麻生天王崎の祭り

 7月30日の日曜日に銚子に仕事で出かけました。
日曜ですが夏は電力調整で日曜日に相手方がやっていますので出かけました。

7月から8月は各地で夏祭りが行われており、途中で数カ所祭りの交通規制などに出会いました。
しかし午前中比較的早い時間はまだ準備中といった感じでした。

小美玉市から行方市に入りそのまま霞ケ浦沿いを進んでいると旧麻生町近くで通りを祭り衣装で立派な馬を引いている一行に出会いました。

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馬の引手が3人で馬も衣装をつけて悠々と東リを闊歩しています。

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年やっているようで、区域の家庭も出てきて馬の頭をなでたりしていました。
それにしても脚もスラットしてきれいな馬です。

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お話を伺うと、すべての家を回るのだそうです。
家々を一件ずつ訪問していきます。

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お祭りは天王崎近くの八坂神社(香澄の里、茨城百景の碑がある)の祭礼でした。
天王崎の名前はここに牛頭天王社があったことを示しますが、この八坂神社が昔は天王社だったようです。
やはり祇園祭です。

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この神社の境内でこれから「麻生祇園馬出し祭り」が行われるのです。
数人のカメラマンがすでに場所を確保してカメラを設置していました。
まだ馬が家々を回っていますので祭りが始まるのはもう少し後になると思い、私は時間がないので素通りでした。
この祭りは結構迫力があるようです。
この両側が松並木の境内で馬と神輿が追いかけっこをするようです。

そして最後は神輿を浜下りで霞ケ浦に入るということです。


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小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/01 19:30

天王崎の夏

 昭和30年代までは霞ケ浦は泳げたという。
行方市麻生の天王崎も海水浴客でかなりにぎわっていたと聞いている。

先日の日曜日にここにある八坂神社の祭礼の様子を見に少し場から立ち寄ったので湖岸も眺めてきた。

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麻生温泉白帆の湯のところにある湖岸はだいぶ前から砂を入れ、防砂工事を続けていた。
それが実を結んだのか、砂浜に色鮮やかなテントが並び、家族連れや若者がたくさん集まっていた。

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小さなお子さんは浮き輪をもって湖に入って気持ちよさそうに遊んでいた。
遊泳禁止の看板は見かけなかったが、やはり水質はまだ泳ぐには適していないのだろう。
本格的に水泳する人はいない。

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水上モーターボートがたくさん。

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この浜はこの神社の祭りの最後に神輿を担いて浜下りが行われ、湖に入るという。
この日は、天気も良く結構暑かったので波もなく水に入るには絶好のコンディションであった。

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昔のにぎやかさが少し戻ってきているようで、眺めているだけで少しうれしくなった。

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/02 15:03

常陸風土記の丘公園の古代ハス

 最近どこかあわただしく時間ばかりが過ぎる・・・・・・
おもいたって先日夕方に常陸風土記の丘公園へいった。

古代ハスを鑑賞するには7月の方が良いし、また朝早い方が良いに決まっている。

でも夕方になって何となく今年も見に行かねばと・・・・・。

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この清らかな花の色は古代から変わらないのだろうか?
大昔の縄文人もこんな花を見ていたのだろうか?

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たくさんに花は咲くけれど、おおきな緑の葉とそこに凛として咲く蓮の花は美しい。
「万緑叢中紅一点」といった趣であった。


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風土記の丘近辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/05 07:45

昔話の本が近くの郵便局にありました。

 私が昨年つくった「石岡地方のふるさと昔話」の本が、近所の郵便局「若松郵便局」に置かれていました。
なんだかうれしいですね。
高木書店さんに置いていただき、少しずつですが結構売れています。

表紙のLaLa mosuraちゃんの絵の効果ありですね。

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夏休みで、明日は神戸から飛行機で娘夫婦と孫君がやってきます。


近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/10 15:29

水車杉線香の水車を見てきました。

 昨日から神戸の娘夫婦と2歳の孫君がやってきました。
お盆前の忙しいときですが、お盆休みに今年も孫を連れてやってきました。
神戸から茨城空港まで飛行機だと早いですね。
朝9時過ぎには到着です。

