今年は夏も終わりですね。

 ことしの夏は7月が暑かったが、8月は1か月間気温はあまり高くなかったが、ほぼジメジメしているだけで不快な日が多かった。

そして太平洋側を北上している台風の影響で北から冷たい風が吹いてきて、夏の虫が楽しまないうちに秋の虫に入れ替わってしまった。

まったくよくわからない陽気だ。

夏も銚子にはまた数回出かけた。

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茨城県側から銚子大橋で銚子に入る。
向こうの台地の上には風車がたくさん廻っている。
その風車の麓には銚子特産のキャベツや大根の畑が広がっている。
銚子は海の産物ばかりではなく、気温が穏やかなのでこの野菜の栽培も盛んだ。

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海岸沿いを犬吠埼の方に行ってみた。
ここは「一山いけす」という有名な料理屋さんの入口。
店内に大きないけす(生け簀)がある。
まあ普段のランチなどでは私は一人で訪れることはまずない。

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その先、海鹿島(あしかじま)などを通って君ヶ浜の海岸へ。
犬吠埼灯台が直ぐ先に見える場所だ。

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浜には海水浴客などもいるのかと思いきや、小さな子供だけがわずかにゆく夏を惜しんでいるようだった。
もう10日ほど前で、結構気温も高かったのだが、海は海藻がたくさん打ち寄せていて、海藻採りの人が目立つくらいで・・・。
磯遊びも子供にとっては楽しいものだ。

私が子供のころ育った横浜本牧の海岸は今は全く面影が無くなってしまった。
埋め立てられて工場や石油タンクがそびえ、海岸は数キロ先に岸壁があるだけとなった。
そして昔海岸線だったあたりには高架の高速道路が走っている。

文明は便利になっても自然が無くなればもう昔には戻れない。
まだこのように海辺が残っているのは良いものだ。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/02 21:44

宵待草のやるせなさ

  銚子市海鹿島に竹久夢二の歌碑がある。

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この海鹿島(あしかじま)は島ではなく、明治頃までアシカもいたらしいが、今はいない。

しかし日本の東端のとっまずれにあって、風光明美な場所として別荘や旅館などもあり多くの文学者たちが訪れた。
そのため、銚子の文学碑めぐりの中心でもある。

海岸沿いに「小川芋銭」の大きな碑が、海岸に突き出した大きな岩に直接刻まれて置かれている。
またその反対側の丘の台地には国木田独歩のこれまた大きな岩に刻まれた碑がある。

また尾崎咢堂(尾崎行雄)の碑も芋銭の碑のところから山側に少し上ったところにある。

さてもう一つ忘れてはならない碑が「竹久夢二の歌碑」である。

海岸沿いの通りから「石井ひもの店」さんの前を上がった通り沿いに草に覆われたようにある。

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  まてど暮らせど来ぬ人を

    宵待ち草のやるせなさ

      今宵は月も出ぬさうな

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竹久夢二が最初に結婚した女性「岸たまき」と結婚したのは夢二が23才の時
翌年男の子を設けるが、親の反対もあり25歳の時に協議離婚した。

しかし、翌年再びたまきと同棲し、大逆事件で幸徳秋水らが逮捕され、夢二も逮捕されてしまう。
2日で釈放されるが、監視されているのを嫌って、たまき、長男を連れて銚子の海鹿島に避暑旅行に出かけた。

この時宿としたのが海鹿島の宮下旅館(民宿)ですが、この宿の隣に成田から来ていた長谷川賢(カタ)が来ていて二人は意気投合して、絵のモデルになってもらったり、この近くの海岸などを一緒に散歩したりしたといいます。

夢二はたまきという女性がいて赤ん坊もつれて来ていたのに別な女性に恋をしてしまったのですね。

一夏の恋はそれで終わり、夢二は東京に、カタは成田に帰ります。

年末には成田で再開したようですが、海鹿島で翌夏に会えると期待していた夢二に聞こえてきたのはカタが別な男性と結婚した便りでした。
カタの父親が心配して結婚を急がせたためだといいます。

そしてこの宵待草の歌のイメージがわいたのです。

最初に書いた原詩は

「遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき

想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな」


です。

かなり違いますね。

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歌碑のある通りは坂道で道幅も狭いです。

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海鹿島の海岸は昔から風光明媚だったのですね。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/05 12:43

小町の里

 土曜日は月1回の「ふるさと風」会報の印刷日

この会も11年続いてきて、わずかな人数でもしっかり言いたいことは言って(書いて)、ふるさとに文化の風が吹いていることをしっかりと伝える役目を担っている。

損得勘定ばかりが気になる人々の多い世の中で、自らの会費で毎月A3裏表5~6枚(A4de20~24頁)を自分たちの手で500部ほどつくって無料で配布している。

これも会員は毎月記事を書き続け、誰一人休まない。

良く続いてきたなと思う。

今まで書き続けてきた会報をCD化しようとも考えた。
資金は?
どこかで少し助成金は?

