この「清水の井」は現在は無いようで地名として清水町や清水小学校などとしてその場所が大体想像でされる程度だ。
もう少し調べたらわかるのかもしれないが、残りの浅間神社とアタゴについては銚子から犬吠崎にいく山側の入口に存在する。
銚子駅近くを東西に走る県道244号線(国道356号線から直進道路)が海寄りの道と少し山寄りの道に分かれて犬吠崎に向かうが、この山寄りの道が銚子電鉄踏切を渡る手前に神社がある。

入口鳥居には「浅間神社」の扁額がかかっており、山の上にある神社まで階段が続く。
地元では浅間様とずうっと呼ばれてきているという。

神社登り入口には3つの神社名が書かれている。
1、浅間神社:江戸時代中期に富士山の浅間信仰で分祀されたと言われている。
祭神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)でこれは富士浅間神社の神であり、子安神社の神様でもある。
一般には木花咲耶姫と書かれるがここでは古事記に書かれている漢字が使われている。
2、愛宕神社:これはご存じの火防の神様だ。
浅間神社が火山の神でもあるのでこれを鎮めるために置かれているらしい。
なにしろ木花之佐久夜毘売は疑いを晴らすために、燃えさかる産小屋の中で子供を産んだとされている。
しかし、この愛宕神社はこの浅間神社がある後飯町と銚子電鉄の線路の向こう側の愛宕町の2か所に分かれてある。
3、天神社(天満宮) :これはいうまでもない学問の神様菅原道真を祀る。

この階段を上ります。
石段入口には狛犬があります。

階段を上った先にも古めかしい狛犬が置かれています。
なかなか面白い表情です。

これが登った上にある神社の拝殿です。

面白い事に「浅間神社」「愛宕神社」の二つの額が架かっています。

これが天神社(天満宮)。境内にちょこんと置かれている。
石祠は、天保十一年に造立されたもので、子安だけでなく子供には学問が大切だとして町民の願いで寄進された物のようです。

神社の裏手からは銚子の漁港が望めます。
この山頂は標高31.9mだそうです。
毎年7月の第3土曜日に例大祭が行なわれ、たくさんの縁日屋台(150軒以上)が並ぶそうです。
この狭い入口にたくさん露店が並ぶと確かに賑やかでしょうね。
銚子の街から見ると飯沼観音の裏手の山の守り神といったところでしょうか。
浅間神社と愛宕神社(銚子)(2)
銚子の浅間山は銚子電鉄の本銚子駅手前の小高い山だが、この周辺にあった石塔などがまとめられてこの浅間神社の入口わきに置かれている。

まずは庚申塔が祀られたお堂。

堂の中には三猿像と邪気を踏みつけた青面金剛像。よくあるスタイルだ。
でもこれらは私のいる常陸国にはそれほど多くなく銚子方面ではよく見かける気がする。

庚申塔の説明板。
各地にあるので江戸時代にはこんな夜中に寝ずに飲み明かすような集まりもあったのだろう。

次は馬頭観音塔。
こちらは少し新しく明治初期か。

馬頭尊

そしてもう一つは「子安観音像」

ここには6基の子安観音像が置かれています。
それぞれ違った表情があり、いくつかの子安講などがあったようです。

古いものから明治、昭和の物まであるのですから、最近までこのような信仰が続いていたのでしょう。



まずは庚申塔が祀られたお堂。

堂の中には三猿像と邪気を踏みつけた青面金剛像。よくあるスタイルだ。
でもこれらは私のいる常陸国にはそれほど多くなく銚子方面ではよく見かける気がする。

庚申塔の説明板。
各地にあるので江戸時代にはこんな夜中に寝ずに飲み明かすような集まりもあったのだろう。

次は馬頭観音塔。
こちらは少し新しく明治初期か。

馬頭尊

そしてもう一つは「子安観音像」

ここには6基の子安観音像が置かれています。
それぞれ違った表情があり、いくつかの子安講などがあったようです。

古いものから明治、昭和の物まであるのですから、最近までこのような信仰が続いていたのでしょう。


常陸風土記の桜
花冷えが続きますね。
桜の花も開花したのに満開の便りが聞こえてきません。
まあ長く楽しめるので良しとしましょう。
今日夕方になって常陸風土記の丘へ桜の様子を見に行ってきました。

