ハマヒルガオ
鹿島灘の海岸線沿いには今「ハマヒルガオ」があちこちで咲いています。
海からの風にも負けず可憐に咲き誇ります。
花言葉は「絆(きずな)」

東日本の震災による津波の被害がこのあたりもあったのでしょう。
地震は30分後にもう一度あり、この2度目の地震はこの鹿島灘沖でした。
近くの鹿行大橋が落下し、鹿島神宮の大鳥居も崩落。
また津波も東北ほどではなかったものの大きな被害になりました。
この堤防がかさ上げされて人間の背の高さより高くなると近づいても堤防に上らないと海が見えません。

吉田松陰なども水戸から鹿島に来たときはこの砂浜を歩いたのでしょうか。
浜を歩いた記録が残っています。

松陰は銚子まで(潮来から船)行っていますが、この風車のある風景を見たらどう思うでしょうか。
ブログのネタも尽きてきました。
さてどうしようか・・・・
海からの風にも負けず可憐に咲き誇ります。
花言葉は「絆(きずな)」

東日本の震災による津波の被害がこのあたりもあったのでしょう。
地震は30分後にもう一度あり、この2度目の地震はこの鹿島灘沖でした。
近くの鹿行大橋が落下し、鹿島神宮の大鳥居も崩落。
また津波も東北ほどではなかったものの大きな被害になりました。
この堤防がかさ上げされて人間の背の高さより高くなると近づいても堤防に上らないと海が見えません。

吉田松陰なども水戸から鹿島に来たときはこの砂浜を歩いたのでしょうか。
浜を歩いた記録が残っています。

松陰は銚子まで(潮来から船)行っていますが、この風車のある風景を見たらどう思うでしょうか。
ブログのネタも尽きてきました。
さてどうしようか・・・・
ハナニラ
茨城県の東端であり神栖市波崎町は東は鹿島灘に面し、南は利根川河口をはさんで銚子市と向き合っている。
先日の波崎公園に立ち寄った時に一面白い花が広がっていた。

近づいてみるとハナニラ(花韮)のようだ。
シロツメクサ(クローバー)とこのハナニラの花が遠くから見ると白く輝いて見えた。

ハナニラはあまり花言葉が暗いイメージのものばかりのようだが、こうして可憐に咲くのならもう少しかわいらしい花言葉があっても良いように思う。
ハナニラの花言葉:「別れの悲しみ」「耐える愛」「恨み」「星に願いを」など
ニラと同じで匂いがきついようなのが災いしているのかもしれない。
でも「星に願いを」と聞くとディズニーのピノキオのテーマ曲ですね。
先日の波崎公園に立ち寄った時に一面白い花が広がっていた。

近づいてみるとハナニラ(花韮)のようだ。
シロツメクサ(クローバー)とこのハナニラの花が遠くから見ると白く輝いて見えた。

ハナニラはあまり花言葉が暗いイメージのものばかりのようだが、こうして可憐に咲くのならもう少しかわいらしい花言葉があっても良いように思う。
ハナニラの花言葉:「別れの悲しみ」「耐える愛」「恨み」「星に願いを」など
ニラと同じで匂いがきついようなのが災いしているのかもしれない。
でも「星に願いを」と聞くとディズニーのピノキオのテーマ曲ですね。
波も穏やかな日もあれば荒れる日もある。
今日も朝から銚子に出かけてきました。
あちこち散策しながら行くので真っ直ぐ行くよりも10~20kmほど余分に走ります。
また時間も1時間ほど余計に費やしてしまいます。
でもこれもまた楽しいのです。
今日は香取神宮の方を回って行ってきました。少し行ってみたいr所があったからです。
穏やかな天気で霞ケ浦も銚子の港も波は静かでとても穏やかな日でした。
帰りは神栖の広い道を通って帰りました。
正面に夕日がどんどん高度を下げて段々とオレンジ色が濃くなり、太陽も姿をはっきりととらえられます。
それにしても日没がかなり遅くなりました。
もうすぐ夏至ですね。 今年は6月21日だそうです。
さて今日は疲れたので記事も書くのをやめようかとも思ったのですが、5年以上続けてきてこんなことで途切れるのもsつまらないですから少しだけ書いておきます。

