桜満開も短い命
今年は桜の咲くのが早い。
3月29日に銚子に出かけたが、桜満開の時期で次回はもう散ってしまっているはずと思われたので、時間も限られた中で立ち寄ることを決めた場所は2か所でした。
1か所目は行方市の西蓮寺。

桜は境内も入口山門前も満開でした。
ただカメラの設定がおかしくなって、桜がほとんど白飛びして使い物になりません。
時間もないので設定は戻ってからやりましょう。

次に立ち寄ったのが潮来の長勝寺。

ここもここ数年は、ほぼ毎年訪れています。
桜の花びらが舞う時期も多いのですが、今年はちょうど満開でしょうか。


やはり春ですね。
3月29日に銚子に出かけたが、桜満開の時期で次回はもう散ってしまっているはずと思われたので、時間も限られた中で立ち寄ることを決めた場所は2か所でした。
1か所目は行方市の西蓮寺。

桜は境内も入口山門前も満開でした。
ただカメラの設定がおかしくなって、桜がほとんど白飛びして使い物になりません。
時間もないので設定は戻ってからやりましょう。

次に立ち寄ったのが潮来の長勝寺。

ここもここ数年は、ほぼ毎年訪れています。
桜の花びらが舞う時期も多いのですが、今年はちょうど満開でしょうか。


やはり春ですね。
風土記の丘のしだれ桜で
石岡の風土記の丘のしだれ桜は、「関東で行ってみたい桜の名所」の第4位に選ばれているのだそうです。
いつの間にか有名になってきたようです。
あっという間に桜も咲いてきてあわてて先日行ってきました。
孫の散歩ついでですが・・・・

爺バカぶりを発揮してしまいます。
休みの日でしたので駐車場はいっぱいでした。

でももう散ったでしょうか?




いつの間にか有名になってきたようです。
あっという間に桜も咲いてきてあわてて先日行ってきました。
孫の散歩ついでですが・・・・

爺バカぶりを発揮してしまいます。
休みの日でしたので駐車場はいっぱいでした。

でももう散ったでしょうか?




山が笑ってる
昨日の土曜日は「ふるさと風の会」の定例印刷日。
午前中印刷して午後から配りに行った。

八郷地区から朝日トンネルを通って小町の里へ。
も山はすっかり芽吹いて若芽が山を染めています。

本当にどこもかしこも山が笑っているように見えます。
「山笑う」という言葉は今の時期なのでしょうか。
「春山淡冶にして笑うが如く」というのだそうですね。
「淡冶(たんや)」はあっさりしてなまめかしい様子・・・草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになるようす
やはりこの時季ならではですね。


小町の里では裏の体験施設のところでじっと動かないお人形さんたちも笑っていましたね。
どこかのんびりしていますね。

午前中印刷して午後から配りに行った。

八郷地区から朝日トンネルを通って小町の里へ。
も山はすっかり芽吹いて若芽が山を染めています。

本当にどこもかしこも山が笑っているように見えます。
「山笑う」という言葉は今の時期なのでしょうか。
「春山淡冶にして笑うが如く」というのだそうですね。
「淡冶(たんや)」はあっさりしてなまめかしい様子・・・草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになるようす
やはりこの時季ならではですね。


小町の里では裏の体験施設のところでじっと動かないお人形さんたちも笑っていましたね。
どこかのんびりしていますね。

今年はネモヒラも早く・・・
イギリスから娘夫婦と2人の孫娘が来ました。
今日は大洗の水族館に行きたいというので、午前中は国営「ひたち海浜公園」にネモヒラを見てから行くことにしました。
もうネモヒラモも満開に近く、連休までは持たないかもしれません。





昼にいつのパターンで森田水産大洗店の平日特割ランチの「寿司ランチ(980円)」に満足し、水族館へ。


何時もここの平日ランチは美味しくて安い。 豪華海鮮丼も850円です。
今日はどこもガラガラですいていました。
今日は大洗の水族館に行きたいというので、午前中は国営「ひたち海浜公園」にネモヒラを見てから行くことにしました。
もうネモヒラモも満開に近く、連休までは持たないかもしれません。





昼にいつのパターンで森田水産大洗店の平日特割ランチの「寿司ランチ(980円)」に満足し、水族館へ。


何時もここの平日ランチは美味しくて安い。 豪華海鮮丼も850円です。
今日はどこもガラガラですいていました。
孫とのひと時
イギリスから上の孫娘(5歳)も茨城にやってきました。
最初の1週間は東京でデズニーランドなどで楽しんだ後来たのですが、今年は桜も少し散ってしまって・・・・
それでも風土記の丘のしだれ桜を見に行ってきました(4/10頃)
満開は過ぎましたがまだきれいでした。

結婚式の後の記念撮影に訪れているカップルもいました。

孫娘もすっかりモデル気分?