ソメイヨシノは満開に近い木もあるのですが、まだこれからと思われる木も混ざっています。

今日は、はな曇りでしたので、花も少し雲った感じでした。でもなかなかこれもいいものです。

この公園の目玉は何と言ってもこのピンクのしだれ桜のトンネルです。
今年からライトアップも行なわれるということですが、まだまだ2~3分咲き程度でしょうか。

これが満開になればこの辺りでは一番の桜の名所です。

満開となるのは来週かもしれません。
ぼたん桜はその後ですから4月いっぱいは楽しめそうです。
そしてもう6月に咲くスカシユリの球根も植えられ芽が出ていました。
こちらも楽しみですね。

公園駐車場入り口に咲くソメイヨシノと案内石碑。
隣りに去年設置された都々逸之碑があります。
訪れた時少し目をとめてくださいね。
桜の花も開花したのに満開の便りが聞こえてきません。
まあ長く楽しめるので良しとしましょう。
今日夕方になって常陸風土記の丘へ桜の様子を見に行ってきました。

ソメイヨシノは満開に近い木もあるのですが、まだこれからと思われる木も混ざっています。

今日は、はな曇りでしたので、花も少し雲った感じでした。でもなかなかこれもいいものです。

この公園の目玉は何と言ってもこのピンクのしだれ桜のトンネルです。
今年からライトアップも行なわれるということですが、まだまだ2~3分咲き程度でしょうか。

これが満開になればこの辺りでは一番の桜の名所です。

満開となるのは来週かもしれません。
ぼたん桜はその後ですから4月いっぱいは楽しめそうです。
そしてもう6月に咲くスカシユリの球根も植えられ芽が出ていました。
こちらも楽しみですね。

公園駐車場入り口に咲くソメイヨシノと案内石碑。
隣りに去年設置された都々逸之碑があります。
訪れた時少し目をとめてくださいね。
柏原池の桜
今日は天気も良く暑いくらいになりました。
しかし花見にも出かけることができませんでした。
午後からは、夏に備えて、家のクーラーを一つ新しい物に取り換えてもらい、ガスもれのあったクーラの点検とガス注入につきあって夕方になってしまいましした。
ネタも切れてきたのにどこにも行かないと書くことが無くなりますね。
昨日夕方に柏原池公園の桜の様子を見てきたので紹介しましょう。

かなり咲いていましたが満開は今週末頃かもしれません。
もしかしたら今日大分咲いたかもしれないのですが、昨日の感じでは週末頃が良さそうに思います。

明日もまた雨だそうです。でもここの花はまだ散らずに越せそうに思います。

大昔に灌漑の跡があったと言われる柏原池ですが、きれいに整備して1周400mのジョギング、ウォーキングを楽しむ人がたくさんいます。

ここの桜もきれいです。
風土記の丘に来られたらすぐ近くですのでこちらもお立ち寄りください。

銚子へは今週末に出かけます。お釈迦様の誕生日で、国分寺の花祭りには行けそうにありません。
今年は桜も楽しめそうですので4月8日には国分寺へも行って見てください。
しかし花見にも出かけることができませんでした。
午後からは、夏に備えて、家のクーラーを一つ新しい物に取り換えてもらい、ガスもれのあったクーラの点検とガス注入につきあって夕方になってしまいましした。
ネタも切れてきたのにどこにも行かないと書くことが無くなりますね。
昨日夕方に柏原池公園の桜の様子を見てきたので紹介しましょう。

かなり咲いていましたが満開は今週末頃かもしれません。
もしかしたら今日大分咲いたかもしれないのですが、昨日の感じでは週末頃が良さそうに思います。

明日もまた雨だそうです。でもここの花はまだ散らずに越せそうに思います。

大昔に灌漑の跡があったと言われる柏原池ですが、きれいに整備して1周400mのジョギング、ウォーキングを楽しむ人がたくさんいます。

ここの桜もきれいです。
風土記の丘に来られたらすぐ近くですのでこちらもお立ち寄りください。

銚子へは今週末に出かけます。お釈迦様の誕生日で、国分寺の花祭りには行けそうにありません。
今年は桜も楽しめそうですので4月8日には国分寺へも行って見てください。
路角に子安地蔵堂?
先日紹介した銚子の権現山の脇を少し進むと道は銚子電鉄の線路を渡ります。

