樅山神社(鉾田市樅山)

 昨日紹介した徳宿から少しいったところに樅山(もみやま)というところがあります。
そこの古くからある神社「樅山神社」があるというのでやってきました。

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うっそうとした神社の森の両側は畑であり、ボタン桜が満開でした。(いまから2週間くらい前です)
ここが神社参道の入り口です。
右側に「村社樅山神社」との石碑が立っています。

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左側には「愛宕神社大権現」とあります。どうやらここには2つの神社がまつられているようです。

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創建は多くの古い神社と同じく大同2年(807)。ここに書かれているように853年の棟札の写しが残されているというのでこの創建年代はある程度信用できそうです。

(大同2年は坂上田村麻呂が蝦夷征伐を成し遂げ、アテルイなどが処刑されたのは802年。その後東北を征服してこの年までに多くの神社が建立された。そしてそれまでの歴史を塗り替えた。?)

この神社も、きのう書いた徳宿氏(鹿島氏の長男)の領地であり、神社も徳宿氏が庇護したようだ。
しかし、徳宿氏が江戸氏に攻められたときにこのあたりも合戦となり神社は焼けた。

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神社拝殿まで長い参道が続きます。

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鳥居にはしめ縄が渡され通りにくいですが、くぐってまいります。

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手前の狛犬などは比較的新しいようです。

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境内社があります。入口に表示があった愛宕神社のようです。

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もう一つ少し小さな祠があります。

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拝殿。

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神社の詳細は下記の縁起を読んでください。
ちょっと読み込むのにこちらも少しパワーがなくなってきました。

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こちらが本殿。
市指定の文化財に指定されています。
1600年に建てられ、修復を重ね、1983年に本格修理が行われたようです。

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この神社は調べてみたがよくわからなかった。
市指定の社殿があるというのでやってきたのだが・・・。

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神社両側のボタン桜は見ごたえのあるものでした。

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鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/01 18:42

玉沢稲荷神社(冷水)-1

 鉾田市の徳宿から樅山へ行き、もう一か所そのまま東に進んで子生(こなじ)の少し南にある「冷水」というところに行きました。
ここの稲荷神社の本殿が文化財というので探しながら行きました。

冷水さんはこのあたりの出身なのでしょうか。

国道51号線沿いに冷水への案内看板があったのでそのまま東の鹿島灘方面に進みました。
すると道は狭くなってくねくねしてどこを走っているのかわからなくなってきました。

それでもそれらしき場所を探しているとこんもりとした場所があり、そこが探していた玉澤稲荷神社でした。
鹿島灘が近いことはわかりますが、ここから直接海は見えそうで見えません。

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通りよりは少し下がって、少し上った場所に神社があります。



鹿島灘には砂浜の美しい冷水海岸があり、この鹿島灘と玉澤稲荷神社の領域を含めて「茨城の自然100選」に登録されているそうです。

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稲荷神社ですのでキツネがあちこちに置かれています。

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この神社も古く樹齢800年ほどの木もあるようです。

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源頼義が長男の八幡太郎義家とともに前九年の役で奥州征伐に向かう時にここで霊験を授かったという伝承もあるとようです。
ただ石岡から見ると頼義がこのあたりを通ったというのはどうもイメージがわきません。

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深い樹叢の中に建てられた神社という感じですが、すぐ先は海がきっと見下ろせる場所であったのだと感じます。
風や音はまさに海を感じます。

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稲荷神社ですので祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ですので食物・穀物の神様です。

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ここの本殿は市の文化財ですが彫刻などは目を見張るものがありました。
時間も無くなりましたのでこちらは明日書きます。

それにしても世の中は連休ムードですが、どこに行っても行楽地は人がいっぱいのようです。
こういう時はおとなしく家でのんびりしていましょう。

「ふるさと風の会」の会報が120号を迎える。
月1回の発行だから10年になる。

10年ひと昔とはいえなかなか続けることは難しい。

こちらの記念号も来月発行するのでそろそろ記事も書かねばならない。

結構やることがあるものだ。


鉾田 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/05/02 21:21

玉沢稲荷神社(冷水)-2

 昨日の続きです。
鹿島灘も砂場が侵食されてきて昔より砂浜が減ったように思います。
この冷水海岸は今回も立ち寄りませんでしたが、すぐ北側の子生は常陸国国分寺の雌雄の鐘が海から引き上げられたと伝わる場所です。
なにかそんなことでも親しみが沸きます。

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さて、この冷水にある玉沢稲荷神社の本殿には立派な彫刻が施されていました。
本殿および拝殿は鉾田市指定の文化財です。

1725(享保10年)の製作とされています。

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図柄は一般的には中国の関係したものが多いのですが、松などがあしらわれているのはどこ日本的です。
ただ調べても図柄の意味しているものはよくわかりませんでした。
あまりネットなどで紹介されてはいないようです。

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こちらは拝殿。

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樹齢数百年の樹木。スタジイ?

