猿田神社(3)
今回銚子に行ったときにこの猿田神社を訪れる気になったのは、神社の裏手の樹叢の中に元宮と奥宮があるのに前に行きそびれてしまったことを思い出したからだ。
神社の拝殿に向かって右側に進むと看板が置かれていた。前には気が付かなかった。


神社の裏手側の鳥居をくぐって外の通りに出て、左に100mほど行ったところに奥宮、元宮はあった。
こちらにもきれいな駐車場ができていた。

最初にあったのは「猿田神社の社叢」の案内板。

この鳥居をくぐって、道を下っていきます。

途中の山の壁に所々穴が開いています。
そして「御神砂」と書かれています。
「御神砂は貴重です。 良識ある分量をお持ちください。」(御神前に参拝の上お受けください)と書かれています。

さらに下った所に「御神水」と書かれた池がありました。

今もきれいな水が流れてきています。
柄杓もおかれていました。

この御神水の池の手前に「親鸞上人霊場旧跡」という石碑が立っていました。

親鸞上人がこの地に来ていたという子とは正直少し驚きでした。
常陸国の旧跡はかなり訪ね歩いていますが、銚子にもあったのか・・・といことに驚いたのです。
調べてみると、銚子市船木地区で、善阿弥という信者に頼まれて親鸞がやってきて阿弥陀如来を安置して、菩提樹の木を植え、「東光寺」という寺が建てられた(1232年)とありました。
この時にこの猿田で草庵を結んでいたようです。
1932年というと親鸞はまだ稲田の草庵に暮らしていました。
稲田には20年ほどいたようですが、この2年ほど後に京都に戻っています。
あちこち布教に言っていたようです。
いままで北の方ばかりに行ったものだとばかり思っていましたが、このあたりにも来ていたのは驚きなのですが、やはりこの「猿田」は昔から特別なところなのでしょう。
また、下妻の千勝神社も猿田彦を祀っていて、親鸞聖人とのかかわりも良く話題になるようですので関係がありそうです。
(千勝神社付近「さかいの郷」に住んでいたことがある?)
神社の拝殿に向かって右側に進むと看板が置かれていた。前には気が付かなかった。


神社の裏手側の鳥居をくぐって外の通りに出て、左に100mほど行ったところに奥宮、元宮はあった。
こちらにもきれいな駐車場ができていた。

最初にあったのは「猿田神社の社叢」の案内板。

この鳥居をくぐって、道を下っていきます。

途中の山の壁に所々穴が開いています。
そして「御神砂」と書かれています。
「御神砂は貴重です。 良識ある分量をお持ちください。」(御神前に参拝の上お受けください)と書かれています。

さらに下った所に「御神水」と書かれた池がありました。

今もきれいな水が流れてきています。
柄杓もおかれていました。

この御神水の池の手前に「親鸞上人霊場旧跡」という石碑が立っていました。

親鸞上人がこの地に来ていたという子とは正直少し驚きでした。
常陸国の旧跡はかなり訪ね歩いていますが、銚子にもあったのか・・・といことに驚いたのです。
調べてみると、銚子市船木地区で、善阿弥という信者に頼まれて親鸞がやってきて阿弥陀如来を安置して、菩提樹の木を植え、「東光寺」という寺が建てられた(1232年)とありました。
この時にこの猿田で草庵を結んでいたようです。
1932年というと親鸞はまだ稲田の草庵に暮らしていました。
稲田には20年ほどいたようですが、この2年ほど後に京都に戻っています。
あちこち布教に言っていたようです。
いままで北の方ばかりに行ったものだとばかり思っていましたが、このあたりにも来ていたのは驚きなのですが、やはりこの「猿田」は昔から特別なところなのでしょう。
また、下妻の千勝神社も猿田彦を祀っていて、親鸞聖人とのかかわりも良く話題になるようですので関係がありそうです。
(千勝神社付近「さかいの郷」に住んでいたことがある?)
気が付けばオオイヌノフグリも咲きだした。
今日は気温も比較的寒く風がかなり強かった。
外は寒いが陽が照ると部屋におなかは温かい。
昼に外に出たら青い可憐な花がところどころに咲いていた。
名前はかわいそうだがオオイヌノフグリ。
もう少しかわいい名前が付けばよかったと毎年見て思う。
昨年よりきっと数週間早そうだ。
目がシクシクして花粉症が早くも始まったようだ。
これだけは早く終わってほしいと思う。
肝機能に負担をかけないために薬もできるだけ飲まないが・・・・。

