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潮宮神社の続き

潮宮神社(いたみや)も昔から比べれば、確かにあの心をひきつけた面影は消えてしまっていましたが、今ではこぎれいに境内を掃き清め、落ち葉などを燃やす煙が立ち込めて静寂な雰囲気でありました。

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境内の隅に置かれた観音像。
如意輪観音でしょうか。

地元の講(子安講?)の方が設置されたものでしょう。

年号を見ると今から200年程前の文化11年(1814年)

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このような像をみていると確かに殺伐とした気持ちも落ち着いてくるように感じます。
こちらは神社の塔で、文政3年です。
前の観音像の少し後です。

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こちらが新しく作られた神社の参道。
旧参道はこのすぐ左側にあります。
しばらくは旧参道は使われなくなるのかもしれません。

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神社の入り口付近の梅の花。
きれいに咲き誇っていました。

小美玉・行方地区 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2017/03/02 09:17

喜八阿弥陀の続き

 潮宮神社記事の前に書いた与沢の喜八阿弥陀堂の記事の続きです。

ここは地図には記載があるのですが、現地の通りにも何の案内もありません。
入口も通りから1本入った裏通りからしかいけません。

一般御お宅なので仕方はありませんが、県指定の絵が3点あります。

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でも素敵な場所でした。
手前が喜八阿弥陀堂。
奥がこの家(長島家)のお宅です。

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茨城県有形文化財に指定されている親鸞が書いたとされる3幅の絵があります。
 ・絹本著色  阿弥陀如来画像
 ・絹本著色  善導大師画像
 ・絹本著色  聖徳太子勝鬘経御講讃図

県の文化財の説明を見てみました。
「中央に光芒を放ち、来迎印(らいごういん)を結んだ阿弥陀如来の独尊立像を配しています。
 おそらく浄土真宗において本尊としてまつられた方便法身尊影と思われます。48本の光芒を放ち、これを光背とするのが特徴ですが本図はこの間に12の化仏(けぶつ)を配しています。 」
「善導大師は中国の浄土教五祖の一人です。各地に名僧を訪ね、念仏を唱えるたびに口から光を放ったと伝えられています。
 大師が右半身を見せ、合掌しながら念仏を唱える姿を描いていますが,口から仏が出る様は、京都知恩院本に見られます。
 室町時代の作です。」
「聖徳大師は35歳で、天皇の命により勝鬘経を講説しました。
 この場面はすべての太子絵伝に取り上げられていますが、太子が赤袍(せきほう)に袈裟を掛け冕冠(べんかん)をつけ、手に麈尾(しゅび)を取り、机に倚座(きざ)し、下方に僧侶の聴聞衆を配する通例の形です。室町時代の作です。」

ここにはそれぞれ室町時代の作とされていますが、親鸞聖人の直筆という文言は入っていません。

名かな直筆の書も絵もほとんど残していないといわれる親鸞上人ですので真筆のほどはわからないでしょう。

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大きな古木と境内。

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親鸞上人が腰かけたとされる石

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大きな椿の木と梅の花

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この阿弥陀堂の入り口近くに置かれた古い石碑
何と書かれているのでしょうか?
「旗師聖人・・・?」

旗師というのは今でいえば美術商のことのようですが・・・

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そしてこの階段を上ったところに阿弥陀堂があります。

どうやら親鸞聖人との昔の話がこのお宅には残されているように思います。
訪れた時に息子さんが出かけるところでした。

お話が聞けなかったは何か少し残念な気がしました。

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/02 22:54

高木神社(小美玉市与沢)

 茨城空港の南東側にある小美玉市の東端に与沢、倉数という地区がある。

2~3週間前に倉数にある「潮宮神社」を訪ねてみようと倉数まで行った。
そこに倉数公民館があり、神社も確かこのあたりから左に入ったところにあったはずだと地図も見ずに曲がって奥に入っていった。