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本殿の入り口扉なども色鮮やかな模様が施されています。

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こちらのサイドの彫刻は中国の賢人でしょうか。
稲荷神社と儒教がどのように結びつくのかはまったく知識はありません。

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本殿裏のキツネさん。
このすぐ裏の土壁をみれば、海沿いの山を削ってここに神社を建てたことがわかります。

本来は裏手の木々が邪魔をしなければ鹿島灘が見渡せたのかもしれません。
このような色鮮やかな本殿も久しぶりです。

城里町の悪路王の首があったと伝わる鹿島神社の本殿を思い出しました。
(以前の記事:こちら


鉾田 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/03 18:41

光福寺(鉾田市梶山)

 旧玉造町から国道354号線(北浦バイパス)で霞ケ浦の北浦を渡る。
この北浦にかかる橋は鹿行大橋で、東日本大震災で橋が落下して被害を出した。
当時は新しい橋の工事中であったが、この橋は今では立派な橋になった。

この橋の名前の由来は鹿島、行方(なめかた)地方をつなぐ橋という意味だと思うが、行方側から渡った先は鹿嶋市ではなく鉾田市になる。
橋を渡って北浦沿いを少し北上すると梶山集落があり、少し右の山側に入って場所に「光福寺」がある。

ここの楼門が少し変わっているというのでついでに立ち寄ってみた。

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真言宗豊山派 医王山密蔵院光福寺 鉾田市梶山846

寺の本尊は薬師如来像で、高さ14.2cm、胴周9cm、重さ230グラムという小さな金銅仏で、この楼門とともに鉾田市(旧大洋村)の文化財に指定されている。

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楼門の2階部分(鐘楼を吊るす部分)が低い(狭い)のが特徴的。
そこに掲げられた「光福寺」と右から書かれた扁額は中国の僧が書いたものと言われている。

この門の製作年代は江戸時代後期とみられている。

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日本式の楼門とは趣が異なり、どこか中国式の門となっているようだ。
この寺はかなり古く、元は北浦湖畔付近に近い場所にあったという。

それを現在地に移したのが大同3年(808年)だという。
寺としてはかなり古い。

本尊の薬師如来像は平安時代後期の作と言われている。

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この境内も緑がきれいで気持ちがよい。

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寺の本堂は火事で焼失した後、昭和32年に再建されたものだという。

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寺の前はこのような畑で、こちらではネギ?などの野菜が収穫されるようだ。

今日は朝からかなり雨が降った。
そんな中、用事があり福島県いわき市まで出かけてきた。

6号国道が北の方まで通れるようになり、福島の少し北まで見てきた。
こちらも後に紹介したい。

今日は疲れたのできのう書きかけていた記事を完成させてUPします。

鉾田 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/05/04 21:38

福島の原発災害地近くへ(1)

 昨日は妻に頼まれていわき市へ出かけました。

2011年3月の大震災で福島原発近郊の町の人々の多くが福島県南端の比較的放射線量の低いいわき市の仮設住宅に移りました。
そして私の妻は仮設が建設された直後の9月ころよりNPOの活動として毎週土曜日になると小さな軽ワゴン車に野菜や、日用品などをいっぱいつめて現地で販売しています。
仕入れは直接農家さんなどで卸売りの値段で分けてもらい店売りの価格より安くなるように努力して販売しています。

最初は仏花などを無償で配ったりしておりましたが、長く続けるには無償などではとても続けられませんので、有償はいたし方ありません。

困っている人を見ると何とか手助けがしたいとの思いのほうが勝ってくるようです。
仮設住宅に引きこもっていたお年寄りも出てきて話をするようになり、コミュニケーションの場ともなっています。