外は寒いが陽が照ると部屋におなかは温かい。
昼に外に出たら青い可憐な花がところどころに咲いていた。
名前はかわいそうだがオオイヌノフグリ。
もう少しかわいい名前が付けばよかったと毎年見て思う。
昨年よりきっと数週間早そうだ。
目がシクシクして花粉症が早くも始まったようだ。
これだけは早く終わってほしいと思う。
肝機能に負担をかけないために薬もできるだけ飲まないが・・・・。

猿田神社(4)
今日は結構忙しくてくたびれました。
風の会の会報印刷日なのですが、主査の白井先生が風邪でダウン。
でも24ページもの会報を編集してくれました。
朝一番にまずこの会報の電子版を風の会のホームページにアップロード。
その後すぐに(8時半)農産物直売所(石岡そだち)へ立ち寄り、朝一番の処理をして、そのまま印刷の集会所に。
これも私が借りている場所なのですが、今回は編集済みのデータをいただいて、プリントプリントアウトしてページ左右裏表のアレンジをして、A3用紙の準備。
そこへ会のお仲間が来られ、印刷開始が9時半。
印刷製本終了したら11時45分。
午後から急いで「協働のまちつくり」で計画したジオパークの講演会へ。
でもこの講演会は大変有意義でした。
市報などで参加者を募集したのでどれくらいの人が集まっていただけるのか不安でしたが40人以上集まったでしょうか。
熱心に質問もあり集まった人たちの関心もかなり高いということを実感しました。
また多くの方とも知り合えこれからの先が見えてくるように思いました。
これらの人のパワーを結集していけば未来は明るいと感じました。
昨日はFBで知り合った水戸の友(初めてお会いしました)が訪ねてくれましたし、今日も講師の杉原さん(つくば市ジオパーク推進室専門員)ともいろいろ話をさせていただきました。
今年は少しアクションを広げていきたいと思います。
昨日はブログを休んでしまいましたので、前の記事の続きを少しのせておきます。
銚子にある猿田神社の4回目です。

先日書いた猿田神社裏の「奥宮」の少し先に「元宮」という場所があります。

猿田神社はこの場所に昔はあったようです。
猿田彦がこの場所に降臨したというようです。

この土が盛られた場所が猿田彦の降臨場所でしょうか。
猿田彦がどうしてここにやってきたのかについては全くわかりませんが、神話では九州から大和の地にニギニギノミコトを道案内したという猿田彦は伊勢の海でおぼれて死んだことになっています。

こちらが元宮です。比較的小さな祠です。
私は昔は、神話などつまらないことが書かれていると思っていましたが、いろいろ考えていくと結構面白いことが潜んでいますね。

こんな古木もおもしろいです。

降臨した場所の賽銭箱の前にドングリが置かれていました。
とんがった格好の良いドングリです。
どういう意味があるのでしょうか。
風の会の会報印刷日なのですが、主査の白井先生が風邪でダウン。
でも24ページもの会報を編集してくれました。
朝一番にまずこの会報の電子版を風の会のホームページにアップロード。
その後すぐに(8時半)農産物直売所(石岡そだち)へ立ち寄り、朝一番の処理をして、そのまま印刷の集会所に。
これも私が借りている場所なのですが、今回は編集済みのデータをいただいて、プリントプリントアウトしてページ左右裏表のアレンジをして、A3用紙の準備。
そこへ会のお仲間が来られ、印刷開始が9時半。
印刷製本終了したら11時45分。
午後から急いで「協働のまちつくり」で計画したジオパークの講演会へ。
でもこの講演会は大変有意義でした。
市報などで参加者を募集したのでどれくらいの人が集まっていただけるのか不安でしたが40人以上集まったでしょうか。
熱心に質問もあり集まった人たちの関心もかなり高いということを実感しました。
また多くの方とも知り合えこれからの先が見えてくるように思いました。
これらの人のパワーを結集していけば未来は明るいと感じました。
昨日はFBで知り合った水戸の友(初めてお会いしました)が訪ねてくれましたし、今日も講師の杉原さん(つくば市ジオパーク推進室専門員)ともいろいろ話をさせていただきました。
今年は少しアクションを広げていきたいと思います。
昨日はブログを休んでしまいましたので、前の記事の続きを少しのせておきます。
銚子にある猿田神社の4回目です。