上の写真で、電車はこの銚子電鉄線で、銚子駅の方から観音駅などを通ってこの場所にやってきます。
写真の道路の右手のこんもりしたところが権現神社・愛宕神社のある権現山です。
そしてこの線路の左手の崖の上にも愛宕町の愛宕神社があります。

こちらは線路の反対方向ですが、すぐ先に「本銚子」の駅があります。
線路は単線です。

この線路の踏切脇の少し高くなったところにお堂があります。

色々な石像、石塔が置かれています。

このお堂の中にはたくさんの地蔵さんが置かれています。

この2体のお地蔵さんはどういう意味なのでしょうか。
最近では「仲良し」と題したお地蔵さんもあるようですので、そのような意味でしょうか。

このお堂の周りに集められている石像を見ると「子安観音」「子安地蔵」が多いように思います。
長く続いてきた土地の信仰の表れなのでしょう。
都会ではだんだんと忘れられていってしまったのが、この辺りに来ると大切に置かれています。
国分寺花祭り
今日はお釈迦様の誕生日ですから(常陸)国分寺でも花祭り(甘茶まつり)が行なわれました。
今年は桜もどうにか満開に合わせられて多くの人が来ていました。

私は仕事を終えて3時過ぎになって立ち寄りました。

もう人は大分少なくなってきていたようですが、桜も満開であり、またよい天候に恵まれとても良かったです。

薬師堂前の参道から表の通りもたくさんの屋台が出ていました。
近くのイベント広場の駐車場では歌も披露されたりしてにぎやかでした。

こちらは境内にある弘法大師堂です

こちらが薬師堂です。この花祭りはこの薬師堂が中心です。

薬師堂の入口には2体の釈迦像がおかれています。
お参りに訪れた人は皆お釈迦様の像に甘茶を熱心にかけていました。

本尊の薬師如来像が祀られています。

静かな境内もこの日ばかりは賑やかです。



この日はこのテントで甘茶・甘酒がふるまわれます。

5年前の大地震の時にはこの花祭りは中止となりました。
しかし、そのときも薬師堂前にはお釈迦様の像が置かれ、平安を願うため置かれていました。
あれから5年経ちますがまだ避難を続けている人がいます。
やはりいつも心に傷を負った人々に寄り添っていきたいと願いました。
今年は桜もどうにか満開に合わせられて多くの人が来ていました。

私は仕事を終えて3時過ぎになって立ち寄りました。

もう人は大分少なくなってきていたようですが、桜も満開であり、またよい天候に恵まれとても良かったです。

薬師堂前の参道から表の通りもたくさんの屋台が出ていました。
近くのイベント広場の駐車場では歌も披露されたりしてにぎやかでした。

こちらは境内にある弘法大師堂です

こちらが薬師堂です。この花祭りはこの薬師堂が中心です。

薬師堂の入口には2体の釈迦像がおかれています。
お参りに訪れた人は皆お釈迦様の像に甘茶を熱心にかけていました。

本尊の薬師如来像が祀られています。

静かな境内もこの日ばかりは賑やかです。



この日はこのテントで甘茶・甘酒がふるまわれます。

5年前の大地震の時にはこの花祭りは中止となりました。
しかし、そのときも薬師堂前にはお釈迦様の像が置かれ、平安を願うため置かれていました。
あれから5年経ちますがまだ避難を続けている人がいます。
やはりいつも心に傷を負った人々に寄り添っていきたいと願いました。
石岡近郊花めぐり(1)-国分尼寺跡
今日は風の会の会報印刷日。
午前中に印刷製本して一部を車で何時も置いていただいている場所に配って行く。
ただ配るのではなくせっかくなので桜のきれいな場所に寄り道して行った。
まずは常陸国分尼寺跡。
常陸国分寺跡と共に国の特別史跡に指定されている。
昔は国分寺と国分尼寺が共にわかっている場所が少なかったのでいばらき面では水戸の旧弘道館とこの石岡の2か所のみが国の特別史跡に指定されている。
国として特別大切な史跡という場所である。
桜がきれいなので立ち寄った。

国分寺の総本山は奈良東大寺。
一方国分尼寺は奈良の法華寺。正式名称は「法華滅罪之寺」である。

小学校の裏に広い広場が広がる。
その真中に2本の桜が植えられている。

ただ小学校側にも桜の木があり今の時期が一番きれいだ。

そのまま昔の宇都宮街道・瓦会街道へ。
この道はまぼろしの宇都宮街道といわれるが、今のギター文化館前の高台川を走り道路だ。
大昔、瓦会の窯で焼かれた瓦を常陸の都の国分寺に運ぶのにこの道が使われたと思う。