ほとんど休み無く、雨の日も風の日も出かけていきます。

荷物の準備は手伝ってくださる方がおりますが、現地に行くのは一人のみです。

片道120~130kmほどあり、市町村ごとに仮設住宅の場所が異なり、数箇所を回ります。

そんな中、88歳のおばあさんが亡くなりました。
いつもこの販売車を楽しみに待っていてくれる方でした。

それが2ヶ月ほど前に急に入院して病院に数回お見舞いにも行っていたのですが、残念ながら帰らぬ人になってしまいました。
胆管癌でした。

そのおばあさんはご主人を数年前になくされ、子供もいないため身寄りが誰もいないのでした。

自宅周りの除染が終わりやっと戻れるようになったと喜んで、自宅をバリアフリーに改造などして帰宅するのを楽しみにしていた矢先です。

先週末に出かけた時も病院に行き、危篤となっていて妻も現地に一泊して翌日亡くなったのを見送りました。

そして、ご自宅の近所の方が親身になってお葬式をだしてくれました。
仮設で知り合った方にも妻から連絡したりして、妻もお葬式に行きたいとの話になったのです。

いつもの軽自動車でトンボ帰りするのは大変だろうと今回は私が私の車で送っていくことにしたのです。

私も現地がどんなになっているかを見てみたい気持ちがありました。
当日(昨日)は朝から風雨が強く、式が始まる11時頃には雨もやむ予報でしたので2時間半ほど前の8時半頃に出発です。

連休での混雑が多少心配でしたがそれほど常磐道は込んでいませんでした。
ひたち海浜公園に行く車が水戸の手前まで混んでいたくらいです。

そして涙雨・・・・。

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時間にも少し余裕がありそうなので「関本PA」で小休憩。
ここが茨城県の最北のPAです。

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PA(パーキングエリア)ですが、24時間オープンのコンビニがあります。
食事ができる場所もあります。

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小雨が降る中、新緑や色ついたモミジなども目にやさしく飛び込んできます。

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ここ関本は勿来関に近くそこから名前がついたと思いますが、ここからほんの少し北へ走ると福島県に入ります。

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常磐線の駅名では大津港駅が最も近くなります。

今回いわき市に行って地元の方との会話でこの関本が現地の人にはどういうところであるかを知りました。
このPAなどには何の表示もありません。

それは常磐炭鉱で大いににぎわっていたときです。
明治から炭鉱がいわきを中心に発掘され、この関本でも石炭が見つかり発掘が行われました。

石炭の採掘が始まるのが遅かったせいもあり、このの石炭が一番最後まで採掘されたのです。
他の炭鉱が昭和30年始め頃に次々と閉鎖になっていった中で、関本の炭鉱では昭和40年半ばまで採掘が行われていたのです。

石炭の供給でいわき地方は大いに発展したのです。
そんなこともあり広野に火力発電所ができ、その北の大熊町、双葉町町、楢葉町に原子力発電所が建設されたのでしょう。

今ではこれがなかなか帰ることのできない地となってしまったのです。

斎場はいわき中央インターから近い場所でした。
30分前には到着し、私は式には出ませんので街中の見学です。

その後式も終わり、避難してきている人の故郷などへ行ける範囲で行ってきました。

変わり果てた海岸、復興の進んだ場所、元気に地元を盛り立てているお祭りなどいろいろな姿が見られました。
次回から順に少しだけ紹介したいと思います。

(続く)



近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/05 19:00

福島の原発災害地近くへ(2)-四倉港

 いわき市から6号国道を北へ少し行ってみることにしました。
道路はしばらく内陸を走っていきますが、四倉(四ツ倉)で海岸近くに出ます。

四倉港には道の駅があります。

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そして海の方を見ると海は見えずに陸が盛り上がって見えます。

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そしてこのような巨大な壁が港の周りを覆っています。

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また港側もかなり盛り土をしています。

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5月4日は地元のお祭りでした。
雨が上がったといってもこのあたりはまだ薄曇りです。

ここ四倉では7月にねぶた祭りがおこなわれているそうです。

しかし、ここ四倉港内にあったねぶたを保管してあった「ねぶた小屋」は資材もろとも津波で流されてしまいました。
しかし中止した年もあったようですが、また復活して町を盛り上げているようです。

そしてこの日(5/4)は地元諏訪神社の祭礼がありました。

このどんより曇った中を元気よくみこしを担いで行きます。
四倉はまだいわき市です。
福島原発からも比較的近いのですが、いわき市は比較的放射線量が低くいわきの中心部では特に問題になるような値ではなかったのです。

それでも四倉の方はかなり心配して避難をしたりした方も数多くいたようです。

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元気に笑顔で神輿を担ぐ姿は、やはり応援したくなりますね。

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海岸を少し北に進んでみましたが盛り土が続き、道路がいたるところで整備が行われていました。

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盛り土には木が植えられ、何十年かしたら立派な並木になっているのかもしれません。



(続く)