道はすぐに狭くなって右は田圃で左は山。
さて、道を間違えたとどこかでUターンしようとしたがそんな空地はない。

バックしようと考えたが後ろから農作業用の軽トラがやってきた。
下手なところで切り返して脱輪しても困るのでそのまま道なりに進むことにした。

車は通る道らしいのでどこかで開けたところに出そうだった。

そしてこの「高木神社」というところへ出た。
そこから先は道も幾分広くなっていて他の車もいるようなので一安心し、神社見物をしていくことにした。

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比較的新しい社で、丁寧に守られている神社であった。

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このようになにもなさそうな神社も見つけると立ち寄ることが多い。
また「高木神社」などと何も変哲もなさそうな神社の名前も気になる。

前に美浦村の「土屋(稲荷)神社」も結構収穫があった。
こちらは明治になって最後の土浦城主土屋挙直(しげなお)の子土屋正直(まさなお)が経営する農場がここにあった。
そこからこの地の開拓の歴史も見えてきた。

ここの高木神社は何かあるのだろうか?

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神社に由緒が書かれていた。
でもこれだけではよくわからない。

早速調べてみる。

創建は寛保3年1743年と比較的新しい。(その前は不明)

主祭神は「高皇産霊大神」と書かれているがこの神様はよくわからない。

Wikipediaで調べてみると

「『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。

別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である[1]。女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。」

と書かれていた。

それでこの高木神社の名前がわかった。
高木神=高皇産霊(タカムスビ)のことだった。

するとこの神社は日本神話に国造りの時に高天原に降臨した神の1人で皇室にかかわる重要な神を祀っていることになる。

そんなことを考えて現地の説明板を読んでいくと、次に面白い記述がある。

「戦前は本宮千葉県山倉大神山伏姿で訪ね法螺貝を吹き鳴らしご神体を背負い次の部落まで送る行事は現在は取り止めている。」

さてではこの山倉大神を調べてみる。
この神社は千葉県香取市にある811年の創建といわれる古社で「大六天王社の総社」という。

Wikipediaでは
「江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。」

と書かれている。

これはこちらの神社へも行ってもう少し掘り下げてみる必要がありそうだ。



小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/06 08:11

風の声

 私のこのブログも6年半が過ぎた。

アクセス数ももうすぐ60万アクセスに達するだろう。

この6年かなり必死に走ってきた。

何かに追い立てられているように・・・・

今年に入ってブログ記事はほどほどにして今までの記事のまとめに没頭している。

先月から地元石岡地方の記事をまとめなおして冊子に集約する作業をしている。

あまりどこにも出かけず、パソコンの前に座り込んでいた。

だんだん背中が丸くなり、睡眠時間も少なくなって来ていた。

これではいけないと背伸びして少しは運動を・・・・

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(石岡市龍明の古刹「長楽寺」)

石岡の記事をまとめていて、昔の記事で気になるものが出てきたので改めて紹介しておきたい。

ブログ1周年(2011年8月)で風の会の白井主宰から送られた詩である。


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ブログ「まほらの風に吹く風に乗って」の添付写真を見ていてふと下記の詩が口をついて出た。

『風のこえ』

何時も呼んでいるのに

なぜ聞こえないふりをするのですか。

あなたがきっとわかる様にと

私の言葉を文字にも書いて風に声しているのに

あなたは何時も聞こえないふりをしてしまう。

それは私の事を嫌いだという事ですか。

かまいませんよ。

あなたに嫌われても私はあなたを呼び続けます。

そして、

私の呼ぶ声を風に運んでもらいますから

(ひろぢ)

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あいさつ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/07 10:57

八郷地区

 今石岡地方の記事をまとめていて5巻目「八郷地区の里山と歴史散歩」をまとめている。
その冒頭の書き出しをここに載せます。(なかなか難しいですね)
今日である程度の形は完成です。後は細かい見直しのみ。
3月中の仕上げはできそうです。でも印刷はまだ先かな?