先日書いた猿田神社裏の「奥宮」の少し先に「元宮」という場所があります。

猿田神社はこの場所に昔はあったようです。
猿田彦がこの場所に降臨したというようです。

この土が盛られた場所が猿田彦の降臨場所でしょうか。
猿田彦がどうしてここにやってきたのかについては全くわかりませんが、神話では九州から大和の地にニギニギノミコトを道案内したという猿田彦は伊勢の海でおぼれて死んだことになっています。

こちらが元宮です。比較的小さな祠です。
私は昔は、神話などつまらないことが書かれていると思っていましたが、いろいろ考えていくと結構面白いことが潜んでいますね。

こんな古木もおもしろいです。

降臨した場所の賽銭箱の前にドングリが置かれていました。
とんがった格好の良いドングリです。
どういう意味があるのでしょうか。
角力
銚子の猿田神社の本殿脇に一つの石碑が置かれていました。

そこには「角力興業記念碑」とあります。
勧進元の江戸 根岸文衛門という人はどういう方かはわかりません。
ただこの年代が結構古いので目にとまりました。

角力は相撲のことですが、昔はいろいろな神社で祭礼としても相撲の興行が行われました。
力石を持ち上げてその力を競う話もたくさんあります。
近くの東庄町にある諏訪大神には天保水滸伝で有名になった笹川繁蔵が奉納した石碑が置かれています。、

「天保十三年七月廿七日(諏訪明神祭禮の日)」の石碑 (1843年)
笹川(岩瀬)繁蔵は相撲の元祖野見宿禰の碑を建立すると共に農民救済を名目として大花会を催した
上州武蔵の大前田英五郎、上州上野の国定忠治、奥州仙台の鈴木忠吉、奥州信夫の常吉、駿州清水の次郎長など天下に知られた親分衆が出席し空前の盛会であった。(天保水滸伝遺跡保存会)
ここで開いた大花会で力を示した形になった笹川繁蔵と飯岡の助五郎との争いが天保水滸伝といわれる話だが、笹川繁蔵も飯岡助五郎も江戸で一時相撲取りであった。
また繁蔵の子分の勢力富五郎も相撲取りであった。
また飯岡にある玉崎神社には助五郎の碑が置かれていてその前に力石が置かれています。
助五郎はこの石を奉公人に持ち上げさせてその高さで給金高をきめたという逸話も伝わっている。
面白いものだ。
石岡の総社宮でもお祭り中日に県の高校相撲大会が行われますが、かなりの迫力です。
しかし、大昔から総社宮の祭礼に儀式以外に取り入れられていたのはこの角力(相撲)で、江戸時代などは街中の祭りがあると、神社の祭礼や相撲の奉納にはあまり人か来なかったという記録もあるという。
また愛宕山でも相撲大会があり、大男を次々投げ飛ばした男がいてこれが天狗であると噂されたという。
その男は茨城町の「慈雲寺」の和尚らしいということになった。
この碑を見て、今までに訪れた各地の話が浮かんでくる。 面白いものだ。

そこには「角力興業記念碑」とあります。
勧進元の江戸 根岸文衛門という人はどういう方かはわかりません。
ただこの年代が結構古いので目にとまりました。

角力は相撲のことですが、昔はいろいろな神社で祭礼としても相撲の興行が行われました。
力石を持ち上げてその力を競う話もたくさんあります。
近くの東庄町にある諏訪大神には天保水滸伝で有名になった笹川繁蔵が奉納した石碑が置かれています。、

「天保十三年七月廿七日(諏訪明神祭禮の日)」の石碑 (1843年)
笹川(岩瀬)繁蔵は相撲の元祖野見宿禰の碑を建立すると共に農民救済を名目として大花会を催した
上州武蔵の大前田英五郎、上州上野の国定忠治、奥州仙台の鈴木忠吉、奥州信夫の常吉、駿州清水の次郎長など天下に知られた親分衆が出席し空前の盛会であった。(天保水滸伝遺跡保存会)
ここで開いた大花会で力を示した形になった笹川繁蔵と飯岡の助五郎との争いが天保水滸伝といわれる話だが、笹川繁蔵も飯岡助五郎も江戸で一時相撲取りであった。
また繁蔵の子分の勢力富五郎も相撲取りであった。
また飯岡にある玉崎神社には助五郎の碑が置かれていてその前に力石が置かれています。
助五郎はこの石を奉公人に持ち上げさせてその高さで給金高をきめたという逸話も伝わっている。
面白いものだ。
石岡の総社宮でもお祭り中日に県の高校相撲大会が行われますが、かなりの迫力です。
しかし、大昔から総社宮の祭礼に儀式以外に取り入れられていたのはこの角力(相撲)で、江戸時代などは街中の祭りがあると、神社の祭礼や相撲の奉納にはあまり人か来なかったという記録もあるという。
また愛宕山でも相撲大会があり、大男を次々投げ飛ばした男がいてこれが天狗であると噂されたという。
その男は茨城町の「慈雲寺」の和尚らしいということになった。
この碑を見て、今までに訪れた各地の話が浮かんでくる。 面白いものだ。
ララモスラ展のお知らせ
今日は銚子に出かけていて遅くなり記事を懸けませんのでお知らせを載せます。
LaLa mosuraイラスト「女の子」展
2月18日(土)、19日(日)
東京中野のレンタルギャラリー「meee Gallery Tokyo」
場所は少し狭いようですがいよいよ東京に進出です。