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/06 06:35

福島の原発災害地近くへ(3)-久ノ浜

 四倉港を後にしてさらに北上します。

6号国道(陸前浜街道)は四倉から海沿いを走ります。
トンエルもあります。
トンネルを抜けるとそこに波立薬師があります。

そして東日本大震災で大きな津波被害を受けた久ノ浜があります。

国道は少し内陸側を走っているので浜から漁港の方に行ってみました。

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きれいな砂浜だった久ノ浜は津波で大きな被害を受けました。
何軒も家が流されました。

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浜であった場所には高い盛り土がされていました。

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道路側から海が見えません。
このような盛り土を登ってみなければ海が見えないのです。

大きな被害を受けた人たちからは確かに防潮堤や盛り土などがなければ安心できないでしょう。

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U-Tubeなどにもこの久ノ浜の津波映像が残されていました。
商店会も津波や火災で壊滅的な被害があったと聞いています。
浜の風景がすっかり変わってしまいました。 複雑な思いがします。

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この浜も次第に慣れて美しい風景が戻ってくるのでしょう。
しかし、多くの人が避難したりして、ここはだいぶ戻ってきているようですが町の復興はまだ道半ばかもしれません。

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久ノ浜はまだいわき市です。

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そして浜をさらに進むと先端の岩を回った先に「久ノ浜港」があります。

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ここは入り江となっていて船着き場があります。
ただ住宅街はありません。
静かな港です。


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浜の近くに諏訪神社がありました。
こちらの神社でも祭礼で祭りがおこなわれていました。
四倉も諏訪神社の祭り、こちらも諏訪神社の祭りです。(5月4日)

神社は津波被害をまぬかれたようです。
震災復興の中核となって水や食料などを配ったそうです。

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立派なクロマツ

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5月4日はこの神社のお祭りで神幸祭が行われました。
神輿がこの神社から出発して町を練り歩いたようです。
私たちが訪れた時は浜の盛り土に張ったテントで一部の神輿と休憩する人たちがいました。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/06 19:25

福島の原発災害地近くへ(4)-広野町

 久ノ浜海岸を後にして福島第一原発30km圏内に突入です。

いわき市のすぐ北は「広野町」で、ここには原発はありませんが火力発電所があります。
久ノ浜から広野までは常磐線でも景色がよい場所なのです。

♪♪今は山中、今は浜、
   今は鉄橋渡るぞと
   思う間も無く トンネルの
   闇を通って広野原(ひろのはら)♪♪

この汽車という歌の歌詞はこのあたりの景色を歌ったものという。(説により異論もある?)
広野駅の発車のメロディにもこの歌が使われている。

広野は原発事故で原発から半径20~30km圏内になり、全町民が避難しました。
そして役場もいわき市内に移転し、多くの住民が緊急避難して、半年後に仮設住宅に移りました。

この「緊急時避難準備区域」の指定も原発のさらなる爆発の恐れが無くなり、除染なども行って事故後1年たった2012年3月末にこの指示が解除され、住民も少しずつ帰宅して今では家を失った人などを除いて多くの人が帰宅しているようです。
1年半後から学校も再開され、徐々に昔の生活に戻り始めています。

避難所にいる人からは
「最近役場のところにイーオンができたのよ。 ここで買い物ができるの。」

などという話が聞こえてきました。

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ここが広野町役場です。
その目の前に「ひろのてらす」というテナントモールが今年3月にでき、その中にIEONEがオープンしたのです。

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IEONというのでもっと大きなビルかと思いましたが、こじんまりしたスーパと変わりません。
ただIEONのネットで注文した商品がこちらのお店で受け取れるようです。

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町役場のとなりに「みかんの丘」というみかん山がありました。
30年くらい前に温暖な気候をアピールしようと温州ミカンの苗木を200本を丘に植え、毎年11月には地元幼稚園児らがみかん狩りをするのが恒例行事となっていたそうです。
そしてこのみかん狩りも原発事故で中止され、2013年秋に基準値を下回ったといって復活したそうです。
でも子供が食べるのには少し気になりますね。

みかんができるほどこの広野町は温暖な気候のようです。

放射能の値は原発から北、北西が高くなっていますが、正確に測定して基準を緩めることなどせずに安心といえる数値を提示してくださいね。

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IEONの内部。ほぼ食料品売り場で、価格なども他のIEONとあまり変わらないようです。

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テナントですので、隣にはレストランが入っていました。ラーメン屋もあります。




近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/07 16:55

福島の原発災害地近くへ(5)-楢葉町

 広野町から北の楢葉町へやってきました。
常磐高速は山側を走っていて全線開通しましたが、国道6号線はもう少し北に行くと車での通行はできますが、徒歩やバイクでの走行ができない区間が出てきます。