県の助成金10万円を申し込むも落選。

さてでは次なる手は?
また自腹でやるか。
応援してくださる方は時々いるし、毎回楽しみに読んでいただいている人も結構いる。

12年という区切りに今までのものをまとめておきたい。

1)すべてをPDFでまとめる
2)作者別にもまとめる
3)記事内容を索引でしらべられるようにする。
 そしてクリックでそのファイルページに飛ぶ

こんなことをコツコツ少しづつやっていこう。
これはいつまで経っても貧乏ヒマなしだな・・・・・・・

それにしてももう完全に秋の気配だ!


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土浦市(旧新治村)小町の里へ
小町の館は秋色でした。

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萩の花も咲き乱れ、


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道路沿いにはコスモスも揺れていました。


筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/10 06:31

夕日を追いかけて

 今日は朝方は雨が降ったりやんだり。

こんな中、また銚子に出かけたのだが、行きには利根川水門のある常陸川大橋と利根川大橋を渡った。
水門は閉まっていたようで左側の海寄りは水面はずいぶんうねっていたが、右側の水面は静かで対照的だった。

まあその前に北浦から霞ケ浦にそそぐ鰐川から外浪 逆浦(そとなさかうら)あたりはかなり波もあれていた。

仕事を終えて帰りに利根川と常陸川の間の中州道を車で走ってみた。


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もうすぐ日が沈む。
今日は夕焼けがとても鮮やかだった。
この川は利根川。


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日の沈むのは早い。


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夕日を追いかけようと思ったが、すでにあたりはだいぶ暗くなっていた。

この写真の右側は常陸川で上流が霞ケ浦に続く
左の土手の向こう側は利根川が流れている。


霞ケ浦の自然 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/09/12 22:17

雨引山(楽法寺)へ

 土曜日はまだ雨も降らなかったので、息子夫婦と孫の成長祈願に雨引山へ行ってきました。

私たちの孫たちはイギリスの孫を含め皆この雨引山へ護摩供養に行っています。
今年2人孫が増えて4人となりましたが、イギリスの長女のところの2番目(7月誕生)を除いて3人目のお詣りとなりました。

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寺の入り口道路わきには曼珠沙華がきれいに咲いていました。

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寺の入り口の仁王門。
きれいな彫刻が施されています。
1254年建立の門ですが、彫刻は1704年の江戸時代です。
この寺は日光東照宮を彷彿させる雰囲気が各所にあります。

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立派な多宝塔と本堂です。

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本堂ではほぼ毎日護摩を焚いていろいろな祈願供養を1時間おきに行っています。
私たちの時は同じような赤ん坊や2~3歳ほどの子供を連れた親子が15組ほど祈願していました。

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放し飼いのクジャクもちゃんとあいさつにやってきました。

いただいた御札などは7歳の時に返しに行きます。

筑西・桜川地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/18 18:04

祭りも終わり静かになった。

 石岡のおまつりで騒々しかった街中も今日は後片付けで忙しそうだが、やはり何かもの悲しさだけが残ったようだ。
昨年に引き続き、祭りはほとんど見学もせず関心も持たなかった。

そうすると何か祭りもどこかよその世界のような気になってくる。

9月の祭りはそろそろ見直しても良いのではないかと思うのは私だけだろうか?

明治35年に作られ考え出された祭りだが、それを言うと何かうそを言っていると思われる。
総反発を食らうのだ。

最初は重陽の節句の9月9日を選んだが、休みにしたいということで近い9月15日の敬老の日になった。
ところが、敬老の日がハッピィーマンデーで月曜日になったものだから今の3日間にずれた。

石岡の子供たちは祭りと運動会で一番勉強のできる秋があわただしく浮かれたままで過ぎていく。
7月の祇園祭と同じような時期にやらないと・・・・
もう石岡囃子もだいぶ板につて来たのだから三村や染谷などのお囃子連を借りてくる必要もなくなったのだしね。

また年番制度もいつの間にか市も観光協会も統一されたようにどう見てもおかしなことを言っている。

それをおかしくないと思うとしたらどこか感覚がずれているとしか思えない。
説明を聞いてみると皆が同じように言うが、自身で検証しようとはだれも思わないらしい。

年番制度は明治35年8月29日に町役場で行われた区長会で順番をくじ引きで決めた。
それが事実でありそれ以上も以下もない。

石岡のおまつりは市民の心意気を表現する市民中心の祭りでなければならない。

神社色を強めているのは石岡ばかりではない。

何か日本もアメリカも本質を忘れて進んでいるように感じる。

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椿の実も大きく膨らんだ。

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おい! カマキリ君 何か言ったらどうだ。

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そうか。よそ者は黙っていろか。

まあ遊んでくれてありがとうね。

近況 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2017/09/19 17:05

コスモス畑も少しさみしげ

 潮来市の上戸川の広大なコスモス畑に立ち寄りました。

敷地は約6ヘクタールあり、毎年約一千万本のコスモスの花が咲きます。
そして花の時期の終わる前に一般の人が一斉に摘み取り持ち帰ってもOKです。

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今年は台風がやってきたためでしょうか、少し花が倒れたり、不揃いだったりして去年よりさみしい気がしました。