1 はじめに

 八郷とは7つの村と1つの町が昭和30年合併して「八郷町」となり、平成の大合併(2005年)で石岡市と合併し「八郷町」の地名は消えましたが、長らく愛された「八郷」の名前はあちこちで使われています。

ここは筑波山~加波山~吾国山(わがくにさん)~難台山(なんだいさん)~鐘転山(かねころがしやま)の山並みにより西から北側を囲まれ、東側は霞ケ浦に続く平野部に続く温暖な気候の地域です。

東京からも70kmほどしか離れていないのに驚くほど豊かな自然とホタルも舞う里山が広がっています。先日NHKテレビで紹介されたテーマは3つでした。

1)親子3代にわたり八郷地区で農業をしている家庭。

昔はタバコ栽培をしていたが、野菜栽培に切り替え親子三代で一緒に暮らしている。
(タバコは、昔はこの地区の主要な産業でした)

2)東京から脱サラして来た30代の親子。

2年間の農業指導を受けてこの地に自分の土地を耕し、野菜作りが始まった家族。
サラリーマン時代は子供と過ごす時間もほとんどなかったのが、収入は半分になったけれど、生き生きとして暮らしている姿であった。
奥さまの「うちの子供たちはここにきてからこの人(ご主人)のことを父親だと知ったみたいです。
それまでは時々顔を見かける人だった」の言葉は強烈でした。

3)八郷地区の茅葺屋根を葺く職人さんに若い職人が加わり、必死に技を覚えている。

この地区に伝わる茅葺屋根は「筑波流」という独特の葺き方をしています。

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この地区は日本の里山100選に選ばれており、都会からこの地に移り住む人も多い。
また果樹団地も多く、梨、りんご、柿、イチゴ、ブルーベリーなどのほか、有機栽培の野菜を始め、豚・シャモ(軍鶏)も有名です。

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都会がいやになったら是非来てください。

癒されること請け合いです。

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右手の山が筑波山~足尾山~加波山の連なる山並みです。

○ 府中と山根

 昔からこの辺りにおられる方は「府中と山根」ということでわかるようですが、今はあまりこの呼び名は使われません。
「府中」は旧石岡市域で、「山根」は旧八郷地域をさします。

「府中」は常陸府中で石岡になる前に呼ばれていた名前で全国にありました。

その中で茨城(常陸府中=常府)と静岡(駿河府中=駿府)は府中の名前は変わらざるを得なかったようです。

しかし武蔵府中は東京都府中市となり、甲斐府中は甲府市、周防府中は防府市、備後府中は広島県府中市などと名前が残ったところも数多くありますが、多くはその名前が消えていきました。

常陸府中も「石岡」(由来はよくわからない)となりました。

 石岡の市街から旧八郷地区(柿岡)に入ると筑波山から加波山の山並みが目に飛び込んできます。

また石岡の台地から見ると比較的低地となっていて、山の麓に霧がかかっていることも良くあります。
この山並みが見える光景はやはり良い。

下の写真は下林地区を過ぎて上林地区・柿岡の街に入る手前です。

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この「林」と一見なにもなさそうな地名も実はたいそう古い地名のようです。

平安時代に書かれた和名類聚抄にも常陸国茨城郡の中に「拝師郷(はやしのごう)」という地名が出てきます。
祈祷師のような人が暮らしていたのでしょうか。

この地域は恐らく現在の柿岡地区なども含んで呼ばれていたと思われます。
出雲風土記にもこの名前が出てきますので出雲系の民族であったのではないかと思われます。

江戸時代は山の麓に広がっているので山根地区と呼ばれ、五十三か村がありました。
その中から染谷村と村上村が石岡に編入されました。

また、残りの村々も合併していき、柿岡町・小幡村・葦穂村・恋瀬村・瓦会村・園部村・林村・小桜村の1町7村残りましたが、昭和30年にこれらが合併して八郷町と命名されました。

都会からこの地区に移り住む人も多く、皆この八郷(やさと)という響きが好きな方が多くいるようです。

私もこの八郷という名前は好きです。
八郷地区は結構広いです。
旧石岡地区より面積は大分大きいです。(下の地図を参照)

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書籍 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/03/07 12:54

今朝は冷え込み

 昨年の記事を見ていたら3月なのに夏のような暑さだったらしい。

しかし今朝は朝日がさし始めたので雨戸をあけたら一瞬雪かと思うような霜や氷滴がキラキラ輝いていました。

夜はそれほど寒くなかったので朝方冷え込んだようです。

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家の隣の空き地に咲いている梅の花。
朝日を浴び始めて・・・・