楢葉町は一部の住民の帰還が始まっているようですが、来年春の全町民帰還に向けて動いているようです。
現在は町民約1万5千人の半数(約8000人)が楢葉町に戻ってきているそうです。

町役場はまだ避難民がいるため、会津といわきの2箇所に出張所があります。

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こちらの裏手の建物が楢葉町役場です。
手前にプレハブつくりのお店がオープンしました。

まだお客さんは少ないようです。
町民の帰宅はまだ始まったばかりで、町を走っていても工事関係者以外の住民の姿は少ないです。


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隣にやはりプレハブの郵便局が置かれています。
その隣の立派な建物は「楢葉町歴史資料館」だそうです。

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少しメイン道路から離れてみると町のあちこちにブルーシートなどに覆われた黒い汚染土壌の山が置かれています。
奥に見えるのは常磐高速道路です。

それにしてもあまり町の人も見かけません。

近くに災害復興住宅が建設する看板があり、基礎工事が始まっているようですが、まだまだこれからです。

行政も会津、いわき、楢葉と3つに分散し、職員も毎日のように行き来しているようです。
まだ高速がつながっていて、現地の人たちはまだ無料で走れるようですが、これも次第に終わりになってしまいます。

まだ人も建物も復興というのには程遠い気がしました。
一日も安全が確認され、不安の無い日々が送れるように願わずにはおれません。

(続く)


近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/08 12:27

福島の原発災害地近くへ(6)-竜田駅

 楢葉町は福島第2原発のある富岡町の隣です。
事故を起こしたのは福島第1原発で、さらに北の大熊町、双葉町になります。

それでもこの楢葉役場のあたりで第一原発から20km圏内になりそうです。

ここから先に進むのは今回は時間も無いのであきらめました。

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ふくしま復興ステーションHPより No13が事故を起こした第一原発)

ピンク色に区分けされたところは帰宅困難地域で当分帰れる目途は立ちません。
長く滞在すると危険とされています。
現在福島第一原発での作業者たちも色分けされていない場所から車で通っているようです。

現在常磐高速や国道6号線は一応通過できるようになりましたが、このピンクの場所は車から降りずに走り抜けるようにしているようです。6号国道も徒歩やバイクの通行制限区域があります。

一方鉄道ですが、常磐線はこの楢葉の「竜田駅」が現在の終点です。
この駅の様子を見てきましたので報告します。

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これが竜田駅(楢葉町)です。
常磐線は本来は仙台までつながっていたのですが、上野からはいわきまで行き乗り換えてこの竜田で終点です。
(2014年6月にここまで開通)

これ以上北へはいけません。

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時刻表を見ても2時間~1時間に1本の電車が出ています。(いわき~竜田間、一部水戸)

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駅の切符売り場窓口に駅員さんが一人おります。
また駅の外にタクシーが1台だけ手持ち無沙汰な様子で停まっていました。

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駅の待合室には楢葉町の復興の写真が貼られています。

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駅のホームは2つ。手前が下り線ホームで向こう側が上り線ホームです。
下り線は現在ここまでですから上り線ホームだけが使われています。

向こう側のホームには下り線路の上に渡しを架けてわたります。

現在の予定では来年末までに富岡町までの開通を見込んでいるようです。


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この階段は現在不要なため閉鎖されています。

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駅の外には放射能測定器が設置され、この日の値は1時間に0.178μSvでした。
やはり1桁高いですね。これでも、もうここは避難区域ではありません。

現在国の除染を行う時の基準は0.23μSv/h(年間1mmシーベルト)ということですので、高いですが基準値以下ということになります。

しかし、山や排水溝などはどの程度になっているのかやはり気になります。

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ここから北へは原ノ町まで1日に2本のバスが運行されています。
しかし途中停車はありません。

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駅前に住宅街がありますが誰も歩いていません。

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そして現在道路整備や復興住宅の建設などが急ピッチで始まっているようです。

この故郷に帰りたい! 帰りたいけど心配!
子供たちが何も心配せずに暮らせる日がいつくるのでしょうか。

道路や家の周りの除染は終わったとしていますが、山までは手がつけられていません。
山から流れてくる川の水が心配ないというにはまだまだ時間がかかるように思います。

原発などに頼ってきた町の再興は決して楽なものではないでしょう。
原発事故などが起こればあまりにも悲惨な状況が出現します。

想定外、原発を再開するに当たっても規制委員会と政府がお互いに責任逃れの発言しかしない。
そんな状況でどこにも持って行き場のない核廃棄物の処分のめどなどまったく立たない。

本当に怒りがこみ上げてきます。

二度とこんな悲劇が起こらないことを切に願うだけです。


近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/09 13:45
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