銚子と向かい合った茨城県側の波崎の公園に置かれていた看板です。
「コアジサシ」のことが書かれています。
アジサシより小さいのでコアジサシ?
空から水中の小魚めがけて飛び込む。

この銚子との間の中州(利根川河口)のような場所は絶好のすみかとなるようだ。
こうして人工的にできた堤防中洲も、このような鳥の生態を保護するために守っていかねばならないようです。

この写真を撮ったのは5月11日。もうだいぶ前のことです。
天気も悪く強風が吹き荒れていました。
波崎港も波が高く、銚子大橋も渡るのが少し怖いくらいでした。
(6月3日の今日は全く波もなく穏やかでした)
あちこち散策しながら行くので真っ直ぐ行くよりも10~20kmほど余分に走ります。
また時間も1時間ほど余計に費やしてしまいます。
でもこれもまた楽しいのです。
今日は香取神宮の方を回って行ってきました。少し行ってみたいr所があったからです。
穏やかな天気で霞ケ浦も銚子の港も波は静かでとても穏やかな日でした。
帰りは神栖の広い道を通って帰りました。
正面に夕日がどんどん高度を下げて段々とオレンジ色が濃くなり、太陽も姿をはっきりととらえられます。
それにしても日没がかなり遅くなりました。
もうすぐ夏至ですね。 今年は6月21日だそうです。
さて今日は疲れたので記事も書くのをやめようかとも思ったのですが、5年以上続けてきてこんなことで途切れるのもsつまらないですから少しだけ書いておきます。

銚子と向かい合った茨城県側の波崎の公園に置かれていた看板です。
「コアジサシ」のことが書かれています。
アジサシより小さいのでコアジサシ?
空から水中の小魚めがけて飛び込む。

この銚子との間の中州(利根川河口)のような場所は絶好のすみかとなるようだ。
こうして人工的にできた堤防中洲も、このような鳥の生態を保護するために守っていかねばならないようです。

この写真を撮ったのは5月11日。もうだいぶ前のことです。
天気も悪く強風が吹き荒れていました。
波崎港も波が高く、銚子大橋も渡るのが少し怖いくらいでした。
(6月3日の今日は全く波もなく穏やかでした)
里山の風に声して10年
今日は「ふるさと風の会」の会報印刷日。
この会報も今回が121号となり、月1回だから10年と1か月になる。
一言に10年といっても毎回休むことなくすべて会員の会費のみと手作りの印刷でA3裏表で5枚20ページの印刷と製本をしてか会員がすべて関係者に配ったり、、自分たちで公民館などにおかせていただいている。
車に乗れない人は自転車で配っている。
全部で500部ほどだが、それぞれが自分のできることを懸命にやって今日まで続いてきた。
会のテーマは「ふるさとの歴史・文化の再発見と創造を考える」を軸に、会員それぞれの思い・志を出来るだけ大声に会報に述べて行く、語って行く」ことです。
ふるさとから風に声してはや10年。
私はまだ途中からの参加で印刷機と会合場所の提供や広報としてのホームページの製作(ドメインの維持管理、HP作成更新)などをやっています。
今までの会報は下のリンク先をクリックして左のサイドメニューに過去の会報がすべてPDFで保存されていますので世界中どこからでも見ることができます。
ふるさと風の会のホームページ ⇒ こちら
今日はこの会報を持ってあちこち行ってきました。

ここは土浦市の小町の里の少し先です。
田んぼと山とこの時期ならではの木々の色合いに魅せられて車を狭い道に止めパチリとおさめてきました。
この若葉の色合いはいいですね。