すっかり大人になったようです。
イギリスでは4歳からもう小学校に行っています。

下の孫も楽しそう。
二人仲が良いです。

この笑顔を忘れないようにしなくては。


今度会えるのはいつでしょうか。
すでに今週初めにロンドンへ帰っていきました。
最初の1週間は東京でデズニーランドなどで楽しんだ後来たのですが、今年は桜も少し散ってしまって・・・・
それでも風土記の丘のしだれ桜を見に行ってきました(4/10頃)
満開は過ぎましたがまだきれいでした。

結婚式の後の記念撮影に訪れているカップルもいました。

孫娘もすっかりモデル気分?

すっかり大人になったようです。
イギリスでは4歳からもう小学校に行っています。

下の孫も楽しそう。
二人仲が良いです。

この笑顔を忘れないようにしなくては。


今度会えるのはいつでしょうか。
すでに今週初めにロンドンへ帰っていきました。
人面不知何処去、 桃花依旧笑春風
少し前から、JR東日本「大人の休日クラブ」のCMで大田原市(黒羽)の雲厳寺が紹介されています。
芭蕉が奥の細道で最も長く滞在した場所として紹介されています。

茨城からも比較的近いので昔訪れたのですが、CM映像を見ているとまた行ってみたくなります。
このお寺についてはいくつか他のお寺などを調べていていくつか関連が出ていますが、やはり禅の心がいろいろなところに洗われています。
芭蕉の禅の師匠といわれる仏頂禅師が修業の為に近くの山の中に草庵を建てて暮らしていた。
この仏頂禅師は現在の茨城県鹿嶋市の阿玉あたりの出身だったかと思う。
根本寺から大儀寺に移った。
黒羽の雲厳寺の方丈には「人面不知何処去、 桃花依旧笑春風」と書かれた額が置かれている。
「人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む」と読むようだが、意味としては
去年会った人はどこかへ行ってしまって、その行方は知らないけれども、そんなことには関係なく、桃の花は、春が来れば春風ににっこり笑うがごとくに咲く
といった意味のようだ。
あまり詳しく行った時はわからなかったが、禅の心で読まなければいけないようだ。
これは唐代の詩人 崔護の漢詩(題都城南莊)の一部で全文は
去年今日此門中 去年の今日、この門の中で美しい少女にあった
人面桃花相映紅 桃の花の紅が頬に映って美しかった
人面不知何処去 今年、少女はどこに行ったのだろう
桃花依旧笑春風 桃の花は去年と同じように春風を受けて咲いている
このことから「諸行無常」とか「一期一会」とかの言葉を思い浮かべるようです。
私がこのお寺を今思い浮かべているにはもう一つ訳があります。
山梨(塩山)にある恵林寺を調べていたときです。
この寺は武田信玄が再興して甲斐武田家の菩提寺として知られていますが、信玄が特に信頼していた「快川和尚」が詠んだ
「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という言葉が最も有名です。
信玄は信長・家康を討つために武田の騎馬隊を率いて行く途中で病に倒れなくなりました。
その死は遺言によって3年間伏せられ、3年後にこの恵林寺で葬儀が行われました。
しかし武田軍はその後長篠の戦いで大敗して天目山にて完全に敗北しました。
織田信長軍がこの恵林寺に逃げ込んだ武田方の武将の引き渡しを寺に要求しましたが、応じないために寺に火が放たれました。
燃え盛る三門の上で「快川和尚」はこの句を大声に叫んで死んでいったのです。
ここまでは知っておられる方も多いかもしれません。
でもこの恵林寺とこの雲厳寺は関係が深かったのです。
燃える恵林寺から快川和尚の弟子の「末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)」和尚は遠くこの雲厳寺に逃げ込んだのです。
恵林寺は信長が死んだあと家康の統治となりました。
この時、家康は武田氏の残された家臣たちを保護し、末宗瑞曷をよびもどして、恵林寺の復興にあたらせました。
家康が源氏の家系だと自称しているのは有名ですが、どこか源氏にあこがれを持っていたのでしょうか。
甲斐武田氏は源氏の一族です。
芭蕉が奥の細道で最も長く滞在した場所として紹介されています。