昨日はバタバタとしてあまり一緒にいられず、今日は筑波山にでも行ってみたいというので天気は少し悪いですが出かけることにしました。
途中小幡から少し上ったところにある駒村清明堂さんに立ち寄り、今も現役で動いている水車を見て行くことにしました。

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石岡市小幡の杉線香つくりは日光から火災により、江戸時代終わり頃に新しい職場を求めてこの地の杉に活路を見出してはじめらえたと言われているようです。
その後工房も増えて一時は10軒ほどの線香工房があったようですが、現在は2軒のみで、水車を使っているのは現在ではここだけです。

この裏手にきれいな清流と大きな水車があります。


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大きな水車が勢いよく回っていました。

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遊びに来た孫君(2歳)も興味はあっても結構おっかなびっくりで水路を渡っていました。
水車への水は途中から取水して樋で水車の上部に降り注いでいます。

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今回はこの水車小屋の中から大きな音が聞こえてきていました。
水車の動力を使って杉を細かく砕いて粉にする作業をしています。

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材料は山から集めた杉の葉を茶色にからからになるまで置いたものを使います。

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今回は水車小屋の中を見せていただくことができました。
孫を見て中を見たかい?
と声をかけてくれて扉をあけてくれました。

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水車の回転を利用して歯車で右側の羽根のついたローラを回します。
この羽根でその右に並んだ数本の木の柱を上下させます、

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この柱が上に持ち上げられ順番に下をたたいて細かな杉の葉を粉にします。
緑色の線香の色は付けられたものです。
ここで使う杉の葉は茶色です。

今回は小屋の中も見せていただくことができました。
おじさんありがとうございました。



八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/12 22:20

孫を迎えに茨城空港へ

 今年も神戸から飛行機で孫君がやってきてくれました。
神戸-茨城便は1日2本、朝9時過ぎに到着する便でやってきました。

家から空港まで約30分。神戸から茨城までの飛行時間は1時間とちょっとです。

お盆の期間は空港の駐車場も無料ということもあり満杯でした。
臨時駐車場も奥の方まで拡張してかなり多く確保してありました。

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臨時駐車場がこのファントム戦闘機展示場の裏手に広がっていて、この展示場を横切りました。

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なかなかかっこいいですね。

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空港入り口では真壁高校の農業科の生徒さんが茨城県PRのために農産物などの展示販売をしていました。
朝早くからたくさんの生徒さんがやってきていました。

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空港の中では稀勢の里のポスターや茨城の祭りPRなどが貼られていました。

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飛行機もお盆での帰省客で一杯でした。

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孫君は他のお客がいなくなった頃に姿を表しました。
乗り遅れたのかと心配していたのですが・・・・・ ホッとしましたね。

休みも短く、茨城は1泊だけ。
今は静岡あたりでしょうか?


あわただしく去っていきました。

茨城空港 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/13 16:44

今年もダイダラボッチの里へ

 石岡市の東南にある井関地区の方に私がダイダラボッチの里と呼んで毎年訪れる場所があります。
今年も1日遅くなってしまいましたが8月17日午後に出かけてきました。

ここは江戸時代は水戸藩の領地でした。

全国で厄病が流行った時に部落の入り口に大人形を飾って厄病の進入を防ぐためにはじめられたといわれています。

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代田地区の大人形。
乳、へそ、男根などにナスを使いますが、男根の根元はトウモロコシでつくられています。

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梶和崎の大人形。
ここだけが16日ではなく少し早く飾られる。

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古酒(ふるさき)の大人形

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長者峰の大人形。 個々のものが一番大きいようだ。
森の入り口にあり少し不気味だ。

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千葉や新潟・秋田などには大きな藁人形を飾る風習が残っていて、これは「鹿島様」と呼ばれている。
しかしこちらは地元では大人形と呼んでいる。

しかし代田にあることもあり、またこのあたりにも水戸の大串貝塚に伝わるダイダラボッチ伝説と同じようにダイダラボッチの足跡というのも残されていて製鉄の跡などとの関連も言われて面白い。

また今年もこの大人形に会えてうれしかった。

高浜・三村地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/08/17 23:12

常陸国府の瓦蓮華紋

 石岡市の「ふるさと歴史館」で、瓦塚遺跡が国指定史跡に選定された事を記念して「瓦塚窯跡展」が8月1日より開けれています。

2階の展示場と1階奥に展示されていますが、茨城廃寺、国分寺、瓦塚窯跡の瓦の文様を見ていくと面白いことがわかります。
もう少し説明が書かれているとわかりやすいのですが、私も調べてもう一度訪れたいと思いました。