田に張られた水にもきれいな水が流れ込んでいました。

小町の里はこの上の写真の右側の山の麓です。
左側の緑深いあたりに流鏑馬で知られた「日枝(ひえ)神社」があり、そのもっと奥の山の方に入ったところに筑波四面薬師の一つ東城寺があります。
山を越えた向こう側が石岡市の仏生寺地区で、小町が訪れたといわれる北向観音があります。
今回も小町の館に8部ほどおいていただき、そのままつくば市北条地区に行ってきました。
ここの北条ふれあい館(田村家)に5部ほどおいてきました。
うれしいことにここでは前回の会報がすべてなくなっていました。
土日しか開いていない場所なので、今まではあまり減らなかったのです。
北条の街も最近盛んにいろいろな催しをしたりしていますので石岡とも関係が深い?北条にもメッセージが届くといいですね。
北条は石岡とどこが関係があるの? なんて思う人は、石岡の人にも、北条の人にもまだまだたくさんいるようです。
残念なことです。
この会報も今回が121号となり、月1回だから10年と1か月になる。
一言に10年といっても毎回休むことなくすべて会員の会費のみと手作りの印刷でA3裏表で5枚20ページの印刷と製本をしてか会員がすべて関係者に配ったり、、自分たちで公民館などにおかせていただいている。
車に乗れない人は自転車で配っている。
全部で500部ほどだが、それぞれが自分のできることを懸命にやって今日まで続いてきた。
会のテーマは「ふるさとの歴史・文化の再発見と創造を考える」を軸に、会員それぞれの思い・志を出来るだけ大声に会報に述べて行く、語って行く」ことです。
ふるさとから風に声してはや10年。
私はまだ途中からの参加で印刷機と会合場所の提供や広報としてのホームページの製作(ドメインの維持管理、HP作成更新)などをやっています。
今までの会報は下のリンク先をクリックして左のサイドメニューに過去の会報がすべてPDFで保存されていますので世界中どこからでも見ることができます。
ふるさと風の会のホームページ ⇒ こちら
今日はこの会報を持ってあちこち行ってきました。

ここは土浦市の小町の里の少し先です。
田んぼと山とこの時期ならではの木々の色合いに魅せられて車を狭い道に止めパチリとおさめてきました。
この若葉の色合いはいいですね。

田に張られた水にもきれいな水が流れ込んでいました。

小町の里はこの上の写真の右側の山の麓です。
左側の緑深いあたりに流鏑馬で知られた「日枝(ひえ)神社」があり、そのもっと奥の山の方に入ったところに筑波四面薬師の一つ東城寺があります。
山を越えた向こう側が石岡市の仏生寺地区で、小町が訪れたといわれる北向観音があります。
今回も小町の館に8部ほどおいていただき、そのままつくば市北条地区に行ってきました。
ここの北条ふれあい館(田村家)に5部ほどおいてきました。
うれしいことにここでは前回の会報がすべてなくなっていました。
土日しか開いていない場所なので、今まではあまり減らなかったのです。
北条の街も最近盛んにいろいろな催しをしたりしていますので石岡とも関係が深い?北条にもメッセージが届くといいですね。
北条は石岡とどこが関係があるの? なんて思う人は、石岡の人にも、北条の人にもまだまだたくさんいるようです。
残念なことです。
小町像など
土浦市の小町の里(旧新治村)へのアクセス道路に沢辺橋という橋がある。
下を流れる川は「天の川」といい高浜r手前で恋瀬川と合流して霞ケ浦にそそぐ。
この橋の四隅の欄干に、2000年に旅姿をした小町の像がおかれている。

通るたびにこのお顔を少し見てみたくなる。

車を停めてお顔を拝見してきました。
前に見たときより苔が増えておりました。
向かって左側。

向かって右側。
まあ何をやっているのか自分でも呆れていますが・・・・。
絶世の美女でしょうかね。
少し現代的なお顔の様に思います。
さて先日石岡の市役所に行ってみましたが建物がすっかりなくなっていました。
まだ下の方の基礎部分などはまだ残っていますのでもう少し撤去には時間がかかるのかもしれません。
市役所入口も今までと雰囲気が違い一瞬間違ったかと思ってしまいました。


下を流れる川は「天の川」といい高浜r手前で恋瀬川と合流して霞ケ浦にそそぐ。
この橋の四隅の欄干に、2000年に旅姿をした小町の像がおかれている。

通るたびにこのお顔を少し見てみたくなる。

車を停めてお顔を拝見してきました。
前に見たときより苔が増えておりました。
向かって左側。

向かって右側。
まあ何をやっているのか自分でも呆れていますが・・・・。
絶世の美女でしょうかね。
少し現代的なお顔の様に思います。
さて先日石岡の市役所に行ってみましたが建物がすっかりなくなっていました。
まだ下の方の基礎部分などはまだ残っていますのでもう少し撤去には時間がかかるのかもしれません。
市役所入口も今までと雰囲気が違い一瞬間違ったかと思ってしまいました。