茨城からも比較的近いので昔訪れたのですが、CM映像を見ているとまた行ってみたくなります。
このお寺についてはいくつか他のお寺などを調べていていくつか関連が出ていますが、やはり禅の心がいろいろなところに洗われています。
芭蕉の禅の師匠といわれる仏頂禅師が修業の為に近くの山の中に草庵を建てて暮らしていた。
この仏頂禅師は現在の茨城県鹿嶋市の阿玉あたりの出身だったかと思う。
根本寺から大儀寺に移った。
黒羽の雲厳寺の方丈には「人面不知何処去、 桃花依旧笑春風」と書かれた額が置かれている。
「人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む」と読むようだが、意味としては
去年会った人はどこかへ行ってしまって、その行方は知らないけれども、そんなことには関係なく、桃の花は、春が来れば春風ににっこり笑うがごとくに咲く
といった意味のようだ。
あまり詳しく行った時はわからなかったが、禅の心で読まなければいけないようだ。
これは唐代の詩人 崔護の漢詩(題都城南莊)の一部で全文は
去年今日此門中 去年の今日、この門の中で美しい少女にあった
人面桃花相映紅 桃の花の紅が頬に映って美しかった
人面不知何処去 今年、少女はどこに行ったのだろう
桃花依旧笑春風 桃の花は去年と同じように春風を受けて咲いている
このことから「諸行無常」とか「一期一会」とかの言葉を思い浮かべるようです。
私がこのお寺を今思い浮かべているにはもう一つ訳があります。
山梨(塩山)にある恵林寺を調べていたときです。
この寺は武田信玄が再興して甲斐武田家の菩提寺として知られていますが、信玄が特に信頼していた「快川和尚」が詠んだ
「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という言葉が最も有名です。
信玄は信長・家康を討つために武田の騎馬隊を率いて行く途中で病に倒れなくなりました。
その死は遺言によって3年間伏せられ、3年後にこの恵林寺で葬儀が行われました。
しかし武田軍はその後長篠の戦いで大敗して天目山にて完全に敗北しました。
織田信長軍がこの恵林寺に逃げ込んだ武田方の武将の引き渡しを寺に要求しましたが、応じないために寺に火が放たれました。
燃え盛る三門の上で「快川和尚」はこの句を大声に叫んで死んでいったのです。
ここまでは知っておられる方も多いかもしれません。
でもこの恵林寺とこの雲厳寺は関係が深かったのです。
燃える恵林寺から快川和尚の弟子の「末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)」和尚は遠くこの雲厳寺に逃げ込んだのです。
恵林寺は信長が死んだあと家康の統治となりました。
この時、家康は武田氏の残された家臣たちを保護し、末宗瑞曷をよびもどして、恵林寺の復興にあたらせました。
家康が源氏の家系だと自称しているのは有名ですが、どこか源氏にあこがれを持っていたのでしょうか。
甲斐武田氏は源氏の一族です。
臥龍の藤
昨日銚子に出かけましたが、道に途中に咲いている藤の花を見て、銚子市内にある妙福寺に行ってみようと思いつきました。
前に訪れた時にここの藤棚が有名だということを知っていたためです。
「臥龍の藤」と名づけられた藤はみごとな花を咲かせていました。
足利のフラワーパークから藤の保存のアドバイスをもらっているようです。

この藤の根・幹が龍がとぐろを巻いているように見えるので「臥龍」というようです。

この藤は京都御所から700年ほど前に運ばれてきたものです。
(川から海へ そして海上輸送で銚子まで運ばれたのです)
前に訪れた時にここの藤棚が有名だということを知っていたためです。
「臥龍の藤」と名づけられた藤はみごとな花を咲かせていました。
足利のフラワーパークから藤の保存のアドバイスをもらっているようです。