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それでも敷地が広大なのでかなりの花が咲いていました。

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今年は10月1日から摘み取りできます。
(去年は10月10日でした。)

去年も9月17日に訪れていますが、もっと揃って咲いていました。
今年はだいぶさみしい感じですね。

潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/21 07:14

秋の日にどこに行こうか? 麻生港で水鳥とたわむる

 銚子に行く途中、あまり時間はないが少し気になる場所へ立ち寄りました。
まあ寄り道しても10分も余分にかかりませんから・・・・

寄ったのは麻生港。

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誰もいませんが、こうして水鳥(カモメ?)が一緒に遊んでくれました。
近づくとお尻を振り振りヨチヨチと歩いていきます。

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まあ、やはり遊んでくれているのではなく逃げているようです。
何もしないのに・・・・
でものんびりしてるな~。

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もう少し近づいてみたら飛び立ちました。

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一番先まで行ったら一斉に飛び立ってしまいましたよ。
驚かすつもりじゃなかったけれど、悪かったかな?

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霞ケ浦湖畔の麻生港(行方市)、こんなのんびりしたところもあるのだね。
私はこの後仕事が待っているので少し癒されて満足でした。

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ここに来た目的はもう一つ「アサザ」の花が咲いているのです、
前に来たのは8月28日、このときすでにアサザが満開でした。

昨日の方が少し少なくなっているような気がします。
もうすぐ花は終わりとなりそうです。

霞ケ浦にも普通に咲いていたアサザも今ではかなり少なくなりました。
ここも保全活動をしてアサザを守っています。

可愛いこの花が広がる光景を、皆が優しい気持ちで見守っていただきたいですね。

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霞ケ浦の自然 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/21 18:58

神栖のささら舞

 先日銚子に行く途中で「神栖市歴史民族資料館」というところに立ち寄った。
神栖は鹿島コンビナートの玄関口で山はほとんどなく平地で大きな池も埋め立てられたりもして道路もどんどん整備されている。
メインの道路も今では片側3車線の真っ直ぐな道が続いている。

人によっては「つまらない道」と映るかもしれない。
私ももう少し細くてくねくねして昔の香りが漂う道の方が好きだが、こちらの道を走る方が時間を節約できるのでどうしても走ってしまう。

その通り沿いに「神栖市歴史民俗資料館」の矢印看板があり、前から気になっていた。
たぶんこういうところは無料だろうから一度は行ってみようと、天気も良くないのを理由に立ち寄ることにした。

そちらは次にでも記事にしたいが、展示物で気になるものがあったので紹介したい。

神栖市の白鳥神社に伝わる「ささら舞」である。

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800年ほど前から伝わるものだそうで、毎年7月末に神社を出発して町内の家々をを回って「ささら」を舞って、五穀豊穣・無病息災を祈願する祭りだそうだ。
(まあ800年というのはどこまで根拠があるかは知らない)

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特徴はここの「ささら」は東北地方などに伝わる「ささら舞」と同じで、人間が獅子を被って舞うものだ。
石岡の祭りで奉納される「富田のささら」は棒ささらである。

獅子に棒をつけてそれを人が操作して舞うもので、獅子の動きなどが独特に演じられ、トリッキーな動きができるのが特徴だ。
もちろん獅子の姿もだいぶ違ったところがある。

また柿岡にも荒宿のささら舞がある。

このようなささらが茨城県も残されているのでどこかでまとめてみたら面白いが。
(まとめたのがあるかもしれないが私は知らない)

調べていたら茨城新聞の記事が出てきた

 ⇒ 「ささら舞」継承で猛練習 神栖・軽野小児童ら」

近くの「軽野小学校」の5年生が毎年練習して伝統芸能を守り継ごうとしているのです。(今年で15回目だそうです)

「軽野」と聞くと思い出す人もいるかもしれませんね。

常陸風土記に記載されている鹿島郡成立のお話です。

「昔、難波の長柄の豊前の大宮に天の下知ろし食しし天皇(孝徳天皇)の御世の、大化五年に、大乙上 中臣の?子、大乙下 中臣部兎子らが、惣領 高向大夫に申し出て、下総の海上の国造の領内である軽野より南の一里(面積のこと)と、那賀の国造の領内である寒田より北の五里とを引き裂いて、この二つを合併し、新たに(香島の)神の郡を置いた。そこに鎮座する天つ大神の社(現、鹿島神宮)と、坂戸の社と、沼尾の社の三つをあはせて、香島の天の大神と称へた。ここから郡の名が付いた。」(口訳・常陸国風土記より)

また「童子女の松原」などにも出てくる話です。

 ○ 童子女の松原

 軽野の南に童子女の松原がある。
むかし、那賀の寒田のいらつこ、海上の安是のいらつめといふ、年若くして神に仕へてゐた少年と少女がゐた。
ともにみめ麗しく、村を越えて聞こえてくる評判に、いつしか二人はひそかな思ひを抱くやうになった。
年月が立ち、歌垣の集ひで二人は偶然出会ふ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本当はこのあたりも結構古い歴史があるところなのでしょうね。



神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/09/29 21:42
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