戸田神社(香取市)
香取神宮のわきを通って県道55号線をそのまま進むと赤い鳥居がたくさん連なる「多田朝日森稲荷神社」を通ります。
そしてそのまま旭市に向かって進んでいったところに大きな鳥居がありました。
何か由緒がありそうな神社が山の上にありそうです。
そこで車を停めて立ち寄ることにしました。
神社は「戸田神社」となっていました。
場所は旧山田町の米野井となっています。

由緒が載っていますが、驚くべきことに創建は天平8年(736)とのこと。
祭神は大国主命だそうだがこの説明では戸田大神となっている。
調べると出雲国の「杵築大社」を勧請したので大国主命を祀るものだという。
十二年に一度の式年神幸祭が行われ(子年)、前回は2008年であるので次回は2020年の子年。
神幸祭ではこの神社から利根川まで(阿玉川地区)行ってお浜降りの儀式が行われていたという。

これだけの大きな神社だが社務所はなく無住のようだ。

社殿は正徳5年(1715)に再建されたものでかやぶき屋根などを含め、明治36年に改修されたという。
これだけ興味深い神社だが説明があまり紹介されていない。

この近くに長谷寺・観音堂があったようだが、もう少し詳しく調べてみないとその姿が見えてこない。

本殿もかなりしっかりしたものと見える。
この場所が現在は香取市ではあるが合併前は「山田町」であったせいなのかもしれない。
山田町にもいくつか興味深い神社や寺がある。
廃仏毀釈で寺がつぶされてしまったのかもしれない。
長谷寺との関係も興味がある。
また少し行ったところに「徳星寺」という比較的大きな寺もあった。(今回は立ち寄らなかった)
また阿玉台貝塚や府馬の大クスなる古木もある。
大昔には香取海から入り込んだ大きな内海が近くに広がっていたはず。
どんな景色だったのだろうか。
以前の府馬の大クス(こちら)や阿玉台貝塚(こちら)や久保神社(こちら)などを紹介した。
どこかでつながりそうである。




境内に並べられた道祖神の祠?

この高台の下は昔は内海だったはず。
どんな景色が広がっていたのだろうか。
そしてそのまま旭市に向かって進んでいったところに大きな鳥居がありました。
何か由緒がありそうな神社が山の上にありそうです。
そこで車を停めて立ち寄ることにしました。
神社は「戸田神社」となっていました。
場所は旧山田町の米野井となっています。

由緒が載っていますが、驚くべきことに創建は天平8年(736)とのこと。
祭神は大国主命だそうだがこの説明では戸田大神となっている。
調べると出雲国の「杵築大社」を勧請したので大国主命を祀るものだという。
十二年に一度の式年神幸祭が行われ(子年)、前回は2008年であるので次回は2020年の子年。
神幸祭ではこの神社から利根川まで(阿玉川地区)行ってお浜降りの儀式が行われていたという。

これだけの大きな神社だが社務所はなく無住のようだ。

社殿は正徳5年(1715)に再建されたものでかやぶき屋根などを含め、明治36年に改修されたという。
これだけ興味深い神社だが説明があまり紹介されていない。

この近くに長谷寺・観音堂があったようだが、もう少し詳しく調べてみないとその姿が見えてこない。

本殿もかなりしっかりしたものと見える。
この場所が現在は香取市ではあるが合併前は「山田町」であったせいなのかもしれない。
山田町にもいくつか興味深い神社や寺がある。
廃仏毀釈で寺がつぶされてしまったのかもしれない。
長谷寺との関係も興味がある。
また少し行ったところに「徳星寺」という比較的大きな寺もあった。(今回は立ち寄らなかった)
また阿玉台貝塚や府馬の大クスなる古木もある。
大昔には香取海から入り込んだ大きな内海が近くに広がっていたはず。
どんな景色だったのだろうか。
以前の府馬の大クス(こちら)や阿玉台貝塚(こちら)や久保神社(こちら)などを紹介した。
どこかでつながりそうである。




境内に並べられた道祖神の祠?

