清音寺(古内茶発祥の地)

 城里町の錫高野に行った時にその奥(西側)の下古内地区にある古刹「清音禅寺」へ行ってみることにしました。
比較的近いと思っていましたが少し遠回りになってしまいました。

しかし古くから茶葉(古内茶)の栽培がおこなわれているこの地区も新緑場美しい山間にありました。

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寺の参道入り口に車を停めて歩いて中に入りました。
太古山 清音禅寺 と書かれています。

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案内板を読んでみると、
「禅宗」臨済宗南禅寺派の別格地。
前半は仁明帝の勅願寺、後半は復庵大光禅師の古禅林護国の海印座禅道場である。
<前半>
 草創、大同4年(809)弘法大師が草庵を構え、承和4年(837)真雅僧正が伽藍を建立して浄光寺と号し、仁明帝より東夷鎮護山の勅願を賜り壮大な寺構えであった。
その後、鎌倉幕府の源頼義、実朝が厚く崇敬したが、嘉禎3年(1237)罹災した。
<後半>
 創建、文和元年(1252)に常陸領主の佐竹義敦が父、貞義の追善の為に名僧、復庵大光禅師を招き開山とし、大伽藍を建立して宗を臨済宗に改め、独立本山として表題の山、寺号となり、関東屈指の林下修業道場となった。
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元禄の初め水戸光圀が当山の禅境を愛し徹伝、大忠両禅師と詩友として再度来山され名吟等を残し加護され、公の上申にて京都五山の上、南禅寺派に属した。
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かなり歴史的に面白いのだが、このような看板内容もやはり内容をもっと調べてみないとよくわかりません。
最近はこの先を調べるのにパワー不足を感じるこの頃です。

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少し長い参道を進むと、周囲の木々の緑がきれいです。

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参道は左に昔の山門が残されています。

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この山門が禅道場の入り口のようです。
これは中門でこの先に旧仁王門の礎石が残されていました。

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山門をくぐると正面に本堂と手前に茶畑が見えます。
本堂(方丈)の手前に昔は仏殿(法燈)があったようです。
禅僧の道場は本堂向かって右手にあったようです。

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本堂の左手に佐竹氏の墓所とこの建物(開山堂)がありますが、このあたりのも佐竹氏ゆかりのお堂や庵があったようです。

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この裏手の山側に少し入ったところに佐竹氏の宝篋印塔があります。
形から南北朝時代のものと考えられており、向かって右から佐竹貞義、復庵禅師、佐竹義敦の墳墓と言われています。

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本堂手前は茶畑と梅の木が植えられています。

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石楠花もきれいに咲いていました。

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江戸時代から茶を栽培してきたこの古内地方は古内茶の産地として有名なところだそうですが、徳川光圀がこの茶を愛でて詩を詠んだといわれていますが、その当時はこの清音寺の境内だけで栽培がされていたそうです。
「清音寺開山の復庵禅師が、中国から茶の実を持ち帰り、境内に蒔いた」と伝わっています。

今ではこの下古内地区で広く茶の栽培がおこなわれています。

佐竹氏の家系図を見てみると8代佐竹貞義の後は9代佐竹義篤(山入氏の兄)の名前が見えます。
この義篤がきっと義敦のことだと思います。
この佐竹義篤は、南北朝の争乱が勃発すると足利尊氏に味方し、常陸守護に任じられたとあります。


城里 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/11 09:54
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