奥には畑の上に真っ白な霜が。


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毎年この時期に咲きだす庭の馬酔木の花。
一面にびっしり。

朝も霜がついて陽がさしてキラキラ輝いていました。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/08 08:02

近況

 今日パソコンが1台立ち上がらなくなった。
メインではないので当面は困らないが、エラーの原因がわからない。

メーカサポートにTELすると何やら指示された操作をやって、結果はハードディスクの故障だという。

引き取りに宅配便業者が行って、修理してOSと最初購入時に入れてもらった基本ソフトをインストールしなおして見積もりが26000円+消費税だという。

しかし購入後もう3年以上たっているので買い換えた方が安いかもしれない。
安い中古なら1万円しない。

考え物だな。

それにしもこちらで使っているメインのPCもそろそろ危なそうだ。
しっかりデータのバックアップを取らなければならないだろうな。

それにしても確定申告をe-Taxでやろうとしたが、読み取り装置もマイナンバーでちゃんと読み込めたが何回もいろいろなパスワードを要求されるしエラー表示で途中で進めなくなった。

今回は紙で出力して提出することにした。

PCの確定申告用のファーマットに打ち込んで紙で出力して税務署のポストに投函してきた。

今年はだいぶ遅くなってしまった。

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疲れたのでコーヒーと音楽でのんびり・・・・・。

PCの画面は別府葉子さんで曲はアムステルダム。
彼女も私のブログに何度もアクセスがあって知った。

このブログも60万アクセスを達成した。
ブログを初めて2403日になった。
1日平均250アクセス

あの悪魔の日まであと2日。

PCは中古のものを1台注文した。
5000円くらいの安いやつ。
はたしてどれくらい使い物になるかな?

近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/03/09 23:23

カオス

 韓国という国はやはり理解ができない。

今後ますます理解できない国になっていくのではないか・・・・・・・。

大統領を罷免することだけが目的でその先を何も考えない。

いったいどうしたいのかがわからない。

民族的な問題なのか。

世の中が混沌としてきた。

利己主義がはびこればギスギスして気持ちもすさむ。

気持ちが暗くなる。

カオス・カオス・カオス・・・・・・・・・

東日本大震災から6年。

この3月末からどんどんと除染が終わった地域を拡大して故郷に戻れと・・・・・・

まだまだ高い放射線量。黒いビニール袋が山と積まれている。

飯舘村など原発補助金など何ももらっていなかった。

酪農の牛も泣く泣く殺処分。

どこにこの恨みをぶつけたらいいのか?

忘れてしまっているような政府の関係者や西日本の人たちも多い。

家内の「いわき」行きもこの3月で5年半になるし、もう終わると思っていたが、まだ多くの人が避難所にも残る。

弱者から先に見捨てて行かれるのかもしれない。

人は少なくなっても、人と人との絆はなかなか断ち切れない。
頼られればまだやめられないようだ。

避難先で「菌」などというあだ名を学校の先生まで・・・

ああ我が国も徐々に混沌とした無秩序なカオスが広がってきているような気がする。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/10 23:09

もう6年。まだ6年。

あれから6年

痛みは時間と共に薄れていくもの

そうでなければ心が壊れるから

でも忘れてはいけないこともある

1000年に一度の大津波

人々を飲み込んでいった

思い出も、ふるさともすべて変わった

涙こらえて空を見上げる

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名もない花はありません

あなたが知らないだけなのです。


昔、YouTubeにも載せた

「名は愛しきもの」 ⇒  こちら 





近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/11 08:21

金のなる木に花が咲いたが・・・

 我が家の玄関に放置していた「金のなる木」がいつの間にか花が咲いた。
それもまさに花盛り。

今まで見たこともなかったが今年は花が咲いた。

それにしても金欠は変わらない。

もう少し待てばよいことが起こるかもしれない。

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写真を撮るために外に出したが、水もやらずに放っておいたのが良かったのかもしれない。

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良いことが起こりますように!

明日は銚子に出かけます。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/03/12 21:37
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