この高台の下は昔は内海だったはず。
どんな景色が広がっていたのだろうか。
東栄寺(旭市)
香取から旭市に向かった。
まず、旭市溝原というところにある天台宗の「東栄寺」を目指した。
ここの本尊とされている木造聖観音菩薩像が千葉県指定の登録文化財となっている。
場所は大原幽学に近くやはり起伏のある山道を行った先の道路からすり鉢状の下に降りたところにある。

丁度、納骨の儀式が行われところのようでのんびり見学もはばかれた。
寺に降りる坂道は車1台しか通れないので遠慮して早々に引き揚げた。

金剛院・北陸山東栄寺というそうで、創建は天平年間(729年 - 749年)に行基菩薩によって開かれたといわれている。
そして鎌倉時代の建仁3年(1203年)に再興されたといわれます。

本尊は木造伝聖観音立像で、この本堂横の立派な観音堂に置かれているようだ。
昔の写真を見るとこの観音堂の屋根は茅葺となっています。


ここに安置されている観音菩薩像は30年か60年に1回の御開帳の時しかお披露目されなかったと書かれていますが、現在はどうなのでしょうか。

正面に県指定文化財のご本尊が安置されているようです。
ヒノキ材の一木割矧造で、像高は100㎝だそうです。

左右には不動明王?とたくさんの仏像が飾られています。
邪気の上に乗っかっているので四天王でしょうか。
詳しくないのでまた後で調べてみましょう。



なかなか趣のある寺ですが、早々に引き揚げて次に向かいます。
次は飯岡の少し先です。
まず、旭市溝原というところにある天台宗の「東栄寺」を目指した。
ここの本尊とされている木造聖観音菩薩像が千葉県指定の登録文化財となっている。
場所は大原幽学に近くやはり起伏のある山道を行った先の道路からすり鉢状の下に降りたところにある。

丁度、納骨の儀式が行われところのようでのんびり見学もはばかれた。
寺に降りる坂道は車1台しか通れないので遠慮して早々に引き揚げた。

金剛院・北陸山東栄寺というそうで、創建は天平年間(729年 - 749年)に行基菩薩によって開かれたといわれている。
そして鎌倉時代の建仁3年(1203年)に再興されたといわれます。

本尊は木造伝聖観音立像で、この本堂横の立派な観音堂に置かれているようだ。
昔の写真を見るとこの観音堂の屋根は茅葺となっています。


ここに安置されている観音菩薩像は30年か60年に1回の御開帳の時しかお披露目されなかったと書かれていますが、現在はどうなのでしょうか。

正面に県指定文化財のご本尊が安置されているようです。
ヒノキ材の一木割矧造で、像高は100㎝だそうです。

左右には不動明王?とたくさんの仏像が飾られています。
邪気の上に乗っかっているので四天王でしょうか。
詳しくないのでまた後で調べてみましょう。



なかなか趣のある寺ですが、早々に引き揚げて次に向かいます。
次は飯岡の少し先です。
還来寺(旭市)
東栄寺のあとは千葉県旭市蛇園というところにある「還来寺」に立ち寄りました。
ここは飯岡駅の少し海岸寄りの平地にあります。
飯岡漁港付近も東日本大震災では大きな被害が出て津波で犠牲者も出た。
東北ばかりが報道されるがこんな離れた場所でも被害が甚大だった。
さてこの蛇園(へびその)という名前も気になります。
平地とはいうがすぐ北に屏風岩からの崖が迫っている崖下という場所。
縄文語でいえば「ハケ」「パッケ」「ボッケ」などというような場所。
蛇園という名もなんとなくわかる。
しかしかなり古くからある地名のようだ。
寺のある場所は蛇園出清水(へびそのでしみず)という。
清水もわきホタルの生息地でもあるという。
さて、ここに来たのは市の指定の木造薬師如来像があるということでやってきた。

崖のある山の麓に寺はあった。この手前は田や畑や原が広がる。
真言宗智山派の寺、還来寺(げんらいじ)。
ネットで調べてみるとこの休耕田などで秋にはコスモスが咲き乱れるようだ。

歴史としては古そうだがよくわからない。
寺の本尊は近くの波打ち際で拾い上げられたと伝わる。


本堂:宝暦8年(1758年)建立

「七宝工芸」の最高峰と称された芸術家「濤川惣助」(1847〜1910年)の生家の「菩提寺」としても知られているそうです。



木造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代(13紀後半)の作で、市内では古くにさかのぼる文化財のひとつです。像高176.3cmの檜の寄木造りです。台座は延宝8年(1680年)の補作です。両脇には、室町末期から江戸時代の作といわれる観音菩薩立像・勢至菩薩立像が安置されています(千葉県公式観光物産サイトまるごとeちばより)