今日は少しだけ展示された写真を紹介します。

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茨城廃寺の瓦。
7世紀後半と説明があり、国庁があったことを示す唯一の資料だと説明があります。
奈良時代は710年からですからこれはその前の飛鳥時代です。

国分寺はまだ建てられていませんので茨城寺が茨城郡にあったのですがここにこんな軒瓦の文様があったということの意味を理解しなくてはなりません。
この文様は調べてみると飛鳥時代に日本に仏教文化が伝えられ、奈良飛鳥寺の軒丸瓦に「蓮華文」が飾られ、その後この蓮文様が日本古代における軒丸瓦の文様の主流となったことがわかりました。
桜のような花弁で、蓮の中央の丸い花弁の中には模様がえがかれていないようですから「素弁蓮華文」のようです。
西暦596年に建てられた飛鳥寺と同じ系列に見えます。

ただ奈良から全国に、7世紀後半からは蓮弁の中に小さな蓮弁状のものが加わったものが中心になっていったようです。
7世紀末ころ建てられたといわれる茨城廃寺に、この昔の文様(花弁にもようがない)の瓦が使われていたのでしょうか?

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さて、前の「素弁蓮華文」の瓦に並んで、きれいな蓮の文様の瓦が展示されていました。
常陸国分寺で使われた瓦文様のようです。

左側は7世紀後半に奈良県明日香村の川原寺で採用された「複弁蓮華文」と似ています。
また藤原宮の宮殿に採用された瓦に似ています。
この頃から瓦の大量生産技術が確立されていったようです。

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瓦塚にはこの国分寺などの瓦を中心に瓦を焼いていた窯跡が34基発見されています。
文部科学省がYouTubeに公開したビデオがありましたのでリンクを貼っておきます。

瓦塚窯跡(発掘された日本列島2015):文部科学省


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石岡市内 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/20 11:33

竹久夢二とベルリン

 千葉県銚子は夢二にとって「宵待草」の発想の地であり、淡い失恋の土地であるが、その対岸の茨城県側の波崎海岸付近にも竹久夢二の歌碑が置かれている。

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三月一日     夢二
 
  つまつまと
   ぱんに鰯(いわし)を
    そへてくふ

   伯林(べるりん)の冬に
     あが
       なじみ
         けり


時代的には宵待草は夢二は20歳代の明治末期であるが、こちらに置かれている詩は夢二が晩年に行ったベルリンで書かれたものである。
前にもこの碑の紹介をしている(前の記事:こちら)が、今回また訪れてみて、時代背景などを調べてみた。
夢二研究家なら知っていると思うが、あまりこの晩年の話は知られていないようだ。
とても興味深いので紹介しておきたい。

現地(波崎公園)の説明版には次のように記されている。
「この歌は夢二が昭和六年から昭和八年まで外遊したおりにベルリンで描いた未完の水彩画の右下にしたためられたものである。
 この未完の水彩画にはベコニアの花が描かれており、夢二の没後夢二と親交のあった波崎町の山本定平氏に夢二愛用の蝶ネクタイ、雑誌の挿絵原稿(少女の絵)とともに託されたものである。
また代表作の一つである「光れる水」には、利根川の向こうに波崎の庚申台と家並みが描かれている。」

と書かれています。

前回ここを訪れ、この石碑を見て私は単に銚子の対岸の波崎で、夢二がイワシが好きだったことくらいの印象しか感じなかったのですが、今回再訪してみて、この歌の年代と、ベルリンという響きに「何故、夢二は第二次世界大戦前のベルリンに行ったのだろうか?」と調べてみたくなりました。

夢二は1931年(昭和6年)5月7日に横浜港から船でホノルル経由でアメリカ・ロサンゼルスへ出向しました。
その時夢二は46歳でした。
また同じ船には舞踊家の伊藤道郎や、ハリウッド俳優で活躍した早川雪洲などがいました。

アメリカでは西海岸を中心に個展などを開き、1年3月滞在して1932年9月にヨーロッパに渡り欧州各地を回ったようです。
そして年末までウィーンに滞在しますが、年が明けてた1933年1月にベルリンに移っています。