お近くの方は是非見に行ってください。
私が昔話などの本の表紙に使わせていただいた中学2年生のイラストです。
LaLa mosuraイラスト「女の子」展
2月18日(土)、19日(日)
東京中野のレンタルギャラリー「meee Gallery Tokyo」
場所は少し狭いようですがいよいよ東京に進出です。


お近くの方は是非見に行ってください。
私が昔話などの本の表紙に使わせていただいた中学2年生のイラストです。
佐原雛めぐり(1)
千葉県香取市水郷佐原では2月4日(土)から3月26日(日)まで「雛めぐり」を開催中です。
結構長いです。やはりこの期間に観光客を誘致するためでしょう。
平日だというのにバスも何台も来ていましたが結構外は寒く、また始まったばかりということもあり、お店も戸を閉めていました。

佐原町並み交流館へ
吊るし雛

祭りの山車の人形

こちらはよさこいの人形でしょうか。

これは江戸時代からある正文堂書店さんのジオラマです。
内部が細かい。小学1年生など虫眼鏡で見るとまるでそっくり。

こちらもジオラマ。

伊能忠敬旧邸も雛飾りです。



撮影は2月7日(火)です。
結構長いです。やはりこの期間に観光客を誘致するためでしょう。
平日だというのにバスも何台も来ていましたが結構外は寒く、また始まったばかりということもあり、お店も戸を閉めていました。

佐原町並み交流館へ
吊るし雛

祭りの山車の人形

こちらはよさこいの人形でしょうか。

これは江戸時代からある正文堂書店さんのジオラマです。
内部が細かい。小学1年生など虫眼鏡で見るとまるでそっくり。

こちらもジオラマ。

伊能忠敬旧邸も雛飾りです。



撮影は2月7日(火)です。
佐原雛めぐり(2)
佐原の町にも祭りを含め大分訪れていますが、観光客の増大に伴って町もだいぶきれいになっているようです。
この佐原の雛めぐりは「佐原おかみさん会」が中心となっています。
各地におかみさん会があるようですが、私は「浅草」とここ「佐原」の商店街のおかみさん会の活動に注目しています。

平日でしたが、この小野川に観光舟が出ていました。
この伊能忠敬記念館前のジャージャー橋のたもとから舟が出ています。
普段は1艘だけらしいのですが、観光バスがやってきたので予約が入っていたらしく2艘出ていました。
舟にはコタツがついています。
冬は舟の上かなり寒いです。

この小野川沿いには多くの小戸時代から明治時代から続く店舗などの建物が並んでいます。

小野川沿いはかなり護岸工事も完成し、ヤナギなども植えられ、昔の水運の情緒を感じられるようになっています。
何年も前から見ていると徐々にこれらの景観が作られていくのを感じます。

伊能忠敬記念館もたくさん資料などをそろえ、すべて国の登録文化財に登録されました。
この佐原の雛めぐりは「佐原おかみさん会」が中心となっています。
各地におかみさん会があるようですが、私は「浅草」とここ「佐原」の商店街のおかみさん会の活動に注目しています。

平日でしたが、この小野川に観光舟が出ていました。
この伊能忠敬記念館前のジャージャー橋のたもとから舟が出ています。
普段は1艘だけらしいのですが、観光バスがやってきたので予約が入っていたらしく2艘出ていました。
舟にはコタツがついています。
冬は舟の上かなり寒いです。