この正面の厨子の中に収められているようですが、手前にミニュチュアの小さな像がおかれていました。
左右に観音菩薩立像・勢至菩薩立が置かれています。



ここは飯岡駅の少し海岸寄りの平地にあります。
飯岡漁港付近も東日本大震災では大きな被害が出て津波で犠牲者も出た。
東北ばかりが報道されるがこんな離れた場所でも被害が甚大だった。
さてこの蛇園(へびその)という名前も気になります。
平地とはいうがすぐ北に屏風岩からの崖が迫っている崖下という場所。
縄文語でいえば「ハケ」「パッケ」「ボッケ」などというような場所。
蛇園という名もなんとなくわかる。
しかしかなり古くからある地名のようだ。
寺のある場所は蛇園出清水(へびそのでしみず)という。
清水もわきホタルの生息地でもあるという。
さて、ここに来たのは市の指定の木造薬師如来像があるということでやってきた。

崖のある山の麓に寺はあった。この手前は田や畑や原が広がる。
真言宗智山派の寺、還来寺(げんらいじ)。
ネットで調べてみるとこの休耕田などで秋にはコスモスが咲き乱れるようだ。

歴史としては古そうだがよくわからない。
寺の本尊は近くの波打ち際で拾い上げられたと伝わる。


本堂:宝暦8年(1758年)建立

「七宝工芸」の最高峰と称された芸術家「濤川惣助」(1847〜1910年)の生家の「菩提寺」としても知られているそうです。



木造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代(13紀後半)の作で、市内では古くにさかのぼる文化財のひとつです。像高176.3cmの檜の寄木造りです。台座は延宝8年(1680年)の補作です。両脇には、室町末期から江戸時代の作といわれる観音菩薩立像・勢至菩薩立像が安置されています(千葉県公式観光物産サイトまるごとeちばより)

この正面の厨子の中に収められているようですが、手前にミニュチュアの小さな像がおかれていました。
左右に観音菩薩立像・勢至菩薩立が置かれています。



常灯寺(常世田薬師)-1
飯岡から銚子に向かう(国道126号線)途中に古い薬師さんがあると知って立ち寄っていくことにしました。
真言宗智山派「常灯寺」といい地元では「常世田薬師」として親しまれているという。
場所は銚子市常世田町の北側の山の方に少し入ったところ。
国の重要文化財に指定されている薬師像が保管されている。
無檀家の寺だが地元で大事にされているようだ。

江戸から明治にかけて東総の三薬師といわれて多くの参拝者を集めたが、大正時代には無住となった。

寺の入り口に仁王門がある。


立派な本堂で、千葉県の重要文化財に指定されている。
1673年に建立され、茅葺の立派な屋根の本堂であったが、つい最近、屋根を銅版葺きに改修した。
平成22年から本堂を解体して修理再建して屋根を銅版葺きにした)
まだ一部工事中で、本堂はやっと工事中の足場が外されたばかり。

寺の開祖は有名な「行基菩薩」と伝わっており、奈良時代の創建である。
本堂が作られたのは、棟札によると寛文13年(1673年)(江戸初期)という。

本堂の彫刻はみごとであり、時代を知る上でも貴重なものと思われる。


木造薬師如来像(国指定重要文化財):高さ140.9cm、ヒノキ材の寄木造づくりで、全面に漆箔を施し、刀法に生彩があり、膝も広くよく整い堂々としたものであり、また、こまかく彫出した螺髪、伏目の彫眼、ふくよかな顔、流麗な衣文は、平安時代後期の定朝様式を伝えており、関東における鎌倉時代初期の代表的な作例です。
像の胎内全面には、墨書があり、仁治4年(1243年)に平胤方をはじめ多くの人々の寄進により、仏師豪慶によって修理されたことが記されています。
光背は、全高234.5cmで頂部に三躯の胎蔵界大日如来を配し、左右には、十二躯の飛天(音声菩薩)が舞う華麗な船型飛天光背です。 台座は、仁治年間に修理された八角形の裳懸座であり、この時期では県内唯一のものです。
(「銚子市の生涯学習ガイド まなびのたね」より)
この本尊は毎年正月(1月8日に開帳されている。
もう少し明日にでもまた書きたい。
しかし明日もまた銚子に行き、帰りが夜になるので更新は遅くなりそうです。
真言宗智山派「常灯寺」といい地元では「常世田薬師」として親しまれているという。
場所は銚子市常世田町の北側の山の方に少し入ったところ。
国の重要文化財に指定されている薬師像が保管されている。
無檀家の寺だが地元で大事にされているようだ。