途中の嘉良寿理(からすり)あたりから向こう側の鐘転山(かねころばしやま)や難台山などの山並み。
まるで「山笑う」の季語がぴったり。
午前中に印刷製本して一部を車で何時も置いていただいている場所に配って行く。
ただ配るのではなくせっかくなので桜のきれいな場所に寄り道して行った。
まずは常陸国分尼寺跡。
常陸国分寺跡と共に国の特別史跡に指定されている。
昔は国分寺と国分尼寺が共にわかっている場所が少なかったのでいばらき面では水戸の旧弘道館とこの石岡の2か所のみが国の特別史跡に指定されている。
国として特別大切な史跡という場所である。
桜がきれいなので立ち寄った。

国分寺の総本山は奈良東大寺。
一方国分尼寺は奈良の法華寺。正式名称は「法華滅罪之寺」である。

小学校の裏に広い広場が広がる。
その真中に2本の桜が植えられている。

ただ小学校側にも桜の木があり今の時期が一番きれいだ。

そのまま昔の宇都宮街道・瓦会街道へ。
この道はまぼろしの宇都宮街道といわれるが、今のギター文化館前の高台川を走り道路だ。
大昔、瓦会の窯で焼かれた瓦を常陸の都の国分寺に運ぶのにこの道が使われたと思う。

途中の嘉良寿理(からすり)あたりから向こう側の鐘転山(かねころばしやま)や難台山などの山並み。
まるで「山笑う」の季語がぴったり。
石岡近郊花めぐり(2)-北条大池
毎月一回つくば市北条までいっている。
ふるさと’風’の会報紙を北条商店会のふれあい館(田村家)におかせていただいているからだ。
ここも土日しか開いていないので会報もなかなか減らない。
石岡の人にも、ここに居を構えていた多気氏の事を知ってもらいたいと思う。
なにしろ石岡でも大掾氏(だいじょうし)のことをどれだけ知っているのかいつも疑問に思ってしょうがない。
小田氏の換言で滅ぼされた常陸大掾氏の多気大掾が鎌倉初期までいた。
その後水戸の吉田(馬場)氏が大掾職を継いだ。

ここの平沢にある北条大池は桜の名所でもある。
そしてここには、この筑波山と麓に古代筑波郡衙「平沢官衙」がある。

毎年この時期に立ち寄るが、何時も花が舞い散る時期だ。
池には花びらが浮かぶ。
川ではないが「花いかだ」ができる。


この裏の山を越えたところは石岡の八郷地区だ。
ここから登ったところが不動峠で、向こう側が八郷地区の仏生寺から辻のイチゴ団地のところへ出る。



写真奥の建物が平沢官衙の古代の穀物倉庫などを復元した施設である。
不動峠からの山道は車ではなかなか通り難い。
もう少し風通しが良くなると中山地区など新たに訪れる人も増えるに違いない。
ふるさと’風’の会報紙を北条商店会のふれあい館(田村家)におかせていただいているからだ。
ここも土日しか開いていないので会報もなかなか減らない。
石岡の人にも、ここに居を構えていた多気氏の事を知ってもらいたいと思う。
なにしろ石岡でも大掾氏(だいじょうし)のことをどれだけ知っているのかいつも疑問に思ってしょうがない。
小田氏の換言で滅ぼされた常陸大掾氏の多気大掾が鎌倉初期までいた。
その後水戸の吉田(馬場)氏が大掾職を継いだ。

ここの平沢にある北条大池は桜の名所でもある。
そしてここには、この筑波山と麓に古代筑波郡衙「平沢官衙」がある。

毎年この時期に立ち寄るが、何時も花が舞い散る時期だ。
池には花びらが浮かぶ。
川ではないが「花いかだ」ができる。


この裏の山を越えたところは石岡の八郷地区だ。
ここから登ったところが不動峠で、向こう側が八郷地区の仏生寺から辻のイチゴ団地のところへ出る。



写真奥の建物が平沢官衙の古代の穀物倉庫などを復元した施設である。
不動峠からの山道は車ではなかなか通り難い。
もう少し風通しが良くなると中山地区など新たに訪れる人も増えるに違いない。