この小野川沿いには多くの小戸時代から明治時代から続く店舗などの建物が並んでいます。

小野川沿いはかなり護岸工事も完成し、ヤナギなども植えられ、昔の水運の情緒を感じられるようになっています。
何年も前から見ていると徐々にこれらの景観が作られていくのを感じます。

伊能忠敬記念館もたくさん資料などをそろえ、すべて国の登録文化財に登録されました。
笠間に高橋協子さんの陶雛にんぎょう展に行ってきました。
昨日は夕方から産直「石岡そだち」で店番。
そして夜7時過ぎまで中3生3人の県立高校受験の勉強を少しだけ見ていました。
久しぶりの高校受験勉強のお手伝いをしました。
皆真面目な子供たちだったので受験勉強のお手伝いも良いものです。
実は昔、学習塾を家内がやっていたので結構手伝っていたのです。
勉強のできる子はわざわざ私などが教えなくてもやり方がわかっているでしょうが、数学が苦手などと言っている子はやり方がわかっていないので教えて試験の点数を上げるのは比較的容易なのです。
でも入試まで、もう3週間ですから待ったなしですよね。
過去問をやらせて点が取れそうな問題のところをどうやったら確実に点を採ることができるかをアドバイスするしかない。
邪道かもしれないが、この段階になったらそれしか道はないと数年の経験で悟っているのです。
さて、今日は午後3時近くになって笠間のスペースニコさんで開かれている高橋協子さんの陶のひな人形展に行ってきました。


ひな人形と思っていましたが、5月人形もたくさんありました。
素敵なものばかりです。

かなり細かい作業ですね。
この桃太郎は拡大してみました。

なかなか迫力のある龍です。

高橋様 勝手にたくさん写真を載せてしまいました。
問題があればおっしゃってくださいね。
コーヒーもごちそうさまでした。
また、展示会などにも時々お邪魔させてください。

そして夜7時過ぎまで中3生3人の県立高校受験の勉強を少しだけ見ていました。
久しぶりの高校受験勉強のお手伝いをしました。
皆真面目な子供たちだったので受験勉強のお手伝いも良いものです。
実は昔、学習塾を家内がやっていたので結構手伝っていたのです。
勉強のできる子はわざわざ私などが教えなくてもやり方がわかっているでしょうが、数学が苦手などと言っている子はやり方がわかっていないので教えて試験の点数を上げるのは比較的容易なのです。
でも入試まで、もう3週間ですから待ったなしですよね。
過去問をやらせて点が取れそうな問題のところをどうやったら確実に点を採ることができるかをアドバイスするしかない。
邪道かもしれないが、この段階になったらそれしか道はないと数年の経験で悟っているのです。
さて、今日は午後3時近くになって笠間のスペースニコさんで開かれている高橋協子さんの陶のひな人形展に行ってきました。


ひな人形と思っていましたが、5月人形もたくさんありました。
素敵なものばかりです。

かなり細かい作業ですね。
この桃太郎は拡大してみました。

なかなか迫力のある龍です。

高橋様 勝手にたくさん写真を載せてしまいました。
問題があればおっしゃってくださいね。
コーヒーもごちそうさまでした。
また、展示会などにも時々お邪魔させてください。

石岡ひなめぐり(駅)
石岡駅の展示場にお雛様が飾られたというので、少し暗くなった時間に見に行ってきました。

いつもはお祭りの山車が展示されているのですが、この時期はひな人形です。
場所は高さがあるのでこれは飾るのは大変です。

全部で13段くらいあったでしょうか。
大子町などで神社?の階段ひな祭りがありますがそんなところを思い出しました。
でもここは雨が降っても大丈夫です。

今回写真はたくさんひしめいているひな人形に目が行ってしまいます。

夜間はライトアップされていますのでこんな写真も面白いですね。
反対側のガラスにたくさんのお雛様が映し出されます。
お雛様がいるのは手前側ですよ。
2階から撮しています。

いつもはお祭りの山車が展示されているのですが、この時期はひな人形です。
場所は高さがあるのでこれは飾るのは大変です。

全部で13段くらいあったでしょうか。
大子町などで神社?の階段ひな祭りがありますがそんなところを思い出しました。
でもここは雨が降っても大丈夫です。

今回写真はたくさんひしめいているひな人形に目が行ってしまいます。

夜間はライトアップされていますのでこんな写真も面白いですね。
反対側のガラスにたくさんのお雛様が映し出されます。
お雛様がいるのは手前側ですよ。
2階から撮しています。