江戸から明治にかけて東総の三薬師といわれて多くの参拝者を集めたが、大正時代には無住となった。

寺の入り口に仁王門がある。


立派な本堂で、千葉県の重要文化財に指定されている。
1673年に建立され、茅葺の立派な屋根の本堂であったが、つい最近、屋根を銅版葺きに改修した。
平成22年から本堂を解体して修理再建して屋根を銅版葺きにした)
まだ一部工事中で、本堂はやっと工事中の足場が外されたばかり。

寺の開祖は有名な「行基菩薩」と伝わっており、奈良時代の創建である。
本堂が作られたのは、棟札によると寛文13年(1673年)(江戸初期)という。

本堂の彫刻はみごとであり、時代を知る上でも貴重なものと思われる。


木造薬師如来像(国指定重要文化財):高さ140.9cm、ヒノキ材の寄木造づくりで、全面に漆箔を施し、刀法に生彩があり、膝も広くよく整い堂々としたものであり、また、こまかく彫出した螺髪、伏目の彫眼、ふくよかな顔、流麗な衣文は、平安時代後期の定朝様式を伝えており、関東における鎌倉時代初期の代表的な作例です。
像の胎内全面には、墨書があり、仁治4年(1243年)に平胤方をはじめ多くの人々の寄進により、仏師豪慶によって修理されたことが記されています。
光背は、全高234.5cmで頂部に三躯の胎蔵界大日如来を配し、左右には、十二躯の飛天(音声菩薩)が舞う華麗な船型飛天光背です。 台座は、仁治年間に修理された八角形の裳懸座であり、この時期では県内唯一のものです。
(「銚子市の生涯学習ガイド まなびのたね」より)
この本尊は毎年正月(1月8日に開帳されている。
もう少し明日にでもまた書きたい。
しかし明日もまた銚子に行き、帰りが夜になるので更新は遅くなりそうです。
常灯寺(常世田薬師)-2
銚子市の常世田薬師の紹介の続きです。
薬師堂の茅葺屋根を数年かけて銅版葺きに改めて、やっと工事中の覆いが取れたとこのようです。
貫録のあるお堂が復元しました。

入口の仁王門の中をのぞいてみました。
仁王像が置かれています。かなり古いもののようでだいぶ痛みも激しいようです。

手首などがなくなっています。

薬師堂のある場所を高台から眺めるように見晴らし台のような建物がありますが、まっすく上ることはできません。
入口の参道わきから別の道が伸びています。

この薬師の特徴はこのような洞窟がありここに薬師像が彫られていたり、安置されていたりしています。
しかし、この中に入っていくには勇気が必要です。
私はやめておきました。中に入って何があるかはわかりません。


神社でしょうか境内に置かれています。

こちらもかなり古そうです。



日本全国各地に、気が付かないところに、かなり趣のある古社が眠っているものですね。
薬師堂の茅葺屋根を数年かけて銅版葺きに改めて、やっと工事中の覆いが取れたとこのようです。
貫録のあるお堂が復元しました。

入口の仁王門の中をのぞいてみました。
仁王像が置かれています。かなり古いもののようでだいぶ痛みも激しいようです。

手首などがなくなっています。

薬師堂のある場所を高台から眺めるように見晴らし台のような建物がありますが、まっすく上ることはできません。
入口の参道わきから別の道が伸びています。

この薬師の特徴はこのような洞窟がありここに薬師像が彫られていたり、安置されていたりしています。
しかし、この中に入っていくには勇気が必要です。
私はやめておきました。中に入って何があるかはわかりません。


神社でしょうか境内に置かれています。

こちらもかなり古そうです。



日本全国各地に、気が付かないところに、かなり趣のある古社が眠っているものですね。