そしてベルリンではユダヤ人たちを集めて絵を教えています。
また、その当時のドイツではヒットラー率いるナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が1932年7月の総選挙でドイツの第一党にのし上がっています。

ヒットラーの独裁政治は一見民主的な手続きに従っていますが、強いドイツを熱望する民衆がそれを支持したのでしょう。
アメリカファーストだの日本ファーストだのという言葉の響きは私にはこの当時のドイツの思いに似たものがあるように感じます。

さて、夢二がどの程度ユダヤ人の救済活動をしていたかはよくわかりません。
でも当時のベルリンの絵などを見ると一見平和そうに見えます。

ベルリン
1933年作 「ベルリンの公園(ウィッテルスパッヒヤー公園)」 夢二郷土美術館蔵

段々ユダヤ人弾圧が広がり始めていたころの1933年8月に夢二はベルリンを離れ、9月に神戸に戻りました。
しかし、帰国後結核を発症し、翌年9月に亡くなりました。49歳11か月です。

夢二というと大正ロマンとばかり思い浮かべますが、銚子の方は明治末期、こちらの方は昭和初期です。

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波崎公園には「はさき丸」というコンクリート製の船のモニュメントが置かれています。
場所は利根川の河口の先端です。

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波崎も風が強いのでしょう。
今や銚子と並んで風車が目立ちます。

さて、イワシとパンの組み合わせですが、ヨーロッパでは各地で食べられているようです。
イワシ、パンで検索してみると、「ポルトガル」ではイワシを塩焼きにしてパンの上にのせてイワシを食べ、味のしみこんだパンをその後に食べるのがどうも一般的なようだ。
またスイスなどではイワシの缶詰をパンにのせて食べるらしいです。
トルコなどでも食べられているようですのでヨーロッパ各地できっとイワシにパンの組み合わせで食べられているのだと思います。

こんなことも新しい発見でした。

次は銚子側の夢二を追いかけてみたいと思います。

神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/23 10:06

こんな記念切符手に入れたけれど・・・。

 鹿島鉄道が廃線(2007年4月1日)になって早や10年が過ぎた。
私が切り絵作家「滝平二郎」さんの本や切り絵集を集めていることを知って、知り合いが面白いものをもって来てくれた。

今から25年前の平成2年に発売された鹿島鉄道の記念乗車券である。

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「滝平二郎切絵と鹿島参宮鉄道唱歌」と書かれている記念乗車券である。
見開きA4版を二つ折りにしたA5版くらいの厚紙でできている。

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見開きを開くと左右に2枚の滝平二郎さんの切り絵がデザインされていて、その下に「鹿島参宮鉄道唱歌の7番8番の歌詞と左側には切符が2枚ついている。
また見開きを開いた時にいわゆる「鉄道唱歌」のメロディオルゴールが流れる仕掛けになっている。

表紙もシリーズⅣとなっているので石岡から始まってⅠ~Ⅲまでは別にありそうだ。
鹿島参宮鉄道の歌詞も1から6までが別にあるのだろう。

この鹿島参宮鉄道の唱歌はよく知られた「汽笛一声(いっせい)新橋を はや我(わが)汽車は離れたり・・・・・・・」の鉄道唱歌のメロディに地元の風景などを織り込んだ歌詞に変えたもののようだ。

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鹿島鉄道は建設当初は鹿島神宮を目指して高浜から建設され、名前も初期は鹿島参宮鉄道とされていた。
それが途中まで開設された後に玉造から鉾田に方向を変えた。

いろいろ理由はあろうが、鉄道が廃止されバス路線だけとなるとどうも文化的なつながりが途切れてしまう様に思う。
滝平二郎さんは石岡の隣の玉里村(現小美玉市)の生まれで、高校は石岡一高の前身の農学校の出身である。

こうして地元の懐かしい風景などを切り絵に残しているので地元でも大切にしたい一人である。

新しい石岡駅には大きなステンドグラスの絵が飾られ、石岡一高創立110年にちなんで、滝平二郎さんの記念館設立の動きもあるようだが具体化するには市民の絶大なバックアップが必要に思う。

旧鹿島鉄道沿線 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/08/27 12:26
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