この藤の根・幹が龍がとぐろを巻いているように見えるので「臥龍」というようです。

この藤は京都御所から700年ほど前に運ばれてきたものです。
(川から海へ そして海上輸送で銚子まで運ばれたのです)
親父の年を越え矩を踰えず
この4月半ばで70歳を迎えた。
旧暦では「古希」というらしいが、70歳は古より希(まれ)だということらしい。
いまや古希などと言われてもね・・・・・。
実は私の父は69歳11か月でこの世を去った。
とうとう私は親父の年を越えてしまった。
しかしその年になってみてもまだ実感はわかない。いまだ子供のままのような気がする。
何時になったら大人になるのだろうなどと思う。
でも間違いなく体力的にも精神的にも年々衰えを感じざるを得ない。
やはりこれからは論語にあるように
「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」
で行くことなのかもしれない。
長女がイギリスに嫁いで、1か月ほど昨年生まれた孫を連れて戻っていた。
そして学校も休みとなったので上の孫(5歳)とイギリス人の旦那が4月になってやってきた。
日本好きの旦那は桜見物を楽しみにしていたが、今年はあまりにも桜の開花が早く少し期待はずれだったかもしれない。
2年ぶりに帰ってきたので、日本にいる二人の子供(二女と長男)夫婦が孫を連れて会いにやってきた。
普段2人きりの夫婦の生活で、仕事に追われて家の中も片付かず、そんな中に11人が我が家に集まった。
まあにぎやかなこと。11人、大人は6人だが これだけの人数が狭い中に泊まってもらったが、まあバタバタ。
そこは家族なのでみな一緒でも特に良いだろう。
昼に土浦の「かね喜本店」でランチを予約していたので会食。

ランチのセット(1500円)はなかなか豪華です。

寿司ランチの上(1800円)、別に寿司ランチ1000円もあるがこちらの1800円のものはネタが違う。
おすすめです。
その後にイーオンで子供たちを遊ばせて、我が家に戻りましたが、そこで思いもよらないサプライズが。
子供たちから大きなバースデーケーキにiPadのプレゼントが・・・・。
確かのこんな年になったのだなと改めて我が年を振り返りました。
でももう少しは、気分も若くいろいろやっておきたいものです。
旧暦では「古希」というらしいが、70歳は古より希(まれ)だということらしい。
いまや古希などと言われてもね・・・・・。
実は私の父は69歳11か月でこの世を去った。
とうとう私は親父の年を越えてしまった。
しかしその年になってみてもまだ実感はわかない。いまだ子供のままのような気がする。
何時になったら大人になるのだろうなどと思う。
でも間違いなく体力的にも精神的にも年々衰えを感じざるを得ない。
やはりこれからは論語にあるように
「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」
で行くことなのかもしれない。
長女がイギリスに嫁いで、1か月ほど昨年生まれた孫を連れて戻っていた。
そして学校も休みとなったので上の孫(5歳)とイギリス人の旦那が4月になってやってきた。
日本好きの旦那は桜見物を楽しみにしていたが、今年はあまりにも桜の開花が早く少し期待はずれだったかもしれない。
2年ぶりに帰ってきたので、日本にいる二人の子供(二女と長男)夫婦が孫を連れて会いにやってきた。
普段2人きりの夫婦の生活で、仕事に追われて家の中も片付かず、そんな中に11人が我が家に集まった。
まあにぎやかなこと。11人、大人は6人だが これだけの人数が狭い中に泊まってもらったが、まあバタバタ。
そこは家族なのでみな一緒でも特に良いだろう。
昼に土浦の「かね喜本店」でランチを予約していたので会食。

ランチのセット(1500円)はなかなか豪華です。

寿司ランチの上(1800円)、別に寿司ランチ1000円もあるがこちらの1800円のものはネタが違う。
おすすめです。
その後にイーオンで子供たちを遊ばせて、我が家に戻りましたが、そこで思いもよらないサプライズが。
子供たちから大きなバースデーケーキにiPadのプレゼントが・・・・。
確かのこんな年になったのだなと改めて我が年を振り返りました。
でももう少しは、気分も若くいろいろやっておきたいものです。
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